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続・刀屋物語 34

刀の試刀は何ぴとにも容易に行い得るものであるが、何事も一番最初の基本が大事であり、基本を無視して熟達の域には到達出来ない。したがって、試刀に関しては根本から稽古をせざるを得ない。
 単に剣道の高段者であるとか、居合道を長年やってきたなどの、その程度の範囲とレベルでは、日本刀を持ちいて切断する媒体を容易に斬ることは出来ない。
 ここに紹介する据物試刀は、個人の試斬り稽古の仕方について述べたもので、刀を以て「打ち割る稽古」をすることが肝心である。

 試刀術を行うには「初め」がある。この初めにおいて、当初は容易に切断することは出来ないが、「斬り覚える」にしたがい、自然と足の踏ん張り方や腰の動かし方、胴の溝などへの安定した腰の据え方が分かって来るもので、試刀は「腰で行う」と言うことが理解出来てくる。つまり腰で斬るということが解ってくる。

 この理解は、剣道や居合道の熟練者と雖
(いえど)も、据え物斬りの方法を知らなければ、手許が狂い、時には刀を損することがある。
 また刀剣に関しては、刀剣自体に対し「斬れる」という単に美術的な鑑賞以外に、刀を「鑑る眼」を養っていなければ、試刀に対してどういう刀を用いるべきか、そういう眼力も養っていなければならない。
 つまり、この眼力こそ「刀の理
(ことわり)」についての理解である。

 日本刀は、何ぴともに「斬る」ことに関し容易に行えるように発明されたものであるが、正しい遣い道と、刀の行動線の刃筋というものを理解しない限り、腕力任せの力技となって、刀身に大きなダメージを与え、遂には観るも無慙な鉄屑にしてしまうことがある。そうならないためには、試刀術の妙技がいる。


試 箇 所 と 名 称
太々
一番堅い処で、則ち腕毛上なり。
両車
これまた堅き処で腰骨なり。
脇毛
雁金ともいい、太々の下なり。
乳割
乳のやや上にて古代、「一ノ胴」をいう。
脇毛
乳首の処をこう呼ぶ。古代この胴、一本に「摺付」とも、「乳割」ともいう。
摺付
乳の下、古代、「三ノ胴」をいう。
一ノ胴
鳩尾の下をいう。
二ノ胴
一ノ胴より12寸下をいい、古代「八枚目」とある。
三ノ胴
二ノ胴より12寸下をいい、古代「車先」とある。
10
車先
両車の上をいい、古代「間ノ車」という。


古人の切腹と介錯に対する定義

 切腹と介錯に対しても、今日では殆ど消滅してしまっているようだが、こうした行為の中に作法があり、また介錯に当たっては種々の流派があった。
 その作法の中には、切腹する人と、その懇意にする人との間の心遣いや、更には切腹する日取りなどである。切腹人の周囲の者は、切腹人に対して気に逆らわぬような心遣いをしたり、古伝の『介錯之巻聞書』によれば「私の切腹も何日頃に候や」と尋ね、「まだ何日頃とも不相知候」といい置き、切腹の日が近付くとその家族や友人らが、今日で言う面会に行ったり、切腹人の支配の者が前日に対面していたようである。

 更に『介錯之巻聞書』によれば、切腹の三日前にご馳走が振る舞われることになる。これは切腹の日を待つ日々の平常心から、いよいよ切腹が近付いたことを知らせる無言の合図のようなもので、食事内容は現在で言う会食のようなものであった。このように合図を送り、切腹人が首尾よく切腹して本懐を遂げることを切腹人本人も周囲に人も望んだのである。三日前の会食に招待を受けた家族や友人らの相客は、切腹人の左側に坐するとある。切腹人の膳は立ち折敷にする。一両日前に一種の振る舞いの予行演習のようなものである。更には後一日あるから、切腹人が家族や出家人らに逢いたいと願い出た場合は、逢わせてやるというのが配慮のようであった。

 また切腹人の膳は、精進膳である。
 膳の中には折幣
(おりがみ)が入れられており、切腹人の肴は香の物にして「三切れ」となっている。今日で言うタクワンなどの「三切れ」をいう。
 今日でも「タクワン三切れは縁起が悪い」というが、この三切れは切腹人の死が近いことを意味し、例えば死刑囚が死刑執行日を悟るのは「タクワン三切れ」によって、とも言うらしい。

 さて切腹人であるが、「酒は廻るようにする」とある。
 則ち相客が左側に居て、ここに坐するから盃を注ぐ回数は殖
(ふ)えて、自然に廻るようになるのである。酒を注ぐ回数を重ねるようになっており、巡るようにするのである。また注ぎ零し、一回だけで、何度も重ねて注がないのである。
 この「一回だけ」は、切腹には二重を忌み嫌うためである。それはまた、首を打つにも、一刀のもとに打たねばならないからである。二重にならないように介錯人も心掛ければならないのである。
 酒を注ぐ場合、相客は普通に注ぐが、切腹人だけは注ぎ零しつつ一回限りである。酒肴の際に用いられる箸は樒
(きしみ)の木か、竹の箸を遣う。

