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個人教伝指導日誌 10

明治維新以来、日本人の眼は西洋の科学が雪崩来ることに反応し、益々「近視眼的」になって行った。詳細のみを観察し、日本人の眼は限りなく専門的になり、ミクロ的になっていった。そしてミクロ部分を寄せ集めて組み立ててれば、全体像なるマクロが出現するという妄想を抱いた。それは幻想でしかなかった。

 細かく切り刻んだものは、元に戻らなかった。ミクロ部分を寄せ集め、組み立てたところで、ミクロの全体像は見えて来るどころか、単なる「合成の誤謬
(ごびゅう)」に過ぎなかった。当初の思惑とは180度違ってしまった結果である。
 現代社会もこの合成の誤謬の上に築かれている。虚構といってもいいような、部分研究が全体像構築に繋がるという訳にはいかなかった。まさに幻想であり虚構であった。
 この虚構こそ、“大矛盾”の元兇であった。あたかも共産主義や社会主義が虚構である彼のように……。
 現代と称される55年体制以降、日本は、国家も、日本人個人もこの繰り返しの中で苦悶して来たのである。現代社会の元兇は合成の誤謬にあったのである。

 本来、正しい情報を知るには「大局を検
(み)る」という情報が必要であり、大局の中にこそ真実が隠されていたのである。幾ら重箱の隅を突くようなことをしても、そこに真実など存在する訳がなかったのである。日本人の情報を読む読解力は、非常に弱いものなのである。その読解力が弱い為に、大局を識(し)り得ると言う「戦略」が生まれなかった。

 戦略とは、広角なる、不可視部分の霊的世界までもを見通す視野で物事の大局観を映し出し、それによって方向性を決定するものである。
 則
(すなわ)ち、戦略とは「方向性」の概念であり、方向性を誤ると、その後は何を遣ってもうまくいかなくなるのである。

 先の大戦「大東亜戦争」は、その方向性を見誤った最たるものであろう。
 更に、当時の日本陸海軍の中には、不可視世界や霊的したと言うものを研究する者が殆ど居なかった。単に、戦闘に得意な下士官や兵を徒
(いたずら)に消耗させ、塵芥(ちり‐あくた)のように酷使し、無駄死にさせ、戦闘員の質の低下とともに日本は敗戦の焦土の中に引き摺り込まれて行った。

映画『五人の斥候兵』より。昭和初期から大東亜戦争中期までの日本陸軍の下士官・兵は非常に優秀だった。

 更に大戦末期時、ソ連の仲裁を請いつつ、一方で本土決戦を画するなどの愚行は、当時の戦争指導者が如何に戦略的思考が欠如していたか、如実に示すものである。
 そして、この側面には「日本人の見殺しの近代史」が存在していた。

 それは「親による子供の見殺しの歴史」であったと言ってよい。
 大戦末期、日本国は、政府は、官僚は、何をしたか。
 特に軍隊官僚は何をしたか。関東軍の高級参謀の多くは何をしたか。
 邦人軽視だった。彼の地に置き去りにし、見捨て、ソ連軍の餌食して見殺しにした。
 あの満洲で……、シベリアで……、日本国は、政府は、官僚は、何をしたか。
 「親」とは、国家であり政府であり官僚である。また「子」とは一般国民である。

 近代日本の歴史とは、残念ながら、「親による、子供の見殺し」の歴史である。
 シベリア抑留の日本陸軍軍人を見て頂きたい。中国残留孤児を見て頂きたい。原爆犠牲者や拉致被害者を見て頂きたい。または犯罪事件被害者遺族を見て頂きたい。
 この国は、窮地に立たされた一般国民に救いの手を差しのべず、いつだって一般国民を「棄民」する仕組みが出来上がっている。つまり、一般国民と言う顕微鏡下の微生物視された底辺の微生物の「見殺し」である。
 「親による子殺し」「捨て子の恨み」……これこそが、怨念を招き、多くの怨念霊を作り出した元兇だった。

 そして日本人の間違いは、先の大戦で大敗北しただけでは留まらなかった。
 差別と格差は「苛め問題」を拡散させながら、留まることなく膨張していると言うのが昨今の実情である。
 今もなお、同じ間違いを、いやそれ以上の大きな間違いを遣らかそうとしている。先の大戦の苦々しい敗北は、現代人にとって、決していい教訓にはならなかった。
 「同じ轍
(てつ)を踏む」という俚諺(りげん)がある。
 前例を繰り返し、前人の陥ったと同じ失敗を、後人が犯すのである。日本は、その中を驀地
(まっしぐら)に驀進している。



●大局観

 日本人は思考的に検(み)て平面的な思考を展開する。考え方も発想も、非常に平面的である。
 例えば、机上の空論のように、また柔剣道の試合場のように、平面版の上で戦う戦闘法しか考えない。そのために大局観がない。
 昨今でも、やたら戦略・戦略・戦略……とヒステリックに連発するが、その実、戦略の意味が全く理解で来ていないのである。この現状を見るにつけ、日本人は全般的にいって、大局の全体像を観察する観察眼は非常に疎
(うと)いようである。
 昨今は、戦略・戦略・戦略……と、アホな政治屋どもが喚
(わめ)いているが、それは戦略とは程遠く、その視点はミクロ的であり「部分」に注視した政策である。細部中心主義である。彼等の唱える自称戦略の中に、立体的な情報空間は存在しない。平面構想である。

 それは、政治や経済や軍事の世界だけではない。あらゆる分野に及び、展開は部分戦闘や局地戦においての優劣に終始している。そして欧米とは、大きく差をつけられている。
 日本人は部分研究は得意だが、その部分研究の結果、それを組み合わせると、全体像が出来上がると言う妄想を抱いているのである。
 また、多くの日本人は戦略を、安易に「方法論」と解釈している。単に論理的考察のみで終わらせている。
 方法論とは、演繹法
(一定の前提から論理規則に基づいて必然的に結論を導き出す法で、数学の証明などに見られる)、帰納法(因果関係を確定する法で、現代論理学では仮説と実験的観察命題との確率的関係としてカルナップにより新たに定式化され、また確率論理学などを指す)、仮説演繹法(一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮説により、ここから理論的に導きだした結果が観察・計算・実験などで検証されると、仮説の域を脱して一定の限界内で演繹的推理のみを妥当する推理方法)などを主にし、全体構想の中では単なる「一戦術」に過ぎないのである。

 戦術はまた、全体像の細部に過ぎない。戦術レベルでは全体像が見えないのである。先の大戦で多く見られた「何の為に戦っているか」の戦争目的である。この目的が釈然としなかった。
 つまりグランドデザインに欠けるのである。
 先の大戦では、戦争目的が不在であった。
 大局観を観察する能力の無さが、しいては「合成の誤謬
(ごびゅう)」を生み出すのである。かつての「大東亜思想」の輪郭は、合成の誤謬となって目的意識をいつの間にか、焦点ボケにさせてしまったのである。
 日本の近代史を検
(み)てみれば、日本国も日本人も、この繰り返しをして来たのではないか。

