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続・刀屋物語 9

武具は太古から神話とともに始まった。それは日本人の刀剣をもって「道を切り拓く」ことに繋がっていたからである。日本人は太古の昔より、刀剣をもって困難を切り拓いて来たのである。



●産鐵民

 古来より「霊力」を在とした信仰や伝承は、鐵と深い関わり合いを持つといわれる。そして異形の大蛇は霊力を持つ「神の化身(けしん)」とされた。大いに畏れられ、崇(あが)められた。
 日本では嫌われ者の代表格の妖怪として「八岐大蛇
(やまた‐の‐おろち)」がある。
 八岐大蛇は記紀神話で、出雲の簸川
(ひ‐の‐かわ)にいたという大蛇である。頭尾は、おのおの八つに分かれている。その大蛇を素戔嗚尊(すさのお‐の‐みこと)がこれを退治して、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、その尾を割いて天叢雲剣(あま‐の‐むらくも‐の‐つるぎ)を得たと伝える。
 天叢雲剣は八岐大蛇を退治した時、その尾から出たという剣をいい、これを天照大神
(あまてらす‐おおみかみ)に奉った。後に、草薙剣(くさなぎ‐の‐つるぎ)と称して熱田神宮に祀ったとある。

 蛇が霊力を持つ生き物として古代から信仰されていたらしいことは、縄文時代の土器などを見れば明らかである。この時代の土器には至る所に「蛇模様」がある。また、蛇を対象にした古い民俗信仰の代表的なものに、信州並びに中部地方を中心にした地域にミシャグジ神がある。このミシャグジ神は「ミシャグジ様」などと呼称され、塞の神
(さい‐の‐かみ)であり、もとは大和民族に対する先住民の信仰でもあるとされた。また、石神(シャクジ)と石神(いしがみ)を同一視することもある。

 諏訪地方では、特に諏訪の蛇神である「ソソウ神」と習合されたことから、白蛇の姿をしているともいわれている。そして、この発祥は縄文時代までに遡
(さかのぼ)ると言われている。
 日本列島においては、各地に蛇を対象にした信仰や伝承は至る所にあるのである。
 その代表格として蛇竜伝承の『八岐大蛇神話』があるのである。

 『日本書紀』の粗筋を追うと、高天原から追放された素戔嗚は出雲の簸川に天降った。するとそこでは、毎年次々を七人の娘が攫
(さら)われ、啖(く)われてしまうといい、今年は最後の娘であった奇稲田姫を失うということで悲しんでいる老夫婦がいた。この老夫婦の名を脚摩乳(あしなづち)と手摩乳(てなづち)といい、二人の末娘であった少女が奇稲田姫だった。
 八岐大蛇は目が赤カガチ
(ほうずき型の鬼灯)のようで、胴から八つの頭が伸び、更に尻尾は八つあり、背中には苔(こけ)や松が生え、身の丈は八つの谷、八つの尾根に亘り、腹は赤く爛(ただ)れていると言う。

 素戔嗚は大量の酒を造らせた。これを八岐大蛇に飲ませる策を立てたのである。そして八岐大蛇はこの策に掛り、酔い潰れ眠ってしまったところを、素戔嗚尊は十握剣
(とつか‐の‐つるぎ)を拔いて、ずたずたに八岐大蛇を斬っり、この親子を扶(たす)けたと言う。
 尾を斬った時、剣の刃が少し欠けた。そこでその尾を割り裂いて見ると、中に一振りの剣が顕われたのである。これが所謂
(いわゆる)草薙剣であり、素戔嗚はこの剣を天神(あまつかみ)に献上したのである。

 その後、奇稲田姫を湯津爪櫛から少女の形に戻し、結婚の地を探して、出雲の清地
(すが)を訪れ、そこに宮を建てた。そして「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣」を詠んだとされる。

 これらを総じて結論から言うと、この話は古代産鐵民の産鐵場の争奪戦である。
 産鐵民というのは、タタラ炉を築き、木炭を燃やして砂鉄を溶解し、鐵
(鉄)を造り出す技術集団のことである。
 はじめて日本列島の島根地方に渡来したのは縄文時代の晩期か弥生時代の初期であるといわれている。この技術集団はその後も続々と渡来し、良質な砂鉄が豊富にある山陰・中国地方に遣って来た。中国山地を背負う出雲や吉備には、この砂鉄が豊富だった。そして、此処では産鐵場を巡って、新旧産鐵民同士が争ったというのである。これが神話化されて、『八岐大蛇伝説』になったのである。つまり、この伝説は蛇に仮託する産鐵場の争奪戦だったのである。

 蛇と産鐵民との関わり合いは「霊力」である。
 そして霊力を持つ職業と言えば、洋の東西を問わず「鍛冶師」である。当時はこの鍛冶師を「産鐵民」と呼んだのである。
 石から鉄を造り出し、その鉄を自由自在に操って、いろいろな形の物を造り出す能力は、人間業を超えるものと畏
(おそ)れられ、また敬われた。ここにこそ霊力があり、その自由自在に操る態(さま)が蛇を彷彿とさせ、蛇に霊力を託して語られた話が『八岐大蛇神話』であった。そしてこの神話には産鐵とともに山陰地方の大砂丘とが密接に絡んでいたのである。

