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断食行法記 6

東洋的な思想の中には、自然と共に在(あ)るという、優れた智慧(ちえ)があり、この智慧が日本人の生活の中で、これまで正しく機能していたのですが、昨今は欧米化の波に押され、古来より連綿と続いた日本人の智慧は忘れ去られようとしている。

 喩
(たと)えば、蛋白質が不足気味の日本の食生活では、大豆からなる豆腐類を沢山摂取し、更には近海の魚介衣類を食べる事によって栄養価のバランスを保って来た。
 これは自然を破壊することなく、また動物の命を奪うことなく、人間の性
(さが)より遠い命を頂くことによって、自然と共存していく思想から生まれたものであった。

 ところが今日は、こうした思想が失われ、自己を中心に、「自分だけが」という欧米流の処世術が蔓延
(はびこ)り、これが総べて日本的なものを圧してしまった。
 ここに、現代の元凶があると言えよう。


◇第三十二日目(4月25日)
 午前七時、何処でどうなったか分からぬまま何処かの家の、何処かの部屋で起床。夕べの、ある時刻から記憶が完全にスッポリと飛んでしまっている。
 目を覚まして、天井を見る。見覚えのない何処かの家の天井である。見知らぬ柄の、蒲団の中に寝かされている。誰によって此処まで運ばれ、こうなったのか、全く記憶にない。頭を左右に振ってみる。左右の壁、窓側のカーテン。それらには全く見覚えがなかった。

 内心、偉い事になったと思った。何処かの家に、夜中、上がり込んで寝てしまったのだろうか。弟子の家で、二次会をして、馬鹿呑みで起勢を上げたところまでは憶
(おぼ)えている。しかしその後の記憶がない。どうした事か。
 また、昨夜の弟子宅の室内の雰囲気とも違っている。此処は何処なのか?
 「これは本当に偉いことになった!」というのが、私の正直な感想であった。
 今から数年程前になるが、何処の飲み屋で馬鹿酔いして、訳が分からぬまま誰かの家に連れ込まれ、そこで目を覚まし、気付いた時には、そこが某ヤクザ宅のマンションであったというのを経験した事があった。
 朝起きて、気付いた時には、ダブルベットの真ん中に、デーンと寝かされていた。背広は脱がされ、シャツもネクタイもきちんとハンガーに掛けられていた。下着一枚だった。昨夜から今朝にかけて、何があったか全く覚えていないのである。此処が何処か、全く分からずに居た。

 尿意を覚えたので便所に行こうとした。ズボンにワイシャツで部屋を出た。部屋のドアを開けてリビングを見回せば、見知らぬ、その筋の人と分かる、お兄さん方二人が豪華な皮張りのソファーに、デーンと腰を据えていた。
 目と目が合って、一瞬息が詰まりそうになる。彼等は何ものだろう。
 その横のキッチンでは、見知らぬ女性が忙しく朝食の準備をして、テーブルの上に、次々に料理を並べていた。
 「あの……」と声をかけると、女性が振り向き、「お目醒めになりましたか」と声をかけ、「おトイレは、その突き当たりです」と返事を返した。
 一体全体、私にはどうなっているのか全く分からない。ただハッキリ言える事は、このマンションが、その筋の家である事には間違いなかった。トイレに入って、昨夜から自宅を出て、今朝迄のことを反芻
(はんすう)してみる。確かに、昨夜はクラブから何処かの飲み屋に入り、そこで誰かと呑み、意気投合した迄のことは憶(おぼ)えていた。それから先の記憶が、スッポリと抜けているのであった。困った事になった。

 一瞬、変な想像が生まれた。
 今、台所で忙しく食事の仕度をしていた女性は、誰なのだろうかと思った。あるいは寝たのだろうか等と、愚にも付かぬ想像してみた。
 または、これから部屋で監禁されて、リンチでも受け、その挙げ句、内臓売買の摘出手術でも受けるのであろうか。どっちにしても偉い事なのである。うーッという頭を抱えるような錯乱が起こる。

 便所から出て、背広の置いてあった部屋に戻ろうとした時、私より年輩の五十柄身の小太りの男性が出て来た。一目でその筋と分かる。
 「お目醒めでしたか。これは失敬、失敬」と笑いながら、食卓のテーブルの方の私を薦める。何が何だか、分からぬまま、一先ず調子を合わせないと恰好が取れないので、私はこの男性に調子を合わせる事にした。薦められるままに、テーブルに着き、この男性を差し向いで箸を取った。
 「遠慮せずに、さあどうぞ」この男性は薦めてくれた。
 それに調子を合わせるように、「はァ」と返事して、味噌汁の椀を取った。
 朝っぱらから、豪華な食事である。何処から箸を付けていいのか迷う程だ。

