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断食行法記 4

『菜根譚』には、「ほどほど」と言うことが書かれている。
 食事は、腹六部で、「ほどほど」がいいのである。
 そして「菜根」とは野菜のことを言う。旬の野菜の蔬菜
(そさい)の味を教えている。


◇第二十五日目(4月18日)
 例の如く午前四時起床。目醒(めざ)めはいつも早い。日々が折り目正しく運ばれている為か、不摂生が入り込む余地がない。ただ、困った事は、体力か低下している為か、時々見舞われる立ち眩(くら)みと、躰が浮き上がってしまったような、ふわふわとした感覚から中々脱し切れないでいた。
 浮いた感じは、鈍重と言うわけではないが、何か、スローモーションのような動きになって、意識と実際の速度が異なっているような感覚が付き纏
(まと)うのである。

帰宅後体重測定をすると、73.5kgだった。この時点で30kg以上(小学3、4年生の体重に匹敵)、体重が減り、無駄な贅肉(ぜいにく)が落ちた。漸(ようや)く重荷を降ろしたという感じだった。
 帰宅後、体重測定。73.5kgになっていた。
 久しぶりに朝風呂に入る。髪の毛を洗う。以前は洗髪すると、随分と脱け毛が多かった。しかし近頃は、寝床の枕カバーを見ても、脱け毛が一本もなくなっていた。洗髪し、ブラシを入れても、脱け毛がないのでる。毛根の定着がしっかりとして来たのだ。
 かつてはグルメを気取り、美食に明け暮れていた。腹一杯食べて、その後も、どれだけ多くの美食を食べられるかが私のグルメ通としての課題であった。
 したがって大食漢となる。無態な体型で、脂分の摂り過ぎで、その為か、脱け毛も多かった。
 更に私の家系は、「ハゲの家系」であり、父親は、私の歳には禿
(はげ)ていた。こうしたハゲの家系は、私自身も禿げる運命になるのである。その兆候は、既に後頭部に顕われていた。しかし今回の断食のお陰で、徐々に恢復(かいふく)の兆しがあるのである。

 宇宙現象に一つとして、「酸化と還元」がある。物体が古くなり生命力が失われば「酸化」と言う現象が起る。この、酸化と言うのは生命の腐敗化であり、老化であり、あるいは破壊である。
 地球上の全ての物はその周りに電子を帯びていて、腐敗が始まると、以前はその物質の周りに盛んに飛び廻っていた電子が、酸化が進に連れ、電子の密度は低下し、やがて一つ残らず電子を失ってしまうのである。

 これは人間も動物も、その他の物質も同じであり、万物は酸化とともに電子を失い、破壊されていくのである。そして建物でも、道路でも同じ事が言えるのである。
 世の中には、誰が遣っても旨く行かないと言う店がある。入れ代わり立ち代わり、その店の主人が代わるのであるが、誰が、どのような商売を遣っても旨く行かないと言う場所がある。
 あるいは病人や死人がよく出ると言う家がある。そこに棲
(す)むと、必ず病気になったり、最悪の場合は死人が出ると言う家がある。世の中には、至る処に「縁起が悪いと言う箇所」があるものである。
 「あの店は誰が遣っても旨く行かない」とか、「あの家は、よく病人や死人が出る」などの処がある。
 これは単なる迷信や縁起の一種と単純に片付けてしまうには、余りにも短見である。

 交通事故にしても同じである。世の中には、交通事故多発地帯なる場所がある。交通事故発生率が非常に多い場所である。交通事故は、同じ場所で起る場合が多い。それは見通しが悪いとか、子供の飛び出しが多いとか、T字路の突き当たりと言うだけではなく、こうした悪条件以外の場所で、交通事故は頻繁に起っている。
 では何故、同じ場所で事故が多発するのであろうか。あるいは、これは霊的な因縁であろうか。しかし、こうした事で片付けられないことがある。
 それは物理的に見れば、酸化が進んだ状態であるという事である。
 生命の活性化が失われた状態であり、これを改善する為には、まず生命を躍動
(やくどう)させるそれ相当の電子が必要であり、還元作用を促して遣れば良いのである。
 交通事故の多発する道路の箇所には、穴を掘り還元の為に木炭を埋めてやればよく、炭素を加える事で還元が行われるのである。これにより失われたものに生命力が蘇るのである。

