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続・刀屋物語 29

桜が満開の季節だった。春たけなわの、春風に吹かれるいい時期であった。それにしても当時筆者は、相変わらず貧乏だった。
 刀剣購入資金に事欠き、家庭教師でこの局面を乗り切ろうとしていた。
 季節はうららかであったが、貧乏に喘
(あえ)いでいた。

 貧乏は二つの局面を持ち、物そのものの値打ちを分からせてくれる一方、その物の味まで分からせてくれるのである。
 そういう現世に生きながら、時勢や環境の影響を受けないではいられないが、またそれだけに肚の底には“がっちりとしたもの”を据えていなければならなかった。

 時代や周囲の変化に順応しつつ、それでいて、自分自身の道を自ら模索して進まなければならないのである。そのためには、動いて動かない心が必要であった。これを不動心と言う。
 貧乏は自慢にはならないが、また然程
(さほど)卑下するにも及ばないのである。

 金持ちが金に物を言わせて威張ってならないように、また貧乏人も、貧乏により卑しくなり、卑下から醜くなって、こういう心を抱える事自体、恥じなければならないのである。

 筆者は、春の満開の桜が好きである。
 この世の憂さを「花は桜木、人は武士」の俚諺
(りげん)で誇りを恢復させてくれるからである。一斉に花を咲かせ、またその咲いた花の散り際の良さに潔さを感じるからである。
 そして毅然さに、再び、わが心のエネルギーが注入されるのである。筆者にとって、桜の花が咲く頃は、そういう季節だった。



●花は桜木、人は武士

 季節は、春たけなわであった。私にとっては好きな季節だった。
 出掛けた先の「唐津の豪邸」の応接間では、私の説明が続いていた。能弁に任せて、受験論を喋り続けていた。
 まず、この説明に充分過ぎるほど説明して、両親の理解を得なければならないと思っていた。この、親の理解こそ、受験を成功させるか否かの分岐点になるからだ。

 受験は受験生だけの仕事でなく、親子が完全協力体制を築き上げ、これが完成していて、請負人はいいアドバイスが出来るのである。請負人の采配で勝手に遣れと言うのでは困るのである。
 私は充分に説明を重ねた。おそらく熱弁を揮っていたのであろう。
 そして、父親と母親は、暫く私の話に耳を傾けていた。聞き入っていると言う感じだった。
 それは神妙に耳を傾けていると言う感じだった。咳払いの一つもなかった。

 それから何秒か、何十秒か、あるいは一分近くか、それぐらいの時間が流れた後、ぽつりとした言葉で「では、お願いします」となったのである。
 しかし、これでお願いされる訳でない。親子面接である。こちらが選ばれるのではなく、こちらが選ぶのである。
 依頼側が一方的に、いい教師を選ぶのではない。教師側も、請負うか否かの選択権がある。つまり教える側が、生徒とその親を選ぶのである。この関係は成立して契約は成立する。

 売買契約は、売手も買手も対等な立場で交わされるのが正しい。
 対等なる売買は、買手だけに権利があるのではなく、売手にも同等の権利があるのである。両者の権利が一致して、はじめて交渉は成立するのである。
 今度は、こちら側が「耐久テスト」をする番である。子を試すのである。
 これは頭を試すのではない。肉体丸ごと、霊肉ごと試すのである。魂までもを検
(み)るのである。

 このテスト如何で、耐えられる者は指導し、耐えられない者は無縁なのだ。無縁ならば、もう、生涯縁は結ばない。
 一期一会の事として、去るのみである。
 人間関係は、この時点で発生し、あるいは切り捨てられる。同時に、私の画策した人脈造りもこれで途絶える。

 今度は、いよいよ息子の耐久テストとなった。一日明けて、翌日に再び出頭した。今度は私が試験官なのである。
 試験官は、上から下へと検
(み)ることにした。
 まず頭、次に首から下。
 人間性、品性、躾度、体力、体質、思考力、依存性などの特性を見抜かねばならなかった。

 私が出題したのは、まず頭の程度である。それは創意工夫における思考力であった。
 有名私学の進学校の「高校受験数学」の図形問題だった。これを解くには、教科書的な思考では融けない。発想や閃
(ひらめ)きがいる。ワンパターンでは解けない。柔軟な発想法を必要とし、創意と工夫もいる。これは単に数学を解かせると言うことに留まらず、考え方を柔軟にすると言う効用があった。
 駿台進学会などが出している『高校への数学』のような、解法が同時に論じられている問題集である。この大学受験版で『大学への数学』というのがある。
 しかしそれよりも、有名私立に通う中学生が解く『高校への数学』の中から図形問題を提示したのである。生徒の問題点を発見するためである。