 「ところで、昨晩は愉快でしたなァ」
 その男性は言う。

 (何が?……)と訊き返したかったが、それは言葉にならず、「はァ」という以外なかった。
 男性は愉快そうに、豪快に笑う。
 しかし、この男性に見覚えがあるような、ないような、そんな曖昧な記憶で、この男性の相槌
(あいつち)を打つ。一体この男性と何か喋ったのだろうか。それとも、これ等は総て芝居で、私を何かで嵌(は)めようとしているのだろうか。その真意が全く検討がつかなかった。
 そんな穿鑿
(せんさく)をしている時、もう一人、玄関のドアから入って来た男が居た。リビングに居た二人の若い衆が直立不動でソファーを立った。「オス!」大きな返事をする。

 そして玄関から勢いよく入って来た男性を見て、「あッ!」と思った。某建設会社の普段から今懇意にしていた社長であった。私に食事を薦めた五十年輩の男性も、この社長の傘下の組織員らしく、言葉も敬語で社長に接していた。これで事情が飲み込めたのである。
 昨晩、この社長と、その連れの者とでクラブに行ったのだった。そこでクラスを重ね、此処を出て、次に何処かを二、三軒梯子し、へべれけになった事まで何とか思い出したのであった。そして、その後の記憶がスッポリと抜けていたが、社長の顔を見た途端に、これまでの不信の謎が解けたのであった。

 かつて、こうした経験があったので、そのときは非常に緊張し、困惑し、生きた心地もしなかったのである。果たして今朝は?……という気持ちで、昨日から今日迄のことを考えていたのである。あの時と同じか、それ以上に記憶が抜けていて、何も思い出せなかった。
 今回は、本当にその筋の人の家に連れ込まれて、寝込んでしまったのだろうか。一種の恐怖に似た不安が脳裏を過
(よぎ)っていた。
 もう、今度こそ酒は止めねばという猛反省の念が起る。記憶が抜けてしまうような呑み方ではいけないのだ。「酒品を保たねば」と自責の念が趨
(はし)る。
 だが、こうした反省も一時的な悔悟も、謎が解ければ旧
(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻るのだった。それは、玄関から弟子の一人が、大きな声で「お早よう御座います」と声を掛けたからだ。そして、私はその声と同時に、ああそうだったのか、という安堵の気持ちが蘇ったのであった。
 それにしても、記憶が飛ぶような呑み方はしてはならないと言うのが、今日一日の反省の課題になりそうであった。

 午後一時より、新宿スポーツセンターで講習会の指導をする。講習会終了後、参加者全員で一回の喫茶室に集まり講話を交えて世間話をする。
 午後六時、新幹線で京都に戻る。この日も運良くグリーン車の禁煙席がとれた。

 帰りの新幹線の中で、神田神保町で買った古典の貝原益軒
かいばら‐えっけん/江戸前期の儒学者・教育家・本草学者。筑前福岡藩士。松永尺五・木下順庵・山崎闇斎を師とし、朱子学を奉じた。1630〜1714)の『養生訓』(注釈付き)の本を読む。この本は、養生の法を和漢の事跡を引用して通俗的に述べた書である。
 これによると、「養生の術は、つとむべき事をよくつとめて、身をうごかし、気をめぐらすをよしとす。つとむべき事をつとめずして、臥す事をこのみ、身をやすめ、おこたりて動かさざるは、甚だ養生に害あり。久しく安坐し、身をうごかさざれば、元気めぐらず、食気とどこほりて、病おこる。ことにふす事をこのみ、ねぶり多きをいむ。食後には必ず数百歩、歩行して、気をめぐらし、食を消すべし。ねぶりふすべからず」とある。

 生命を養い、健康の増進を図る中心課題が書かれているのである。
 また摂生の仕方も指南しているのである。これを読みながら考えさせられる事があった。
 それは、人間の躰
(かだら)の中には、元々自分で病気を治す装置がついていると言う事であった。病気は摂生すれば次第に健康へ向かうと言う事実である。また、この摂生を通じて、規則正しく減食し、本断食を行って、再び減食しつつ、その後、粗食少食に徹すれば、どんな貧弱の持ち主でも、また食べ過ぎの食い倒れでも、中庸(ちゅうよう)の体躯(たいく)を取り戻し、健康体に戻れると言う事であった。
 確かに、人間の躰の中には名医が居る。自分専用の名医だ。養生訓に準じて摂生を重ね、精進に努めれば、これまで中々治らなかった病気も、断食の意志力と堅固な克己心で克服出来るのである。正しい、無理のない断食を行えば、種々の難病・奇病は克服出来るのである。