 振る舞い後の心得としては、膳が終わると預り人が罷
(まか)り出て「御切腹の日限明後日に相極申候間御介錯何の誰に申付候間覚知被成候得」といい、次に介錯人が出て「私儀御介錯仕者に御座候其節諸事御用等も御座候はば可被仰聞候」と述べる。
 次に、介錯後見人が出て「私儀も其節御用相努め申者に御座候御用御座候はば仰聞かさる可く候」といい、切腹人は後見人に用がある場合は、その際に申し出る。また、なければそれでよしとする。

 例えば「用事というて別になし」とか、ある場合は「介錯の刻限は後是案内致すべく候間其頼入る」とか「介錯の刻限案内致す可く候」などという。
 ところが、その席で介錯の刻限は後ほど知らすといっているのに、早く打とうとして、却って打ち損じる場合も数多くあったと言うことも記されている。

 赤穂義士の切腹の時にも、大抵の人は三宝の短刀を取り払い、躰を伸ばした瞬間にバッサリと介錯人が首を打ったと言うが、何もこうした切腹人ばかりではなく、また介錯人ばかりでもなかった。首を縮めて膝でイザリ出で、三宝の短刀を取り急ぎ腹を掻き切った時に、介錯人も急変に驚き、切腹人の首の部分が打てずに、耳の部分を斬り込んでしまったという事があったらしい。

 こうした場合にも、落ち着いた切腹人は介錯人に対して「お急き召さるな」と諌めたと言い、再び首を延ばしたというが、譬え介錯人が如何なる武功の持ち主でも、切腹に対して作法などを知らず、またその道の案内に不心得であれば、切腹人に多大な苦痛を与えてしまうものなのである。
 此処に「介錯の大事」がある。

 服装は、装束、綿入れを遣うとある。あるいは帷子などの時服を用い、着下着はともに白を用いる。そして帯も白。
 裃
(かみしも)は無地の麻。紋は白くする。更に扇と鼻紙を持たせる。
 切腹人は脇差しなどの帯刀をせず、介錯人ならびに介添人は同じ装束に大小を帯刀する。また介錯人を切腹人が選ぶ場合は、例えば師弟関係にあって、切腹人が介錯人を指名する場合もあったようだ。こう言う場合は、前日に相談の上申し出て、介錯人や介添人を定めることが出来た。

 切腹の当日は、検死役と目付らの役人が同席する。検死を仰せつかるのは「検使目付」といい、介添人らと同席する。
 切腹に当り挨拶の言葉としては「今日御生害に候処天気相も長閑にて此上ながら珍主静に御生害有の様に……」などと述べる。
 しかし切腹は、自分で自分の腹を切るのである。自分で、自分の肉体と霊体を切断するのである。それゆえ天気がよかろうと悪かろうと、また大安でも仏滅でも、「お日柄が良い」などという段ではない。介添人の挨拶など、切腹する本人は決して有難くもなく、面白いものでもない筈である。その日が長閑な小春日和であろうと、死ぬ方は真剣に、うまく死ねることだけを考える。

 ところが切腹人は、自分が死んで逝く身でありながら、周囲の挨拶者に対し「御請しました」と答礼を返し、次に預人に向かって「数日御預御難題に罷成其上御念頃の趣とも千萬添御禮申候」と述べる。また検使や外役人などへは「今日は御役儀御苦労押付生害を遂可申候」と挨拶し、白砂へ下り切腹の假屋へ行くのである。
 假屋では介錯人に一礼して「御介錯御苦労宜敷御頼申候」という。
 この場合、急なる好みのものがあれば頼むことも出来た。而して、介添人にも「御苦労に候」と相応の挨拶をする。

 假屋の造りは九尺四方か、九尺二間、または二間四方の柱を立て、仮屋根を葺き、地面を成らして砂を敷き、その上に白縁の畳を敷いて、更にその上に四尺四方のあさぎ布の合わせ布団または白布を敷いて、切腹人は検使の方へ向かう。また検使を右脇にして坐る。あるいは假屋の建て方により、都合のいいように併せる。

 切腹人が、介添人への挨拶が済むと、いよいよ「末期の水」ということになる。切腹人へ末期の水を飲ますのである。末期の水は、茶碗一杯の盃を入れ、木具の三宝か木具の折に据えて、切腹人へ旦那寺の住職がこれを行う。
 そのとき住職は「末期の教化」を諭し、切腹人へ教化を受け、この水を一口飲ます。残りの水は住職が持って本坐へと帰る。
 次に、役人を極め置き、切腹の小脇差し
(短刀)を四方に据え、切腹人の前へ置く。
 この場合の注釈として「四方とあるは、小脇差しを載せる三宝
(さんぽう)のことである。縁起を取るためか四方と書いてある。また脇差しは脇指とも書き、切腹人用の短刀のことである。切腹人用の短刀を小脇刺しとも書くのである」としている。