 自らも有名私学の高校に通っているのだから、この手の問題は簡単に解けねばならないのである。そう言う高等訓練をして来た筈である。
 しかし、である。それがおかしかった。
 高校受験の図形2問を解かせたのだが、一時間ほど散々ひねくり回して、ついに正解を出せなかった。内容は中学レベルの問題だったが、全く歯が立たなかった。現役の有名私学の高校二年生が、『有名私立高校受験問題』に頭を抱えて終わったのである。あと何日間かで、高三である。
 有名私学の高三生が、何故この程度の問題が解けぬのか。
 私は、ついに腹を立てていた。

 私の出題した耐久テストは、生徒に正解を需
(もと)めるものではなかった。耐久力の学習に対する姿勢を検たのである。これまでの育った環境と学習態度を検たのである。
 総ての欠陥は過去にある。
 過去を検ることによって問題箇所が発覚する。
 つまり過去の欠点探しだった。過去の過ちを修正しない限り、これから先もない。きちんとした基礎が出来ていない以上、その上に何一つ構築出来ない。

 また学習に向き合う体力である。体力の根幹をなす体質である。
 こうした今の状態は、過去の集積であった。
 「この子は、体質が悪いのでは?……」と、一瞬、ふと思ったのである。何かそう言う面が不完全で、訓練されていないのでは?……と検
(み)たのである。
 これは中
(あた)らずと雖(いえど)も遠からず、であった。

 普通、“今イチ”で落ちこぼれている生徒は、とにかく基礎体力がない。頭の問題でない。
 学力云々の前に、基礎体力が欠如している。それだけに“モヤシ状態”で軟弱である。頭が悪いのではなく、体質が悪いのである。体質が悪いから、持続力と言う体力が生まれない。この状態で幾ら詰め込んでも無理である。笊に水である。
 全く勉強する体力がないのである。それは集中力がないのと同義語だった。

 まず「背筋力がない」のである。背筋が劣っている。
 背骨が弱いのである。頭部を支える力が弱いのである。問題点は此処にあった。脊柱が腰骨の上に、垂直に立っていないのである。
 それだけに、全体重の約8%を占める頭部の重さを、脊柱で支え切れないのである。だから、頭が重くて、背骨がぐらつき、集中力が散漫となる。同じ姿勢で長時間絶えられない。
 こうした生徒は、背筋強化で見違える程集中力が付き、成績が向上する。学習する前の、背筋力トレーニングから始めたのである。

 これで、一ヵ月指導して試し、耐久テストに耐えられれば、その後、引き受けるとしたのである。注意散漫では「笊に水」だからである。そして一ヵ月間の進歩度合いを検
て、前後を比較し、向上の気配があれば請負うことにしたのである。
 この生徒は、何とか耐久テストに耐えた。生徒との縁は、ここから始まったのである。

 私が受験指導した高校生の、この少年を“M君”と言った。
 親子面接時に訊き出したのは、父親の職業が医師で、内科医だった。
 地域ではM総合病院という、医療法人になる手前の個人病院を経営していた。戦前から続いている古い病院で、木造モルタルの三階建てであった。この時代には、こういう建物が多く残っていた。戦災にも遭わなかったのだろう。
 また、この病院では、医療法人にすればいいか、あるいはこのまま個人で行くかの、その分岐点に立っているようだった。税法上の優位な方を選択しようとしているのだろう。財政面から考えれば、「資産の部」が潤沢で、借金を抱えない健全経営が為されているのだろう。

 それにしても、時間がない。
 請負ったのはいいが、時間がない……と思うような焦りを感じていた。
 三月下旬の頃だが、翌月の四月には、受験一辺倒の高三生となって、受験戦争を戦わねばならなくなるのである。果たしてM君に、その戦闘能力があるだろうか。基礎体力を訓練する時間はあるのだろうか。
 しかし、一つだけ救われたことは、M君の眼だった。
 眼が莫迦
(ばか)に澄んでいた。綺麗な眼だった。この眼に私は、何故か彼の未来を検(み)たのである。
 確
(しか)と検たのである。請負った理由の一つは、そこにあった。
 人相で言う、危険な“犬目”ではなかった。犬目ならば「凶」である。

 彼の家は、資金力は申し分なかった。医療法人として、派手に花火を打ち上げていないところが、そのように感じさせた。院長は見栄を張らない人なのであろう。
 地元では旧家の資産家として知られていた。そして父親は内科医であり、病院の院長を兼ねた代々が医家の子弟だった。聞くところによると、先祖はN藩の御典医という。それだけに格式を持った家柄だった。何処かそれだけに慎重さが感じられた。

 父親は自分の跡取り息子に、懸命にその跡を継がせようとするのは親心であろう。その意味からすれば、時給一万五千円でも高くない筈である。
 こうして私は、一時間一万五千円の家庭教師の口を見つけたのであった。
 当時の大卒者が、一ヵ月の給料四万円のときに、である。しかし、以降がまた悪戦苦闘の連続だった。私の身の上にも、誤算に次ぐ誤算が起こり始めていた。