 それは先の大戦の敗北を見れば顕著であろう。
 当時の下士官や兵は優秀だった。戦闘時における下士官や兵の働きは大きかった。
 ところが、尉官クラスの将校が指揮する戦術となると、よく言って「可もなく不可もなくの、その程度の幹部」であり、これが佐官以上の高級将校になってくると情報無視も甚だしく「将官追随主義」でお追従の塊。そして、ライン・アンド・スタッフ
(現場の部隊長と作戦参謀の関係)は、殆ど不在だった。単に当時の“参謀肩章”に、多くは踊らされ、日本権威【註】三大難関のことであり、その第一は高等文官試験と海軍兵学校と陸軍士官学校の入学試験であり、これらの合格者に対して、当時の日本人は無条件に平伏し、批判があっても、それを慎んだ)の畏敬の念をもつに過ぎなかった。権威に対しては、日本の三大難関を突破した合格者に対しては、批判は一言も述べず慎んだ。やがて権威は追い風に乗る。夜郎自大となって威張り腐る。それでも批判は慎んだ。そのような状況を造ったのは何か?!……。

 日本人は、激烈な競争に勝ち抜き、それによって厳しく選抜され、それによって合格したという人間に対し、優れた人材であると、無条件に信用し、尊敬し、頭を下げる。この、図式が長らく日本人の頭上に渦巻いていたのであり、その象徴は、今や東大出身者の学閥の上に降り注がれている。

 これはフランスの昆虫学者・ファーブルの『昆虫記』ではないが、もしファーブルが生きていて、彼がこの世の人間に対して『動物記』と言う名をつけていたら、犬を観察して「自分より弱い動物に出逢ったとき、弱い方は先に尻尾を垂れれ恭順の意を表したときの、昆虫以下の、あの姿勢に似ているのではないか。

 その比較は競争率に眼が行く。一般大衆は「難関度」に興味を持つ。安易に突破出来ぬ、難しい合格者に尊敬の念を抱く。
 試験の遣り方よりは、その烈しい共闘率である。それに勝ち残る……。
 これを無条件に、手放しに、尊敬の対象としてしまうのである。
 だが何処か、福沢諭吉の『学問のすゝめ』がチラついていないか?……。難しい合格者に尊敬の念を抱く……とは『学問のすゝめ』を彷彿とさせるではないか。

 また、そういう者が、国家を動かす長
(おさ)となる。一握りのエリートになる。人間が人間を崇拝する「人間崇拝理論」である。高級であるか低級であるかの、出身学閥のみが世の中で相手にされる。知能選別である。そして長らく定着した。
 現に当時の、高等文官試験、海軍兵学校及び陸軍士官学校の入学試験の難易ランクに眼が行く。難しい試験を突破した……、そこの衆目に一致する眼が向けられる。同時に、尊敬の対象となる。
 当時の明治大正昭和の新聞記事は、政治家と実業家に対しては罵詈雑言の「罵倒記事」で満ちているが、高級官僚と陸海軍のエリートには何一つ批判をしなかった。摩訶不思議である。

 当時の新聞記者どもが、高文出身者、及び陸海軍の士官学校や兵学校出身で、大学校出のこの三者が、政治の場に、印綬を帯びた場合は遠慮なく叩くが、現役には「政治」と言う射程距離外だったから、一つも批判せず、慎んだのである。新聞記者にしてこれである。
 その難関突破者は、こうした状況を見て、世の中を余程見下したのであろう。エリート風は“一入
(ひとしお)”であったであろう。
 だが、この一入選抜者に戦争目的などあろう筈が無い。
 戦争目的は不在であったから、指揮官は参謀の演出も考案も無に帰することが多かった。

 更に将官クラスになると、殆ど「無能」に近く、こうした無能なる戦争指導者によって、先の大戦を戦ったのだから、幾ら下部にいい戦闘員を抱えていても勝てる筈がない。ヘッドが無能では、どうしようもなかったのである。
 近代戦は、単に柔剣道の試合場に居て、正々堂々と、一対一で個人戦を戦っているのではない。「何でも有り」の計略と、奇抜な奇手も絡めながら、一糸乱れぬ「組織戦」なのである。組織戦には、戦略と言う「方向性」が要るのである。方向性があるからこそ、兵は詭道
(きどう)になり得るのである。
 つまり、目的遂行の為の大局を見据えたグランドデザインが必要不可欠なのである。

 方向性を見出す為には、可視世界の出来事だけを見ていてもダメなのである。闇の中を見る視覚が要
(い)り、不可視世界を洞察する眼力が要るのである。不可視的透視力が必要なのである。このためには視野は広く、同時に暗所を検(み)る視覚が明るくなければならない。
 闇の中を見通しても、一寸先が闇で、真っ暗ではお話にならないのである。肉の眼に頼っていても、それだけで方向性を見出すことはできないのだ。先を想像し、その想像は現実に限りなく近い分析結果を描いていなければならないのである。

 人生には真っ暗なトンネルを通過して、先に進んで行かなければならないこともあるし、また五里霧中の霧の中を進んで行かなければならないこともある。真っ暗なトンネルを通過するとき、そこには闇の部分が前門の虎、後門の狼になっているかも知れない。また側面には毒蛇がうようよいるかも知れない。一つの災いを逃れても、更に他方から災いが襲って来るのである。一難去って、また一難なのである。不可視の世界を通過するには、こうした災難が襲って来る。

 それは深い霧の中を歩くのも同じだろう。
 こうした深い霧は、真っ暗なトンネルの中と同じだから、現象界には不可視的な領域が存在していることなのである。こういう場所に遭遇したとき、肉の眼に見えず隠れた部分を、どう検て、どう選択するかで、その選択肢から次なる結果が生じるようになっているのである。この場合の方向性を誤れば大変なことになる。肉の眼に見えないから、それを回避したり、放棄するでは済まされないのである。

 では、前方が霧に隠れ、肉の視界ではどうにもならないときは、どうなるのか。
 霧の中を進み、もしその先が崖
(がけ)であったりした場合は、どうなるのか。霧の中で聳(そび)え立つ絶壁に立たされたらどうなるのか。
 更に進むのか、後退するのか、あるいは左右に散開するのか。またはベルルートを探すか、霧の霽れるのを俟
(ま)つのか。
 それは闇の中を検
(み)る指揮官の想像力の有無に懸かろう。