 私は以前、「八門遁甲
(はちもん‐とんこう)」を学んで『医』(躰を動かす呼吸療法)と『山』(地理や地形の方術)の術の中に、ある方角を炭素で蘇生(そせい)させる方法があるのに気付いていた。この方法は、腐敗した土地の磁場のエネルギーを高める作用を利用したものである。活性炭の作用を利用して還元を行う術である。
 これによって失われたエネルギーが蘇り、生命力が活性化するのである。電子の働きが活発になり、活動に躍動を増すのである。

 私はこの術をヒントに、手製の木炭枕を作り、いまでもこれを使用している。短時間で熟睡出来、頭がスッキリするのである。これをこの時、木炭枕と共にこうした睡眠法を短眠術と名付けた。
 木炭枕を用いると、断食と併用して、頭髪も活性化される為か、脱け毛も減少して来るのである。これは壊れた箇所を治すと当時に、新たな生命力を得て、活性化された身体の組織を、約十年ぐらいの単位で若返りさせているのである。これこそが、断食の効用であった。
 断食は、体内の赤血球の働きを活発に躍動させる。
 特に、断食14日くらい目から、その働きや最高頂に達し、白血球の数も増すのである。破損箇所を急激に修復するのである。したがって断食は、決して身体に必要な血液や筋肉、神経や骨質などを消耗させて、それを栄養素として食の断たれた肉体を賄
(まかな)うものではない。

 余分な贅肉や脂肪を取り去り、病素や病毒を排泄して、不必要な老廃物を取り去るのである。
 一般に断食をすると「痩せる」と信じられている。確かに痩せるが、それは肉体に必要な栄養素を使い果たして痩せて行くのではない。腐敗物質を積極的に取り去り、それで一日約500gの割合で体重が減少するのである。
 また、不要になった細胞は死滅し、排泄される。この為に「痩せる」という現象が起る。贅肉が落ちるのである。併せて、これまで貯め込んだゴミも落ちる。病気も一緒に落ちる。
 一種の「みそぎ」であり、また古くなった細胞を一旦取り除き、新しいものと交換するのである。新しくなれば若返り、壊れた箇所は再生される。新陳代謝が活溌になるのである。これは細胞の代謝機能が健全に戻ったからである。
 例えば、異常になったガン細胞でも、断食中は進行癌のガン発育が止まるか、遲くなる。これはガン細胞に栄養素が行かなくなるというばかりではなく、これにより変質したガン細胞が可逆化し、元に戻ろうとする働きをしていると「腸造血説」では説明がなされている。
 また、病変で異常になった細胞は新しく、元の正常細胞に戻ろうとする。これを可逆性というのである。

 現代医学では、細胞は細胞から細胞分裂して新しいものが生まれるとしているが、細胞は細胞で無いものが新しく生まれると言う考え方に立てば、脳細胞や肝細胞等の増殖はたちどころに説明出来るのである。
 つまり、細胞は赤血球が分化したものであると考えるのが、「腸造血説」の根拠になっている千島学説である。

千島学説「赤血球分化説・可逆分化説」とケルブラン「原子転換説」

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 千島学説を研究すると、人間の赤血球はDNAのない無核であるが、その赤血球が、一度、限界を持たない不明瞭な原形質の塊になり、これが血球モネラ
Monera/原核生物界)となるのである。
 次に、その内部にDNAを合成して、各々の部分の細胞に分化するのである。
 細胞が分化した状態は、移動時の「移行像」
(連続した系を区分したとき、相互に共通な要素の多く見られる隣接した像)として顕われる。