 切腹人用の短刀は、あくまでも「小脇刺し」であり、長い得物では不可となる。また長い物では、切腹人が乱心した場合、その長き得物をもって暴れ出したという記録もあり、こうした最期に及んで暴れ出されても困ることから、短き、あくまでも小脇刺しとしたのである。人間が、死に及んで、誰もが一様に往生出来るとは限らない。往生際の悪い人間もいる。最後の最後に、胸糞悪いことをする武士もいる。そういう死に際の悪い武士に限り、往生際の悪い妖気が漂っている。

 更に、剣術の遣い手や剣客ならば、長い得物を用いて、往生際悪く、最後の最後で、切腹せずに、假屋から逃れたと言う記録もある。あるいは剣客の場合は、介錯人の太刀を奪って大乱闘をしたと言う記録もある。介錯人や検使を斬り殺し、土壇場で大暴れし、そのまま逃亡したと言う話も残っている。

 したがって、こうした事態を防止するために、小脇刺しは一尺以下
(七、八寸を最適とした)の短刀としたのである。鍔無しにして柄を付け、尖先五分ほどを出して杉原紙二枚を逆さに巻き、襞(ひだ)を一つ付けて三所紙で括り、刃の方は切腹人に向けて置いてある。この場合、尖先(きっさき)を切腹人の左になるように置くのである。
 切腹人はこの小脇刺しを取り、左右の手に懸け、左脇腹より右脇腹へと腹を掻き切るのである。これを「一文字腹」というが、更に凄まじい切腹は「十文字腹」というのがあり、腹を左から右へ掻き切り、更に下から上へと切り上げる。
 しかし切腹も時代が下るに従い、凄まじさや激痛のほどは徐々に軽減するように、切腹人が腹に小脇刺しを付け立てた一瞬に介錯人は首を打つ早業も考え出された。

 この場合の介錯人は、既に假屋の幕外で身支度を済ませ、切腹人が假屋へ坐ると、介錯人は切腹人の左後ろ四尺ほどの位置に蹲踞の姿勢で着座するか、膝を付きつま先立ちにて待機する。そのとき検使より挨拶があり、まず「介錯静かに」と延べ、介錯人は挨拶の答礼に両手を着き頭を下げ無言で目礼をする。

 切腹人へ小脇刺しを渡す頃、介錯人は帯刀の刀を左手で取り、柄を右の方にして多々身の上に置き、静かに抜刀する。この場合、左の膝を立て、右足を折り敷き、刀を陰に構える。構える場合の位置は、普通は右袈裟の打ち落としというのが一般的な介錯法である。

 介錯人は左手を柄に添え、右の踏み出した足の親指の爪先と、切腹人の左耳たぶとを見通し、曲尺
(まがりがね)の如く想定して振り被り、切腹人の髪の生え際に狙いを定め打ち落とすのである。この打ち落す際は、重力の理に従い上から下の方向である。袈裟切りなどの斜め横では駄目なのである。

 ところが介錯人が切腹人の左の位置を占めると、右袈裟は横に流れる場合があるので、よほどの茶巾絞りが強くないと刃筋を横に取られ、それに流されて耳の部分を打ってしまう場合がある。また切腹人の何かの弾みの動作により、首を引っ込めたり、タイミングが合わずに打ち損ことがある。

 これは介錯の作法として、「切腹人の首を横に打っては失礼に当たる」というもので、また「打ち損じ」がないように考え出された理であり、かの山田浅右衛門も、その著に「介錯するとき首を狙って打つ時は必ず打ち損ずることあり。顎と肩との透間を狙って打つとよし」と書いてある。

 更に山田流試刀術では、首を打つ場合、切腹人の右側に立つ場合がある。
 これは一旦、右八想に構え、そこから静かに上段にもって行き、一刀の下
(もと)に打ち下ろし、茶巾絞りをよくして、打ち落とした瞬間、刀を跳ね上げると言う動作を加えるからである。これは刃こぼれを未然に防ぐと言う効果もあるらしい。そのために打った瞬間に跳ね上げるのである。
 介錯するには“気皮”を掛けて打つのが良しとされる。
 その際に「抱き首」という、切腹人は前へ倒れて、打たれた切腹人の首が、切腹人の躰自体で覆われ隠すのが最もよいとされた。

 この場合、介錯名人は述べたように切腹人の躰で、切腹人の首を覆うように打つのが最高であった。首を打った場合に、切腹人の首が六、七尺も飛ぶのは見苦しいとされた。
 抱き首に打った時は、その刀を直ぐさま下に置き、打たれた首の傍により、介錯人は自分の脇指しを抜いて逆手に持って首を書き落とした後、脇差しを下に置き、重ねて鼻紙二重ほどを三角に折って、懐中に仕舞い込んでいたその紙を右手で取り出し、打った首の髪を掴み切り口を右の紙に据え、左膝を付き、右膝を立て、右手の臂を右膝の膝に載せて、首の切り口を検使役に見せるのである。見せた後、首を掻き切った脇差しを用意していた鼻紙で拭い、その紙を屍骸の脇に置いて、まず脇差しを腰に差し、続いて先においていた大刀を拭った鞘に納めた。そして打たれた切腹人の屍骸に一礼をして去るのである。