 戦略決定は、こうした極難において、決定を迫られる場合が多い。そのためには情勢を把握すると言うことが大事なのである。それも平面ではなく情報空間として……。
 しかし人智では、この総てを知ると言うことは実に難しい。
 だが、こうしているときにも時間は進み、事態は刻一刻と変化するであろう。その変化の中には、霧が霽
(は)れると言うこともあろうが、多くは更に深い霧で閉ざされる方が多い。極難というのは、そういうものなのである。

 現実社会でも情報の入手というのは重要な課題である。
 どのように情報を入手するかと言うことが問題になる。その場合、他人の密談を盗み聞きするのか。あるいは国家規模なら、他国が密室で協議している機密事項を盗聴器や隠しカメラで盗めばいいと言うものなのか。そして、それをただ知っていればいいと言うのか。

 先の大戦の末期、日本は、ヤルタ会談の存在や、途中から参戦したソ連の動向を全く知らなかった。知っていれば、ソ連に戦争終結の仲裁など、頼みはしなかっただろう。また、本土決戦などを画策する必要もなかっただろう。
 情報の必要性の重大さを知らず、また戦略の何たるかも理解していなかった。依怙地
(いこじ)を張って、負ける戦いにしがみついていた。負け将棋を、もう一番、もう一番と重ねて行っただけであった。愚は空回りして、愚行を晒(さら)しただけだった。しかし最後の望みを本土決戦に賭(か)け、まだ懲りずに負け将棋にこだわっていた。

 ところが、日本に映ったソ連の映像は、日ソ不可侵条約を覆
(くつがえ)しての突然の参戦であり、また数日後には広島と長崎に二発の原爆が落とされ、戦争指導層の意見は二分し、まだ懲(こ)りずに本土決戦の妄想を抱いた派閥が存在した。その一方で、負け戦に拍車をかける一部の軍閥【註】海軍では米内光政、井上成美の水交社グループ。山本五十六は戦死?していたので、加わっていないが。そして陸軍では、服部卓四朗、辻正信、瀬島龍三らの偕行社グループ)があり、邪神界呼び込みの画策し、敗戦の真っ直中を驀進(ばくしん)していた。
 これは当時の日本が、情報戦略において決定的な弱点を持っていると言うことを、連合軍側はとっくに見抜いていたのである。
 またしかし、当時の戦争指導者に、かつての徳川慶喜くらいに先見の明があれば、とうの昔に、日本が勝ち進んでいるときに、戦争は非常にいい条件で終結して居たであろう。

 先の大戦で、日本は日中戦争当時、南京落城を政治的な駆け引きに遣わなかったことである。日本の戦争指導層は外交の何たる可を全く理解していなかった。
 更には、せっかくのトラウマンの仲裁も無にしてしまったことである。ドイツ大使・トラウマンの仲裁を受け入れていれば、日本は英米の干渉無しに、支那事変を最もいい形で解決していたであろう。
 支那事変当初の軍事行動を分析すると、まぐれ当たりのような軍事的成功は、日本の国際音痴が招いた結果であった。このまぐれ当たりは、日本が何の統一性も、意図もなく、目的すら無く、単に発作的に軽挙妄動した結果が、そうなっただけのことである。

 二十世紀はアメリカの擡頭
(たいとう)で世界が始まった。善きにつけ悪しきにつけ、主役はアメリカであった。
 当時の格言には「中国への路
(みち)は必ずアメリアを迂回せよ」という言葉があったくらいである。
 大陸政策においては、これが日本の鉄則であった。また国際政治は、アメリカ抜きに……という状態にはなく、大陸においてのアクションはアメリカの了解が必要だったのである。
 当時、一部の「石屋」の存在を知る人は、そのことに気付いていた。例えば、「大本」の出口王仁三郎のような人である。
 出口師はアメリカの原爆画策まで見抜いていたのである。あるいは闇の中の蠢
(うごめ)きが、国際政治のメカニズムで機能していると気付いていたのかも知れない……。

 その嫌いもあったであろう。
 現に、十九世紀に起こったイタリア統一を目的とした政治的かつ社会的運動の、イタリア語で『リソルジメント
(Risorgimento)』といわれる「イタリア統一運動」が、第一次世界大戦におけるイタリアの戦勝の後にパリ【註】発効当時の寄託者はランス共和国政府)で決せられた如く【註】1919年、イタリアの統一なる。第一次世界大戦で連合軍側で参戦したイタリアは、1920年7月16日に発効の「サン=ジェルマン条約」で未回収のイタリアを併合)、中国問題はアメリカで決せられる。これが当時の国際政治のメカニズムだった。
 ところが、当時の日本はこれが理解できなかった。
 国際政治の舞台には国際連合軍と名乗る、総てに関与するアメリカの意図が見抜けなかった。この意味で、日本は「一寸先の闇を、ただの闇」としか見ていなかった。暗所に視覚を向けると言う能力が劣っていた。当然暗所の分析も出来ない。

 この闇で働くメカニズムを、国際政治の眼で観れば、南京落城如きはアメリカの了解を得ないで南京城に攻め入るなどの愚行は、あたかもプロセインがナポレオン三世の了解も得ないで、サドヴァの戦い
【註】プロイセン王国の勝利(1866年 7月 3日)はナポレオン三世をひどい窮境に陥れた)や、ケーニヒグレーツの戦い【註】1866年7月3日にボヘミア(ベーメン)中部のケーニヒグレーツとサドヴァ村の中間地点でプロイセンとオーストリア帝国の軍の間で戦われ、分進合撃に成功したプロイセン軍はオーストリア軍を包囲し、決定的な打撃を与え、戦争終結を決定づけた)に兵を進めるようなものである。これにより、ナポレオン三世を窮境に陥れたのである。
 この窮境と、日本軍の南京落城の結果は、アメリカにとってまさに同じものでなかったか。
 当時のアメリカが、怒り心頭に来るのは無理もなかった。

 それなのに日本はどういう行動を採
(と)ったか。
 この場合、奥地に進攻したのであるから、一日も早く撤退が必要だったであろう。兵を直ぐさま退く必要があった。
 当時に不可視世界の意図を読めば、撤兵こそ、英米の虎口から脱する最高の方法だったのである。それに日本軍は、勝利も充分に享受している筈だった。あとは撤兵すれば済むことだった。日本軍の強さを世界に向けて誇示する、デモンストレーションでだけでよかったのである。

 日本軍の電撃的スピードは他に類を見ず、更に幸運だったことは、殆ど有効な組織抵抗も何も受けなかったことである。そのうえ南京城は占領した。戦争目的はこれで終了した。それでよかったのだ。
 その状況下、支那軍は組織的軍隊を放棄して、算を乱して潰走
(かいそう)してしまったのである。これだけで充分に目的は達せられている筈だった。
 先の戦闘を振り返れば、上海事変において日本軍は苦戦を強いられており、この屈辱の汚名を晴らす為には、南京落城とともに撤兵すれば、日本軍の無敵神話は蘇っていたであろう。