 しかしこれは、一見破壊しているかのように見えるため、多くの生物学者や医学者は、その存在を問題にせず、故意に除外してしまうのである。脳や肝臓などの細胞は幼時
(ようじ)から生長するに従い、細胞分裂はしないと現代医学では定義されている。
 しかし細胞分裂による細胞増殖が実際には確認されていないのに、それらの期間の細胞数は、成体では著しく増加しているのである。この事実を明確に説明出来る生物学者や医学者は、現在でも一人も居ず、生物学上の細胞分裂を持ち出して、細胞は細胞から生まれるとしているのである。
 この考え方が、正しいか否か、甚だ疑問であり、もし現代医学が、骨髓造血説の上に立ち、現代の最先端医療を進めているのであれば、そして、実は血液は骨髓で造られるのではなく、腸で造られるという事実を見落として、旧態依然の骨髓造血説の立場から、医療を進めていると言う事になれば、現代医学がとんでもない医療体制の上に、間違った医療を展開している事になる。

 また今日では、医学者の多くが現代医学の考え方で実際の病人と接し、特にガンに対しては自然治癒力は働かないとしている。
 しかし、実際にはガンの切除手術もせず、あるいはコバルト療法や抗癌剤の投与もせず、余命告知が大幅に外れ、十年、二十年と経ても、死なずに生きている人が大勢いる。一種の居直った生き方である。あるいはガンとの共棲か……。
 追い出さず、退治せず、伴に暮らすという考え方である。何故なら、ガン細胞は、かつては自分の正常細胞であったからだ。それが一時期、何かの弾みで非行に奔
(はし)り、ぐれて畸形(きけい)化したと思えば、またこの放蕩息子が、やがて改心して戻って来るのではないか、清浄に戻るのではないかという、子を思う親の気持ちである。
 多種多様の考え方が横行する現代、こういう考え方があってもいいと思うのである。

 一方、医者の言に随
(したが)い、何等かの現代医療の治療を受け、それでいて五年以上生きている人は殆ど居ないというのが実情である。
 ガンは、発病あるいは余命告知があってから、五年単位でその生存者を追跡調査することが行われているが、摘出手術をした人と、自然食療法で治してガンと共存しているのと比較すれば、断然に後者の方が多数なのである。

 また、断食と自然食療法を併用して行い、余命告知から、今なお、生きている人が大勢居ることもまた事実なのである。
 断食すれば「痩せる」という現象が必ず顕われる。それはまず腹部の脂肪が、真っ先に排泄されるからである。同時に、この時、潜在的に潜んでいた隠れた病気が正体を顕わし、やがて数日後、これが排泄作用により、体外に排泄される。体重も減り、そして痩せる。これは肥って居た時よりも更に健康になり、身の動きが素早くなるという種々の利点が生じるのである。
 私もこの事を以前から知りながら、これを実践する機会が中々なかった。しかし、今回は皮膚病に悩まされ、これを克服しようと思い断食を実行した次第であった。

 私がこの病気の激しい表面化に気付いたのは二年前程の事
(この当時のこと)であり、子供の時には、それほど気にならなかったが、三十歳を過ぎ、暴飲暴食を始めた事から徐々に内臓を悪化させたらしい。更には食肉や乳製品の過剰摂取による事が元凶となり、腸壁内に大量の腐敗物質を溜め込んだ事が、潜伏していた病因を表面化させたらしく、それに加えて、生卵アレルギーや蕁麻疹を起こすようになっていた。
 表面化した当時は、皮膚科からステロイド薬などを貰って、痒みや表面症状を抑えていたが、やがて徐々に効かなくなっていた。そして切羽詰まって始めたのが、断食であった。

 二十五日間の断食を通じて、今まで苦しめられていた皮膚病は嘘のように治った。
 多くの皮膚病患者は、自分お病気を治すより、大量の医学書等を読みあさって、また皮膚病の種類も様々に分類される分類事項等を調べ上げ、自分の罹っている種類は、「このタイプだ」などと、医学書上からの病名に詳しいが、こうした事をこまめに調べ上げる暇があったら、早速断食を始めたようが賢明である。
 勿論計画を立て、補食期間を充分にとって、二週間程の断食をする事を御薦めする。

