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続・刀屋物語 39

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いい物を高く売るのが幸せ販売人としての刀屋の信条である。しかし、決して幸せ販売人は「四悪刀」は売らない。売るのは、霊剣か、それに準ずる物だ。
 刀屋として日々精進するのは、まず眼力を鍛え、眼の勝負で絶えうるだけの見識を高めて行くためである。そして勝負するのであるから、度胸も必要だろう。
 だが、刀剣市場は、また市場経済の一貫にあるから、価格は常に変動する。他の市場と同じように、価格の先端は上下を繰り返し、浮沈をする。それを読むために、また「勘」を養わねばならない。その養成が不足すると、愛好家を満足させることは出来ない。



●日本刀観

 M家では老医師が、私の配達を歓迎してくれた。
 それは縁起物を押し売りに来たのとは正反対に、まさに歓迎と言う意味で、私を迎えてくれたのである。
 老医師は、わが子の現院長と、孫のM君を自からの離れの座敷に招き入れ、今度は私が刀屋であることを紹介してくれた。そして先祖伝来のM家に伝わる『肥前国忠吉』を、私の手を通じて研ぎに出したことをあらためて語ったのである。これにより、私の二足の草鞋の、二足目が浮上したようだった。

 現院長は、私がまさか学生の分際で刀屋であることを全く知らなかったようだ。
 これまで、わが子M君の家庭教師とばかり思い込んでいた節がある。
 そして、家庭教師の本当の正体が、刀屋などとは夢にも思わなかったらしい。
 私が、M君を第一志望の大学に送り込んだプロの家庭教師としての意地を見せたことにも驚いていたが、本当の正体が刀屋と知って、二重の驚きを抱いたようだった。

 現院長は「人は見掛けによらないものですなあ……」と、多少皮肉を込めて、二重の驚きを隠せないようであった。
 しかし、親の老医師は、既に私の正体を見抜いていたようで、この辺が年の功と言うのかも知れなかった。
 老医師の離れ座敷には、四人が車座を作るように端座して、研ぎの程を拝見ということになったのである。
 『五字忠』は既に老医師の手に握られていて、座を仕切るのは老医師であった。
 そして老医師は一堂を代表し、まず手にした『五字忠』に一礼し、鞘を払って刀身を鑑
(み)たのである。

 「ほーッ……」
 そう、聲
(こえ)を洩らしたのは現院長であった。簡単の聲である。横から観ていただけだったが、何か響くものがあったらしい。
 この人も些
(いささ)か刀を鑑るらしい。そうでなければ溜め息のような感嘆は起こらない筈である。
 周りには日本刀が解る人が居た。

 やがて、老医師が研ぎの見事さに満足げに鑑賞を終えた。無言だったが、満足しているようであった。
 次に『五字忠』は、現院長の手に移った。
 「これは………」そう言いかけて、言葉を失ったようである。
 研ぎの素晴らしさに感無量というような顔つきで、その眼は刀に吸い付けられたように魅入っていた。心の中で感嘆を発しているに違いなかった。それは聲にならないことで容易に判断出来た。

 次にM君の番となった。
 この少年は、こういう鑑賞に興味があるのか。
 その真意は分らない。
 私より二歳ほど年下のM君は、これまで日本刀について殆ど興味を抱いていないようであったが、この場に至って、寝ているものが眼を醒
(さ)ましたというような素振りを見せた。近未来の愛好家となるだろう。
 眼が大きく輝いていたからである。
 
 更に鑑る鋭さも宿っていた。やがて、この少年は愛好家になるだけでなく、もしかすると私のいい顧客になるかも知れない。そんな気がしたのである。この年齢の時に受ける衝撃と感動は、後々まで残るからである。
 単に刀を、わが手に握って鑑賞すると言うレベルのものではなく、刀を見ながら、その奥に存在している何かを懸命に見ようとしていた。

 父親や祖父の仕種
(しぐさ)を真似て、刀を鑑賞するということに、何らかの大きな意義を見出したようである。それは一種の教養人の、「探求」という意味と同義のようであった。
 そして最後に、再び老医師の手に戻され、「厳
(おごそ)か」という言葉がピッタリの、儀式終了の合図が為(な)されたようである。
 此処に、親子孫三代の精神活動の家系としての儀式が終わったと言う感じであった。

 老医師は、かつて軍医だったと言う。
 軍医時代の話をしてくれたのである。この話は、子にも孫にも、聴かせるのは始めてのようであった。
 私もこの当時の話を有難く拝聴した。

 また、この老医師が庭に出て、奇妙な素振りをしているのを何度も見ているので、これまで、その目的と意味が未だに釈然としなかったから、私は刀屋として、あの「健康法と称する奇なる素振り」の意味を是非訊いてみたかったのである。
 試刀術にも、後ろに大きく反り返るような一刀両断の術はあるが、それにしても「なにゆえ」という疑問があるからである。私の知りたい疑問の一つだった。
 その意味を訊いた。
 すると、老医師は「あの素振りは……」という言葉から始まり、自身の軍隊時代の話を始めたのである。

 「あれは支那大陸にいて、日本の敗戦が間もない昭和二十年三月のことじゃった……」という話から切り出したのである。
 それは当時の軍隊時代を懐
(なつ)かしむという風でもなく、またその自慢話でもなく、そうかといって戦争美化でもなく、戦争否定でもなかった。もっと根源的な、覚悟を決めた人間の心の話を淡々と語り始めたのである。この話には心的な、何かがあるようだった。
 それは「覚悟」と言うものであったかも知れない。しかし、「諦め」ではないようだった。
 覚悟と諦めは違うようだ。