 これまで長年、至る所で家庭教師を遣ってきたが、世間では目的が分からずに、目標も計画性もなく、ただ「教えるだけの家庭教師」をよく見掛けることがある。
 こうなると生徒自身は、家庭教師を“宿題屋”にしてしまう者まで出て来る。学校の宿題を家庭教師に遣らせるのである。また家庭教師は家庭教師で、サービス精神旺盛に宿題までする者も居る。
 そうなると生徒は勉強をしなくなる。家庭教師を自分の便利屋に遣ってしまう。
 そして、依頼型の生徒が出来上がる。
 人間の狡猾
(こうかつ)な一面が出る。安易に解答だけを聞きたがる。子供と雖(いえど)も人間だった。
 解答を導くまでの解放を省略して、解答だけを聞くのである。結局、解放は分からず仕舞いである。

 馬が水を飲みたい場合、馬を歩かせずに、馬方が水を持って馳せ参じるという馬鹿げた遣り方である。こうなると馬が、馬方に対し「依頼型」になるのは当然だろう。
 そして当時の生徒は、創意工夫のないまま大人になっていくのである。
 私の苦悶
(くもん)も、そこにあった。


 ─────馬が自分で水を飲むにはどうしたらいいか?……。
 長らく苦悶が続いた。
 ある日のことである。
 もう通い始めて、十日ほどが過ぎたろうか。
 この日、M君宅に朝から詰めていた。日曜日は決まって集中特訓となっていた。早朝に出掛け、夕刻近くまで付き合わされる羽目になる。
 コマ数が多いから稼げるのだが、これはあまり嬉しくなかった。苦悶に継ぐ苦悶が待ち構えていたからである。

 二十帖ほどの大広間の座敷の片隅に、八畳ほどの絨毯
(じゅうたん)が敷かれ、その上に炬燵の台を置いて、そこで勉強するというのがM君の癖であった。この場所を、快適なる勉強場と決めているのであろう。
 その場所に、請負人の私も同席させられるのである。大広間からは、池を挟んで広い敷地が広がっており、向こう側には和風の離れ座敷が見える。その離れ座敷は、祖父が遣っていると言う。
 祖父のことを訊くと、この人も医師で、先の大戦では陸軍軍医だったと言う。
 祖母は既に亡くなり、祖父だけが棲んでいる離れ座敷であると言う。元軍医殿は、今は隠居の身であるらしく、院長の座は父親が継いでいるということだった。
 それにしても、元軍医殿の爺さまは元気なものだった。

 午前九時頃から始まり、昼食を挟んで、一時間休憩を取り、更に午後五時近く続く、私としてもかなりハードな日曜日であった。しかし、ハードな割りには、効果が上がっている形跡はなかった。これは徒労ではあるまいか?……という思いが、度々脳裡を交叉する。この繰り返しで、果たしていいのだろうか?……という疑いもある。まさに苦悶の最中だった。
 確かにM君の眼は綺麗で澄んではいるが、その何処かに「依頼の眼」があり、解法を指導している最中に、その眼がちらつくのである。素直なのはいいが、依頼の眼が気に掛かるのであった。

 「どうもよくない」
 私はそういう言葉を吐いていた。
 「えっ?……」
 “何が?……”という、そういう声をM君が上げた。
 「だから、どうしようもない」
 「何がです?」
 「お前の眼だ」
 それは“依頼の眼だ”と言ってやりたかった。
 「僕の眼が?……どうかしましたか……」
 M君と私は、年齢が二つほどしか開いていない。二歳違いである。そして一応の師弟関係を築いていた。

 「馬に水の飲み方を教える、馬方の身にもなってみろ」
 「どういう意味です?」
 「馬方から一々引っ張ってもらわずとも、自分で水くらい飲みに行け」
 「意味がよく分かりませんが……」
 「分からんかったら、あそこで素振りをしている爺さまにでも訊け」
 「祖父が素振りをしているのが気に入りませんか。あれはあれで健康法になっていると、本人は自負しているのですが……」
 さて、どうしたものか。

 「暫く、小休止!」
 「5分か、10分ですか」
 「いや、時間は関係ない。暫く、あるいは長らく大休止!」
 「先生は、もう僕が飽きましたか」
 「いや、小休止して作戦を練り直す」
 「どういう作戦です?」
 「馬が馬方の世話にならず、自分で水を飲みに行くには、どういう方法があるか?……を、だ。とにかく今は小休止!」
 私はこう言い放って、庭で木刀の素振りをしている爺さまのいる方へと向かった。
 大した理由がある訳でもなかった。ただ、吸い寄せられたのである。
 このままでは行き詰まる。発想も切り替えることが出来ない。堂々巡りするだけである。堂々巡りは徒労に終わる結末を招く。その輪に巻き込まれてはならない。そういう赤信号が鳴り始めていた。

 循環説のような堂々巡りの論理に囚われて、それを画期的なものと勘違いする恐れもある。
 循環説の中には、魔が潜む。次元が落ちれば徒労も多くなる。あたかもマルクスの循環論のように。
 また、この当時、誰もが落ちた絶対劣位の論のように。