 皮膚病の治癒して行く状態は、二週間の断食であっても、断食期間中に治って行く樣子は見られない。断食終了後の、本断食の三倍の期間をかけた「補食期間中」に見られるのである。
 断食期間での皮膚病の症状は、断食前よりは薄らぐことは確かだが、二週間では、断食期間中に完治する樣子は見られない。
 ただ、補食期間をとったのち、断食を始め、約二週間目頃の、赤血球の活動が盛んになる頃、ジュクジュクした部分が乾き始め、赤味が薄らいで、症状が軽くなって行くが、その後の補食期間に入って、治って行く樣子が見られる。断食日数の、三倍の補食期間を設け、これがほぼ終了して普通食に戻ることには、新しい皮膚になって治ってしまうのである。



◇第二十六日目(4月19日)
 本日は計画の最終日であった。例の如く午前四時起床。道場に行き一人稽古を行う。低血圧の為、頭のふらつきは依然として続いている。兎に角、これまでの朝の日課であった一人稽古を今日は一時間程行う。帰宅後計量。73kgであった。
 最初に計画した二十五日間の断食は、途中で暴飲暴食に走り挫折したが、後半何とか持ち直し、お粗末ながらも、一応の目安として、今日の午後六時をもって終了する予定であった。

 断食自体も、2週間を超えれば中々心身ともに難しくなるが、本当に難しいのは、断食期間中よりも、それを終了し、断食期間の約三倍の日程を掛けて、補食期間を設け、徐々に戻して行く時である。この難しさから考えれば、断食期間の苦痛等、全く問題にならないのである。食事を戻して行く時の補食期間の方が、遥かに何倍も難しいのである。
 衝動的に激しい食欲に襲われ、一気に、通常と変わらない普通食に趨
(はし)り、食事の量が二倍、三倍になってしまうことである。こうした、衝動食いに趨り、場合によっては死亡することもあるのだ。
 私はこの事を充分に知っており、こうした愚だけは冒さないように心掛けていた。しかしこの日は、衝動食い等を起こす食欲も起きなかったし、夕刻になっても、重湯等を摂り、補食する気持ちも起らなかった。したがって、次の日も断食を続けることにしたのである。
 この日、自分でも「ご苦労なこった」と思ったくらいである。果たして、この原動力は何か。
 義務だろうか、強迫観念だろうか。



◇第二十七日目(4月20日)
 午後四時起床。道場に行き一人稽古を行う。貧血の為、眩暈
(めまい)とふらつきに襲われて、極めて歩き辛かった。この日はいつもより、行帰りにかなりの往復時間を要した。
 帰宅後、体重測定。72.0kgであった。コンマ以下不安定。
 この日の午前七時、断食明けの副食である玄米の重湯を湯呑み茶碗半分程頂く。この重湯の中には米粒は入っていない。中火で煮込み、最初に形のあった玄米の米粒は、解けて形をなくし、薄い糊状
(のりじょう)になっているのである。これを頂く。

リンゴの効用。リンゴには、消化促進と成人病予防や、酔い醒ましの効果がある。中央アジア原産、北半球温帯・冷帯の代表的果樹で、日本には明治初期に導入された、以外と新しい果物である。この果物は、未熟なウメやモモの果実中に特に多いリンゴ酸を有し、植物体に広く分布し、トリカルボン酸回路の有機物を含有している。

 昼食は食べずに、夕食のみを摂った。夕食は朝食と同じ重湯と、リンゴを四分の一に下ろし金で摺
(す)り降ろしたもの。私の場合、リンゴの果汁を飲むと胃の痛みが和らぐようだ。これはリンゴに整腸作用のあるペクチンがあり、またリンゴ酸やクエン酸が含有されているからである。
 ペクチンには腸内のコレステロールを排泄する働きがあり、カリウムも豊富なことから、動脈硬化や高血圧等の成人病の予防にも役立つのである。
 リンゴの繊維組織は柔らかく、消化がよく、また摺
(す)り降ろせば、病人食や病後の恢復食としても効果が大きいのである。

 一方、咽喉の渇きを潤し、元気をつけ、あるいは下痢をとめ、または便秘や高血圧や動脈硬化を防ぐ効用があるのである。ビタミンC酸化酵素を含んでいるので、リンゴその儘がよく、別の野菜や果物と一緒にジュースにするのはよくなく、リンゴだけを食するようにした方が良いのである。この事を知らずに、よく野菜・果物ジュースとしてリンゴを混ぜて食する人が居るが、これは御薦めできない。



