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続・刀屋物語 7

かつての日本海軍士官の短剣。



●信なくば立たず

 武門では信義を重んじた歴史がある。信義の中心は「約束を守る」ことであった。約束を守り務めを果たすことであった。それは先に述べた『雨月物語』に克明に記されている。
 約束を守り務めを果たすこと……、これが「信義」の中心課題だった。
 そしてその中から「信義誠実の原則」が想起され、私法上、権利の行使や義務の履行にあたり、社会生活を営む者として当然の行為であり、かつ相手方の信頼や期待を裏切らないように誠意をもって行動することを求める法理が生まれ、これが「信義則」というものである。

 信義則は、現行法で定められている「契約厳守」という履行絶対を謳
(うた)ったものでないが、しかし人間の信義として、また自分の格を顕す物としてそれは備わっているものだとする考えが根底に流れていると感じるのである。そして、それは時代が変わっても、往時の古人たちが重んじて来た日本精神の主眼であり、代表的なものであった。
 その中枢に来るものこそ、古人が口角
(こうかく)泡を飛ばしての「信なくば立たず」であった。

 十年ほど前の平成15年頃のことである。カナダから日本刀の美を求めて遣って来た欧米人が居た。
 そのカナダ人は日本に来るに当たり、日本語が出来ないのでは日本は愚か日本刀の美すら語る資格がないのではないかと、来日する半年前に日本語スクールに通い、熱心に日本語を勉強したと言う親日派のカナダ人だった。相手国を訪問するのに、言葉がチンプンカンプンでは、相手に対して失礼だと思ったのだろう。
 そうした面は、律儀と言うか、日本人以上に礼儀正しいと言うか、日本人以上に日本人らしい、かつてのサムライのようなカナダ人が、私の許
(もと)に遣って来たのである。

 勿論、このカナダ人は単に日本刀に興味を抱いたコレクターと言うことだけではなく、私自身に興味を抱いて来日した人物であった。
 それ故、日本のことを随分と前から研究しており、特に日本刀と陸続きの武術に対しても非常に関心を抱いていた。自分自身でも、カナダの居合道場や合気道場に通い、それぞれの武道の有段者であった。
 そうした「日本通
(つう)」が、私の道場と言うか刀屋と言うか、とにかく来館したのである。

 かつての大東美術刀剣店は、そのままでの屋号でも営業しているが、新たに「尚道館刀剣部」という屋号を名乗り、刀剣愛好家の一般客だけでなく、武術家に対しても日本刀の売買をしているのである。単に売っているだけではない。売買しているのである。要するに売るだけでなく、「買う」のである。
 私の刀屋では、以前販売した刀剣類を下取りして新たに一ランク上の刀を奨
(すす)めたり、委託で販売して遣ったり、あるいは刀剣市で競売に懸けたりして販売し、それを種金として次なる一ランクか二ランク上の業物(わざもの)を紹介し、よければ新たに買ってもらうのである。

 当時来日したカナダ人が、刀屋を訪ねたか道場を訪ねたかその真意は不明だが、恐らく両方だったのではないかと思うのである。おそらく刀剣を扱う、道場主というものに興味があったのではないか……と考えるのである。
 来店と言うか……、来館と言うか……、流暢
(りゅうちょう)な日本語を喋りながら、まずは刀剣のことを訊ねるのだが、このカナダ人はわざわざ手土産を持参していたのである。その手土産も、何と大阪通天閣近くにある老舗の饅頭の『釣鐘饅頭』だった。
 私もこの饅頭のファンなので、よく知っているのである。この店には贈答品として、“その筋の人”が買いに来るので、よく知っている。店の前には黒塗りのベンツなどが数台行列を作っているので、そのことだけが今でも鮮やかに、印象に残っているのである。

 そして図ったように、あるいは私の好みを知っていたかのように、『釣金饅頭』を手土産として持参したのであった。この饅頭を買いに、わざわざ大阪まで行ったのだろうか。すると、彼は大変な日本通というか、私通ということになる。
 しかし内容物が何であれ、手土産を下げて訪問すると言うのは、如何にもこのカナダ人が、今は少なくなった往時の日本人を彷彿とさせたのである。この点は、かつての礼儀を心得ている日本人に重なるのだった。
 手土産を下げて来るなどは、往時の日本人の姿を、そのままカナダに居るときに勉強して、それが日本人の姿であると思い込んでいたのであろう。日本人は、かくも礼儀正しいと考えていたのであろう。欧米人にしては、妙に日本人気質が身に付き、珍しいタイプのカナダ人だった。
 私の知るカナダ人は、わが流に関係のある道場関係者がだ、それ以外にも、こうした珍種のカナダ人がいるとは実に意外だった。

 こちらも根掘り葉掘り、このカナダ人から、何らかの情報を訊き出すと、住いはカナダ南西部のヴァンクーヴァー
(Vancouver)に棲(す)んでいて、太平洋岸にある港町であることを話し、職業は趣味と実益を兼ねた画廊店を経営していると言うことである。その店にオーナーと言うのである。絵画や彫刻など美術品は、西欧などにも買い付けに行くと言うことであった。
 勿論、画廊店を経営しているのだから、日本絵画も扱っていると思ったのだが、主に専門は西洋画であり、こうした絵画を商いしつつ、あるとき日本画家の絵をアメリカニューヨークのゴットピア
(GODPIA)の展示会で見たと言うのであった。その絵が、また非常に強烈で印象的だったと言うのである。

 その絵は奇
(く)しくも、私を描いた絵であり、題材は『曽川師、海を斬る』だった。
 この絵は私の知人で、かつては『現代柔侠伝』などでならした著名な劇画作家・バロン吉元先生が描いたものであった。当時は、またバロン先生は、絵画家の世界で“龍まんじ”と名乗られていた。その絵を奇しくも、ゴットピアの展示会で見たと言うのであった。その巡り遭わせが、奇遇であると言えば奇遇だった。
 こうした奇妙なカナダ人が、私の許
(もと)に顕われたのも、何だか不思議な奇縁を感じたのである。このカナダ人は下記の、私がモデルになった絵の主人公に、異様な興味を抱いたのであった。

 このカナダ人の名前をビクター・R・ジョイスという。年齢は32歳という。
 カナダのヴァンクーヴァーには、奥さんと5歳になる娘さんが居ると言うことであった。
 本人が語るには、先祖はアイルランドからの移民だと言う話だった。
 私は、差し出された彼の名刺を見て思った。
 彼の名に「ビクター」と言う名前が付けられているのだから、私の勝手な想像だが、彼の両親が彼に「勝利者
(victor)」という名を命名し、未来像しての勝利者の気持ちを込めたものだと感得するのである。身形からしても、その人格からしても、彼は勝利者の道を歩いているように思えた。

