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憑衣現象改善法 2

悲母観音の図京都国立美術館蔵



●貧富が人間界を引き裂く現象

 時と言うのは、時間が過ぎれば重大事件でも、ほんの一節の文章で書き綴(つづ)られ、わずかな文字数で片付けられる。そして現代人は生きるこの世の中では、一応、未来時間が保証されているということだけのことである。未来時間は保証されているから、現代人は今を絶望する事無しに生きていけるのである。

 人類が滅亡するような事態に遭遇したとしても、それでも未来時間の可能性が皆無でなければ、その可能性を目指して人間は生きて行くことに邁進
(まいしん)する。大地震やその他の天変地異に遭遇したとしても、完全に絶望に打ちひしがれないのは、未来時間が、それでも残っているという細やかな可能性に掛けているからである。

 未来時間は、まだ誰も経験していない時間である。その時間の先端にいて、経験と言うものを観測すれば、何処で誰は死のうと、その死は同じものに映るのである。有名人であろうと、著名な学者であろうと、また名も知らぬ草莽
(そうもう)の臣であろうと、その死においては、その重さも軽さも何ら変わりないのである。歴史の平等と不変はこの点に回帰する。人類は、創造されたからである。

 しかし近現代史では、人間は神と言う創造主が創造したのでなく、人間が人間を創造し、生み、育てたとしているのである。神に代わって、人間崇拝が起こった。人間が、人間を拝むのである。庶民が有名人を拝むのである。拝むのは神ではない。
 そのように、新世界秩序が構築されてしまったからである。近現代史は、この新世界秩序で一切が運ばれているのである。戦後民主主義の新秩序は、この論理による原動力で動かされている。

 そして科学的と云う言葉が横行した。一切は科学一辺倒主義である。眼に見える可視世界のものしか信用せず、眼に見えない不可視的な世界の事象や現象は、非科学として一蹴
(いっしゅう)された。未科学分野まで、非科学・迷信と一蹴されたのである。
 これは人心を大いに惑乱させた。

 惑乱の結果何が起こったか。
 食の乱れが起こった。食を慎まぬ横暴が、美食の名の下に猛威を揮っている。
 更に食の誤りは、食の化身である人体までもを狂わせた。生体が狂い、命体までもが狂い、更に性別までもが狂った。その顕著な顕われが、昨今市民権を得たとする同性婚の現実である。
 世界新秩序は、現代人のこうした隙を窺
(うかが)って、完全に巣食ってしまった観が強い。それはあたかも、水が隙間を見つけて流れ込むように必然的に起こったものだ。一切は食の乱れが齎したものだ。
 この乱れは、現代人の未来時間までもを支配し、狂わせてしまうだろう。

 その狂いは、また生殖器にまで及び、現代は新世界秩序で一切が狂わされ、異常なる刺戟が民主的と云う言葉とともに隅々にまで及ぼうとしている。
 人類史上では、これまで異性愛という愛の形が自然であった。自然に、詰
(なじ)られることもなく存在していた。
 ところが、これを異性愛主義と批難して、同性愛者達の人権が認められるようになった。そして、これを裏でコントロールする仕掛け役の進歩的文化人らが、様々な性的冒険が試みられた。
 ついに同性婚という形で“性の解放”が実現したことを、進歩的文化人どもは「現代の勝利」と位置づけているのである。狂った煽動である。

 恋愛の形も、二十世紀までは異性愛の描写が主力だった。
 ところが二十一世紀は、齎された新世界秩序によって同性愛主義者が市民権を得て、同性婚が実現されることとなった。
 同性愛主義者達は異性愛を目論む連中に対して、“異性愛ファシスト”と名指しで批難した。それを社会的なタブーとした。そして遂に、このタブーは打ち破られた。進歩的文化人どもは「現代の勝利」というのである。
 アブノーマルがいつの間にか、ノーマルに摺り替わってしまったのである。アブノーマルが市民権を得て、これを社会のノーマルにしたことを画期的などと囃
(はや)し立てた。狂いも狂ったりである。
 人間以外の哺乳動物に見られない畸形
(きけい)現象である。

