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続・刀屋物語 22

小板目がよく結び、杢目が混じる。微塵に地沸が付き淡い白気映りて綺麗な小糠肌となる。
 波紋、沸出来小互の目乱れ湾れに二重刃掛り、作風は尖り互の目乱れを交えて、地鉄はよく練れ、地沸えよく付いた肌を持つ。これ「ざんぐり」と表すべきか。



●斬り覚え

 刀を「どう検(み)るか」ということも教わった。
 つまり美術品と鑑
(み)るのか、それとも実用の武器として検るのかということである。
 これは「日本刀観」を決定する上で重要な事柄である。

 刀剣類を美術品として鑑た場合、武器としては軟弱となり、また実用一辺倒の武器で検れば、単なる兇暴なる道具に顛落
(てんらく)してしまう。到底、霊器とか神器にはならず、また霊剣なる存在も見逃してしまう。
 所持する人の器量に懸かるようだ。
 器量の許容量が狭ければ、狭いように、また広ければ広いように霊剣か、道具かに別れてしまうようだ。

 しかし根本には「道を切り拓く」という面の、実用面も見逃してはならない。
 この場合は、中庸が肝心であろう。何れにも極端に偏らない中庸が大事であろう。この大事を見逃して、日本刀は刀剣としての価値は生まれない。
 そして実用面を持ちつつ、また他方で美術面の美なるものが具わっていなければならない。したがって美の追求のみでも駄目なのである。

 また美術面の良さを鑑賞の次元に置きつつ、その一方で実用面を想起して、「斬れ味」というものも連想しなければならない。この斬れ味に思考が及んだとき、そこには「斬る」という事にまで、考えが及ばなければならない。
 日本刀の場合は「美」のみの評論ではない。形態が刃物である以上、美の裏付けには「斬れ味」の想起まで思い致さねばならないのである。

 現に、師匠であった研師の吉藤清志郎先生は、「研ぎ」という面から、同時に「斬れ味」までもを追求した人であった。研ぎを生業
(なりわい)にして、糧(かて)を得る以上、日本刀の研師は「研いで幾ら」の商売ではない。研ぎの中には、もっと神聖なものが具わっていなければならない。
 霊剣と言う神聖なるものを研ぐ以上、この研ぎの中には、神の肌を触るが如きのルールを知っていなければならないのである。それは美肌を紡ぎ出すという法のみでなく、実用面で斬れ味を追求する「巧みの技」が研師の伎倆
(ぎりょう)して具わっていなければならないのである。つまり、巧みの「妙」である。

 武の世界において「心正しければ、また技も正し」という「正しさにおいての妙」である。
 職人でもこの次元まで迫れば、美の世界においても、巧みの妙は冴えると言うものである。
 単に職人とは、頑固一徹のみが職人気質ではあるまい。職人には職人としての柔軟性がある筈である。また職人の世界から見た世界観や人生観もある筈である。これらを通じた「妙」が具わっていなければならない。
 かつて吉藤先生は、この「妙」について語られたことがあった。

 先生の言は一貫して日本刀における「業物
(わざもの)」というのは「妙」に達していると言うものだった。そしてこの妙の中にこそ、霊剣としての素質を具えた霊器があると言うのであった。
 妙を感じるには、愛好者の言う「好み」を超越しなければならないと言うのであった。刀を鑑る角度においても、趣味人の範疇
(はんちゅう)を超えて、「妙」に迫らねばならないのである。

 日本刀の刀剣愛好者と言うのは「好み」に応じて刀を蒐集する。愛好者の特徴である。
 例えば、世に中に「玄人好み」という言葉があるように、一般素人にはない、自らの感性に併
(あわ)せた「好み」というものが存在し、好みに応じて自分の好む物を入手する、と吉藤先生は云うのである。
 つまり、玄人肌であっても、「好み」が存在する以上、それは愛好者のレベルに留まったものである。

 ところが、刀屋と言うものは「好み」を作ってはならないと云うのである。
 如何なる業物
(わざもの)も、好みによって判断するのでなく、客観的に冷徹な公正な目で、美術面も、実用面に焦点を合わせ、刀の本来の目的であった「よく斬れる」という斬れ味において、その妙を追求しなければならないと云うのであった。
 その肝心なるものを見逃して、一局面の美のみを捉え、単に「好み」に奔
(はし)り、それだけの視野に狭められていると、マクロ的な全体像が見えないと言うのであった。そのためには「好みを捨てろ」と言われたのである。
 まさに、的を得た指摘であった。
 刀屋家業では、必ずしも「好き者」が成功すると言う世界ではなかった。むしろ、好き者では、その逆を衝
(つ)かれて失敗する商売でもあった。好みに固執すれば、好みに溺れ、そこで商売をしくじると指摘された事があった。
 果たして私はその何れか。

 どちらかと言うと、「好き者」だったかも知れない。若い頃「好き」に溺れた一面が確かにあった。
 吉藤先生の戒めを破って、好き者の世界に一時浸ったことがあったからだ。そうなると、本来は生業をせねばならぬのに、好きの乗じて自分の好みを漁り始める。こうなると刀屋商売は成り立たなくなる。

