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続・刀屋物語 23

刃文、濤乱刃の湾れ刃。そして沸出来の互の目乱れ。湾れに高低変化有り、かつ丁字乱れが混じる。鉄地、綺麗なるをもって寔(まこと)に斬れ味よきかな。



●立志

 志(こころざし)にて世に立とうとし、胸には大志を抱いてそれを絶えず懐(ふところ)で暖め、大きな夢を抱いている者は、人の意見を謙虚に聞く雅量を持っているものだ。
 その一方で、自分の考えも確
(しっか)りしたものを持っていて、他人のお追従などに容易に煽(おだ)てられないものである。賢者とはそういうものである。

 吉藤先生は、時として志について語り、また時として、それを成就させる道を説いたことがあった。
 それは夢を追うのでなく、志を掲げてそれに向かうことを説いたのである。
 私には、道場を大成させるというそもそもの志があったが、刀剣の世界で曲り形にもそれで生計を立て、職業として刀屋を生業とすることは、両方の目的地が大本の志と一致していた。文武の世界、友文尚武を目指すなら、日本刀の勉強も無駄にはなるまいと思った。

 しかし、この勉強は一方で美術品の鑑定に留まらず、実に「人間勉強」そのものであった。人間を知らずして、刀の勉強はあり得ないと痛切にこの頃から感じ始めていたのである。
 実は刀を鑑
(み)ることは、また人間を検(み)ることであった。刀剣鑑定法イコール人間鑑定法であった。
 人間を検る以上、そこには種々の教訓が必要であった。古人の智慧
(ちえ)が必要だった。

 特に、同時共感として私の心に残った一言は「貪
(どん)すれば勝ちを得ず」という言葉だった。
 「貪」とは仏道でも“三毒の一つ”として挙げており、この中には貪欲や貪愛
(とんあい)などが含まれる。
 この「貪」を、私流に解釈すれば、貪は「鈍
(どん)」で鈍いという意味であり、逆解釈すれば、“貧すれば「鈍」す”は、頭の働きが鈍くなることによって、愚かになり、また品性が卑しくもなるという意味にピッタリと適合する。
 何事も欲張っては貪欲になり、この貪は、鈍に繋がっているのである。
 鈍は「おろか」と言う意味だ。
 鈍
(にぶ)いだけでない。愚かと言う意味である。肝に命ずる必要があろう。
 つまり「過ぎる」ことは、よくないのである。

 貪愛とは、惚れ過ぎるなと言う意味であろう。また、自分の好ましい対象に対する強い執着
(しゅうじゃく)を警戒する言葉であり、何事も強い執着を抱くことはよくない。着かず離れず、かつ、さらりとした潔さ。
 これが物事に対する接し方である。

 この意味で、女も刀も同じだと、子供の頃に刀剣蒐集家の叔父から聞かされた言葉を思い出すのである。
 叔父は、小学一年生の私を呼びつけて、刀を鑑せ、細々と注意したことを覚えている。叔父自身が刀剣マニアで、自らが刀剣にのめり込んで行く愚を、私に向けて諭
(さと)したのだろう。あたかも、“俺にようになるなよ”と。
 「自分はこのようなマニアに成り下がったが、お前だけは刀剣に魅
(み)せられるような愚かなことはするなよ」という思いを込めたものであったかも知れない。

 そして、あれから十年以上経った後、再び藤吉先生から異口同音だが、「貪愛はよくない」と言われたのである。
 それが「貪すれば勝ちを得ず」であった。
 それは、あまり欲張り過ぎると、勝つものも勝てなくなると言う意味である。

 欲張り過ぎると勝てない……。真理だろう。
 「勝ちは六分の勝ちで満足せよ」とは、武田信玄の言葉である。六分を勝てば、それで良しとする。もうそれ以上望まない。身を正しく保つための処し方である。
 腹を満たすにも、満腹はよくないと言う。
 腹八分と云う言葉は、満腹の愚を諭した言葉であるが、これを一歩進めれば、志を抱いているものは「腹六分」がちょうどいいのではないかと思うのである。
 人間には食禄というものがあるから、腹八分で少し貪欲であり、やはり六分を基準にして、食禄の寿命を引き延ばすべきであろう。

 人間に一生は、ダラダラと百年以上も続くことは稀
(まれ)である。せいぜい長生きしても百年止まりであろう。
 昨今は医学の発達で、日本人の寿命はダラダラと長くなっているが、百年生きたとしても健全なる百年で、健康で元気に働ける百年なら申し分ない。
 ところがこの百年に中には、寝たっきりの百年もあり、生命維持装置を力を借りての植物状態での百年もある。
 世には早々と六十代半ばからボケが始まったり、不摂生の高血圧が祟って半身不随で歩行不能となったり、生命維持装置のお世話になり、寝たっきりで二十年、三十年と、生物的に、ただ生きているだけの人もいる。
 同じ百年でも、健康なる百年とは、自
(おの)ずから次元が異なっているのである。
 同じ百年生きるのなら、人間として活動出来る百年でなければならない。そうなると、活動出来る百年の年齢を保っている高齢者は随分と少ないことになる。

 最近、私はある刀剣会の市場で、90歳を超えた研師職人に遭ったことがある。
 普通、90歳と言えば、もうよぼよぼと言う感じがするが、その研師職人は矍鑠
(かくしゃく)としていて、一人で刀剣会の市場に出向き、自分の「これは」と思う物を入手し、それを持ち帰って研ぐと言う。

