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断食行法記 2

外は春なのに、内は病で充満していた。躰の中は桜吹雪の嵐で舞い上がっていた。それほど断食は奇妙な感覚を受けるのである。尋常でない、一歩間違えば死ぬかも知れないと言う不安が、脳裡の中に花吹雪となって荒れ狂うのである。

 昔は、桜の花は不吉なものとされた。
 桜の花が、潔い花とされたのは江戸期に入って以降の事である。それ以前の桜の評価は、決して高いものでなかった。江戸期の風流人によって花見と言う“お祭り騒ぎ”というものが流行した。
 平安期には不吉な花とされていた。

 桜を愛でて、観賞できた階級は貴族階級だけであった。庶民は、桜の花を不吉なものとして捉えていたからである。桜の花の栄養分は桜の樹の下に人間の死体が埋められていて、その屍
(しかばね)の養分を吸って樹が肥っていると信じられていたからである。この信仰が一変したのは江戸期に入ってからである。
 桜の鼻の散り際のよさは、武士階級に持て囃されたからである。こうして桜の花に対する考え方が改まっていった。

 だが、私の脳裡には依然、不吉な病の根源が花吹雪となって脳裡に吹き荒れていたのである。果たして不安の舞い狂いは、いつ収まるのだろうと言う、そうした気持ちが前にも成して不安を逆撫でするのであった。


◇第九日目(4月2日)
 眠れないまま、午前四時が来た。例の如く道場に行く。皮膚が痒(かゆ)くてたまらない。胃痛も治まる樣子がない。この両方から解放されたくて、私が道場に足を向けているのかも知れない。しかし、これは更に一段と腕を挙げてうまくなろうとか、強くなりたいをいう願望がそうさせるのではない。

 この歳で、柄にもなく、前方回転受身を遣
(や)ってみる事にした。
 本来、歳を取れば受身等遣
(や)る必要はないが、何か、転がっていれば、胃痛と痒みの魔の手から逃れる事ができるのではないかという勝手な思い込みから始めたものだった。何回転がったか分からなかったが、かなり転がったのではないかと思う程であった。その証拠に、汗をかいていた。
 また汗の発散と共に、疲れてしまったので、一瞬、立ち眩
(くら)みを覚える程だった。眩暈(めまい)状態になったので、その場で蹲(うずくま)り、これが去るのを暫(しばら)く待った。おそらく、それは貧血のせいであろう。そして冷や汗のような汗が出るのである。
 肥満体の者が、急激に無理な断食をすると、このような状態に襲われるのである。

 帰宅して体重測定を行う。83kgになっていた。
 汗をかいたので、風呂に入る。長風呂をしたせいか、貧血を起こして風呂場で倒れ、意識を失った。
 断食中は、風呂に入って躰を暖めてならないと言うのは、血管は広がって、急激な貧血が起こるからであろう。同時に脳は酸欠状態になる。危ない状態であると言えよう。
 私の感想からいって、断食中は酷
(ひど)い貧血状態になるので、風呂に入る事は良くないようだ。
 特に熱めの風呂は禁物で、意識を失い、危険でもある。そして後で、断食体験者の記録を読むと、「風呂は絶対に禁物」と書かれていた。
 危ないと書かれていることを、わざわざ遣ってみるのだから、馬鹿という他ない。

 私の場合、自分の禁止事項の体験をし、やはり良くないと思うのであるから、これ程、説得力のあるものはないであろう。
 決して、真似をなさらないように。そのまま昇天することもあるようです。危険です。
 通常の水温で、躰を濡れタオルで拭くくらいが適当なのである。
 皮膚の痒みと、胃痛に苦しめられた一日であった。そして、一日24時間と言う時間が非常に長く感じた日でもあった。



◇第十日目(4月3日)
 相変わらず不眠症に悩まされ、皮膚の痒みと胃痛に襲われての午前四時が来た。
 何故、午前四時に覚醒を覚えるのかといえば、これは私個人の「行」としての節目であるからだ。
 午前四時に起き出し、道場に向かう。これは私の、その日の「日課始め」なのである。
 頭が冴えているだけに、病を抱えた箇所が浮上し、その苦痛が覚醒されるからである。私のとっては生きながらに断末魔を履行されているようであった。

