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続・刀屋物語 27

現在の尚道館の結界域。結界は、注連縄(しめなわ)を廻らし、これを結界とする。つまり不浄の者は侵入禁止なのである。

 これは刀剣鍛錬にも同じことが云え、また刀剣を研磨する場合も同じである。
 刀剣と言うのは、単に人を斬刺する道具ではない。往古の武士は刀剣に心の拠り所を求めた。またそれは魂の拠り所でもあった。

 刀の手前という一言が、往時の武士たちの意識をさせた状況は、刀剣処が「斉舎を作って注連縄を廻らし、これを結界とした」というところに鍛錬の儀式や研ぎの儀式があったのである。この意味では、刀剣を用いる道場でも同じであった。


平地筋違研ぎ

棟の筋違研ぎ

鋩子のなるめ
艶研ぎ



●道場事業部事始め

 私の刀剣勉強の応用編は、道場事業部発想の考え方から、家庭教師としてその目が受験指導に向かった。
 刀屋修行はまた人間勉強と共通項を持っていたので、人間勉強は、やはり人脈に繋がる勉強でなければならず、その人脈こそ自らの人生を構築する骨子になると信じていた。

 人脈開拓は、有名人や政財界の要人らの後援パーティの席上で、互いに名刺交換だけで人脈が繋がると言うものではなかった。そういうのは絵空事で、数が多いだけに記憶にも留まらないのである。
 名刺交換だけで、人脈が開拓出来ると信じているのは、余程の楽天家であろう。
 私は人間勉強の実学に徹していた。

 この当時、「勉強は一人で遣った方が伸びる」という確信を持っていた。家庭教師の発想も「個人」というところから起こった。
 しかし個人に焦点を当てれば、指導側のコストは当然大きくなり、それだけに請求金額も大きく、大勢に振り分ければ指導側のコストは多数で分散でき、一人に掛かる負担は極めて小さくなる。当り前のことだが、現代の世でも、これを理解できない人は多い。
 私は当時、コストという面に関し、独占物を大衆化するか、個別化するかの経済思想が市場理論の背景にあると見て取ったのである。

 独占物を一個人の個で分配すれば、この負担は大きく、また大勢で分配すれば、個の負担は極めて小さくなる。
 つまり、個の集合体が多ければ多いほど、個の負担は極小化されて行くのである。しかし極小化されれば、個に分配された効果率も、また極小化され微細化されて、限りなく「薄まって行く」のである。これにより濃厚さは失われる。
 したがって、予備校式の「名物講師」という名の独占物を招いて、一斉授業を展開したところで、殆ど効果がないと知っていた。これは独占物の濃度の問題である。

 昭和50年代から60年代初頭の一時期、予備校で独占物の大衆化として、漫談家や落語家のような名物講師の招来が流行したのは、浪人経験のある受験生であったなら、周知の通りであろう。この時代のことを知る人は、それを痛感するだろう。
 しかし、これが「勉学の伸び」に繋がったかと言うと、その効果は殆どなかったようだ。単に客集めのデモンストレーションでしかなかった。あたかも、笛や太鼓の寄席囃子
(よせ‐ばやし)に誘われて、ふらふら吸い寄せられた寄席の視聴客のように……、予備校生が集まったに過ぎなかった。

 この時代は、講師が生徒を笑わせると、講師の「支持計の針」が振れるようになっていた。
 授業を監視しする予備校内の講師監視室には、テレビ・モニターが据え付けられていて、生徒の笑いが「授業受け」と看做
(みな)されていた。予備校経営側は、そのように捉えていた。講師の授業の善し悪しは、生徒の授業受けから来る爆笑で計られていた。こういう講師を「引きつけが上手い」と称していた。

 監視室には授業受けする笑いに反応する「支持計」が取り付けられていて、その針が、笑い度合いに応じて揺れ動き、その回数をモニター監視者が、数えて記録に残したものである。
 あたかも予備校生が、漫談か落語を聴きに予備校に通うと言う当時の現実は、この「授業受け」に準じたものであった。
 ところが、「授業受け」と「成績向上」は全く別のものであった。
 この盲点を、私は家庭教師を通じて随分前から知っていたのである。つまり、勉強は一人で遣らないと、授業を聴いただけでは成績が上がらないのである。面白い授業も、時間とともに忘却してしまうのである。その結果の売りに残るものは殆どない。