 話していても、教養面が滲
(にじ)み出ていることが感じられ、大卒者であることは容易に想像できた。流暢な日本語の言い回しも、至る所に思慮深い教養が感じられた。また、その礼儀の正しさは、今日の同年代の日本人の比では無かった。
 勿論、彼はヴァンクーヴァーでは居合道場に通い、合気道場に通っているのだから、その辺の日本流の礼儀は心得ているのであろうが、それにしても、やはり日本人以上に日本人らしい欧米人であった。あるいは、道場の先生自身が往時の日本人気質を持った人だったかも知れない。
 それが欧米人には珍しい、礼儀正しさを醸し出しているのだろう。
 この点は、逆には私の方が感服してしまったのである。

 彼は私のところに来る前に、方々を旅行して、日本各地の道場や刀屋を廻って来たらしいが、その総てが、自分の描いた日本のものとは違うと言うのであった。道場を幾つか見学したと言うが、そこに自分の描いた日本の心は無く、また道場生の礼儀知らずも甚だしく、刀屋もこれに負けず劣らずで、日本に来たことをがっかりしつつも、かつてニューヨークのゴットピアで見た絵のモデルが日本に居る筈だと言うことで、方々で訊ね歩き、私を探し出して来館したのである。

 彼の言うには、「どうして日本はこんなに変わってしまったのでしょ。自分の考えていた日本は、もっと礼儀正しく、国民全体が勤勉で正直で潔く、男らしさの中心軸に和やかな家庭が形成され、更に家族は纏まり、古いものを大切にする国民性だと思っていたのですが、実際に来てがっかりしました」というのであった。彼は、日本人は不倫の世界に顛落し、家長制度が失われてしまったことを嘆くのであった。
 欧米人からそのように指摘されれば、全くその通りと思うだけでなく、欧米人の検
(み)る「日本人観」は、想像以上に過大評価している観があったのである。その口振りは、「日本人にがっかりした。尚武の国にはあるまじき、礼儀正しくない日本人の今日の姿に失望した」と言うのである。

 ビクター氏とは、こうした話を中心に、彼の失望を聴く話から始まった。彼を一先ず道場内に招き入れ、日本刀や合気道の技の話を交えて3時間ほど話しただろうか。
 しかし、彼は日本刀に興味を抱きつつも、私に日本刀を見せてくれなどとは一言も云わなかった。初日の当日は武道談義と言うか、日本人の礼儀の欠如と云うか、そういう話で終わってしまったのである。その言葉の端々
(はしばし)には、外国人の検(み)た日本人に対する失望が、溜め息のように漏れていた。話している最中、そういう溜め息混じりの吐息が漏れた。
 あるいはそれが起因して、ことのき刀を見る気力さえ失われていたのかも知れない。
 彼が刀の何振りかを見せてくれと言えば、見せて居たであろうが、何も言わないので見せることは止めにした。押し付けがましく見せて、異国人に刀の押し売りすることもあるまいと思ったからである。

 このときの感想は、私は、彼が日本に失望してこのまま帰国するのだろうか……と思ったくらいである。
 私は、彼の目的が達せられていないから、また次の日も遣って来るのでなないかと思ったのである。宿泊先のホテル名は訊かず仕舞いだったが、そう踏んでいた。来ると思ったか、来なかった。やはり日本と日本人に失望したのだろうか。
 その証拠に、彼は次の日、尚道館刀剣部には遣って来なかった。その気配すら無く、それから二日経ち、三日が過ぎた。そして遂に、彼は日本と日本人に失望して、カナダに帰ったと思っていた一週間ほど経った頃、電話があって、今から来館してもいいかと訊くのだった。
 彼はニューヨークのゴットピアで見た絵のモデルに、相当な興味を抱いているようだった。

 私は彼と面談した最初、大東美術刀剣店の「拵師」としての名刺と、米国イオンド大学の数学と哲学の「教授」の名刺は渡したが、それ以外は渡さなかった。
 名刺を渡して、印象的だったのは、大学教授の横に「ドクター」と言う称号が入っていたが、それに対して大した驚きを見せるふうでもなかった。在り来たりの名刺というふうに検
(み)てとったようだ。
 恐らく、「何だ、ここの刀屋のオッサンは、自分の異色なる才能を見せびらかせているのだろう」くらいにしか思っていなかったのだろう。

 当時、確かに私は西郷派大東流合気武術の宗家ではあったが、宗家の名刺は滋賀県大津市から引っ越したばかりで、旧名刺の住所は滋賀県大津市になっていたので、古い名刺は渡さなかった。彼は、私がこの流派の宗家であることを、まだ知らなかったようであった。
 二度目の来館は妙に神妙だった。それが奇妙に思えた。
 来館して開口一番、再び手土産を差し出して「先日は大変失礼しました」というのだった。もう、先日といっても一週間以上の前のことである。

 私は、何が失礼か、その理由が分からなかったが、とにかく彼は道場の畳に頭を擦り着け、両手をついて深々と平蜘蛛のように這い蹲
(つくば)り、懸命に何かを詫びるのであった。
 私は欧米人が、平蜘蛛のように大袈裟に両手を付き、平身低頭する姿を何度か見たことがあるが、これは単なる大袈裟な彼等特有のポーズと思っていたのだが、実はそうでは無いらしい。このジェスチャーは、自分の無礼を心から詫びる場合に、こうしたポーズをとると知ったのである。このポーズも、彼等は子供のときに日本のサムライの姿から学んで、勝手にそう思い込んでいるのかも知れなかった。
 ここに彼等の感得した日本と日本人への誤解のギャップが、こうした形で顕われたのかも知れない。

 「失礼の段、平にご容赦下さい」と、サムライ言葉のように云うのであった。一種の土下座だった。あるいは腹切りのポーズか……。
 こう云われても、私にはピンと来なかった。何を言っているのか、よく分からなかった。
 「あんたは、何をそんなに詫びているのですか」と訊くと、彼は神棚横の大きな絵を指差し、云うのだった。
 「あの絵、あの絵ですよ」
 「あの絵がどうした?」
 私は頸
(くび)を捻りつつ訊いた。
 「あの絵の謂
(いわ)れが分かったのです」
 勿論彼の云う“あの絵”とは、著名な劇画作家・バロン吉元先生が描いた『曽川師、海を斬る』の画のことである。
 「……………」
 私はこれでもピンと来なかった。
 「お見それしました」
 こう言って、また両手を付き平蜘蛛のように這い蹲って頭を下げた。
 「なにを……」
 私は益々分からないことだらけだった。

 「先生は絵に書かれた人物です」
 「それで……」
 「苟
(いやしく)も、名のある画家が自分の絵に、その人物を描こうとする動機は、その人物に対して余程の興味か、信用か、信頼を抱いていない限り描くことはありません。あるいは王侯貴族ならば、多額の金銭を積み上げて、渋る画家に自分の自画像を描かせるということはあると思いますが、先生の場合は、そういうものとは違います。私は親の代からの画廊を経営していて、今では画廊店のオーナーですが、私も絵を商売にしている以上、画家の気持ちと、その画家を支持するファンの気持ちはよく分かります」と、こう言うのだった。
 彼の言わんとするところは、画家は好きでもない、また信奉や興味を抱かない人物の絵など描かないと言うのであった。それを描くには、余程の「何が」なければ描かないと言うのである。