 貧血のせいで、歩く事が儘
(まま)にならない。まさに千鳥足で、躰にふらつきを覚え、揺れを覚えるのである。
 もう、よれよれだった。あるいは爺さま並みに、よたよただった。
 足が地に定まらないと云う感じであった。軽挙妄動と言うか、鈍重と言うか、あるいはそのどちらともつかない、異様な感じである。
 また、まるで足に足枷
(あしかせ)を嵌(は)められ、囚人が長い悪路を歩かされるような感じでもあった。いつもなら、5、6分で辿り着ける道場への道程が、今日に限って数10km先の、何処か遠い遠隔地に向かうような感覚であった。辿り着くまでに、30分以上も要してしまったのである。動きが鈍重であることがはっきり分かる。

 道場では槍の一人稽古をしたが、手にも握力がなく、何度も稽古槍を落してしまった。思うように動く事が出来ない。僅かに、5分足らずで、直ぐに疲れて動けなくなってしまうのである。ひと休みしつつ、再び稽古を開始するのであるが、集中できないばかりでなく、動けなくなってしまうのである。このような事を繰り替えしつつ、道場には2時間程居たであろうか。
 そして帰りが、また一苦労であった。同じ道のりを、同じ時間を掛けて帰って行かなければならないのである。「歩けるだろうか?」等と、些
(いささ)かの不安が脳裡を掠(かす)める。しかし歩く以外に方法はないのである。囚人の足枷(あしかせ)を引き摺(ず)る作業が始まった。足が重い。思うように足が上がらない。まるで、鉛の足だ。

 漸
(ようや)くの事で、家に辿り着いたのは道場を出て、40分以上を過ぎた頃だった。何もかも、動きがのろまで、鈍重である。帰宅後、のそのそと体重測定をする。82kgであった。
 一方、食べ物に対する妄想が徐々に薄らいで行った。家族が食事をしていても、それを平然と眺
(なが)めるようになったのである。食べ物は欲しいと言う欲望が消え失せたのである。何も食べなくても、このまま生きていられるような錯覚に陥る。

 咽喉
(のど)が渇いたのでコップ一杯の水を飲む。今度は、食欲から咽喉を渇きを覚えるようになった。水を飲むと、これまで続いていた胃痛が治まって来たのである。適量な水分も必要であるようだ。
 そして、こうした物を摂取する時、出来れば蒸留水か海洋深層水、またはミネラル・ウォーターのような物が適当である。
 但し、メーカーの吟味は充分に調査すべきである。
 ミネラル・ウォーターといって、ただの水道の水を詰め込んで売っている悪質な業者もあるからだ。この手のミネラル・ウォーターの類は、バーやスナック、クラブと云った水商売において盛んに使われ、これを知らない呑気な客は、店の言うなりに高額な飲み代を払っているのである。それでも文句を言わないのは、ホステスの手前を考えての、男の見得がそうさせるのであろうか。
 とにかく日本の飲み屋等で使われているミネラル・ウォーターの類は酷いものだ。
 日本は外国と異なり、ミネラル・ウォーターの法的な規制がないからである。

 さて、排便は不相分となった状態なので、浣腸で排便を促す。黒便のようなものが一塊
(かたまり)どっと出て来た。実に爽快な気分になる。この日は断食を始めて、一番気分の良い日であった。
 なんという身の軽さ、これが率直な感想だった。それ以外に形容する言葉がなかった。

 4月3〜4日は、北九州での講習会なので、午前十一時の新幹線で北九州小倉に向かう。京都から小倉までの約3時間弱の道中を、読書と外の景色を見て過ごす。二階建の新幹線のグリーン車の二階の車窓から外を眺めるのは中々絶景である。おそらく二階にあって、席が高い位置にある為だろう。
 頭も以前に比べてスッキリしていた。一気に三冊の文庫本を読破する。午後四時頃、JR小倉駅からモノレールを経由して、当時、九州本部だった尚道館に到着した。三月初旬から計算して、一ヵ月ぶりの尚道館であった。

