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続・刀屋物語 31

刀剣には様々な尖先(きっさき)がある。本物語では、「切先(きっさき)」あるいは「鋒(きっさき)」を“尖先”として紹介しているが、これは刃物における刃物の先の尖った最先端部あるいは刀の刃先を言い、切りそいで尖らした部分を言う。
 そして尖先は「ふくら」と無関係ではない。

 ふくらには「ふくら付く」と「ふくら枯れる」とがある、更に、この先端部分を「鋩子
(ぼうし)」と言う。
 鋩子には刀工の癖や技術的な巧みなる個性において、その形状は多様であり、作者を検定する上において重要な見所となる。



●一切空

 一方で、私は苦戦していた。
 効果薄に、指弾の言が混じり始めていた。その度に、「評価されるのは努力の過程ではなく、結果が総てなのだ」と、口が酸っぱくなるほど説明した。
 しかし物事は思い通りに運ばない。何事も順風満帆には進まないものである。

 事実この間、M君の成績はさっぱり上がらず、こうした徒労にも思える基礎力造りの期間は虚しかった。そして、修行僧にも似たことを半年近くも遣らせたのである。だが、功は奏さない。停滞したままだった。
 私の関心事は、この駄馬擬きの駿馬に心境の変化は起こるのか?……ということだった。

 季節は桜が散り、新緑の若葉が出て、その緑は益々濃いさを増し、やがて夏がきてヒグラシが啼
(な)くことになり、その啼き聲(こえ)が、如何にも私の無能を嘲笑っているようだった。虚しく時が流れて行くようだった。
 ヒグラシの啼き声が、私の苦戦を象徴していた。追い込まれて悪戦苦闘だった。
 しかし、したたかな私は一つの信念に従い、動いていたのである。

 父親も業
(ごう)を煮やしつつ、私を指弾しつつ「さっぱり成績は上がらんではないか……」と零(こぼ)していたし、母親も「勉強以外のことをして何の足しになるのですか……」と、私の受験行動に対し、反発を抱き、かつ反対であったようであった。
 両親は目先の成績向上を期待していたようだ。
 また、机にしがみつくことを勉強する姿と勘違いしていたようだ。親が陥る「わが子の勉強観」だろうか。
 故に、それを宥
(なだ)めるのも一苦労だった。そしてM君は、相変わらず鳴かず飛ばずで、ワースト・スリーから、ついにドンケツになってしまった。これでは目も当てられない。
 彼はまだ眠った状態だった。
 一向に眼を醒ましてくれない。
 駿馬は、未だに自分が駄馬と思い込んでいるようである。いつになったら自覚が起こるのだろう。
 流石
(さすが)の両親も、これには腹を立てた。

 だが、私の指導の効果が上がっていないことは事実だった。遅咲きの彼には、まだまだ時間が掛かるのである。駿馬が、駄馬でないことに気付くのは、まず駿馬の自覚症状を自らで感じ取る以外なかったのである。
 それを私は俟
(ま)っていたのである。もし、そうなると駿馬の疾りには加速度がつくだろう。しかし、今はまだ眠ったままだった。
 その眠りに両親は気付かないのである。

 ついに父親は、ボクシングのコーチに喩えて、有能なコーチと無能なコーチの説明を始める始末だった。コーチは有能であって始めて、チャンピオンを誕生させることが出来ると言うのである。それは、選手が無能でも、有能なコーチは、あたかもチャンピオン製造機のように言うのであった。
 学問することを、学問する才能抜きに「スポーツ理論」あるいは「根性理論」に摺り替えた言い方をし始めたからである。これには閉口したものである。

 私はこれらを統
(す)べて無視した。無視する以外なかった。
 目先の10点や20点得点を上げたところで、それが将来に繋がるものでない。彼には、基礎学力が不十分だったのである。
 また、ハードな受験勉強に耐えられるような基礎体力もなかった。これを解決しない限り、彼の未来はないのである。彼の代で、医家という生業
(なりわい)は途絶えるのである。
 こんなものに耳を貸していたら、結果的には好結果が期待出来るにも関わらず、絶望的な結果が現れる恐れがあったからだ。一切を無視して、何と言われようと、私流に遣り通したのであった。