 大砂丘の光景の物凄いスロープは巨大な大蛇の背を思わせ、まさにそれは山の尾根であり、そうした聳
(そび)え立つものが大小の瘤(こぶ)となって茂りながら波打っているのである。『八岐大蛇伝説』の大蛇の背に「苔や松が生え、身の丈は八つの谷、八つの尾根に亘り……」という表現は、まさに大砂丘を彷彿とさせるものである。
 見渡す限りの砂丘のうねりは、まさに大蛇の背中の、それである。大迫力と言えるものである。古代人も、これを大蛇の背と検
(み)たのだろう。
 況
(ま)してその尾根部には、人の足跡すらない。それは風が一瞬にして風景を変えてしまうからである。更には、海と大砂丘のコントラスト。そして大砂丘の高さは60メートル程もあり、一般観光用のコースの標高は40メートル前後と言われている。こうして人は、大砂丘に惹(ひ)かれるのである。

 では、何故惹かれるのか。
 それは砂自体が、白くて輝いているからである。実に綺麗だからである。これは太平洋側の砂浜には見られない砂である。更に、砂の成分を分析すると、この砂には多くの石英が含んでいることである。石英は太陽光線に当たると反射する。
 石英はケイ酸から成る鉱物の一種で、三方晶系に属し、ガラス光沢をもつ粒状・塊状の集合の鉱物である。また錐面を持ち、六角柱状結晶は水晶と呼ばれる物である。硬度が「7」と言われる物である。
 したがってガラスや陶磁器の材料ともなる。そして次には長石が増幅して更に輝きを増す。こうした成分により鳥取砂丘が形成されているのである。

 また、これは水と大いに関係があり、「伯耆
(ほうき)」という旧国名は、中国山地の鳥取県の西部を指していて、かつては伯州と言われた地域でもある。島根から鳥取に懸けて、此処には花崗岩(かこうがん)が存在する。中国山地の分水嶺付近には古代国家間の山陰と山陽を分ける分水界がある。その源流には京都亀岡の千代川まで遡(さかのぼ)り、この川から中国山地の山陰側へと流れ出している。そして川の水が花崗岩を寝食すると、それを大量に日本海側へと流すことになる。これが砂として放出され、鳥取砂丘はこの砂が十万年もの長きに亘り形成された物と言われている。
 砂の風景は風が造る。
 砂丘では風こそが、その造形作家なのである。しかし表情は常に変化する。同じ光景は二度と見ることが出来ない。この変化こそ、大蛇の「うねり」であり、またそれが大蛇を彷彿とさせた。
 『八岐大蛇伝説』には、砂丘の光景が大いに絡んでいたのである。

 では、これが何ゆえ産鐵民伝承ということになるか。
 まず奇稲田姫の年老いた両親を考えてみるといい。
 脚摩乳は「アシ土
(な)」であり、手摩乳は「テ土(な)」である。二人は夫婦である。そして土は「砂鉄」を顕している。
 まら、乳
(づち)は砂鉄から刃物を産み出す「霊(ち)」のことである。この霊から生まれたのが奇稲田姫だ。

 更に『日本書紀』によれば、「吾はオオヤマヅミの子」とある。オオヤマヅミは九州に渡来した産鐵民の長
(おさ)である。そして奇稲田姫のクシナダは「奇(く)し土(な)」であり、良質の砂鉄の採れる処の女という意味を持ち、一方素戔嗚の「スサノオ」は洲砂(すさ)の男(お)である。
 また、「八つの谷や尾根をわたらす」の「八
(やまた)」の「や」は多いという意味を持っている。それは多くの産鐵地を支配する産鐵民を顕している。更に八岐大蛇の、赤いほうずき型の爛れた目とはタタラ炉の火のことで、赤い腹は山砂鉄の採掘で流れです土(つち)のことである。

出雲大社

 この話を総て纏めると、先住産鐵民のアシナヅチ(脚摩乳)、テナヅチ(手摩乳)の産鐵場を次々に襲う八岐大蛇を素戔嗚が倒して、その娘の奇稲田姫の三人を扶(たす)けたという話である。
 そうした経緯から、素戔嗚は奇稲田姫を妻とし、新産鐵場を造った。この物語を更に要約すれば、八岐大蛇の尾から鉄剣が出るのは、剣が刀の型をもった新製品の誕生を意味するものであった。
 この話から考えれば、これまで中国大陸から伝わって来た「剣」が、反りを持ち、「日本刀に変化して行く経緯」が窺
(うかが)われよう。



●日本刀談義(1)……刃

 日本刀を所持するには、ただ刀の手入れを怠らないということばかりではなく、力学的事実に基づいた、「斬る」という裏付けを完全なものにしておかねばならない。
 つまり、日本刀で「斬る」ということは、逆から力学的に吟味すると、「引き剥
(は)がす」ということであり、切断する媒体にかかる圧力が鋭ければ鋭いほど、強ければ強いほど、刃(やいば)の粒子が結合して、切断媒体の分子を引き剥がし、これこそが日本刀の最高の極地となる。

 刀剣はその据え物斬りにおいて、「引く」という動作と共に、「押す」という動作が加わる。
 この「引く」の動作と共に「押す」の動作を行えば、刃の粒子が結合した先端では、圧力の増加が物理的に加えられることになり、圧力の単位あたりの面積は、最小限に小さくなり、「斬れる」という現象が起こるのである。秘訣は尖先
(きっさき)にある。更には、尖先の「フクラ」にある。このフクラによって、つまり媒体が切断されるということになる。フクラは「脹(ふくら)」と書く。刀の刃の先端に丸みのあるものを指す。此処を「カマス」というのである。

