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霊臭が匂い始めた日本人2

静寂・清楚といった、かつて日本の至る所に存在していた安らぎは、今では殆ど見られなくなった。
 かつての古き良き日本。
 そして日本主義と言うものは、古くさいとか時代遅れとか、科学的でないと言う理由から“非科学”の汚名を被り、次々に葬り去られた。

 況
(ま)して、日本人の言霊とか、霊的波動などと言うと、真っ先に迷信の最たるものと決め付けられ、日本的なものは総て非科学と一蹴された。
 だが、ここにも現代日本人の間違いはある。

 現代日本人は、科学的と云う言葉に余りにも信奉し、直ぐ肉の眼に映ずるものだけを真実と信じ、現象界を色眼鏡で観察し、非科学と未科学を混同してしまったのである。愚行の最たるは、未科学分野を、非科学と一蹴してしまったのである。
 霊的なものは総て迷信であり、非科学の最たるものとして、世の中から駆逐してしまった。ここに現代日本人の判断の誤りがある。

 科学的なものは何でも数値で表され、数値で表されたものは総て正しく、科学的と称される現代、その枠外を非科学と決め付ける。測定できないものを科学的でないと一蹴する。
 そして科学の名をもって、逆に活性を失ってしまったのである。精神性や霊的なものは活性を失った。

 だが一方で、活性を失いつつあるものに、共鳴する相似の波動を与えれば、それは霊的にも物質的にも活性を取り戻す。物質的に活性を取り戻す現象は、物理学的にも証明されている。共鳴作用において、最初は似ても似つかないものであっても、やがて波動が共鳴し合えば、自然と双方が相似現象を起こすことは知られている。この相似現象は、よきにつけ悪しきにつけ、相似反応を起こすのである。

 世に似た物夫婦と云う言葉がある。
 夫婦でも長年連れ添っていれば、やがて双方は似た箇所が多くなり、また戦前・戦中・終戦直後の昭和30年代までは、歳を重ねその結果、双方は「よく似る」と言う光景が見られた。現代では殆ど少なくなったが、少なくなった元兇に欧米で流行している離婚訴訟などがその誘引となり、今では日本中に充満することになった。
 同時に性教育は性器教育と成り下がり、近年では不倫が大流行している。多くの男女は虎視眈々として妻以外、夫以外の異性に眼を光らせ、「隙あらば……」という体勢をつくって付け入る隙を窺っている。
 既に似た物夫婦と言う時代は終焉したようである。相似反応を示す、波動が狂ってしまったからであろう。

 さて、本来の波動を考えれば、実に不思議なものである。
 例えば、神社のある杜
(もり)やそこに建立された社殿、そしてその周囲の風景などを詳細に観察し、それを洞察すれば、相似的なものが幾つも重なり合い繰り返されているのに気付く。つまり、見事に「調和」しているのである。

 ところが、こうした静寂かつ清楚なる場所から一度外れてしまえば、不調和なものが洪水のように溢れている。色にしても、ケバく、毒々しく、あるいは幻覚的で、一瞬眩暈
(めまい)を催す物が多くなった。これを「現代的」と称するようであるが、現代的と言うより幻覚的である。正常神経なら、幻覚症状に似た極彩色に異常なる想起を連想するだろう。
 既に現代の日常生活の中には、不調和なる「邪」が入り込んでしまったのである。そして、邪を指摘すればそれを迷信だと決め付ける。非科学的な悪癖だと云い退ける。
 果たして細やかな静寂の中から発生する霊的波動と言う現象は、非科学の最たるものであろうか。

 だが、現在に至っても、霊的波動の根拠や証明は充分に為されていない。未だに未科学分野の存在なのである。
 また波動は決して非科学的なものでなく、現代でも、未だに知り得ない未科学のジャンルが多く存在しているのである。こうした領域は、まだ沢山残されている。
 見えないものを探求する糸口を紡ぎ出そうとする行為は尊い。
 ところが、こうしたアクションを起こさずして、霊的なものを迷信極まりないと非科学のレッテルを張るのは如何なものか。

 特に、肉の眼で確認出来ない見えない心の探究は、これからの世紀の課題であろう。
 未科学のものを、オカルトと捨て置くのでは、この世で起こる現象界の真摯な探究心は削いでしまうことになろう。むしろ現象界の、眼に見えない現象を真摯に解明する探究心こそ、これからの研究者の大切な姿勢である。見えないものに対して、現代日本人は、科学する意識が希薄であるように思える。