 特にM君は、母親の過保護で育てられたためか、心もひ弱だったが、躰も実にひ弱だった。精神力を蓄える肉体を有していなかった。そのために集中力がなかった。
 切羽詰まった局面に立たせれ、急
(せ)かされて何事かを喋ると、吃(ども)るのである。
 この吃りも、母親の過保護は関与していると思われた。一瞬、動顛するのだろう。焦るのだろう。あるいはパニックになるのかも知れなかった。そのために、言葉が詰まって赤面するのであった。

 更には長時間の勉学に対して、受験体勢の体力を持っていなかった。
 背筋力がないためである。
 背骨が弱いのだ。
 そのことについて両親は知らなかった。親が医家でありながら、単純なる根本を見落としていたのである。
 こうした生徒に対し、幾ら有能な教師が指導しても、決して成績は上がることがない。もう戦う体力を失っていた。それは背筋力がないためであった。何とも貧弱だった。
 その理由として、『孟子』
(尽上)には「面に見(あら)われ背中にあらわる」というのがあるからだ。人間は背中にも恐ろしいほどのエネルギーが顕われている。そこに「力」が顕われている。顔面の誤摩化しは化粧などで可能だが、背相だけは誤魔化しようがない。

 確かに外見から見ると、十代後半の大人の体躯をしていた。しかしその骨格は貧弱だった。
 特に背中であり、背骨が貧弱であった。背中に貧相が漂っていた。背中に力が無いのである。そこから性命エネルギーが出ていないのである。
 脊柱を腰骨の上に、垂直に立て脊柱強化の訓練から始めねばならなかった。
 全体重のうち8%を占める頭の重さを支えるには、背筋力の有無が物を言う。
 学問する集中力と身体力は、総て脊柱の耐久力による。長時間の持続力を持ち、同一姿勢で堪えられる継続力は、総て背筋力に代表される。
 ここに受験の耐久テストの第一関門があったのである。
 私が設定した耐久テストは、結局長引いて、もう断るにも断れない段階まで来ていた。

 外はヒグラシが啼いていた。私の耳には何とも虚しく響いていた。
 八月も半ばを過ぎ、もう直、爽やかな秋風が吹く初秋である。秋を感じる頃の季節の移り変わりは早い。秋風はやがて北風を思わせる晩秋へと早変わりして行くのだ。秋は早足で過ぎて行く。もう直、その季節に移り変わるだろう。そしてやがて冬が来る。受験のシーズンは一段と白熱化する。
 これを思うと、一抹
(いちまつ)の焦りが脳裡を交叉するのであった。

 何か手はないのか?……。奇手と行かないまでも、何か手はないのか。
 その思案に暮れた。
 あるとき初秋を知らせるヒグラシの聲に聞き入っていた。
 そして、ふと浮んだ一節があった。
 「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、踏み込み見ればあとは極楽」
 地獄と極楽。
 この境目には何があるのか。何が両者を隔てているのか。

 世の中の現象には、追えば逃げ、逃げれば追うという現象が働いている。逃げるから負って来る。そして追えば逃げる。常に相対関係である。何かに対峙
(たいじ)しなければならない。これを絶対関係にする者はないのか?……。思案の中枢に、これが難問として掲げられていた、

 厭
(いや)だから逃げる。厭なものからは逃げる。逃げるから、また厭なものが負って来る。
 では、これをどうするか。
 太刀の下の地獄は、まさに厭なものである。
 厭なものを厭と見ていては、いつまでも解決出来ない。解決するには地獄の中に、一旦は入って行かなければならない。地獄の中に踏み込んで見なければならない。今まで厭
(いや)だ厭だと思っていた地獄は、一旦踏み込めば、そこが極楽であるかも知れない。そのためには「一つになる」しかない。
 地獄も極楽も一つになれば、もはや地獄もなく極楽もなくなる。
 唯一つである。
 「空
(くう)」である。昇華した状態である。
 ある剣聖の「剣禅一如」を思い出した。かの山岡鉄舟の剣禅一如である。

 活殺自在の「喝」によって絶対的な気合いを体得してみてはどうか……。
 武術の試合には、一種の負ける方の言い訳として「気合い負け」なるものがある。相手の気合いに呑まれて負けるのである。また、勝つ方は相手を呑んで勝つのである。
 勝つ方は相手を呑んでいるから勝つのであり、また負ける方は相手に呑まれているから負けるのである。更に負ける方は何か萎縮した蟠
(わだかま)りがあり、これによって呑まれるのである。