 つまり「カマス」とは、刀の刃の先端が三角形で丸みのないものを指す。尖先は普通「切っ先」あるいは「鋒」の字を当てるが、刃物の先の尖った最先端部をいう。「尖り」という意味である。あるいは鋒鋩
(ほうぼう)ともいう。したがって此処を「鋩子(ぼうし)」ともいい、此処には刀剣の切先にある刃文が見られる。そして刀工の技量の最もよくあらわれるところで、これによって各時代・流派の特徴を知りうるのである。これを「帽子」とも書く。

 さて刃物は、単位あたりの面積を極力小さくすれば、そこに懸
(か)かる圧力は更に増大される。
 これを現実の武術の世界で述べるならば、重い刀で斬るか、あるいは先の尖
(とが)った鋭利な刃物で斬った場合の方が斬れ味が良くなる。それは中国古代の「龍刀」や、三国時代に登場した関羽(かんう)らが使用した「関羽大刀」などはかなりの重さがあった為に、その重量を利用して、人間の首や胴体は愚か、馬の首や胴体まで切断したといわれる。これは重さを利用しての切断方法だった。

 ところが、日本刀にはこうした重さはない。
 重さがない代わりに、ただ侵入角を30度から40度に保って鋭くするだけではなく、これに「引く」あるいは「押す」の動作を加えて、「斬れ味」というものを見出したのである。これが刃に「反
(そ)り」を持たせ、この反りが斬れ味を生み出したのである。

 したがって、中国の刀剣武器の「龍刀」や「関羽大刀」のように重量がなくても、斬れ味だけで人間を簡単に斬ることが出来たのである。しかし、その裏付けは、やはり刀法に熟知することであった。
 ちなみに、日本刀の2尺4寸前後で名刀といわれる平均重量は約700グラム前後であり、これ以上重い刀は、鈍刀とされた。鈍刀が重くなるのは、素延刀
(すのべ‐かたな)に多く、要するに鍛えられてない刀はどうしても重くなる。炭素量の問題であろう。

 一方、名刀は鍛えられた刀であり、鍛えることにより、鉄分に含む地鉄の中の炭素を叩き出し、炭素量の調節がうまくいっているからである。また刀工は、この炭素量の巧みなバランスによって刀剣を造り出す。
 日本刀に用いられる地鉄は、古来より玉鋼
(たまはがね)が用いられてきた。また、「皮鋼鉄」や「心鉄」は、包丁鉄(ほうちょうてつ)という柔らかい鉄が用いられてきた。更に、皮鉄には出羽鋼(でわ‐はがね)を造る際に出る、屑鉄鋼(くず‐てっこう)あるいは包丁鉄を使用して鍛造された物が最も多い。

 こうした鉄鋼に加えて、島根県鳥上村より掘出された砂鉄で造った玉鋼
(千草鉄とも)あるいは出羽鋼を用い、更にはひょうたん型の南蛮鉄が皮鉄に使われ、鍛造された。充分に鍛えられて鍛造された日本刀の研地(とぎじ)の肌は種々の文様を持ち、これは素伸の昭和新刀やサーベルに用いられている西洋刀とは根本的に鍛造法が異なっているためである。

 日本刀は単なる殺戮の道具ではなく、世界中の刃物の中でも特異な性質を持っている。日本民族の誇りであると同時に、崇高な精神が宿る神器であり、軽んじて扱うことは出来ない。
 日本刀の刀法を知るということは、その刀の持つ「太刀の徳」によって、自分自身を修め、また、それに合わせて、世の中も治められるような太刀遣いだ出来なければならないのである。

 かつて、兵法の道においては、太刀遣いを自在にこなせる者を「兵法者」と呼んだ。
 これは弓をよく射る者を射手と呼んだり、鉄砲がうまいものを鉄砲打ちと呼んだり、槍をよく使う者を槍使いと呼称するのとは違っていた。

 太刀をよく使う者を、「太刀遣い」と言わず、あえて「兵法者」というのは、太刀、つまり日本刀を能
(よ)く遣う者を、全武芸十八般を代表して、「兵法者」と言ったのである。そこにはやはり「太刀の徳」があるからである。その徳こそ、人を感化する人格の力であり、また神仏の加護を得る者の人徳者である。人は、この人徳に敬意を払った。そして日本刀も人徳者の所持品として大いに敬われた。日本刀が単なる刃物と違って、恭し(うやうやし)く扱われるのはこのためである。
 単に「斬る」とは、人斬り包丁の刃物でないことが分かろう。これは神仏の許しを得てする行為だからである。

 さて、神仏の許可を得て『据物斬り』を通して「斬る」ことを修練しながら、平行して日本刀に対する識見を深めていくことこそ、武術家の心得る最重要課題と置いているのである。
 また、太刀をよく遣うとは、単に剣術のみに固執するのでなく、あらゆる武技に通じ、あらゆる武器に通じていなければならない。これは「広く知って、わが道に磨きをかける」ためである。

 道において、貫通するものは、一芸だけではない。
 一芸だけでは「芸者の芸」で、結局最後は男芸者に成り下がる。そうならない為には、何事も広く知らねばならない。「芸道」に通じている道ならば、そこには共通の根本理念が横たわっている。この共通の根本理念を辿ることで、兵法と共通する一貫した道しるべを辿ることが出来るのである。

 しかし、昨今は多種多様化する武道競技の中で、各種目武道は、他流にその共通性を求めたり、他武道から芸道の真髄を学ぶという考え方が稀薄となり、それぞれは自武道自流が最強と決め付けている。あるいは最高の教えであるといって譲らない。
 ここにも現代の武道に取り組む姿勢に、暗い翳
(かげ)りが指し始めている。人間に限らず、集団や組織に限らず、自らが最高だと思い上がった瞬間、滅びの影が忍び寄ってくる。人間の思念は、有頂天に舞い上がった時点で崩壊するようになっている。それまでである。