●うんこ臭さと断末魔

 「小便臭い」というのは、その人が未熟である為に、傍(はた)から見て「すえた臭い」がするのであるが、「うんこ臭い」あるいは「大便臭い」は、こうした臭いではなく、食の誤りによって、「霊的に悪臭と絡んでしまった臭い」なのである。生体と霊的に絡んだ臭いは、除去が難解である。多少の香水くらいでは、誤摩化すことが出来ない。深層部から滲み出てくる匂いだから、表面的な処置だけでは如何とも難いのである。

 また、職業祈祷師に祈祷を行ってもらっても滅多に取れるものではない。
 もともと祈祷師自身が、四ツ足摂取の結果、霊的神性が低下して、最早
(もはや)除霊する能力を失っている。そして祈祷師や、口寄せ巫女(みこ)などと称する職業者は、多くの場合、断末魔の最期を遂げる人が少なくない。その意味では、僧侶や神官、あるいは神父や牧師も例外ではないようだ。

 それは一部に、魂を弄
(もてあそ)んでいると云う現実があるからだ。世の中が不況になり、不景気の風が吹き荒れるようになると、人々は様々な不安に苛(さいな)まされ、心の中は心配事で一杯になる。更にこうした時代には、怪しげな宗教や祈祷師、霊断師、呪術師などの霊視や霊聴に頼るというものが流行する。
 そして結果的には、依頼者も依頼を受けた側も、霊魂を弄
(もてあそ)ぶことになり、こういう人の最期には断末魔が待ち構えている。この断末魔の臭いこそ、その人が独自に漂わせている、霊臭と云えるだろう。

 では、この臭いの元兇は何処にあるのか。
 何と言っても「肉喰った報い」である。
 哺乳動物は、人間の性
(さが)と同じものを持つ。同じ感情を持つ。
 当然殺されれば、恨む。烈しく憎む。そういう人間と同じ感情を持っている。それは牛でも豚でも同じで、四ツ足はほぼ同じ感情を持っている。屠殺場に向かう牛は、涙を流して哭き、足を突っ張って屠殺場に向かうことを阻むと言う。自分がこれから先、どうなるか予感するのだろう。それを人間は強引に引き立てる。これは、あたかも死刑囚の処刑を阻む行為に似ていると言う。

 しかし、最後は殺され、解体され、細切れに腑分けされて発泡スチロールのパックに納まり、スーパーやデパ地下の食肉売り場に陳列され売却される。一切は啖
(く)う側の都合で成り立っている。
 ここには当然、殺された側の怨みが残るだろう。
 また、殺されて啖われる側の牛や豚は、なぜ自分がそうした動物に生まれて来たか、そのことを知らないでいる。それは霊的神性が曇らされているからである。曇らされている為に仏性を知らない。なぜ動物に生まれて来たか、心の御濾過され曇らされている為に、それを知らない。

 最後は人間に啖われる動物達は、自由を奪われそういう状態でありながら、そこから抜け出せないでいるのである。人間に食われたり、使役される動物の多くは、全く自然界から引き離され自由を奪われる。
 羊は人間の飼われているが、毛皮を獲られて食用となる。かつては虎や熊はその立派な毛皮の為に人間に狩られた。毛皮の為に猟られるのである。またジャコウジカは角目当てに猟師から猟られ、腹部に麝香腺があるため麝香嚢から製した黒褐色の粉末を得る為に猟られた。この粉末は芳香が甚だしく強く、薫物
(たきもの)に用いられ、薬料としても使われるためだ。

 何れも最後は肉まで人間に食される。哀れと言う他あるまい。何故なら彼等動物は、現在の世では自らの寿命を全うすることなく、殺される為に生まれ、啖われるために飼育されるからである。特に牛や豚はそれが著しい。そして啖われる動物の多くは、自由を完全に奪われながら、何故自分が動物なのか、またそこから抜け出すにはどうしたらいいか知らないでいるのである。動物達の心は愚かであり、また霊性が曇らされている。愚かさや無知の為に、果てしない苦しみの中にあって、そこに埋没する運命にある。