 気合い負けの話に、かの無刀流を創始した山岡鉄舟と、その師匠・浅利又七郎とのエピソードが有名であるが、この話は山岡鉄舟が浅利又七郎と木刀で対峙した時の試合に始まる。このとき鉄舟は正眼に構えていた。
 一方、浅利は下段に構えて、じりじりと鉄舟を追い詰めた。最後は羽目板まで追い込まれてしまう。これは何度やっても同じだった。幾ら剣技を稽古して、猛特訓しても駄目であった。遂に勝つことが出来なかった。
 そこで鉄舟は一生懸命坐禅に打ち込む。参禅して工夫を凝らすのである。

 剣を交えた場合、一般人の想定は自他の体制と考えてしまう。対峙した場合、自分対相手となる。
 そこで鉄舟は創意工夫の末、剣を交えるとき、自分の前に敵なく、剣の下に自分なく、天地の間を一人行くのは吾のみ、という境地を探り当てたのである。
 そしてもう一度、浅利に試合を申し込んだ。浅利は、鉄舟の気魄
(きはく)に圧倒されて、思わず「参った」といって剣を置いたと言う話がある。このとき鉄舟の剣は、浅利にも及ばぬ高い次元に到達していたと言われる。無声であっても、気合いが相手を圧するいい例であろう。

 心気の勢い……。
 はて?……。
 坐禅をしてみてはどうか……。
 そこに行き当たった。

 そのために寺巡りをして、まず仏像を見て回った。仏像が作り出している坐像の「坐の姿勢」を見させて、その構造を理解してもらうことだった。
 なぜ坐るのか。
 ここに姿勢を正すキーワードがある。
 特に結跏趺坐
(けっか‐ふざ)に眼を向けてもらい、この坐像を、自身で研究させることだった。

 前から検
(み)て、横から検て、あるいは、背後は壁で隠されて見えないがそれを想像してもらい、また検ることが難しい、真上からと、更に想像だけになる真下から検て、仏像が立体的にどうなっているかを想像してもらうことだった。その想像なくして、背筋力の強化はあり得なかった。
 これは構造自体を頭の中で分かっても、実理の面で理解しなくては駄目である。また、単に筋トレに固執して、筋トレで背筋力の強化を図っても無駄である。根本が分からねば、何一つ解決しないのである。まず、此処から始めなければと考えたのである。

 この想像は、表面的な部分から見るだけでなく、仏像の内臓すらも想像せよ……という、解剖学の立場からも想像させたのであった。
 そのときに、もし自分が、仏像の坐像を描いて坐り、その坐の状態の脊柱が、どうなっているかを想像させたのであった。

 勉学をするのに、姿勢は大事であった。
 特に姿勢の中でも、背筋力は大事だった。
 姿勢如何で、学のレベルが決まってしまうのである。つまり集中力だった。
 成績のいい子供は集中力がある。
 逆に集中力がなければ成績は揮わない。これは頭脳明晰以前の問題である。
 それは姿勢で決まり、また脊柱の強度、つまり背筋力だった。問題は背筋力の強度並びに、それに付随する内筋の強さなどである。
 だから禅寺に連れて行って坐禅をさせたり、寺などを廻って仏像の坐像を見せて廻った。
 特に「坐像の大事」を説いた。背筋に注目せよと教えた。

 この世の物は、総てが宗教より出発した。ここに思考の原点がある。宗教こそ思想の原点だった。
 何を崇めるか……。何を信ずるか……。
 それは人それぞれであろう。
 しかし、人それぞれの信ずる中に、今日の経済も政治も、また学問すら包含されているのである。
 何を学び、何を知るか。

 それは人それぞれの、個々人の観念によろう。観念によって、人は思考の対象となる意識の内容および心的形象を覚悟し、また真理に近付こうとするのである。ギリシア語でいう「イデア
(idea)」である。
 そして心的形象により、個々人の物事に対する考え方が生まれる。

 だが、それには学び、知るためには思考する能力がいる。思考には脳の活性化がいる。脳は肉体の一部であり、肉体が健全でないと脳の働きも健全にはならず、明晰なる直観を明らかにすることは出来ない。曖昧
(あいまい)さを含めば、その概念はぼやける。
 そのためには、まず頭を支える背骨がしっかりしていなければならない。背骨は腰骨の上に垂直に直立して始めて体重の8%の重さの頭を支えることが出来る。背骨の大事は、明晰なる直観力と繋がっていた。