 こうして介錯人が拝礼をして去ると、そのまま付添え人が出て即刻四方を囲んでいた幕を下ろす。また介錯の時に介錯人が、首を切ったことで取り乱し落ち着かぬ様子ならば、その後の始末は介添人が交替することも許された。その後の始末は介添人に委ねられたのである。
 更に介添人の役目はまだある。

 万一、介錯人が切腹人の首を打ち損ない、取り乱したり、打つことが成就しなかった場合は、介添人は介錯人に代わり、切腹人の首を打った。本介錯が不首尾に終わった場合は、介添人がこれに代わったのである。切腹に際し、異状が起こった場合は介添人がこれに代わった。
 特に介錯人の乱心が多かったといわれる。そのために経験豊かな介添人が同席したと言われるのである。

 介錯人が試刀術の手練であれば問題はなかろうが、切腹人が指名した介錯人が不慣れな場合、必ず乱心があり、その乱心のままに終わらさないために、介添人は、また介錯の経験を持つその技術の豊富なものが選ばれた。

 何しろ、生きた人間の首を打つのである。介錯人が始めての場合、打ち損じてもそれは恥辱でなかったのである。その際の、二重三重の「詰め」が用意されていたのである。

 切腹人の屍骸は、柄杓の柄で首を継ぎ、前方に敷いていた敷き布団に屍骸を包む。そして寺へと運ぶのである。その後は、寺が葬儀の執行を執り行う。
 但し、国々や藩の為来
(しきた)りにおいて、その執行はそれぞれに異なるようだ。

 切腹における陰の主役は、首を打たれる切腹人でもないし、また切腹人の首を打つ介錯人でもない。本当の主役は一切を包含する介錯人の陰の力である。
 則ち、介添人は介錯人と同等の立場に立たされ、同様の役目を担っていたのである。介添人こそ、総てを包含した縁の下の力持ちであった。最初から不測の事態を予測し、介添人と言う、本来ならば目立たない役目の者がいる。介添人こそ、また本来の、万一のことが起こった場合の真の実力者だった。

 そして介錯人が、その役目を最後まで終えたにしても、介錯人自身が始めての場合、必ず動揺がある。それを承知で、介添人が付き添い、切腹人の屍骸の処理だけでなく、動揺して、心をざわつかす介錯人の刀の取扱や始末までも、その場に介添えした介添人の役目であった。

 更に介添人は、首の打ち方が悪く、衣服に血を浴びた介錯人の着衣を脱がしたり、その指示をする役目を担っていた。
 また、切腹人が切腹する日を前にして、介添人の経験を生かし、特に始めての介錯人に対しては、その介錯の仕方を予め手解きするのである。
 そのときに最初に指導するのは、切腹人の人柄や心の強弱である。切腹人の心を事前に読んで、その人が弱き人ならば、切腹人は自分の腹に短刀を突き立てんとする瞬間に首を打つ。強き人ならば、腹部を左から右に掻き切った後に首を打つ。
 このように切腹する者の案内をしたのが、切腹に立ち会う介添人であった。介添人は切腹の作法の総てを知る熟者とされた。

 



●梃子

 相場は常に変動している。十年前、二十年前と同じでない。時代とともに、また時間とともに変動する。したがって、五年前とも同じでないし、一年前、半年前とも同じでない。
 あるいは一週間後には変動し、一日後にも変動しているかも知れない。相場は日々刻々と変動する。
 この変動こそ、相場であり、そう名の時間の変動のその先に「時価」という時間の先端がある。
 この先端が、つまり厄介な代物であり、人間の作為で意図的に造り変えるということが出来ないものなのである。

 人は、この時間の先端を知ろうとする。刻一刻と変動する相場の「今」を知ろうとする。
 この今を知ることが、また現代は人を制する一種の手段となっている。今の情報を知るために、人は日々奔走しているのである。
 また、その奔走の中に、人為的に意図的に、「企て」をする暗躍の行為がある。背後に「暗躍集団が蠢
(うごめ)く」というのが、現代と言う時代である。人為的に、ある人脈の意図によって蠢く集団が、水面下で、あるいは知らない側面で、呑気なウサギを狙って、お人好しの羊を狙って、陰の集団が蠢く、現代の現実社会の実情がある。

 市場の値の吊り上げに「梃子」という仕掛けがある。
 近年では、レバレッジという経済用語が用いられるが、レバレッジとは「テコ」という意味で、小さな力で大きなものを動かすことを言う。
 特に、FX
Foreign Exchange/外国為替証拠金取引など)に用いられる。レバレッジを利用して証拠金の数倍から数十倍といった外貨を取引し、高レバレッジをきかせることでハイリスク・ハイリターンの取引をし、そうしたことが可能でもあり、ドルやユーロなど、さまざまな国の通貨を売買して収益をあげる金融商品のことである。
 しかし、「テコ」という発想は、レバレッジ以外にも、競り取引などでもテコという用語は遣われていた。