 過去を思い返せば、刀屋家業と言うより、好き者の道楽をして、一番肝心なる刀屋の商い自体を忘れ、ついに刀に魅
(み)せられて、魔に取り憑かれた時期があったからである。
 大抵こうなると、刀屋も、眼に狂いが生じて、肝心なる商いを失敗することがある。
 刀屋が夜逃げしたと言う話は、度々聴くが、こういう刀屋の多くは、冷徹で、公正な眼で物を検
(み)る、肝心なる作業を忘れた時に、こうした禍(わざわい)が訪れるようである。
 ある意味で、「魅入られた」と言うべきであろう。それも、刀の魔力に、である。

 こうなると、目利きの眼にも狂いが生じ、人生にも狂いが生じることがある。
 危うしである。
 だから吉藤先生は、やがて私が辿るであろう刀屋家業での失敗を早々予期しているようでもあった。
 ために、好みによって、判断するなと言うのである。このとき釘を刺されたのである。
 愛好家と刀屋の眼は違うと言うのであった。
 それはあたかも、小説を書く作家が必ずしもいい読者でなく、また読書家だが、小説家になれないのと同じようなことである。読書家は読書家であり、小説家は小説家なのである。

 まあ、しかし小説家においては、物凄い速度で読解能力があり、同時に蘊蓄の深い作品も提供出来るのであるが、だが一方、読書家は必ずしも小説家と言う訳ではない。大半だ読解力が優れているが、しかし、物書きで飯が食えると言う能力は、然程
(さほど)のことがないと言う場合も多い。読み手ではあるが、書き手ではないのである。

 つまり、これを日本刀と言う世界に当て嵌めて考えれば、刀工ではないが、刀剣は好き。また研師ではないが、研ぎの善し悪しは分る愛好家という分類に入るであろうか。
 要するに「好き者」であり、無から有を創出する創出家ではないということだった。

 更に刀屋は、仲介役で、両者の間を取り持つ仲人であり、仲人が刀に惚れるなどは、自分の紹介した相手を自分が惚れ、結局は縁談話を、自らがぶちこわすことになってしまう。これでは愚行を働いたことになる。
 また、これでは紹介者として、仲介者としての役目は勤まるまい。
 そういう危惧
(きぐ)を、吉藤先生は私に忠告し、それを戒めにするよう指摘したのである。

 この指摘から窺
(うかが)えること、常に全体像を検ろというのであろうか。あるいは偏見を持つなと言う意味であろうか。
 何れにしても貴重な忠告でもあり、格言であった。
 そして後は、私自身の「聴く耳」である。この格言をよく聴くか聴かないかである。
 神風は常に囁いている。その囁きを聴くか聴かないかは本人の心掛け次第である。

 本来、刀剣などの美術品は「好み」に応じて蒐集する。
 蒐集の基本は「好きか嫌いか」である。それ以外ない。
 この感覚で蒐集するのが実は愛好者の世界なのである。刀なら何でもいいと云う訳でない。
 ところが、刀屋はそれであってはいけないと云うのである。好みが生じたら、愚かにも、ある特定の作風の刀のみに「惚れる」という心の迷いを起こすと言うのである。

 この意味で、刀は、女と同じような魔力を持つと云うのである。
 この魔力から逃れるためには「好みを捨てろ」と云うのであった。
 恋が盲目であるように、刀剣においても好き嫌いは、公正の眼を欠いた盲目的な迷いと云うのであろうか。
 その呪縛から逃れるためには、偏りを捨て去り、好き嫌いをなくせと言うのである。
 そして広く、全体を公正な眼で見ろと言うのである。自らの主観を捨て、総てを客観的に全体像を洞察せよと言うのである。

 そうすることにより、惚れると言う魔から逃れられると言うのであった。無表情こそ、あるいは総てを冷たくあしらってこそ、逃れられると言うのであろう。
 つまり、客観的に検
(み)る公正な眼である。

 言われてみればその通りで、この教えの中には二通りの見方があり、一つは愛好者として鑑
(み)る眼と、もう一つは刀屋として「商いの眼」で検る考え方である。
 これは私にとって大きな忠告にもなり、教訓にもなった。
 同じような見方で、結局辿り着くところは、それぞれ違っていたのである。

 刀屋は売手であり、愛好者は買手なのであり、売買の時点で、それぞれは異なっていたのである。
 したがって、その意識も違い、売ることを生業とする刀屋と、趣味人としていい物を求めようとする意識の格差は大きく隔たっていたのである。
 つまり刀屋の眼は、全体像を検
(み)る眼で、愛好者の眼はミクロ的に、好みで鑑る眼であった。
 好みで鑑る場合、斬れ味などはあまり関係なくなる。そうしたものは除外されてしまう。また、そこまで追求する必要もない。単に、好き嫌いで判断していれば、それで済むことである。

 ところが、刀屋はそうはいかない。
 まず好き嫌いを超越しなければならない。
 自分の眼を「公正」の置き、次に「客観的に全体像を検る」という眼を持っていかければならない。つまり刀に惚れてはならないことだ。

 何れも冷ややかに、公正な、然
(しか)も客観的な眼で厳しく検ることを洞察力を要求される。そうでなければ鑑定も不可能となる。鑑立ても出来なくなってしまう。
 目の前の「まやかし」に堕
(お)ちる。
 遂には、眼は誑
(たぶら)かされる。
 こうして堕ちていく刀屋は多いようだ。
 堕ちなくとも、今一歩で「詰めの甘さ」に乗じられる刀屋は多いようである。