 午後六時、尚道館の道場生が集まり始め、彼等の稽古の指導に当たる。稽古が終り、夜九時頃になると、今まで治まっていた皮膚病の痒みが吹き出して来て、その日稽古に参加していた道場生一人を連れて小倉駅付近のサウナに行く。サウナの熱で、痒みを断ち切ろうというわけである。貧血を起こさないように、水温16度の水風呂に浸かり、それから用心深くサウナ室へと向かった。
 このサウナの室内温度は90度くらいしかなく、私が期待した、肌が焼け付くような高熱は出してくれないようだ。サウナから出て、体重測定すると81kgだった。
 そしてこの時、運悪く?弟子が「先生。ちょっとビールでも一杯遣
(や)りませんか?」と言い出したことである。
 何ということを訊くのか。しかし、これに転んでしまうのである。馬鹿だった。人間の口の卑しさだ。誘惑に負けると言うより、そもそも口が卑しいのである。飲み食いを欲しがる口が卑しいのである。
 それで、ついに引き摺られて、「そうだな」と相槌
(あいつち)を打ってしまったのである。人間の口の卑しいところである。人間の躰の中で、何処が一番卑しいかと言うと、口である。口ほど卑しいものはない。そして、次を上げれば性欲を司る性器であろう。
 食欲、性欲ともに人間の躰の中では卑しい箇所である。人間はこの二つの箇所を通じた欲望の吸引口で、安易に転んでしまうのである。

 サウナ内のレストランでは、ビールの大罎
(おおびん)ジョッキ二杯と、海老フライ定食をペロリと平らげてしまったのである。何たる不覚、何たる恥知らずと後悔しても結局、後の祭であった。大変馬鹿な真似をしてしまったと猛反省したのである。食への誘惑は、意外にも人間の意志を挫(くじ)いてしまうのである。人間の決意の何と脆(もろ)いことよ。

 帰館したのは、翌日の午前二時頃であった。体重を計ると83kgになっていた。
 ビールの大罎ジョッキ二杯と、海老フライ定食で、2kgも増えてしまったのである。断食中の体重は実に不安定なもので、全く安定しないのである。少しの変化に敏感に反応し、元に戻ろうとするからである。
 デブはデブなりに、デブの許の体重に戻ろうとし、また拒食症の痩せでも、痩せは痩せないリの元の姿に戻ろうとして、ますます貧弱になっていく。これから考えてが、極端なデブも、極端な痩せも、揺り戻しはまさに地獄絵であり、人間の思うようには運ばせてくれないのである。

 ただこの時、幸運だった事は、急に食べ物を食べたにもかかわらず、何事もなかったということである。断食の、高々十日くらいでは頓死
(とんし)はあり得ないという事だった。
 断食や絶食の本等を読むと、断食後急に普通食を始めると、「頓死
(とんし)する場合がある」と書かれているが、これは人によるのであろう。

 しかし、本来は断食明けに普通食を摂るのは良くないようである。
 戻す場合は、必ず、断食日数の2〜3倍以上に、補食期間を設けなければならない。徐々に戻していくのである。最初はほんの米が数粒の重湯であり、それが二、三日続き、次に米粒が少しずつ多くなり、やがて粥となり、普通食をとるのは断食期間の二倍以上となる。戻しは急いではならない。断食明けのリバウンドが、これまでの断食を水の泡にしてしまうからである。断食で失敗するのは、この点である。
 断食明けに急に食べ物を食べ、それで体調を壊す人や、最悪の場合は死んでしまう場合があると言う。
 私はこのような最悪の異変が起らなかったのである。そして、これまでとは違う事は、胃痛が幾分和らぎ、皮膚病から起る痒みが少し減ったと言う事であった。



◇第十一日目(4月4日)
 目を覚ましたのは、午前十時頃であった。バタバタ音がしていたので、道場には数人の道場生が稽古に来ていて、稽古を開始しているようであった。彼等の受身の音で目を覚ましたのである。私のこの日の体調は、良くもなく、兇
(わる)くもないと言う状態であった。
 肌の痒みはすっかり消え失せ、胃の部分の痛みも殆ど感じなかった。昨夜のビールと海老フライ定食のお陰かと、錯覚にも似た馬鹿な考えが泛
(うか)び上がった。あるいは総(すべ)ての病気が治ってしまったかのような錯覚を覚えた。