 刀剣会の市場の模様は既に述べたが、競り行う前は、刀剣類を入れた函が、下座から上座へ順に廻って来くる。
 そとのき席の中程にいた私は、ある白鞘に入った刀剣の鞘を払い、鉄地や刃文を見ていたが、その中茎
(なかご)が見たくなって、柄から中茎を抜こうとしても、中々取り外すことが出来なかったのである。ちょうど立ち往生している状態であった。
 そしてその反省として、家を出るとき、中茎抜きをする「当て木」と「木槌」を持ってくれば良かったと思ったのである。

 席の対面側には研師の老人がいて、私の立ち往生に助け舟を出すように、その辺に散らばっていた鉄鐔一枚を無造作に掴み取り、白柄の一ヵ所に、鐔の耳をちょんと打ち、小気味いい音がするほど見事に当て、中茎を易々と抜き出してしまったのである。恐るべきは職人の智慧というべきか。
 まさに臨機応変の対処だった。
 中茎抜きの道具がなくても、「このような遣り方で、臨機に応急処置が出来るのだ」と言わんばかりの早業だった。これには、大いに恐れ入ってしまった。

 私は心の中で「ホーッ」という、あまりの見事さに溜め息を付き、易々と中茎を抜き取った、この研師の老人に感服したことがあった。90年以上も生きて、また職人として、老いても伊達に生きているのではないと言うことを悟ったのである。
 私は、刀剣を扱うときの固定観念があるのか、例えば白柄から中茎を抜き出す場合、道具がなければ無理だと決め付けていた。だが、90歳を超えた研師の老人は、その辺の適当なる鐔一枚を掴み、意図も簡単に中茎を抜き取った智慧は、私以上に柔軟な発想をしていた。

 頭が柔らかいとは、こういうことを言うのである。
 実に柔軟な発想で、年の功だけ物事を解決してみせるのである。一枚も二枚も上手であった。
 老いても、発想が柔軟であったり、考え方に固定観念を持たないならば、それは実に若くて素晴らしいのである。
 水は方円の器に随
(したが)うが如く、柔らかくて、滑らかで、小回りが利き、こだわらず、臨機応変であると言えるのである。

 私はとっくに六十半ばを超えた年齢になったが、刀剣の世界でも、まだまだ知らないことが多過ぎるのである。
 私如き未熟なる者にとって、これは一つの貴重な勉強だった。いい勉強になったのである。
 この歳になっても、まだまだ学べるのである。学ぶことに、年齢は関係ない。学ぶことがあれば、謙虚に頭を下げて学べばいいのである。
 人間とは「生涯学習の生き物」であった。
 生きるとは、また学ぶことであった。

 そう思うとき、私が若い頃、吉藤先生から教えて頂いた智慧の数々を思い出し、人の人生は如何に儚
(はかな)いかを併せて反芻(はんすう)するのである。そうした反芻の中で、また人生は、夢ではあるまいかと、ふと想うことがある。
 これを想うとき、唐の時代に『一炊の夢』という逸話があったことを思い出すのである。
 夢は見ている分は気楽で、自分に都合のいい夢ならば有頂天に舞い上がることもあろうが、舞い上がってもそれも束の間。醒めれば瞬時に消える。
 そういう夢が『一炊の夢』であると思うのである。

 唐の盧生
(ろせい)という青年が、立身栄達をしようとして長安の都を目指し、趙の邯鄲(かんたん)で道士に不思議な枕を借りて寝たところ、人生一代の栄華を夢に見たというのである。
 その夢は、若者が長安で仕官し、皇帝に重く用いられて異例の大出世をし、絶世の美女と噂される美しい女人を妻にし、ついには宰相となり、八十歳を超える長寿を得た。振り返れば、栄達を極めた一生であった。
 臨終に際し、床に臥せりつつ己の一生を顧みて、そういう時に何か、別のものの煮えたぎる音を耳にした。
 それが何かと思い、盧生青年は起き上がったのである。

 するとその音は、黄粱
(こうりょう)が煮えたぎる音であった。そして、ふと気付くと、邯鄲の茶店の椅子の上で横たわって居たというのである。
 目が醒めてこれに気付けば、煮えたぎる音がしたのは、自分が注文した黄粱の煮る音であった。
 醒めてみれば、炊きかけの黄粱
が、まだ煮えきらないくらいの短い時間であったという。
 つまり「一炊の間」に一生の夢物語を見てしまったという故事にちなみ、人の一生の栄華の儚
(はかな)いことを「一炊の夢物語」が雄弁に現したのである。

 盧生青年は人生の栄枯盛衰の儚さを悟った。そして長安に行くのを諦めて故郷に帰ったというのである。
 この物語を『邯鄲の夢』ともいい、また『邯鄲の枕』ともいう。人の一生の儚いことを教えた物語である。
 確かに人の一生は儚い。そして脆
(もろ)い。幻でもある。

 私は大学二年の頃、駆け出しの刀屋として、何かを「試されている」ように感じたのである。果たして私は何を試されているのだろうか。
 運命から、私は何を試されているのであろうか。
 試されていることについて、このとき強く感じたのである。
 それは学ぶこと、そして悟ることではなかったかと思うのである。
 爾来学ぶことを止めなかった。