 こうなると、この手合いは「素人に向けて奔走」をし始める。
 素人を騙そうとする。
 単に刀が好きとか、武道経験者が、この種の詐欺師然とした刀屋のウソに堕ちて行く。
 刀剣は、ハッキリ言って難しい。
 素人の手に負えるものでない。
 それは刀屋でも同じであり、二足の草鞋を履くサラリーマン古物商とて同じであろう。
 この種の素人擬いの古物商は、意外に愛好者以下か、同程度の眼しか持たない場合が多いようだ。
 「好きの横付き」で、刀剣を愛好していたり、自分の手下に売りつける相手がいる場合、古物許可の鑑札に物を言わせて、玄人に化け、その狐が、虎の威を借る手法で、末端の超素人に売りつける手法を展開する。

 だが後で、恨みを持たれるのがオチだが、これすら意に介さないで、売り上げを申告しない脱税をしているサラリーマン古物商も少なくないようだ。
 売りつけられた方の、特に騙されて荷割れ品や、贋作を掴まされた者からの恨みは大きいようである。こうした恨みは一生涯残るようである。

 「天網恢々
(てんもう‐かいかい)粗にして洩らさず」という俚諺(りげん)と言うか、格言があるが、そのうち法の目に搦(から)め捕られることであろう。
 とにかく、「好き嫌い」と言う動機は、「そこ止まり」ということである。
 刀屋と愛好者の売買関係を正確に把握すべし。
 私は、このことを繰り返し、吉藤先生から注意され、油断するなと促されていた。

 愛好者にも、鑑立ての眼を持っている人は多いが、この鑑立ては、基本が好き嫌いであるから、好きな場合は判官贔屓
(ほうがん‐びいき)が入り込む。そうなると公正さを失う。
 主観が入り、強
(し)いては好き嫌いが露骨になる。そして愚言が災いして顰蹙(ひんしゅく)を買う場合もある。
 こうなると折角のこれまでの刀剣に対する研鑽
(けんさん)も水の泡に帰する場合がある。したがって刀屋においては、この好き嫌いこそ、禍(わざわい)になることは言うまでもない。これが禍根になる場合もあるようである。

 吉藤先生は言った。
 「無表情になるべし」そして「刀に惚れるな。好みを作るな」と。
 更には、「私的に好いていることを、通じさせてはならぬ」と。
 既に、刀を擬人化しているのであった。
 人間の造り出した工芸品である日本刀でも、一旦作者が造り出し、それに命が吹き吹き込まれたならば、作者の手を離れて一人歩きする。作者の意志とは無関係に、である。

 これは、あたかも自分が造り出した子供が、成長して、独り立ちして行くように、である。
 ここに来て、一種の生命体となる。この生命体の誕生故に、刀は単なる道具とは異なり、一種独特の運命を背負って人間と関わりを持つのである。
 つまり、生命体は如何なるものであっても、霊的には「生きている」と言うことになるのである。

 この霊的生命体について学ぶ以上、単に本から得た知識では、学び切れるものでないであろうし、また刀屋の場合は刀剣愛好家とは異なり、その生業を生活の糧にしている以上、知識だけの秀才では済まされないのである。
 ここに生命体は「生きている」という霊的実体があるのである。
 本来ならば、道具であろうとも生きているのであるが、道具は、看做す人間側の意識と考え方で、納屋の片隅に置き去られる物になったり、常に心の拠り所とされ、精神に訴えて来るような霊剣の威力をも持ち得るのである。

 あるとき吉藤先生は、古人の言葉でろうが、「貢
(こう)なくして禄(ろく)を受けず……という言葉を知っているか」と訊いたことがある。
 大変蘊蓄の深い言葉である。あるいは、かつての賢人の言葉であろう。
 そして次のようの言葉を続けられた。
 「愚人は、貢なくしても禄を受けようとする。大した働きもないのに、禄をやると言えば、その禄を何の理由もないのに受けようとする。つまりこれは、自らが天から試されていることを知らぬからだ。愚人ほど、タダを有難いと思い、タダならば何でも欲しがる者がいる。浅ましいと言う他ない。そして依存心と依頼心が強い。
 この二つが揃えば、既に自分の人生に、自ら堕ちる穴を二つ掘っていると言えるであろう。これは物質的貧困であるばかりでなく、精神的にも立ち枯れする運命にあると言える」といい、そういう浅ましい事をするなと言うのであった。

 貢なくして禄を受けず。
 堅く守るべし……。
 そう諌
(いさ)められ、物質的にも精神的にも、また経済的にも貧困はよくないと戒められたのである。
 私のとっては金言であった。
 爾来、墨守する道を進むが、これは刀屋家業にも通じることで、刀剣を鑑る世界観も、こうした貧困なる気持ちで鑑ているのでは肝心なものが見えて来ないと悟ったとである。その悟りは、益々学ぶことへと拍車を掛けたのであった。

 特に吉藤先生の説かれた、美術面と実用面の競合と言う独特の両面的見方は、その後の私の「刀剣観」に大いなる影響を及ぼし、刀剣の世界にも、中庸が必要であることが理解で来たのである。
 それは道具として腐らすか、道具を美術的価値観まで引き揚げるかの金銭解釈ではなく、道具を神聖視する霊的世界にまで拡充させるものであった。