 断食の利点を挙げれば、まず体躯が中庸を維持すつという事である。中肉中背になり、肌の色艶が良くなり、皺がとれ、年齢も見た目より十歳程若くなるのである。また、脱け毛も止まり、抜け落ちてしまった頭髪の復活すらあり得るのである。
 断食によって完治した後は、再発しないように心掛け、その後は玄米穀物を中心にした菜食に徹した食餌法
(しょくじ‐ほう)を行えば、養生訓の通りの理想的な健康法が成就出来るのである。
 また食物の陰陽を正しく学んで、陰陽
(いんよう)(いず)れかに偏らない食餌法を徹底すれば、決して健康を損なう事はないのである。夏場は生野菜サラダ等を摂取してもよいが、冬場はこうしたものは禁物であり、煮野菜を中心にした副食を摂らなければならない。四季の季節感のあるものを旬ごとに食し、人間も同じように大自然と同じ四季の生き順をしなければならないのである。人間は大自然の中の一生物に過ぎないからだ。
 そしてその中心は、自然食中心の食餌法である。

 必ずしも、人間は食肉や乳製品は摂る必要はないのである。肉料理等の動蛋白を摂取して、更には鯛やハマチやヒラメなどの美味なる高級魚を追い掛ける必要はない。こうした物ばかりを追いかけていると、体質は病変に弱い体質となり、体液も酸性化に傾く。更に老後は、痴呆症や三大成人病が大きな口を開けて、その罠
(わな)に掛かる人間を待ち構えている。
 同じ死を迎えるにしても、自然死と横死では天地の開きがある。グルメ指向では、中々自然死は難しい。美食家達は、本当の生き方を知らず、したがって、本当の死に方すら知らないのである。生命欲は、栄養を付ける事で増幅出来ると信じている。

 此処で少し、自然死の定義を展開すれば、自然死は潮の干満に準じて、静かに死んで行く死に方である。
 これまで月は、潮汐
(ちょうせき)を通して、古来より人間の生死に関わってきた。
 潮汐の意味は、「潮」を「あさしお」、「汐」を「ゆうしお」と云う事からである。則
(すなわ)ち、海水の満ち引きは、月および太陽の引力によって起る海面の周期的昇降、則ち、しおの干満を云い。そしてこの干満は、人間の死に関わっている可能性が非常に大きいと考えられる。

 古来より、「潮が引くとき、人が死ぬ」と言い伝えられて来た。しかしこの真偽を確かめた科学者は医学者は殆どいない。何故ならば、現代人の特長としてその多くが、病院で生まれ、病院で死ぬという人生経験しか知らないからである。
 これは別の角度から見れば、現代という時代を生きる人間にとって、人間の死の多くは、「自然死」とは程遠い、一等も、二等も退化した死に方をしていると言うのが、現代人の偽わざる姿であろう。

 単刀直入に云えば、現代人は古代人より退化した、生と死を繰り返していると言う事が言えるのではないだろうか。
 更に厳しくこの事実を追求すれば、現代人の多くに、その死が、殆ど自然死ではなく、事故死であり、その殆どは「横死」に近い死に方といえるのではないかということだ。
 自然死は、ふつう一日二回の潮の干満に合わせて死んで行く人の死であり、月と太陽の働きと無縁ではないように思う。
 特に、月は死と不死を司る神として観念され、満潮から次の満潮までに要する時間
(周期)は約半日で、これに関わっているのは、紛れもなく月である。したがって古人は、人間は潮が引くとき、死ぬのだと云う概念を発見した。
 一日の干満の差
(潮差)は、月齢によってほぼ半月周期で変化し、朔望(さくぼう)の頃、最大(大潮)、上下弦の頃、最小(小潮)とで潮差が起り、月のサイクルと人の生死が順応しているのである。
 この事実から考えれば、私たち現代人は、太古の人類や、「人の死」と「潮汐」を関連づけて来た古代人より大きく退化した人類
(人類擬きの亜人類かも知れない)であると云う事が言える。