 当時の日本軍は英米の虎口の前に居ることに気付かなかった。闇の構造、不可視的構造には、こういう国際的な仕掛けがあったのである。したがって、虎口の前から速やかに撤退すればよかった。撤退するだけで、日本の得るところは大きかっただろう。
 問題は、日本軍の大勝利の結果が齎す威信の飛躍的増大の大きさだったのである。休戦条約とか講和条約などは、放っておいても、後から付属品として蹤
(つ)いて来るのである。

 もし、このとき日本人に闇の中の可視世界を検
(み)るだけの眼力と視覚があったならば、南京攻略という戦略効果は大で、出来るだけ寛大な条件で講和結果を導いておれば、上海事変以来の日本軍の弱さも撤回されて、無敵日本軍の神話が蘇り、同時に中国軍からも大いに感謝されていたことであろう。日本軍の強さ見せるには、またとないチャンスだった。
 それにである。
 昨今捏造
(ねつぞう)されている、「南京大虐殺」と言う濡れ衣(ぎぬ)も被らずに済んだ。

 だが、闇の世界、不可視世界の仕組みを知らない国際音痴の日本人は、その態度といい、これとは正反対の歴史を蹂躙
(じゅうりん)する、欧米の仕掛ける闇世界の罠に嵌まって行ったのである。
 更に日本は、外交も不在であった。
 当時、日本軍圧勝に対し、ドイツ大使のトラウマンが仲裁に乗り出して来たのである。これこそ、またとないチャンスだったのである。当時のドイツは極東に勢力も橋頭堡
(きょうとうほ)も有しない、唯一国の強国だった。
 これは打ってつけの役者が名乗り出たのである。この役者なら、蒋介石は喜んで交渉に応じたであろう。大敗北を帰した蒋介石ならば、日本の要求は受諾せねばならなかったであろう。

 ところが、日本の戦争指導者は戦争目的不在、また日本政府は外交不在だった。
 戦勝国日本は、慾にぎらつく、その程度の愚人に成り下がっていた。上海事変の汚名返上も出来る最大のチャンスを取り逃がし、愚かにも泥沼の中に踏み入って行った。
 トラウマンの仲裁を受け入れれば、双方から全権を出し、会談も出来たのである。これが国際外交慣行上、また条理的にいっても、至極当然のことである。ところが、このことを理解できない日本は、これを蹴った。せっかくの仲裁を蹴ったのである。
 トラウマン仲裁こそ、またとないチャンスの助っ人だったのである。英米の干渉無しに、支那事変を日本は有利に全面解決で来たのである。ところが日本はこれを蹴った。何と言う外交音痴!

 日本人は、当時も今も同じだが、外交とはそれを要約すれば、交渉を通じて、より善き契約に達するプロセスなのである。契約のプロセスこそ、普遍的命題
(公理)から個別的命題(定理)へと導く最大の良策ではないか。ここに「契約」の概念があった筈だ。演繹法である。
 だが、日本人には契約と言う概念がない。また外交を理解する能力もない。更には外交に持って行く為の外交プロセスの仕組みも理解していない。この奇現象は、日本独特のものである。島国独特のものである。

 だから、日本人は外交を考えた場合「腹を割って話す」ことだけが外交の理想型と考えているのである。
 「腹を割って話す」という行為は、日本人にしか通用しないものなのである。
 日本以外では、まず宗教が異なる。外国は日本人のように中途半端な無神論者など居ない。多くの外国人は宗教と一体になっている。そのために社会構造が日本とは異なる。宗教は神道でもないし、仏教でもない。
 そもそもエートス
(ethos)が違うのである。集団社会における道徳的な慣習や行動の規範が違うのである。

 況
(ま)して、外国人は「腹を割って……」など決して考えないのである。そうした手の裡(て‐の‐うち)を証すようなゲームはしないのである。日本人が東洋圏の同じモンゴロイドと信じている半島や大陸の人間すら、日本式の外交は通じないのである。しかし、日本人はそうしたことに御構え無しだ。
 そのうえ腹を割って話す条件下で、相手が腹を割って話す交渉の主役でないと知ると、途端に腹を割って話すことが出来なくなるのである。戦略と言う立場から、条約について交渉を順に取り決めて行くと言うことが、交渉プロセスであると言うことを理解できないのである。交渉プロセス段階では、まだ変更が可能なのである。到達点は未定なのである。初期条件は如何様にも変更出来るのである。

 ところがである。
 常に大将同士の一騎打ち的な、決戦場面を想像し、全面受諾なのか、一切否定かの二者択一になってしまうのである。交渉にはプロセスがあると言うことを知らないのである。ここに当時の日本人の外交不在があった。
 そして日本の無能は、トラウマン仲裁の支那事変大勝利をみすみす逃がし、その後に控えていたハル・ノートでは、決定的なダメージを受けるのである。

 神国日本には、常に神風が吹いていた。幸運の女神の霊的囁
(ささや)きは、常に囁かれていた。幸(さち)なることを囁いていた。
 ところが、西洋流の「科学的」という言葉で、「霊的なる囁き」を、当時の欧米崇拝派は一切否定してしまったのである。不可視世界の全面否定をしたのである。それは当時の戦争指導層が、トラウマン仲裁を絶対拒否したように……。

 その絶対拒否は、当時で終わったのではない。終焉
(しゅうりょう)したのではない。今でも引き摺られて、その禍なる余韻が残留しているのである。時代は変わっても、当時からの余韻は、今もなお引き摺っているのである。
 昨今の都会の雑踏はどうだろう。夜の巷
(ちまた)のネオン街の喧噪はどうだろう。芸妓やホステスの嬌声はどうだろう。
 都会は騒がしいだけでなく、情報過多でもある。情報量が多過ぎて、現代人はそれを一つに絞るにも、中々絞り込みが出来ない。余りにも、欲望のキャンバスの上に描かれた情報は多過ぎて、全く「余白無し」なの状態である。
 こういう時代だからこそ、余白が必要なのだが、多過ぎる情報量は、欲しい物と欲しくない物を選別する余白すらないのである。

 余白無いと言うことは、どういうことであろうか。
 これは「余裕が無い」というのと同義ではないか。
 余裕が無ければ、そこに感じる感性は、「穏やかな至福」すら儘ならないのである。
 また、余裕が無いと言うことは「しなる」という遊びの部分が無い為に、張りつめた緊張は、やがて「折れる」「挫ける」「自滅する」という結末に直結する。そして総じて、この状況を分析すれば、智者の「智慧」が埋没する時代でもある。智慧が失われる時代なのである。
 現代は智慧よりも、知識の追求のみが行われ、その知識は歯車の一部として、細部にしか役に立たないミクロ的な知識である。ミクロでは全体像が見えまい。