 軍医は、聯隊付きの医務衛生担当の将校である。
 軍隊で、傷病兵の診察・治療および軍陣医学・軍陣衛生を司る武官である。
 大戦末期、戦場や陸海軍病院の医師不足で、軍医予備員制度が発足した。
 大戦末期、戦局激化で軍医予備員を志願した45歳以下の一般病院の医師は、教育召集を受けて各聯隊に配属され、最初、陸軍衛生上等兵の階級が与えられる。その後、短期間で陸軍衛生伍長に任官し、陸軍病院で教育を受け、召集解除の時には予備陸軍衛生軍曹になるが、敗戦の色濃いくなったこの時期、軍曹で満期するなどはあり得ず、幹候過程
(幹部候補生)にそのまま上がり、見習医官として軍医少尉か、軍医少尉候補生となった。
 更に大戦末期は、医師が不足状態だったので再招集が行われ、昭和10年前後、軍曹として満期していた医師も召集され、軍医見習士官に任官し、このとき医学部出身者は軍医中尉、医専
(医学専門学校)出身者は軍医少尉に任官した。

 老医師の話からすると、階級は軍医中尉
(甲種幹部候補生出身の将校要員)で、従軍した任地は満洲の大陸だった。
 満鉄沿いの大連から始まり、撫順、奉天、四平街、新京、吉林、拉法
(ラホー)、また哈爾濱(ハルビン)、斉斉哈爾(チチハル)などへと転戦し、満洲の奥地へと進攻したと言う。
 日本軍が負け戦を演じた頃で、関東軍もかつての威力と権威は失墜していて、ソ連との参戦が囁かれ敗戦も色濃いくなり、大陸に進出した日本陸軍は戦線の奥地の泥沼で敗走に敗走を重ねて喘
(あえ)ぎ、日本敗戦の間もない昭和二十年五月頃の話である。
 日本は昭和17年6月7日以降、ミッドウェーの大敗北で、以降負け戦を演じることになる。戦局は下降線を辿っていた。

 老医師が軍医になったことのことである。
 かつて強大な軍力を誇っていた方面聯隊は、敗走に敗走を重ねていた。
 所属する西日本一帯から寄せ集められて混成師団からなる某旅団は、連隊規模または大隊規模での組織抵抗を出来るだけの戦闘能力を失っていた。そのため敗走に敗走を重ね、退却の連続だった。
 そして敗走を重ねた集団の蓋を掛けて見ると、教練未熟な少人数同士が寄せ集まって貧弱な分隊程度の集団を成し、混成の小隊すら満たしていなかったと言う。

 この頃、日本軍は満足に軍事教練すら儘ならぬ状態に陥っていた。そのうえ武装も幼稚で、銃剣の剣の部分が、竹で削られたお粗末な物もあったと言う。日本軍には軍需物資が極めて欠乏していたのである。
 銃弾の数も制約を受け、節約のために発射する弾数は決められており、一日一人、数発程度という制限があったと言う。物量の差において、勝負がついていた。それだけに負け戦を演じる方は惨めであった。

 敢えて言うなら、十人前後の各部隊の寄せ集めで、よくて教練未熟な、殆ど戦闘経験のない混成分隊でしかなかったと言う。
 そして年齢もバラバラで中年の40男から、尋常小学校を出たような15歳程度の少年も混じっていたと言う。組織抵抗出来るような条件は整っていなかった。
 その構成は、大戦末期に召集された、疾
(と)うに40歳を超えた年配者か、子供のような少年ばかりで、辛うじて生き残り、敗走を重ねた小規模の分隊であった。

 この小規模分隊は、小隊長の指揮官が戦死したため、その後を継いだのは、先任の上等兵で、元僧侶という変わり種の男が分隊を指揮していた。指揮官は上等兵だった。
 当時、軍医中尉だった老医師は、上等兵が指揮する分隊の軍医になっていたが軍医に指揮権はなかった。

 軍医は武官と雖
(いえど)も、分隊を指揮する指揮権はなく、指揮は医務担当以外の先任の兵士によって分隊指揮が行われていたのである。兵隊が分隊を指揮するのである。
 一般にこういう事が起こると、稀と思うようであるが、大戦末期、このようなことは珍しくなかった。将校の指揮官が戦死すれば、残った者に下士官も戦死し、兵隊ばかりとなった場合、軍隊の年功序列から先任の兵隊が全隊を統率・指揮するのである。
 この場合、将校である軍医すらも、階級最高位の上等兵が指揮する指揮下に入るのである。

 元僧侶の上等兵は、戦死した小隊長から一振りの軍刀を預り、銃弾に倒れて息を引き取る間際、「これを郷里の岡山に届けてくれ」と頼まれたそうである。以降、軍刀とともに託された将校用略刀帯を腰に絞め、軍刀の佩環
(はいかん)を刀帯の吊爪に吊っていたという。
 その刀は、表面は軍刀拵に仕込んでいたが、刀身は『備前長船住家次』だったという。刃渡りの長さは二尺足らず
(60cm以下)で、軍刀の長さとしては長過ぎず遣い勝手がよく、この刀を時々、上等兵が奇妙な素振りをして、あたかも健康体操のような動作をすると言うのだった。