 人間側もこの運命を哀れと思うなら、動物の発する心の悲鳴を聞くべきであろう。その心の悲鳴に共鳴し、彼等の心になり切ってその心の苦しみを共有する気持ちがあるのなら、決して動物を食おうなどと言う気持ちは起こらないであろう。
 性が同じなら、それを共有する気持ちがあってもいい。

 苦しみに喘いでいる動物を見たら、また屠殺場での必死に抵抗する生への執着が少しでも理解出来るのなら、これを殺し解体し、パーツごとに分解してパックに入れられた赤く、鮮明に染まった同じ哺乳動物の肉を食おうなどと思わないであろう。

 仏道では生き物は六道
(りくどう)を輪廻すると言う。
 六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つである。衆生が善悪の業によって、赴き住む迷界を六道と言う。牛や豚をしている動物は、かつてあれは自分の死んだ父母であったかも知れないし、祖父母であったかも知れない。

 人間と同じ性を持つ以上、動物達も自ら進んで自分の死を致そうとは思わない筈である。死に対しては抵抗する筈である。そのために恐怖を前にすれば、動物と雖
(いえど)もアドレナリンを発する。この機能からして人間と酷似する。
 苦しんでいる動物は、実はまた鏡に映った自分自身である。自分の分身であるかも知れない。この立場が理解出来れば、好んで肉常食者になろうと思わない筈である。

 また、人間と同じ性を持つ動物を食すると、喰った肉食者の肉体はどう変化するのか。
 肉及び動タンパク食品は、腐敗産物を生み出す主役である。
 人間は歯形から、人間と言う生き物は穀物菜食型の歯形をしている。人間の歯形は肉を食うようにはで来ていない。
 そのために人間と言う生き物は、他の肉食獣と異なり、動タンパクを喰らった場合、動物性タンパク質から栄養素を取り出す消化酵素を持っていない。動タンパクを還元する酵素を人間の消化器官は持っていないのである。したがって肉や乳製品を接種すると還元酵素がない為に、一度喰らったら最後、腸内に停滞して異常発酵を招いてしまうのである。

 また肉常食者が、穀物菜食をしている人に比べて至って命なのは、内臓機能の老化が早くなる為である。
 肉を食した場合、肉の分解によって生じは強酸類は、まず血液を酸毒化することになる。この酸毒化は、代謝機能を根底から狂わせる。その結果、性的な病的興奮が高まる。つまり深刻な排泄障害を起こすのである。
 近年のネットの普及は一方で人々に便利さと機能的な快適さの正の部分を齎した。この恩恵に預かる人は多い。
 ところが他方で、昨今に急激な上昇を示す「性欲依存症」の精神障害が発症している。つまり“性依存”である。

 近現代史に登場した特異な新歴史は、どの時代にもなかった依存症である。依存症は近現代史だけに見られる特徴である。
 現代は「依存症時代」であると言ってよい。
 ネットのポルノサイトは、若者を性依存の状況に追い込んでいる。

 かつて依存症と言えば、酒類に取り憑かれたアルコール依存症、金銭欲に取り憑かれたギャン物依存症やパチンコ依存症、また日本の国を悪く云う日本酷評依存症、はたまた色情に取り憑かれた性依存症やポルノ無しでは生活出来ない性欲依存症などである。
 この依存症に苦しむ現代日本人は多い。

 日本酷評依存症は日本の国を悪く云うことで、自己満足を覚え、酷評する自己主張で、かつての左翼運動の、自国の裡側
(うちがわ)に害を与えることで痛快感を覚える依存であり、一種の愉快犯的な性癖を持つ精神的異状障害である。あるいは自他ともに自虐的な論を転回させて、自己を悪く云う自虐障害あるのかも知れない。

 それに並んで、近年は性依存症が急増している。
 ネットの性情報に踊り狂い、ポルノ無しでは生きている実感を感じないと言う精神障害である。
 特に現代は性ならびに、性欲に取り憑かれた性欲依存症の精神障害を起こす人が急増している。この種の障害を抱えている人は、対人恐怖症などの病質も併
(あわ)せて抱え、引き蘢りなどの、他人や社会に対して日常生活を送る能力を失墜させてしまった人である。