 「如何に生きていくか」と言う事は、「如何に死ぬか」と言う事である。本当の生き方を知る為には、本当の死に方を知っていなければならない。
 心に平静を保ち、丹田を意識出来る術を身に付けていなければならない。その術は、丹田に陽気を発生さる術である。丹田に陽気が発生すれば、その付近は快い熱で覆われる。これこそが、腹部に気が集まり、陽気が発生している証拠である。
 しかし昨今は、こうした技術を真摯に学びに来る御仁
(ごじん)はめっきりと少なくなった。人生の目標が「人より多く金を稼ぐこと」に変わってしまった為に、こうした無形のものは余り見向きもされなくなった。

 現代人の人生の目的は金儲けである。人が齷齪
(あくせく)働く理由は、人より多くの金を得る為である。働き盛りの今を一生懸命に働くのは、結局、老後の暮らしを考え、老後の生活で楽をしたい為である。少なくとも、多くの人間は、このような人生設計を立てている。
 そして人生は、一生懸命に働く事で、「より多くの金を掴む事だ」と言うのが、現代人の偽らざる人生の目標の到達点ではなかろうか。
 ところが一生懸命に働いて、より多くの金を掴む事が出来なかったらどうなるか。その人の人生の目標だった「金儲け人生」は失敗した事になる。
 そして、金への不安、物への不信が生じはじめる。
 多くの人は、金を頼りに生き、金を頼りに働いている。結局、「金の為に働く」と言う事を余儀無くされ、それが当たり前であり、「人生は金儲け」という図式が自然に出来上がっているのである。

 では何故、金銭欲を露
(あらわ)にするのか。
 それは「金さえあれば、幸福になれる」と信じているからである。金さえ出せば、「買えないものは何一つない」と信じているからだ。
 事実、大金を得て、富者になる生活を夢見ている人は、決して少なくない。
 大金を得る事が「人生の目的」と信じて疑わない人も大勢いよう。もし、こうした考えの人が、一生懸命に働いて、金持ちになれなかったら、その人の一生は無意味であったと言えよう。そして私は、自分自身に振り返り、以上の言葉を当て嵌めてみる。
 しかし、その答は過ぎには出て来ないようである。

 車窓の外の灯りを見ながら、こうした事を考えていたら、午後八時京都に到着した。此処から在来の東海道線に乗り換え、瀬田駅へ。所要時間約17分。瀬田駅から自宅まで徒歩15分。
 何事もなく無事帰宅。午後十一時就寝。



◇第三十三日目(4月26日)
 午前四時起床。これまでの生活に戻る。道場で一人稽古を行う事一時間。帰宅後体重測定。73.5kgであった。習志野と東京で、少々大食漢に走ったようだ。粗食小食に徹しなければと反省をする。また、食べ物に翻弄
(ほんろう)される、自分の意志の弱さを反省する。
 しかし、人間と言うものは、本来は、こうまでに食べ物に対して、浅ましい生き物なのである。

炒子と、炒子をミキサーか擂鉢で粉末にしたもの。出来るだけ、上質の、油の廻ってない上質の食材がよい。炒子は、小さな雑魚(ざこ)を炒(い)って干したもの。古くなると、油が廻って、酸化が起り、酸っぱ味が出て、味が苦(にが)くなるばかりでなく、摂取自体が人体に有害となる。

 炒子
いりこ/小さな雑魚ざこを炒って干したもの)の出し汁を湯呑み茶碗に一杯と、玄米粥を普通の茶碗に一杯。更に梅干一個。
 炒子の出し汁とは、ダシを取る為の煮干しの小魚のことであり、これを擂鉢
(すりばち)でよくすり潰し、その粉末になったものを湯呑み茶碗に入れ、上からお湯を注ぎ、掻き回した後に飲むものである。小魚の粉末を汁を飲むことによって、カルシウムの補給ができるのである。
 但し、酸化の少ない、また油の廻っていないものを選んで食しなければならない。酸化して、油の廻った物を食べると、発ガンする懼
(おそ)れがあるからだ。

 断食明けの補食は、断食後の食生活に総て安全を考える為に、穀類が中心となり、カルシウムなどのアルカリ性金属塩が不足して、骨格を構成する細胞間物質を脆
(もろ)くする場合がある。これはカルシウム不足が原因であり、これが不足すると骨髓結合組織を弱化させ、血液の浄化に支障が出て来るのである。血液の浄化に支障が起きれば高血圧の障害などが起って来る。