 人間は様々な角度で試されている。また試す側も様々である。
 運命から試されているという人も居ようし、天から試され、国から組織から、そうした運命共同体的なものから試されていると感じる人も居よう。
 一方刀屋は、顧客のみならず、往時の、今は存在しない刀工からも試され、目利きのほどが如何程かも試されている。
 試される……。
 それはいったい何が試されるのか。

 実践のほどである。日々精進の実践のほどである。
 地道に学んでいるか、知っているかが日々の日常を通じて試させるのである。
 学ぶこと、そして知ること、あるいは悟ることは、わが肉体を通じて魂にまで浸透させ、それが霊肉と一体になっていなければならない。霊と体が相半ばして、中庸を保っていなければならないのである。

 また中庸を保つ媒介として、人間には言葉と云うものが存在する。
 言葉は、「光透波
(ことば)」である。光を発するものである。
 武士に二言はないと言う。
 二言がないから、武士は口約束でも履行すると言う。口で喋ったことには責任を持ち、それを決して覆
(くつがえ)さないと言う。故に、武士は小さな口約束でも破断せずに、必ず厳守するのである。

 その「厳守」の中枢には、心の拠り所がなければならず、天地神明に誓ってという赤誠なる魂の証
(あかし)がなければなるまい。この証こそ、日々実践だと思うのである。
 日々精進する。
 肉体を通じて霊肉ともに学ぶことや知ることを深めて行く。

 物事において種々の分野で「巧み」と称される職人がいるが、こうした巧みと称される職人は、まさに日々実践の実行者だった。物を作り出しばかりでなく、物が遣えたのである。物を造り、それを創造するだけではなく、造り出したものを正しく遣うことが出来たのである。

 かつて、私が学んだ吉藤清志郎先生は、研師でありながら刀剣を鑑るだけではなく、研いだ刀を遣えたのである。刀法を知っていたのである。
 この遣えたと言うことに、刀剣の場合は「斬れ味」という事が加味されるのであるから、研ぎ方次第で斬れ味も変わってくるであろうし、鉛刀であれば幾らいい研ぎを施しても、斬れ味は良くならないであろう。
 研ぐ場合、研師の鑑立ても重要であろうが、研師自身も、自らの研いだものが、「よく斬れるのか」という意識をここの併せていなければ、刀剣は単なる美術品の世界に押しやられ、飾り物の床飾り程度にしかならないのである。
 これでは、「いざ!」という時に役には立つまい。

 不言実行。
 その背景には光透波の、光の働きがなければなるまい。
 また、陽明学の「知行合一」からも分るように、智慧と行いは一致していなければなるまい。
 知っていることは行いに変換させても、「それが出来る」ということであり、知識として知っているだけでは何もならないのである。暗記し、暗唱しているだけでは記憶に留めるだけで何もならないのである。行わねばならないのである。
 行うことが出来て、始めてそれは知っていると言うことになるのである。
 故に、知ることは行うことなのである。

 この行うことにおいて「斬れ味」は、どういう意味を持つのか。
 斬れ味を知るとは、斬ることを行うことである。斬ることが行えて、はじめて日本刀を知っていると言うことになる。
 これは真贋の判定を下す以前において重要なことであろう。
 つまり、「行える」のであるから、「斬れ味を知っている」と言うことになる。

刀剣は、単に人の目から鑑て美しいだけでは本来の要を為(な)していない。最も肝心なのは「斬れ味」である。
 この味が悪いと、幾ら美しくとも、それは八方美人の「美」に過ぎず、単なる玩具
(おもちゃ)に過ぎぬ。刀剣は決して玩具視するものであるまい。
 「出来が良い」とか、「番付の列位が高い」とかの理由で、それを求めるべきではないだろう。刃文の美しさや列位のみで刀剣を賞味すると、それは玩具視的な刀剣の鑑かたである。
 刀剣の価値を決めるのなら、刀の斬れ味を二の次にして、列位の優に振り回されるべきでない。

 刀は斬れる。
 如何にも当り前のことだが、この当り前が、昨今では殆ど解されていない。
 本来「大業物」といわれる刀剣は、大いに斬れて、然
(しか)もその味の良さは真贋以上に珍重された物である。
 刀剣の鑑定とは、今日に見る「出来の云々」や「美術的云々」のみではなかった。真なる鑑定は、まず斬れ味を問い、真偽よりも大いに斬れることを鑑定の第一条件に挙げ、それによって真贋を鑑別し、その良否を審査した後、真相実体が明確にされたものである。

 しかし昨今はこの鑑別法は用いられず、単に軟弱でも美しければ、特別保存刀剣になったり、また酷い物は美しい、列位番付が上位ということで、重要刀剣や重要美術刀剣になったりする。
 何とも武人側から見れば、不可解な鑑別法であり、また理不尽な鑑定法である。
 先ずは、よく斬れるか否かを問うべきであろう。次に折れや曲がりの試みも実践して、その観点から中茎銘の真贋を判定する鑑定法もあるのである。
 写真の脇差しは『藤原重行』である。古い記録には、新刀の「豊後刀」とあり、「斬れ味よきかな」とある。

 刀屋として、私が調べた事によると、「斬れ味」について、それをとことん探求した人が、戦前や戦中にいた。そして戦後になると、その探求者はめっきり少なくなる。
 近年では刀剣の斬れ味と言う実用面と、美的な美しさが分離した。