 また人間は、万物の霊長である。霊妙不思議な力を持つ優れた生き物であり、万物の「かしら」である。人類はその最たるものとされる。
 故に、霊的に観れば、霊的波調から発せられる波動も、哺乳動物の中では「妙」なるものを交信させ、それがある時は憎悪になったり、恨みや妬みになったりする。こうしたものが集積されて、複合化して重なれば、怨念となる。その霊的波調は怨念に変貌する。

 世の中の構造は、自然界の摂理に左右されて、作用と反作用が働いているため、そこには常に作用に対する反作用が働いている。これは南北問題を考えても歴然として来るだろう。
 北半球に属する先進工業諸国と、南半球の南側に位置する発展途上諸国との間に起こっている生活的確さであり、また経済発展水準の格差に由来する政治的かつ経済的問題である。

 これは持てる者と持たざる者との格差でもある。金持ちと貧乏人の経済的格差である。
 またそれだけに貧乏人の経済的不自由から起こる恨みや妬みは、それだけで物凄い負のエネルギーを生じている。これが霊的には相当な「負の影響」を及ぼして、先進国へ跳ね返って来てくる霊的事実である。
 知能の高い、歪
(ゆが)んだ性癖を持つ先進国のエリートほど、同性愛者も断然多い。恨みや妬みはこうした唸となって、先進国の知的レベルの高い者を襲う。

 同性愛者が市民権を得るなども、先進国特有の社会現象である。先進国の中産階級以上を占める知的労働者は派閥競争の中で、また生存競争の競争原理の中で鎬
(しの)ぎを削る優越競争を展開している。誰もが人より一歩先に出たいと常に目論んでいる。
 この意識は、また一方で類人猿に見られるような、マウンティング現象を起こす。

 普通、哺乳類の場合は、哺乳類の雄が雌の尻に馬乗りになり交尾の姿勢をとる行動であり、特にニホンザルに見られる現象である。
 これを酷似した現象が先進国に見られ、社会的順位を確認するために上位の者が、下位の者に対しても行う行為である。これは競争原理が顕著に働く先進国に見られるのである。
 霊的に観れば、こうした現象が現代ほど顕著に顕われるようになったのは、極端な金持ちがいる一方、その反対に極端な極貧者が居て、持てる者への恨みや妬みとなって跳ね返り、途轍
(とてつ)もない反作用現象を起こしているからである。

 それが、先進国の社会の縮図の中で、同性愛現象を起こしていると検
(み)るべきである。その証拠に、同性愛者は二十一世紀に至って市民権を得たからである。背景には発展途上国より、多く動物系の美食を喰らう「食の乱れ」もあろう。
 先進国が経済的優位に物を言わせて、発展途上国の米櫃
(こめびつ)の中に手を突っ込み、これを紙幣と言う紙切れで、途上国の労働力や文化遺産を掻っ攫(か‐っ‐さら)って行くことである。そして攫われた方は、紙切れを有効利用できないから、その後も豊かになれず、同時に娯楽がないため、異性との動物的セックスであり、また戦争以外にないのである。

 発展途上国の貧困層は、サッカーボールの一つも持たず、余暇を楽しむゲームすらなく、況
(ま)してトランプすらないのである。あるのは先進国の置き土産のロケット砲や自動小銃だけなのである。これらで娯楽を楽しむ以外ないのである。
 そして、電気のないところでは、夜ともなればセックス以外無いのである。貧困層に子沢山なのは、これらの一部が起因しているからである。
 つまり貧困層の彼等は、食と職がないのである。これは先進国の構図と正反対である。これは二十一世紀のこれからのパターンとなるであろう。



●食生活の誤りを正せ

 日本の古来よりの食体系から推察すれば、霊的神性を狂わしたその元凶は食生活の誤りであった。ファッションがアメリカナイズされただけに留まらず、食体系も僅か三百年にも満たない欧米型の食生活が、日本人の霊的神性を曇らせ、そもそも日本人の情緒的な感性である「言霊」までもを狂わしてしまった。

 日本人の食生活は、昭和30年代の起点として、その後は、大幅に欧米化される路線に転換された。特に日本人の食生活は「アメリカ化」されたしまったのである。
 つまり日本人の肉食をすると言う欧米化の食生活である。その為に、食生活は欧米化され、動蛋白を多く摂取する「食の乱れ」が生じた。この「食の乱れ」が様々な“現代の災い”を今なお引き摺り、それを拡張する悪循環を繰り返しているのである。