 日本では1990年代から、青少年の間で急増し始めた現象で、自宅や自室に閉じ籠り、他人や社会に対して接触を持たないばかりは人と合うことも躊躇
(ためら)い、対人恐怖症に陥っている人である。そのうえ時間があればバーチャル・セックスに狂奔する色情に振る舞わされる人である。これが現代に蔓延している性依存の実情である。
 そしてその元兇には、決して動タンパクの無縁でない関係は浮上して来る。

 食肉に含まれる興奮性物質であるプリン塩基は人体には吸収され易い状況にあり、一旦吸収されれば動タンパク分解に遣われた毒素が生じる。この毒素は、動タンパク内に含有される、便秘の元兇とも云われる尿酸、硫酸、リン酸、硝酸、塩酸などが含まれ、これらが腸内で深いして腸壁にこびりつき便秘を引き起こす。
 当然この場合の血液はアシドーシスという酸毒症じょうたいとなり、その強酸類は中和する為に、体内のアルカリ物質は大量に消費されて行く。特にミネラル分の消費は著しくなる。

 体内からミネラル分を大量に消費すると、血液中に停滞する異常発酵物質は老廃産物となって血管内部に粘着し、異常な粘液分泌を来す。例えば痰
(たん)などである。
 更に組織細胞は血行不全と起こし、これが「炎症」となる。あるいは壊疽
(たん)となったりする。人間の抱える慢性病の多くは、血行状態の不全や血液性状の異常から起こるのである。

 こうして異常が発生すると、血液中の過剰な酸類は性腺を刺激するようになる。
 それに昨今のネットポルノが輪を掛ける。ネットポルノで掲載されているものの多くは、度を越し、猟奇的かつ変態的である。正常な眼から飛び込む視覚が狂わされ、異常へ異常へとエスカレートするように仕組まれて作成されている。肉常食に伴い、これに二重三重の輪を掛け、性的興奮は異常性をもってエスカレートして行く。これは性欲依存症の元兇となっている。

 この手の依存症に陥ると、心身ともにばて易くなり根気がなくなり、心に異常が生じるようになる。その一つに離人症が挙げられる。
 自己・他人・外部世界の具体的な存在感・生命感が失われ、対象は完全に知覚しながらも、それらと自己との有機的なつながりを実感し得ない精神状態に陥るのである。人格の喪失や有情の喪失が起こる。

 心的にも意志薄弱となり、酸毒思考に陥るのである。思考力簡単な方へと傾き、それが単純で安易であればあるほど選択肢で、安直を選ぶと言う方に傾いて行く。右は左か、丸かバツかの単純に割り切れる方を選び、その挙動に駆られるのである。
 根気の微塵も残らないようになる。
 更には物事を皮相的に見て行くことになる。こうして依存症は益々深刻になって行く。

 だがそればかりではない。
 肉体の周りに霊臭の漏洩が起こる。ウンコ臭いと言う、異常なる臭気が漂うようになる。邪霊の仕業である。こうして霊的異常が深刻化を増すのである。
 食→血→体という循環の中に「霊」というものが絡んでいるのである。
 人間は血統ばかりではなく、精神界は霊統でもその系統を繋いでいるのである。



●霊臭の“霊”は「巫」に問題がある

 「霊」と云う文字は、「雨カンムリ」に「巫(ふ)」と書く。「巫」はもともと、「巫覡(ふげき)」の「巫」であり、神と人との感応を媒介する者の意味で、神に仕えて人の吉凶を予言する者、あるいは女を巫、男を覡という。
 雨の如く天から降るのが霊である。しかし、問題なのは「巫」である。
 「巫」とは、また、古い漢字で云えば、人と人との間に、天の「一」と地の「二」を貫く垂直棒が中央に突き刺さっている。この天から突き刺さる垂直棒は、祈祷師、霊断師、呪術師らの頭の天辺から足許までを貫く鉄の棒の暗示がある。

「巫」という旧漢字の構造。

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 経典で言う、「灼熱(しゃくねつ)地獄」には、黄色い髪をした鬼が、亡者の頭の天辺から肛門までもを垂直に貫き、串刺しにして、この亡者を“人間バーベキュー”にして灼(や)く話が出てくる。まさに、巫覡の「巫(ふ)」はこれを彷佛(ほうふつ)とさせるものである。

 また、「山」という文字は、画数が「三」で“陽数”を顕すが、これは「昇天」や「転生」を顕している。更に、一天二地の真ん中を貫く「四格」は、同時に「死」の陰数
(生に対しての死であり、こうした「負」をイメージする数を陰数あるいは死数という)でもある。