 特に戦後はこの傾向が著しく、美術刀剣としての価値ばかりが追求され、実用面を大い見逃してしまったのである。斬れ味よりも、軟弱で脆くとも、美なる方のみが強調されて持て囃
(はや)され、見栄えのいい美しいのみの刀の価値が強化されるようになった。
 美と実は伴わなくなり、疵がなく、ただ表面的に美しければ、それで良しという風潮が生まれた。近年の刀剣愛好家の「日本刀観」である。

 多くの刀剣愛好家は、美の観点から刀剣を考えるようになり、結局それは趣味人の範囲に留まり、それ以上深く探求されなくなったことは寔
(まこと)に残念なことである。
 私は刀術を習った昭和三十年代から四十年に懸けて、日本にはまだまだ斬れ味を試す「激剣の遣い手」が多くいた。
 遣い手と言っても、古流剣術の免許を取得したり、師範ではなかったが、日々鍛錬している刀剣自体の遣い手には現代剣道の高段者を凌ぐような凄腕の「手練
(てだれ)」と言う人が多くいた。

 その多くは殆どが軍隊上がりで、兵役の頃は、陸海軍の下士官や下級将校であった人たちであり、また中には珍しく特攻隊上がりの人もいて、常に実戦ということを刀剣に託して道を究めようとする求道者達だった。
 当時、私が豊山八幡神社境内に道場を開いた頃、私はまだ弱冠18歳であったが、その道場生の中にも軍隊上がりの年配者が多く、この人たちも、私の武術論理に従い稽古をしてくれた人たちである。

 そして、日本刀の実戦面において「斬れ味」と言うことを理解している人であった。
 私が、道場師範を兼務しながら、学生の分際でありながら古物商鑑札を取得し、刀屋を始めたのは、こうした人たちの影響もあり、また決定的な刀屋修行を始める切っ掛けとなったのは、何と言っても研師の吉藤清志郎先生の影響力が大きく、吉藤先生によって私の眠れる魂を呼び起こしてもらったようなものであった。
 また吉藤先生は古流の試刀術を鍛錬した人であった。

 実戦面の実用刀としての刀剣と、それに加えて美的なものを追求した観点から、本来刀剣は論じられなければならないのである。両者は両輪の輪であるからだ。
 これが正しく出揃ってこそ、刀剣は刀剣としての本来の価値を見出す。
 そして吉藤先生の当時の話しや、私の道場にいた軍隊上がりの道場生らの話を纏
(まと)めると、今日とは随分違う「日本刀観」を持っていたようである。
 昭和の初期の話であるが、この時代でも、日本刀を求める際、日本刀の実用面を知る人は、刀の購入に当りそれを自分の差料するのだから、斬れ味の試験をした後でないと、斬れ味未確認のままでは刀剣を求めなかったと言うのである。

 この考え方は、今とは随分異なり、昭和以前もそうであろうが、明治・大正においても、あるいはそれ以前の江戸期においても、昔の武士と言うものは、まず刀剣は自分と一心同体の運命共同体的な心の拠り所であったから、こういう慎重さがあっても然
(しか)るべきだと思うのである。
 これは随分、今日の考え方と違っていた。

 昨今の刀剣愛好家の中で、そこまで試験をする人は殆ど皆無と言ってよかろう。
 そして昨今の愛好家が欲しがるのは、認定書や鑑定書のついた美術刀剣としての美的面だけを需
(もと)めて刀剣を入手する傾向が強いようである。殆ど斬れ味のことなど、考えていないようである。また、一種の投機と考える美術品の立場のみが強調されているようだ。
 果たして、これで正しく理解し、自分の適切な刀剣を入手したと言えるのであろうか。
 仮に美術品を手に入れたとしても、「刀剣」と言う実用面での道具は見逃してしまったことになる。

 実用と美的であるということは両輪の輪である。
 片方だけを需めれば片手落ちになり、これで中庸を保っているとは言い難い。刀剣は両輪のそれぞれの役目が正しく発揮されてこそ、本来の刀剣の意味を持って来る。一方だけを需めては、片手落ちなのである。
 しかしと言って、試し斬りに、人や動物を斬っていいという論理は通るまい。法治国家なら尚更である。

戦前の日本刀鍛錬の様子。写真は昭和8年頃の日本刀剣鍛錬会の刀匠の宮口靖廣師が弟子2名を合方に、刀剣を鍛錬する神聖なる風景。(昭和13年12月20日発行の(株)雄山閣『日本刀剣の研究』より)

 ところが、私の聴いた話では、戦前・戦中、更には明治・大正の世にも、刀鍛冶が「辻斬りをして廻った」という残酷な話を聴いたことがある。刀鍛冶に生体を斬る腕がなければ、それの出来る手練を雇い、辻斬りをしたと言うのである。

 聞くところによると、「会津最後の兼定
(明治初年歿)」といわれた気概のある刀鍛冶は、自分の造った刀の斬れ味を試すために、「斬れ味が分らんでは申し訳ない」と言うことで、辻斬りをしたと言うのである。それも百姓町人を斬っては御領主様に申し訳ないと言うことで、乞食やホイトウと言われる底辺の階層を斬って、自らの造れる刀剣の斬れ味の試し斬りをしたと言うのである。その真偽のほどは定かではないが、この話がその筋に広まり、大正や昭和になっても真似する者がいて、市中に辻斬りが出たと言うのである。