 私の理解だが、心の拠
(と)り所として刀剣に通じた場合、物は人によって生きるということであった。生命を帯びると言うことであった。
 故に、吉藤先生は「貢なくして禄を受けず」という言葉を通じて、賢愚との差を隔て、「霊的にはどちらが豪毅で、豊かであるか」と訊いたような気がしたのである。
 また、それは一つの自負心の問題でもあり、毅然とした生き方を顕しているようにも思うのである。
 胸を張れば、貧富は人間とは無関係となる。しかし、ある人は貧しく、またある人は富み、こうした差が生ずるのは霊的な面から発するのであろう。

 この頃に私は、ある書物に書かれた「精神的貴族」という言葉に奇妙に惹き付けられたことがある。それは自分の経済的境遇が如何に粗末であっても、毅然
(きぜん)として恥なく生きているのならば、それを悔いる必要がないということを著した書物であった。この書物に、私は大いに勇気づけられたことがある。

 当時、困窮の中にあり、貧乏人の小倅
(こせがれ)に生まれた私としては、何事も自前で賄(まかな)うしかなかった。その行いが、やがて自前主義を形成する。そして自前主義に徹しなければ、わが生も尽きることを知る。
 こうなると、生き方は明白となり、生き方は、「何によって死のうか」という窮極まで貫くことになる。まさに、依
(よ)って以て手死ぬ何かの、求道となる。
 精神的貴族の話の中に、「明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という文言があった。
 人としての徳を悟ることが出来れば、譬
(たと)え、その日の夕刻に死んでも心残りはあるまい。その言葉は、そのように教えている。

 しかし貧困は、人を強くする場合もあるが、一方で人の心を荒
(すさ)ませ、乱し、繁雑にし、狂わせて恨みを抱かせる場合もある。それが妬みに通じる場合もある。
 一方的に貧しくとも駄目であるが、また極度に富を求めこれに溺れることも禁物だろう。それを半ばして、中庸を保つことこそ、人間は自らの身体を間違わずに、身が保てるのである。

 私は刀剣観を通じて、既にこういう次元で物事を考えるように教わっていたのである。そして晩年、老いてもこの歳になっても、まだ学べるのである。学ぶのに年齢は関係ないと、昨今はつくづく感じる次第である。
 そして、学んで更に感じるのは、学べば学ぶほど、両道に通じた中庸が大事だと言うことが分って来るのである。
 つまり、左右何れにも偏らない境地である。

 日本刀を美術面と実用面の二つを考えれば、これは虚実と言うべきであろう。
 虚実の実は表面に顕われるものとして表出されているが、虚なる部分は内面に控え、更には刀工の意志や思惑などの深層部は、心静かに真理を究める次元にまで高めているものである。
 あるいは更に奥に進めて、闇の部分に隠された運命を暗示するものまで含んでいるのかも知れない。
 その運命にまで迫れば、刀剣が霊器と言われる以上、「正・妖」の暗示まで含まれていると思われ、所持者を加護するか、あるいは所持者に祟
(たた)りを齎(もたら)すものか、そういう暗示までもを包含しているものになる。
 例えば、徳川家に対する妖刀『村正』のように……。

 村正は、室町期の美濃系の刀工だった。
 そして村正に関しては、伝説も多々ある。
 鎌倉の正宗に師事したが破門され、伊勢国桑名郡で刀剣を造り続けたと言うのである。
 徳川家康の祖父清康が『村正』作の刀で殺害されたため、また嫡子信康が同じくこの刀で殺害されたため、更には多くの者がこの刀によって介錯されたため、村正の作は徳川家ならびに徳川幕府に禍
(ざわざい)を齎すものとして禁忌にあい、妖刀視されたのである。また、銘としては同名のものが他にもある。
 このことから妖刀『村正』は多くの伝説を含みつつ、妖怪談が多くあるようだ。

 思えば刀剣は霊剣として存在するものは、人に対して、正・妖の暗示まで含まれていると思われる。
 禍福
(かふく)は霊的な面に存在する。またそれが「禍福は糾(あざな)える縄の如し」になっているのかも知れない。
 この世には幸不幸が綯
(な)い交ぜになっている。幸不幸素らの併せ呑むのである。
 加護するも、また禍を齎し禍根になるも、これが霊器なるが故であり、ここには虚実と、その明暗が顕われているように思われるのである。そして虚実を検
(み)る場合、物質的に検るか、霊的に検るかでその見えたかも次元も違って来るのである。

 刀剣を猪武者的に正面から純粋に熱烈に「実」として、猪突猛進的に向き合えば「物」としてしか見えないであろうが、「虚」の次元で、運命の暗示までもを包含して観察すれば、それは迫り来る危機に対して、何かの知らせや暗示を齎すものになるかも知れず、加護の面から考えれば、やはり心の拠
(よ)り所となるべき霊器の面が加味しているようである。

 俚諺
(りげん)に「良禽(りょうきん)は木を択(えら)ぶ」というのがある。
 良い鳥は、自らに相応しい枝振りのいい木に巣を作るものである。それを選ぶ眼を持っている。
 どの木に羽を休めるか、それは良禽の自由であり、それを木の方が決める訳でない。羽を休めるに値しない木であるならば、鳥に方は見向きもせずに飛び去ってしまう。