 だが、突き進む時代は若者中心の、年寄りを死にかけた「老いぼれの一部」と看做し、これに耳を貸す者は殆ど居ない。老いぼれは用なしになった時代である。同時にそれは智慧を蔑
(ないがし)ろにする時代でもあった。
 物質界の「物」だけで検
(み)る狭窄的(きょうさく‐てき)な思考は、やがて合成の誤謬が重なって、人間の意図とは異なる方向へと向かうであろう。
 それはあたかも、幽門狭窄を思わせよう。彼
(か)の病気のような狭窄である。

 幽門は胃の末端部で、十二指腸に連なる部分であり、此処は細いが筋肉は発達して壁は厚く、内面には多くの溝がある。括約筋は常に閉じ、時々開いて食物を腸に送る働きをする。それが狭窄するのだ。此処が「すぼまる」のである。その結果、どうなるのか。
 癌腫となる可能性が大なのではないか。
 そうなっては治癒の見込みも薄かろう。
 これを政治に譬
(たと)えたらどうなるか。
 政治分野の交渉プロセスに譬えたらどうなるか。致命的とは言えまいか……。
 幾らミクロに秀でていても、マクロ的な見方が出来なければ、やがて狭窄に陥る。先細りだ。行き詰まりだ。
 最早こうなると、微視的視野では解決できまい。

 これまで日本人は戦略と信じていた策略は、単に方法論だった。現代日本人でも同じことが言えよう。物事を理解して、それを分析しようとするとき、日本人はその分解から始まる。分解して細かく切り刻む。決して全体像から迫らない。最初、細部に目を付け、微細世界で思考する。微細部分のみに注目し、それを更に切り刻み、そこに意識を集中して狭く深く掘り下げて行く。こうした行動の裏には、切り刻んだ物は再び元に復元出来るという虚構を抱いているからである。
 ところが切り刻んだ物は、元に戻そうとしても、絶対に元の姿を復元することは出来ない。復元しても、元のものとは違っている。合成の誤謬が働くからである。

 この元兇は、実は「こだわり」にあった。
 現代日本人が好きな言葉は、「こだわり」である。拘泥
(こうでい)である。現代日本人に取って、こだわりはいい意味で遣われているのである。奇妙な日本語が流行したものである。

 こだわりの根元は、広く知られて物に対して、限られた部分を微細に研究しその部位に拘泥し、そのスペシャリストと自負する性癖である。
 この性癖が、合成の誤謬を造り出すのである。これこそ日本人の病的と言える拘泥の実体だった。つまり「こだわり」である。こだわりをいいことのように現代日本人は解釈してしまうのである。
 こだわりは、やがて合成の誤謬を招くのである。その恐ろしさを知る者は少ない。

 少し考えれば分かることだが、部分集中主義では、全体像は見えてこない。単に、戦略無き戦術を繰り返すだけである。
 政治でも経済でも経営でも、戦略無きものは、幾ら優れたものを持っていても、それは宝の持ち腐れになり、やがて滅び去る運命にある。方法論の行き詰まりである。部分にこだわった成れの果てである。
 全体像を見失ってしまったからだ。大局観を見失ったからだ。

 それは例えば、刀剣の世界にも見ることが出来よう。
 刀剣は単なる刃物でない。また道具でない。全体像が美しいものは「霊器」としての品格を備え、その品格は「霊剣」としての霊格を持たせている。物格ではない。霊格である。品位が齎す全体像である。この全体像は、不可視世界の霊的世界にまで及ぶ。

 全体像の美しいものには霊格がある。霊格のある刀剣が、霊剣と言われる所以である。
 霊剣は、ミクロ世界で造られたものでない。
 マクロの、巨視的視野から生み出されたものである。閉鎖的かつ微視的世界からは、決して生まれない代物である。全体的バランスの見事さから生まれるものである。こうしたバランスを持った刀剣を古人は「霊剣」と呼んだのである。

 バランスのとれた美なるものには、必ず高貴な霊が宿る。
 こうした高貴なる霊が、破魔となる要素を持ち、遂には大局観を貫く。大局の上に立つ。方向性を確
(し)かと示す。将を輔佐する霊器であるからだ。
 だが、下士官や兵を掌握する局地戦闘の、それではない。また、戦術展開においても、方法論には頼らない。巨視的視野に立ち、全体の巨大像を検
(み)る。これこそ破魔の最大の効果である。
 そうした最大効果の破魔の霊力を持ったものが「霊剣」だったのである。将の所持品である。



●霊剣と言う日本刀

 日本は幕末から明治に掛けて、西洋の右回りの嵐が日本中に渦巻いた。
 日本の西欧崇拝の知識人に取り憑き、その旋風が日本中を席巻した。次々に日本的なものや日本精神の破壊が行われた。霊的な神域や聖域が荒らされた。
 その頃から、「菊と刀」の否定が始まるのである。
 そして日本刀は、西洋人の眼につき、これが単なる金銭で売買される美術品になり、武士の魂から物質界の「物」に成り下がった。人殺しの道具となり、破魔
(はま)の意味を失った。霊剣は、刃物に成り下がった。

 霊妙な力のある剣を「霊剣」という。あるいは霊徳ある剣を「霊妙剣」と言う。
 日本刀は古来より、霊妙なる剣、霊徳ある剣として、人智を超えた次元の存在であると信じられていた。物を超えた「超物質」と信じられていた。幽界の世界に貫き、また霊界の世界に迫る超物質だった。超物質には「意識」があり「意志」があるのである。魔を破ると言う崇高な意識であり、意志である。霊体を守るから「霊器」といい、霊体に魔が憑くのを阻止するから「霊剣」と言う。

菊と刀。かつては日本人の心の拠り所であった。また日本精神の源泉だった。大和魂の発信源だった。

 では、「霊剣」とは、どういう刀剣を言うのだろうか。
 それは単に名刀であればいいと言うのだろうか。あるいは業物
(わざもの)としての名工番付で高価な値のする刀を言うのだろうか。
 名鑑に名のある有名刀工の名刀、あるいは番付で高額な刀、更には名のある武芸者が所持した刀……。こうした物を言うのだろうか。
 以上の条件を満たして、これを十把一絡げ的な見地から検
(み)た場合、「霊剣の条件」を満たしていると言えるのだろうか。そう断定するには、些(いささ)か難しいところがある。

 何故なら、この時点では、刀は単に換金条件の備わった“物”であるからだ。超物質の世界のものでない。物質界の物である。
 本来、霊剣は霊界の超物質である。物ではない。霊器である。
 また高次元に生きたものでもない。単に顕界
(げんかい)の物体に過ぎない。敢えて言うなら、換金能力のある美術品である。高価な美術刀剣が総て、霊剣の能力を持った物とは限らない。美術価値はあっても、霊的価値の無いものもある。
 霊剣になる必要十分条件は、まず必要条件として“物”である前に、所持する人間の人間性にあり、その人間性によって「何を検ているか」に懸かろう。