 日本刀の袈裟斬りにおいて、邪なこと、あるいは不正なことを意念して、斬ったとしても、その切り口は間違いだらけで、そのまま、その間違った心の現われということである。これを言い換えると、心が正しくなければ、喩
(たと)え何とか斬り終(お)せても、その切り口には邪悪なものが漂っているということである。
 このように日本刀は、直ぐ人の心に反映されるものなのである。

 つまり、「心が正しくなければ」という正義観念は、常に日本刀と共について周り、この正義観念が働いてこそ、日本刀は正しく遣う事ができるようになり、これに邪な心が働いている者は、切断物質の刀の刃が当たっただけで、跳ね返されたり、あるいは刀を曲げてしまうものなのである。
 また、日本刀を用いる場合は、疑いを抱いたり、迷いを起すとその心が反映されて、直ぐに刀に伝わってしまうのである。こうした疑いや迷いは、兵法の原理を大きく踏み外す元凶となり、勝利からは遠く離れてしまうのである。

 また、日本刀は心の持ち方や、心構えや、目配りや、間合や、足捌きに直ちに反映され、平常心を失うと、そこには狂いが生じるものである。そして、心を広やかに持ち、真っ直ぐに持ち、やたら緊張したり、偏ったり、弛
(ゆる)んだり、ともかく「中庸(ちゅうよう)」を失うことを戒めるのである。日本刀には、精神面に働くこうした一面があり、日本刀が単なる、人斬り武器でないことは明白であろう。



●日本刀談義(2)……魄

 真剣での申合せは、その前提が「敵を斬る」ということが第一の課題で、敵と対峙(たいじ)した時、その身構えは「太刀の遣(つか)い方」が大事となる。太刀の遣い方に於いては、柄(つか)の握り方が大事となる。真剣を遣っての臨死体験に「真剣の申し合せ」なるものがある。真剣をもって、疑似の死を体験するのである。その死の裡側に「内なるもの」がある。
 また「握り」は内なるものである。

 これを「内なる力」と表現してもいう。内なる力には「魄
(はく)」がある。
 魄とは、「留
(とど)まる陰(いん)の霊魂」を言う。
 霊的に検
(み)れば、魄はこの世に留まる霊魂のことである。霊的成分は、陰に属するからである。一方これは内なる力の源泉なのである。したがって握り次第で、如何様にも変化する。その変化は千変万化である。

 柄を握る場合は、拇指
(おやゆび)と人差指を心持ち浮かすように握り、人差指は真っ直ぐと延ばす。
 つまり、人差指を延ばす事で、その「延長線」が出来上がり、剣の行動線の行方を人差指が示唆
(しさ)するようになっている。だが、これも「心持ち」という感じを大事にして延ばすのが肝心であり、ここに指の骨の骨格的な「伸び」を用いてはならない。

 滑稽な輩
(やから)は、敢えて人差し指を直線にピンと伸ばし、これでに握りが正しいと勘違いしているが、こうした滑稽なる握りでは、「手の裡(うち)」は定まらない。全くもって間違っているのである。笑止である。
 昨今はこうした間違いの輩
(やから)が、幅を利かしている光景を見るが、実に残念なことである。
 つまり、ピンと張るのは間違いである。余裕が無いさまを顕す。限界の張りつめた、後は無いという愚行である。やがて自滅するであろう。

 武儀の本旨は「余裕」である。ゆとりである。余っている部分があるから、心には余裕ができる。それと同じことが、手の裡にもある。
 手の裡は、余裕が肝心である。
 掌
(たなごころ)の握りは「卵を抱くように……」のイメージが大事なのである。力んだものは間違いであり、そう言う力は外にあるのでなく、「内」にあるのである。故に「内なる力」と言う。秘めたものであり、外からは見えないものである。手の裡に包んでいるからだ。

 指先ばかりに気が捕われて、肝心か手の裡の「掌
(たなごころ)」の締まりが弛み、茶巾絞りが疎(おろそ)かになるからである。したがって剣筋も狂って来る。同時に肩に力が入り、肩そのものが上下に、縦の楕円を描きつつ回転しないのである。回転が滑らかでないと、肩球(かただま)は思うように回転しない。
 この、肩を中心軸に、肩を充分に廻すことを「霊
(たま)」という表現で言い表し、この部分の球(たま)を「肩霊(かただま)」というが、肩霊が自在でないと、実際には剣筋は正しいものにならないのである。

 次に中指であるが、この指は締め過ぎず、弛
(ゆる)め過ぎず、加減して握ることが大事である。薬指と小指は、締めるようにして持つ。
 この、締めるように握る場合、手の中に弛
みがあってはならない。これを「手の裡(うち)」という。そして「手の裡」が正しければ、柄を握る左右の拳は合谷(ごうこく)同士がピッタリと剣筋の一直線上に重なる。それは力んでないからである。
 また、力んでないから自由自在であり、剣先までに気が通い、この気が「魄」である。この魄をもって、剣先が何処までも伸びていくのである。それにより、「片手操法」が可能となる。利き腕による操刀法である。

