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続・刀屋物語 32

古美術の世界は、単に美術品を勉強するだけでなく、それを扱う人間夫の、また「人間勉強」でもある。筆者のところには、蒐集家と思しき人が「これを買いたいと思うが、意見を聞かせて下さい」とか「幾らで買えば妥当なのでしょうか」などと実際に美術品を抱えて訊きに来る人がいる。
 そう言う人に対して、まず「では、あなたはどう考えているのですか」と、訊き返すことにしている。

 本来、趣味人の世界においては、その人の趣味の領域にあるもので、また感興の上に立ったもので、これについて門外漢の筆者どう思うかと言うことは、まったく以て無関係なのである。
 恐らくこうした人の「腹積もり」は、偽物を掴まされて損をすることをひたすら恐れているからであろう。しだかって、損する余裕がなく、質問としては極めて幼稚なことが口から出て来るのであろう。こうした人の回答は、出来るだけしないようにしている。

 また、刀剣類をはじめとする古美術品は、本来この世界には真贋が見極め難い偽物が非常に多く出回っており、勉強のためには偽物を掴むことも非常にいい勉強になるのである。
 古美術の専門家の言う言に従い、真物ばかりを相手にしていたら、幾ら経っても眼力は養われることはない。時には、大損をするような贋作を掴まされて、その損の大きさをしみじみ味わうのもいいのである。古美術品で目利きになるのは、発展段階として、初めから奥の奥が分かる訳はない死、人から言われて理解出来るものでもない。

 自分で買い求め、高額な金を払い、それを自分で味わってこそ、自身の進歩があるのであって、他人の意見を聞きつつ、それで損をしないようにと警戒するのは、まさに古美術品を扱う資格のない蒐集家や、慾が先行する投機家のすることである。

 趣味人は、まず「好き者」である。自分でそれが好きならそれでいいのである。その場合、必ずしも真贋にこだわらず、まず「好き」という理由で入手することが大事である。
 また「好きの程度」によって、進歩もあるし、次第に真物の目利きになって行くのである。
 真贋にこだわったり、価格にこだわり、出来るだけ安く買い、高く売りたいと考えているのは、それは投機家や投資家する証券売買と同じである。
 刀剣を含む美術品と言うのは、自分あってもものであり、その人の趣味の程度によって、常に浮動するものなのである。



●坐像

 さて、再び昭和40年前半に戻そう。
 思想も、一つの信仰より出発している。
 その宗教の中にも、「坐」なる偶像を拝むのは、仏教とユダヤ教だけである。それ以外の偶像崇拝は、多くが立像である。
 したがって坐像は、仏教の特長であると言っていい。
 坐して悟りを得ることに、この宗教の特徴がある。

 坐は、腰骨の上に脊柱を垂直に立ち上げることから始まり、頂点に頭部が来て、頭部は全体重の8%あり、それを脊柱が支えているのである。
 その坐の姿を見事に表現しているのは、坐像の仏像である。この瞑想の表現体が「結跏趺坐
(けっか‐ふざ)」である。
 この坐り方の特徴は、如来または禅定
(ぜんじょう)修行の坐相であり、「跏(か)」は足の裏、「趺(ふ)」は足の甲。そして足の表裏を結んで坐することを言う。
 そうすることで、脊柱が腰骨の上に垂直に立つ。こうした坐相を仏像の坐の姿勢は持っているのである。これを得るには、まず坐禅体験をして見なければならない。

仏像の坐像は、人間に脊柱を垂直に立てる大事を教えている。これが立像でないだけに、教えとしての教訓の意味は大きい。

 坐らなくなって現代日本人……。
 椅子の生活に馴れ、それを当り前と思い込んでいる現代日本人に、坐することを大事を教える仏像の坐像は、まず結跏趺坐
(けっか‐ふざ)の大事、つまり「足の裏を天に向ける」という気の循環を教えている。

 更に、「姿勢」についてである。坐の姿勢は、腰骨の上に脊柱を垂直に立てなければならないので、身体的には背筋力の大事を教え、同時に集中力の大事まで教える。これが調身
(ちょうしん)の基礎である。両膝と尾骨で、床に三角形が出来る。これを行うことにより、真中心(まちゅうしん)が得られる。