 食肉や乳製品の、動タンパクの摂取過剰は、血液を汚染させ、自律神経調節機能を狂わせた。こうした「狂い」が、今日では神経症
【註】心理的な原因によって起る精神の機能障害で、病感が強く、不安神経症・心気神経症・強迫神経症・離人神経症・抑鬱神経症・神経衰弱・ヒステリーなど種々の病型がある。一般にはノイローゼと言う名で知られる)となり、この神経症は自律神経失調症の範囲に留(とど)まらず、精神分裂の世界にまで拡散・膨張すると言う現実を招いた。

 憑衣現象を上げた場合、この「第二のケース」である場合が少なくない。
 食の誤りと乱れと慎みを忘れた姿は、血液を汚染させ、それが「感性」にも及んだ。つまり「感性」の発達に悪影響が及び、「慎み深くあること」や「工夫する創造力を養うこと」などを総
(すべ)べて欠如させてしまったのである。

 この為、自立心が失われ、忍耐力が失われ、我慢する、堪忍すると言う、人間への思いやりが薄れ、これは悪想念となって、自他離別を作り上げたのである。また自他離別意識は、精神世界に大きな悪影響を及ぼし、それは感覚機能を狂わせることになってしまった。

 自動調節機能の失われた多くの人は、先ず運動機能に障害が顕われてくる。それは極めて反射機能が鈍くなり、判断力に欠けることだ。動作が鈍重になるのである。反射機能の判断力が鈍くなれば、同時に平衡感覚も鈍くなってくる。
 運動機能は、精神と大脳及び脊髄神経と密接な関係を持っている。運動機能が鈍いと云うことは、同時にこれは、精神構造の未熟さから来ることで、脳神経の未発達に由来している。

 つまり、自分で分かっていながら、前方から襲って来る外圧の脅威を避けたり、躱
(かわ)したりすることが出来ず、もろに受けてしまうことである。肉体的な反射神経が鈍っているだけではなく、霊的反射神経も極度に低下しているのである。霊的反射神経が鈍れば、外邪や邪気に対して、その猛威を躱すことができない。つまり憑衣されるわけである。

 人間は親の保護下にある、乳幼児期、幼児期、少年期、少年期後半の思春期に、親から過保護にされて育った、成人の多くは、自立心を失い、精神構造の発育が阻害されて育った人である。こうした乳幼児から少年期までの、母親と共に製作した悪癖が、やがて自律神経失調型の病因へと進展するのである。

 そして憑衣現象の多くは、こうした進行状態に或る時、或る日、突然に襲って来る。病因は既に仕掛けられているのであるが、それが、いつ吹き上げるか、解らないだけである。
 これが一旦吹き上げると、その進転は早く、即座に自動調節機能を狂わせてしまう。自分で制御できなくなるのである。大半の人生を憑衣で苦しめられて過ごす人も少なくない。

 こうした病因の総
(すべ)ても、団塊の世代や団塊の世代ジュニアの、物の考え方の誤りから始まっている場合が少なくない。

 また、親の考え方は、次の世代に必ずしも通用するとは限らない。時代は大きく変化し、それは流転
(るてん)して止まることがない。しかし流転する方向は、物質過剰の方向であり、こうした環境で育った子供達は、大人になってもこれを直ぐに修正することができない。習性には大変な時間が掛かるのである。

 時代を彩
(いろど)る背景は、その時代特有の価値観を作る。この価値観は、時代によって各々異なる。物質過剰時代や、飽食の時代に育った子供達は、贅沢が当たり前だと思い、親達の人生観を正しく理解できない。この人生観が理解できなければ、センスやフィーリングの違う子供にとっては、容易に理解出来るものではない。またこうしたものが、「断絶」のシコリを残した。

 この時代に育った子供の多くは、学校教育の中でも「知育」だけが重要視され、特色のない「暗記型人間」が大量生産された。昭和三十年代から、四十年代にかけて、多く造りだされた人間は、そのエリートと言われる多くが「暗記型人間」である。

 今日の日本の官僚にはこのタイプの人間が非常に多い。いわゆる、解答のある答案用紙には、正確に答を書き込む事が出来るが、解答のない、創意と工夫を要する問題に対しては、何一つ答えられないのである。