 道場生の一人が、「お粥
(かゆ)でもどうですか?」と御丁寧に粥を作ってもって来たので、無下に断るわけにも行かず、それを茶碗半分程頂いた。
 午後一時からは講習会なので、その指導に当たる。
 午後三時半講習会終了。
 ところがここからが誘惑の始まりだった。いつものように宴会が始まったのである。
 恒例の呑み会であり、いつものことながら馬鹿騒ぎとなるのである。私はこれを極力控えるつもりであったが、わが道場の古参でもある某大学教授先生さまが、飲めや歌えやの輪の中に、とうとう引きずり込んでしまって、自らが音頭取りして、かつての東京六大学の校歌並びに応援歌をさんざん歌って踊っての馬鹿騒ぎを遣り出したのである。そしていつの間にか、私もこの輪の中に居た。
 この大学教授さまは、歌って踊って、東京六大学の校歌をひと回りする。まずは早稲田・慶応と続き、立教に至っては、誰もが知っている“例の替え歌”の校歌である。
 こうして六大学をひと回りし、次に応援歌となる。そして、六大学とか関係のない拓大応援歌と続く。
 ただし、「なぜ拓大」が登場するのか、よく分からない。この教授さまは東京外語大の出身と言うから、果たして……などと勘繰ったりするが、その意味は未だに不明である。あるいは、軟派の“お坊っちゃま”くんだったから、硬派に憧れての常々の思いが、この時ばかりは爆発したのではないか?……などと余計な穿鑿
(せんさく)をしてしまう。

 実に多芸なことで、この御仁
(ごじん)公立大学で外国語の教授というから、時には羽目を外し、娑婆に紛れて一介の下々に成り済ますと、やがてとんでもない奇声を張り上げる。これにより、わが道場でストレスを発散しているのであろう。その際、別の人格が顕われて、大乱闘を遣らかす危険人物に変身するのである。檻(おり)から放たれた猛獣となり狂暴極まりない。
 とにかく酒癖が悪い。誰も逆らえない。
 目が据わって、人間が一気に豹変する。完全に別人格である。逆らったり、反論すると、絡んだ上に、危険この上もない狂暴性を発揮するのである。まったく困った御仁
であった。
 しかし、私もこの御仁の豹変性を認めている。寛大と言うべきか。

某大学教授・W氏と。
 この人は、酒が入る前は非常に紳士なのだが、一旦酒が入ると、直ぐに酒品を失ってしまう。普段は猫を被っていた。しかし、憎めないところがあって、つい、引きずり込まれてしまう。変な話術と魔力を持っていた。さずが語学の大学教授である。


某大学教授の歌って踊る、某大学の応援歌。尚道館では月初めの第一日曜日は、午後から途端に「魔の日曜日」に変わってしまう。道場生全員を巻き込んで、某大学教授は自分のペースで、歌って踊り始める。それはまさに秋田県男鹿半島地方の生剥(なまはげ)の猛威の如し。
 言うことを聞かなかったり、逆らうと恐ろしい。
 このオッサンは中央頭部が「ハゲ」なのです。最初、七三ならぬ“九一”分けで、揉上げから髪の毛を頭部に櫛
(くし)で撫で付け載せられている。しかし、歌って踊っての乱舞で、やがてサムライが髷(まげ)を斬られた時のように、御髪(おぐし)が乱れてザンバラ髪になる。

 また、この御仁
(ごじん)の猛威に触れれば、私とて例外ではなく、この人のペースの乗せられてしまう。
 この御仁は、恐るべき大酒豪なのです。併せて、酒癖も悪いのです。
 疾
(と)うに自我が喪失して、荒れ狂うと、酔いに任せて、応援団長に変身して、踊り付きで某大学の応援歌から始まり、その後、東京六大学の総ての校歌を歌い、一番笑えたのは『立教大学の替え歌』でした。

 彼
(か)の有名な『立教替え歌』は、大爆笑できるだけに、“なまはげ様”はいつしか急に調子ついて好戦的になり、無礼も顧みず「宗家、今から組手しませんか」となって、結局私からボコボコにされて、顔中、身体中疵(きず)だらけになり、家に帰ったら奥さんから「そんな危険な道場で、危険な人(私の事であろうか……?)の相手をするものじゃありません。そういう道場は直ぐに辞めてしまいなさい」とお叱りを受けるそうである。
 しかし、これは私の所為
(せい)ではないのです。緊急避難であり、この御仁の相手をしないと私自身が命に関わるのです。狂暴なのです。その点を、奥さまは何卒ご理解下さい。
 今となっては懐かしい。
 この教授さまは、実に好人物だった。古き、よき時代の名切りを残していた。
 私が四十代半ばの頃であったから、阪神・淡路大震災の少し前のことであったろうか。