 問題は、身体的ひ弱なM君が坐像を想像し、また背筋力を養成して、これまでの過保護と訣別を告げて、いつ親から乳離れをしてくれるかであった。
 また、このためには、親自身も子から乳離れをさせなければならなかった。
 もう、ここまでの年齢に達すれば、何も母親は、子を過保護にして乳を含ませないでもいいのである。こうした基礎力の出来ていない子供には、まず勉学の前の基礎力養成が大変であった。
 しかし一方で、彼も、「人とは違う眼で観る特技」を持っていたのである。
 この少年は私を、昂然
(こうぜん)なる生き方をして生きていると捉えたようだ。

 それは自分の親が、私に「少しも成績が上がらんではないか」という悪態とともに、じりじりと追い込んでいる現実に、追い込まれる身の暗さや、侘しさは一切ないというのであった。むしろ追われることで、私自身は昂然となれた。自負を失わないのであった。益々自信が深まったのである。
 彼は私を、そのように検
(み)て居たのである。
 そして、それは腕に覚えがある所為
(せい)でもあろうが、ただそれだけではなかった。

 M君は、私のこうした一面を多角的に観ていた。彼には観察眼があった。よく人を検る。そういう適性も、生まれながらにして持っていた。
 彼の言からすれば、私が、風や雲の誘われるような気ままな生き方をしているのを、若輩でありながら、大きくしていると言うのであった。人をよく観察していた。
 こうした事は、自身では気付かないが、彼が言うには、その自由さが羨
(うらや)ましいというのであった。

 しかし羨ましがっていても仕方がない。私が主役になっても意味がないからである。
 「人生の主人公は、自分自身だよ」
 こういうことを度々彼に言ったことがある。主人公はお前だ、と言い続けたのである。
 最初、彼はこの言葉を他人事のように聞いていたが、やがて聞く耳を持つ彼は、その意味を少しずつ理解し始めた。
 禅で言う「主人公」の意味を徐々に理解し始め、自身の立場に置き換えていったのである。主役が不意に入れ替わったような恰好になり、そこから彼は見違えるようになった。何かを悟ったように人が変わった。

 人間は変わるものである。
 時間とともに、何かを悟るものである。
 耐久テストは最初、彼に課したものであったが、次に、今度は私が課せられる番だったのである。
 私の耐久テストはいよいよ本番に差し掛かっていた。

 つまり、私の耐久テストは“M君の成績が一向に芳しくない”ことについて、彼の両親から責めを負う羽目になったのである。
 彼に家庭教師を引き受けて、もう半年近くが過ぎようとしていた。そして、業
(ごう)を煮やした両親は、私の詰め寄り罵倒擬きの指弾を始めたのであった。
 私はこの頃になると、両親から「先生」と呼ばれるのでなく、“君付け”で呼称されていた。もう尊称は不在であった。疾
(と)うの昔に、私の尊称は顛落していた。
 つまり、“曽川くん”だったのである。半分は不要物のような扱いを受けていた。もう、いい加減に痺れを切らしたのだろう。鳴かず飛ばずで、遂に待ちきれなくてイライラしていたのだろう。

 私はM君の父親から、呼びつけられるように書斎の応接椅子に坐らされたことがあった。
 そこに坐れと、眼で合図されたときには、そこがあたかも、お白洲の針の筵
(むしろ)のようであった。

 「私は、君を一人息子の家庭教師にしたことを大いに悔いている」
 「どういうことでしょうか?……僕の作戦は、今なお続行中ですが……」
 「亘はなあ、もうこれで学内テストで、二度もドンケツになっている。担任からは、学校を辞めて欲しいなどと皮肉を言って来ている」
 「それで、僕にどうせよと仰るのですか。まだ作戦は続行中です。無能な担任の話になどに耳を貸す必要はありません」
 「無能とは、君のことではないのかね!」頭から決めつけるように言うのだった。
 その言に怒気が籠
(こも)っていた。
 「僕が無能とは、亘君の成績が一向に上がらないからそれを指摘して、無能と仰るのですか」
 「君は鈍感だなあ、自分が無能と、まだ気付いてもいないのか!それに自覚症状はないのか!」やや叱責するように言うのだった。