 日本人の大きな誤解は、暗記型の人間を、「頭がいい」とか、「秀才である」と定義付けてしまったことだ。ここに、戦前・戦中・戦後を通じての学校教育の誤りがあった。

 当時の教育の特長は、暗記型人間を大量生産し、教育の掛け橋であった「先生と生徒」の関係が崩れた時代でもあった。この掛け橋が崩壊すれば、これを修復するのに「故障した部品」の取り替えと云う発想が生まれたが、部品を取り替えただけでは、病気は現実問題として治すことが出来なかった。

 部品と取り替えたお陰で、新たな二次的な病因を作る結果にもなっていった。そして今日では、二次的な障害が進展し、三次的な障害をも派生するようになった。これが精神世界への侵蝕である。昨今の精神病者の急増は、以上の事が要因にもなっている。

 病み疲れた脳は、幻覚に浮ぶ幻影と化しつつある。この幻覚は、神経の疲弊
(ひへい)にまで進展する。神経の疲弊は、ある限界線まで到達すると、特異点を形作り、自分の依存を別の者に転換させてしまおうとする変化が起る。その変化こそ、憑衣の始まりである。

 特に、動蛋白を多く摂取し、中庸
(ちゅうよう)体質が保てなかった人は、感覚が敏感になり過ぎ、更には自律神経の自動機能が失われて、霊的な現象に影響され易くなった。また、食品や食材の陰陽を無視して、自己流の食生活観を実行し、偏食に明け暮れた人は自律神経失調症と云う病因を背負い込む結果を招いた。

 殊
(とく)に、人間関係に苦労して神経をすり減らし、このすり減らした後には、必ず体内に毒素が溜まり、この堆積が疲労困憊(ひろう‐こんぱい)状態を作り上げる。こうした状態は、肉体的な疾患に発展した場合、胃潰瘍(いかいよう)や膵臓炎(すいぞう‐えん)といった慢性病に転移するが、ストレスとなって、精神に転移した場合、殊に精神分裂病や躁鬱病(そううつ‐びょう)といった二大精神病の病魔に冒される病因となった。

 最初は調節機能の障害程度であったものが、この時点に移行すると、かなりの重傷になる場合も少なくない。目に見えない水面下では、憑衣現象が起っていることは言うまでもない。



●脳の中に宿る意識

 意識は脳の中に宿っている。憑衣現象の意識すら例外ではない。
 したがって意識と云う、「見分け知る」ことの“識別”や“認識”や“識字”を通し、対象とする物体を認識する。そしてこれは、感覚器官を媒介として、その対象を認識する。

 また、「今している」ことが自分で分っている状態を指し、私たちの過去にあった事を通じて、知識・感情・意志のあらゆる働きをも含み、それらの根底にあるものを総称して「意識」と云う。
 心の働きもこの中に含まれ、認識し、思考する感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動を司っている。

 これらの精神的活動も、脳の中に宿っていて、脳と意識とは、各々が個別のものであるとされる。
 一般には、脳は極めて精密かつ緻密なコンピュータとして解釈されてるようであるが、同時に、そこに記憶される意識と言うものは、過去における記憶から成り立つもので、記憶が自身の固定観念や先入観なの奴思い込みで汚染されている場合も少なくなくない。

 また「思い込み」から生じた固定観念は、系統立てた整理が出来ていない場合、そこには混乱が生じて、出鱈目
(でたらめ)なデータとして、片付けられている場合も少なくない。
 つまり、系統立てた整理が出鱈目で、物事や言動が首尾一貫せず混乱している場合、“有りもしないものを夢想”したり、また強迫観念に駆られた自殺のような、自己抛棄的な判断を下す場合もある。自殺する人間の心理の裡側には、多くの固定観念で混乱し、その混乱の結果、短絡的な結論に至っている場合が少なくないようだ。

 特に強迫観念に駆られて自殺に趨
(はし)る場合、そこには“かなりの思い込み”があって、固定観念による認識の誤りが充満している場合が少なくないようだ。また、思考による誤りも多く、「この世を果無んで……」などの厭世観えんせい‐かん/pessimism)から起った思い込みによる自殺などは、意識の出鱈目が、こうした行動に趨(はし)らせることも少なくないようだ。
 自殺に趨る者の多くは、自らの固定観念と厭世観によって、現実世界では、悪が善よりも、苦が快よりも支配的であると考え、これを厭
(いや)がっていることから、この意識が支配的になる。また物事の悪い面ばかりを見、悲観的に考える精神の傾向が強く関与している。