 私は、自分の生業が刀屋だけではなく、受験産業にも手を染めていた。受験は、これから成長株の産業と検
(み)て居たのである。
 刀屋は特定のある程度の財力と蒐集の趣味人の個別化の業界だが、受験においてもやがて大衆化して、学歴も大衆化するであろうから、猫も杓子も大学へと進学する時代が来ると直感したのである。昭和40年代、大学の進学率は今ほど高くはなかった。同年代でも、私学を含めて大学に進学した者は統計的に見ても半数にも満たないだろう。

 また後に、家庭教師を皮切りに学習塾、進学塾、大学予備校と展開して行いった一連の流れには、人間勉強をした結果が、集大成されたものであった。
 しかしその一方で、日本では東大を頂点とする学閥は、決して大衆化することはないと検て居たのである。

 学歴は大衆化するであろうが、学閥は決して大衆化することはない。
 何故なら、日本の頂点に立つ、明治期以来の学閥大学は、各学部の入学定員を殖
(ふ)やすことがないからである。
 殖えるのは、地方に分散する駅弁大学の新設を許可する文部省の緩和策のみであると検ていたからである。この見方は的を外していなかった。
 したがって学閥こそ、個別化の最たるもので、ここに受験プロの家庭教師の出番があると検たのである。
 「勉強は大勢で遣るより、一人で遣った方が成績は伸びる」
 私の持論だった。

 「一斉授業はその場の雰囲気。やがて教わったことは身に付かず、次第に忘却する……」
 これも私の持論だった。
 そして既にこのとき、予備校方式の一斉授業では、殆ど効果が上がらず、学校の延長を予備校に持ち込んで真似しても、合格率は上げることが出来ないことを見抜いていたのである。
 ここに、資金力の乏しい者にも、大手に食い入る隙間があると検たのである。大手受験産業は潤沢な資金力に物を言わせ、浪人生の大多数を独占するであろうが、それは単に年間月謝を掻き集めたに過ぎず、こういう掻き集め方には、こぼれる者が出て来るものである。その証拠に、予備校通いの生徒の全員が志望大学に合格出来る訳でもないのである。第一志望は全体に20%、第一志望不合格で第二志望合格者は30%程度で、要するに何処の予備校でもいい時で、約半数程度の合格者しか出せないと言う構造に気付いたのである。残りの50%は滑り止めの三流以下の駅弁大学だった。
 勉強は大勢で遣っても伸びない根拠が此処にあった。

 予備校は「図書館」と言う名目の自習室があれば、生徒はそこで勝手に、何時間でも勉強をするという法則のようなものを見付けたのである。名物講師の授業より、図書館という自習室に勉学する大きな秘訣があったのである。まさに勉強は一人で遣った方が伸びるのであった。だか、伸びれば伸びたで、次に的確な受験指導が出来る専門のチューターの腕の冴えで、志望が第一志望になるか第二志望以下になるかの「分岐点」が俟
(ま)っていた。
 大学予備校では、教える方の講師と、受験指導をするチューターの分業化が、予備校の評判の名声と関わっていたのである。

 名物講師が熱弁を揮って根掘り葉掘りと教えたところで、その時は分かった気になっても、後で試験をしてみたら、何一つ分かっていなかったと言う現実に、何度も出くわしたことがあった。
 つまり勉強は大勢で遣っても伸びないのである。
 大勢に合わせた場合、人間の習性からして「護送船団方式」を採る。必ず一斉授業ではそうなる。
 先の大戦で日本が負けたのは、輸送作戦に置いて、護送船団方式をとったからだ。低速船の速度に焦点を合わせたからだ。
 船団の中で、速力の弱い、小さい船を護送しながら航行する船団編成を行い、これを愚直に守ったからだ。

 これは今日の行政が、特定の産業を保護するため政策と同じであろう。弱小の企業に足並を揃え、全体の安泰を図る行政観では、ついに全体が崩壊する憂き目を見るのである。現に、戦後の日本における金融行政は、その顕著な例ではなかったか。
 この時の多くの金融機関が潰れた。
 つまり低速・弱小なる基準に足並みを揃えると、集団全体が低空飛行してしまうと言うことである。これは「適者生存」の生物学からでも明白となる。

 人間は年齢に限らず、男女問わず、みな「横着者」で、少しでも依頼型の人間に成り下がると、途端に低空飛行してしまうのである。したがって予備校の一斉事業とは、名物講師に頼る依頼型の人間製造機と検たのである。才能や素質があっても、墜落するのはこのためである。依頼型構造に頭が改造されてしまうと、その頭で物事を考えるようになる。