 また梃子は、価格吊り上げに使うのがその主旨であるから、梃子には二通りがある。競りの構図として、取得を企てるものがどうしても取得を試みる場合、競り合って高値をつけて競り落とす。これを勝ちの梃子と言う。所謂
(せり)競り勝ちである。
 更に競り合いつつ、資金不足のために競り合いに負けて、遂に落せない場合の競りを、負けの梃子と言う。競り人の思い通りにさせないのである。これが競り負けである。

 ところが、勝ちの梃子の場合、場の雰囲気から競り合い合戦が始まり、競り合って、
遂に取得出来たと言う場合でも、実はその裏には、巧妙な集団で、梃子を使って吊り上げて行くプロセズが仕掛けられている場合がある。この仕掛けに懸かると、二束三文の物を高値で買わされている場合がある。

 二束三文を高値で買わされる行為の裏には、仕掛人の企てもあるが、わざと資金不足に陥らせ、やがて価値ある物が出てきた場合、その買いを阻止する行為が「場の雰囲気」にある事だ。
 市場のオークション会場も、小規模では場の雰囲気は単なる「競り合い」だが、会場が大きくなるとその巧妙な動きは隠れてしまい、仕掛人の思惑通りに運び、遂に罠に掛かる場合もある。こうして、駆け出し者は高い月謝を払いつつ、市状の動きと眼力養成の勉強して行くのである。

昭和33年当時の刀剣類をはじめとする古物市場の案内状。

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 この話は「競り市場」のことである。
 刀剣ブローカーの中には、グループで“テコ”を用いて、仲間同士で自分の出品した銃砲・刀剣類や小道具類を吊り上げを図る集団がいる。こういうグループは既に論じたが、第三者に高く売り作る行為を働き、三流四流品を一流品までとは行かないが、二流半くらいの値段に吊り上げ、新参の刀剣商や単独のプロ擬きを「填めて行くことを目的」にして荒稼ぎする。
 常に、「素人を騙すような手口」が考えられているのである。

 例えば、下記の「銅擬きの鋳物鐔」である。
 この“銅擬き”は、銅に細工を施したものでない。鉛合金に“銅メッキ”をしたものである。そして薬品を遣い酸化させて、古く見せ掛ける。素人はこれに騙される。一瞬見分けがつかない。
 オークションは瞬時の競りだけでなく、掛け声のタイミングが物を言う。会場内の競り人は、遅れをとるまいと身構える。この身構えが、時として“あだ”になる場合もある。

 さて、競りに出された鐔の「耳」だけを見れば、一見銅のように見える。その見せ掛けを利用して、素人を填めて行く。そういう手口があるのだ。
 更に目利きでない者は、ほんの10秒ばかりの競売において、真贋を定める眼を持たない。偽物を判断するのに時間が掛かり、同時に迷う。この迷いの一瞬を狙って判断を誤らせ、瞬時に罠に填めて行くのである。よほど勘がよくなければ、こうした罠からは逃れることが出来ない。心理には、競り負けすることを嫌う意識が働くからだ。

 これをグループで、“テコ”を用いる一人が、出展に際し、周りを取り巻く買手に、「これは若い鐔だが、いい細工が施されている」などと切り出し、この鐔に対する講釈を始めるのである。その講釈に、素人や駆け出し者は填められる。
 ちなみに此処で言う「素人」は、古物鑑札証を持たない、そういう趣味人を指すのではない。市場に出入りする古物鑑札証を所持している“駆け出し業者”を言うのである。この駆け出し業者が、まんまと填められる。
 填められれば以降、ババ抜きに苦慮する。掴まされた物に苦慮し、持て余す。何処に持って行っても売れないからだ。こうした物は「お里が知れている」からである。

 売込むポイントは、耳の部分を「若い」ということを強調し、「しかし、それでも時代がある」という講釈で、周囲の二、三人を釣り込んで行くのである。
 注目すべきは「しかし」という接続詞を挟みながらの講釈である。ここに詐欺師の話術がある。話術が巧妙なだけに、引き込まれる未熟者もいる。
 かつては私もその一人であり、よく填められた。勘を研ぎ澄まさないと、今でも填められることがある。いい歳をした年寄りが、填められて、あしらわれるのである。こうした「みじめ」を、今でも喰らうことがあるのである。それだけ、古美術の世界は難しい。
 その種明かしをすれば、話術から始まり、まず、鐔の裏側から見せて講釈を始める。
 講釈を行った後、「しかし」という逆説的な接続詞で言葉を挟みつつ、一見ケチをつけているようで、そうではなく、「若い」といいながら、銅細工の“赤銅魚子地”の見事さを強調するのである。

鋳物の鋳型で大量生産され、多くは居合道の型用に製作された模擬刀などに付けられた「銅擬きの鋳物鐔」である。鉛合金に“銅メッキ”をしたものである。茎櫃部に鑢(やすり)を掛ければ、鉛の肌が顕われて来る。