 私とM君は、このとき、ある美術館主催の仏像展に来ていた。仏像の美術的な部分に惹
(ひ)かれたのではない。仏(ほとけ)の有り様と、その姿を検(み)るためだった。
 仏はなぜ坐るのか。坐れば、静が得られるのか。
 坐る目的の研究である。
 また以降も、方々の寺廻りをして、坐の姿勢を見て回った。それは仏を検るのではない。仏の姿勢を検るのである。

 私の感心は、仏像の坐像の脊柱の構造を想像していたからである。つまり腰骨の上に脊柱を立てる、あの姿勢である。そこに何か秘訣があり、その姿には「勢いがある」と感じたからである。脊柱を何かが行き来するのである。それは何か。
 気が行き来する。気の運行がある。その中枢が脊柱である。脊柱は背筋力によって支えられている。

 坐した仏像が、もし動くとしたらどうだろう?……などとも考えてみた。
 動く直前の、起勢なるものを想像してみた。立って動き廻ろうとする、まさにその刹那
(せつな)に起こる「起勢」なのである。
 更に、姿勢反射まで考えてみた。
 仏像を彫った仏師が、姿勢反射まで考慮して、坐仏は何とも勢いを感じるものである。その勢いは何処から起こるのか。何によって勢いを得ているのか。

 単に座り尽くめの坐仏を掘ったのではあるまい。静の中に動を考慮しているのである。名人の域にある仏師は、この起勢まで考えていた筈である。
 それは「気」を感じたからであろう。気に勢いを感じたからであろう。
 それが背骨の勢いになっているのである。根本には「気」がある。
 そのためには脊柱が確保され、当然鍛えられていなければならない。「気」を養うためには背骨を強化しなければならない。
 更には背景として、この鍛錬には、おそらく「心象化能力」まで考慮したのではなかったか。
 「気」と「心象化」の合体である。念じるためのエネルギーの源は「気」である。

 脊椎動物で高等なる生き物には、姿勢反射なるものがある。躰の姿勢や、いま動こうとするその刹那、平衡を維持する反射を持つのである。そしてその中枢は延髄や脊髄に内蔵されている。
 あるいはこれは、「一刀両断の振り被る姿勢」にあるかも知れない。

 「亘よ、ここらで奮闘してみないか」
 私はこのようにM君に問い掛けていた。
 「はあ?……」
 切り返したその眼は、以前として駄馬の眼であった。
 「分からんか!」
 「はあ?」
 「具体的な未来像をイメージするんだよ。それも漠然ではなく、鮮やかに明瞭に描き出すんだ。それを自分の心のキャンバスに描き出してみる。多くの成功者は、心の働きを知っていて実際生活に応用してたんだ。目の前にある仏像を見てそう思わんか?……」
 「どうでしょうか」
 「心に描けば、その結果は必ず現実の物になって顕われる。未来にそれが現実の物になって顕われる。その鍵は、総て内にあり。外にはない。どうだ、まだ信じられんか?……」
 「……………」
 「仏像の坐像を見て、釈尊の教えは何処にあると思う?」
 「苦集滅道
(くじゅう‐めつどう)でしょうか」
 「難しい言葉を知っているじゃないか」
 私は、これを皮肉で言ったのであるが、実は“お前は単なる頭でっかちじゃのう”と詰ってやりたかったのである。
 「先生ほど物知りではありませんが……」
 そう思っていると、それをあたかも読んだように、M君もこれに応戦したのである。

 「そうだ、苦集滅道が仏像の中に刻まれている。あの坐像の中に総てがある。苦しみに原因を知れば、苦しみに負けることこそ能無しの陥る落し穴だ。人間は、俺を含めて心の揺れ動く弱い生き物だが、この弱さを言った上で、心の弱さに打ち勝つ創意工夫を教えたのが釈尊だ。釈尊は、人生とは苦海だとは言ったが、苦海だからこそ、人生を生きるには創意工夫がいると教えたのだ。その教えの中心に、左右何れにも偏らない“中道”を説いた。