 全体がある傾向を示し、右と言えば右を向き、左に進めと多数決で決定されれば、左へと突き進む。これはデモクラシー民主主義の多数決の大衆決議である。
 多数で決定されたことは、常に正義と見なされる大衆化の盲点である。
 そして私はこの頃より、デモクラシーと言うのは、もし国民が「愚民化」されて、全体が低空飛行を始めれば、民主主義は「悪魔の道具になりはしないか?」と疑いを抱き始めたのである。

 この当時、至る所に赤旗の波が押し寄せていた。日本中、革命一色となり、赤く染められようとしていた。
 朝日新聞は、「朝日は赤くなければ朝日でない」とまで豪語しきっていた。赤くて当り前と言う非常識が、常識化されようとしていた。
 ついに日本は、先の大戦で輸送作戦で「護送船団方式」を採って、大敗北を帰したうえに、また戦後、「第二次の護送船団方式」を採ろうとするのかと、一瞬日本の亡国を夢想したのである。

 護送船団方式で全滅するより、むしろ、より良き個人主義の方が先決ではないか。個人に大きな価値があるのではないか、そう検たのである。
 マクロ的な大局を検る眼を養い、一人ひとりの個人が、現状を把握する「個人の目の養成」が先決ではないかと検たのである。
 また、デモクラシーは、本当に日本人に理解できる政治システムなのか?……と言う疑いも消えてはいなかった。欧米から齎された民主主義は、国民全体の理解度が低ければ低いほど、「悪魔の道具になる」と検たのである。
 それは大学予備校と言う一斉授業の構造から、その構造自体が欠陥であるのではないか?……という事実と符合したからである。

 だからこそ、より良き個人主義の方が先決ではないか、という結論に至ったのである。
 「勉強は大勢で遣るより、一人で遣った方が成績は伸びる」
 私の持論である。
 ところが、私の持論と同じ考え方で、個別指導を展開していた御仁
(ごじん)がいたのである。

 その後、私と同じ考えを持っていた御仁
と、後に東京中野で出会うことになるが、この御仁も私と同じような考え方であり、世の中に同じ考えを持って、日本の何処かで活動しているということが、あたかも巡り合わせのように不思議に感じたことがあった。

『勉強は一人でやった方が伸びる』(佐々木慶一著、桐原書店、1987年4月1日初版発行)

 この御仁は、私が九州の片田舎で家庭教師の請負業に奮闘しているとき、彼は押しも押されもしない東大医学部に籍を置き、麻酔科医として勉学に励んでいたが、この御仁と、それから十五年後に奇(く)しくも出交(でくわ)すことになるのである。まさにそれは運命的な邂逅(かいこう)だった。
 そして奇なる因縁は、この「個別指導の神様」と云うこの御仁
佐々木慶一氏。氏は重要クラスの刀剣を何振りか蒐集している)が、無類の刀剣蒐集家で、またこの御仁を知っていた大阪の富豪(W氏。重要クラス以上の刀剣を蒐集する愛刀家が無類の刀剣蒐集家で、ご両名とも、私が大学予備校を経営した当時の知り合いである。

 刀剣も考えれば、「学」と「富」の世界で、奇
(く)しくも一直線上に繋がっていたのである。
 こうした側面で、それぞれは富の象徴として、「刀剣」と言う共通項を持っていた。実に不思議な奇縁だった。
 この奇縁は、また人脈にも通じているのである。奇縁なる共通項から世界の富豪へと人脈が通じていたのである。

 さて、私の家庭教師請負業は、単に受験生を志望大学に合格させることだけが目的ではなかった。
 私の最終目的は人脈造りであり、また重要刀剣クラスの日本刀を「祝い事の一つ」として、また家宝の「縁起物」として、そこの子弟の親に買って貰うことであった。そこに魂胆があった。
 そのためには、先ず生徒を志望大学に合格させる初期の目的を果たさねばならなかった。

 更に論
(あげつら)うなら、家庭教師料の一時間1万円から1万五千円(この金額設定は後ほど説明する)という時給に対して、これを「高い」と思うか、「まあ妥当」と思うか、更には「プロならば、充分に安い」と思うか、それぞれの階級の「物」に対する価値観だった。階級が変われば価値観も違う。
 これも、これからの刀剣商売に対して、大いに参考するところであった。
 例えばである。