 それをビクター氏は感じ取ったのである。それにただの自画像的な、王侯貴族が無理に描かせた絵でもなく、かなり大きなサイズの一枚の絵の中に、同じ人物を二つ描き、一方は海から飛び上がり、他方が海に向かって一刀両断に斬り据えているのである。
 この「凄まじい画家の気魄」を、彼は感じたのである。そして、この絵は確かに自分がニューヨークのゴットピアで見た物と、同じものだと言うであった。
 爾来
(じらい)彼は、その絵のモデルを日本に探し求めていたと言うのである。
 彼の探求は「龍まんじ画伯が描いた『曽川師』とは、日本の誰のことか?……」ということが長らくの疑問だったというのである。それが、尚道館刀剣部に来てその謎が解けたと言うのであった。

 大津に住んでいるとき
(平成4年から13年まで)、上京した際にはバロン先生とは、よく銀座のクラブ街を飲み歩いたものだが、このときバロン先生は、私の小説『旅の衣』の熱烈なファンで、「おれは一度、曽川と云う主人公の名で、あの物語を劇画にして描いてみたいものだ」ということを常々話していられた。
 しかしこの思いは、以来、未だに達せられず、2000年のゴットピア展で、『曽川師、海を斬る』になったものかもしれない。そしてこの絵はニューヨークに行く前、暫
(しばら)く上野現代美術館に展示されていた。そして『現代創像美術』アート誌という美術雑誌にも掲載されて高い評価を頂いたことがあった。
 その評価はこうだった。

ゴットピア展での模様。
 歌手の吉田美和さんと。





バロン吉元先生のゴットピア展に 駆け付けてくれたニューヨーク市内在住の名士の面々。

スピーチをするバロン吉元先生。

 ニューヨーク・ソーホーにおいて、バロン吉元(龍まんじ画伯)先生は、盛大に『ゴットピア展』を開催した。2000年10月5日のオープニングに始まり、同12日大盛会のうちに無事終了した。

 この個展に関し、『曽川師海を斬る』はゴットピア展の前には、東京・上野現代美術館で開催された「上野美術展」にも出展された入選作品でもあった。
 この作品を評して、絵画評論家の長谷川栄氏は次のように語る。

 「現代創像美術協会会員のアーティストたちは、いずれもレアリスムの名手ぞろいで、とくに肖像画の製作については、現在は比較的軽視されがちなこの分野では手がたい技法とセンスをもつものが多い。

 この会の会員である龍まんじさんも、きわめて着実な写実絵画を得意としているが、この作品も曽川師を2つのシーンに分けて、瞬間の居合いの緊張した場面を表現している。
 海は強い波涛のムーヴンで押し寄せる海水なので、どう考えても斬れる筈はないのに、居合いの名人はこの海に躍り出て、来る波来る波を気合いで一刀のもとに切断している。

 ふつうの1シーンでは、どうしても表現し難いので、左右二カットに違う瞬間を記録し視点の移動によって、動態の印象をあたえる生活も龍まんじさんの創意による画法である。
 日本人はテンション(緊張)を重んじる民族であるといわれているが、まさに不可能を可能とさせる、禅問答のような絵である」と評された。

      (『現代創像美術』アート誌より)

 それを思えば、ビクターと名乗るこの画廊商の言うことも分かるような気がするのである。
 私は暫
(しばら)く彼の話を聴いた。
 「先生は、画家が絵に描きたくなるような人物なのです」
 「ほーッ……」
 別に驚いた訳でもなく、また困惑した訳でもない。
 世の中には私を褒
(ほ)めてくれるような、そう言う奇特な人間もいるのかと、意外に思ったのである。武術界や武道界の何処を見回しても、「アンチ曽川」であり、「曽川叩き」が通例になっているからである。
 ビクター氏は、更に続けた。
 「それが此処に来て、やっと分かったのです。日本にも、こうした田舎と云っては失礼ですが、こうした片田舎にも、画家が描きたくなるような魅力的な人物が居たことに、日本の再発見をしました。先生を訪ねたことは、やはり正解だったと思うのです。一時は諦めて帰ろうと思いましたが、そうしなくてよかった」というのであった。
 私は「マジかよ」という気持ちで聴いていたのである。

 私は彼の言が「歯に衣
(きぬ)を着せぬ世辞」であるかそうでないかは、その心意が定かでない。諂(へつら)わずに率直に言っているかも知れない。
 あるいは、その半々か、更には七三で「三分」に、歯に衣を着せたのかも知れない。それはそれでいい。欧米人がそう思うのだから、私如きの日本人末端の端
(はし)くれが、彼の言葉に注釈を付ける資格は無い。
 だが、彼は「絵に描かれるほどの人物」に敬意を表しているのである。私がそれに値するか否かは知ったことではないが……。
 私はいつでも、高が知れた田舎の「道場遣い」であり「刀屋」だと思っている。大した学問もある訳は無く、大した才能も素質も持たない、「ただの老いぼれ爺」である。
 その「ただ・じい」を徒者
(ただもの)でないと検(み)ているのだから、些かお門違いと言うか、メガネ違いと言うか、そうにもとれなくもないのである。

 昨今のネット雀に代表されるような匿名で、名も住所も電話番号も証さず、ひたすら私の悪口と非難の囂々
(ごうごう)たる論調を掲げながらも、その心意を確かめもせず、ただ誹謗中傷をする今日の「その程度」の日本人に比べれば、カナダ人の彼は相当男らしかった。
 怯
(ひる)みもせず、私の意見を求めたのである。それは彼の人格と品格が、並の人間より上と言うよりは、今日の日本人より欧米人の人間性が上というところが、如実に顕われていると検(み)たのである。

 それに、ビクターと名乗るカナダ人は、謙虚に「霊剣」ということを私に質問したのである。それも謙虚な態度を見せて、「教えを乞う」という平身低頭の姿勢で……。
 彼の言うには「この世に霊力を持つ刀があるのか?……」ということだった。それを教えて欲しいと言うのである。

 霊剣の話は後に述べるが、彼は日本刀の「霊器」と言うのに非常な興味を抱いていた。
 私は、霊剣はある、確かに存在すると答えた。
 但し、どれもこれもの、総ての日本刀が霊剣と言う訳でない。日本刀にも真作と贋作があり、また名刀と鈍刀も存在し、更に鈍刀の中にも、運気を悪くする最悪の「四悪刀」があることを懇々と説いたのである。
 彼は「四悪刀」にも、運を左右するだけに異様なる興味を示したのであった。そしてこの話に彼は、熱心に耳を傾けた。彼は人の話をよく聞く人間だった。

 私は話した。
 世にも恐ろしい「四悪刀」の説明をして遣ったのである。
 四悪刀というのは、後の述べるが、とにかく衰運を齎し、心身を弱らせ、病気を招き、そういう最悪の刀である。これを譲渡した者も譲渡された者も、悉
(ことごと)く運気を低下されると言う最悪の物である。一種の悪霊が憑いた「魔物」である。
 そして彼は、更に訊いた。
 「四悪刀を避けるのはどうしたらいいのか」と。