 冷静にかつ公平に観察して、幹や枝振りが良くて勢いがあり、然
(しか)もただ見掛けがいいと云うだけではなしに、幹の深層部には芯(しん)の強さというものが含まれていなければならない。外見上の見栄えだけで、喬木(きょうぼく)にありがちな脆(もろ)さが含まれていては見掛け倒しとなり、虚の部分が実として表に表出すれば、それは実用面で役に立たないことになる。

 良禽が進んで羽を休め、かつ巣を作ろうと思う気になる木とは、つまり運命的に見ても廻
(めぐ)り遭わせというものがある。良禽のそれぞれに相応しい木というのは、その時点で、幸不幸を隔てれいるようにも思うのである。そして各々の生を享(う)けた時代というものが、運命においても一つの流れを齎しているようにも思えるのである。

 往時の武士は、まず実用刀として「折れず曲がらず」という刀を探し求めて苦労した。同時に、「美しい」ということにも心を砕いた。
 更に進めて、心の拠
(よ)り所となるべきものも探求した。そこには一心同体と言う意識があったからだ。
 刀を自らの運命共同体としたのである。
 そうなると、刀剣そのものを勉強しなければならなくなる。単に、刀を腰に差しておけばいいと云うものではなくなる。
 需
(もと)める物は、自らの分身である。
 分身なるが故に求道精神が起こる。武人の嗜
(たしな)みは、この道を求めて止まない求道精神が、また武の道を発達させ、そこに精進させる世界を構築したと言える。

 求道は、単に趣味の世界とは異なる。
 江戸中期になると、日本刀は豪商などの金持ちによって、美術的価値を論ずる媒体にされたが、一方、武士の求める物は単に美術的なものばかりでなく、折れず曲がらずを旨として、そうした物を求めて日夜苦心していた。幾ら美しくても、いざという時機
(とき)に折れたり曲がったりするのでは何の役にも立たず、そもそも武士自体の価値が失われてしまう。
 つまり、真なる求道は、趣味のレネルを遥かに凌駕
(りょうが)し、また単に伎倆のみで済ませられるものとも違うから、やはり運命共同体としての霊的面を担う場合が多く、これが両輪の輪の如き存在になっていなければならないのである。
 道を求めるとは、趣味の道ではなく、実用を兼ねた実践への道でもなければならないのである。
 ここにこそ、求道に崇高なる誇りと志が感じられるのである。

 単に強いと言うことだけでも駄目で、また優しいと言うことだけでも駄目なのである。
 両者は両輪の輪の如き存在であり、更には虚実が一体になっていなければならないのである。それこそが臨機応変に対応出来る「柔軟性」であろう。張りつめてばかりでも駄目で、また弛
(ゆる)み放しでも駄目なのである。そこには中庸を必要とする。
 リラックスが肝心であり、本当の意味のリラックスは「無意識の緊張」であろう。この緊張こそ、まさに中庸なのである。

 そのためには重い既成概念を取り払わねばならない。こうしたものを一切脱いで、自由さを獲得しなければならない。この自由の中に「物を検
(み)る眼」が生まれて来るのである。
 物を検る場合、わが眼の裡
(うち)に映る映像は健全に正確に映らなければならない。霊的に曇らされていたり、色眼鏡を掛けたような状態で、正しい映像も歪(ゆが)んで見えるようでは、物事は正しく映し出せない。

 また、見ている先が闇だからといって、闇の暗がりでも明るい視力で、闇の中すら見通せるような視覚をもっていなければならないのである。
 現代人の視覚は、肉の眼ばかりに頼り過ぎるため、闇の中を見通す視覚は暗いと言われる。
 これは霊的神性が曇らされているために起こる異常症状である。この暗さから解放されなければならない。
 この解放によって、武人は益々求道精神を旺盛にするのであって、この旺盛なる生命力をもって、ある意味で武を志す者は、名工を求めて武者修行に全国を行脚
(あんぎゃ)し、よき武術の師と、よき名工に恵まれんことを天に祈ったのである。

 こうして武人が益々、折れず曲がらずの名刀を需
(もと)めて行脚すれば、一方、刀工自身も武人の需めに応じて、求道に匹敵する作品を造り出さねばならない。こうして、双方が襟(えり)を正す事になる。
 古来より刀工が最も苦心したところは、単に美的センスの追求のみに留まらず、折れず曲がらずという刀剣を造り出すことに苦労した跡が見て取れ、そういう刀を鍛錬することに命を賭けて来たと言っても過言ではあるまい。
 つまり、刀工の気持ちを通じて代弁するならば、日本刀はよく斬れるということよりも、まず折れず曲がらずが第一義であり、よく斬れることよりも、そちらの方を優先した跡が窺える。よく斬れるは、次の位置に置かれていたように思うのである。

 更に、心ある武士は、また一方で折れず曲がらずの刀を入手することに最も苦労している。
 何故なら、幾ら美しい刀でも、刀は案外に折れ易いのである。次に、打ち合うと曲がるものなのである。
 日本刀に詳しくない世の大半の人は、テレビ時代劇や時代劇映画の架空の効果音や架空の斬劇を信じて、刀は「名刀程よく斬れる」と思い込んでしまった観が強い。