 むしろ比較優位の立場になって、練り直す必要がある。そう反芻
(はんすう)した。
 判断を誤れば、手の舞い、足の踏むところを知らず……の罠に落ちるところだった。これこそ愚行である。
 当時は、この罠に多くが嵌まり、マルクス教を信仰していた。しかし今では、マルクス教は、誰にも見向きもされない。

 先ずは、切り替え第一。発想を変える必要があった。あたかもコペルニクスのように。
 同じ思考を繰り返しては徒労になる。徒労努力では虚しい。結果は悲惨なものになる。
 ミクロ的な視野から解放されて、もう少し次元の高い「マクロ的な発想」が出来ないと、循環論に陥る危険があった。今の苦悶を、高所から検る必要があった。

 遠くから爺さまの素振りを遠望していた。
 それにしても、爺さまは元気なものだった。諸肌
(もろはだ)脱いで、木刀の素振りをしているのである。よく鍛えた太い腕をしていた。生っちょろくなかった。老いても健在なりがそこにあった。
 しかし、奇妙な素振りだった。
 大きく後ろに反り返るようにして、呼吸もろとも、一気に振り下ろすのである。
 あれは何だろう?……。

 これまでにあまり見たことのない素振りだったが、それと似たような素振りを、何処かで見たことを思い出した。これは明らかに剣道の素振りとは違っていた。
 あれは確か……、と思い当たったのである。
 そうだ、あの爺さまだ……と思ったのである。
 そのとき思わず声を挙げて「あッ!……」と発していた。
 かつて山下先生も同じような素振りをしているのを見たことがあった。
 大盥
(おお‐たらい)に水を張って『真剣お試し水』という奇妙な素振りをしているのを思い出したのである。
 大盥に水を張って、実際の刀を試すのを見たのは、もっと後のことだが、元軍医殿の素振りは、単に振るだけではなく、何かを切断して「試す」ような素振りをしていたのである。何を試しているのだろうか。
 もしや刀では?……。

 人はそれぞれに、自分の信念に応じて、一つの思想とかイデオロギーに遵って生きている。そこには独自の考え方があり、更には哲学がある。また哲学の内部には、社会とか、人間に対しての全体像を持っている。更に概念形態がある。
 それは方法論や思想の傾向が含まれ、それが人の生き方を形成している。その形成とともに、行動律や行動原理も存在するのである。
 人はその行動において、「何事かを試す」場合、その行為は、一種独特の「行い」に転じることがある。

 たからこそ、直ぐに『真剣お試し水』という奇妙な素振りを連想したのである。
 あれは何かに叩き付ける動きであった。叩き付ける得物は刀剣。刀剣を叩き付ける媒体は水。こうした図式を連想したのである。
 行為の中に、かつて山下先生から聴いたことのある、『お試し』は、「打ち下ろし」の直ぐの物でなければならないという話を聴いたことがある。
 「打ち下ろし」というのは、刀鍛冶が刀の形状を作り上げ、一応の刀姿が出来上がり、焼き入れの済んだ物を指す。研ぎが入る刀をいうのである。

 研ぎが入ると、刀の出来の善し悪しより、研師の研ぎの出来の善し悪しになり、刀工の腕よりも、研師の腕の方が前面に出されて、それで評価されるからである。
 これは研師の評価となって、刀工の評価は二の次になる。
 そうなると、研師の腕の善し悪しで刀までもが評価され、本来の斬れ味は二の次になる。腕のいい研師に依頼して金を掛ければ、そういう刀剣が及第し、一方貧者なる刀工の作品が安研ぎで、そういう職人に頼んだ場合、落第すると言うことにもなりかねない。
 そのことを指摘して、かつて山下先生は『真剣お試し水』という奇妙な『お試し』をした考案したことを憶えている。まさにその動作が、庭で素振りをしているM君の爺さまの動きとそっくりで、同一の共通項を発見したのである。
 どうも人間は、同じような思想とか、イデオロギーに遵
(したが)って生きているようだ。それは検(み)れば検るほど酷似していた。

 また『お試し』をする際、人間の肉体は「水冷式の哺乳動物」の形態を模しているとも聞いていた。
 つまり、「水冷式」とは、肉体そのものが「水」もしくは「流動体」と言うことである。
 では、人間の水もしくは流動体なるその部位は何処か?……、ということになる。

 刀剣には「御様
(おためし)」つまり「お試し」には「一ノ胴」とか「二ノ胴」更には「三ノ胴」の名称がみられる。それは流動体の部位を指すものである。打つ媒体は、つまり「水」ということになる。
 いま目の前で遣っている奇妙な素振りも、水という流動体を意識しての素振りならば、決して納得のいかない素振りでもなかった。あり得るだろう。
 この素振りを、単なる健康法として遣っているのではあるまい。その行為自体に、何らかの意味がなければならなかった。そして背後には「試切る」という目的が含まれていなければならなかった。