 さて、試刀目的の辻斬りは、例えば、明治2年頃、兵部大輔だった大村益次郎よのうな明治新政府の高級役人か、その配下の兵部官僚なら、乞食やホイトウ相手に辻斬りを働き、警察署に突き出されても「職務熱心で宜しい」となるだろう。
 しかし幕末や明治初年ならいざ知らず、日本も欧米列強の真似をして、立憲君主の法体制を整え、建前上、法治国家を標榜する以上、市中に辻斬りが出回ると言うのも前近代的である。これでは法治国家とは言えず、無闇に辻斬りするのは天皇の赤子
(せきし)と天皇を冒涜(ぼうとく)したことになる。
 ただただ凄まじいと言うより、残忍と言えよう。

 この話を聞いたというのは昭和初期の話であるが、最後の兼定を知る老人から昭和初期に、この話を聴いたという人が、またその後、私の道場に来ていた年配者から、この話を今度は私が聞いたのである。本当だったら凄まじい。そして残酷である。
 当時、私の道場の道場生だったこの年配者は、軍隊上がりの人で、陸軍の下士官
(軍曹)で腰に、俗にいう曹長刀を佩刀した人であった。剣術経験もあり、刀剣の扱いには詳しかった。その人が、最後の兼定を知る老人から「辻斬りの話」を聴いたと言うのである。満更ウソとも思えないが、仮にこれが職務熱心としても、現代からすれば何とも残酷な話である。

 そして……である。
 平成の世にも、実は辻斬りがいたのである。
 これは平成バブルで日本中が湧きに湧いて、湧き上がっている頃の話である。
 関西圏に居を構える、ある武道の指導者が、辻斬りならぬ、野良犬を斬り回ったと言うのである。
 それは試刀が目的であろうが、ある夜、野良犬を斬り、その首と犬の屍骸を近くのゴミ箱に投げ捨てておいたら、翌朝近くの老婆がゴミを捨てに行ってゴミ箱の蓋
(ふた)を開けたら、屍骸の上に犬の首がデーンと据わっていて、その老婆は腰を抜かしたという。
 そこへ老婆の異変に気付いた近所の人が駆けつけ、直ぐに警察に通報されて、その日は、辺一帯に大捜査網が敷かれたと言うのである。犬を斬った武道指導者は逮捕されることになるが、当時は器物損壊で済まされたと言う。
 近年にも、信じられないような辻斬りがあったのである。

 更に江戸期には、「辻斬り」とか「手討ち」という話を聴くが、これなどもよく考えれば、その大半は自分の差料の斬れ味を試すのが目的だったとも聴く。それ故、新しく刀を需めたのであれば、必ず「試す」というのである。
 多くは、自分で直接試すのではなく、その筋の試刀術の専門家に、某かの心付けをして試してもらうのであるが、当時は、斬れ味を知らずに差料を佩刀するのは恥とされたらしい。

 さて、「斬り覚える」ためには、刀剣自体の斬れ味を試験して見なければならない。
 その際に最も重要なのは、試し斬りに当り「刀の点検」である。この点検を怠っていたのでは、万一周りで見ている人に危害が及び、重大事故が発生する場合があるのである。
 私は、こうした事故や、試し斬りを主宰する主宰者が未熟で、安易に考えてそれを実行したために死亡者まで出たと言う話を何度も聴いたことがある。

 その中でも、特に印象が深く、憎むべき事故があったのは、ある居合道大会で、居合の高段者が目釘を刺すのを忘れ、目釘が利いていないのに「血振り」をして、それが元で刀身が柄から抜け飛び、その刀身が辺りで見学していた観戦客の子供の胸に刺さったという痛ましい話である。
 当時の事故の模様によると、その居合の高段者は、席上に女性客の集団がいて、その彼女らの前で、「自分の所持する刀剣を柄から抜いて念入りに手入れし、また、自分のいいところを見せようとして、つい頭に血が昇り、上がってしまって目釘を刺すのを忘れた」という。見栄もここまでくればお仕舞いと言う、何ともお粗末な話であった。

 しかし、これも居合の経験者ならば「目釘刺し忘れ」は、道を行う者として注意していれば、こうした刺し忘れはない筈であるが、何故か世の中にはこうした点検を甘く見て、怠る者もいるらしく、不注意から事故を呼び寄せる心の隙のある者も多いようだ。
 「好き」とは、現に「隙」にも通じ、世間で言う「好き者」は、また逆の意味で「隙者
(すきもの)」なのかも知れない。

 これは刀剣の好き者は、また一方で肝心なるものを見逃した「隙者」でもあるのだろう。
 こうした隙や油断は警戒すべきで、この警戒を怠った者は、必ず不幸現象を招き寄せるようである。
 世の中は作用と反作用によって、現象界の事象が起こっているのである。警戒すべきことは、警戒し過ぎても、その隙を作らないと言うことが大事であろう。

 そして最も忌むべきは「四悪刀」と言う類
(たぐい)に属する刀を所持することである。
 四悪刀は既に論じて来たが、こうした刀に霊剣といわれる加護を齎すもの何もない。仮に以前は霊剣があったとしても、四悪刀に成り下がったため、霊なる加護は喪失している。
 霊的資格を失った時点で抜け出し、それに代わって、四悪刀には「邪」なるものが入り込んで来ている。こうした邪の住処
(すみか)になった刀剣は、絶対に所持してはならぬ。