体重測定の結果73.3kgであった。
 しかし、この線が中々切れなかった。本来なら70kg以下になっていなければならないのである。

 この日、久しぶりに知り合いの薬局に行って血圧を計ってもらう。140になっていた。断食の効用で高血圧は治っていたようだ。それでも決して、まだ正常とは言えない。だが、以前に比べれば、相当に下がっているのである。
 世間で高血圧に苦悩する人は、食事制限
(特に食べ過ぎを抑え、魚介類を食べ、減塩と動蛋白を抑える食事)をしたり、減塩を一日7g以下に抑えたりして並々ならぬ努力をしている。それでも血圧はいっこうに下がる気配を見せない場合が多い。健康な人の塩分摂取量は一日に10gといわれちるが、逆に10g前後の塩分を摂取しなければ、肉体的には疲れると言う事であり、精神的にも気力が薄れ、集中力が散漫になると言う事を現している。

 人体に中には塩分が含まれており、塩分の中にはナトリウム物質が含まれる。そこでカルシウムやカリウムを適度に摂取すれば、ナトリウムと融和して、塩分過多を防止する事が出来るのである。
 カルシウム分は小魚類に多く含まれ、カリウムは野菜や果物の中に含まれている。高血圧は食事制限や肉食中心の食生活をしている間は中々改善されるものではないが、断食を二週間もすれば意外に早く恢復
(かいふく)に向かうものである。

 例えば、血圧が私のように、断食前には、死ぬ寸前の250くらいあった人が、二週間程度の断食でほぼ正常に近い状態になるのである。断食をすれば、一時的ではあるにしろ、血圧は正常値へと戻る。
 高血圧で危険とされるのは、高血圧に伴う動脈硬化と言う血管の老化現象であり、脳溢血
のういっけつ/脳出血といわれ、脳の血管が破綻して出血し、脳組織の圧迫・破壊を来す疾患で治っても、半身不随等の後遺症が残る場合が多い)を起こし得る危険な状態が合併症として絡んで居る事である。

 脳溢血は、高血圧に伴う動脈硬化によるものが最も多いのである。症状は発作的に起り、頭痛・意識消失・悪心・嘔吐・痙攣
(けいれん)などを来し、出血部位により、種々の神経症状を呈する病気である。予後は出血の部位や、出血部の大きさにより異なるが、しばしば半身不随などの後遺症を残す病気である。
 また、これが急激な血液循環障害を起こすのである。この脳の急激な障害を、脳卒中という。
 最も恐ろしいのは、急に意識を失って倒れ、手足の随意運動は不能となる事だ。脳出血による事が最も多いが、脳塞栓・脳膜出血などでも似た症状が起るのである。そして九死に一生を取り留め、例え、命は確保しても、その後の後遺症は実に悲惨なものである。
 こうした状態に至った後に、悔やんでも遅いのである。普段から暴飲暴食を慎み、夜の喧騒に魅せられて飲み歩く不摂生を止め、粗食小食に徹し、規則正しい日常生活を送れば、その一生は長寿と歓喜に満たされた人生になるのである。

 断食をして血圧が下がる分けは、宿便や黒便が排泄され、余分な脂肪や蛋白が燃焼されるからである。それに加えて、血液とリンパ液が浄化され、動脈硬化と動静脈の複合管
(動脈の毛細血管から静脈の毛細血管に枝別れする箇所)部分を正常にする働きがあるからである。リンパや血液の流れを外部から促進することでグロミュー(この言葉の概念は、「低気圧が接近すると具合が悪くなる、特に台風なんかの時は酷い」とか「梅雨になると傷がシクシク痛む」などの気圧や天候に関係する不調と関連があり、これを浄血により血液を最適化する)を活性化させるのである。

 閉ざされた毛細血管の回路を開くのである。普通毛細血管は200本程と言われているが、浄血と言う血液の最適化によって、これを1000本近くにまで開発するのである。こうして多くの毛細血管の回路が開けば、「気血の運用」がスムーズになり、呼吸の上下によって発生した生物電流からの「気」を体内の隅々にまで循環させるのである。
 食餌法の中心は、玄米を中心においた穀物菜食である。濃い目の味のグルメに馴れてしまった人は、薄味の玄米粥に物足りなさを感じるであろうが、一度断食をし、空腹トレーニングによって食の有り難さと、旬の食材の現実に気付いた時、今までの食通で通っていた食道楽は、実は自らが、自らの命の蔓の食禄
(しょくろく)を食い潰していたと言う事に気付かされるのである。

大根葉・もやし・ワカメ等を加えた玄米粥

 人間には「食禄」というものがある。食禄は、その人が一生涯で定められた、全食糧の量である。グルメに走れば、どうしてもこれを早く喰い潰す事になる。食いつぶせばそれだけ早く寿命が縮む。短命に終るのだ。