 大陸を転々と移動中、その余暇に上等兵は時々奇妙な素振りをするので、軍医は「その素振りはどういうものか」と訊いたのである。
 上等兵は「密教体操であります」と答えた。
 その体操のことを訊くと、まず抜刀し、吐気を一気に吐く。次に直ぐに吸気を開始するのでなく、約五秒程度止め、それから静かに鼻から刀身を上段に振り上げる動作とともに吸い込む。吸い込む際は後頭部の天辺に吸気が抜けて行くような感覚でゆっくりと吸い込む。次に上段に振り上げ、更に後ろに背を大きく反り返るくらいに躰を反らせ、吸気のまま振り下ろして、一刀両断の感覚を得たら、その後、五秒ほど遅れて呼気を行うというものであった。
 呼気の瞬間に、跳ね上げる。

 これは試刀術から言うと、土壇場の土に刀の刃が着くのを嫌って行う動作だが、その際に振り下ろしたと同時に呼気を行いのでなく、「五秒ほど遅れて」というのは、一種の秘密だったようである。
 振り下ろしは吸気であり、息を刹那
(せつな)に吸い、跳ね上げると同時に、呼気を行うというのである。秘密であった。
 そしてその秘密が、僧侶出身の上等兵曰
(いわ)く「丹(たん)を錬(ね)るのであります」と答えた。
 教わったことを、鸚鵡返しに復唱しているのであろうが、その意味は理解していないのだろう。
 そして推測すると、どうも、丹を錬るとは、一刀両断にすることは目的でないらしい。此処には殺傷はないらしかった。

 私はこの話を聴いていて、「丹とは、心のことではないか」と気付き、「丹」と云う言葉に、思わず心臓を鷲掴みされたような、何とも不思議な錯覚を抱いたのである。それゆえ、人を殺傷する一刀切断のための体操でないことが解った。人を殺傷せず、である。
 肉体を鍛錬して、鋼
(はがね)のように鍛えるのであろうが、その鍛え方は「肉体苛め」でないことが容易に理解出来た。筋トレ体操ではないようだ。それより一歩上なのである。そう感じたのであった。

 昨今は科学するスポーツが盛んだが、科学的筋トレ鍛錬法を行っていると感じたのである。スポーツは古式の呼吸法から言うと、呼吸の吐納に誤りがあるようだ。このため心臓肥大症を招く。心筋梗塞である。
 だか、古式の呼吸法では静動一体であるから、心を錬ることを最終目的にしている。この目的の奥に「丹」があった。
 そこには心に纏
(まつわ)る「丹」の一字があった。
 また、筋トレ的な機械反復運動と言う意味のものでないことも解った。わが心を鍛錬しているのである。胆力を必要とするものであった。

 この胆力を「不屈の精神」と解してもいいであろう。
 あるいは「度胸」という、臆しない気力を云うのであろう。
 そのためには体力や体格よりも、「体質」が物を言う。体質の善し悪しが、気力を充実させる。
 体力や体格だけでは、例えば病気に罹
(かか)っても直ぐに回復はしない。
 病気に罹っても回復する条件は、体力や体格の大小ではなく、「体質の善し悪し」が決定するのである。体力や体格ではない。肉体は体力の強弱や体格の大小ではなく、「質」によっても構成されているのである。格闘的な「筋」だけではない。
 筋の衰えは年齢とともに急激に加速するが、質の衰えは筋に比べて穏やかに下降する。それだけ持続性がある。筋と質の違うところだ。
 この意味で、丹を錬るという精神的修行法が大きな意味を持つのである。当然ながら物理的な筋力のみを遣わないから、呼吸法もスポーツや筋トレのそれとは異なる。

 普通、一刀両断とともに気合いもろとも呼気をするのが尋常と言える。しかし、「五秒ほど遅れて」というのが秘密というのである。
 軍医は、更に訊いた。
 「秘密とは何か」と。
 それは「密教ヨガ」というものであると答えたと言う。
 一つの高度な呼吸法かも知れない。現に密教ヨガなるものが存在するからである。
 それを僧侶出身の上等兵は、健康法の一種として、閑
(ひま)さえあれば実践していたのである。その実践法を、軍医が習ったのである。
 一刀両断といっても、それは人を一刀両断するのでない。自分の心の魔を両断するという。
 魔を断ち切るために、密教体操に併せて素振るというものであった。そして五秒ほど遅れて……というところに秘訣があるようだった。

 また「丹を錬る」という言葉とともに、「五秒ほど遅れて……」という、この時間的誤差は、何だろうと考えた。
 老医師は、この話の中で五秒ほど遅れて……ということを喋っていたが、私はこの意味とともに、丹について考えていた。
 丹とは何か?……。

 丹……。それはこの一文字に秘められた真意である。
 それは赤、あるいは赤い色を指す。
 また「まごころ」の意味もあろう。
 赤心であり、赤誠であり、それは丹誠に繋がる、迷うこともなく悩むこともない、そういうものではないかと思索を始めていたのである。

 赤。赤誠。そしてこの世では、肉の眼に赤く映るもの……。
 赤は、また丹誠の心を顕すもので、一等高いが、また一等下がって謙虚でもあると感じたのである。
 謙虚をもって、人にも物事にも接する。更には、現代文明は、大自然とは隔離された生活空間で、赤誠を失いかけた世界だが、そういう自然界の存在に対しても、赤い気持ちを捧げなければならない。
 丹を錬ると聴いて、そこまで連想したのであった。