 人生は苦であるという真理を苦諦
(くたい)という。苦の原因に関する真理を集諦(じったい)という。苦を滅した悟りに関する真理を滅諦(めったい)という。此処までを“知ること”といい、それは心の働きによる。
 そして、悟りに到る修行法に関する真理を道諦
(どうたい)という。
 つまり、この道諦の修行法こそ、創意工夫の現れを指す。打ち勝つための工夫を言う。『諦』は真理の意味だ。
 その追求に『坐』を取り入れたのが仏道である。坐は、坐ることを言う。ひたすら坐ることを言う。そして坐るには、姿勢が第一。

 姿勢を正してこそ、心の描いたものが必ず実現すると言う心象化の秘密が坐像にある。つまりその基本は、腰骨の上に脊柱を垂直に立て、静かに自分の未来像を瞑想する。瞑想が『静』ならば、勉学は頭の動きを促進する『動』である。ここに静動一致がある。然して、心の描いたことは、必ず未来に顕われる……」

 「深遠にして深大なる思想ですね……」
 感嘆したように言うのであった。
 「それをお前が自分の肉体を駆使して実践をする」
 私はこのように説き伏せたが、さて、静動一致の実践は如何なる結果を招くか……。

 「で、腰骨の上に脊柱を垂直に立てる方法としては、どういうものが?……」
 「あの素振りだ……」
 ふと、思い浮かべた映像を言葉にしていた。
 「あの素振りと申しますと?」
 「お前の爺さまが毎日遣っている、あの健康法としての、あの特異なる素振り……」
 「あれで、見事に立ちますか?……」
 「お前の爺さまが元気なのは、一つの心象化現象の成功例だろう。心象化の賜物
(たまもの)と思われる。あの素振りで、暗い固定観念を駆逐し、過去の不浄を浄化させているのだ。一振り一振り、不可能だと思う事柄や固定観念を打ち破り、解脱を図っているのだ。呼吸法とともに……」
 気の原点は呼吸法にあり……、そういう教訓を思い浮かべていた。素振りを通じて気を廻らせているのである。一種の「小周天」だろう。あるいは動く周天法かも知れない。それを健康法として身に付けたのだろう。

 「心のキャンバスに、いい想念だけを送り続け、鮮明に新しいイメージを描いているのですね」
 「そうだ。心の自由に、無心に、ただひたすら腰骨の上に脊柱を立てる。ただそれだけの目的で、いいというまで振り続けているのだ。描く構図も鮮明に、焦点もボケずに細部までわたって色彩を伴った結像を……」
 「こう考えると、根本には大生命……というものが感じられますね。躍動感を感じます」
 「そういうエネルギーが、仏像の坐の姿勢には秘められているのだよ。それは気の勢いだ。脊柱には気が行き来している。何かを経由して、その上下を行き来している。人間は直立歩行を始めたときから、脊柱に気を行き来させることを覚えたのだよ」
 「それ、証明出来ますか?」
 「それなら、自分で医学者にでもなって試してみたらどうだ」
 M君は、「うム?……」という顔をした。まさに「なに?……」という顔だった。
 そして「よく分かりました」と、捨て台詞のように切り返したのであった。

 これで駄馬は、駿馬の自覚をしたのだろうか。
 しかし私は、彼が理解しようと、しまいと、どうでもいいことであった。
 ただ、今のM君の成績不信を責められ、それで尻を捲っていたら、何れ自暴自棄で逃げ出していたところであろう。
 辛うじて思い止まったのは、M君の捨て台詞を信じてみようという気になったからである。私こそ、これを自分で試してからではないと、去れない気になっていたのである。

 事を当たるに対し、目標を掲げ、目標に向かう目的意識は極めて大事なことである。
 戦争をするにも戦争目的がいる。戦争目的があるから、戦争哲学が存在する。
 しかし戦争をする場合、哲学なき戦争をして末端の戦闘技術に酔い痴
(し)れて、盲目的な戦争を始めてしまったら、その結果は惨めなものとなる。
 それは先の大戦を振り返れば明白だろう。



●目標に対する目的意識

 昭和16年12月8日のハワイ真珠湾攻撃は、戦争哲学を無視した奇襲攻撃だった。単に、末端将兵の戦闘技術のみに固執し、これに日本国の命運を掛けて戦争に傾倒して行ったのは、まさに盲目的であり、全くナンセンスだった。
 戦争指導者の戦争哲学なきこの愚行は、末代まで語り継がれて行くであろう。この意味においては、真珠湾攻撃を決定し、決行させた山本五十六の戦争責任は少なからぬものがる。