 あるいは思い込みや混乱の生じさせ易いものには、疲労によるストレスなどであり、また新興宗教や、種々の政治意識などの洗脳によって生じた固定観念により生じる、錯誤と思い込みとの混乱である。この混乱が脳の意識に支配的に宿っていると、世の中を果無む行為が起る。

 例えば、新興宗教に於ての洗脳では、新しい思考を繰り返し教え込んで、それまでの思考を改めさせることである。また、政治意識の改造には、第二次大戦後の一時期、ソ連の日本人抑留時期において用いられ、また中国の思想改造などにも「洗脳」と云う手段が遣われた。
 こうした洗脳による観念の破壊が起ると、粗略な面が支配的になり、物事と短絡的な結論によって締めくくってしまう。

 このようにして思考の中に、こうした外圧が注入され混入されると、その人の思考回路は過去の先入観や固定観念との混乱が生じ、当人の意識から、脳への命令に支障が顕われる事になる。
 こうした場合が随時繰り替えされれば、脳と意識の関係は「命令」と云う側面において、元来のあやふやで想念的なものに、更に、別の観念が混入される事になり、意識とした知覚する、脳本来が有している能力が発揮されないまま、活用の域を失うのである。

 こうして活用出来なくなった、感覚器に顕われるのが、幽霊を見るとか、幽霊の音色を聞くなどの混乱現象である。これらの多くは、意識から脳への命令が混乱し、命令系に混線が生じていると考えられている。

 さて、こうして混乱から生じた幻覚症状であるが、一般に、私たちが視覚で捕らえる「幽霊」というものは、それが見えたりする事はあっても、直接的に人間に影響を与えることはないだろうと一蹴
(いっしゅう)してしまうようであるが、これは明らかに間違っている見解と言えよう。
 例えば「幽霊が見える」という現象は、確かに、視覚を通して、実際には物を見ている事であり、脳の中で感ずる反応は、現実に、ある物体作用と同じ事が起っている。

 また「音が聴こえる」という聴覚を通しての反応も同じ事が起っている。
 それゆえ、私たちの意識を取上げてみれば、「見えたり」「聴こえたり」という反応が、明らかに現象として起り、つまり「幽霊が見える」というような場合は、脳による幻覚反応の“幻を見ている”というものではなく、確かに「見えている」ということが起っているのである。
 脳の反応は、それ相応の事で反応し、これこそが脳の精巧なメカニズムなのである。

 しかし、「実体がないものが見える」と言う現象は、如何なる事なのだろうか。
 それは実体に相当するものが、脳の別の所に保存され、またその保存状態が形として固有化されているからである。つまり、その人の「思い込み」という記憶なのである。これは確かに「人間が捉えた記憶」なのである。この記憶が「幽霊を見る」と云う事に関して、大きな役割をしているのである。

 この役割を果たす現象は、心理学では記銘された経験内容が、量的かつ質的に、変化しつつも維持される過程を指し、「記憶の第二段階」といわれるものである。これは「記銘」の次に来るもので、「記憶の第一段階」の、経験したことた、学習したことを基盤として積み上げられたものである。
 更に「記憶の第三段階」に達すると、第二段階をベースに、以前、経験した事象や、学習し保持した事柄や内容を思い出すことが起り、それは「想起」といわれるものである。この想起に混乱した情報が含まれていれば、それは幻影として具現されるばかりでなく、明らかにそこに存在するかのような視覚に捉えた現象が起る。

 人間の記憶と云うのは、本来は磁器テープやディスクに保存されたような、二次元の平面盤である。
 しかし、幼少の物心着いた過去から培った固定観念と先入観は、その後の“眼の刺戟”や“音の刺戟”、あるいは人から聞かされたり、唆されたししたものが混入されると、そこには新たな混線模様が生じて来る。そこは「人間が生きている」と云う、また別の「生存」の側面を顕わしているのである。そして同時に「記憶も生きている」ということになる。
 つまり、生きているものは、「成長する」ということであり、思い込みによって生じた過去の残像現象の中には、それを増幅させ、変化させ、成長させると言う現象が起っているのである。一種の想念が呼び起こしたものだると言えよう。