 更に上等兵は、閑さえあればいつも預かった軍刀拵の刀身を、何度も指で磨いている姿を見たと言う。それは研師の最終仕上げの工程と同じだった。
 その理由を訊くと、「勇猛な敵に対し退くこともなく、最後まで闘い続けて壮絶な戦死された小隊長殿が、いつもこのようにして、手の指で刀身を磨いておられました」と言うのであった。見よう見まねで覚えたのだろう。
 更に突っ込んで訊いた。

 すると「刀剣の最終仕上げは指で磨くのであります」と答えたと言う。
 「指か……」
 上等兵は指で磨くことの大事を語った。
 「自分は、この技を小隊長殿から教えられたのであります。こうして刀身を指で磨くというか、研ぐと言うか、こうしていると、あたかも自分の心を磨いているようで……」と語り始めた。

 そして、常に磨いている預りの刀身は、刃が浮き立ち、滑るような白さを持っていた。その滑らかさは、また強力な気を体内の注ぎ込むようで、時々、刀の一体化しような、単に道具とは思えない神聖なる輝きがあった。煌
(きらめき)めきである。
 軍医は、「それに比べ自分の軍刀は……」ということを顧みた。
 軍刀は、官品である。国からの配給品で将兵に支給されたものである。その支給品の大半は、つまり軍刀の質は、素延べである。今日の教育委員会文化財保護課の登録審査においては、美術品と看做されない不合格品である。素述べ方式で大量生産されたものであり、美術品の域には達していない。したがって、昨今は登録審査に当り「一寸ほどの窓」を開けて審査に臨むが、刃文の存在しない大量生産された戦時中の軍刀では、どう考えても美術品になり得ないのである。その場で不合格となり没収される。

 老医師が軍医になったとき、そういう刀を軍刀に仕込んでいたかは知らないが、仮に官品でなくとも、そこまで、自分の心は磨かれているのだろうか、という懐疑が起こったに違いない。恐らく反省したのだろう。
 これまで自分の携帯品に、「心」の一文字を感じたことはなかった筈だ。
 しかし上等兵の、心を込めて、刀身を指で磨くという行為の中には、実はそれで、自分の心を磨く意味が込められていたと感じたのである。この行為こそ心の現れだった。

 単に、わが身の安全を図り、転々と転戦を続けるのは、命欲しさの敗走ではないのか?……という懐疑と反省が生まれたと言う。
 命欲しさに逃げ回っていると、その人間の最後は惨めだろう。哀れな最期を迎え、断末魔に遭遇しなければならない。生死を解決することなく死んで逝かねばならなくなる。
 これは人として、無態
(ぶざま)な死に方に違いない。
 壮絶な死に態
(ざま)は、凡夫にはなかなか出来ないが、しかし生死を超えてその意味は清算され、解決されていなければなるまい。

 特に進退窮まり、追い込まれ、二進
(にっち)も三進(さっち)もいかなくなったとき、その最後の覚悟は必要だろう。
 土壇場に来て、汗を撒
(ま)き散らし、横に倒れて両手を空に突き出して掻きむしり、飛び出しそうになる目玉を涙に濡らして泣き叫び……というような、こういう結末であっては、見苦しいという周囲からの感想よりも、自分自身が哀れだろう。まさに不成仏なる「死に相」である。

 両手を挙げて虚空を掻きむしる堕地獄道の相。
 大声を上げて泣き叫び、死にたくないと喚く堕地獄道の相。
 右の手をいつまでも固く握りしめている堕餓鬼道の相。
 躰中が汗で濡れ、冷や汗が全身に顕われる堕畜生道の相。
 何れも「凶」である。
 不成仏の代表的なパターンである。
 これらはこの世への「未練」と言う意識が、外邪を引き寄せ、外邪は背後から背中の風門を入口として潜り込もうとしている霊的現象であると言われる。横死
(おうし)を暗示するものである。

 良き死に態
(ざま)を獲得しなければ……。
 より善き死を迎えなければ……。それは時と場所が、必ずしも限定されていないから、どんな時にもどんな場所に居ても、その死は、より善き死でなければなるまい。
 それこそ、人情としての願いだろう。

 軍医には、そういう気持ちが、丹という言葉とともに、耳に残ったと言う。
 死生観を解決するには、心を空
(くう)にする。無とは異なる空である。空は、心を虚にし、虚しくすることから始まる。
 こうしたことを観じるのは、一種の人間的な悟りだろう。

 そして小兵力で辛うじて組織抵抗を試みる、上等兵指揮する十名ばかしの分隊は、遂に最後の時が遣って来た。死が間近に迫っていた。
 敵に包囲されたのである。
 人生最大のピンチが訪れたのである。
 後は、八路軍の重火器により、蜂の巣にされる最後が待ち構えていた。絶体絶命であった。
 交戦すれば、100%勝ち目はなかった。全滅は眼に見えていた。
 此処で全員玉砕するか……。最後は玉砕を覚悟する以外ない。そうした現実が、数分後には確実に待ち構えていた。

 しかし、こうした状況下にあっても、指揮官の上等兵だけは意気消沈することもなく元気だった。気丈だった。臆していなかった。死に対して動揺がなかったと言う。
 人間は何れ死ぬもの……という諦めや悟りと言うのでなく、不思議にも気丈だったと言うのである。
 その気丈は何処から来るものだろうか。
 そう、不思議に思った途端、いつも上等兵が閑の度に、上官から預かった刀の刀身を磨いていたことに、はたと思い当たったのである。
 それは取りも直さず、丹を錬ることであった。心を錬ることであった。心を錬れば、かくも清々しい生死を超えた死生観に到達するということを遅蒔きながらに学んだと言う。