 もし仮に、あなたは砂漠の真中に置き去りにされたとしよう。あるいは食糧も水もない山中で遭難したとしよう。
 そのとき同行の一人が食糧を持ち、水を持っていたとしよう。そしてあなたは、例えば自分名義の数千万円なり、数億円なりの資産があり、この危機的状況から抜け出さねばならない状態にあった時、ある程度の資産を有する資産家であったとしよう。
 食糧と水を持つ同行の一人が、それを例えば、数百万円なり数千万円なりで売るとしたら、この食糧と水は高いだろうか、安いだろうか。

 飢えと渇きを、頑固迷妄なる精神力で突っ撥
(ぱ)ね切るのなら、食糧と水の高い安いは問題なかろう。むしろ精神力で跳ね返せばいい。飢えと渇きを、自らの忍耐で凌(しの)げばいい。そこまで頑固迷妄なれば、肉体の欲望に振り回されることはないだろう。
 飢えと渇きは精神力で、一週間でも二週間でも、また一ヵ月でも突っ撥ねればいい。
 しかし水分補給は、一般常人の場合、一週間を過ぎると生命が危機に瀕
(ひん)すると言うから、自殺願望者は、それで命が絶えるのも一興かも知れない。

 ところが非常時であり、事の事態の常識判断が衰えず、健全な頭脳を持ち、「生きよう」とする意志があって、飢えと渇きで困窮しているとき、それを突っ撥ねる体力と精神力の有無は、過酷な現実の遭遇して、同じ境遇に至った者でなければ分かるまい。平穏な日常とは、環境が一変しているからである。
 こういう状況下では、コップ1杯の水が、百万円でも2百万円でも高くないだろう。先ずは金額の高低よりもその場の価値観であり、その価値観の大きさを考えれば、コップ1杯が数百万円しても高くはないだろう。先ずは生き残ることが先決である。

 さて、飢えと渇きの中にあるとき、人間はどういう行動を示すのだろうか。この期
(ご)に及んでも、金を惜しむだろうか。
 私は大学受験の家庭教師をするに当り、ふと、こういう突飛も無いことを連想したのである。
 陶淵明
(とう‐えんめい)は「盛年重ねて来らず」と言った。過去の良き日は再び戻って来ないのである。
 また朱子
(朱嘉)の作とされる『偶成詩』の句には「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」とある。両者は「今」が大事と言う。
 人は、自分が若いと思っていても、直ぐに衰え、老けるものである。学問を学ぶ場合は、特にそうだ。
 学問で世に立ち、専門職ほど柔軟な頭脳がいる。柔軟でなければ、頑迷さだけでは応用力が退化する。それから先の発想も何も生まれない。若い時にその基礎を築くべきである。

 学問を極めようとする年齢は、若い時に限る。その下地が、若い頃に養成されていなければ、老いてからでは学問をする運動神経も反射神経も潤いを失っていよう。
 若い時の「今」こそ、寸刻を惜しんで勉強しなければならない。それはあたかも、砂漠のど真ん中にいる如しであり、また険しい山の山中で遭難した如しである。ここで挫折しては何もなるまい。
 こういう事を理解出来る親子でなければ、志望大学には到底合格出来ないと考えたのである。
 つまり、「今」の価値観を知っている者に限り、合格出来ると考えたのである。

 受験指導者は、何でも“回答・即答OK”の受験の便利屋ではないのである。答を教えても意味がない。答えを導くまでの解法が重要である。答に大した意味はないのである。指導者が答を知っていても、答に辿り着くまでの解法を、受験生に伝授出来なければ、何の意味もないのである。
 解答に辿り着くまでの解法のプロセスが大事であって、解答そのものにはあまり意味がないのである。解答より、プロセスなのだ。
 だから、せめて「まあ妥当」と思うか、また「プロならば、充分に安い」と思うか、そういう親子に廻
(めぐ)り遭う必要があった。ここで一致点を見出さねばならなかった。つまり非日常における「価値観と言う一致点」である。

 これこそ私の苦肉の策であった。
 総ては「価値観と言う一致点」に懸かっていた。
 今こそ、戦いを挑み、受験戦争に参加するのであるから、これまでの贅肉を削
(そ)ぎ落して前進する時だった。
 しかしこれを理解できない、「中」から以下の階層では、残念ながら無理だと踏んだのである。
 また、中から下の階層は「損する余裕」も無いことは経済的にも明白だった。価値観が一致点に符合しないのである。
 この階層では、私の考える受験指導では希望薄であった。
 また、私の遣ろうとしたことは薄利多売の、中から下の階層を相手にしたディスカウントではなかったのである。それでは味噌も糞も一緒くたにした学習塾になってしまうからである。私の目指したのは学校の一斉授業を真似した、護送船団方式ではなかった。個人相手の特殊高速潜航艇方式だった。それには運動性と軽快性が要り、自由意志で舵取りが出来る特性を持っていなければならなかった。