 ちなみに、数字を検
(み)る場合、奇数は魔が入り込む余地がないが、偶数は「二」で割れる数字で魔が入り込むのである。
 次に、巫覡の「巫」の古い漢字から言うと、この字は現代では「巫」となっていて、下の二が一本欠けている。これは源語を無視した文字の簡略化と言えるだろう。

灼熱地獄の地獄絵を彷佛とさせる爆弾後の生地獄。 東京大空襲/灼熱に焼かれた人々の無慙で無念な屍。

 何れにしても、祈祷師や霊断師、更には呪術した、自称霊能者などは、己の陽の「生気」を他人にくれてやる商売をしているので、陰の「感応」が体内に充満することになる。つまり、こうした職業祈祷師らも霊臭を放っていることになるのだ。霊臭を放つ人間の最期は、断末魔であり、そこには恐ろしい最期が待ち構えている。依頼者も依頼された側も、霊臭と絡んだ恐ろしい断末魔が最期に待ち構えているのである。
 霊臭は、則ち、「霊体」が発する臭いであり、その発信源は肉体深層部の「幽体」である。根源が幽体であるので、この臭いは簡単に消滅することはない。

 また、この臭いは霊臭と絡んでいる為、躰を、幾ら上等な石鹸などで洗っても落ちることはない。それは物質的なものだけではなく、霊的分野が絡んだ臭いだからである。そしてこれらの臭いは、生霊と云う生体から貰ったものと、死霊と云う死者から貰った臭いとに分けられる。いずれも「元凶」で、運を低下させる。運命の陰陽の、マイナス部分が露骨に顕われてくる。

 その結果として、まず精神的には次のような症状が顕れる。

症状数
症 状 例
症状数
症 状 例
喧嘩早い。好戦的である。
14
派手な物や目新しい物に目が奪われる。
性格粗暴で直ぐに切れる。
15
流行を追いかける。
思い込みが激しい。誤解と裏切りや寝返りをする。
16
盛りのついた犬や猫のように毎日が発情状態。
威圧的で横柄である。見下して傲慢(ごうまん)である。
17
デマを信じて、自身で自立していない。
満腹中枢異常で、喰い足りない。
18
就労年齢後も定職がないフリーターの人生。
拒食症である。
19
物欲や金欲が強い。
先入観に振り回される。
20
出し惜しみをする。未練たらしい。
固定観念が強く頑固である。
21
潔くない。くよくよする。
権威筋の暗示に懸(か)かり易く頑迷である。
22
離人症ぎみで人嫌い。皮相的で厭世観を持つ。
10
取捨選択にあれこれと迷う。
23
愚痴や小言が多くなる。妬みが強い。
11
素直になれない。不平不満を感じる。
24
責任転嫁ばかりをする。
12
精神的に貧困である。
25
食通で美味いもの願望。濃い味好み。
13
儲け話に直ぐ飛びつく。
26
好色であり、漁色家。

 以上の事象に、人間界の現象が顕れる人は、すでに霊絡みの「うんこ臭い悪因縁」を抱えている人である。こうした人は、食物によって、思考が酸毒物質に冒された人である。

 故に現代人の多くは
「獣(けだもの)臭い体臭」をしていると云うことである。これこそ、「肉(じし)食った報い」の克明な証拠と云えよう。こうした獣臭い人体は、まず病気に罹り易いと云わねばならない。肉体全体が酸毒化し、その“毒”が霊的中枢に影響を及ぼすからである。感染病や成人病に現代人が罹り易くなっているのは、四ツ足の動蛋白や牛乳、その他に肉加工食品、乳製品が慢性病の病因となっている。
 そして、それに精神障害が絡んでくるから、慢性病自体が合併症の状態にあり、複数の病気が絡んで、霊的分野まで冒しているということである。それが種々の現代の病気感染に連動しているわけだ。

症状数
症 状 例
症状数
症 状 例
花粉症など季節性の病気や感染症に罹り易い。
性的不能あるいは、それに近い状態で恐妻家。
病気に罹ると長引く。体質が悪い。大腸異常。
異常性欲・性腺異常を起こし性欲過剰。異常臭放屁。
早期痴呆症になる。猫背で背骨が狂う。排便少量で痔疾。
ストレスを感じる。疲労を感じる。血液汚染。
ガンを始めとした種々の成人病(生活習慣病)になる。
大便の臭いが口からする。口臭が臭い。
記憶力が低下する、物忘れが激しい。
10
小便が近い。恥垢が溜まって性器が臭い。