 更に人間の生死は、人間の手ではどうしようもないのである。
 自分は、自分の力で生きているのではなく、生かされている気がしたと言うのである。眼に見えぬ運命の手が、人間を大きな器の中に入れたり出したりする。その偶然
(あるいは必然であるかも知れないが)で、生かされていることを悟ったと言うのである。

 人は、天の定めた寿命で死ぬ。それ以外の死はないと言うのである。
 医家は患者治療のために、最先端の医療技術を投入して救命に奮闘しても、死ぬ人間はその甲斐なく死んで逝くし、一度見放した末期病者でも、天命が働いて生きようとするエネルギーが残されている場合は、予想に反して、簡単に死なずに持ち堪えるのである。この事実を見逃す訳には行くまい。

 私も六十有余年の人生で、これまで多くの死に逝く人の現場に立ち会い、見送って来たが、人の寿命は医師が告知した期間内容とは必ずしも一致するものでなかった。むしろ、大幅に外れている場合が多かった。駄目だと太鼓判を押された人が二年三年と告知に反して延命だったり、逆に大丈夫と言われた体力があると思われた人が早々と予想に反して死んで逝った現実を見た。
 人間は病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬのだということが解った。

 したがって、人間の生死に関与しているものは、天命であり、そのには人間の力ではどうすることも出来ない天の命があるように思うのである。
 天命。
 覚悟すれば、寿命は長くもなり短くもなる。
 最後の時が来た。
 そして覚悟も出来た。
 だが、諦めではない。
 そこまで覚悟して、軍医も上等兵指揮する小分隊も、最後の時を迎えようとしていた。いよいよ余命の尽きる時が来たのである。もう、此処まで追い込まれれば、別に死は怕
(こわ)いものではなくなる。死ぬ事は分っている。
 しかし、何も万歳突撃をやって、慌てて死ぬ事はない……。
 軍医は、別に最後の「ひともがき」を企てたのではない。上等兵の「丹を錬る」常々の行為を見ながら、そのように直截
(ちょくせつ)したのであった。

 それがまた、心の余裕になった。
 死を前に、死に対する切迫感が消滅していたのである。
 そこで「では」と、上等兵が切り出し、「車座になって、自分と一緒に死生を超えた『般若心経』でも唱えてみませんか」となったのである。それも、敵から完全に包囲され、後は蜂の巣にされる運命が決定されたような時に、である。

 これは別に、上等兵の義侠心や統率力の才から起こったことではなかった。此処にいる皆とともに、濃厚なる時間を共有してみたいことから始まったに過ぎなかった。
 決まりきった万歳突撃をして、「玉砕」と云うワンパターンの敗戦間際の日本軍が採
(と)っていた行動様式でないところに、僧侶出身の上等兵の云った提案が光ったのである。
 そして全員「いいだろう」となった。

 それは未練が湧くと言うより、ただ生きている、その束の間の濃厚なる時間を営みたかったからである。人間の前途は闇である。生死不定であり、しかし死生観を解決した清々しさに「余裕」と言うものが生まれていた。
 その「余裕」をもって、濃厚な時間を営むために、全員で『般若心経』を合唱する。いい試みだと思った。
 しかし、それは仏門帰依
(きえ)すると言う意味のものではなかった。心の余裕が『般若心経』の合唱に繋がったまでのことである。

 閑されあれば、丹を錬ることを重ねて居た僧侶出身の上等兵の云った言葉が、最後は、濃厚な時間を送るための人生最後の試みなったのである。ここまで来て、じたばたすることはなかったのである。
 天命に従えばいい事であった。

 全員が車座になった。
 車座の全員は、死に際してじたばたすることはなかった。天に任せればいいのであった。
 やがて、上等兵の祈念の言葉に続いて復唱し、厳かに『般若心経』の合唱が始まった。その聲
(こえ)は辺りを揺るがし、和音をなって、あたかも天に届こうとしていた。

 死が氾濫
(はんらん)する戦場において、生も死も、また「わたし」であることも意味を失っていた。
 人間らしく死を迎えたいとか、納得のいく死に方をしたいなどの考えに頼って、生死を見詰める時ではなかった。
 単に死は、死でしかないが、少しばかり気障
(きざ)に云えば、「眼瞼一閃(がんけん‐いっせん)(これ)生死(しょうじ)」という境地を指すのであろうか。
 生死を意識せずに、「今」と言う濃厚な時間を共有する仲間意識が、その行動となって車座を作り、『般若心経』の合唱に繋がったのである。

 これを、敵である八路軍側から見れば、どう映るだろうか。
 包囲した敵の指揮官は、この日本軍の死を覚悟した敗残兵らしい小部隊を、どう捉えたのであろうか。
 逃げずに踏み止まったこの小部隊の奇妙な行動を、どう検
(み)たのだろうか。

 そして直後に、不思議な事が起こったと云う。
 いつの間にか、包囲していた八路軍が煙りのように消えていたと言うのである。
 これは決して、僅か262文字で書かれた『般若心経』の威力ではないだろう。
 また敵軍が東洋的な、同じ仏教の法力を恐れたのでもあるまい。
 この場合、死を覚悟して、死生を超越した人間の行為が、敵軍側から検て「勇猛」に映ったのであろう。
 死を覚悟した人間は強い。
 この強さに、正面衝突して闘ったところで、見方の犠牲も大きくなる……と踏んだ敵の指揮官の賢明さがあったように思うのである。