 ところが実際には、時代劇の芝居で見るほど、ああいう容易なものでなく、また実戦では、殺陣師が振り付けた恰好よさも存在しない。それに刀剣は、何合か打ち合うと、折れる場合がある。
 そうした現実的な表現が、芝居上で描かれていないため、剣の遣い手は、あたかも大根を切るようにバッサバッサと斬り捲っている。更に、刀が簡単に折れるシーンなどは皆無だと言っていい。
 また納刀の際、少しでも曲がれば、納刀は容易でなく、今日の居合道などで見る「型の上での納刀の動作」があるが、あの動作も、実際に物を斬り、その後と動作としては余りにも短見的な型表現であると言える。この型表現は実に非現実的である。

 人間は、水冷式の哺乳動物の形態を持った肉体で、その約70%は血と言う液体であり、この液体は「血」であるが、血の成分の多くは、また「脂」なのである。血糊
(ちのり)を踏めば「滑る」所以である。
 脂は、刀剣と言う玉鋼の肌に絡み易い粘着性をもった液体であるということも念頭に入れておくべきで、根本には濡れ藁
(わら)や濡れ蓙(ござ)を切るのではなく「動物を斬る」という流動体の概念がなければ、人間は大根のように簡単には斬れない。
 濡れた藁や蓙は、あくまで架空敵をそうていした
擬似的なものである。

 こうした概念が、時代劇作家や時代劇演出家、あるいは立回りをする殺陣師の型の上、約束の上での振り付けは、非常に現実離れしたものとなる。
 こうなるのは、とことん日本刀そのものを追求せず、安易に、またその刀剣を遣う者の人格までもを正確に把握しなければ、真物は描けないのである。単に娯楽の架空のものになってしまう。

 つまり合戦での刃こぼれがした刀剣を、実際に「わが目で見たのか!」と言いたい。それを自らの眼で「確認したのか!」と言いたい。今日に見る『競技居合道』の如きでないことは明白であろう。
 居合道のコンテストに上位を占めた者が、必ずしも戦場で生き残れるとは限らないし、また道場の竹刀稽古の上手い者が、実戦において、必ずしも勇猛果敢な働きをするとは限らない。

 演武においても同じことがいえ、実戦は、約束演武のようにいかないのは事実であり、演武上手が戦場において、いい立回りが出来るとは限らない。
 更に付け加えるならば、日本刀の「表の技」で用いる日本刀をよく知らない者が、「裏の技」である柔術や徒手空拳の当身術においても、これを能
(よ)く遣うとは言い切れないのである。むしろ「能く遣いこなせない」というのが実情ではあるまいか。

 日本刀の刀術は「表」であるが、日本刀を捨てた「裏」の技も、実は日本刀の理から始まったものであり、日本刀を持たない「無手之術」においても、その理は当然残っていなければならず、つまり日本刀を理解せずに、徒手空拳に頼る武道であっても、本当のことは会得出来ないし、高次元の域にも到達出来ないと言うことである。
 似非
(えせ)とか疑似では、何もならないことは必定であろう。

 まず、時代劇の似非や疑似から解放されなければ、正しい「日本刀観」は見えて来ない。
 そして声を大にして言いたいのは、まず刀は、並みの刀なら鈍刀
(なまくら)でなくとも、おおよそ七回程度打ち合えば、折れなくとも、曲がるか、刃が凹(へこ)んで崩れ、あるいは刃こぼれするかであり、この現実を見逃してはならないだろう。

 江戸期、武士が最低の差料を求めるにも、大刀一振りで十両前後懸かったといわれる。
 江戸期の264年間を通じて、一両小判の価格は常に安定していた訳ではない。時代によって異なる。
 つまり前期・中期・後期・幕末と、それぞれに金の含有量は異なるが、おおよそ現代に換算すると、一両は8万円から10万円前後と思われる。その中をとって9万円とすると、差料一振りが、十両として、現代の金額に換算して90万円相当に匹敵する。

 刀が90万円相当とすれば、ざっと見て、100万円前後と言う事になり、ランク別に見て、2尺3寸5分程度の長さで「定寸」と言われる物は、おおかた財団法人・日本美術刀剣保存協会の認定する現在の「保存刀剣」から、かつての「特別貴重刀剣」というランクに相当するものであろうか。
 武士の佩刀
(はいとう)代とは、かくも金の懸かるものだった。武士はタダで出来なかったのである。

 勿論、下級武士などは、それ以下の物を佩刀していたであろうから、五両の差料もあったろうし、更にもっと劣悪極まる「素延べ」という刀擬きを腰に差していた下級の武士も居たであろう。そうした武士が、もし何か事があり、抜刀して戦わねばならない場面に遭遇した場合、まず素延べ刀は鍛錬が甘いから、折れることにはならないであろうが、曲がることは確率的にも多くなり、“絶対”と言っていいほど曲がって納刀はできず、鞘には殆ど収まらないのである。
 実際にはそうなる。武士の身分と家柄と石高と、差料の格差は決して無縁ではなかった。
 貧困の武士は、差料も一両
(未使用でも8万円前後。現代もそう言う刀がある。拵が付いていても安物で粗末であり、刀身は鉛刀然)前後と粗末であった。経済力が乏しいだけ粗末で、粗末な分だけ曲がり方に比例する。