 この手の刀を、あたかも“ババ抜き”のように掴まされないためには、「商いの手順を踏んでいるか否かにある」と答えた。
 日本では古物商のルールであり、古物営業法に回帰されるのである。
 その第一は、刀剣商として銃砲刀剣類を販売する、その者の姿勢を検
(み)るべきたと教えた。そして四悪刀を掴まされる最も多いケースは、素人の刀剣愛好家からであり、素人から絶対に買ってはならないことを教えた。その譲渡は凶である。
 また同じ古物商でも、骨董屋から買うのでなく、刀剣専門店で買うことを教えた。餅は餅屋だと教えたのである。更に同じ餅屋でも、誠実かどうかだ。刀剣商の人柄を検れと教えた。

 刀剣商として商いのルールに従い、人柄が誠実で、よく勉強して知っていて、智慧があり、研究熱心で世の中の酸
(す)いも甘いも識別出来る、見識豊かな「眼力」の持ち主から買えと教えたのである。素人の、うろ覚えの、付け焼き刃的な小細工をする盲(めくら)からは買うなと教えたのである。
 私は“至誠”という言葉を使わず、敢えて「赤誠」と云う言葉を用い、「まごころ」の赤心の主から買えと教えたのである。これこそ刀のを買う場合の心得だろう。刀屋の人間性で刀を買わねば、強引な押しで売り捌く刀剣商から買うと、後でとんでもないしくじりをする。

 そう教えると、「それは例えば、売り手は先生のような人ですか」と訊くので、「さて、それはどうかな……」と言葉を濁しつつ、「人間は、たった一度の、瞬時で、相手の人物像を見抜かねばならない。あんたも絵画を扱って画廊を経営している以上、真作か贋作かの目利きが出来なければ、到底絵を売り捌き、それで飯を食うことは出来まい。それには、相当な眼力が要る。日々勉強だ。精進だ。精進しても、し過ぎることは無い、そうではないだろうか……」と、詰め寄るような迫り方をしたのである。

 彼は同感の相槌を打ちつつ、「全く、その通りです。では、先生のお奨めを何振りか……」となったのである。
 それは、私を信用するとも受け止められた。
 そこで先ずは「霊剣」の見本……となった。『津田越前守助廣』
(表銘が津田越前守助廣。裏銘が延宝二年八月日)を見せたのである。
 この刀には、「甲種マル特」つまり財団法人・日本美術刀剣保存協会認定の甲種特別貴重刀剣が付いていたのである。この紙切れは確かに「甲種マル特」になっているが、私はこう云う物は一切信用しない質
(たち)である。また、その他の私的な鑑定人が出す“お墨付きの類”も一切信用しないのである。財団法人であろうが個人であろうが、私はこうしたところが大層な金銭をとって発行する刀剣類の但し書きを一切信用しないのである。
 また本来刀屋は、赤誠なる「まごころ」で商売しているのなら、こうしたお墨付きを信用しないものである。
 これまで、ある個人の鑑定人が発行したお墨付きが、日本美術刀剣保存協会の審査に出して悉く不合格になったのを厭
(いや)と言うほど経験したからである。

 ただ信用するとしたら、刀剣所持に関して所持した刀剣が、果たして「霊器」であるか否かである。その一点において、私は刀剣の商いの基準にしているのである。この基準を外して、お客に刀剣を奨めはしない。
 幾多何らかのお墨付きがついていたとしても、出鱈目な贋作が日本にはゴマンとある。また鞘書きと、その鑑定も一致しない。
 贋作に付いたお墨付きを後生大事にしている素人の刀剣愛好家は多い。私はこの手の素人を見る度に、心の中では「ババ抜きのババを掴まれましたな」と思うのだが、それを面と向かって喋ることは無い。喋れば食って掛かろうし、自尊心が潰されたと言うことで、大喧嘩にもなろうし、譲渡先の持ち主にも噛み付くだろう。触らぬ神に祟りなしである。

 素人の刀剣愛好家には、このタイプの人が多い。
 お墨付きで、心が揺さぶられる人達である。実際には真剣鑑賞については、その刀の価値は殆ど分からず、また検
(み)てもいない。ただ、某(なにがし)かの有名鑑定人や日本美術刀剣保存協会の紙切れに動き、舞い上がる人達である。そして断言出来ることは、紙切れに踊った人の多くの刀を見て来た結果、全く霊剣としての役割を果たしていない物が多かったことだ。名称だけが「かたな」というものだった。中には、名の通った物もあったが、「磨(す)り上げに継ぐ磨り上げ」という物もあった。
 そうなると中茎
(なかご)が詰められ、中茎自体が穢いのは「凶」である。また、何らかの「曰(いわ)く」を持っているのである。こうした物は絶対に奨めない。出来れば「うぶ」がいい。そう奨める。これこそ「霊剣」の証拠であるからだ。
 狂った物は決して霊器でもなく、霊剣でもなかった。霊剣は、霊剣として、人間のために大変な働きをするのである。

 現に、現在私が所持する『津田越前守助廣』は、かって父の軍隊時代に持っていた軍刀拵に仕込んだ物であり、父はこの刀を持って戦場を渡り歩いていた。そしてこの刀が霊器としての御信刀だったという理由は、『津田越前守助廣』には魔を破る能力があって、父は戦場から終戦間際、無傷で怪我一つせず戻って来た。その後、八幡製鉄の職工として働き、五十年の生涯を閉じた。
 また職工時代、何者かの転炉の操作ミスで、全身に命の関わるような大火傷をしたが、これも本来は死んで居たであろうが、奇蹟的に助かっている。
 当時の話を聴くと、それは酷いもので、九死に一生を得たという奇跡の生還をしているのである。
 私はこの事実からも、霊剣と言うのは確かに存在すると思うのである。人間の肉の眼に見えない霊的な働きをする霊剣と言うのは、確かにあるのである。
 そのことをカナダ人のビクター氏に話してやったのである。

 ビクター氏は直ぐに納得した。
 そこで彼は、既に虎の子を掻き集めて購入資金を用意していたらしく、『津田越前守助廣』が幾らするものか訊いたのである。
 私はこれは売らないと言った。「霊剣」の見本であり、売り物ではないと言った。
 彼はがっかりしたようで、暫く考えて「では、他は?……」と訊くので、薩摩刀の新々刀『谷山義純入道順慶』を奨めた。日向の刀である。助廣ほどではないが、しかし助廣に迫るものであった。元幅もあり、重ねも厚く、よく鍛えられていた。これを一種の霊剣として奨めたのである。
 そしてこの刀は、お客からの委託品だったので、委託のお客と折り合いをつけ、これを委託者は280万円で手放すことになり、私はこの刀を「霊剣」として、ビクター氏に奨めたのである。