 故に、私の受験指導は薄利多売のディスカウント方式ではなかった。一握りの小数を相手にした限られた指導だった。これが特殊高速潜航艇方式である。

 高級美術品は、美術を理解する上層階級に向けて販売しなければならない。またローンではなく、キャッシュで買う階層でなければならない。更には、破損する余裕のある階級でなければならなかった。
 したがって、階級の設定を「上層」に置いたのである。
 資産力の上限を上げ、地元の歴代の名士と言われるような、そういう子弟を探したのである。
 私はこの一点に集中して、一年間に、二名だけの生徒を探し求めたのである。此処に人脈開拓の意図があったのは紛れもない事実だった。

 思えばあの時代は、いい時代で、まさに「梁山泊
(りょうざんぱく)」であった。
 そういう時代に、私は生きていた。
 世は、赤旗の波に揺れ動いていたが、護送船団方式ではなく、特殊高速潜航艇方式を理解する人間が、九州の片田舎にも居ると確信していたのである。この確信があったからこそ、私の希望も膨らんだのである。人脈の「脈」は、また商いに繋がる脈でもあった。
 あたかも『水滸伝』を地で行くような、野心家や弁舌家擬きが横行し、私もその一人だったように思う。そういう階層や文化人とも縁が出来始めていたのである。

 私の奇策は、このようにして始まった。
 それは、先ず電話を引くことから始まり、依頼に応じて急行する策を立てた。
 電話により依頼内容を聴き、そこから可能性を探る。徒労で終わるか、そうでないかの可能性を探るのである。それを電話内容から逸早く察知する。しかしこれも、また不思議にも二分していた。
 つまり、問い合わせが、父親型と母親型に二分したのである。
 この二分は、家長制度にあると見たのである。
 中の上より下の階級は、主に母親の問い合わせが多かった。一方、上層クラスは何故か父親が多かった。ここに戦後の日本の家長制度があった。

 これは近代デモクラシーの解釈として、男女同権や基本的人権を頑
(かたくな)に信じているのは、「中流の上」より下の階層で、そういう主権在民の絵空事を信用していなかったのは、上層クラスに多いのでは?……という、自流の分析を出したのである。そして階級構造の中で、今以て、この構造は顕著である。

 私流に分析すると、父親が直接掛けて来る方は“望みあり”で、母親から掛かって来る方は“望み薄”で、急行しても無駄足であり、熱弁を揮っても徒労だった。母親が口出すところは、決まって過保護家庭であり、家長は父親から母親に変わり、主導権は母親や握っていたからである。

 これは家長制度の主導権が、「上層」と、「中の上以下」とは、逆転しているからであろう。そう検たのである。
 中産階級と言うこの階層は、母親が主導権を握っているため、トラブル・メーカーの懸念が大いにあった。成績向上の兆しが窺
(うかが)われないと、直ぐにいちゃもんがつくのである。これでは労多く、利少なしである。
 少なくとも母親主導では『貸借対照表』や『損益計算書』の観念すらも、殆どないだろう。

 こういう家は大局観が存在せず、感情主体で日常を送っている家である。つまり、目先に一喜一憂する家である。
 成績が上がったと言えば喜々として喜び、それはわが子の実力だといい、成績が下がったと言えば、陰々滅々に憂いを露
(あらわ)にし、それは家庭教師の指導が悪いからだと指弾する。この構図は目に見えていた。
 それに高級品を手に入れるに当り、家計を優先するから、二の足を踏むのは容易に予想出来るのである。最終目的なで到達出来ずに、途中解雇されて人脈開拓にも成果はないだろう。
 人間社会は、同レベルの横の繋がりはあるが、階級を超えた縦の繋がりは殆ど皆無なのである。

 高級美術品はキャッシュで、即決で買ってくれないと困るのである。
 ローンだと、途中の不履行も考えられるからである。
 不履行をされては、せっかく受験指導に出掛けても、成績不信と言うことで、即座に解雇される恐れが充分にあったからである。
 私は、いいものは高く売る主義だったのである。そして最初から、鐚
(びた)一文も負けず、値切る者には売らない主義であった。こういう点が何故か、刀屋商売と家庭教師商売の符合する一致点だった。