 操刀法は右でも左でも可能である。
 特に、左の操法は凄まじい。
 人間の利き腕は、大半は右であるが、右利きも左利きも、「止め」は左手の小指の裡側にある。小指側によって、止めを行っている。この止めが、最初から最後まで行われた場合、左抜刀で太刀が抜かれ斬りつけられた刹那、そこに起こるのは「激
(げき)」である。こうした激を「激剣」と言う。
 激剣は、単なる剣術や剣道のそれではない。衝撃的な凄まじさを指す。しかし凄まじさは、外見から検
(み)た場合のそれではない。内から出たものである。

 内なる力の原形は「たなごころ」にある。
 外見から見た「強そう……」は見掛け倒しである場合が多い。見るからに屈強な外見に、本当の強さがあるのではない。これを強さの象徴にするのは錯覚である。本当の強さは外にあるのではなく、「内」にあるのである。
 腕ならば、「手の裡」であり、肩部ならば「肩霊」であり、胴体ならば「腹霊
(はらだま)」であり、頭部ならば「眉間(みけん)」である。額の中央であり、眉と眉との間を言う。

 眉間とは霊的に検
(み)て、これを「第三の眼」と言う。
 ここに、人間は誰でも第三の眼をもち、これを「霊眼」と言う。但し、これを開発させているか否か、また発達させているか否かで、眼力の格差が決定されている。人の眼に、力の格差が生まれるのは、此処を鍛錬したか否かにある。

 敵を斬る場合においても、手の裡の具合は変わらないが、手が竦
(すく)む事のないように柄を持ち、刃筋を正さなければならない。
 太刀の個人的闘技においての、「一分の兵法」は敵の太刀を打ったり、受けたり、抑えたりする場合でも、拇指と人差指の「心持ち浮かして握る」という、指の調子は変えてはならない。第一の課題は「敵を斬る」ことであり、この覚悟をもって太刀を握らなければならない。

 更に言及するならば、試し斬りなどにおいて、竹でも、畳蓙
(たたみござ)の巻き藁(わら)でも斬るに当たり、それは単に気分の思うままに力で斬っているということではない。力任せに、任意にまま斬っているのではない。そこに無作為は存在しない。
 「此処を斬れ」と指示されるから斬るのである。試刀術でも上達すれば、単に力の叩き斬りから卒業して、力を抜いた「柔らかな斬り」が実践出来るよになる。「たなごころ」が物を言うからである。そして詰めは「茶巾絞り」である。この茶巾絞りこそ、内なる力の源泉だったのである。内面的な強さであり、これは外からは観察できない。
 強さは、外にないことが分かるであろう。

 外に力は、見破られ易い。肩の怒りは見破られ易い。更に武張ればその猛々しさを見破られて、似非勇気であると、侮蔑の対象になる。したがって本当の勇気も、外にあるのではない。内にある。内なる力の支配下にある。
 では、内面の強さとは如何なるものか。

 例えば、自分が誰も必要としない……、誰も自分を必要としていない……、自分には失う物がない……、などの捨身は内なる力の形成する要素である。それは「譬
(たと)えようも無い孤独」が人間を気丈にするからである。甘えの構造にあっては、人間は気丈になれまい。捨身に至って人間は気丈になることが出来る。

 また、こうした孤独感は静寂の中にあるもので、騒音の中には存在しない。
 都会の喧噪の中には存在しない。時間に譬えても、都会時間にはなく、田舎時間の中にこそ存在するものである。
 孤独感と静寂感が相乗効果をもった時、そこには譬えようも無い「正しさ」が存在している。その「正しさ」は剣筋の正しさにも結びつこうし、また正義感にも結びついて、心・気・力を総て正してしまうのである。そのとき、正されたものは、重い物を軽く遣い、かつ軽い物を重く遣うことが出来る。得物に大小は存在しなくなり、また軽重も存在しなくなる。

 存在するのは正しさだけである。
 正しさは、他の何ものよりも優先する。これを遂行するに当り、その中枢には正しさがあり、一切を修正してしまうのである。無駄な物を、瞬時に捨て去るのである。無駄な物、有り余る物は捨てれば楽になるのである。この世は、捨てる中に真実がある。
 この捨てた状態を、刀術に具現すればいいのである。

 世に、手練
(てだれ)という人間がいる。とことん鍛錬をした人間を、手練と呼ぶ。また、手練は一切を捨て切り、肩の力などの抜けた、「山型の肩」をした体形をしている。この肩を「撫(な)で肩」などともいう。
 撫で肩は、自然体でもある。自然体は素直でなければ出来ぬ。自然でなければ撫で肩にはならない。ありのままの姿である。表面の力を削ぎ落とした姿こそ、自然体なのである。

 また、指の「締め方」に於いて、あるいは「支え方」に於いて、その加減具合は繰り返しの稽古によって会得しなければならない。この繰り返しの稽古は、単に、型の練習だけに止めず、敵を斬る気魄
(きはく)が必要であり、この「魄」をもって敵と対峙しなければならない。この「魄」こそ、最も合理的な太刀合に於いての心の持ち方であり、これを「魂魄(こんぱく)」といい、また「気魄」という。

 これこそが、刀剣に担わされている、過去・現在・未来の三つの要素のうち、この世に止まるという陰
(いん)の霊魂を、「今」という現在に重ね合わせ、敵に対し、「魄」で迫るのである。

 この思想は、竹刀を持つ剣道競技と根本的に異にする戦闘思想を持ち、竹刀ではそれを手に持った時機
(とき)、敵を斬ると言う概念は生まれないが、これが真剣である場合、その太刀合に於いては、必ず「敵を斬る」という確かな信念が生まれて来るものである。太刀を取る以上、「敵を斬る」という信念は喪(うしな)ってはなるまい。
 つまり、太刀の遣い方は、実際に「人が斬れる」ような遣い方でなければならない。