 そして、私の刀剣店の販売に関するルールを示した。
 それは購入してから「10日以内の約束」であった。私の店では、10日以内であれば、もし客が以降気に入らないとして、買い戻しを迫る場合は「2割引で買い戻す」ことを明言していた。
 また一ヵ月以内であれば、「半額で買い戻す」などを説明した。それ以上過ぎれば、後は売買においての話し合いとなる。
 普通は、売りっぱなしの刀屋では、以降の責任を持たないのが、この業界の常識となっている。そして、まず買うに当って「ションベンは禁物だ」とのことを、ルールとして示した。
 するとビクター氏は一瞬厭な、不快な貌をして、あたかも「俺がションベンをするような人間に見えるか」という、問い質すような、しかし言葉に表さない憤懣
(ふんまん)を示したのである。

 私はその意味が最初、分からなかったが、それは欧米人特有の「約束は必ず守る」と言う、律儀で義理堅い欧米人魂を感じたのである。
 律儀で義理堅いとは、かつての日本人の専売特許だったが、昨今はそういうものはすっかり廃れれしまった。律儀で義理堅い日本人など、久しく見なくなった。そしてションベンをして、約束を覆
(くつがえ)しても「蛙の面に小便」という日本人は意外に多いものである。
 ビクター氏が云うように、かつての日本人が日本から居なくなり、「武士に二言がある」ことが、彼にとっては大いなる不満だったようである。
 そこで、私も彼を少しばかり見損なっていることに詫びを入れなければならなかった。
 彼は眼力という面で、「自分を見損ない出くれ」と云わんばかりだった。彼も絵画を商う画廊商である。また、カナダ人には珍しい「日本通」でもある。彼に、わが店のルールを説明するのは無用と悟ったのである。

 現在も、欧米人は実に義理堅く、かつての戦前戦中の日本人のように口で約束したことも、必ず厳守する。それは太宰治の『走れメロス』から検
(み)ても明らかだろう。
 友情の証
(あまし)に、命まで捧げたこの意志は尊い。大まかに言えば、そうした内容の話である。その話は日本での創作でなく、欧米人が古典から作り出した物で、それをベースに太宰治が日本風に脚色しただけのことである。

 さて、メロス物語によると、処刑されるのを承知の上で、命をかけて友情を守ったメロスが、人の心を信じられない王に信頼する事の尊さを悟らせる物語である。これは「古伝説とシルレルの詩から」と記述され、ギリシア神話のエピソードを題材にしている。最後は人間不信のために、多くの人を処刑している暴君ディオニス王に、心の裡を迫る物語である。
 この物語に、現代風にいちゃもんを付ければ、矛盾点も多い。
 いつの頃からか日本人はネットワークの発達で、ネットの世界を「いちゃもんの場」としたり、「便所の落書き」にしてしまった。そして匿名で、詰りに詰りまくり、中傷誹謗をあらん限りにして、名を隠し、他人の悪口を言う。日頃の憂さ晴らしをする。それで優越感を覚える。そういう世界に浸って、愉快犯を気取っているのである、そして「湿り切っている」こと請け合いである。どいつもこいつも、面は湿り切っている。面が乾いた者など、一人も居ないのである。

 私だったら物申す場合は、逃げも隠れもせず、まず正々堂々と住所・氏名・電話番号を真っ先に告げ、まず礼儀を正してから批判なり反論なりをする。こういう匿名のネット雀には、まず「名を名乗れ!」と大声で喝破したい。
 昨今のネット世界は酷いものである。
 「2ちゃんねん」など、これを『便所の落書き』と言わずに、何と言おう。
 矛盾大き生き物が、また人間である。批判するのは易しい。悪口は匿名であるから、好き放題に言える。重箱の隅を楊枝でほじくることは簡単である。揚げ足は、言葉尻と捉えればいい。

 この物語を批判するネット雀は、メロスの物語で矛盾を上げ、それによると「町の噂話を鵜呑みにして激怒する無茶」とか「 一介の羊飼いの身でいきなり王宮に乗り込む無茶」を挙げている。
 しかし、本題はそこにあるのではあるまい。
 「必ず約束は厳守する」という本題を見逃しては、この物語は成り立つまい。ネット雀どものいちゃもんは、単なるいちゃもんであり、いちゃもん以上に閲覧者を納得させる納得力はもたない。単に現代風である。実に軽薄である。
 私は、この物語の約束厳守と言うところに目を向けたい。

 それは「欧米人気質」と言う点において、である。
 欧米では、ドイツの社会学者のウェーバー
(Max Weber)が唱えた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』から「契約」という理念型論が生まれた。そして「契約」によって、宗教現象からマルチン・ルター(Martin Luther)の合理主義的宗教観が資本主義を発展させた。
 この「契約」は、神との契約を同義である。

 さて「契約」は、神と交わす契約と同等のものだから、この契約において忠実であらねばならない。不履行は厳禁であり、戒律破りとなる。だから欧米では、契約の厳守が市民社会生活を送るうえ重大なウエートを占めている。契約を守らない者は、市民社会から追い出される。
 だから欧米人は一旦、「イエス」と言ったら約束は絶対に遵守するし、「ノー」と言ったら一歩も譲らないのである。

 見方を変えれば現代の日本人よりも、彼らの方が余程「男らしい」のである。 いや、「男」というより、日本人以上に「大人」である。その返答は何処までも厳守する。約束は履行あるのみ……、これが彼等の信条である。
 今日の日本人のように「武士に二言のある者」など居ない。居ても日本人ほどではない。
 必ず口約束でも履行する。遵守する。途中で覆さない。口約束でも交わした以上、途中で不履行して“ションベン”などしないのである。この律儀さは、今日の日本人以上である。彼はら、「武士に二言は無い」と心から信じているのである。

 また、欧米人気質に、「強きを挫
(くじ)き弱きを助ける」という、義侠心も日本人以上に強い。欧米人の全部が全部そう言う気性で居ると言うことは云わないが、しかし、レベル的には日本人以上である。
 現代の日本から云うと、欧米などの「人の行動」特に「勇気ある行動」を検た場合、日本人のそれとは大きく違っている。
 日本風に言えば、「男気」があるのである。これに侠気を感じるのである。義侠心を感じるのである。義のために闘って、命を落としても悔いが無いくらいの凄まじさを感じるのである。一種の親分肌である。

 例えば、苛めを目撃した欧米人の場合はどうだろうか。
 こうした現場に居た欧米人の場合は、どういう行動に及ぶかだろうか。
 例えば、大勢で一人のか弱き者が苛められているのを見たら、彼等はその弱者を守る為に、たった一人で大勢に立ち向かうようだ。そういう行動に出る者が多い。欧米には、未だに騎士道の気風が残っているからである。ジェントルマンの気風があるからである。
 そして欧米人は、そこに「カッコ良さ」を感じるのである。 また、命を張って闘うから尚更カッコ良い。そのカッコ良さの中には「男らしさ」を感じる。そこにこそ「ヒロイズム」がある。