 「それは筋違いです。それに大学受験という作戦は、未だに続行中です」
 私は鷹揚
(おうよう)に切り返した。
 「君は二言目には作戦続行中などというが、何を根拠にそう言うのかね。もしもだよ、受験までもう半年足らずだが、不合格になるようなことがあったら、君は責任をどうとるのかね?続行中の作戦で失敗したら、君はどう申し開きするのかね!」語尾は更に強まっていた。
 「それは、腹でも切って申し開きせよと聴こえますが……」
 「そう取ってくれたまえ。亘はなあ、うちの大事な跡取りなんだ。分かるか、君……」
 「お父さんの話を窺
(うかが)いますと、何か、亘君が現役不合格のように聴こえますが、これは僕の聞き違いでしょうか?」私も敢えて皮肉の一つも言ってみた。

 「君も頭の悪い奴だなあ!亘はなあ、今回で二度ドンケツになったんだよ」
 「それで、僕を詰
(なじ)られますか……」
 「詰るも詰らないもない。今さら君に詰問をしても始まらない。ただねえ、二度だよ、二度。二度あることは三度あるではないが、既に受験レベルの学力には到底到達しているとは思えない。これではどうしようもないではないか!」
 「早まっては行けませんよ。学内テストの中間や期末で得点を稼げないからと言って、それを受験に結びつけて考えるのは筋違いです。僕は受験専門のプロの家庭教師であって、学校の勉強を見る宿題屋ではありません」
 「何がプロだ」一瞬、鼻で嘲
(せせら)笑った。

 「大学受験は、中間考査や期末考査のテスト範囲から出るのではありません、ご存知ですか」
 「なに!」
 「僕は受験に対してのプロの家庭教師であり、学校の中間や期末の得点を上げるための宿題屋ではないと申し上げているのです」
 「それは詭弁
(きべん)だ!」
 「そうでしょうか」
 「君も口だけは達者だなあ。では、亘が現役合格出来ない場合はどうするのかね!」
 「まあ、その時は、これまでご先祖から長らく続いたM総合病院をあなたの代で閉鎖することでしょうな」
 「なんだと!」
 その剣幕は、今にでも胸座
(むなぐら)を掴み“貴様!……”と突きかからんばかりだった。

 「いいですか、お父さん。亘君に学問で世に出て欲しい訳でしょう。医学者になって、名声を高めるためには現役合格以外、道はないのです。浪人して、一年遅れや二年遅れでは、仮に医師国家試験に合格して医者になれたとしても、それは町医者のレベル。医学者として、親を抜きん出るようなリーダーになるのなら、まず軽く現役合格して、それから以降の勉学の方が大変なのです。息子さんは、学問で世に立とうとしているのではありませんか」
 思わず熱弁していた。

 「ほーッ、見て来たようなことをいいじゃないか……」
 この言葉には、“お前は飛んだ食わせ者だ”という侮蔑と、私を詐欺師扱いする意味が含まれていたのかも知れない。
 「現役合格出来なければ、どうする?……という質問に対して、僕の立場としては、万一不合格になるようなことがあったら、どうするか?……と訊いている訳でしょ。
 だったら僕は、皇国の興廃に賭
(か)けて作戦を続行している関係上、不合格になったらどうすると解しています。したがって同じ質問をされて訊かれれば、その時点で、病院をあっさり畳む以外ないと答える以外ないではありませんか。
 皇国の興廃が懸かっているこの乾坤一擲の土壇場を、もし不合格になるようなことがあれば、誠に残念ですが、M総合病院はお父さんの代で、あっさり畳んでしまえばいいのです。この時点で万歳して、無条件降伏すればいいのです」
 「……………」
 父親は私の話を聴いて、暫く腕を組んで黙ったままだった。

 これ以上口論しても無駄と思ったのか、あるいは私に何かの理を認めたのか、その辺は分からない。
 しかし、私の指摘は、中
(あた)らずと雖(いえど)も遠からずだったに違いない。
 「では、僕は作戦続行中ですので、これで失礼させて頂きます」と、退き下がっていったのだった。