 つまり、刀の何処を検て、何を感じ、何を創造したかである。創造とは神の意識である。物造り出す創造性である。
 魂を読む。霊的なものを見抜く。見えない次元を感得する。これが霊眼
(れいげん)の持つ威力である。霊眼は霊的なものを検(み)る。闇の中の蠢(うごめ)きを検る。その躰動(たいどう)を読む。霊器はそうした働きを持つ。威力を持つ。
 これが出来て、刀は“物”の次元から“魂”の次元へと移行する。武士に相応しい魂の所持が可能になる。この移行によって、はじめて十分条件を満たすのである。
 このことをしっかりと腑に落とし込まねばならない。
 ところで、必要条件。十分条件。必要かつ十分な条件。
 こうした条件を刀剣に需
(もと)め、それば満たすに足りる条件が揃えば、その刀は「霊剣」になり得る素質を得ると言うことになる。
 その必要十分条件を追うと、次のような結論に至る。

第一条件
所持刀は絶対に「無垢の刀剣」でなければならない。
 人が使って、飴の棒のように曲げ、鞘に収まらない物は、絶対に譲渡されるべきものでない。こうした物は、繰り返しの曲げで、危険な「曲がり癖」がついているので、その後の譲渡者がこれを試刀術に使っても、決して上達することは無いし、むしろ中心線が狂っているので危険である。振り間違いという事故も起こり易い。
 曲がり刀は、「血振り」一つの動作を行っても、更に曲がって行くものである。これは金属疲労から起こる。
 よく居合道などの型コンテストで真剣を使い、失敗をして手足を切るなどの多くは、こうした曲がった刀を使っているためである。これを霊剣側から検た場合、「悪刀」となる。
第二条件
一旦折れて、それを溶接していないことである。
 溶接した刀は、溶接部の「焼き」が逃げている。既に刀剣としての価値を失っているのである。本来折れた刀を溶接して接合し、これを所持することは違法である。だが、世の中にはこうした刀が、溶接部を誤摩化すために、わざと錆らかせ「錆刀」として流通している。
 こうなると素人目には、溶接物であるかどうか、判断はつき難い。素人が掴まされる最も多いケースは、この手の錆刀である。
 刀が折れる条件の多くは、「峰打ち」をしたところにある。
 峰打ちは「刀背打ち」とも書く。刀の峰の部分で、相手の刀の峰を打つことを、こう呼ぶ。また「棟打ち」とも書く。刀の峰で打つことを、棟打ちとも言うのである。

 棟打ちをする場合、相手の刀を棟で打つばかりでなく、直接相手の肉体の一部を棟で打つ場合もある。肉体の一部を棟で打てば、当然切断と言う作法は働かないがその反作用として、今度はその術を施した術者の剣に跳ね返って来る。
 つまり「刃切れ」が起こるのである。峰打ちをすると、刃切れが起こるのである。
 刃の部分に、肉眼では確認し難い細かな亀裂が生じるのである。そして度々棟打ちを繰り返せば、遂に金属疲労で折れることがある。こうした物でないことだ。
第三条件
試し斬りの「皿飛ばし」などを稽古して、捻れてしまった刀である。捻れ刀は「凶」である。
 極端に曲がっていなくとも、捻れた刀は、曲がった刀以上に元に復元し難い。刀身全体が捻れているからである。
 この手の刀は曲がりは、それほどでもないにしても、刃元の「刃区」から尖先
(きっさき)の「横手」までに歪みとか捻れが生じている。また棟の部分では「棟区」から「三ツ棟」までもに狂いがある。それを「横透か」(刀身を横に傾けて光の反射からその歪みを知る方法)しで見分けねばならない。

 こうした刀は捻れが僅かであっても、「凶」なる要素を隠し持つ。価値に鞘に納まっても、捻れた刀は凶であり、刀身に「鞘当て」の疵がつく。この疵
(きず)が、錆などの原因になり、刀身を粗悪な物にして行く。魑魅魍魎どもの道具になり住処になり兇器となる。
 したがって、これらも「兇器」の一種と考えられ、最初からこうした物は所持すべきでない。純粋無垢が一番だと感得すべきだろう。
第四条件
「刃こぼれ」であるが、刃こぼれの中でも一番厄介なのが、尖先の先端が欠けてしまった刀である。
 特に尖先の欠けてしまった刀は、今日では銃砲刀剣類登録証の「長さ」の部分が異なるため、登録証に記された寸法と違いが出て、銃砲刀剣類不法所持の嫌疑が懸かる。長さが異なることから、公文書偽造が疑われてしまうことがあるのである。
 犯罪者に疑われてしまっては、所持する刀が泣こう。この場合は所持者が刀を扶
(たす)けな蹴ればならない。登録変更などして。

 以上、論じたように四つの欠陥を持った刀を「四悪刀」という。
 四悪刀のうち、何れかを所持すると、その後の禍
(わざわい)は覿面(てきめん)に顕われる。持つの者に禍を及ぼす。
 そして、錆びていても同じである。錆刀は「凶」である。錆刀は初心者や素人が持つべきでない。
 日本刀は常に光を放っていなければならない。単に道具ではない。武士の魂であり、霊剣に値する霊器である。錆びてはならない。

 錆刀を長らく所持すれば、刃文が見えないために、刃文の異なりが指摘され、これも公文書偽造の疑いがかけられるのである。
 よく刀剣素人蒐集家の中で、敢えて掘り出し物を当てようとして錆刀を買う人が居るが、こうした人が、登録証に記された状態で直ぐに研ぐならまだしも、これを錆びたまま一年も二年も放置すれば、警察庁の「任意調査」や「ランダム調査」に懸かり、名義人が教育委員から通達されて、官憲の抜き打ち調査に掛かる場合がある。

 そして錆びた物は、美術品と看做されず、単なる鉄棒と見るから、この場合も美術価値があるかどうか、再審査が行われる。
 この審査に不合格になれば、つまり不法所持か没収となって、酷い場合は書類送検などで検察庁送りになることもあるので、素人が錆刀を扱うことは、了承がある条件に限りであり、単に売る目的では決して奨めないのである。
 いま国の方針は、出来るだけ刃物による犯罪を減少させるために、密かに「刀狩り」をしているのである。現代の刀狩りである。そして美術品と看做されない物は、遠慮なく駆り集めて、有無も言わさず没収して処分してしまうのである。後は切断、そして鉄屑
(てつくず)となる。
 もうとっくに霊剣としての霊器の威力を失い、また破魔の効力も失効しているのである。