 これが功を奏する発端を開いたのは、僧侶出身の『般若心経』の合唱によるところが大きい。これは決して『般若心経』の持つ法力が物を言ったと言うことではない。
 包囲された部隊が死の土壇場で『般若心経』を唱えて、助かったという話はよく聴くところである。
 しかし、これらの話と違っていることは明らかだった。

 これを提案するに当り、仲間とともに濃厚な時間を過ごすために発した、一言から起こった事象であった。
 この事象に行き着く根源には、常々指で上官の刀を預り、やがては故郷に届ける任務を背負い、それを指で磨いていた行為が「丹を錬る」に繋がったと検
(み)るべきである。その結果として、心の拠り所を得た「余裕」がそのように冷静で、濃厚な時間を過ごす行為に趨(はし)らせたのである。

 これこそ余裕の原点であり、心の拠り所から得る効用だったのである。それは鑑賞し、鑑るという行為と同義だった。その効能は刀にあったのかも知れない。
 そして、丹を錬ることは結果的に「逃げずに踏み止まれば、また、身を棄
(す)てて浮かぶ瀬もあれ」という運に関与する天命の実体を観(み)たような気がしたのである。
 気は、時として通じるのである。それは天にも通じ、また敵対した敵にも通ずるのである。

 私はこの話を聴かせて頂いて、実にいい感じの衝撃を受けたのであった。
 そして驚愕
(きょうがく)すべきは、常々指で鉄地肌の表面を曲面の点として磨いていた僧侶出身の上等兵の話では、地肌の表面は滑るような手触りを観じるようになると、体内に、強力な気のようなものが流れ込んで来て、非日常の土壇場にでも動揺を制止させ、焦ったり揺れ動く心を鎮めるというのであった。
 心は、舞い上がり、踊り狂うのではなく、静寂の中に鎮めるものなのである。

 この話を聴いた時、おそらく吉藤先生も刀を研ぎながら、鎮めのための正気の交流を観じていたのかも知れない。研ぎの鎮魂ともいうべきものだった。
 静寂な中にあって、刀身と砥石をこする音だけしかしない。しんと鎮まった神聖なる空間は、恐らくそこに神の降臨が起こっているのであろう。この降臨こそ、日本刀を神器にまで高めた霊剣の根源であろう。

 むしろ正気の交流を、研ぐことにより観じていたとすれば、出来るだけ四悪刀の邪気を避けて、自分の気に入る、正気の交流が起こり易い刀のみを研いでいたと言うことになる。したがって、邪気を発するような四悪刀は、最初から研がずに断ったとも思えるのである。

 それは、依頼する客側から見れば「あの研師は偏屈で、客を選り好みする。昔気質の頑固な職人だ」などと陰口を云われていたに違いない。
 しかし吉藤先生は、そういう外野の騒音は頓着無しに、ただ「わが信じた処を行く」という信念を持っておられたようだ。それは御研場で、神の降臨を見たからに違いない。
 神と伴にいる自分を自覚したのであろう。
 それが、今回の『五字忠』を見事に研ぎ上げて、依頼者に感嘆の心を呼び起こしたに違いなかった。そう思うのである。

 これが縁で、私はM家、特に戦前・戦中の激動期を潜り抜け、戦後も毅然
(きぜん)とした態度で生きる老医師を、顧客の一人に加えさせてもらったのである。また、顧客はこのようにして自分の足で探して行くものだと言う商売の基本が分ったような気がしたのである。
 その後も、この老医師が昭和50年、85歳で亡くなるまでの約十年間、親しくお付き合いを続けたのである。
 私は、この老医師から人生道についても学ばせた頂いたのである。

 昭和40年初頭、刀剣の研代は最上研磨で、例えば、定寸という二尺三寸物で15万円前後で、普通研磨では7から8万円だったと思うが、吉藤先生はそれより安い金額で研いでいたように思う。
 そして、このとき確かM家から頂いた研代は10万円ほどではなかったかと思うのである。それでも吉藤先生は満足しておられたようで、私に仲介の駄賃として、「少ないが」といって、2万円ほどのボーナスをくれたと記憶している。
 思えば、この先生は金に頓着しない人であったように思う。その意味で、昔気質の職人であったと思うのである。

 私の刀屋人生は、決して順風満帆ではなかった。
 その後も大きく波に揺り動かされ、経済的に浮沈を繰り返した。大掛かりな詐欺にもあった。よく騙されもした。
 銃砲登録証の偽造で、公文書偽造容疑で官憲に事情を訊かれ、無実を晴すために任意で何度も出頭したこともあった。容疑は晴れても、こうした過去は消えることはない。故意に嵌められたといっても、官憲に聴く耳はもたない。とことん追求されたこともあった。屈辱と汚名だけが残った。

 また、刀剣業者の中には、自分が詐欺を働いているということの自覚無しに詐欺をする人間も多く居た。
 特に、銃砲登録証の偽造だけでなく、鑑定書の偽造に出くわしたり、また、ある個人の刀剣鑑定家が鑑定した物を別の鑑定する団体に持って行って審査を受けたら、これが不合格になることも多かった。