 この手の鋳物鐔で、ブローカーが講釈を始めるのは「耳」からである。耳の部分を強調し、「若い」と言いつつ、「しかし」の接続詞を嵌め込み、「時代がある」などと抜かすのである。

 そして競売が始まると、テコが掛り、競りは追い上げ気味となって金額が高騰する。
 こうしたブローカーのほざきに、つい耳を傾け、落札するのが、新参の刀剣商や単独のプロ擬きたちである。一種の「ババ抜き」だが、風説が混ざっているために追い上げは巧妙である。

 特に、この講釈に掛かり易いのは、新参の刀剣商や単独のプロ擬きたちである。
 ついには講釈にころりと騙され、競りに“テコ”が用いられるとも知らず、場の勢いで乗せられて、気付いた時には、素人衆が競り落とすという結末を招いているのである。気付かぬ落し穴である。
 実
(げ)に恐ろしきというのは、この事である。

 だが、目利きになるには、こうした騙しやグループ詐欺に、一度や二度、掛かってみなければ眼の勝負には勝てないものである。種々の失敗を積み上げて、その反省から場の雰囲気や他人の講釈を聴き、その中から真贋を探し求める以外ないのである。
 また、「騙し」の手口を知り、その品物の「最低価格」という判断が下せるようになると、あるいは天下の掘り出し物に、勝手次第で廻り遭えるかも知れない。
 更に、掘り出し物といわれる品物には、滅多に「目零れ」というのがないが、逆に幾ら安いからと言って、それに甘えていては中々落札出来ないものである。こうしたことは、場数を踏んで回を重ねる以外ないのである。そうすることにより、品物を選別する眼も肥えて来るのである。

 偽物を掴まされたり、安物を高く買わされたり、あるいは幼稚なものに現
(うつつ)を抜かすという人を、今度は第三者の目で、冷ややかに検(み)る冷静な判断が出来るようになる。更には、そうした舞い上がる人を見ても、なるべく要らぬ口出しはせぬ方がいいと云うことが分かって来る。
 つまり、素人は偽物すら掴まされて満足するが、それは素人であるからであり、少しでも素人の息を抜け出そうとする者は、安物を高く買わされ、あるいは贋作を掴まされて、その後に大いなる反省が起こるものである。

 物事には発展して行く手順がある。
 最初は、単なる好き者の趣味から始まる。その趣味の段階が発展して、奥へと入って行くのである。最初から奥が分かる道理はない。
 したがって、自分で求め、自分で味わい、それを自分の物にしたら、そこから次の段階へと移行し、前の物は売り、徐々に次元の高いものへと移行して行くのである。それに、「自分あっての趣味人」であり、趣味の程度により、対手は常に変動して行くものなのである。更に言えば、時代価値や骨董価値と、美的価値とは根本的に違うのである。
 その違いを知るには、まずその人に謙虚な眼がなければ、自分の蒐集する品物はいつか墜落して行くものなのである。つまり、投機の対象に奔ってしまうのである。

 古美術品には、道具と美術品に二つに分けられるが、道具なら安いことは「悪い」ことを意味するが、美術品は安いからと言って、必ずしも悪いとは限らない。
 例えば、蕎麦猪口
(そば‐ちょこ)一つ取り上げても、名のある窯元が焼いたのなら天下の名品(めいぴん)と称されるものは幾らでもある。
 こうした天下の名品に出遭うのは、長年古物漁りをしていればよくあることで、目利きになれば、蕎麦猪口一つを見ても、確かに安いが、それは名のある名品と見抜くことも出来るのである。何千年も前の土器や石器であっても、千円程度で買えるものもある。そうした物が古美術市場で出回っている。それを自ら発掘する。

 また、そうした物を鑑
(み)るには、やはり目利きにならないと分からない。鑑るには眼力が物を言う世界だからだ。
 更に、趣味人の蒐集家を分析すると、蒐集家には二通りの人がいる。
 それは物を心で鑑る人と、物をただ物として鑑る人である。
 物を心で鑑る人は、美の探求のために蒐集する。
 こうした鑑方は、刀剣の場合も同じである。刀剣を心で鑑るか、物で鑑るかである。
 刀剣を心で鑑る人は、鍛え疵
(きず)はあっても、時代があればそれだけで満足し、あるいは資料とか研究のために蒐集すると言う人で、金額の上下はあまり気にしない人である。疵があっても苦にせず、ただその物の機能と実用と、本態の局面的かつ全体的な姿に喜びを感じる人である。この種の人は、鑑賞家であり、また研究家でもある。それゆえ詳しく知り、かつ目利きである。時代を超えて、作者の力倆を観る。作品を異次元世界の眼で鑑る。この凄さだ。
 これを眼力と言う。