 あるいは、強きを挫き弱きを助ける本人は、あまりのカッコ良さに自己陶酔して、「何て俺ってカッコ良いいんだろう……。まったくもってヒーローじゃないか……」などと、 勇敢な自分の姿に酔い痴れることもあるかも知れない。殴られても蹴られても、その痛みをカッコ良さとアドレナリンで中和して、更に弱き者を守るために抵抗するだろう。
 これこそ「寡
(か)を以て衆を正す」ではないか。
 普通、「衆寡敵せず」だが、欧米の義侠心はこれに抗
(あらが)う。簡単に尻尾を巻かない。敢えて、人数の少ないものは、人数の多いものには勝ち目がないのを承知で、寡を以て衆を正すのだ。そのときの動きは鈍重でなく、軽快で巧妙な動きをする。まさに小よく大を制すのである。

 その典型が、1836年2月23日から 同年3月6日までの13日間の戦いでテキサス独立戦争中、デビッド・クロケットら市民と義勇兵の約二百名弱
(資料によって182人とも187人とも)の混成軍が、メキシコ軍約三千人を相手に立て籠って全滅する「アラモ砦の戦い(Battle of the Alamo)」ではなかったか。欧米人は始めから負けると分かる戦いでも、恐れずに挑むのである。その戦いぶりは、『一歩も譲らず』という壮絶なものである。このアラモ砦の攻防における自己犠牲の精神は、『アメリカの魂』とまで言わしめた。アメリカでは毎年3月6日がアメリカ人にとって一番胸を張る「誇りの日」である。
 これこそ良くも悪くも、それが欧米人である。

 一方これに比べ、今日の日本人に我慢力も忍耐力も欠けてしまったことを強く感じるのである。こうした欠如状態において、やはり現代日本人は、死を、恐れる対象と看做し、未だに逃げ回ってばかり居るのだろう。
 また、こうした背景には「怯懦
(きょうだ)を誤摩化す」という行為が働いているのではあるまいか。
 臆病で意志の弱いことを誤摩化し、見て見らぬ振りをするのが得策だと思うからだろう。子供の苛めは、親の転写とも言える。親の“やっかみ”が、子供にそのまま転写されている。
 そして親も親である。虎視眈々と自分の女房以外に、相手になるべき不倫の対象を淫乱の目で物色している。職場でも、夜の巷
(ちまた)でも……。親も襟(えり)を正すべきであろう。しかし、その気配は親に見えない。
 それゆえ現代と言う世は、「怯懦を恥じる気持ち」さえ失われているのである。

 苛め問題の解決が一向に効果を上げないのは、殴られている人を平気で眺めているという臆病にあるばかりでなく、親が子に、勇気の何たるかを教えないからである。また学校で、勇気の何たるかを教えないからである。そして今は、教師自身が勇気の何たるかを一度も体験したことが無い頭でっかちで占められているため、それを教えようにも教えられないのである。

 それに昨今の風潮として、男は仰がれたり、一目置かれて強持
(こわ‐も)てになるよりも、人を笑わせて女子の注目を浴びる方を選び、またそれを好むようである。此処にも現代の目立ちたがり屋のエエカッコシーがある。そのエエカッコシーが、女の前ではポーズを付けながらも、その裏で約束不履行のションベンをする。何とも、これこそ矛盾の最たるもので、正直で無くなった日本人を今更ながらに思い知らされ、かつてカナダ人のビクター・R・ジョイスがいった、「日本人にがっかりした。礼儀正しくない日本人に失望した」と言ったことを思い出すのである。
 しかし、この彼も私に遭った以降、少なからず日本人に関しての感想が変化したようだった。

 「信なくば立たず」
 かつては日本人なら誰でも持っていた日本精神である。
 そして、信なくば立たずの気概のない者に、刀剣を販売しても、それは霊剣を提供することにはならないだろう。信の無い人間に売らない主義である。誹謗中傷サイトで、私から売りつけられたというかつての道場生が投稿記事を得意満面に書いていたが、事実無根の話である。奨めたことが、いつの間にか押し売りされたとなっていた。

 私の刀屋は、刀剣愛好家に破魔となる御信刀の意味の「霊剣」を、それぞれの経済的ランクに応じて提供しているのである。経済的自由にある人はそれに相応しい上作の業物を求めればいいし、また経済的に恵まれないでも、切に霊剣を求める人は、それに相応しい恥じない刀剣を奨めているのである。
 探せば、50万円以下でも恥じない刀は幾らでもある。素人刀剣愛好のコレクターから霊力が失われ、悪霊の住処になっているような刀剣は無理して譲渡してもらう必要がないのである。



●霊剣としての威力

 霊妙な力のある剣を「霊剣」という。あるいは霊徳ある剣を「霊妙剣」と言う。いい言葉である。
 日本刀は古来より、霊妙なる剣、霊徳ある剣として、人智を超えた次元の存在であると信じられていた。物を超えた「超物質」と信じられていた。幽界の世界に迫り、また霊界の世界に迫る超物質だった。
 では、「霊剣」とは、どういう剣を言うのだろうか。
 それは単に名刀であればいいと言うのだろうか。あるいは番付で高価な値のする刀を言うのだろうか。

 名鑑に名のある有名刀工の名刀、あるいは番付で高額な刀、更には名のある武芸者が所持した刀……。こうした物を言うのだろうか。
 以上の条件を満たして、これを十把一絡げ的な見地から検
(み)た場合、「霊剣の条件」を満たしていると言えるのだろうか。そう断定するには、難しいところがある。

 何故なら、この時点では、刀は単に換金条件の備わった“物”であるからだ。超物質の世界のものでない。
 また高次元に生きたものでもない。単に顕界
(げんかい)の物体に過ぎない。敢えて言うなら、換金能力のある美術品である。美術刀剣が総て霊剣の能力を持った物とは限らない。
 霊剣になる必要十分条件は、まず必要条件として“物”である前に所持する人間の人間性にあり、その人間性によって「何を検
ているか」に懸かろう。

 つまり、刀の何処を検て、何を感じ、何を創造したかである。創造とは神の意識である。物造り出す創造性である。
 以降、創造として何を自身の心の裡
(うち)に築き上げて行くかの「先見の明」であろう。この明を即座に見抜く能力を、見識者には求められるのである。見識。これをつまり「眼力」と言うのである。

 眼力は、奥の奥の精神性やその先に眠る刀工作者の人間性まで見て取らなければならない。そこから人柄までを見抜き、同時にその人柄に備わっていた霊的なものまで見抜かねばならない。この場合に単に日本刀を物体として検てはならず、霊器として恭
(うやうや)しく見なければならない。そこには魂が横たわっているからである。