円山応挙(まるやま‐おうきょ)筆の有名な『幽霊図』
 円山応挙は、江戸中期の画家で、狩野派の石田幽汀に学んだ。更に外来の写実画法の影響を受け、精細な自然

 観察にもとづく新画風をひらき、山水・花鳥・人物など多方面に活動し、写生画の機運を興した。そして日本画の近代化に貢献した画家でもある。その画家が、『幽霊図』を描いた事は、実に異色のことだった。

 したがって、死者の幽霊(死霊(しりょう)というもので、死者が死ぬ間際に落した唸)も、生者の幽霊(生霊(いきりょう)というもので、生存する人間が抱いている烈しい憎悪や怨念)も、「ともに生きている」ということで、その記憶は、あたかも生きているように振る舞う事が可能なのである。
 この可能の領域で、また「憑衣現象」と言うものが現実に起るのである。それは奇
(く)しくも、「他人が落した唸(ねん)」だった。
 人はこうしたものを、至る所で拾って来るのである。

 それは正月三箇日の神社であったり、その一日前の仏閣に詣でた時や墓の前を通り掛かった時や、あるいは教会であったり、新興宗教や政治団体の集会に誘われた時や、デパートの人込みの中や、満員電車の鮨詰め状態から、何かしら他人の落した唸
(ねん)を拾い、そのまま訳も分からず、憑(つ)かれ、頼られた事も知らず、持ち帰って来るのである。

 日本人のように「中途半端な無神論者」には、特に「思う」の意に用いられる唸を受け易いようだ。
 これらの「唸」は、次元の低い波調から発生しているからである。そしてそれは姑
(しゅうとめ)の愚痴であったり、嫁(よめ)の小言であったり、夫の社会への不満であったりしている事が少なくない。何れも次元の低い所から起った波調であり、これがこじれて唸が高まれば、遂には「生霊化」する。



●ガン発症も、また憑衣現象の顕われ

 また肉体的な病変であっても、慢性的な内因性のものも含めて、表皮であると考えられる。その最たるものが「ガン疾患」などであろう。ガンも一種の「憑衣現象」である。この憑衣現象は、精神的なストレスから起る事もよく知られている。

 ガン疾患は、動蛋白摂取過剰と、その過剰を要因として、血液が汚染された場合に起る病気である。
 血液の汚染を『腸造血説』の見地から考えると、人間が取り込んだ食物は、腸によって吸収され、それが張り巡らされた血管を通じて、体内を循環する。循環した赤血球は、各々の組織の部位で細胞に変質する。
【註】一般に中学や高校で教えられている理科1や生物でいう細胞分裂は、組織の各部位では行われていない。赤血球が各部位に留まり、組織細胞を組織するのである。ガンという疾患は、正常細胞が異常細胞として「ガン化」した細胞である)この細胞に変質する場合、赤血球に異常が生じると、そこで炎症を起こし、その炎症はやがてガン細胞へと変質するのである。これが『腸造血説』から述べる簡単な、ガン疾患へのメカニズムである。

 一方、精神障害を齎
(もたら)す精神的な憑衣は、陰陽の自動調節機能の異常によって起る。陰陽調節の不自由は、各々の圧力によって、陰圧や陽圧をコントロールしている為、陰圧が高くなってしまった場合は、憑衣・憑霊され易い状態となる。
 陰圧が下がっている状態を、如実に顕
(あら)わすものが、「肩凝り」や「腰痛」であり、人体がこうした状態にある時、憑衣・憑霊される隙(すき)をつくる事になる。

 その隙
(すき)をつくる時間帯は24時間のうち、最も多いのが午後10時以降であり、昔はよく、「女は午後10時までに寝れ」という諌言(かくげん)があったくらいである。
 それは午後10時以降に、邪気が憑衣・憑霊することを如実に物語った諌言であったからであり、同時に、男性より女性の方が感性的な感覚器が卓
(す)ぐれている為に、憑霊されるのは圧倒的に女性の方が多かったようだ。