 太刀は力で用いてはならない。僅か二本の指で振っても、太刀筋が正しければ、自由自在に振れ、更に人を斬れるものである。この要領さえ会得しておれば、その動きが自由自在となる。この点が、刃筋を伴わない、竹刀剣道や木刀剣術とは異なるところである。

 逆に、太刀をやたら速く振ろうとしてはならない。速く振ろうとすれば「力み」が生ずる。太刀を遣うのに「力み」は禁物である。「力み」が生ずれば、太刀筋が狂う。太刀筋が狂えば、自由自在の動きが失われる。また、「小刀
(こがたな)きざみ」を行ってはならない。

 「小刀きざみ」というのは、速く振ろうとして、軽過ぎる「振り」になってしまうからである。振りが軽くなると、切断する媒体に当たった時、跳ね返されてしまう。手の裡が確かでないからだ。
 また、跳ね返される理由は、臂
(ひじ)を大きく延ばすことができず、萎縮(いしゅく)して強く振り下ろせないからだ。
 こうした「撃ち込み不充分」は、昨今の剣道の竹刀競技に見る事ができる。軽過ぎ、ただ速いだけで、実際にはあれでは人は斬れまい。甘い振り方、打ち方である。
 これも競技化の弊害であろう。

 しかし、今日の競技武道が盛んな今日、「敵を斬る」という魂
(たましい)に訴える「魄」は失われているように思える。
 何故ならば、真剣勝負と、凡
(おおよ)そ懸(か)け離れた道場内の竹刀稽古では、「魄」を維持するにしても、竹刀では現実に敵を斬ることができないのであるから、致し方ない事かも知れない。
 だが、これを「致し方ない」と済ませていては、肝心な、太刀合ってその直後に、立ち上がった刹那
(せつな)、離れた刹那、瞬時に敵から飛び込まれ、一刀の下(もと)に敗北する場合がある。勝負は一瞬の刹那に於いて、決する事を忘れてはなるまい。

 筆者はかつて、敵と太刀合う以前に、敵の気配を感じたら、そこから勝負が始まっていると教えられた事がある。何も、刃
(やいば)を交(まじ)えた時から勝負が始まっているのではない。既に気配を感じ、殺気を感じた時機から勝負は始まっているのである。
 敵の気配を感じ、殺気を感じたら、その場から、いきなり斬り込まれても、それに対応できるように「魄
(はく)で迫れ」と教えられた。「魄」が薄れては、闘志を亡(うしな)うからだ。

 斬るか、斬れるかの真剣勝負に於いて、気魄を持つことは大事である。この気魄は、過去・現在・未来の太刀のそれぞれの次元の中にある。万一、現在の「今」に勝負に負けても、自らは闘志を失っていなければ、現在に斬られたとしても、未来に向かって、まだ戦う意志を投げていない事を表示することくらいは幾らでもできるはずだ。

 闘志を失っていない人間は、喩え斬ったからと言って安心できない。
 その注意点に「残心」の教えがあるが、しかし、残心ぐらいでも安心できない場合がある。一部の大東流で見得を切る動作も、あれは残心なのであろうが、実戦ならば、そう簡単に掛け捕られた方は、自分が掛け捕られたと諦めてはくれまい。意地があれば、闘志があれば、関節が外れたとしても、あるいは骨が折れたとしても、起き上がってきて挑戦を試みよう。挑戦を試みないのは、このての武道が演武であるからだ。最初から、受けと取りが約束され、その約束において芝居で言う演技をしているに過ぎない。

 かつて「人斬り半次郎」と恐れられた薩摩示現流の達人・中村半次郎こと桐野利秋
(きりの‐としあき)は、幕末、志士として活動したことは周知の通りであるが、桐野利秋の云った言葉に、次ぎのようなものがある。

 まず、「太刀を持っている間は、太刀で戦い、太刀が折れれば、素手で戦い、手を斬り落とされたら、足で戦い、足を斬られたら、這
(は)って行って歯で戦い、命を取られたら魂で戦う」と云ったが、実に「魄」とはこうした凄まじい戦い方を、未来に示すものなのである。「今」の状態が未来を決定することを忘れてはならない。
 自分の持っている気魄は、一気に「過去・現在・未来」を貫通させる事により、生き返り、「魄」としての気構えが出来るのである。



 
●日本刀談義(3)……外邪を払う

 日本刀、則ち真剣と言うものは、単なる得物としての道具ではない。魂の籠(こも)った「神器」である。霊力を持った「霊剣」である。霊剣であるから、「破魔」の意味を持つ。また、その働きがある。
 したがって、太刀を構成する神器は、その遣い方と言うものがある。
 太刀は遣い方が肝心である。つまり、太刀こそ、太刀筋と言うものはあり、これは刃筋と同義である。

 太刀筋を正す為には、単に木刀や竹刀を振る要領だけを心得ておいても駄目である。太刀が通る太刀筋・刃筋と言うものを知らなければならない。
 一般に、日本刀と言えば、テレビや映画に出て来る日本刀遣いを想像し易い。その想像も、架空に迫力を持たせた、斬って来る時や振り廻す時の、ビュッという異様な音である。日本人の誰もが刀を振ると、あのような音がすると思っている。