 私の場合は、弘法は筆を選ばずではなく、教えるに当り“弘法も筆を選ぶ”のである。
 筆がよくなければ、私の場合はいい絵も描けず、いい字も書けないのである。他力一乗
(たりき‐いちじょう)の負うところが多いからだ。
 他力一乗は、「人事を尽くして天命を待つ心境に」相互間が通じていないと、一方方向からだけでは働かないのである。
 したがって最初から火中の栗は拾う気持ちが無かった。
 アメリカの経済学者のサムエルソン
(Paul Anthony Samuelson)が比較優位の説をもって「分業特化の論」を論(あげつら)って云うように、またドイツの社会学者のウェバー(Max Weber)が云うように、時は金なりである。
 時は有効に遣い回さなければならない。
 人生は思いのほかに短いのである。それだけに、自分の与えられた時間は有効に使いたい。私の願いはこれに尽きた。

 さて、ここで補足を論するなら、「分業特化の論」とは、次の如しである。
 例えば、社会学における一例であるが、あるところに有能な女性弁護士がいた。また彼女は、有能なタイピストでもあった。そしてこの女性が弁護士として生きる方がいいか、タイピストとして生きる方がいいか、サムエルソン先生は、彼女の人生の選択を、ある人に借問
(しゃもん)したのである。

 ある人は借問に答えて曰
(いわ)く、「両方が優れて有能なら弁護士をしつつ、タイピストも遣ればいい」と。
 これは「絶対優位」の論である。
 絶対優位とは、一人の人間が「有能」という理由付けにおいて、総て有能であるから、それ以外は、総ての面で能力が劣っているということになり、仕事は有能者に殺到し、これでは分業化が出来ないと言うことになってしまう。人それぞれの適材適所の原理を否定していることになるのである。

 しかしサムエルソン先生は、これを否定した。頭ごなしに否定した。
 「彼女は弁護士に徹して、タイピストを雇うべきだ」と。
 これが「比較優位」の論である。
 何故なら、彼女は弁護士に徹して、タイピストを雇う方が一番所得が増えるからである。これこそ、時間という資源の大切さを知る人の言う「時は金なり」である。

 有能な弁護士は、法律の真髄を心得た専門家中の専門家である。有能と言うからには、弁護士の中でも抜きん出ている。並みの、敗訴ばかりを連続する負け弁護士でない。勝ち弁護士である。したがって有能な弁護士として、手腕を揮い、彼女はタイピストを雇った方が最も、効率のいい勤務体制が作れるのである。
 ところが、世の中には、タイピストとしても有能なら、自分でタイプを打った方が効率がいいではないかなどと、一人二役こそ、一石二鳥とする考え方がある。これは日本人が陥り易い絶対優位の考え方。これに陥ると、何もかも自分で遣ろうと考える。こういう考え方をするのは自己中人間に多く、物事を分業化してやろうと考える発想がない。また、商売の下手な連中もこう言う考え方に縛られる。

 しかしサムエルソン先生が説いた「比較優位の説」の準ずると、これはどういうことになるか。
 有能な弁護士は、有能なタイピストと比較した場合、どちらが優位だろうか。
 タイプの仕事をするために、特化的性質を持つ弁護士の仕事の時間を、タイプ仕事で犠牲にするべきではないだろう。
 有能な弁護士と言うからには、まさに分業化された「特化性」の面を担っている。タイプの仕事が比較優位から考えると、タイピストに任せた方が、彼女の時間は無駄なく有効に遣えるのである。
 つまり、ウェイバーのいう「時は金なり」と一致点を見出すのである。

 時は金なり。
 私もこの言葉を重く受け止め、厳守した。何しろ時間は保存の利かない資源だからである。
 したがって私の受験指導は、階級的に検て、上層を相手のした方がいいか、中以下の中産階級以下を相手にした方がいいか、更にはその両方を相手にした方がいいかと言うことになる。選択肢は三つある。
 だが、サムエルソンの「比較優位」の説に準じれば、特化的性質は上層に向けてこそ、優位になると踏んだのである。トラブル・メーカーを相手にしては、有効時間が無駄に遣われてしまうからである。
 考えれば「絶対優位」の論と、「比較優位」の論は実に対照的である。
 したがって私は、比較優位の論に従い、プロの家庭教師として、その第一歩を踏み出したのである。


 ─────物には価格がある。幾らで売るかの値段がある。
 前近代的社会と言われたときから、物には「価格」が存在した。
 物の価格は、幾らでもいいという訳ではない。その、物に対して、適正価格がある。
 如何なるものにも幾らか?……と言う「値段」である。
 それは金銭と交換する、あるいは物々交換において、如何程の物かを見極める「価格」である。
 価格を設定するということは、資本制社会ではそれが明確になった。価格の特長は、「完全競争」のルール下にある。このルールこそ、「一物一価の法則」である。