 まず「軽くビールでも」という社交辞令に始まり、最後は焼酎攻めで行き着く処まで行き、この教授先生のペースに嵌(は)められてしまうのである。この教授先生のエネルギーは、馬鹿力で凄まじい。
 また、この教授先生は、酒が入ると人格が変わり、狂暴になる。私が「酒品
しゅひん/酒を飲む品位)、酒品」といって宥(なだ)めるのも、最初のうちだけしか効果がなく、気がつけば最悪の状態になっており、近所に騒音を放ち、大迷惑を掛け、暴飲暴食の悪夢が始まるのである。そして私自身、今までになく、断食の反動が出て、山ほど食べ捲(まく)った。
 この表現を形容するならば「鯨飲」であろう。馬鹿の限りである。人間の飲み食いをする口の卑しさであっただろうか。

 つくづく自分の弱さを思い知らされる終日であった。
 意識がなくなるまで飲み続け、暴飲暴食の挙げ句、道場の真ん中に、大の字で眠り転
(こ)けてしまったのである。ただただ不覚であった。
 反省する事多し。その天罰は翌日に襲うことになる。



◇第十二日目(4月5日)
 目が覚めた時は、午後二時頃であった。
 ビール、日本酒、焼酎、ウイスキーと、四つがチャンポンになり、酷い二日酔いでの重苦しい目醒めであった。頭の中は、小人
(こびと)が土足で駆け回っている感じであった。何処でどうなったのか、全く覚えていない。スッポリとある箇所だけの記憶が喪失しているのです。大変馬鹿な事をしてしまったと悔悟の念が趨(はし)った。
 しかし、これまでの断食欠乏状態と打って変わり、久々にエネルギーが補填
(ほてん)されて為か、貧血と胃痛は治まり、自転車に乗るだけの体力が回復していたので、鱒淵ダムの湖の桜を見る為に、ふらりと出かける事にした。

鱒淵ダムと、湖周辺の桜。いい景色だと風流を気取って、酒に酔うことが恐ろしい。

 この途中の道で、車の運転席から顔を出した、ある中年男性から呼び止められた。よく見ると中学時代の同級生のM氏であった。M氏は年齢以上に老けていた。まだ四十の半ばというのに、老眼鏡を掛けないと新聞の字が読めないとこぼしていた。

 私は、当時の同級生の仲が良かったクラスメートの名を挙げ、彼らが今どうしているか訊ねてみた。一人は高血圧の為に入院中。もう一人も成人病で入院中。そしてM氏だけが、健康でも病気でもない状態で、何とか働ける躰
(からだ)を持っていると言う事が分かったが、もう一人の気になった某氏は、糖尿病のために片脚を切断して身体障害者になっているということであった。
 何ということであろうか。高々四十の半ばで……。
 僅かに45、6歳でこのざまである。食習慣の恐ろしさだった。

 そしてこれは他人事ではなかった。即、この事は、私に跳ね返って来ても不思議ではないのである。次は私の番か……。そういう懸念が疾
(はし)った。
 体重は未だに84〜5kgあり、成人病の危機に曝
(さら)されて、棺桶に片脚を突っ込んだ状態である。
 花見と洒落込んだつもりであったが、その途中にとんだ人間に遭ったものだと思った。
 花見に行く途中、空腹を覚えたので、弁当屋で弁当を買い、隣の酒屋でビールを買った。そして目的地に到着したが、なぜか食べて飲んでという事が出来なかった。自責の念だろうか。
 仕方なく道場に引き返し、来館後、弁当だけを食べてそのまま寝てしまった。



◇第十三日目(4月6日)
 この日は午前八時に起床。朝食ならびに昼食抜きで、午後一時の新幹線に乗る。帰宅したのは午後五時くらいであった。体重計に載ってみる。83kgであった。
 第十日目の体重であった83kgに逆戻りしていた。北九州での不覚の数々が原因であろう。今後は真剣に精進しなければならないと痛感した。この日は、水を腹一杯飲んで寝た。反省すること多々あり。多過ぎて、何処から反省してよいものか、困惑しっぱなしであった。