◇第二十八日目(4月21日)
 午前四時起床。道場に行って一人稽古を行う。昨晩に食べ物を摂取している為か、昨日のような眩暈とふらつきはなくなった。動きも少しはよいようだ。道場への往復も楽になった。
 帰宅後、体重測定をする。72.0kgになっていた。コンマ以下不安定。
 昨日食べ物を食べたにもかかわらず、体重は500g減っていた。
 腹痛を催したので便所に行く。しかし排便はない。便座に坐ったまま暫くすると再び腹痛を催した。そしてドス黒いものがドッと出て来た。その後、何とも言えない爽快感を味あう。これまでの重荷を降ろしたような感じがして、気分がどんどん楽になり、以前にも況
(ま)して躰が軽くなったような気がした。

 午前七時、朝食をする。昨日と同じ湯呑み茶碗半分の重湯。
 重湯を食べる時の注意であるが、吹いて食べるような熱い物は絶対に食べてはならない。温
(ぬる)めの温度にしたものがよい。断食明けに、急に熱い物を摂ると異に大きな負担をかけ、大変危険である。また、餓鬼(がき)のようにガツガツ食べてもならない。胃に負担をかけないように、ゆっくりと、湯呑み茶碗半分といえども一時間くらいかかって食べるのがよい。
 小匙
(こさじ)で半分程を掬(すく)い、少量を舌の上に載せ、重湯をゆっくりと転がすようにしてよく噛み、唾液と混ぜ合わせながら食べるのがよい。兎に角、よく噛み、唾液とよく混ぜ合わせる事だ。そして液状の物でも「噛む事」に徹底する事である。

 八門遁甲の人相術には、次ぎのような箴言
(しんげん)がある。
 「よく噛
(か)む者、豐麗(法令)、食禄(しょくろく)と福禄に恵まれ、無病長寿の相貌(そうぼう)を深め、これ人相の誠によき者なり。これを真の食餌(しょくじ)と称す」とある。
 つまり、よく噛むことに徹すれば、食禄である「知行
(ちぎょう)(扶持米あるいは食俸を指し、現代風にいえば生活資金)と、福禄(ふくろく)である「幸いと封禄(ほうろく)」に恵まれ、無病かつ成就が全う出来、しかも顔の形にも笑みが溢れ、このような食養を心掛けるべきであるという事を言っているのである。

 ちなみに相貌には、相貌的知覚
(心理学上でいう(physiognomic perception)であり、事物も人間と同じ表情をもつ)というものがあり、これは無心の歓喜を顕わす表情であるが、擬似的には太陽が楽しげに笑うというような感じのもので、幼児の知覚によく観察されるものである。幼児が顕わす、穢(けが)れを知らない天真爛漫(てんしん‐らんまん)な表情は、その笑みを見ているだけでも、観る側を和やかにさせる。
 したがって、人の顔の作り出す「笑み」あるいは「歓喜」が、人間の理想とする幸福に大きく関わっている事が明白となる。しかし、人間は物心付き、世俗の垢
(あか)に塗(まみ)れるうちに、こうした笑みや歓喜を忘れ、損得勘定をするようになり、また搾取(さくしゅ)を働いたり、他を抑圧しようと驕(おご)り高ぶっていくのである。
 この意味で、人間の不幸とは、まず容貌に顕われ、その狡猾
(こうかつ)さが行動を通じて不幸を招き寄せているとも言える。あるいは未練へのこだわりや、理財への執着である。こだわればこだわった分だけ、執着すれば執着した分だけ、作用に対して反作用が働くのである。
 こだわりも執着も、その分だけ後で、それ相当の皺寄せが来るのである。
 この現象は、例えば美容整形した結果、晩年がどれだけ醜くなるか、この現実を知れば明白であろう。
 特に若いとき整形美容をして一時的に美と自信を勝ち得たとしても、それは永遠でなく、結局晩年に皺寄せが来るのである。