 では、一物一価の法則とは何か!
 それは同一公開市場において、同一の商品が、二つ以上の価格を同時に派生することはないという法則である。
 価格というのは、一旦決定されると、その価格が適正価格となる。資本主義の実に妙なるところである。
 だが適正価格は、巧妙な駆け引きによって、値切ると安くなるし、根切り損なえば、高く買わされる結果を招く。
 商売上手は、この辺のコントロールが非常に上手い。買うときは安く買い、自分が売るときは高く売りつける。
 普通、こういうのを“商売上手”というらしい。

 日本の場合、値切れば安くなる物を、売り手の言いなりに買手が買うと、直ぐに“バカ呼ばわり”される。
 例えば、古物商の「書籍の制限」を受けている古本屋の例である。
 普通、古本の類という物は、“古いから、埃
(ほこり)に埋もれて穢(きたな)いから、安くて当り前”という感覚がある。内容の云々ではない。
 まず外形を言う。体裁を言う。

 余程歴史的な価値があるものは別として、一般の流通されている書籍は古い、穢い、ボロボロで読み辛いという現状を検
(み)て、「安くて当り前」という古本を漁(あさ)るマニアの常識であり、マニアでなくても、古い本は安いと思い込むこと自体に、古本に対する値打ちが決まるようだ。
 これを覆
(くつがえ)すのは、所謂“希少価値”だ。

 背後には歴史的価値と分権的価値の両方が備わり、本自体が骨董品として、どれだけの価値があるか?……という、発行に纏
(まつわ)る当時の偲(しの)ばせる時代背景の価値である。こうした場合、古物商品は跳ね上がる。
 この考えは今でも崩れていない。
 古書という商品を扱ったり、文献としての書籍として看做される書物は“内容が時代的にも物を言う”ため、最初に設定された「一物一価の法則」が働いている。古くても安くならない。これは古美術などの骨董品の価値観と酷似する。
 こうした物は、絶対に値切らせないという古本屋独自の画期的な商法が存在する。一つの独占である。この独占力があるからこそ、古いものに希少価値が出て来る。

 さて、一物一価というと、同質の物には同じ価格が付けられている……と、多くの人は思い込むようだが、実は同質の物でも、それは時と場所で異なる。
 これは例えば、日本一のクラブ街の金座で、席に坐るだけで五万円とか、十万円という店はざらにある。
 高級クラブに行くと坐るだけで、最低でも五万円はとられる。それにヘネシーやレミーマルタンでもキープしようものなら、酒屋で売られている値段とは全く違う篦棒
(べらぼう)な値段となる。二倍、三倍は当り前である。中には十倍、百倍と言うものもある。

 かつて私は、著名な作家連と銀座で度々豪遊したことがあったが、例えば、一般のお菓子屋か駄菓子屋で売られている“グリコポッキー”は、こうした高級クラブでは、ブランデー・グラスの下に氷を敷き、その上に、たった百円のグリコポッキーを指したでけのおつまみで、1万5千円の値段が付けられていた。これは市井の150倍である。
 しかし、高級クラブに参集した紳士達は、勘定を払う段になって、これを高いなどと零
(こぼ)さない。毅然として払う。そういう紳士の集まりが、高級クラブなどの社交場なのである。

 普通のオードブルでも、一万円以下のものはない。原価は数百円であろう。それがこうしたところで飲食しようと思えば、篦棒な金額になる。当り前である。この当り前は庶民の眼からすれば、非常識極まるものである。この非常識を寛大なる心で受け入れるが、紳士の真の姿だった。
 つまり、これこそ「損する余裕」である。
 市井で売られている同質の物でも、時と場所が変われば、売値が違って来るのである。それを紳士達は知っているのである。だから紳士達にとっては、庶民が篦棒な請求と感じる金額にも、その桁数を一切気にせず悠々
(ゆうゆう)としているのである。つまり「損する余裕」を心得ているのである。

 また、発想を変えてもよう。
 あるいは時と場合のロケーションを変えてみよう。
 富士山の頂上付近の山小屋で売られている缶ビールと、低地の自動販売機で売られている缶ビールとは、そもそも値段が違うということである。
 この違いを、多くの経済学者は殆ど理解していない。
 一物一価も、詰まるところは経済的な概念であって、物理的な概念
(時と場所)ではないということだ。価格にはこう言う状況が生じるのである。