 私はその後、M君の勉強部屋へと戻った。
 彼の勉強部屋と言っても、彼の部屋で勉学指導するのでなく、池に隣接した十六帖の部屋の一劃
(いっかく)に彼は炬燵(こたつ)を置いて陣取り、そこで池の風情に浸りながら勉強するという妙な癖があった。それに池の景色を見ながらというのは私自身嫌いではなかった。
 「先生。親父
(おやじ)に、また絞られましたね?」
 「構わんさ」
 「申し訳ありません、僕がそもそも不甲斐ないばかりに……」
 「気にするな、今は“能ある鷹は爪を隠す”を実践しておれ……。今は本性を現すな。人生には意外性があることを、まだ披露するな」
 “駿馬よ、焦るな”と言ってやりたかった。
 「作戦は続行中ですね……、分かりました」
 この少年も意外にしぶとかった。年齢は私より僅かに二歳下だったが、何か見直すべき信念のようなものを感じたのである。急に大人になったように映ったのである。
 そして眼の輝き方が、これまでの大人しい従順から、烈しい信念へと移行し始めていた。背骨に背筋力がついたのだろうか。
 それを参禅して得た、坐禅の効果と云うべきものであったのだろうか。

 しかし、それは単に基本的な身体能力に過ぎなかった。
 問題は単なる体力でなく、受験に勝ち抜く体質を養わねばならなかった。体力だけでは受験に勝てない。体質も合わせて改善させる必要があった。

 今度は、M君の母親との折衝にはいった。
 体力よりも、体質の善し悪しで受験は決まる。
 日本の場合は会計年度に合わせて、総ての一年のサイクルが決定されるので、受験はどうしても寒い時期に「峠越え」が行われる。この時期は、難所の峠越えに匹敵する期間に当たる。こうした難所を超えねばならないのだから、精神力に体質の善し悪しが物を言う。
 それでM君の母親に同意を求め、体質造りに峠越えを前にして養う大事を説かねばならなかった。
 しかし、現代栄養学などを持ち出されれば、私の思惑は半分以上失敗となる。その懸念が大いにあったのである。

 その時期は近日中に遣って来た。
 人間は、その人が何を食べているかで半分以上が決まってしまう。食べ過ぎても行けないし、不足しても行けない。腹六分から、多くても八分が一番いい。それ以上を食べると、満腹中枢が正しく機能しなくなる。どんぶり腹状態になって、頭に思考するための血の巡りを悪くする。

 「食べ物について、地元産の新鮮な旬のものを頂くと言うのをご存知でしょうか」
 私はM君の母親に対し、このように切り出していた。果たしてこの夫人は、私の言に聴く耳を持っているのだろうか。
 「地元産の旬のもの?……」
 思わず、このように訊き返された。
 「食には、身土不二
(しんど‐ふじ)という食思想があります。ご存知でしょうか?」
 「いえ」
 あっさりと否定されてしまった。
 そして私は、身土不二の食思想を熱弁していた。自分の躰と土地は一体であると言う思想である。人間はその土地で生まれ、またその土地の土に戻って行く。身土不二の根幹をなす思想である。そして人間の歯形から考えた、人間は玄米穀物菜食の植物性の生き物であることを説いた。決して肉を食べない生き物であると説いた。

 「それは現代栄養学の否定でしょうか。例えば、米を食べると頭が悪くなるというような、何処かの大学の偉い先生が仰られた、そうした発言の否定でしょうか」
 「そうです」
 私はもう一度、日本人が連綿として続けて来た食思想について、ありったけの知っていることを熱弁した。

 「地元産のものを食べる。これは振動の問題です」
 「振動とは、また奇妙な論理の展開ですね。でも、九州人が九州で育った作物を食べる……。これには異存ございません。しかし、動タンパクは、どうなのかしら」
 遂に、カロリーを持ち出して来たか?……と思った。

 人間は思考する生き物である。
 そして思考するためには、大変な高カロリーかつ高タンパクの食品を必要とする。
 そのうえ「現代」という世は、科学と言う名において、質量化された生体というのが「カロリー論」の中枢に上げられ、生命の源にはエネルギー量子が問題にされ始めていた。
 更に、物質で構成されている、本来は非存在である生体エネルギーが存在して行くためには、エントロピー増大の法則により、生命の持つ動的平衡が決め手となるという論理が展開されたのも、この時期からだった。
 つまり、金持ちの間では「牛肉を食べる」ということが日常化され始めた時期であった。