 『書経』には「はじめあらざること靡
(な)し。克(こ)く終わりあること鮮(すく)なし」とある。
 若いとき、最初は誰でも順調である。それが若さと言うものであり、一時の持続力である。しかし、人間は衰える。そういう生き物である。それを維持したまま、終わりまで持っていくことは難しい。
 これは「晩節を全うすることは難しい」と言っているのである。それゆえ、晩年の後半の人生のあり方が問われるのである。そこで、その人の値打ちが決まる。
 要は晩年において、どう変化しているかである。老いて白髪が顕われたとき、果たして、持ち堪えているだろうか。

人間の歯の形

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 さて、食餌を考えると、人間は歯の形から草食動物であると言う事が分かる。
 進化論等から考えれば、人間は猿から進化したとあるが、これはさておき、人間の歯の構造は紛れもなく草食動物のそれである。また猿人が進化して行く過程の中でも、肉食獣的に偏る事なく、草食動物として発達した事が分かる。

 肉食動物と草食動物を比較すると、前者の歯の働きは、肉を食いちぎったり引き裂いたりする場合のみに歯が遣われ、歯の構造はあまり噛む為に適しているとは言えない。食物を引き裂けば、よく噛んでくん呑みするよりは、噛まずにくん呑みすると言う食べ方であり、後者はよく噛むと言う事が歯の構造からも窺
(うかが)える。
 徹底的に噛み砕き、臼歯
きゅうし/前臼歯(小臼歯)と後臼歯(大臼歯)とに区別され、狭義に後者のみを臼歯という場合も多い。人間では上下とも左右に前臼歯2枚、後臼歯3枚ずつある。有蹄類・長鼻類などの草食類では特によく発達)で食物をすり潰して、よく噛んだ後、食物は自然と咽喉(のど)に墜(お)ちて行く。よく噛むというのが、草食動物の特長である。
 人間も食物をよく噛んで食べる者は、顎の筋肉が発達し、噛む度に快い刺戟を脳に与えている為、脳が発達して思考能力が増大される。これが発達している人は、米噛の筋肉が発達している。人相学では、米噛の発達した人を非常に善い顔相と観
(み)る。また、こうした人は、本当の食べ物の味を知っている人でもある。

 食物を食する時、少なくとも40〜50回は噛みたいものである。
 咀嚼回数が少ないと、人間は危うくなる。その隙に邪悪なものが忍び込む。あとは思いのまま、突き動かされる。特に痩せの大食いの拒食症などは、この最たるものであろう。
 よく噛む人に、胃腸病で悩む人は少なく、海藻類や穀物菜食を実践している人に、三大成人病と言われるガン、高血圧、糖尿病などに罹る人は居ないのである。
 特にガン細胞は、動物性の動蛋白の成分の中では培養出来るが、植物性の成分の中では培養できないからである。
 また長生き出来るのは、肉食をする人より、階層や穀物菜食を中心に摂る人の方であり、非常に元気で、髪の毛の脱毛も少なく、肉食主義者が禿
(はげ)頭であるのに対し、後者の場合は髪の毛も、歳をとっても黒々としている人が多い。
 これは老化という現象を考えても、肉食を中心にしている人の方が早く老化するという事である。
 この日も、昼食は摂らずに、午後六時の夕食だけで、湯呑み茶碗に半分の重湯と、リンゴ四分の一を摺り降ろしたものだけであった。
 夕食後計量すると、72kgと変化がなかった。何か気付かないところで、口の中に何かを詰め込んでいるのか。それを考えても分からない。時間の経過というのは、実に不思議なものである。



◇第二十九日目(4月22日)
 午前四時起床。道場に行き一人稽古を行う。
 午前四時起きを心掛けてから、既に一ヵ月になろうとしている。私が午前四時起きを心掛ける理由は、断食の効用によって、よく熟睡する事ができ、したがって睡眠時間が3、4時間程度で済むからだ。
 一種の「短眠術」を、断食によって自然と身に付けたと言ってよい。
 最初は胃痛や腹痛に悩まされて、熟睡する事が出来なかったのであるが、最近は熟睡する為に寝る時間が少なくて済み、少ない割には、頭が常に冴えているという事だ。
 そして、この午前四時起きを心掛けたのは、世の中広しといえども、午前四時という時間は、丑
(うし)三つ時(およそ今の午前2時から2時半頃)から間がない、「寝込み襲われる時間」でもある。
 敵の陣地に攻撃をかけると来は、古来より、この時間が多く用いられている。人間が非常に深い眠りにつく時間帯なのである。したがって敵の襲撃にも気付かず、不覚をとることが少なくない。