 私の道場でも、定期的に「試し斬り」や「据え物斬り」を行うが、入門して三年程度の有段者でも、抜刀して濡れ蓙などの媒体を斬りつけ、納刀の段になって、まともに鞘に納めることの出来るのは殆ど居ないと言っていいほどである。それだけ日本刀は、物を切断すると言うことが難しいのである。

 斬りつける場合、今日流行している居合道のレベルの抜刀と納刀の型演武では、一刀両断という事に関して言うならば、「斬り覚え」を充分に経験しておかないと無理であろう。
 況
(ま)して動物となると尚更で、動物は簡単には斬れないものである。
 つまり「斬り覚え」なければ充分ではないのである。

 人間の机上の空論で作り出した時代活劇は、現代人に、日本刀観を正しく認識させないまま娯楽の世界の余興に留め置いた観が強いようである。また実戦を知らない時代劇作家が、机上の空論の中から、バッサバッサと、あたかも大根を切るような愚かしい場面を創造した。しかしこれは実際的でない。

 娯楽で見る分にはいいが、何れも見事にスッパスッパと斬り捨てる様は、これを読んだり見たりした読者や視聴者の大衆の知識を軽薄にするものである。
 更に、作者や演出家の脳裡
(のうり)には、刀は折れ易く曲がり易いと言う概念が完全に抜け落ち、特に斬られ役の名もない脇役は、物の哀れを誘うが如く、無慙(むざん)に斬られている。
 つまり、虫けら同様であり、また斬られる側の人格も無視である。これほど人命を軽視した時代創作劇はあるまい。

 本来ならば人命を奪う以上、如何に時代考証が江戸時代であっても、親が居り、兄弟姉妹が居り、友人が居り、また読み書きを覚え、更には武士である以上、剣術の道場にも通い、武術を鍛錬すると言う成長して行くまでの人間成長過程と言うものがあるのだが、これらが一切無視され、まるで塵芥
(ちりあくた)の如き存在で斬り捨てられていく。何のためにこの世に生まれて来たのか、という生自体も無意味なものになってしまう。
 こういう時代活劇を見ていると、主役に応援するより、むしろ斬られ役の名もない脇役俳優に「今日も見事に斬られているな。頑張れよ」と激励したくなるくらいである。

 それに主役は、見るからに脇役とは格段上の上質の差料をし、一方斬られ役の浪人Aとか浪人Bは、格下であるから、また差した佩刀も大した物でないことは一目瞭然である。それなのに、彼等も逃げる際は、一様にまがりなりにも納刀して立ち去るのである。これを見ていても不思議と言うより、「現実離れして、どうもリアルでないなあ」と嘆かずにはいられないのである。
 これでは視聴者も、日本刀とは、如何なる物も総てあのように斬れて優秀で、折れず曲がらず、然
(しか)もよく斬れるなどのイメージを、先入観として抱いてしまうのである。

鋩子や刃に力を感じないのが「素延べ刀」の特徴である。見た目が重苦しく感じる。
 刃文もぼんやりとしていて、地肌は鍛え傷もなく、つるっとした感じで一見綺麗であるが、刃に力がないというのが、この種の刀である。
 また研磨しても、角
(かど)が正確に顕われず、丸みを帯びているのが素延べの特徴である。
 こうした素延べは、鉄の中に多く炭素を含み、作者が鍛錬して、これら不純物を叩き出していないから、鉄地そのものは「鉛状態」である。重苦しく感じるのはそのためである。

 そして斬る場合の斬撃角度の刃筋が、30度から40度くらいの袈裟斬り角度から外れれば、刀術者は刀を曲げてしまう。
 つまり斬撃角は20度でも50度でも誤りで、無理に力で、攻撃媒体を叩き付けたように斬ると、鉛刀の鈍刀
(まなくら)では曲がるということである。曲がるのは素延べ刀に多い。
 こうした刀の重さは、見た目以上に「重い」ということである。動きにすれば鈍重となる。


よく鍛え、練れた刀。この種の刀の刃文を「蟹爪」という。互の目丁字で刃文があたかも蟹の爪に似ていることから「尖り刃交り」と称する。筑前石堂系に多い。

 地沸がよく、肌立ちが「ざんぐり」にて、強い鉄地だと沸
(にえ)出来となり、刃中沸と匂(におい)で鋭い感じがある。こうした刀は、刀術者が斬撃角度の刃筋さえ間違わねば媒体は如何なる生体も正確に切断し、曲がったり折れたりする事はない。
 また「軽い」のを特徴とする。素延べ刀のように重くない。見た目より、随分軽く感じるのである。そのために軽快さがある。

 但し、昨今の「斬れ味」を云々する場合は、大半は濡れ蓙を巻いた物を切断して、それを善し悪しと判断するようであるが、これは根本的には違った考え方である。

 正しくは、哺乳動物などの脂を持つ生体でないからだ。これは、あくまでも疑似である。
 実戦においての対手は、巻き藁や濡れ蓙でないからだ。対手は武器を持つ敵軍の武将であり、また乱軍に際して、何を斬るは判明がつかないからである。