  また、肉体的には「インフルエンザなど感染症にかかり易く、病気に罹っても中々治らず長引く人などは肉体的に、霊臭を抱え込んでいる人である。
 以上の人体上に支障を来す。この根本にも、人間が「思考する」と云う能力分野に問題があるようだ。思考が酸毒思考になると、つまりストレスなどが起こり、神経症を誘発し、その思考は酸毒化されたマイナス面が強調されたものになってしまう。

 こうした人の思考は、また短絡的ですから、肉体信奉者であり、筋肉とスピードにこだわる筋トレが大好きである。したがって、こうした筋トレ信奉主義者は、特に食肉や牛乳、鶏卵やチーズなどの乳製品を、より多く摂取することになる。
 しかし、こうした四ツ足の動蛋白食品は、腸内で腐敗しそこで酸毒化する。この元凶が酸毒物質を発生させ、これが腸内に停滞する。この時に、腸内で発生した酸毒物質がそのまま体臭となる。この体臭が「霊臭」に変化し、以上のような現象界での現象を顕し始める。こうした現象を起こした人は、やたら大便が臭い。腸内で異常発行している為である。

 その肉体的臭気症状としては、肉眼で確認する範囲では便に血が混じる、便が細くなる、排便後も便が残っているような残留感がある、更には便秘と下痢を交互に繰り返すなどの症状であり、この徴候は大腸ガンや直腸ガンを暗示させるものである。
 ところがこうした確認できる肉体症状を、大半の人は痔と勘違いすることが多いようだ。
 また直腸ガンは痔瘻と勘違いすることもあると言う。

 痔瘻を患うと、肛門周囲炎が自潰して、肛門部または直腸部に瘻孔を生じ、絶えず膿汁を出す。「あなじ」あるいは「蓮痔」とも云われる。霊的に検
(み)ると下の口の病気である。下の口の脇から濃汁が洩れ、かつ霊的に異常を報せる霊臭を発しているのである。
 更に、大腸ガンや直腸ガンは血統的家系的な霊統や因縁を引き摺っている場合が多く、この一面を見逃してしまう場合があるようである。

 つまり肉常食家系や乳製品信仰の、動タンパクを摂取しなければ体力が低下すると言う信心をしている家系や、その血統を引く血縁にある場合、同時に霊統までもを直結しているため、五感的な症状としては単に「臭い」に過ぎないが、霊的には霊臭の漏洩と考えられる。
 そして何よりも見逃し易いのは「臭い」である。臭いに異常性を含んでいる。

 この臭いは、一度発生すると基本的には消滅することはない。
 動蛋白を摂取すると、その四ツ足の肉に含まれる水銀などの重金属が体内に蓄積されるからだ。こうした重金属は、除去が難しい。したがって水銀などの重金属を抱えたまま、その後、四ツ足を摂取すれば益々蓄積されることになる。
 この蓄積を防止するには、腸内を浄化する「みそぎ」をしなければならない。しかし、「みぞぎ」では、一旦染み付いたものを完全に除去できない。ただし小さくしたり、無臭に近い状態にもって行くことは出来るようだ。

 その為には食事を改める必要があろう。
 一般には、ガン対策で食事政変の方法や運動療法などが試みられるが、単にそれだけでは駄目である。根本的に食事の量を減らしたり、運動と称してスポーツをすることを奨励しているようであるが、量的制限を行っても、その中に動タンパクが混じっていれば「肉喰った報い」は免れようもなく、運動もスポーツ的になると食後直ぐの運動は一方で上の口が病む胃下垂の元兇となるようである。

 胃病を患っている人は、往々にして口臭が烈しい。異様な口内の臭いを発している。
 同時に悪化した状態では、下の口付近にも排便時の匂いを嗅げば変わることだが、これがまた異様に臭い。単に便秘からの後遺症が原因ではなく、既に下の口が病んだ重症状態にあると言えよう。また体臭も異常な臭気を発している。毛穴から漏れているのである。これを霊的に云うと「気門漏洩」である。気門から霊臭が漏れているのである。この悪臭が、ウンコ臭さを発生させている。