 魂を読む。霊的なものを見抜く。見えない次元を感得する。これが眼力の持つ威力である。
 これが出来て、刀は“物”の次元から“魂”の次元へと移行する。武士に相応しい魂の所持が可能になる。この移行によって、はじめて十分条件を満たすのである。
 このことをしっかりと腑に落とし込まねばならない。
 ところで、必要条件。十分条件。必要かつ十分な条件。
 こうした条件を刀剣に需
(もと)め、それば満たすに足りる条件が揃えば、その刀は「霊剣」になり得る素質を得ると言うことになる。
 こうなれば、決して値の張る名刀だけが霊剣としての条件を満たしているとは言えなくなるのである。

 そして必要十分条件を満たす以前の段階では、まず「目利きである」ことが必要で、媒体見聞は眼力によって決定される。
 では、刀剣を見る眼力とは、如何なる条件を備えていなければならないのか。
 これは基本の基本で、また基礎の基礎であるが、まず「曲がっていない」ことが第一に挙げられる。
 以前の持ち主が、試し斬りなどをして曲げていないことであり、また棟
(むね)などに疵(きず)を作っていないことである。要するに「無垢(むく)」を指す。

 下手が斬った痕跡の残る刀は、曲がっているだけでなく、斬るときに刃だけではなく、地肌を傷付けたり、棟に傷を付けたりしている。その証拠に、ろくに鞘にも納まりはしない。そんな酷い刀がある。
 総ては、下手くそな腕の無熟な術者が、思い込みによって試刀がなされた曲がり刀に、不浄なる物が派生したことに由来する。こうした物は絶対に譲渡されるべきでない。未熟者の、その思い込みの「悪しき念」まで、曲がり刀には塗り付けられているからである。
 曲がった刀は、「凶」の代名詞であることを忘れてななるまい。

 したがって、試刀術などを趣味としている人の、そうした趣味人の刀は、最初から手に入れるべきでない。譲渡は厳禁。
 一番最初は絶対に「無垢の刀剣」でなければならない。
 人が使って、飴の棒のように曲げ、鞘に収まらない物は、絶対に譲渡されるべきものでない。こうした物は、繰り返しの曲げで、危険な「曲がり癖」がついているので、その後の譲渡者がこれを試刀術に使っても、決して上達することは無いし、むしろ中心線が狂っているので危険である。振り間違いという事故も起こり易い。
 曲がり刀は、「血振り」一つの動作を行っても、更に曲がって行くものである。これは金属疲労から起こる。
 よく居合道などの型コンテストで真剣を使い、失敗をして手足を切るなどの多くは、こうした曲がった刀を使っているためである。

 第二に、一旦折れて、それを溶接していないことである。溶接した刀は、溶接部の「焼き」が逃げている。既に刀剣としての価値を失っているのである。本来折れた刀を溶接して接合し、これを所持することは違法である。だが、世の中にはこうした刀が、溶接部を誤摩化すために、わざと錆らかせ「錆刀」として流通している。こうなると素人目には、溶接物であるかどうか、判断はつき難い。素人が掴まされる最も多いケースは、この手の錆刀である。
 刀が折れる条件の多くは、「峰打ち」をしたところにある。
 峰打ちは「刀背打ち」とも書く。刀の峰の部分で、相手の刀の峰を打つことを、こう呼ぶ。また「棟打ち」とも書く。刀の峰で打つことを、棟打ちとも言うのである。

 棟打ちをする場合、相手の刀を棟で打つばかりでなく、直接相手の肉体の一部を棟で打つ場合もある。肉体の一部を棟で打てば、当然切断と言う作法は働かないがその反作用として、今度はその術を施した術者の剣に跳ね返って来る。
 つまり「刃切れ」が起こるのである。峰打ちをすると、刃切れが起こるのである。
 刃の部分に、肉眼では確認し難い細かな亀裂が生じるのである。そして度々棟打ちを繰り返せば、遂に金属疲労で折れることがある。

 普通、刃の部分から打ち込んで折れると言うことはあまり有り得ない。刀の断面構造は、柔らかい軟鉄を固い刃になる部分の硬鉄が包み込んでいるのである。
 製作段階でも、刃になる部分は粘土を剥がすか、これを薄く塗り、身の部分は粘土で包む。このときに「丁子
(ちょうじ)」などの複雑な刃文を造るときには、薄い粘土の上に更に細かい液体粘土を塗って線を施す。こうして粘土を塗った刀身を、約740度の均等熱で加熱する。その加熱後、水で急冷する。これを「焼き入れ」と言う。

 焼き入れをすると、粘土の薄いところは急激に冷やされて硬い刃となり、粘土の厚い部分は緩やかに冷やされて粘りを生み、打ち付けても折れ難い刀身が出来る。そして、その境には美しい「刃文」が生まれる。
 この刃文は単に装飾のための刃文ではなく、折れ易い硬い刃の部分を、折れ難い軟らかな身の部分が接触してその接触面積において強度を増すと言う働きを持たせるためである。
 つまり軟鉄の身が、その表面に刃の部分の鉄を強く抱き込ますことによって、折れ難いと言う機能を授けるのである。
 そして焼き入れの瞬間に、美しい刃文と切れ味が決まる。美しい刀剣の姿は、この時機
(とき)に決定されるのである。

 したがって、むしろ棟で受けたり、棟で打ったりすることで金属疲労が起こり、遂に時間とともに朽ち果て、「折れる」のである。
 こうした折れたものを、溶接した刀は「凶」とされる。

 また溶接により、銃砲刀剣類登録証に記された「長さ」ならびに「反り」が微妙に異なって来る。1ミリ違っても大変なことになる。
 特に無銘の場合、登録証の偽造が疑われる。1ミリ違いでもある。
 銃砲刀剣類不法所持並びに登録証の異なりから、公文書偽造が疑われるのである。銃砲刀剣類不法所持である。無実でも犯罪者にされてしまう場合があるのだ。
 こうした“冤罪”が派生するような刀剣を所持して、どうして「運がいい」あるいは「霊剣」などと称せようか。
 むしろ禍を齎す「凶」と考えるべきであろう。本来、正当でない不当な物を「凶器」と称したのである。この「凶器」は犯罪にも通じる「兇器」なのである。
 「凶」は縁起の悪さや運の悪さを指すが、「兇」は悪事に絡み犯罪を臭わせるものである。読みは「きょう」でも意味が違う。「兇」は殺傷に使用される、そういう道具を指す。どうしてこうした道具が「霊剣」などと言えようか。

 第三に試し斬りの「皿飛ばし」などを稽古して、捻れてしまった刀である。
 極端に曲がっていなくとも、捻れた刀は、曲がった刀以上に元に復元し難い。刀身全体が捻れてしまうからである。
 この手の刀は曲がりはそれほどでもないにしても、刃元の「刃区」から尖先の「横手」までに歪みとか捻れが生じている。また棟の部分では「棟区」から「三ツ棟」までもに狂いがある。それを「横透か」
(刀身を横に傾けて光の反射からその歪みを知る方法)しで見分けねばならない。

 こうした刀は捻れが僅かであっても、「凶」なる要素を隠し持つ。価値に鞘に納まっても、捻れた刀は凶であり、刀身に「鞘当て」の疵がつく。この疵が、錆などの原因になり、刀身を粗悪な物にして行く。
 したがって、これらも「兇器」の一種と考えられ、最初からこうした物は所持すべきでない。無垢が一番だと感得すべきだろう。