 「タンパク質補給は、何も四ツ足だけに限りません」
 「肉食をし、牛乳を飲み、高滋養をとる。これは生きて行くためには必要な行為です」
 言わぬとすることは分からぬことでもない。
 生命度が高く、高級な生き物ほど、肉体を維持して行くためには大きなエネルギーを必要とする。高カロリー高タンパクの食物を摂取する必要がある。そのうえ食物は、生命度が高いものでないと、それを食する側は役に立たないと言う問題も一方には抱えている。
 しかし、それは四ツ足を喰うことになり、生物は、他の生物を食べないと生きて行けないと言う思い込みにも、また悲劇が存在している。

 「現代栄養学は体力の事は説いていますが、体質について何一つ触れていません。百花繚乱の教条主義で、何でも食べよとしています。肉も野菜も、好き嫌いなく一日30品目以上食べよとしています。
 ところが、外国産の食品が雪崩れ込んで来ている現代、日本人の食卓には星条旗こそ立っていますが、肝心な日本国産のものは敬遠され、米を食べると頭が悪くなるというような根も葉もない食理論まで実しやかに囁
(ささや)かれています」
 「……………」
 この論に、夫人は反論もせずに静かに耳を傾けてくれていた。
 再び身土不二を説いていた。

 では、なぜ「振動」が問題なのか。
 近隣で、地元で育った食物は、人間のその地域の肉体がそうであるように、肉体と言うのは常に地域的な大気の振動に共鳴し、また反映しているものである。そのために人間の肉体は食べ物により、よく同化するのである。
 身土不二の食思想からすれば、地表下で育った野菜7に対し、地表上で育ったものを3として食することを奨励しているのである。

 したがって、陸地を横に這う牛肉などの重い動タンパクや、特に半焼けの食肉などはあまり食べない方が良く、豚肉や園田の肉加工食品も出来れば避ける方がいいのである。野菜を食べるときも、動物質の脂で調理することはよくなく、油で揚げるフライよりも、炙ったり蒸したりした方が良い。
 また鶏肉や豚肉などのフライものは、デスクワークをすることが多くなった現代では、過度な肉体労働をしていない限り、不要な食物である。

 昭和30年半ばから40年代半ばに懸けて、昭和39年の東京オリンピックで好景気に湧き、都会では産業や社会基盤のインフラなどの各施設工事で、地方の農村から都会の工事現場で働く出稼ぎ労働者が多くいた。まだ肉体労働が主力の時代であった。
 こうした人は、自分の肉体を維持するために高タンパクで高カロリーの、自分の肉体労働に合わせた食物を摂取しても、何とかバランスが取れていたであろうが、現代では美食の一部に成り下がってしまったため、成人病予防としては既に不要の食物になっている。

 動タンパクを摂取するなら、背中の青い手の襞サイズの小魚や、その他の魚介類や原始の形を残す貝などが適当であり、牛肉、豚肉、菓子類や甘い果物も、人間の腸環境を悪化させ腐敗して強酸類を生成して、それらは腸内にカスとして残留し、残留したものは腸壁繊毛から再吸収されて、血液の循環に乗って弱った組織に停滞してその部分を炎症させる。風邪などは、酸の含有量が少なければ罹り難く、多いと罹り易くなる。
 つまり、病気は酸性過剰になると罹り易く、こうした状況下で、受験戦争に勝ち抜くためには大きなネックになるのである。

 罹病しないためには、まず体力ではなく体質の改善こそ急務なのである。
 一応、このように訴えたが、果たしてその後、どう変わったか知る由もなかった。
 聴くか聴かぬかは、私の感知するところではない。伝えることだけで、私の食指導は終了するのである。
 ただし、M君は体調を壊すこともなく、その後も元気だったから、あるいは私の身土不二の食思想が些かでも聞き届けられたのではないかと思うのである。
 受験とは、親子を巻き込んだ総合戦なのである。