 奇妙な素振りをする目の前の老人は、健康法より、もっと別の目的があるのかも知れない。この解読は、従来の行動原理を超越した別の次元で、物事を検
るという思想がなければ、とうてい読み解くことは出来るものではない。

 私は、この爺さまに一礼して、暫
(しばら)く見せて頂くことにした。
 私が遠望して佇
(たたす)んでいることを、爺さまは既に気付いていたようだ。素振りが一段落したところで終了したとみえ、にこやかに笑って近付いて来た。
 「これはこれは……、亘
(わたる)の先生ですか。孫がお世話になります」と老人は頭を下げた。
 見るからに好々爺
(こうこうや)で、これまで地域医療に携わって来たという年輪のような皺(しわ)が顔に刻まれていた。
 私も会釈を返した。
 「お試し……ですか?」
 「おや、お分かりですか」
 此処まで落ち着き払っているところを見ると、既に私の素性は徹底的に調べているのかも知れない。
 あるいは人の眼から、人物を解読する術を心得ているのかも知れない。そういう直感は、医者と言う職業柄なのかも知れない。そういう「人間鑑立て」の畑を長らく歩いて来たのだろう。

 この時代の医療従事者は、今日のように数値に向かい合って、肝心な人間鑑立てを二の次にするものではなかった。決して人間不在ではなかった。人間を診
(み)ずに、病気だけを検るというそう言う医師は少なかった。
 当時の地域医療は、人を診る職能人の範疇
(はんちゅう)にあった。その分、多く人間の霊肉を診て来たのである。人を診るという点においては、私も同業者のような共通項を持っていた。そして老医師が、一廉(ひとかど)の人物であることは周知していた。

 聞くところによると、この元軍医殿も専門は内科と言う。他にも外科や眼科、耳鼻科が併設されているようだったが、この病院では院長親子は、ともに専門は内科であるようだった。

 それにしても気になったのは、奇妙な素振りを元軍医殿がしていることだった。それを、医師の姿として見たのでなく、術者として見たのである。
 奇妙だが、確かに素振りを行っていた。現代剣道でもないし、また古流の剣術のようもでなかった。独特なものであった。あるいはと、脳裡に浮ぶことがあった。それは、試刀術ではあるまいか?……、という奇妙な期待だった。
 更に、その共通項の管
(くだ)には「もしかすると……」という、次元の異なる共通項が存在しているのかも知れなかった。
 その共通項を、素振りの中から、ある期待を夢想していたのである。それが単なる空想でないことを期待したのである。

 「粗茶でも如何ですか」
 老人はそう言い放つのである。落ち着いた毅然
(きぜん)とした声だった。
 「はあッ……」
 「それは溜め息のように聞こえますが……」
 茶化すように言うが、心の裡を見透かしているのだろう。
 「ご明察です」
 「うちの馬は、自分で、まだ水飲み場まで行きませんか?……」
 「手綱を付けて連れて行っても、自分で水を飲むことを知りません」
 「困ったものですなあ……」
 「全くで……」
 つい心に思っているものを吐露
(とろ)してしまった。

 「駄目ですなあ、誘導尋問に引っ掛かっては……」
 何もかも、お見通しという言い方だった。
 「はあ、ぼんやりしていました」照れるような言い訳をした。
 「先生は、正直な方だ。それゆえ心に思ったことが、つい口に出てしまう。これはまだ、朴訥さが残って証拠ですよ」
 「はあ……、何分にも田舎者でして……」
 「そういう意味で言ったのではありません」
 「ここまで見抜かれては、返す言葉もありません」
 「まず、粗茶でも一服差し上げましょう」
 これまでの負の部分を捨てて、発想の転換をしろと言う意味なのであろう。
 「恐縮です」
 私は誘いに応じて、お言葉に甘えることにした。
 気持ちを一新して、妙案を探るためである。
 願わくば、妙案は戦略でもなければ戦術でもない。今どうすべきかの奇手の一手なのである。布石においての、今の石の配し方なのである。これを模索するが、どうも妙案が浮ばなかった。

 その時である。
 M君が小休止は終わったことを告げに来た。
 「先生、小休止の休み時間は、とっくに終わってしまいました。いっそのこと、このまま大休止でも致しましょうか」
 M君もユーモア人とあって、決して上品ではないが、洒落の一つも言えるようだ。

 「馬鹿者!先生は作戦を続行中である。お前は、先生の言われたことだけを墨守して、まず自分で勉強する方を研究しなさい。これから、お前のための作戦会議だ。先ずは自学自習の癖をつけることだ」
 老人は叱咤するように、M君に言付けた。
 「さて、わたしどもは作戦会議とまいりましょうか」
 その作戦会議が、粗茶への招待であったのかも知れない。
 しかし、「粗茶」とは言っても、他人に茶を勧めるときの謙譲語であることは分かり切っていた。茶席に招くのは、茶の効用を知っているからであろう。それに風流人でもあるようだ。