 戦争には戦争目的が存在しなければならない。
 しかし目的は不明瞭な場合は、戦闘のみの愚行となり、そこには戦術は愚か、況
(ま)して戦略など一切ないことになって、ズルズルと戦争に引き摺って行った先は、ただ惨めな結果だけが俟(ま)っている。日本の大東亜戦争の大敗北は、まさにその典型な例であった。
 これが目的なき戦いの終幕である。

 歴史から学ぶ教訓は多い。
 人間は聖賢君子で生まれて来ていない。欠点と矛盾を抱えて、この世に生まれ出て来ている。
 欠点と矛盾を出来るだけ小さくして、人生の最終目標に向かわねばならぬ。最終目標に到達するためには、最終目的がいる。その目的に全力を投じなければ、生まれながらにして抱えている欠点も矛盾も最小化して行くことは出来ない。


 ─────作戦は続行中だった。
 請負人の私は、M君とともに作戦を続行させていた。
 しかし苦戦を強いられていた。快進撃と言うことではなかった。躓
(つまず)きが多かった。
 自分が駄馬と思い込んでいる駿馬に、駿馬の自覚をさせることは、中々骨の折れるものだった。一筋縄では行かない。
 簡単に自覚は生まれないからである。

 それには、はたと気付く「悟りの時機
(とき)」と、一種の奇蹟を期待せねばならなかった。気の遠くなるような話であるが、人間が時として一瞬に変化するものである。
 人間の生涯には、価値観は180度方向転換するときがある。
 時間とともに老いて、視力の低下や難聴に至る老化や、また肢体の運動不能など、それらの変化は決してよき出来事ではないが、これらの肉体的変化とは違い、「悟り」とは、ある日突然遣って来るときもある。自分に与えられた運命を、唯一無二の事柄として捉え、それに気付くときがある。

 特に、不運に見舞われた時、これに敏感に反応して、そこで折れて挫けるか、あるいは向かってその中に飛び込んで行くか、そうした転機が訪れる。
 これは順風満々で、事が上手く運んでいる時には余り感じられないものである。単に舞い上がって、有頂天の中で酔い痴れているだけのことである。
 しかし、不幸や不運の只中に遭遇すると、それを機に180度の方向転換が図られる場合がある。

 その時に誰もが思うことは、この不運や不幸がなかったらとか、こうした病気に罹らなければなどの後悔とともに、もう一つの希望の光のようなもので、その逆境をチャンスと捉え、これに耐える力の養成をすることである。
 この養成は、総ての人にチャンスがあるが、しかし総ての人がものにする事は極めて少ないことである。大抵は、折れて挫け、潰れて行く。耐える力を養えないまま崩れて行く方が多い。
 そうした中に稀
(まれ)に崩れない者もいる。逆境に歯向かう者もいる。逆境の風が強ければ強いほど、決然と抗(あらが)う者もいる。
 一切の不幸を素直に受け入れて、不運や不幸に対して牙を剥き、戦いを挑む者もいる。こうしたピンチに立たされて、自分の運命を知り、向い風に立ち向かう者もいるのである。
 そして一旦立ち上がると、もう崩れることはない。

 今は冴えない駄馬擬きの駿馬に、M君の未来を思ったのである。そのうち不運や不幸など跳ね返し、立ち上がるだろうと。
 自分の運命を知って欲しい。私はそう願った。
 彼は立つかも知れない……。そう見えたのである。
 そして、彼は大望の人であった。決して不要物ではなかった。世には、太公望のような人物を求める声もあるのである。

 一方、世の中には確かに不要な物がある。そう言う物体がある。
 では、現世という物質界で、不要物とは何か。
 それは「百害あって一利無し」というものである。
 例えば、金儲けと達人を自称したり、事業家でなく経済論理ばったりを捏
(こ)ねまくるマルクス経済学の教授であったり、あるいは突飛なことを言って、世論を惑わすテレビタレントに属する左翼系のエコノミストであったり、彼等の金銭哲学ほど不要物なものはない。実に目に余るものがある。