 物質としては同価値だが、これに物理的な変化が加わると、つまりそれは側面に経済的な「財」を派生させるということである。
 商品とは、単に物質的に見るだけでなく、経済的な「財」として検
(み)るべきなのだ。

 つまり、いつ、何処に……だけで価格が異なり、またそれにサービスが加われば、例えば銀座の高級クラブのような価格が派生するのである。
 ウィスキーを飲むにしても、居酒屋の婆さんが遣っているガード下の店で飲むのと、銀座の高級クラブの綺麗処のいる席で飲むのとは、サービスの面で決定的に異なっているのである。したがって、時と場所などの物理的な変化により、価格が違うのは当然である。
 普段ならコップ一杯の水も、炎天下の太陽に灼
(や)かれる砂漠では、このコップ一杯の水が万金の値を持つだろう。特に砂漠のど真ん中に取り残されたような状態のときには、この一杯が黄金の価値を持つ。

 ところが、これまで多くのマルクス経済学を遣った経済学者たちは、この違いが理解出来ず、社会主義諸国の経済は、次々に崩壊していったのである。マルクス経済学では、一物一価の法則により、隠れた独占の事実を見逃していたのである。
 資本制社会の市場メカニズムは、資本制社会以前のものとは大いに違うのである。
 資本制社会の特長たる所以
(ゆえん)は、まず一物一価の法則下にあるが、これに物理的な変化が起こった場合、一物一価の法則は一部の独占体制下では価値観が異なり、ここに「隠れた独占」が起こり、これを決めるのは、その場を独占する支配者か権利者が決定するのである。

 私は、かつて「海の家」を経営したことがある。
 そのとき、アイスクリームの価格を「隠れた独占」によって、市井では通常100円で売られている物に、300円の値段を付けて売ったが、休憩客や宿泊客から非難囂々
(ごうごう)の悪態を突かれたことがあった。
 「たかが100円のアイスクリームを、300円で売りやがって……」と、誰もが罵声を発した。

 これなども、常人の一物一価の感覚で物事を考える意識から起こったものであった。
 一物一価画で適用されない物理的な物があるということを、世人の多くは知らないのである。市井で100円なら、富士山頂でも100円と思っているのである。「隠れた独占」の現実を知らなかった。
 これは銀座の高級クラブで市井の150倍でも、これに「損する余裕」を承知で請求のまま毅然と払う上層階級と、100円が300円になったと喚く、中産階級から下の階層との意識の格差は決して少なくないようだ。

 電気水道などの公共料金やNHKの視聴料金、それに郵便料金や宅配料金は日本中何処に行っても殆ど同じである。これは公平に、一物一価が働いているためである。
 ところが、光熱費などの電気料金などでは、季節において変動する場合がある。灯油代も光熱費に含まれるが、灯油価格も常に変動している。これはガソリン価格も同じだろう。また円高や円安でも変化が生じる。安くなったり高くなったりする。需要者の効用も異なるため、ここに一時的な変動が起こる。これらも「隠れた独占」と言っていいだろう。

 つまり、山頂付近の山小屋で売られている缶ビールと、低地の街中で売られている自動販売機の缶ビールとでは、同質の物でも、場所と季節
(時)でという物理的なものが変化したため、価格が異なったのである。
 また、同じ時間級の労働賃金でも、これは昼間と深夜とでは違うのである。時間の長さは一緒でも、これは隠れた独占なのだ。
 この点を見逃している経済学者が、日本には実に多いのである。経済論理は説いても、物理論理を理解していないのである。価格が時と場所
(ばあい)によって変化すると言う市場経済の根本を知らないのである。

 私は学生時代、刀屋と抱き合わせにして家庭教師を遣ったことがあるが、これは何れかに偏っていたら、どちらとも「並み」程度で終わっていたことであろう。
 刀屋はただ店を構えて、刀好きの客を待っていても、それで商売になるというものではなかった。
 刀屋は「千一屋」とも言う。店売りでは売れない商品である。

 千人客が来ても、そのうちの一人が買うか買わないか迷う客であり、あとは単なる冷やかしである。これでは年寄りの老後の余生を楽しむだけの暇潰しの商売である。これでは食えないのは明白だろう。
 そこで私は、一ひねりして家庭教師を始めた。それも学生アルバイトで遣る、ただの家庭教師でなかった。既にアルバイトの範疇を超え、責任重大なプロの家庭教師を目指してその行動に移っていたのである。



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