茶の一服

 一服の茶を頂いた。茶の効用は大きい。それを知るだけに、内科医として、既に茶の効用の何たるかを知っていたのかもしれない。
 一口に茶と言っても、その成分は種々に及ぶ。
 特に抹茶
(まっちゃ)の場合、先ず心を鎮める働きがあり、更には疲れを取って、心神を爽やかにする妙薬として古くから漢方の世界では知られている。それだけに昔は、茶は高価な妙薬とされた。
 この爺さまは、漢方も勉強をしているのだろう。妙薬としての効能は知り過ぎるくらい知っているのであろう。

 人間はピンチに遭遇しても、それを悔やんで怒ったり、悲しんだりしていては、体調が崩れてしまう。そして、それを知る人だけに、行き詰まれば、先回りして、私に援護射撃を投じてくれたと解釈するのであった。
 私は確かに行き詰まっていた。請負ってから、僅か十日かも経ないうちから音を上げ始めていた。

 馬が思うように動いてくれない。馬はじっとしたたまである。自分からアクションを起こさない。
 馬方の私としては、馬が自ら水飲み場に行って、喉が渇けば、自分の意志で水を飲めばいいのだが、一番肝心な水の飲み方がよく分かっていないのである。
 馬を引いて水飲み場に行く。しかしそれから先は、馬自身が自分で水を飲まねばならない。一体この馬は、自分の喉の渇きに自覚症状がないのだろうか。
 “亘馬”よ。自分の力で水を飲んだらどうだ。そう叱咤したかった。

 「先生。途中で投げ出さないで下さいよ、契約した以上は」
 私が、馬方の職を投げ出すとでも危惧
(きぐ)したのだろうか。
 「一度契約したら、それは最後まで履行します。しかし……」
 「先生のお気持ちは、よく分かります。何とも、言うことを聞かない駄馬で困りますなあ……」
 こう言って、豪快に笑ってみせた。

 「いや、駄馬に憤激しているのではありません。駿馬が、駄馬の真似をしているから肚
(はら)を立てているのです」
 「あの馬は、駄馬でなくて駿馬ですか」
 「勿論ですとも」
 「然
(しか)し乍(なが)ら、駿馬は自分が駿馬であることに気付かず、駄馬と思い込んでいる滑稽な思い込みをしていますからね、この醒(さま)まし方に難儀しているのですよ」
 「うまい形容だ」
 「駄馬が駿馬の真似をして“賢
(かしこ)”を自負しているのなら、まだ話が分かります。世の中は、賢人より愚人で動かされていますからね。しかし駿馬が駄馬のままでは、請負人としての立つ瀬がありません」
 「ほーッ……、面白いことを言われる」
 「請負人の志が、このままでは頓挫
(とんざ)します」
 「志が頓挫?……しますか……」
 それは私の心の裡を見抜いたような言い方であった。
 つまり、私の最終目的を知っているのではないかと、ふと、脳裡をその事が掠
(かす)めたのである。
 その瞬間、反射的に拙
(まず)いと思ったのである。私の言葉は、どこか笊のような処があり、つい思ったことが顔だけでなく、口からも漏れてしまうのである。
 禍
(わざわい)は口より出(いず)る……。繰り返し言い聞かせているが、その癖が治らない。
 「いや、失言でした」
 「そう、改まることもありますまい」
 「……………」
 やはり何かを勘付かれているのか?……、という懸念が疾った。

 「発想の転換として、茶の一服の後、碁でもどうですか?一局いかがですか?……」
 「いやいや、笊碁
(ざるご)程度で、高段者相手に、とてもとても……」
 「碁は大物のゲームです。その意味では、将棋より些か格が上かと……」
 「はあ……」
 「武勇一点張りだけでは、志は遂げられますまい。
 成就には、大局を洞察する智を具
(そな)え、人情の機微を知って情を解し、更に強い意志を以て事に当たらねばなりません。動かぬ馬を動かす。その意志が、万事に挫(くじ)けぬ志ではありませんか。なるかならぬか、また成功も失敗も、一時のこと。それは局面に過ぎません。いかがですかな?……」
 「全く、その通りで……。そのお言葉、骨身に沁みます……」
 「先生は実業家でいらっしゃる……」
 私を見透かしたようなことを言った。あるいは私の正体が、刀屋と知っているのかも知れない、

 「実業家ですか?……」思わず訊き返した。恍
(とぼ)けるつもりはなかったが、反射的にそういう言葉を衝(つ)いた。
 「実業家になるのも宜
(よろ)しかろう。但し、どうせなるなら、利益を社会に還元する、社会実業家になられてはどうです?……」
 それは促しているような、言い方だった。あるいは私の未来を見たのだろうか。