 これらの人々は不要な犬や猫と違って、保健所では引き取ってくれない。
 「百害あって一利無し」でも、保健所からは断られる。こういう粗大ゴミこそ、困ったものなのである。
 私の聞き及んだ粗大ゴミの一種に、森嶋某という大学教授がいた。
 森嶋某教授は、日本では有数なマルクス経済学者だった。この教授に熱烈な“追っ掛け信者”も多かった。

 この大教授先生は阪大教授を経て、ロンドン大教授となり、一般均衡理論の動学化ならびに経済思想の独自の解釈などで著名であり、その著書には、かの有名な『均衡・安定性・成長』や『マルクスの経済学』などがあり、おまけに文化勲章を受けている。そのうえ経済学の歴史的な大論文『無能教授の効用』では、先駆的大業績として、旭日桐花大綬章まで貰っている。何たる日本の怪奇現象。

 しかし無能教授も、確かに何らかの効用を持っていた。
 ある経済学の研究者は無能教授を見て、「あれだけ無能でも、天下の教授が勤まるんだ」と、そう思った。
 その後、研究者は立派な業績を上げたと言う。
 無能教授は、このような遣い道があった。粗大ゴミでも、活かして遣えば、創意と工夫次第で役に立つことがあるである。
 では、何処で役に立たせるか。

 粗大ゴミも新資源になる可能性がある。
 新資源とは、無能なる教授を「噛ませ犬」に仕立て上げることである。
 犬の試合の世界に、「犬合
(いぬあわせ)」という闘犬なるものがある。また闘犬においては、若い犬を養成する方法として、噛ませ犬を仕立て上げ、老いて弱くなった元闘犬に合わせて闘いを挑ませる。
 老犬に若い犬を噛み付かせて自信を付けさせる。そういう遣い道もある。
 この目的のために飼う犬を噛ませ犬という。
 粗大ゴミとなり果てた老犬の最終的な遣い道である。これに活用すれば、無能教授も無駄とはならない。無害も有益になる。

 私は当時、家庭教師をしながら、「家庭教師とは、何たるものか?……」を考え続けて来た。
 そして得た答えは「調教師」という事であった。
 家庭教師とは調教師だった。
 若い闘犬を立派な闘犬に仕立てるための調教師と理解したのである。何も威張った教育者などでない。
 私は端
(はな)から家庭教師をしながら、教育者などと自惚れたことは一度もなかった。単に、請負の受験屋であるからこそ、自身を「プロ」と自負したのである。これを戦争に喩えるならば、傭兵である。戦うこと教え、その戦争法を請負ったのである。
 受験指導をする家庭教師は、学習塾の「補習屋」とも違うし、一般家庭教師の便利な「宿題屋」とも違っていた。プロとして請負ったのである。
 況
(ま)して、進学塾の「受験進路屋」とも違うし、予備校の名物講師と称されつ「寄席芸人」でもなかった。

 目的は唯一つ。
 それは請負ったことを、必ず果たす「請負屋」だったのである。
 請負って、それに責任を100%とるから、つまり「プロ」なのである。責任転嫁はしない。
 当時の日本には、当時プロと称される調教師の請負屋が殆ど居なかった。
 無能教授だけが大学の至る所に溢れ、休講でも、自分のコマ数分の分け前にはありついていたのである。
 この“タダ取り”同然の、無能教授を利用しない手はなかった。

 当時、無能教授はマルクス経済学と言う学問に多かった。
 今でこそ、マルクス経済学者というと、天然記念物並みの珍しい生き物になってしまったが、昭和40年代は日本中どこの大学にも行っても、その新資源は事欠くことはなかった。
 敗戦国日本は、戦争後遺症を引き摺りつつ“ごっこ”の好きな連中で溢れ返っていた。各地に、平和運動と称した赤化するための種々の政策が執られたのは周知の通りである。

 また“ごっこ”の好きな連中が、当時の日本資本主義を批判しつつ、更には日本国の国家権力を呪いつつ、現場で階級闘争の実動部隊として、奔走する学生や労働者とは一線を画して、自らは安全圏にいて、能天気なことをほざいていた。