 また、男性が憑霊される場合は、女性的な内向型に人に多く見られる現象であったが、昨今は食生活の欧米化の為、男女に顕われる憑衣の差は、そんなに開きを見せていない。男性も、女性並みに憑衣される時代に突入したと言える。

 陰圧が高まれば、負の磁気流は外邪の侵入に対して無防備な状態となる。この無防備の隙をついて、外邪は背後の「風門
(ふうもん)」に忍び寄り、此処から侵入して頸椎を昇って「唖門宮(あもんきゅう)」に到達する。唖門宮を占領した後、人体の温度調節機能を破壊して、麻痺(まひ)状態を齎し、痺(しび)れ、熱感、冷感、圧迫感等の様々な意識を憑霊した相手に派生させるのである。

 こうした症状が、ノイローゼを含む神経症であり、不安定な情緒は益々激しくなる。更には、ガン疾患や生理痛
【註】月経に伴って、下腹部に起る疼痛は一種の憑衣・憑霊現象)等の症状も併せて余痛を齎(もたら)すのである。

 特に、女性の場合の生理痛は、陰圧や陽圧のコントロールが不充分な為に起こる病気であり、骨盤痛・腰痛・下腹痛・悪心・嘔吐・下痢・不快感などが派生し、月経に随伴
(ずいはん)する疼痛が起る。この意味で、女性は、かつては憑衣の対象であった。

 これが更に進行すると、月経困難症となって、骨盤内に器質的変化のない原発性が見られ、これを本態性月経困難症と言う。また困難症の中でも、悪質なものは子宮内膜症、骨盤内炎症、子宮筋腫
(しきゅうきんしゅ)、あるいは子宮内避妊具の使用等によって起こる続発性月経困難症がある。そしてこれらは、陰圧が高まったから、外邪の侵入を許し、憑衣・憑霊現象の一種と考えられる。

 第三に不安と不信から起る憑衣現象が考えられる。
 世の中の先行きの見えない不安。求人難から派生した定職を持たない不安。フリーターの増加。そしてこれ等に絡む人間不信。更には、つい最近まで常識と思われていた事が否定され、非難される事により、将来の見通しが立たない不安などが、憑衣される隙
(すき)を与える要因となっている。
 「不安」を抱いた瞬間に、割り込まれ、憑衣を赦してしまうのである。

 現代人は「今」を満足できない人種へと変化しつつある。足ることを知らないのである。明日へと向かう希望を確約させ、明日の安定や幸せまでもを貪欲に吸収し、更には一ヵ月先、二ヵ月先、あるいは一年先までの安定と幸福を得ようとする。
 そして、今の生活が安定していればしているほど、不幸や災難を懼
(おそ)れ、不安と不信に戦(おのの)くのが現代人の心情となっている。こうした不安材料や、不信材料が憑衣される現象を招いているのである。

 多くの現代人は、もし今、自分に苦労がのしかかっていれば、今日できないことでも明日がくれば何とかなり、いつか今日の苦労が報われ、その報われる日を目指して、希望を胸に抱き、頑張り通している。今日出来ないことは明日に先送る、「先送りの論理」だ。
 悲しい時、苦しい時には、じっと我慢し、歯を食い縛
(しば)ってさえいれば、この苦労は、いつかは報いられると信じている。耐え忍ぶうちに、安らぎが沸き起って来るものと信じている。

 ところが、現代という時代は、まさに高速回転を続ける遠心分離器であり、こうして歯を食い縛って、努力を重ねている人間が、遠心分離器から弾
(はじ)き出される現象が起り始めた。
 それは「不安」や「将来の保障」が、空しい心の迷いであったと言う事を知らない為に起った現象だった。

 したがって、現代人は「今日一日」という、この現実に直視しなければならないのである。
 かつて、二宮尊徳は、

  この秋は雨か嵐か知らねども 今日のこの日を田草とるなり

 という句を詠
(よ)んでいる。
 これは明日の事を思い煩
(わずら)うなとの諌言である。今日一日を精一杯、悔いのないように働くことが人間の務めであるとしているのである。