 第四に「刃こぼれ」であるが、刃こぼれの中でも一番厄介なのが、尖先
(きっさき)の先端が欠けてしまった刀である。
 こうした刀は、刀身途中の刃の部分が欠けたものところなり、尖先を復元させるために研げば当然長さが違って来る。鋩子
(ぼうし)の焼きは残っているとしても、1ミリでも2ミリでも、尖先が欠けてしまえば銃砲刀剣類登録証に記された「長さ」が違ってしまうのである。
 また、鋩子は尖先に巧妙な刃文が入り、刀工の技量の最もよくあらわれるところで、これによって各時代や流派の特徴を知ることが出来る。この部分を普通「帽子」ともいう。

 尖先が欠けた刀は在銘であっても、長さの違う刀は公文書偽造が疑われてしまうのである。そういう物は現代等に多い。
 つまり銃砲刀剣類不法所持である。銘が正しくとも、その刀を証明する物が無いからである。同一刀工ならば、刃文もよく似ているからである。
 不注意で尖先を掛けさせてしまった場合は、研ぐよりも先に、銃砲刀剣類登録証を発行した都道府県の教育委員会文化財保護課に行って、尖先が欠けたことに事情を話し、先に登録証を書き改めてもらう必要がある。これをせずに先の研げば、長さが異なることから、公文書偽造が疑われてしまうのである。この順序を逆にしてはならない。

 こうした四大欠陥の刀を「四悪刀」という。
 四悪刀のうち、何れかを所持すると、その後の禍
(わざわい)は覿面(てきめん)に顕われる。
 私は長い間、刀屋をして来たが、刀剣所持と病気の関係も、その相関関係を随分と見て来た。
 故に、買う方ばかりでなく、売る方も、買う方と同じく真剣勝負なのである。劣悪なことは働けない。常識的にいっても、あるいは一段高めて「良識」と定義した時点で、販売するときには、こうした凶運や衰運を齎す、四悪刀は決して、一振りも売ったことが無かった。最初は総てサラであり、無垢である。これは刀屋の常識である。

 錆刀の場合は、買手がそれを納得した場合に限り、曲がり、捻れ、溶接跡、尖先の欠けがないのを確認してもらって売ったことがある。
 本来、錆刀は、近い将来に買手が研ぐという条件が出来上がっている。この条件が出来上がった場合に限り、錆を承知の上で買ってもらうことがある。だが事情は説明する。

 特に、錆刀は無銘の場合、銃砲刀剣類登録証と一致しないことがあるからだ。
 昨今では登録書を発行する都道府県の教育委員会文化財保護課では、「登録審査」をする場合、刀剣では中茎の写真を撮り、錆刀の場合は「一寸
(3.030……センチほど)窓を開いた状態にした刀」を持参して、登録審査に臨まなければならない。更に窓を開けた状態で写真が撮られる。つまり教育委員会では刀身そのものを総ての裏表を写真の写し、登録し、刀剣を美術品として管理するのである。
 したがって、長さや反りが合っていればいいと言うものではない。長さや反りが合っていても、教育委員会に登録されている中茎の写真の形が違えば、登録証が付いていても、それ自体に公文書偽造の疑いがかかる。
 また中茎、刀身形状などが酷似していても、直刃
(すぐは)と乱刃(みだれば)などの刃文が異なれば、これも公文書偽造の疑いがかかる。

 更に、である。
 錆刀を長らく所持すれば、刃文が見えないために、刃文の異なりが指摘され、これも公文書偽造の疑いがかけられるのである。
 よく刀剣素人蒐集家の中で、敢えて掘り出し物を当てようとして錆刀を買う人が居るが、こうした人が、登録証に記された状態で直ぐに研ぐならまだしも、これを錆びたまま一年も二年も放置すれば、警察庁の「任意調査」や「ランダム調査」に懸かり、名義人が教育委員から通達されて、官憲の抜き打ち調査に掛かる場合がある。

 そして錆びた物は、美術品と看做されず、単なる鉄棒と見るから、この場合も美術価値があるかどうか、再審査が行われる。
 この審査に不合格になれば、つまり不法所持か没収となって、酷い場合は書類送検などで検察庁送りになることもあるので、素人が錆刀を扱うことは、了承がある条件に限りであり、単に売る目的では決して奨めないのである。
 いま国の方針は、出来るだけ刃物による犯罪を減少させるために、密かに「刀狩り」をしているのである。現代の刀狩りである。そして美術品と看做されない物は、遠慮なく駆り集めて、有無も言わさず没収して処分してしまうのである。後は切断、そして鉄屑となる。


 ─────そもそも日本刀は「御信刀」で破魔の威力を秘める。
 しかし“四悪刀”であっては破魔の威力がない。錆刀であっても、その威力は無い。
 錆は不浄の物とするから、むしろ悪霊の住処となり易い。邪なものが憑き、所持後の運を悪くする。日本刀は単なる道具と考えてはいけない。霊的な霊器として考えなければいけない。四悪刀に加えて、錆刀もそのグループに入るのだ。これを入れれば「五悪刀」かも知れない。

 これを無視して「道具」と検
(み)た場合、そこには思いもよらぬ禍が押し寄せて来る。その禍の最たるものが病気である。
 肩・腰・膝・足首は勿論のころ、頭蓋の縫合まで外してしまうことがあり、消化器系では入口と出口に病気が顕われることがある。
 入口では口の病気を始めとして、食道系に起こり、あるいは甲状腺を傷める。甲状腺は人間にとって霊的中枢であるからだ。
 更に臓器を一巡し、最後は出口で痔瘻
(じろう)などの病気を呼び込む。そして痔瘻は腰痛と関連深い相互関係を持つ場合が多い。その代表格が結核性痔瘻と椎間板ヘルニアをはじめとする腰痛全般の病気である。痔疾と腰痛は、実に関係が深いようだ。

 それは食べ物の関係にもよろうが、また一方で寝具などの関係にもよるところが大きい。蒲団で寝るか、ベットで寝るかも関係があり、蒲団の場合、蒲団が厚いか薄いかの関係もあるようだ。更には横向きに寝るか、仰向けになるかである、頸の頸椎とも相関関係があるようだ。頸椎や背骨が狂っている人は、往々にして腰痛持ちだからである。そして腰痛持ちは、肛門に障害を起こす人が多く、痔瘻はこうしたことが複合的に絡んでいると思われる。

 これは神の『憑代
(よりしろ)』を乱したからである。穢したからである。
 何も憑代は樹木・岩石・御幣・神籬
(ひもろぎ)などの有体物だけに憑くのではない。当然、刀剣にも憑く。神霊の代りとして刀剣は「神器」にもなり得るのである。
 また、死者に群がる魑魅魍魎
(ちみ‐もうりょう)どもの住処ともなり得る。このことを忘れてはなるまい。



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