◇第十四日目(4月7日)
 例の如く午前四時起床。道場に出かけて行って通常の一人稽古を行う。二日程食事をしたせいか、足許
(あしもと)がしっかりしていた。ふらつきがなく、意外を足がしっかりしていた。棒と杖の振り回しもスムーズに行える。まずまずの稽古であった。
 帰宅して、暫
(しばら)く排便がなかったので浣腸をして排便を促す。しかし、腸壁にこびり着いたような感じで、中々思うように出て来ない。北九州での肉と油の食事のせいであろう。
 その日の午後、出版社に原稿を提出する。
 夕食の時、無性に食事がしたいと思った。この二、三日の、北九州での食べ過ぎの為であろう。何だか、旧
(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻ったような感じだった。
 私の決意した断食は、どうやら振り出しに戻ってしまったようだ。決意を新たに、断食を最初からやり直す覚悟を固める。この日の体重は82.5kgであった。



◇第十五日目(4月8日)
 午前四時起床。道場で一人稽古を行う。動きは、これまでの貯えたエネルギーが些か残っているらしく、中々良く動く。道場までの徒歩での行帰りも苦にはならない。
 帰宅後、体重測定を行う。82kgであった。
 慎重も計ってみる。二十代の頃は体重が64kgで、身長が170cmきっかりと思っていたが、今日計ったら168.5cmになっているではないか。身長が1.5cm縮んでいるのである。体重が増えた為に、体型が紡錐形
(ほうすいけい)のような形になり、重さに引き摺(ず)られて低くなってしまったのだろうか。若い頃の64kgと今を比較すると、18kgも増えている事になる。

 これまでの不摂生を真摯
(しんし)に反省する。
 私はタバコこそ喫煙する習慣はないが、大変な酒好きで、少ないと思える時でもビール4〜5本は軽いものであり、それに加えてブランディーか焼酎を750mlで軽く半分以上は空けてしまう程だった。つい最近までは、ビールの大罎1ケースを全部平らげていた。暴飲暴食を繰り返し、倶楽部やスナックを梯子し、鯨飲という馬鹿な真似を遣っていた。

 これでは体重が増えるわけで、体重は常に100kgを超える事が多かった。既に成人病に罹
(かか)っていたと思われたが、寝込んで動けないと言う程ではなく、常人と同じような行動が出来た。
 しかし血圧は異常に高かった。当時血圧は250から220程であり、異常という外ない。そんな状態でありながら、よく、ここまで生きてこれたと不思議であった。こんな状態が平成四年の暮れまで続いていたのである。
 この日の午後、知り合いの薬局にいって血圧を計ってもらった。血圧を計ると159だという。
 「あなたの血圧はだいぶん高いですね。140があなたの定圧ですから、19以上高いです。食事に気を付け、酒や塩分を控え、健康には充分に気を配った方がいいですよ」が、薬局の薬剤師の返答であった。

 私はこれを聞いて、何となく嬉しかった。私にしてみれば、定圧に比較して僅か?に19程しか高くないのである。私の断食は途中の中断も挟み、十五日くらいの断食で血圧がこんなに下がるとは思っても見なかったのである。
 食を断ち、吸収する事と消化する事を止めてしまった私の躰は、今は「燃焼」と「排泄」のみを行っているのである。



◇第十六日目(4月9日)
 午前四時起床。既にこれは日課として私に定着してしまったようだ。
 道場で一人稽古に励むこと約二時間。これまで一杯一杯だった帯や袴の紐が大分余りだしたので、腹部の脂肪塊
(しぼうかい)が除去された事を確認する。鏡を見ると確かにへこんでいる。かつての百キロ以上の体躯には思えない。体重を計る。81kgであった。

 家族が食事をしていても、これに動揺したり、誘惑されると言う事がなくなった。
 この日の夕方、今まで消えていた胃痛が始まった。しくいしくと痛んだ。周期的に、脈を打つように襲って来る痛みには閉口した。そして再び不眠症に襲われ、夜寝られなくなった。
 床の中で何度も寝返りを打ち、朝の来るのを静かに待つことにした。なんと不快感を感じる夜だったであろう。



◇第十七日目(4月10日)
 午前四時起床。道場に向かう。胃痛は中々治まらない。痛みを紛
(まぎ)らす為に二時半ほど一人稽古に熱中する。かなり汗をかいた。帰宅後風呂に入った。今回は貧血を起こさないように注意しながら、慎重を期したつもりであったが、またもや長風呂をしてしまい、眩暈(めまい)を起こして風呂の中で動けなくなった。
 湯槽
(ゆぶね)の中で暫(しばら)くじっとしていると楽になったので、やっとの思いで這(は)い出し、事無きを得た。風呂上がり、体重を計ったら79.5kgだった。ここで漸く80kgを切り始めたのである。
 それでも胃痛と腹痛が交互にやって来た。
 別冊の断食臨床例を読み始めて、やはり断食の始め方に問題があったと痛切した。本断食に至るまでの準備として、補食期間を設けなければならないのである。補食期間なしで、いきなり断食を始めた事に問題点が遭ったのである。また、断食臨床例では特に胃腸病と糖尿病に興味深い事が書かれていた。