 戦後日本の特徴は、当時の日本人の頭の中が「社会主義性善説」で凝り固まったことである。大半の日本人は、かつての軍国主義に染まったように、戦後は一転して「マルキシズム絶対主義」に傾倒し、それ以外に決して耳を傾けようとしなかったことである。そしてマルクス教を信仰する信者達は、自らが尊敬して止まないソ連に対し、ソ連こそ、地球上に散らばる並みの国家より一段も二段も高く崇め、その体制に対し尊敬を含めて「ソ同盟」と呼んでいたことである。
 例えば、『前衛』は1958年からその後の十年間は、一貫してソ連を「ソ同盟」と表して止まなかった。
 そして社会主義とソ連礼賛は、マルクス経済学者らによって煽られた。

 しかしである。
 この「煽り」の裏には、煽る側の一種の狡さがあったことも事実である。
 これらの学者や左翼系雑誌のジャーナリスト達は、マルクシストとして一線を画しつつ、良心的なポーズ取り、常に国民を煽っていたのは「進歩的文化人」という連中だった。煽って「ソ同盟論」を掲げ、マスコミ誘導により、一部の国民が躍った。
 彼等の闘争は、逆転劇を企てて、自らがブルジョアになるための階級闘争だった。
 当時はそう言う時代であったのである。

 経済でもウェーバーが言うように、近代資本主義の成立とプロテスタンティズムの関係は深い。根底には、宗教が絡んでいる。
 イデオロギーにしろ、その根本には宗教が流れている。それは共産主義でも同じである。
 資本主義がブルジョア革命によって成就し、王侯貴族やカトリック教会を打倒して成し遂げられた革命である以上、資本主義の次に来る革命はプロレタリア革命である。

 プロテスタンティズムの関係から生まれた資本主義であるならば、当然その先がマルクスが言うように、プロレタリア革命を通じて実現される、生産手段の社会的所有に立脚する社会体制であり、この第一段階が社会主義である。したがってその先は、第二段階が待ち構えており、生産力の発達程度があまり高くないため、社会の成員は能力に応じて労働し、労働に応じた分配を受ける。これが共産主義に至るための第二段階である。また、これが狭義の共産主義である。
 この流れには源流として、プロテスタンティズムと資本主義の関係が深く絡んでいる。それは回帰すれば宗教だった。

 そして、昭和40年代から半ばに懸けて、市場経済では奇妙なバブル現象が起こり始めていた。
 世の中は、その後の「オイルショック」
【註】石油危機で、第一次は1973年、第4次中東戦争の際、アラブ産油国がアメリカやオランダなどのイスラエル支持に対抗して原油の減産や値上げに端を発し、第二次は78年のイラン革命による原油価格の急騰が原因。石油パニック出回り始めた洗剤に主婦が殺到した事件は有名)が当時のバブルを潰すまで顕著な好景気が続いていたのである。
 したがって、刀剣類を始めるする美術品も、結構高値で順調に売れていたのである。オイルショックで、この顕著なバブルが崩壊するまでは……。

 私の三足の草鞋も顕著に機能していた。
 道場は“芋を洗うほど”という訳ではないが、それなりに賑わっていたし、刀屋もそれなりに売れていた。また家庭教師の口も、年間二軒は最低取り付けていた。
 ところが、オイルショックでバブルが弾けた。
 資本主義と言うプロテスタンティズムから興った宗教は、経済状況に敏感に反応して市場に反響し、これが順調なこれまでの経済状態を狂わせるのであった。

 私がこの影響をもろに被ったのは、昭和48年
(1973)の第一次オイルショックのときだった。
 当時、黒崎商店街で刀屋を開いていたが、これを機に経営が大きく傾いたのである。これまでの利益は、この石油危機によって殆どを吐き出してしまったのである。一種の悪夢であった。
 プロテスタンティズムから興った資本主義教は、一部にこうしたキャピタルニズム特有の脆
(もろ)さを抱えていた。

 資本主義の特徴は、在庫整理が上手くいかなくなり、在庫の捌け口に苦慮し始めると、忽
(たちま)ち消費が激減し、それがあらゆる分野に波及してしまうのである。そうなると、この宗教は経済的危機に陥る欠点を持っていた。
 1929年の10月24日の「暗黒の木曜日」が、欠点を如実に語っている。この日が大暴落の初日となった。
 株式は、この日を機に壊滅的な下落に継ぐ下落を重ねた。これが世界大恐慌に導く一連の出来事であった。
 しかし、資本主義と言う宗教は未だに衰えない。
 労働者階級から労働力を商品として買い、それを使用して生産した剰余価値を利潤として、手に入れる経済体制は、21世紀の世になっても未だに健在である。



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