 日本刀とは何か。
 そもそも日本刀は「御信刀」で破魔の威力を秘める。よって「霊器」である。霊器の備わった刀を「霊剣」と言う。「菊と刀」の心の拠
(よ)り所でもある。
 しかし“四悪刀”であっては破魔の威力がない。
 錆刀であっても、その威力は無い。無垢で純真なものでなければ、破魔の威力なない。そして輝きがいる。光明波を放つ、輝いたものでなければならない。そのためには、錆は禁物である。
 錆は不浄の物とするから、むしろ悪霊の住処となり易い。邪なものが憑き、所持後の運を悪くする。
 日本刀は単なる道具と考えてはいけない。霊的な霊器として考えなければいけない。四悪刀に加えて、錆刀もそのグループに入るのだ。これを入れれば「五悪刀」かも知れない。

 これを無視して「道具」と検
(み)た場合、そこには思いもよらぬ禍(わざわい)が押し寄せて来る。その禍の最たるものが病気である。だが単なる病気でない。肉体に関わる病気でない。幽体までもを傷付ける病気である。あるいは霊体まで及ぶかも知れない。霊障絡みなので慢性化する恐れも大である。
 肩・腰・膝・足首は勿論のころ、頭蓋
(ずがい)の縫合(ほうごう)まで外してしまうことがあり、消化器系では入口と出口に病気が顕われることがある。霊障の持つ慢性化の顕われである。
 入口では口の病気を始めとして、食道系に起こり、あるいは甲状腺を傷める。甲状腺は人間にとって霊的中枢であるからだ。まず、上を蝕み、次に降下する。
 更に臓器を一巡し、最後は出口で痔瘻
(じろう)などの病気を呼び込む。そして痔瘻は腰痛と関連深い相互関係を持つ場合が多い。その代表格が結核性痔瘻と椎間板ヘルニアをはじめとする腰痛全般の病気である。痔疾と腰痛は、実に関係が深いようだ。

 それは食べ物の関係にもよろうが、また一方で寝具などの関係にもよるところが大きい。霊障絡みだとそのようなものを選ばせる。
 この場合、蒲団で寝るか、ベットで寝るかも関係があり、蒲団の場合、蒲団が厚いか薄いかの関係もあるようだ。更には横向きに寝るか、仰向けになるかである、頸の頸椎とも相関関係があるようだ。頸椎や背骨が狂っている人は、往々にして腰痛持ちだからである。そして腰痛持ちは、肛門に障害を起こす人が多く、痔瘻はこうしたことが複合的に絡んでいると思われる。

 これは神の『憑代
(よりしろ)』を乱したからである。穢したからである。
 刀には、その区分として過去・現在・未来がある。中茎に近い幅元方向が過去であり、中間の刃の部分が現在であり、尖先三寸先が未来となる。刀剣は、この三部構成である。そして天に翳
(かざ)すと、そこが所持者の「憑代(よりしろ)」となる。
 何も憑代は樹木・岩石・御幣・神籬
(ひもろぎ)などの有体物だけに憑くのではない。当然、刀剣にも憑く。神霊の代りとして刀剣は「神器」にもなり得るのである。
 また、扱いを間違えば、死者に群がる魑魅魍魎
(ちみ‐もうりょう)どもの住処ともなり得る。このことを忘れてはなるまい。


 ─────「恨みの構造」とは如何なるものか。
 世の中には恨みなどの怨念で満ち溢れている。そこには私怨などを含む、諸々の恨みが飛び交っているのである。そして恨みの念は、時として生霊化する。
 ウソ、欺瞞
(ぎまん)などは、その最たるものであろう。

 恨みの根元は上から順に下へと下る。
 まず最初、上の者が威張る。権力を笠に着たり家柄や身分を笠に着て威張り腐る。
 特に半島ではこの歴史を抱えた伝統を持っている。
 生まれのいい貴族は、両班
ヤンパン/官僚)に対して威張る。両班は白丁ペクチョン/庶民あるいは奴隷階級)に対して威張る。白丁は遣(や)りどころがなくて動物を苛める。そして動物は最後はいびり殺される。この構図の中に「恨み」が生じる。そこで生じた恨みが怨念化する。遺恨であり、恨みも一段と重くなり、これが本当の「怨み」となる。

 苛めによって死んだ者
(人間だけでなく動物も含めて)の恨みは、単に恨むだけでなく「怨む」のである。トーンが1ランク高いのである。怨念の許(もと)を生み出すのである。
 この「許」を抱えたのが、死んだものの意識で死霊なのである。死霊は多くは、怨念の意識を抱えて、その怨みを霽
(はら)らすために何ものかに取り憑こうとするのである。

 既に述べたが、取り憑かれた方を憑霊者という。
 憑衣霊は憑霊者の躰の上をガッポリと覆ってしまう。凄い力であたかも羽交い締めをして、そのまま捩じ伏せながら背後から乗り移ってしまうように、である。そういう霊的凄まじさをもつ。官能の強い人ほど顕著に顕われるようだ。憑衣は生きている人間の肉体を奪い、乗っ取ることなのである。
 個人なら幽体細胞だろうが、時の権力を支配する国家群の重要ポストを与えられた政治家や官僚であろう。此処を狙えば、一国は簡単に乗っ取れるのである。
 既に述べた「飴」と「鞭」のことを思い出して頂きたい。

 この仕掛け業
(わざ)に嵌まると、容易には抜け出せない。
 金縛りになって、動こうにも動けない。レスラーや力士のそういうものではない。ピッタリと密着して濡れ雑巾を掛けられたようになる。全身は縛られて抑え込まれるので、憑衣の刹那は金縛りが起こる。如何なる怪力の持ち主でも動けない。肉体力ではどうにもならない。全身至る所に“皮手錠”を掛けられた如くである。
 皮で締められて微動だに出来ない。寝返りすら打てない。声も出ない。これが金縛りである。

 その金縛りを通じて憑衣霊の幽体細胞と、憑霊者の幽体細胞が同調した霊的波調のためにピッタリと、ほぼ完璧に癒着してしまうのである。
 幽体は、肉体の直ぐ下に重なるようにしてあるから、憑衣霊の幽体と憑霊者の幽体が両者間で幽体細胞の癒着を起こす。また憑霊者の肉体は今までの憑衣霊の幽体としての影響とは違った形の影響を受け始める。これと同様に、憑衣霊の幽体も、憑霊者の幽体と癒着したため、その肉体反応はこれまでとは異なり、憑霊者からの影響も伝達されるようになり、単に憑いた状態とは異なる変化を起こすのである。

 此処には「憑く」という作用に対し、今後は逆に「憑き返される」と言う反作用が働くようになる。憑衣霊と憑衣者とは、ともに作用と反作用の影響を受けつつ、双方の霊魂は奇妙な動きの状態に至るのである。