 私は、この非常に眠たい時間に起床して、暗いうちから稽古をしている武術家は、そうざらに居ないであろうという事から、これを実践しているのである。他人の真似できない事をして、他人との差をつけるのも、武術では武略のうちに入る。また、自身にしては、一種の精神修養であり、これを欠かさず毎日繰り返すというところに、その進歩を見る事が出来る。真似するのに、「辛い時間帯」という、これ事態が、他人との距離を一歩も二歩も差をつけるのである。

 俗人は俗人のレベルに居座ってここから離脱しようとしないのは、俗人を遣
(や)る方が楽であるからだ。これは「向上」という見地から見れば、低空飛行である。高級な事より、低俗な事に流され易いというのが、人間の元々の本性である。ために、魂は進化を遂げることができない。いつまでも低きに止まろうとする。そして人生の意味も見失うのである。
 俗人の群れより一歩先んずるには、一念発起
(いちねん‐ほっき)が必要である。発心(ほつしん)して、思いを行動に移さなければならない。その信念の程を自分自身に試すには、辛い時間帯が最適である。「自分とは何ものか」という事を知る為にも、同じ時間に同じ事を毎日繰り返すと言うことは、自分と言うものの正体を確かめる為にも、非常にいい機会となるのである。

 人間は、自分の物というのは、本来何一つない。
 自分の肉体すら自分の物でなく、これは明らかに借り物である。天から賦与
(ふよ)されたものである。
 今まで、自分の物と思っていた自宅も、マイカーも、妻子や、自分の肉体までが、悉
(ことごと)く借り物なのである。こうした総(すべ)ての借り物は、慈しみをもって大事に遣い、大事に接しなければならない。手入れや補修も怠ってはならないのである。これを錯覚し、「自分の物」と私物化した時に大きな不幸がやって来る。それは自分のものと思い込んでいた人の晩年を見れば一目瞭然になる。どういう結末を迎えたか、それは歴然となるのである。

 かの『菜根譚』でも言うではないか。
 その人の価値は晩年に顕われると。
 「芸妓でも晩年に身を固めて貞節な妻になれば、むかしの浮いた暮らしは少しも負い目にならない。
 貞節な妻でも、白髪になって操を破れば、それまでの苦労がすべて水の泡になる。俚諺にも『人の値打ちは後半生できまる』とあるが、まったくその通りである」
 人の人生は、前半になく、後半にありということだろう。始めは巧く行くが、それを終盤まで持続させることは至難の業であり、これを達成出来る人は稀
(まれ)であるということである。私は断食を通じて、そのことの大事を学んでいた。この点に限ってはもっぱら謙虚であったようだ。
 後半こそ、人の真価が顕われる。真理だろう。

 大切に、厳しく、甘えを金繰
(かなぐり)捨てて、自身を厳しく律し、魂を鍛えなければならないのである。その意味で、私の朝四時起きと一人稽古は、自身の試練に大いに役に立っていた。自らを励まし、叱咤する事は、何ものにも負けない堅固な意志を作る。また規則正しく、同じ時間に起き、同じ行動をするという事は、健康を維持し続ける最低条件でもある。

 バブル崩壊以降、昨今は不況と謂れながらも、世は一億中流の指向に止まっていて、そこから動くものは少ない。ブランド指向やブルジョア指向の真っ只中にあって、特にグルメブームは一向に下火になる様相がない。美食を追いかけ、飽食と享楽に現
(うつつ)をぬかしている。
 またアルコールに浸り、ニコチンに冒されている。そして未
(いま)だに、三大成人病から克服できないでいる。ここに現代人の哀れな幻想がある。
 栄養過多と不摂生な日常生活は、自己に深く取り憑いて、やがて健康を蝕みはじめる。蝕まれたが最後、これは長期に亙
(わた)り憑衣する。やがて齢と共に老醜が襲い、病魔で苦しむ哀れな晩年が待っている。その中に、誘惑されていると言うのが今日の現代人の姿である。