 一方、物を物で鑑る人は、大抵は商売人が多く、あるいは高騰を期待した好事家の類
(たぐい)であろう。いい事だけを好む。
 最初から投機と考え、いい事が起こることを期待しているのである。
 こういう人は数を集めることが好きで、自慢家であり、あるいは後に金高になることを期待して掘り出し物という物品ばかりを狙う人である。商魂逞しく、おおむね美即金として物を鑑る人である。
 したがって「美」は、二の次となる。幾ら美しくとも、金にならなければ見向きもしないのである。頭の中は、ただ金儲けばかりである。
 そして需要と供給の原理で、その物が、流行するように裏で仕掛けたりする。こういう風に仕掛けられた場合、市場では偽物が出回り、これを機に氾濫するようになる。風説を流すからである。この風説が怕い。

 こういう風説が、古美術界に流れると、実は真物まで不評になり、一時的に相場が下がる場合がある。同時に、風説は風説を生むから、これまである物を追い掛けていた人は、転じて別の物を追い掛けるようになる。
 こう言うタイプの人は、確かに金儲けは上手いが、美に敬意を表して好き者としての蒐集家にはなれない人である。
 客の中にもこう言う人がいて、刀剣類一つ上げても、美よりも相場の価値観で考え、物を物としてしか鑑れないのである。物を、金と観るのである。そう観た場合、それは「慾」である。側面には慾が渦巻いている。
 資本主義社会では、金を出せば何でも買える世界であるからだ。
 金が総てはないと言いながら、実は欲望を滾
(たぎ)らせる世界が、金銭至上主義なのである。それに大半は搦め捕られる。此処から逃れることの出来る者は少ない。

 刀剣を古美術の眼で鑑ると、最初の一振りを手に入れた時には、当初耽美の心を燃やして、それを枕元に置かないと落ち着いて寝られないほど執心するものであるが、時間とともにそれも薄らいで行く。物を物として見始める。そうなると感動も薄らぐものである。
 つまり、蒐集した当初が花と言うことである。
 花が花であるうちは、そこには一つの愛情が存在するが、入手してしまえば、物は物で、物を心で愛おしい眼で見ようとはしなくなる。最初の鑑賞の眼は、物を見下す眼になってしまう。

 更に欠点は、善し悪しが分かり始めると、最初の気持ちは疾
(と)うに消し飛び、ババ抜きゲームを企てたりもする。つまり、仲間を集めての売立会をやる仕儀となる。そうなると、また陰口も叩かれるようになり、人から「あいつは金儲けのために刀剣を蒐集していたのか」となる。
 大半の刀剣蒐集家の辿る晩年である。
 最初はそう言う動機がなくても、結果的にはそのように墜落して行くもののようだ。
 私はこういう刀剣愛好家や蒐集家と言われる人を多く見て来た。頭の中は、投機家のそれであった。
 ゆえに売立会は、主目的がババ抜きである。

 では、趣味人のババ抜きは何処で行われるのか。
 素人同士の売立会で一番多いが、道場関係者を対象にして行われる「一対一」あるいは「一対二」の関係のものであり、そこには必ず、認定書や鑑定書などのお墨付きを仲介にして行われる。

 一対一の場合、師匠と門弟と言う関係であるが、こうした場合の売立会の構図は、では“テコは何か”というと、師匠が一方的に売込んでも、それは押し売りが露骨になるので、これを露骨にならないように「誰々のお墨付きとして書き添えた鑑定書」というテコを利用する。素人はお墨付きに弱いからだ。
 刀剣所持者が、始めて刀剣を購入する場合や、刀剣を蒐集して間もない素人に売りつける場合、口で押し売りするよりも、鑑定書をテコとして遣った方が簡単に売り抜け出来るからである。

 手口は、自宅などに呼び、まず刀剣を見せ、一通りの謂
(いわ)れなどの講釈を喋り、そのついでに何気なく鑑定書を見せ、遂に無言で買わせるという策を用いる。要するに見せびらかして、師匠は弟子に「魅せ付ける」のである。そして弟子は、これに躍る。かくして、ババ抜きが完了することになる。
 この策に、素人弟子は、ころりと掛り、「一丁上がり」である。意図も簡単に参る。

 次に一番多い、一対一の「師匠対弟子」の関係で、選択肢のない、たった一振りの「四悪刀」の何れかを押し売りする手口である。押し売りする刀剣は四悪刀であるから、実に始末が悪く、また悪質な手口のババ抜きである。四悪刀の中でも、曲がった刀が弟子に押し売られる。
 最初から師匠は金儲けで売る魂胆であるから、市場の相場値よりも、二倍から三倍以上高く、これをゴリ押しして売りつける。たった一振りであるので、選ぼうとしても選択の余地がなく、遂に弟子は「師匠がああまで言うのだから……」という諦め半分の理由で買わされてしまう。
 こうなった場合は、テコが「師匠の強引な口車」である。

 次に、一対二の関係での師匠対二人の弟子と言う構図で売りつける場合である。そして二人の弟子のうち、一方はテコである。
 テコを遣る弟子は、普段からの子飼の弟子であり、師匠のために奔走する弟子が、師匠のまたお気に入りなのである。こういう子飼は、テコ役を買って出る。そしてこうした売立会の構図は、一振りないし二振りで、その中に二者択一の構図が作られていて、二振りのうち、何れかを必ず求めさせる策が用いられる。
 この手の売立会は、居合道場などで、よく使われる手口であり、このテコの一人に、出入りの刀屋が噛んでいる場合が少なくない。30万円から50万円の刀が、よく動くようである。
 これに刀屋が介入している場合もある。一割五分から二割の“割り戻し”が絡み、それが道場主への謝礼となっているようだ。