 しかし、こうした「音がする」のは、樋
(ひ)の入った刀だけであり、樋は、刀や薙刀(なぎなた)の身の棟(むね)よりの側面につけた細長い溝のことである。これは刀剣の重量を減らし、調子をととのえる為のもので、血走りをよくする為に考案されたものである。これを「血みぞ」または「血流し」ともいう。これは肉を斬り、骨を斬ったときに生じる血溜まりを解消するために掘られた溝のことである。「血抜き溝」ともいう。

 さて、刀を振ると、実際にテレビや映画で見るようなああした音がするのか。
 否、しない。絶対にする訳はない。あれは効果音に過ぎない。似非
(えせ)なる音である。素人はこうした効果音に騙される。
 特に鎬
(しのぎ)造りの刀は、樋を彫ってなければ、あのように風を斬るような音はしない。
 また、素人考えで、速く振ればああした音がするのではないかと思い勝ちである。事実、木刀でも竹刀でも、速く振れば風を斬る鈍い音がする。したがって、日本刀を振れば音がすると考えるのは当然の事である。これは、多くは樋の入った刀のみである。樋無しの、鎬造りではこうした音は無い。

 例えば、樋の入っていない刀で試し斬りをすると、濡れ藁
(わら)や竹などは見事に切断されるのに、切断される前に、テレビや映画で見るあのような音は聞き取れない。しかし、音がないのに切断されている。
 したがって、「音はしない」のである。速いからだ。同時に、速いために人間の耳には聴こえない。高周波の「密」なる超音波であるからだ。

 音には「粗」なる音と「密」なる音がある。「粗」なる粗い音はスピードが遅いために起こる現象であり、「密」なる音は超スピードであるから、人間の五感から感じる音としての認識は無い。超スピードであるからだ。したがって、剣術の手練は音がしないというのが術者の上達度を計るバロメーターとなる。同時にこれは太刀筋が正しいという熟練の正中線の正しさを顕している。

 これは太刀が空を斬る以前に、その目的を遂げてしまうからである。
 太刀の遣い方は、やたら速く振ろうとしても、遣いこなせものではない。太刀を速く振ろうと意識して用いれば、太刀筋を誤らせ、自由自在を失ってしまう。太刀は、もともと自由な存在であり、これは西洋の道具としての刃物とは異なっている。刃そのものは空を斬らない。同時に音もしない。

 太刀は、振りよいように、静かに振るのが良い。鉄扇や小刀を用いるように速く振ろうと用いてはならない。速く振れば刃筋を誤る。つまり、振れなくなり、斬れなくなるのだ。
 したがって、速く振れば「小刀きざみ」となり、太刀を遣って人を斬る事は出来ない。中心線が乱れ、刀身を曲げてしまう元兇を作るからである。



●日本刀談義(4)……霊眼

 太刀は、振り切った後の臂を強く延ばし、柄は茶巾絞りの要領でしっかりと絞り、強く振るのが良い。
 太刀を意識的な早く振ろうとすれば、かえって太刀の持つ機能は失われ、人を斬る目的は果たせなくなる。それはまず、構造上の問題が上げられる。太刀は、刀同様に「反り」がある。特に太刀の場合、多くは「竹の子反り」といって、鍔許
(つばもと)近くから反り上がった構造をしている。

 日本刀は「神器」であると云った。
 邪を祓
(はら)う威力があると云った。これは日本刀に見立てて、「剣印(けんいん)」を作った場合でも同じである。
 剣印は人差し指と中指の二本を伸ばし、これを刀剣に見立てる。そして九字
(くじ)を切る場合などに用いられる。では、どういう場合に用いるか。

 例えば、滝行などで御滝場の中に入る場合に用いる。この時の九字は、真言密教などで遣われるものである。
 したがって、周囲の邪気を祓う場合は、「臨
(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)」の九字の呪(じゅ)を唱えて、人指し指と中指で剣印けんいん/人差指と中指を直に伸す)をつくり、空中に縦に4線、横に5線を描くのである。これを「四縦五横(しじゅう‐ごおう)」と言う。そしてこれを碁盤の目のように切り刻むのである。

 此処には確かに意識があるが、その意識は武張ったものではない。自然から出て来る意識である。
 武張ると邪から憑衣されるので、細心の注意が必要である。滝場では、魑魅魍魎
(ちみ‐もうりょう)の低級霊がうじゃうじゃいる。ここで意識に力んだ緊張があり、更に自然とは異なる武張りがあると、それに集(たか)られ、取り憑かれる。力まないことが肝心である。
 滝場では、アマチュア修行者を狙った低級霊がうじゃうじゃいる居るのである。

 こうした低級なる者の魄に魅入られると、「神
(しん)」を冒され、統合失調症などの精神病を患うことになる。魄は内に潜む。その内に潜む、沈殿する霊体が冒されるのである。
 よく滝場などに行くと、白衣に身を包み、高らかに「般若心経」などを高良か唱える少人数の素人修行集団を見るが、あれなども「神
(しん)」を冒された犠牲者と言えよう。そして多くは、思い込みによる狂った一生を送り、精神が正常に戻らないまま潰える人生を送る。
 「修行」という枠の中に搦
(から)め捕られた犠牲者達である。ただ自分で自覚症状が無いだけである。

霊剣あらたかとは、何をもって言うか……。単に祈願本位で、願うばかりでは作用に対して反作用が起こり、その代価を必ず払わされる。世の中には、常に作用と反作用が働いている。
 また、願って得た物は埃
(ほこり)ともいう。現世御利益を当て込んで願った物の恐ろしさである。