 ─────皇国の興廃は間近に迫っていた。
 だが、小出しにしても駄目である。奇襲攻撃をするには、一気に斬り込んで躍り出らねばならなかった。そのために暫く俟
(ま)つ必要があったのである。
 その間、依然として私は無能呼ばわりされていた。
 そしてどういう訳か、M君は、私が彼の両親から無能呼ばわりされればされるほど、彼は益々燃えて、猛烈に勉強するのだった。また勉強する体力を得て、更にはそれが長時間続く体質を得ていたのである。

 「お前は、勘違いしてはならんぞ。自分のために、自分の人生の計に賭
(か)けて、闘志を燃やせばいい。決して他人のためではない。況(ま)して俺のためでもない。
 俺に報いろうとも思うな。俺は受験請負人に過ぎぬ。お前はお前だ。
 学問で世に立つ自分自身のために心血を注げばいい。大学受験なんぞ、それから先の多難を考えれば、この程度の勉強は序の口だ。受験は確かに勉強を必要とするが、学問ではない。学問の域には達していない。学問は大学には入ってから遣ればいい。先ずは学問をするための基礎体質を養い、人生の計を実行するための露払いと思え」
 こう言って、彼を叱咤激励した。

 私は敢えて、学問をするために基礎体力と言わず、「基礎体質」と言ったのは、学問をする持続力を継続させるのは体力ではなく、体質であると確信しているからである。
 学問と言う没頭能力を必要とする長時間格闘は、体力によって決定されるのではなく、体力の母体を支える体質によって決定されるからである。体質がよくなければ、いい学問は出来ないからである。
 そして、主人公は自分自身であることを、付け加えるのを忘れなかった。

 私の持論は、大学は“大学に行く才能のある者が行くべきである”という『大学進学才能論』を当時から抱いていた。
 大学には大学に行く才能のあるものだけが行けばいい。
 したがって、その才能がなければ、“猫も杓子も大学”という世の中の通常概念に囚われることなく、また「無学歴社会」を構築することはなく、大学へはその才能があるものだけが行けばいいのであって、その才能がなければ、大学以外の別のところで、自分に具わった才能を発揮すればいいのである。誰もが、ホワイトカラーを夢見て、3K
(1980年代から使用された語で、「きつい」「汚い」「危険」の、現場での作業職を指す)を嫌ったところに、昨今の奇怪な社会現象が生まれたと思うのである。

 その意味では、職人の世界こそ、昨今の誰でも大学に行く時代の無学歴社会に対応する「一つの奇手」と思うのである。誰もが大学出になると、これまで最高学府と信じられていた学士の世界は、まさに無学歴そのものになってしまうのである。

 そして言及すれば、学問で世に立とうとする人こそ、その才能を磨いて、大学へ進学すればいいのである。
 私は当時、M君の家庭教師として彼を側面から観察すると、やはり彼は、医学者になるべき才能を有していたと確信するのである。またこの確信があったからこそ、励ましの言葉も遠回しにしてエールを贈ったのである。
 M君はまさにそれに相応しい主人公であった。
 その後、主人公の活躍は目覚ましかった。遂に駿馬は眼を醒ました。
 そして思いがけないことが起こった。

 あるいは私の予想通りだった。
 計算した通りに結果が出始めたのである。集中力を強化する背筋力養成の指導法は間違っていなかった。本来は頭脳明晰である。それに加えて背筋力を養い、長時間の勉学にも耐えられる肉体を造り上げた。こうなると鬼に金棒である。
 駿馬は、駿馬の本来の能力を発揮すればいいのである。したがって駿馬の活躍は目覚ましかった。一気に疾走した。決勝点に向かっての、凄まじいラストスパートであった。

 そして遂に彼が、学内で一番に躍り出たのである。これは奇蹟と言うより、予想通りだった。駿馬が駿馬としての威力を発揮したまでに過ぎなかった。
 その一番をキープしたまま、現役でT大医学部をストレート合格してしまったのである。それも楽々と、である。それでこそ、学問をする資格があるのである。
 それは、私如きが決して真似出来ない、凄い才能であった。