 刀屋は、刀屋自身が居合道場に入門して、そこの弟子になって師匠に取り入ったり、あるいは刀屋が高齢者である場合、自分の息子や娘に入門させて、徐々に取り入る策を立てる。
 昨今は、女性の居合道をする人が多いため、居合道で遣う模擬刀や、真剣購入に関し、大半は刀屋が噛んでいるようだ。

 最近は武道熱は下火だが、何故か居合道場だけは、女性の道場生を取り込んで繁盛しているところが少なくない。
 刀屋で「居合道試斬同好会募集中」などの看板を掲げているところは、居合道場と刀屋が組んで手広く商売をしているところであり、これもテコ商売の最たるものであろう。結局弟子は、言い値で高く買わされることになる。
 これは「欲しがると猟られる」という構図である。
 人間は一筋縄では行かない生き物である。それだけに猟る仕掛けを作る。

 さて、刀剣に限らず、古美術品を愛情と誇りをもって集めた物を売ってみると、それぞれはそれなりに価値を持っている。
 この場合、古物市場での売却であるが、それなりに価値がある。オークションで売買をしたければ、古物商許可を取ればいい。
 運が良ければ、買った時に何倍かになっていることもあるが、大半は半値以下と言う場合が多い。二束三文であり、それも「山で幾ら」という結末を辿るが、それでも目利きの蒐集家になれば、買った値の何倍かになっていたりする。結果としては、金を目的として蒐集したのと変わらないことになる。
 そうした場合は、お墨付きを必要とする。そして美の世界からは些か逸脱する。
 北大路魯山人しかり、小野賢一郎しかり、山村耕花しかりである。

 結果を考えずに、美だけを追求したのであれば見上げたものであるが、しかし、美の追求と行っても、金がなくては思うに任せないのである。そこで掘り出し物を狙う手口を考えるようになる。
 ババ抜きとともに、掘り出し物という手まで考える。
 そして古美術を漁ると、「掘り出し根性」が露
(あらわ)になる。

 だが、これを浅ましいなどとは言われない。
 私も、同じような人種であるからだ。
 貧乏人の悲しさは、旅などに出ると、つい地方の駅前の商店街などにある骨董屋や刀剣屋に足を踏み入れ、安くて面白い物はないか……などと眼を光らせてしまう。大抵は、かなりいい値が付いているので手を出さないが、それでも値段交渉で、訊くだけは訊くことがある。ついに、値段が折り合わずに交渉は決裂するが、それでもこういう交渉をするのは、貧乏人の浅ましさだろうか。

 かつて池田勇人の有名な言葉に「貧乏人は麦を食え」というのがあった。
 当時の日本国民は、この総理大臣の言葉に激怒したり、「貧乏人」という言葉に、敏感に反応して非難囂々
(ひなん‐ごうごう)であったが、私は、あれはあれで正しいと思っている。事実、当時の日本人の大半は貧乏だったからである。非難する方が間違っていると思うのである。

 こうした非難囂々の反旗の上げたのは、共産党や社会党であったが、貧乏人は麦を喰い、それでも白い米の飯が喰いたければ、白飯が喰えるように、自分で努力すればいいのである。
 そして努力しても、白飯にありつけないのなら、麦飯の中に喜びを感じるか、それを我慢するかの何れを選択すればいいのである。
 最後に言いたいことは、刀剣類を含めて、古美術品は、衣食足らなければ、こういう高級と思われる美術品は買う資格がないと思うのである。

 私は経済的不自由人でないが、しかし裕福である訳でもない。
 ただ、負債などの借金が一円もないから、老後の愉しみとして、刀剣を鑑
(み)る悠々自適の刀屋をしているだけのことであり、これはこれで充分に人間勉強になって面白いと思うのである。
 人からは、金のないのに刀剣をはじめとする古物漁
(あさ)りはよせと言われそうだが、それでも私は、これを簡単に止めることが出来ない。止められないから、僅かな手持ちで、天下の名刀……などと考えてしまうのである。資産家の家に生まれたのでないから、そういう努力をするしか仕方がないのである。

 したがって、刀剣会の市場には足繁く、毎月何ヵ所かに通うのである。眼の勝負は、こうした一面にも存在しているのである。競り落とさなくても、市場価格を知るだけでいい勉強になるのである。
 しかし私の場合は、物を見ることの勉強不足が祟ったのである。未だに成就していない。価格の先端に苦慮している。
 私自身、貧乏故に、まだまだ「麦を喰う修行」が足らなかったのだろうか。その意味では学び足りないし、勉強不足の学徒だった。苦学生然として、刀剣市の古物漁りをしているのである。



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