 「社会実業家……か……、ですか?……」半信半疑で訊いた。
 「さよう。それでこそ、志が、大志となる……」
 「大志ですか……」
 大志とは、また大きく出たと思った。遠大さを意味するからである。
 「違いますかな?……」
 「いえ……」
 これに否定する理由はなかった。そうあるべきだと肯定すらしたい。
 しかし、今の私に……という不信はあった。
 私は、次から次へと攻め立てるような老人の設問に苦慮していた。総て、お見通しであったのだろう。心すら、その魂胆すら見通しているのであろう。
 敵も然
(さ)るもの引っ掻くものと言うが、年輪を重ねているだけに、したたかさにおいては、一枚も二枚も上であろう。私如きが叶う訳がない。

 また、私の「いえ」は、何かを瞬時に否定していたのであろうか。
 いや、そうとも言い切れない。間が空いたのである。何か、答えを探ろうとしていたのである。
 それが「間」として顕われた。それだけのことである。
 結局、私は青二才であった。総てを読まれて、策に填められているのである。
 
 「それでよろしい。では、一局……」
 一服の後に一局が待ち構えていた。
 これはまさに、誘導尋問から引き出した答えなのであろう。
 あるいは、このように誘導されたのであったのか。
 時には、誘導され、策に嵌まるのも一興であろう。これに文句を投じる謂
(いわ)れはない。まさに、また一興だったのである。

 老医師は碁を打ちたくて、だだそのことに、執拗に誘いを掛けて来るのである。
 さて、どうしたものか……。
 乗るか……。
 それもいいだろう。

  しかし一方で、下手な横好きの笊碁の正体がバレて、失望を買うのでは……。
 果たして私の実力は如何程だろう。
 笊碁以上のことはない。以下のことだが、しかし、その実力のほどは……。

 後に、下手な碁でカモにされ、散々小銭を生け捕られたことがあったが、その時の実力も、六級以下であっただろう。これを考えれば、当時の青二才時期では、更に下であろう。
 昨今は級位として、四十二級とかの階級があるそうだが、当時を振り返れば、私の笊碁の実力は、ぜいぜい五十級程度だっただろうか。あるいはそれ以下かも。

 しかし、碁を誘われて、老医師から励まされたことは事実であった。発想の転換を促していたのである。
 何故なら、自分の孫が挫折して潰れることは、また私が潰れることを意味していたからである。
 その意味では、援護射撃をすることも、祖父として当然の行為だったのだろう。

 老医師の言を借りれば、動かぬものを動かすのが志と言う。まさにその通りであった。
 その言葉を噛
(か)み締めれば、これまで打ちひしがれていた私の表情には、果たして精気が戻って来たのだろう。
 老医師は、部屋の四隅の角の一劃
(いっかく)に碁盤を抱えて陣取り、そこでゲームを楽しもうと言うのである。
 この部屋の四隅の一劃の角部二面は、それぞれにの面に二枚引違いの大きなサッシの窓があり、この一劃部分は池の上に張り出していて、何とも風情のある風流な配置がなされ、周囲の景色が一望で来たのである。まさに絵に描いたような花鳥風月の世界が映し出されていた。そこには満開の桜の景色もあった。

 しかし老医師は、碁を老人の時間潰しのゲームとは思っていないようだった。
 別の意味を持っているようだった。

フラフラと碁に誘われて……。

 つまり碁というゲームと言うか競技と言うか、これは宇宙という考え方が碁盤の局面にあり、その局面では宇宙の摂理が展開されるのである。それだけに深遠である。
 則
(すなわ)ち、天体の運行が、そこにはあるのである。
 古代の碁では、石の黒と白は「陰陽」を顕したもので、そこには古
(いにしえ)の聖人がこれを用いて未来を検(み)たのだろう。未来像を盤面の中に描いて見たのかも知れない。
 それは大いにあり得るだろう。

 碁盤上には九星があり、黒と白の石は、自軍と敵軍とに分かれ、自分の地の確保に当たったり、また敵陣に侵入したりと様々な動きを見せ、あるいは逆に、自軍内に入り込んで来た敵の石を殺したりと、これらの駆引きは、まさに仮託なる戦争を彷彿とさせた。
 戦い方はいろいろある。種々の奇手が遣われる。手順を尽くした定石があるかと思えば、相手を誘い込んで填める手もある。その奇手には罠を持つ。一筋縄では解決出来ないしたたかさが双方にあり、欲張って損をしたり、じっと辛抱していれば形成が好転して開けることもある。そういう処が、まさに人生を彷彿とさせた。
 何故か、戦う戦士の人生に似ているのであった。ここまで洞察すれば、囲碁は単にゲームとか、時間潰しの遊戯とは思えないのであった。

 そうはいっても、碁は伎倆
(ぎりょう)が物を言う。巧拙の差が如実に出る。実力に隔たりがあるのでは、最初から勝負の行方も知れているのである。
 私は見事にやられていた。勝てる筈がない。
 これは僅か十名ほどの兵が、一千人クラスの敵軍と対峙するが如しである。こういう戦いをしても勝てる訳がない。伎倆が釣り合っていなければ、戦っても面白みがないのである。勝負が決まっている戦いは、戦いをする前から勝敗が付いている。こういう戦いは端
(はな)から観戦客がいない。幾ら「小能(よ)く大を倒す」といっても、実力が接近していなければ勝負にならない。観戦客から飽きられて終わりだ。