 小便をすると、私の場合、色は赤味を帯びた黄色で、要するに赤黄色なのである。
 臨床例によると、多尿を呈し、匂いがあると糖尿病の疑いがあると書かれていた。糖尿病はインシュリンの欠乏から起る病気である。持続的な高血糖・糖尿を呈する代謝疾患である。そして作用障害が起り、糖・蛋白・脂質の代謝異常を伴って、口渇や多飲と記されていた。
 糖尿病の場合、インシュリン依存性
(1型)とインシュリン非依存性(2型)があるのは周知の通りである。前者は発症が急で症状が重く、インシュリンの投与が必要となるが、後者は経過緩慢で必ずしもインシュリン投与を必要としない。しかし、両者とも、網膜症・腎症・動脈硬化を併発しやすいといわれる。

 私の場合、糖尿病のような蛋白が排泄されているのであろうか。それとも腎臓病のように、血中の中に化膿菌か、尿毒素が排泄されているのであろうか。
 腹痛と胃痛の痛みは消える事がない。しかしこれまでの腫
(はれ)れたような足のむくみはなくなりつつある。腎臓病的な、尿蛋白が減少した為であろうか。顔も、以前に比べれば、顎下の二重部分が消え、頬のブルドックのような贅肉も、かなり削げ落ちた様な感じになった。

体重が79.5kgになった。普段から痩身の体躯をしている人はこの喜びが分かるまいが、100kgから20kg以上も贅肉を取り去れば、何とも言えない喜びが込み上げてくる。

 この日の午後、群馬県より個人指導の門人が来訪したので、道場に出向き二時間程指導する。彼の問いかけは、「一ヵ月も会わない間に、随分と痩せてしまわれましたね。病気でも、されてるのですか」だった。病気で無い事を告げ、「断食をしている」と言ったら、二重に驚いたようだった。



◇第十八日目(4月11日)

以前は、このように腕は此処まで上がらなかった。関節も固くて、錆び付いた蝶番のようになっていた。
 夜は不眠症に悩まされ不相分であった。午前四時起床が今日この頃の起床行事となっていた。二時間程独り稽古を行う。しかしその間に、胃痛と腹痛が交互に遣って来て、一向に治まる樣子がない。そして貧血状態で、歩行すると言う事にも何とか慣れたようであった。帰宅して体重を計ると、79kgであった。

 つい最近まで動かし辛
(つら)かった肩の関節が良く動くようになった。関節間の蝶番(ちょうつがい)が錆び付いていたように思っていたが、これが動かせるようになった。
 躰も、少し軽くなったような気がする。頭もスッキリして、気分が良い。これは断食のせいではなく、四月と言う陽気のせいであろうか。
 胃痛と腹痛さえ治ってくれれば、全く言う事はないのであるが、そう簡単には問屋は降ろさないものらしい。
 夕方、立ち眩
(くら)みが始まった。立っていられないので横になる。周期的な、脈を打つような胃痛と腹痛が周期的にやって来る。胃の何処に、病因を持っているのだろうか。

 断食中の胃痛や腹痛に関しては、詳細な臨床例がないので、方法論に間違いがあったのではないかと不安になる。
 一人で横になって寝ていると、脳裡
(のうり)に色々な妄想が掠(かす)め始める。そして妄想に押し潰されそうになる感覚を覚えた。この儘(まま)では耐え難い。一種の苛立ちを覚える。仕方なく道場に行って、もう一稽古することにした。二時間程汗を流す。
 しかし動きが鈍重であり、何か自分がスローモーションで動いているのではないかと言う鈍
(のろ)い感覚に襲われた。そしてこの日の道場への行き来の片道は、約30分以上もかかってしまった。
 あたかも油の海の中を歩くが如し。至る所に重い物が貼り付いていた。粘着物で躰を蹂躙
(じゅうりん)されているが如し。躰が重くて、引き摺るような鈍麻な状態になっていた。まさに「尺取り虫」だった。


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