 世間で言う“霊験あらたか”は、「祈願間違い」によって、その霊妙なる物に低級なる者が憑いた元兇と言えよう。神仏などの通力にあらわれる不思議な験(しるし)に頼り過ぎてはなるまい。
 「破魔
(はま)」の験(しるし)を所持しない者が、こうしたことを興味本位で遣るべきではないだろう。
 霊験には、作用に対しての反作用が働くから、現世御利益は願ってはならないのである。祈願に対する霊妙な効験は危うしと考えねばならない。決して無視出来ないことである。このことは『日本霊異記』にも出て来るが、「護法神」の衛
(まもり)を知らない者は近付くべきものではないのである。

 そして破魔を根本には、「霊剣」なるものの所持が必要になって来る。
 しかし、霊剣は真っ直ぐ伸び、錆びず、曲がらず、捻れず、途切れず、欠けずの姿が正しいものでなければならない。これから逸脱すると、それは「凶」となって人生に纏
(まつわ)りつつ、刀剣と己(おの)が人生が、あたかも両者が絡み付く倶利迦羅(くりから)のように螺旋(らせん)を描いて災いを為(な)すのである。

 世に言う、「禍福は糾
(あざな)える縄のごとし」とは、このことをいい、『史記』(南越伝)に出て来る「禍に因よりて福と為なす、成敗の転ずるは、譬うれば糾えるなわの若ごとし」はこの世の幸不幸は、より合わせた縄のように、常に入れかわりながら変転する意味であるが、これは単なる陰陽の交わりとか、絡みでない。陰か陽かの一方が激しくなり、それが拮抗を失って狂うから生じるものとされている。注意するべきであろう。家庭不和や病気なども「糾える縄」の中にある。
 つまり、作用が起これば反作用が起こり、分相応な行為をすれば、それは途方も無い反作用によって“しっぺ返し”を喰らうということである。
 私は、日本刀所持者の中で、こうした反作用のしっぺ返しを喰らい、不幸に陥っている人を何人か知っている。一刻も早く正すべきであろう。

 不運とは、こうした理
(ことわり)を無視したところに顕われる。自然の摂理は正しく見据えるべきである。邪な心を起こしてはならない。更には人間側の都合で考えてはならない。霊的なる存在は、人間の思考を遥かに超越している。型には納められない。
 つまり、型に嵌められ、人間側の見解で狂わせられた日本刀は悪霊の住処
(すみか)になっているので、所持するべきではないということである。そうした物を所持した人間は、この手の霊的障害である「霊障」に悩まされ続けることであろう。「破魔」の意味をもう一度勉強し、正しく認識すべきであろう。

 次に人間側のご都合主義で「枠」に搦められた修行は真理を見誤る危険が大きい。
 特に白装束である。「白」の意味も知らねばならない。
 白は邪を避けると言うが、しかし一方で、白装束自体は死者の服装であるから、これはよほど徳のある人間でなければ、通用しないものである。素人風情がこの真似をすると死界まで引き摺り込まれてしまう。単なる好奇心や興味本位では危険である。
 特に、魑魅魍魎の類
(たぐい)は何も知らない素人を呑むのが好物である。

 素人は、とにかく普遍の物差しを求める生き物である。その尺度で観察しようとする。それも心眼や霊眼ではなく、ただの肉の眼に頼って……。
 そしてその尺度で対象物を観察した場合、それは結局、他人が提供した枠組みという物差しで物事を見ていることになる。素人風情の人真似の怕
(こわ)さである。
 他人の拵えた枠組みの中で観察する素人の多くは、また刀剣の世界でも同じであるが、その脳裡に横たわる図式に高い物は善い、値段の安い物は悪いという考え方がある。つまり物として見るだけで、霊としては見ていないのである。躓
(つまず)きは、そこにあると言えよう。また、その元兇は他人への見下しにあると言えよう。

 物差しをもって観察するということは、自己と他人の互換性を常に相対的に一対一にし、他人の判定を試みるには非常に便利な道具であるからである。その一方で、未知の物や枠組みの外にある物の判定には役に立たず、自己の思い込みの中で先入観が生まれ、それにより真理を見誤り、見失い、大きな誤算を起こして致命的な欠陥を抱え込むことになる。普遍的な物差しに頼った、肉の眼から起こった錯覚であろう。
 刀剣を扱ったり、刀剣を所持するということは、これを正しく知り、理解しなければ自分の人生を台無しにしてしまうのである。

 錯覚を繰り返していては、結局は霊的なものを見失うのである。この箇所に要注意である。
 可視世界という狭い枠の中で物事の観察をしていると、それから食み出した不可視世界のものは一切見えなくなる。見落として、挙げ句の果てには迷信とか、非科学的な事象として葬り去ってしまうのである。人はこのように、往々にして真理を見逃し、見失い、普遍の定義の中で埋没して行くのである。つまり、心眼を失い霊眼を失い、かつ裏の裏までを見抜く眼力までを失ってしまうのである。ここに不燃の物差しで物事を定義する恐ろしさがあると言えよう。

 ところが、不燃の物差しの恐ろしさに気付かない者は、その定義に頼り、知らず知らずのうちに自己の思い込んだものこそ真理と勘違いし、更には、自己の描いた物こそ枠組みの中にあった事実と信じて疑わないのである。それは「錯覚した万能」ではなかったのか。
 肉の眼には見えないものを見ようとする。それは常識の枠を破壊しなければ見えるものではない。これまでの総ての固定観念を排除し、また先入観などの痕跡も駆逐して、白紙の心境からはじめて見えて来るものである。ここに無垢と素直さが必要であることは、容易に悟るであろう。



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