 私は確かに、爺さまと一局対戦して、見事に負けた。それは碁と言う競技において、である。
 しかし、実戦と盤上の囲碁は同一のものでない。囲碁は囲碁。実戦は実戦。
 受験戦争で勝利を得るには、また永き学習期間を費やして大いに苦しみ、暗中模索するところにも、一もがきも、二もがきも、また「もがく」という往生際の悪い、したたかなる最後の決戦が残されていた。
 諦めればそれで終わりだが、この決戦において、奇手の奇手を連発出来れば、まだ勝つ可能性もあった。勝負は、いま始まったばかりである。身を退くには早過ぎた。

 そして元軍医の爺さまは蘊蓄
(うんちく)の深いことを言った。
 「神亀
(しんき)という寿命三千年の亀のことをご存知かな?……」
 「聞いたことはありますが、詳しくは……」
 「そういう長い寿命をもった神亀でも死ぬ時がきます。寿命あるものは、必ずいつかは尽きる時が来る。永遠に生き続けることはない。必ず終わりがある。
 しかしですなあ。烈しい志を抱いている者は、老いて、病床に伏せって横たわっていても、強い精神力は失わないものです。寿命の長短は、必ずしも天のみが知るという訳ではありません。どのような状況下にあっても、気力だけ衰えさせねば、いつまでも生き存
(ながら)えて、長命を保つことは可能です」
 「つまり、ネバー・ギブ・アップの精神ですね」
 「さよう。不屈の精神……」頷
(うなず)くように返答をした。
 「然
(しか)して、その精神は、あるいは神亀よりも勝る……ということでしょうか……」
 「いかにも」
 「また、そうすれば浮かぶ瀬もあれ……と、往時の武人の格言があります」
 「よくご存知でいらっしゃる……」
 「しかし、現実問題としては、想念だけではどうしようもありません。机上の論と実戦とは異なります」
 いつの間にか否定的なことを言っていた。

 「まだ、老境に至る年齢ではありますまい。志を棄
(す)てるには早過ぎましょう。まず、ご自分を自身で励ましなされ。
 “驥
(き)は老いて櫪(れき)に伏すも、志は千里に在(あ)り”というではなりませんか。この意味、お分かりかな」
 老医師が声を掛けた。
 「はあ……。名馬は老いて、馬小屋で横たわるような状態にあっても、千里を駆ける志は失わぬとか……」
 「その通り。ゆえに“驥
は老いて櫪に伏すも、志は千里に在り”という後に、節義の固い“烈士(れっし)は暮年(ぼねん)なるも、壮心は己(や)まず”と続くのです。『歩出夏門行(ほしゅつかもんこう)』の一節です。かの『三国志』に出て来る、曹操孟徳の有名な詩です」

 勝負は終わっていないと言うことだった。その声に再び、われに返った。
 私の大石
(たいせき)は、駿馬の“駄馬擬き”に悩まされ、駄馬擬きから包囲されて、これから先、生きるか死ぬかの極限の境目に佇立(ちょりつ)させられていた。それは「暫く」のことだろうが、茫然(ぼうぜん)と佇んでいた。此処で倒れれば、その時点で負けである。
 しかし、したたかな、頑固な駄馬擬きにも、素直に言うことを聞く「何か」があって、そこを突く手順さえ見付ければ、この駄馬は一気に駿馬に戻ることができるのである。駿馬を自覚させることが出来るのだ。
 そうなれば、駄馬擬きに喝
(かつ)を叩き込む間隙(かんげき)も見つかろう。それまで我慢の辛抱と言うことか……。

 「今は春たけなわ。“花は桜木、人は武士……”ということを往時の武人は言ったものです。この意味、おわかりかな?……」
 「花は桜木、人は武士……」
 私は、促されたままにその言葉を復唱していた。
 「真の武士は、大志を抱き、人の意見を聞く推量を持っておる。ご自身の考え方はしっかりしていて、周りの煽てにも容易に乗らず、最後の目的を成就させるものです。明治維新を成就させたのは、大した身分でもない下級武士でした。しかし彼等は、大志を抱いていた。懐
(ふところ)には玉(ぎょく)を抱いていた。玉は信念の証(あかし)
 つまり彼等は信念の士であった。節義の固い烈士だった。それが動かぬものを動かした。その大志が成就へと向かわせた。彼等は志の何たるかを把握していたからです」
 私はもう一度復唱した。
 「花は桜木、人は武士」と。

花は桜木、人は武士。

 この励ましで、益々これまでの胡散(うさん)が嘘のように消え、新たなる覚醒を覚えたものである。色褪せた誇りが、色鮮やかさ取り戻した。
 そしてもう一度、心の中で繰り返した。
 花は桜木、人は武士……。
 まさに、春たけなわであった。志を棄てるには早過ぎる季節であった。



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