 更に驚くべきは、財団法人・日本美術刀剣保存協会の「甲種マル特」のそっくりの偽造認定書を掴まされたこともあった。印刷から印鑑まで、寸分も変わらない。本物と見分けがつかない認定書があった。
 こうした似せ認定書を堂々と売り捌く業者も居た。
 刀剣の贋作だけでなく、認定書や鑑定書まで偽造した物が出回っているのである。更には、闇では銃砲登録証まで5から6万円で売買されている。法の網の目を巧みに掻
(か)い潜る者も多い。そして騙して、詐欺を働いて同業の刀剣商を啖(く)い、財を成す。
 思えば、恐ろしい世界である。仁義などあったものではない。生き馬の眼を抜くとはこの事だった。

 そして足許を見られる。
 資金の欠乏状態で勝負しているのだから、遣り込められるとこともあった。そのために足許を見られるのも度々。背に腹は代えられないからだ。
 警戒しながらも、巧妙な手口には嵌められたことがあった。破産寸前まで追い込まれた。
 金で脅されたこともあった。支払いを迫られたこともある。自己責任を追及され、詰られたこともあった。
 損害賠償を吹っかけられたこともあった。
 博奕のような市場にも連れて行かれたこともあった。負けても言い訳を許さない世界である。それがどうしたで終わる世界である。
 調子のいい商売人から、口車に乗せられたこともあった。

 客からは、客の無知でクレームをつけられたことも度々ある。心ない客から騙し取られたことがあった。しかし、分らない人は、何を言っても分らないと観念したこともあった。逆告訴されて裁判に訴えられたこともある。
 回想すれば、他にも多々ある。
 だが、こうした経験や体験をしたからといって、ギネスにも記録されないし、私の苦労に評価は伴わない。
 過ぎたことは、人々の興味を惹
(ひ)かない。大火事も、対岸の花火大会と大して変わらない。冷ややかに傍観されて終わりである。
 芸能やスポーツの有名人ではない庶民の評価とは、その程度のものである。世間の目とは、そうしたものである。
 それゆえ「こだわりを捨てる」ということも、こうした経験を通じて悟った。苦労人の行き着く先である。逆の意味で、底辺の視野から学んだのである。

 しかし、それは教訓として残った。人生の羅針盤となった。
 その後、大きく生かされた。損する余裕で生かされた。人生を学んだのである。
 損して得取れとは思わない。また、負けるが勝ちだとも思わない。
 しかし「損する余裕」は、人間を大らかにし、巧くいってもよし、拙くてもよしとなる。こだわっても仕方ないことを分らせてくれる。失った箇所は捨て置き、新しい箇所を開拓すればいい。何も損した箇所に、こだわることはない。
 学ぶ努力は怠れないが、飄々
(ひょうひょう)と、天に任せれば良い。解決するのは、最終的には人間ではなく、天である。
 その教訓をもって、より多くの場数を踏むことが、また刀剣の世界でもある。
 眼力のほどは、まだまだである。勉強不足である。学び足らないと自覚する。
 だが、一つだけ確信することがあった。
 市場における価格の先端を読むには、単に科学的経済データーを取り揃えただけでは駄目だと言うことであった。

 経済を科学の眼で見ても、その予測は大きく外れることがある。何故なら不可視世界で行われている、闇の経済は、科学と言う肉眼では確認出来ないからである。
 大事なのは、眼力プラス見通しを立てる「勘」である。勘の世界で先読みし、勝負するのが美術刀剣の世界でもある。同業者と同じことをしていては、金銭に固執する損得勘定で動く並みの商売人と変わりない。
 そして、「いい物は値を下げない」ということであった。
 いい物は、日増しに価値と評価が高まるのである。

 美術刀剣も相場物である以上、価格は常に変動する。
 価格の先端は、まさに生き物であった。この生き物は、決して侮られないものであった。
 変動は、猫の眼の如くである。油断も出来ず、常に豹変し、またこの価格の先端に集まる同業者同士の鍔迫り合いも激しく、売買においても、巧妙な駆引きが繰り返され、隙
(すき)を作れば、忽(たちま)ち共食いを行う弱肉強食の世界であった。
 勝者は常に潤沢な資金力のある強大な方が、同業者を次々に啖
(く)って行き、弱い者は強い者を餌食になるという構造が、この世界にはあった。
 考えてみれば、得物を前に地獄で鬼がそれを取り囲み、どう分配するかを相談している錯覚すら覚えるのである。まさに地獄の鬼の会合である。

 それだけに修羅場の世界でもあり、この商売は、決して甘いものではなかった。眼の勝負とともに、警戒を要する世界でもあった。
 そのために「闇を見通す視覚と視力」がいる。

 啖われまいとして、用心に用心を重ねていても、肉の眼の警戒では駄目である。
 強大な資金潤沢な実力者は、次々に弱者や中間層の刀屋を金の力で制圧し、配下に従えて、意のままに刀剣市場を仕切るという“仕切り魔”的な行動も見せていた。仕切られて、その策に嵌まれば、そこで刀屋人生は潰える。自転車操業に陥って、最後は資金繰りが枯渇する。

 当然啖われれば、資金が回らなくなって不渡りを出し、夜逃げするか、自己破産するか、あるいは強大な組織の手下として、実力者に仕えるかの道しか残されていないことがあった。こうして啖われた者は、強者に恭順するという形で、以降言いなりになって生きることになる。
 刀屋人生を通じて、そう言う人を何人も見てきた。

 私は弱小の刀屋として奮闘して、何とかそういう憂き目には免れたが、こうした世界で、資力で渡り合って行くという格闘は、単なる肉体的な格闘と異なり、その比ではない。
 それだけに持ち堪えれば、人生道には大いに勉強になったのである。この資力での渡り合いは、鉄火場で、博奕の勝負と似たところがあり、最後は眼力と度胸と勘と言うことになる。