 昭和の戦前ならびに戦中は、豚や山羊を斬ったと言う人が何人かいて、試刀のランク落ちで巻き藁などで試験して、その斬れ味に安心を抱いたと言うが、研師の吉藤先生は「それでも安心ならぬ」という感想を抱いていた。
 こういう生き物を斬って、その斬れ味を判断するのは、早計であると言った事がある。また少なからず、「間違っているのではあるまいか」とも疑問を抱かれていた。
 況して、巻き藁や濡れ蓙では、生体とは似ても似つかぬからである。

 研師としての吉藤先生は「乱戦に際し、それを想定して斬撃する場合、如何なる試験法が実戦に一番近いか」ということを常に模索しているようであったが、戦場では、わが生命を一剣に託し、その勝敗を、総て背負って戦うのであるから、武士の佩刀は重要な意味を持っている。
 故に、試刀術は手軽に、簡単に安易に行う事自体に無理があるということも言われていた。
 しかし今日の社会において、試斬りは、濡れ蓙を通じて稽古するのが一般的である。

 こういう日本刀観に誤りが生じたのは、何も今始まったことではない。
 戦前の昭和の時代にも多くあり、既にこの事時代劇作家や時代劇映画で斬り合いのシーンが演出されていたので、当時の大衆でも、日本刀に対しての知識は、折れず曲がらず、然もよく斬れると思い込んでいた節が強くあった。

 作家や演出家の、折れず曲がらす、刃こぼれせずの「この点」に対しての無関心は、実は当時、出征した将兵の命おも危うくしたと戦争体験者から聴く話である。
 それは時代劇大衆小説や、時代活劇映画の悪影響があったとも言われる。
 大衆の多くは日本刀を、「折れず曲がらず、然もよく斬れる」という日本刀観で、安易にイメージし、それを当時の大東亜戦争にスライドさせ、その感覚で戦地に赴いたと言うのである。

 更に、本当は非日常の戦時のみならず、平時においても「縁起物」として珍重された理由は、刀剣自体に霊力を持ち、これが「破魔」の力を持っていたからである。破魔の威力は、名刀ほどその威力は絶大で、日本刀が霊剣と言われる所以
(ゆえん)は、刀工が自分の魂を注ぎ、刀剣に一切自分の気魄までもを注ぎ込んだからである。縁起物の所以である。
 縁起物であるからこそ、その特性としては「折れず曲がらず、然もよく斬れる」という霊的現象を顕し、所持する者を加護したのである。

 故に往時の武士は、この縁起物を入手するために、非常に苦労したと言っても過言ではあるまい。
 当然、縁起物であるが故に、入手する場合の購入時には値切らないのが常識であり、本来ならば「いい物を高く買う」という心の余裕こそ、縁起物を縁起物として働かせる一大特徴であり、私は若い頃から、こうしたことにも心掛け、似非縁起物に多いのは「安かろう悪かろう」が、実際的な現実だった。
 こうなると、本当の縁起物に出くわす確率は益々低くなってしまうのである。
 安かろう悪かろうの似非縁起物では、非常時には決して役に立つことはあるまいと、この事も充分に吉藤先生から聴かされていたのである。

 いい物を高く買う……。
 こういうと一見、流通市場を逆行するような考え方に囚われがちだが、実は流通の中でも、特に古美術品と言うのは絶対数が僅かではあり、年々減少しているのである。したがって、希少価値的な物は、金さえ出せば幾らでも買えると言うものではなくなり、金を出しても買えない物があるという、資本主義の市場経済に、逆行する現象が起こっているのである。

 それは、金を出しても買えない物があるという、縁起物ゆえ成り立つ法則である。
 つまり、自分に適合する縁起物は、幾ら金を出しても買えない物があると言う事実である。
 金を幾ら叩
(はた)いても買えない物がある。売ってもらえない物がある。知るべし。
 世の中には、稀
(まれ)に、そういう物がある。
 また縁起物を入手することができるか、あるいはそうでないかは、入手する側の人間性による場合が多いようだ。

 そしてケチは、縁起物を手にするチャンスを逃がす事が多いようだ。迷えば、幸運に恵まれる事が少ないようだ。
 それが「幾らか」ではなく、実は「人生が幾から」であるからだ。
 迷い人は、迷いっぱなしで核心を見ることはない。そこで「勝負有り」のようだ。

 例えば、入手する側の人間性が未熟である場合、こう言う未熟者は、縁起物を手に入れようとしても、そのチャンスを逸脱する人が多いようだ。
 それは自らの未熟で逃す人もいるし、あるいは過去世
(かこぜ)からの習気(じっけ)という性癖を引き摺っていて、目先の慾と、元来のケチが災いして、そういう事が重なり、結局は、いざと言う時には何の役にも立たず、鉛刀のような鈍刀を掴まされる羽目になると言うことである。

 いざというとき実用刀としては全く役に立たず、然
(しか)も美術的な価値も低い「素延べ刀」などを掴まされる人の多くは、些(いささ)か人間性と性格から来る性癖に問題があるようだ。
 要するに「ババ抜き刀」を掴まされているという現実である。
 こういうババ抜きの悪循環に嵌まる人の多くは、縁起物を入手するに当って、“ケチる”のである。即断力も決断力もなく、然も優柔不断であり、大いに迷い、それがケチと密接に絡み、そこで判断を誤るということである。
 こういう人は人生が危ういだけでなく、わが命も自ら危うくしているのである。



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