 したがって長寿を全うするのであれば、こうした愚は避けなければならない。
 その為に、食事に慎
(つつし)みが出来、食を乱さないと言う概念が理解できて来る。私は食事の時、玄米の米粒の、ひと粒ひと粒を有り難い気持ちで頂くのである。命を捧げてくれた食べ物に対して、感謝の心を抱くのである。

 玄米食の場合、これに附随させる御数としては、トコロテンなどの海藻類も良く、野菜では菠薐草
(ほうれんそう)や発芽野菜の王者であるモヤシ(「萌やし」の字などが当てられ、豆・麦などの種子を水に浸して発芽・軟白させたもの)、穀類では豆腐や納豆、小魚類では上質の煮干しのすり潰した物やイワシのツミレ、他には蒟蒻、香の物としては梅干などである。そして肉は出来るだけ食べない事にしているのである。
 菜食中心の生活の中から、大地の恵みの有り難さを知るのである。



◇第三十四日目(4月27日)
 午前四時起床。目醒めが実に気持ちいい。道場で小一時間程稽古。槍の一人稽古をする。躰が軽いので腰の切れが良い。体の内側から「躰動
(たいどう)」が起る。躰動は一種の「うねり」であり、この「うねり」が並みを打つような波動を辺りに生じさせるのである。動いていても、今までは膝に負担がかかっていたが、その違和感がない。贅肉が落ちたので、少々の事では息切れがしない。意識して早く動いているのではないが、腰の周りの贅肉がなくなっているので、軽快に動けるし、スピード感も自然と増して、第一動きが滑らかである。
 稽古終了後、30分程静坐をし、精神統一を図る。今までは30分も静坐をすれば、肥っていたので直ぐに足に痺れが来ていたが、体重が落ち、随分静坐も楽になった。立ち上がる際も、直ぐに立ち上がる事が出来る。

 帰宅後体重測定をする。73kgであった。昨日より500g減っている。身長も計ってみる。
 169cmで5mm程伸びていた。体重が減ると言ことは、重力に対しての引っ張る力も減少するので、これまで身長に懸かっていた地球重力の方向に向う垂直力も軽減すると言うことである。
 断食すると、身長が若干伸びる所以である。
 この日の食事は一日二回で、朝は玄米粥にトコロテン。それに梅干一個が付く。昼は玄米粥に菠薐草のお浸し。そして味噌汁一杯。これ以降の食事は摂らない。
 残った時間は仕事に当てる。午後、内弟子志願者が来たので面接する。

 私は、これまでの断食を通じて、間違っていた考えや、暗い固定観念から発する思い込みなどが一掃される爽快感を感じたものである。思考までリフレッシュされたように感じたのである。
 心眼
(しんげん)と言えば、大袈裟であろうが、それが少しずつ向上しているように思えた。また、知らなかったことにないしての学習能力も旺盛になったように思う。何しろ、些か人を鑑(み)る眼力が出来た。そして指導者としての心得も、基礎が出来上がったように思うのである。
 つまり、薄利多売の「誰でもいらっしゃい」から、「これからは厳選して、いいものを売手が吟味する」という教える側の思想が徐々に確立されて来たのである。
 無差別に誰でも彼でも、薄利多売の安売りをしてはならないと言う考え方に改まって行ったのである。
 「安かろう、悪かろう」では、結局「悪かろう」になり、参集した者も、悪かろうの集団になってしまうことに気付いたのである。
 そこで、「安売りはしない」という気持ちが生まれ、胸を張り、毅然として「こちらが選ぶ」と考え方に変化して行ったのである。私に転機が訪れたとすれば、この時からではなかったかと思うのである。それは指導者としての転機だった。

 教育をする。人を指導する。並大抵のことでない。しかし、教える側にも権利がある。教える方を、教える側が選ぶのである。買手が売手を探すのでなく、売手が買手の優劣を検討し、優れた者に対して、売ると言う考え方である。そこで安売りはしないという考え方になる。教える側の自負である。
 そして、人をよく観察すると、現代は育ちの悪さ、親の躾の悪さ、そういうものは克明に顕われる時代である。
 その「悪さ」を発見するときは、特に人間が無防備になる食事のときに顕われる。例えば食べるときに茶碗の持ち方、皿は如何に持ち運ぶのか、そして箸の遣い方。
 食事の姿勢には、その人のこれまでの人生が書き込まれている。親の教育度合いまで克明になる。
 その一つに、茶碗と箸遣いの教育程度である。これを見分ける起点として、食物に対し自分の方から頭ごと持っていくのか、上肢の姿勢は不動にしておいて食物の方を持っていくのか、二種類のタイプがあることを発見したのである。前者は動物的で、後者は人間的である。犬猫、その他の動物が物を食べるとき、食物は動かず、動物の方が頭を持っていって口で食べる。食物は定位置で、まったく動いていない。これが動物的な食べ方である。
 ところが、人間は違う。人間の上肢は動かさす、食物を持ち上げ、食物の方を箸およびフォークなどで口に運ぶ。この違いは大きい。これが人間と動物を隔てる分岐点になる。
 更に何よりも大事なのは、食事をするときの姿勢であり、態度であり、咀嚼時の口の開閉である。これだけで、その者も「お里が知れる」ということになる。
 私は「お里を知る」見識眼が、このときに養われているように思えたのである。