 才能の持ち主は、目的意識が明白になった場合、そこに凄い結果を齎すことがある。
 M君は、医学部合格が受験目的ではなかった。彼の目的は、将来医学者として学問で世に立つ最終目的が明確だった。故に、受験目的の最初の段階を易々と達成したまでだった。しかし、掲げる目標は医学部合格ではなかった。その先がある。その先に幾つもの関門がある。
 既にその後の最終目的に向かって、踏み出していた。そのことがストレート合格を容易にしたのであろう。
 自分の受験技術の未熟を、最終的な受験目的に置き換えることで、その目的はより明確なものになり、この目的において、先ず第一段階を踏破したといえよう。しかし、彼の目的はまだ達成された訳でなかった。これからであった。

 まだ、めでたしめでたし……ではないのである。これでハッピーエンドで終わった訳でない。まだ目的は達せられていないのである。今からだった。
 私の請負業の目的はこれで終了するが、M君は今からである。彼が最終目標に向かって邁進するのは、いま始まったばかりである。私の最終目標も、これからだった。
 さて、これをどう切り出したものか。どういう口実で、刀を買ってもらうか。
 暫
(しば)し思案に暮れた。
 しかし一先ず、私の役目はこれで終わった。一息つける。
 その終わりに当り、私は駿馬が最終レースで素晴らしいラストスパートで、一気にゴールに駆け込む凄まじい疾走を、まざまざと見た思いがしたのである。それでこそ駿馬だった。

 この当時、私は人間の「生まれの違い」と言うものをはっきりと見た思いであった。格が違うと思った。
 格が違う。とにかく格が違う。駄馬が駿馬の真似をしたのではない。駿馬は駿馬だった。
 頭の出来具合も違う。
 世の中にはそう言う人間がいるのである。
 そういうものを思い知ったのである。人間は、生まれながらに「格」というものを具えていた。
 彼は見事に、私の耐久テストに合格した。
 そして私自身も、彼を合格させるという耐久テストを受けたことになる。
 私の持論である「勉強は一人で遣った方が伸びる」というこの論理は、彼を通じて証明されたのであった。

 だが、これが証明されたからといって、私の「時給一万五千円」の金額が妥当だったか、ボッタクリだったか、当時でも大いに揉
(も)めた。時給が一万五千円であるからだ。
 それはM君の家で揉めたのではなかった。
 彼の家では、父親自身が、成績が上がったことで妥当だとしていた。あるいはもっと出すべきか……そういうことまで言い出していた。
 ところが、問題はそうではなかった。
 級友が、私の「金銭感覚に問題がある」と、いちゃもんを付けたのである。

 大学の級友のごく親しい者に、私の家庭教師が知れることになり、「お前、時給一万五千円も取っているのか」が非難の的となった。これに相当な批判が集中した。これは冷やかし半分ではなかった。本気でそう言われた。
 激しい口調で人非人
(にんぴにん)……などとも指弾された。良心の呵責はないのか……などとも言われた。
 まさに悪罵
(あくば)の十字砲火を浴びていた。

 「お前の金銭感覚は、確かか!」などとも揶揄された。罵倒に近かった。
 それが妥当な定価なのか?……とも、叱責されたし、常識ある金の勉強をしたらどうだ?……とも罵詈された。
 価格と言う定価というより、正価であろう。掛値無しの、ボッタクリ無しを言っているのであろう。
 私の時給は篦棒
(べらぼう)に高いからである。
 しかし、それだけのことは充分に請負人として遂行したという自負もあった。受験請負人と言う傭兵は、それだけの戦争目的を達成したのである。勉強指導以外の、寺や美術館を廻るなどの課外授業も休日返上でしているからである。
 誰に後ろ指を指される謂
(いわ)れも無かった。

 級友から出た罵詈雑言は恐らく嫉妬だろう。あるいは“上手い仕事”にありついたことで、仲間からの羨望が集中したのかも知れない。
 この時代の家庭教師の時給は五百円から高くても千円程度であったからだ。
 現役の高校教師でも、家庭教師料の時間給はせいぜい千円前後であり、優秀な人でたまに千五百円と言うのがあった。
 誰もが“上手いこと遣りやがって……”と思っていたことだろう。その嫉妬は大いにあった。
 そして私の場合、M君がストレート合格してくれたからいいようなものの、もし彼が不合格にでもなっていたら、周囲から受験詐欺師として袋叩きされていたことだろう。



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