今日一日の労働。かつて日本人は、借り終った田圃の光景を見て、自分は今日一日の道々を精一杯やったのだという自負があった。

 多くの現代人は、今日一日を精一杯生き、今日一日が充実していれば、もうそれだけで立派に人生を全うしていると言う、実際を忘れてしまっている。今日一日の充実は、今日と言う善き日への満足感である。この満足感が得られれば、もう立派に人生を生きたことになる。

 今日という日は、「今日一日」しかない。再び巡ってくることはない。今日の、この日を大事に生きる事ができれば、必ずや、その夜はぐっすり寝る事が出来るであろう。安眠間違いなしだ。

 ところが今日一日を蔑
(ないがし)ろにすれば、明日の事が不安になる。悔(く)いが残る今日一日に対し、不安材料と不信材料が浮上してくる。この種々の諸条件をもつ悪の因果関係が、また憑衣を招いてしまうのである。

 したがって、こうした諸条件の悪因縁と、悪想念から逃れる唯一の脱出法は、今日一日という、「今」を大事にして生きるという事である。今日が大事にできれば、明日も必ず大事にしなければならない「未来の今日」がやって来る。そして未来の今日が連続すれば、死ぬ日まで楽しく、生き生きとして生きて行けよう。

 昨日は今日の為の反省材料であり、明日は今日の生き態
(ざま)の結果である。これを充分に理解出来れば、今、何をするべきかも当然、浮かび上がって来よう。
 したがって、今まで思い悩んでいた「不安」や「未来への保障」は空しい心の迷いである事が分かる筈
(はず)である。

 今日一日を精一杯生きたことは、素晴らしい喜びであると同時に、感謝への祈念となり、これまで自他の間に境界線を作っていた垣根は取り払われる筈である。この垣根が取り払われれば、自他の境目はなくなり、これまで他人に向けて伸ばされていた触手の悪想念は消滅していくものなのである。そして、これが「愛する想念」に変わるのである。

 この事が理解出来れば、死ぬ日も、今日と同じ、精一杯生きる、きっと「善き日」に違いないのである。したがって、ありもしない妄念に振り回される事はないのだ。
 その事が分かれば、憑衣も自然に消滅の方向に向かうものなのだ。

 今日「科学的」と云う言葉が横行している現在、“憑衣”や、憑衣する霊的な媒体を“憑衣霊”などと称すると、いかにも“非科学的”で、オカルトと一蹴
(いっしゅう)されてしまう事が多い。
 また憑衣の現実は、それは「波動」によって起るものであり、今日「波動」などの言葉を用いると、それだけで“非科学的なもの”と烙印を押されてしまう。

 しかし現実問題として「波動」の研究は、決して非科学的なものでなく、未だに解明されない「未科学」
の分野のものである。
 振り返れば、二十世紀の科学は、眼に見えないものを切り捨てて来た。しかし、眼に見えない分野は、宇宙の事象として、それでも多く存在していた。ところが、ニュートンの十七世紀の古典物理学を持ち出して、眼に見えないものを非科学的と決めつけ、その解明する糸口を放棄したまま、「科学的」という言葉だけが一人歩きをした。そしてこの多くの人が、科学的と称した言葉の裏付けは、奇
(く)しくもニュートンの古典物理学だった。

 特に、変化によって、初期条件以後の運動が、一意に定まる系においても、初期条件のわずかな差が、長時間後に大きな違いを生じるというカオス理論が浮上して来た。実際上の結果が予測できない現象があることすらも知らずに、誰もが科学的という言葉を口にした。しかしカオスの理論は、流体の運動や生態系の変動などに「誤差」が見られるとした。この誤差の発生を考えれば、ニュートンの物理実験すら、誤差が生じたのではなかったか。

 世には、「科学的」と云う言葉が満ち溢れている。猫も杓子も科学的と云う言葉を用い、物体から波動が出ていると言う事実を無視して来た。同時にそれは「見えない心」の探究の放棄だった。特に現代医学は、今でもこの傾向が強い。肉眼で見えなければ、承知しないのだ。

 一方物理学では、量子力学が「見えない心」を解明する糸口を掴み始めた。これまで「非科学的」と云って憚
(はばか)らなかった未科学の分野に、真相に迫るメスが下されたのである。
 今こそ、未科学のものを侮蔑を込めて“オカルト”の見下すのではなく、真摯にこれらの宇宙現象を解明する姿こそが大事ではないかと思うのである。



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