◇第三十五日目(4月28日)
 午前四時起床。道場で一時間程一人稽古を行う。
 再び断食の計画を立てる。本日より少しずつ食事制限をして、数日後に断食を決行する決意を固めた。体重測定を行う。73kgであった。昨日と変わっていない。
 この日の食事は一日に一回のみ。朝は摂らずに、昼の一回のみにする。
 玄米粥を御飯茶椀に半分と梅干一個。
 読書と原稿書きの仕事で、一日のほぼ全部が埋まった。本日は何事もなく、また体調にも変化なし。物に囚われない一日であった。しかし、「物に囚われない」ということは、口で言う程易しいものではない。本来ならば、人間である以上、誰しも煩悩
(ぼんのう)はある。仏道では、煩悩を振り払えと言う。煩悩こそ諸悪の根源であるという。しかし、これを消滅させることは至難の業だ。

 寝しなに、『天台小止観』の物語を読む。
 この物語には、余命をあと三十日と宣告された武将の話が出て来る。
 余命を宣告された武将の名は、戦国期、連戦連勝を重ねていた陳鍼
(ちんしん)という将軍で、或る日、将軍の許(もと)にやって来た旅の老僧から、「あなたの命は、あと三十日です」と言い渡される。将軍・陳鍼は「打開策はあるか」と聴く。老僧は一冊の教典を取り出して、これを示す。「これを読み、そこに書かれて居た事を、実行すれば、あなたの命は救われよう」と云い遺して去って行く。
 陳鍼は、これを読むことを決意する。そして、今まで自分が戦場での戦いに明け暮れた日々は何であったか、反芻
(はんすう)する。
 陳鍼は、自分の屋敷の中庭に出てみた。ふと、空を見上げる。そして、天に瞬
(またたく星を見詰めた。自分自身を反省してみる。これまでの色々なことが思い返される。
 陳鍼は思うのだった。「これまで、戦いに明け暮れて来たが、自分の心の底には、あわよくば、“陳国”の皇帝になろうとしたのではなかったか」という、野望が潜んでいることを思い出した。

 では、自分は何の為に皇帝になろうとしているのか、それを反芻してみたのである。自分の心の中には、「もし、自分が皇帝になったら、戦争を止めさせ、再び戦争のない世の中を作り、万民が平和に、安楽に暮らせるような世の中を作りたい」という大理想はあった。しかし、それだけだろうか、と思う。本心は、どうもそうではなさそうだ。それは、あくまでタテマエに過ぎないと思う。
 自分が皇帝の座に就
(つ)きたいのは、権力者になって意の儘(まま)に人を操りたいからではなかったか、という自分の本心を顧みるのである。立派な身装りをして、取り巻に傅(かしず)かれ、後宮(こうきゅう)に多くの美女の女官を侍(はべ)らせ、贅沢な食べ物を毎日満喫し、酒池肉林の享楽を貪ろうとしたのではなかったか。
 そういう自分の心の底に潜む、一つ一つの野望を思い返し、結局、突き詰めると、その殆どが、耳や眼や鼻や舌や肌を、一時的に楽しませる享楽であったことに気付くのである。そして、皇帝でなければ得られない幸福とは、何だろうと考えた。考えれば考える程、何も存在していないことに気付いた。それよりも、皇帝なるが故に、多くの心配事や悩みの種は、より増えるのではないか。そこまで、突き詰めてみたのである。

 「皇帝や国王、大臣や将軍、権力者や大富豪、あるいは金にものを言わせて号令を発する人種は何だろう」と思ってみた。結局、「空威張りし、夜郎自大
(やろうじだい)に成り下がる輩(やから)ではないか」と思うのだった。こう思うと、齷齪(あくせく)して出世を窺(うかが)う人種が、馬鹿のように思えて来た。
 今まで戦勝で手柄を立て、連勝連敗して褒
(ほ)められて来た事は、結局、馬鹿から褒められていたのではないかと思うようになった。自分は「馬鹿になりたい一身で、身を粉(こな)にし、多くの戦を闘って来たのだ」と思うようになった。