 刀剣は、大なり小なり刀鍛冶が刀作をするに当り、一応正規の鍛錬の工程に従い、刀剣鍛錬を行っている。これは素延べを除く、総ての鍛え刀に言えることである。
 それが偽銘で、銘が悪くとも、一応鍛錬した刀であれば、真贋に限らず本来の刀剣の形体をなしているものである。

 したがって真贋のほどは別にしても、大なり小なりの加護力がある。所持者を加護するのである。
 ところが四悪刀は、これがない。
 加護神が去っている。
 折れる、曲げる、刃こぼれや尖先
(きっさき)に欠けを起こし、あるいは錆刀はこの状態で放置すると、刀身には悪霊も棲(す)み付く。
 その悪霊が中心線を狂わせ、禍を齎す。曲がっていては、第一、左右の「合谷
(ごうこく)」が中心線上に重ならず、正しく斬り結ぶことが出来ない。

 日本刀を所持する者は「土地神の理
(ことわり)」を知らねばならない。
 この理を無視して、日本刀の霊器としての御加護は受けることが出来ない。運を益々悪くするだけである。刀剣を所持して、衰運を感じるようになった元兇には、土地神の理を無視したところにある。曲がった刀や折れた刀を溶接で繋いだりすれば、当然そこには善霊が去って、悪霊が棲み付く結果となる。

 そうならないために刀匠は白装束に固め、刀に宿っる善霊を呼び込もうとする。
 故に、本来ならば日本刀を所持すると運が良くなるのである。
 私は、「日本刀を所持すると運が良くなる」と確信している。また刀剣は運が良くなるために、あるいは運を良くするために所有するものだと信じている。

 刀剣には「破魔(はま)」の威力が込められ、魔を断つ働きがある。それは日本刀には、神と同じ働きをする霊的威力があるからだ。
 したがって、邪が断たれる。そしてこの器には、神が憑
(よ)る。これを『憑代(よりしろ)』という。
 何も憑代は樹木・岩石・御幣・神籬
(ひもろぎ)などの有体物だけに憑くのではない。当然、刀剣にも憑く。神霊の代りとして、刀剣は「神器」にもなり得るのである。そもそも刀剣は、神が降臨する「霊器」である。
 故に「霊剣」となる。霊剣は「破魔」の威力を持つ。護り刀の意味もある。

 ところが、四悪刀はそうでない。
 破魔とは逆の現象が起こる。
 人間に禍を齎す。不幸現象に遭遇させる。四悪刀とはそう言う危険な刀なのである。
 そのトラブルの最たるものが、「刀の曲がり」である。
 更には「刃切れ」などと続き、尖先
が欠けて破損していたり、研ぎが悪かったり下手であったり、刀身が捻れているなどの欠陥もある。刀の曲がりは素人では直せない。素人では道具もないし、直す技倆もない。直すには職人技を必要とする。
 したがって素人では無理である。職人でないから経験も皆無である。未経験者が直せる訳もない。素人考えで放置せぬことである。

 曲がった刀、一度折れてそれを溶接した刀、尖先が折れてこぼれ刀身に間抜けを晒した刀、あるいは至る所に刃こぼれが生じている刀、錆ている刀を、俗に「四悪刀」と言う。「凶」を齎す刀である。所持すべきでない。
 こうした刀剣を長く所持していると、その刀剣の所持者に禍を齎す。必ず齎す。そう断言出来る。しかし、愚者はこれに耳を貸さないようだ。

 四悪刀は自身やその家族に不幸現象を齎す。曲がりは心を曲げ、刃こぼれの欠けは自らの肉体を傷付け、折れは志を挫折させ、錆は心を曇らせる。
 表出する現象として、まず所持者自身の運を下げる。
 運気が途絶える。人望が失われる。あるいはその家族に禍を齎す。本人が病気にならなくても、事故者や罹病者が家族の中から出る。破魔とは、逆の現象が起こっているからである。刀剣自体が悪霊の住処となり、邪が憑いたからである。こう言う刀剣を絶対に所持するべきでない。

 始めて手にする刀は、何も高価なものでなくていい。分相応の物を所持すればいい。
 しかし未使用が肝心である。試刀に遣っていないことが条件である。この条件を外してはならない。
 無垢がいい。
 最初は、一応の研ぎも入り、曲がらず、捻れず、刃こぼれや尖先も欠けておらず、順当な刀剣でなければならない。また四悪刀を試し斬りに遣うなどは、以ての外である。こうした物を遣うと、必ず事故などの不幸現象に遭遇する。他人にも迷惑を掛け、その相手の家族からも恨まれるし、殺傷などの事故を起こすと生涯、その遺族や家族に償い続けなければならない。以降は、損害賠償の人生が死ぬまで続くことになる。愚者はそう言う籤
(くじ)を引き当てる。

 しかし、世の中には恥知らずが居るものである。
 相手がド素人であることをいいことに、鞘にも収まらぬ曲がり刀を売りつけた道場の指導者がいた。
 刀剣には始めての、初心者も初心者の、刀を手に握ることも始めてと言うド素人に、何と四悪刀の一つのである「曲がり刀」を売りつけた指導者がいた。
 日本刀を使用する道場では、こういう指導者が、初心者をカモに、自分名義の刀剣類を売りつける押し売り行為は、よくあるようである。半ば、強制的に押し売りする指導者もいるようだ。