 そもそも憑衣霊は、外国の悪霊軍団との共同戦線の上に復讐計画を企てた。明治維新以来、ずっとである。
 ところが、昭和35年から40年に掛けて、明治以来の復讐計画をパターンを計画変更して、「短期復讐計画」を目論むようになった。計画の方針転換である。明治以来ここにきて計画変更をしたのである。
 それというのも長い時間を掛けて、復讐計画を実行しその感性を見るのはあまりにも間怠っこしく思い始めたのである。手間取って、その割には遅々としてしか進まず、とにかくじれったいのである。これを短縮し、もっと早期に解決する方法はないかと考えはじめたのである。

 作用と反作用は何も現世だけで起こっている現象ではない。不可視世界の、あの世でも起こっているのである。
 急がねば……これが外国の霊団の方針転換の理由である。
 復讐を企てるに当り、憑衣霊と憑霊者の幽体癒着現象が徐々に弱まり始めたからである。また、憑けば憑き返されると言う反作用が起こり、憑霊者の幽体の影響を受けるようになったのである。
 単なる、恨みつらみ始まる憎しみの執念、執着の執念だけでは、効果が非常に小さいことを懸念したのである。そうした一つの焦りから、大々的な方針転換が図られたのである。その年が1960年代を前後とする昭和35年から40年だった。

 この年代になると、明治期の神道系の「息吹術」を修練した人達が寿命で死に始めた。そして残されたのはそれより新しい、然
(しか)もまだ修行不十分な大正や昭和初期の息吹しか知らない新しい神道系の人達だった。
 明治期の神道系の人達は荒行によってかなりの霊力を身につけ、腹霊においては強固かつ強靭
(きょうじん)だった。入り込む隙(すき)を窺(うかが)わせなかった。何しろ明治維新を打ち立てた人達である。そういう人が、あたかも櫛の歯が抜けるように死へと旅立ち始めたからである。これを外国の霊団は「好機」と捉えたのである。
 この時期になると、明治の神道系の息吹は徐々に薄らぎ始めた。かつての健在なる『明治息吹』は、ここに至って減少し始める。この時期において外国の悪霊霊団は、「今が好機」と検
(み)たのである。

 これまでの復讐計画は『明治息吹』を敬遠しながらも、迂回しつつ、間接的な憑衣に終始していた。しかしそれでは成果が薄く実績が挙らなかった。それは明治息吹が健在だったからである。ところが、明治息吹がバタバタと死へと旅立った。
 これにより方針転換が図られた。間接的影響を直截的影響に変えて憑衣して行く方針転換が行われたのである。そしてこの政策下に強力な悪霊軍団が追加支援して来るのである。

 この悪霊軍団は日本人の勤勉さを殺ぎ、その代わりに金・物・色の飴玉を日本人にしゃぶらせることを思いつき、その甘味な誘惑で誑かし始める。このときに『日本列島改造論』が起こる。この改造論は、日本の聖地破壊も含まれていた。
 特に白色物質文明は、霊的サターン軍団でもある。堕天使・ルシファーの息の掛かった者たちである。これまで霊的サターン軍団は容易に日本に侵入出来なかった。その侵入を容易にしたのは、進歩的文化人と云う日本屋日本人の悪口を云ってしたり顔をする連中であり、こうした者を代理人に使って日本人の洗脳を始めたのである。それらが拝金主義であり、また生を売り物にする性器教育ならぬ性教育だった。

こうした進歩的文化人を洗脳し刺戟することにより、これまで堅固だった日本の霊的城門は、外に向けて開かれたのである。これにより侵入は容易になった。これにより霊的サターン軍団は日本へ易々と上陸し始めたのである。
 既に霊的サターン軍団は、アフリカや南アフリカにおいては早々と全土を99%以上占領を完了するくらいの、憑衣占領の確たる実績を挙げていたが、アジアにおいてはまだ少なかった。特に日本においては非常に少なかった。

 ところが1960年代を境にして事情が変わった。日本は高度経済成長を成し遂げ、田舎の貧乏国家から経済大国への道を踏み出した。所得倍増計画により、国民の生活は日増しに豊かになって行った。そうした最中に囁かれ始めたのが「日本列島改造論」だった。霊的サターン軍団は金・物・色を武器に国際派の政治家に取り憑き、岩波書店系と朝日新聞系の進歩的文化人に取り入り始めたのである。
 国際派の政治家は予想もしない金・物・色にほだされて狂喜し始めた。また進歩的文化人たちも大いに煽られ、在
(あ)ることないことをメデァに暴露し始めた。
 やがてその後、ロッキード事件が起こった。
 アメリカのロッキード
(Lockheed)社が航空機の売込みに関し、日本の政界に多額の賄賂を贈った疑獄事件であり、1976年アメリカ上院外交委員会で発覚し、田中角栄前首相らが逮捕ならびに起訴された事件である。まだ、日本人の記憶には新しい筈である。

 しかし、日本列島改造論は、また日本各地を乱開発する計画一色だったので、疑獄事件以降もこの計画は中止されることはなかった。以後も続行された。
 では日本の乱開発はどういう意味のものだったか。
 それは日本を護るムー帝国以来の神光波のバリアを破壊することであった。「スの神」の光である。この神光波を徹底的に破壊することであった。このバリアがある限り、外部から多くの外国霊団は侵入出来なかったのである。それまで存在したのは半島系の日蓮系新興仏教集団だけだった。ところが、バリアの破壊が始まった。それと同時に、日本に押し寄せたのはモルモン教、ものみの塔、統一教会などの外国の霊団だった。

 一つの国が滅びるとき、それは外部からの攻撃よりも、内部からの内部崩潰によって滅ぶ方が大きいと言うのは歴史の示す通りである。裡側から城壁を開くことをする利敵行為を働く者が出るのである。外国の代理人である。
 また代理人たちは内部で文化を破壊するために攪乱工作を行う。
 例えば、麻薬、暴力、売春、自由恋愛、離婚、家庭の崩潰、同性愛、貧富の格差、働かない労働者や生活保護者の急増、苛めや幼児虐待、あるいは差別問題などが絡み、この蝕みに加速度がつくように代理人は利敵行為を働くのである。

 幕末においては討幕運動を中心に、フリーメーソン子飼のユッタ衆が走狗として暗躍し、反欧米的な徳川幕府を倒壊させた。そして日本に親欧米的な立憲君主制に基づく新政府の樹立を促進させた。これが明治維新であった。
 つまり、維新は別の角度から見れば、フリーメーソン革命だったのである。
 この当時、フリーメーソンの走狗として暗躍したのが、坂本龍馬、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、井上馨、五代友厚、寺島宗則、森有礼らであった。日本の欧米崇拝主義を啓蒙し、神性と霊性を破壊した人達である。



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