 私はこういう人生道の勉強を早々と行い、「資産の部」と「負債の部」の色分けとともに『貸借対照表』を読み、また『損益計算書』から、現状の資力の状況を汲み取り、その中で「経営」ということを学んで行くのであるが、経験が乏しい場合、こうした活動は儘にならぬことが多く、これまで挫折を経験し、あるいは倒産の憂き目をみて、浮沈を繰り返しながら、何とか生きて来たのである。その度に、総勘定とそれを数えることを、億単位で学んで行くことになる。一歩間違えば、高利の金を借入して億単位の負債を抱えるからである。

 また「負債の部」は出来るだけ債務を小さくして、効率よく少ない資金を順調に回すように心掛けたのである。自分の財政状態は常に把握しておかなければならない。
 何故なら、人間現象界と言うのは、金がもの言う世界であることもまた真理であるからだ。

 この世界は、肉体の格闘技と異なり、安全圏に居て
(リングや檻の中という格闘ステージがあり、その中でルールに則り、観客に公平と公正を絞めずシステムが確立された安全圏)、ただ肉体酷使のトレーニングだけに励めばいいと云うものでなく、眼力、度胸、勘の三要素を養いつつ精神的負担と、それを制御する「損する余裕」と言うものが必要だと言うことを学んだのである。いわば霊的神性という、曇りのない心境を維持し、その眼で物事を見る洞察力である。この洞察力は、金銭と言う媒介を介して養われるものである。その点が筋トレとは違うし、肉体苛めで、どうこうなるというものでもない。
 全財産を掛けて、「これは」と思うものに賭けねばならないこともある。
 いい物は、日増しに価値と評価を高める。定理である。

 世の中は、人生道において易より難へと移行させる中に真理がある。徐々に所持する刀剣の「格上げ」を試みなければならない。今を満足してはならない。そこに止まってはならない。刀剣に限らず古美術の世界もそうであろう。
 満足を覚え、そこに止まれば、その人の成長も、そこまでっである。難所に向かって挑戦をする。これがこの世の真理である。止まってはならぬ。
 易に止まらず、勝負の秋
(とき)を知るべきだ。

 そして、それらとともに、今この一瞬の乾坤一擲
(けんこん‐いってき)の、その時その場において、売買の瞬間を察知する勘を養わねば、単に一般的な経営理論では「ここぞ」という時機(とき)に勝負が出来ないのである。

 「今」を取り逃がせない商売なのである。「今」が敏感に将来に関わって来る。
 「今」を懸命に生きる、乾坤一擲に掛けて、家族を、自分を、それに賭
(か)けるのである。読み間違いは許されない世界であった。

 価格の先端を窺
(うかが)い、それに総てを賭けるからである。そして勝てる勝負は余りにも少ない。
 不覚だったり、一瞬の隙を作って見逃せば、潤沢な資金で勝負をしているのでないから、肝心なる部分で判断を誤ることもある。負け勝負が多いのである。
 もしかすると、負け戦を闘っているのではないかと錯覚することすらある。
 しかし、負け戦の戦場にいるということを自覚しながら、そこから逃げ出すわけにはいかない。

 それが逃げずに踏み止まり、何とか「持ち堪える」という忍耐が必要なのである。
 諦めればそれまで、である。
 「諦め」は、崩壊する時の最後の手段であるが、人為の手当で何とかなる時は人事を尽くせばいい。また、人為で解決せぬ時は、天命を待てばいい。

 人事を尽くすことと、天命を待つことは、実は同じ数直線に並ぶ、同じ意味の物ではない。
 一般世間では、一口に「人事を尽くして天命を待つ」などと安易にいうが、これは人事と天命を同時に系列として考えてはならない。人事で解決出来る時は出来るだけ最後まで諦めないで、「一
(ひと)もがき」も「二(ふた)もがき」もすればいい。往生際悪く、最後まで格闘することだ。簡単に諦めてはならぬ。

 努力の余地が残されていると思えば、「努力は実らないもの」と覚悟して、捨身で格闘すればいい。それだけ覚悟していれば、身を棄
(す)てて浮かぶ瀬もあれ、である。
 しかし、運命的に解決出来ない状態に追い込まれれば、諦めて天命を待ち、天の裁きを受ければいい。人間側が決定することでない。

 そうして、自分をギリギリまで追い込み、後は天命に任すのみ、という極限に至って、やはり運が良ければ「浮かぶ瀬もあれ」である。
 私が、研ぎ上げの『五字忠』をM家に配達したとき、この家の老医師から大戦末期、大陸で八路軍の包囲されて二進も三進もいかず、進退窮まり、「逃げずに止まれば」という話を聴いたとき、人にはそれぞれに、運と言う天命が関与していることを知ったのである。

 しかし、運をよくするために「日本刀を所持する」というのもまた事実であり、現に霊剣は運を良くする方に向かうのである。この歳に至って、幸せ販売人としては、出来るだけ多くの客に、いい物を高く売って行きたいと考えている。
 とはいえ、金に関わる問題も抱えている。したがって、時として駆引きのために「腹芸」なども演じてみせなければならないこともある。
 だが、基本的には「幸せ販売人」である。
 日本刀を所持すると、運が良くなると豪語するのは、ある種の確信があるからである。いい物を購入してくれて、事実運の良くなった人を何人も見て来たからである。
 刀屋とは、いい物を売ることで勝負する「幸せ販売人」の世界なのである。



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