 それはあたかも、ド素人の右左も分らない、男知らずの処女の“おぼこ娘”を、新宿歌舞伎町辺りの売春宿に騙して連れ込み、その挙げ句、この娘を性病患者が無理矢理手込めにして、性病を感染させるという行為にも匹敵する、そういう恥知らずと同じである。そのうえカエルの面に小便……で、いや大便かも知れぬが、「曲がり刀」を売りつけたこの指導者を何と言うべきか。
 しかし、世の中には、実際にそう言う人間がいるのである。
 売りも売ったり、曲がり刀。そして四悪刀。

 この手は特に道場関係者に多く、その道場関係者も素人だから、自分の“素人振り”が、全くどの程度の悪事を働いているか、自分でも検討がつかないのである。罪の意識が全くないのである。
 大抵の場合、「師匠譲りの刀剣を手に入れた」と言う人がいるが、その刀はろくなものでない。
 師匠譲りの刀とは、大半はボロ刀である。鉛刀である。曲がっている物が多く、その曲がりは、遣えば遣うほど酷くなる。そういう酷い物を売る師匠筋が多い。

 私自身も、弟子に刀を奨めたことはあるが、検て貰って「気に入ったら買えばいい」と云う程度で、それ以上は無理強いしない。
 何しろ私の生業は刀屋であるからだ。鑑賞する客として、厭
(いや)ならば買わなければいい。気に入れば買えばいい。それ以上何も無い。ただそれだけである。
 したがって、買った以上、それ相当の金額で売ったのだから、まず購入前に試し斬りなど痕跡は一切なく、無垢で、健全な物を奨める。曲がり刀を奨めるなどの恥知らずなことを、刀屋はしない。刀屋は刀屋としての誇りがある。その誇りにおいて恥知らずなことはしない。

 道場主であっても刀屋である以上、師匠譲り……という気持ちを最初から抱いていない。そういう押し売りはしない。
 私は刀を奨める場合、刀屋として奨めているに過ぎない。師匠が弟子に奨めているのではない。刀屋が客に奨めるに過ぎない。刀を奨める場合は刀屋であり、道場筋で売りつけるのではない。

 刀屋は、また「幸せ販売人」である。不幸は売らない。幸福を売る。
 それは、刀が霊器であることを知っているからである。刀は大なり小なり、霊器として霊的構造をなしている。霊器なるが故に、曲げたり折れたり欠けたり錆びたりとして、善霊的な霊力が弱まったとき、善に変わって悪霊が入り込み、この器自体を住処
(すみか)としてしまうのである。
 また霊器なるが故に、善霊が去れば一時期空家状態となり、この悪屋に悪霊が住み着こうとするのである。善悪がこう言う仕組みにより入れ替わったとしても不思議ではあるまい。そして以降、悪が住み着けば器自体が悪霊の住処となる。その後、種々の不幸現象に見舞われる。

 繰り返すが、刀屋は「幸福を齎す商売」である。不幸は売らない。
 刀を持つと「運が良くなる」とは、刀自体が「破魔」の効力を持っているからである。この効力はその辺の神社のお守りや護符よりも効果が大きい。
 それを知るから、刀屋の私としてはその仲介者として、絶対に四悪刀は売らない。それに幸福販売人である以上、価格の尖端は敏感であり、時価相場を常に把握している。それなりに鑑立ても出来る。それが出来ないのなら幸福販売業は出来まい。

 また、仮に錆刀や刃こぼれのある刀を「お宝発見」と題して販売することがあるが、それは「掘出し物」を自身で探してもらうためであり、販売価格も数千円から高くて数万円程度であり、決して二桁数字ではない。近いうち、研ぐことを前提として売る。掘出し物は当たれば大きい。そうした掘出し物の夢も売る。しかし掘出し物は、既に発見された物の中にあるのではない。未発見の中にある。
 未発見の掘出し物には夢がある。まだ誰も発見していない未発見の物は、海の物とも山の物とも判別が着かないだけに、お宝の掘出し物になる確率も些
(いささ)か残っている。
 この僅かな確率に「夢」が存在する。この意味では、刀屋は夢も売る。
 但し、曲がった刀や折れ刀は売らない。また、刃切れのある物も売らない。刃切れは「棟打ち
(刀身部の「みね」の刀背打ち)」が原因で、亀裂が入り折れる危険性があるし、そうした物は最初から値段がない。

 刀剣市場にも錆刀や刃こぼれのある物は、安価で条件付きで売られている。値段が合えば買うことがある。掘出し物が眠っている場合があるからだ。
 買う方は、そうした錆や刃こぼれの条件を、一切承知で買うのである。売買おいて、買手を騙すような売り方はしない。あくまで売手の「条件付き格安価格」を承知で買手は買うのである。
 売手買手ともに、商法で言えば売買契約は成立している。

 ところが素人販売の道場筋での売買は、売買契約もないし、価格も譲渡の仕方も実にいい加減である。
 第一、金額相当分の保証がない。売りっぱなしで、一種の騙し売りに近い。売り抜けである。ババは、掴まされた方がバカと言わんばかりだ。
 値段設定に何の保証もなないのに、最初から高めである。妥当な金額でない。刀剣書籍などの価格番付を参考にしているからであろう。
 またそれ故、今の時価相場を知らない。市場で幾らするか知らないのである。そのうえ人間の値打ちも知らない。