 命賭けで戦い、残酷にも多くに人間を殺傷して来た。「おれは、何と言うバカな人間だったのか」と嘆くのだった。
 結局、「馬鹿が多いから戦が起るのだ。その上、手柄を立てt、必要以上に官能を満足させようと企てたことは、詰まるところ、贅沢な料理を漁り、豪邸に住み、けばけばしい高級な装飾品を身に付けたい為に奔走したことではなかったか」という反芻とともに、何も人の役にも立たないものを持ちたいが為に、齷齪
(あくせく)していたのだと気付いたのだった。

 人は、理想を掲げることは大事なことであるが、理想を成就させる為には、一種の無償の奉仕者でなければならない。この奉仕者が、野望を掲げるから、官能が麻痺し、結果的に酒池肉林の贅に溺
(おぼ)れてしまうのではないか。……しかも、世の中の多くの馬鹿が、それを見て羨ましがり、「自分もそうでありたい」と、誰もが思うようになった。こうやって、人間の世の中は、日増しに棲(す)み難くなるのだという現実に気付いたのだった。
 そして、陳鍼は思う。果たして自分が欲しいと思ったもの、手に入れたいと思ったもの、大切だと思ったものを一つ一つ思い返してみた。「欲しい」「手に入れたい」「大切なもの」を果たして自分は、「見たのか?」「聞いたのか?」「匂いを嗅いだのか?」「味わったのか?」「触ったのか?」と分析してみたのである。
 その結果、陳鍼はこの世の中で、「是非欲しい」「なければならない」という物など、殆ど無い事に気付き、自分でも驚いたのである。今まで「欲しい」「手に入れたい」と思っていたものは、どれもこれも幻
(まぼろし)であり、遠くの空に消え去って行く虹のようなものであると思った。永遠のものなど、何一つ無い事が分かった。結局自分の抱いた野望も、所詮(しょせん)この程度だったのか、と反省するのであった。

 床の中で、此処まで読み進んだところで、いつの間にか眠ってしまっていた。



◇第三十六日目(4月29日)
 午前四時起床。道場で一時間程一人稽古。帰宅後、体重測定。72.6kgであった。
 食事は一日に一回になったためか、体重が減り始めた。
 朝食を抜くと体温が上がらないので、朝風呂に入る。温めのお湯で、一時間程浸かる。

 食事は昼食の一回のみ。玄米粥を御飯茶椀に半分。トコロテン少々。咽喉
(のど)の乾きはなかったが、ミネラルウォーターをコップ一杯。
 原稿書きと、読書三昧で今日一日が終る。体調に変化なし。但し、夜になると目が冴えて来て中々眠る事が出来なかった。仕方なく読書をして、読書する事を睡眠薬代わりにする。
 読書は、昨日の続きの『天台小止観』の物語だった。
 この物語の中には「してはいけないことをして、しなければならないことをしない」という指摘箇所があった。多くの人間は、しなければならならないことをせず、してはいけないことばかりをしていると指摘していた。してはいけないことは、クヨクヨするなと言うことであった。

 一方、しなければならないことは、いつも笑顔で、ニコニコすることだった。
 何人の人間は毎日笑顔でニコニコ暮らしているのかと言う指摘があった。笑顔を絶やさず、ニコニコすれば、誰もが幸せになれるのに、クヨクヨするから不幸が訪れるのだと指摘していた。
 また、どんな過ちも、心の中で同じ事は二度としまいと誓えばそれで良い事であって、それ以降、クヨクヨすることはないのだと言う。済んでしまったことは綺麗
(きれい)に忘れて、その先は、新たな決心で、微笑まなければならないのに、それから後も、いつまでもクヨクヨし、後悔ばかりをしている。これでは、何の進歩もないではないかと言うのだる。
 そして、クヨクヨする二種類の馬鹿を挙げ、一つの馬鹿は、自分のすべきことをせずに後回しにしておいて、後になってクヨクヨしている人間である。もう一つの馬鹿は、後になって自分のしたことが過ちであると気付いても、唯
(ただ)クヨクヨするばかりで、本当に改心する気持ちがなく、何度も何度も同じ事を繰り返している人間の事を挙げている。
 そして、この根源こそ、心がしっかりしていないので、何故、心が不安定である過疎の故障箇所を早く探し出し、改めるべきであるとしていた。

 一時間程して睡魔が襲って来たので、それから数時間程眠ったであろうか。


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