 世の中は物や金から解放されて、その時代は終焉
(しゅうえん)を迎えると噂(うわさ)されている。しかし、金銭至上主義は未だに根強く尾を曳(ひ)いている。金銭を多く所有する事と、むつ財に囲まれて豊かで便利で快適な生活をすることが現代人の幸福へのテーマであり、また人生への課題ともなっている。これを信じる人達は、金で買えないものはないと豪語する。金さえ出せば、愛情すら買い取る事ができるという。
 飽食や過食が叫ばれる中、一方で、高額な値段で美食を食べると言う考え方がある。食通はこれが食への行動原理となっている。

 日本人は、昭和三十年代の高度経済成長を迎える前までは、非常に慎みのある食生活を送っていた。戦中や終戦直後は、食べる事に必死になった時代である。当時は兎に角、「食べられるものなら、何でも良いから腹一体食べる」ことであった。「充分に腹を満たす」ことであった。これこそが、当時の第一の欲望であった。
 しかし昭和三十年代の高度経済成長が起ると、金銭にものを言わせて「美味しい物を食べる」ことが、次の時代の代名詞になった。そして食道楽に明け暮れる現代は、美味しい物と聴けば、時間と金を惜しまず遠出して、外国までも足を伸ばすと言うグルメブームの真っ只中におかれ、「高級な珍味を追い掛ける」ことが食へのテーマとなってしまった。このまま行けば、物質文明の物欲主義に押し流されて、食の世界では、食傷した心と身体が、自らの健康を蝕み、やがては不治の病を誘発して、腐敗し、崩壊に向かう憂き目に襲われるかも知れない。

 「腹を満たす」ことから始まった「食」への願望は、「高級な珍味を追い掛ける」ことに変わり、飽食と栄養過多に陥ってしまった。食欲願望ら始まった各々の時代の欲は、結局、不治の病魔に冒されるという事だった。
 金を出せば何でも手に入る時代、あえて「食べない」という事があってもいいと思う。しいていれば、これこそが食べないと言う「心の贅沢」ではあるまいか。

 さて、あなたは、お茶碗一杯の玄米粥と海藻類の汁椀と梅干一個という、一汁一菜の食餌を、三十分以上もかけて、ゆっくりと「食の真髄」を味わう事が出来るだろうか。
 あるいはこれでは栄養不足とばかりに、動蛋白を多く含むフランス料理や、大皿に盛られた脂ぎった中国料理の方を選ぶだろうか。
 また、どちらが本当に健康には寄与し、本当で優雅であるか、これを比較してみた事があるだろうか。
 俗人の多くは、後先を考えず、恐らく肉の眼で視る幻想の惑わされる事であろう。美味しい物を沢山食べる欲望から、後者を選ぶ方が圧倒的であろう。ここに、「食」への貧しさと醜さがあるのである。

 では、食傷に冒された大食漢や過食家が断食をすると一体どうなるのだろうか。
 肥満体でも、断食七日目頃から腹がへこんでくる。
 胃下垂であった人や、胃拡張であった人は、下がった胃が腹筋によって押し上げられ、空腹状態によって膨らんだ胃は収縮を始め、元の位置に戻ろうとして復元作用を始める。その為に胃の縮小に伴い、吐き気を催したり、黄色い胃液の嘔吐
(おうと)が起るのである。食べ過ぎの傾向にある人は、特に激しい嘔吐が起り、胃液は吐き続ける事がある。

 私も普段から食べ過ぎの傾向にあったので、激しい嘔吐に襲われ、断食中は非常に苦しんだのである。この日の計量測定は72.5kgと幾分戻し始めたようだった。
 この日の食餌は午前七時頃に玄米粥を湯呑み茶碗に半分、薄めの味噌汁を汁茶碗に半分。昼食が午後四時くらいに玄米粥を湯呑み茶碗に一杯、ワカメを摺り降ろした吸い物を汁茶碗に半分だった。


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