 そして、このボロ刀を売買した師弟は、双方とも、おそらく人の命の値段を知らないのであろう。
 知らないから、師弟間でこういう安易な刀剣売買が平気で出来るのである。
 人間の命の値段、差し詰め「自分の命の値段は如何程」なのだろうか。
 人命は、地球の重さより重いと大袈裟なスローガンがあるが、これなども絵空事のキャッチフレーズであろう。

 私は、よく来店する剣道や居合道関係者と話す機会が多いが、その中で「自分の資金力では中々購入出来ないなあ」などと言う人がいる。その時に私は「ならば、あなたの命の値段は如何程か」と訊き返すのである。
 このように問われて、それに返答出来た者は一人もいないのである。
 一応考え込むが、彼等の大半は、自分の命すら値段をつけ切れないのである。つまり刀剣は「高い」と思い込んでいるのである。しかし、それより自分の命が安かったら、お笑いであろう。笑止である。
 高い安いを論じている時は、結局迷いがあって、即断即決が出来ないのである。これでは武の道を邁進
(まいしん)する者として、危うしである。先が「見えたり」である。

 それでいて道場の師匠筋の方は、犯罪性が濃厚であることを意に介さない。罪の意識もない。それが災いして、自分のもその反作用が働くことを知らない。
 この犯罪性が濃厚なるところは、この指導者自身が古物許可証の鑑札を持たずに、道場に寄附した自分名義の刀剣を売買したことである。寄附者が告訴すれば、横領罪になるから刑法で云う「自分の占有する他人の所有物または遺失物などを自己のために消費するなど不法に処分する罪」に当り、窃盗である。

 もし以前、古物許可証を取得していて、半年に一度定期的に行われる所轄警察署の生活安全課の古物商係の呼び出しに応じなかったり、古物台帳などの掲載を怠ったり、半年間、古物売買の営業をしてなかったり、金銭出納帳の記載を怠っている場合は、これだけで、鑑札の許可は失効しているので正式には古物商でない。古物商でない者が、刀剣類を売買した場合、許可詐称並びに古物営業法に抵触し、刑事罰を受けることになる。

 また、刀剣の時価相場の価格も知らない、おぼこ娘然のド素人に、自分の言い値の30万円前後の金額で販売したと言うから、この売上純利益については、その年度において『確定申告』をし、所得税を払わねばならない。
 しかし、それも怠ったとしたら、今度は税法上の「脱税」に相当する。罪が二重三重と輪を掛ける。

 自分の給与所得が確定され、直接税務署に税金を払いに行くことのないサラリーマンならば、確定申告する必要もなく、またその申告がどれほど厳格を要し、どれほど面倒か、よく知らないであろうが、刀屋の多くは個人経営の自営業者か、少し規模が大きくても同族経営の株式会社か有限会社であり、売上高に関して、あまり経営状態が振わなければ、刀屋を生業にして家族を養うことは並大抵ではない。刀剣の商いで稼ぐと言うことが、一口に「三割り儲け」と言うが、如何に大変であるかよく知っているのである。

 ところが、自分の税金を直接払いに行くことのないサラリーマンは、納税の仕組みすら知らない者が多い。
 『貸借対照表』も読めない者が殆どである。更には『損益計算書』も読めない。
 資産と負債の違いも明確に出来ないだろう。こう言う者が、ドンブリ勘定で刀剣を売買し、儲けは頬っ被りしてカエルの面に小便……。
 それで、自分の道場に寄附した刀剣を自分の物と思い込み、「資産の部」も「負債の部」も分らず、それを寄付者の承諾なしに勝手に売ってしまう。何と恐ろしいことをしているではないか。

 また、30万円前後の儲けを出すのに、刀屋を生業にしている商人は、これだけの純利益を出すのにどれだけ苦労するだろうか。
 一口に30万円と言が、これは100万円相当分の刀を商いして得られる「七掛け利益」が三割りとして、仕入れ時は70万円相当の物を仕入れ、売値が100万円とすれば、その約三割が30万円相当となる。この30万円相当の純利益に対し
仕入れもせず、他人の寄付した物を売り払って、苦労もせずに三割相当分の金を手にしたのである。
 実に恐ろしいことをしているのであるが、これに対して道場筋の指導者は何の自覚症状も持たず、今まで生まれてこの方、自分は悪事など一回も働いたことがないと自負しているとしたなら、一体これはどういうことであろうか。

 あたかも、生まれてこの方ウソは一回もついたことがないと言う、大ウソに匹敵するような大ウソつきで、自分では今まで生まれてこの方、ウソはついたことがないと“大言壮語”しているのと同じである。
 「天網恢々粗にして洩らさず」を忘れるべきでないだろう。

 また、「好き者」は、また逆の意味で「隙者」なので、その隙に不幸現象が忍び込んで来て、近未来に自らの頭上の上に大きな禍を齎すであろう。
 くれぐれも、曲がった刀で試し斬りをするなどは、刀身自体の中心線が狂っているので、この狂いはわが身にも反作用として跳ね返り、安易に振り回せば大怪我の元であり、四悪刀を遣って、災いが降り懸らないと考える方が余程どうかしているのである。こうした愚は戒められるべきである。
 ロバ面
(つら)の「四悪刀」の暢気(のんき)な所持者よ、君の運気は低下していないだろうか。
 そして人生のおける立志のほどを問いたい。



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