 上の口と下の口は、それぞれが無関係で肉体を形成しているのではなく、連動しているのである。上に口の臭い人は下の口も臭く、内臓にも異常が発症しているのである。それは単に口臭がきついと言う、それだけのことでない。
 かつて日本人の大衆は「無臭」だった。少なくとも戦前・戦中・終戦直後の昭和30年代前半までの日本人の大衆は無臭だった。

 ところが、三十年代半ばから、日本人に対して「タンパク質が足りないよ」というコマーシャルがしきりにテレビで流されるようになった。これを機に、日本人の食生活は肉や乳製品をベースにする欧米食に切り替わってしまった。
 以降近年の日本人は動タンパク信仰者になったしまったのである。現代栄養学の奨励を丸呑みし、科学的と称する欧米信仰が始まったのである。

 かくして近年は、「肉喰った報い」をもろに受ける人が多くなった。既に現代日本人の大半は、霊臭排除機能が錆びつき、霊臭を無効にする機能が作動してないと検
(み)るべきであろう。
 これは臭いに鈍感になったともいえる。つまり「鼻つんぼ」の霊的症状である。

 幾ら体重制限に心掛け、自己体重を正規体重に近付けたとしてもそれだけでは駄目である。根本は動タンパクの摂取を回避し、正食に心掛けるべきである。
 玄米穀物菜食の食餌法を「正食法」という。食に対して慎みを教える食餌法である。

 霊的な障害などと考えず、まず「食を正し、慎む」ことであろう。
 つまり、粗食・少食、それに粗衣の生活を実践して、食生活をベースにした日常を送るべきであり、肉や高級魚などの動蛋白や乳製品などを好きなだけ摂取しておいて、「うんこくさい臭い」だけは取り除きたいと考えても、無理な話である。まず、「獣臭い要因」を作り出す、次にのことに注意すべきである。また、運気を低下させる悪霊臭を取り除くべきであろう。

動蛋白摂取は出来るだけやめるか少なくすること。腸内で腐敗し、腸壁にこびり付いて、酸毒化し、血液を汚染し、成人病を誘発する。万病は血の穢(けがれ)れから起こる。
外食をしないこと。外食すると糖分摂取過剰になり、低血糖症に恐れあり。甘いものを食べないこと。コーラやジュースなどの清涼飲料水は飲まない。ナトリウム補給飲料も飲まない。糖分は、果物や黒砂糖から取ること。白砂糖や、白砂糖を遣った料理を食べない。
塩分は、味噌や醤油から摂取すること。塩化ナトリウムの含まれた食卓塩などは使用しないこと。精白塩も同じであるが、白砂糖などの「白」は躰に有害な毒と思え。
玄米穀物ご飯を中心にした食餌法をすること。白砂糖が含まれる、白パンや菓子パンは不可。菓子類並びにケーキ類、スナック菓子は不可。
インスタント食品やジャンクフードを食べないこと。こうした食品は、内臓を疲弊させ、畸形(きけい)させる。
蛋白質は植物系から摂取し、胃腸に負担を掛けないこと。良い水の飲用に心掛けること。【註】ミネラルウォーターと表示されたものに良水無し。また「名水」と「良水」は異なるので、その違いを把握すること。
好きなだけ酒を鯨飲(げいいん)し、ベビー・スモーカーであれば霊性が低下する。そのために、憑衣され易くなる。憑衣は霊的に波調が同じ人間に伝染し易い。こうした場合、著しく霊臭が臭うようになる。本人は気付かないが、周囲の者は「うんこ臭い」と感じてしまう。大酒飲みやヘビースモーカーは、得てして、自身は「鼻つんぼ」であり、自分の体臭に鈍感である。
現代人は「食傷」に冒されているので、内臓が疲弊し、臭いが、動物の腐ったような悪臭を出している。特に通勤電車などの中には、この臭いが充満していて、霊臭の因縁をもつ人は、この臭いを受けてしまうこと。つまり、こうした人は、体臭が「うんこ臭い」のである。

 以上が基本的な注意点である。
 霊臭は、完全に消し去ることは出来ないが、小さくしたり、無臭の状態に体質を作り替えることが出来る。まずは、正しい体質づくりが必要である。

 ただし、「屍
(しかばね)」という死霊(しりょう)の霊臭を大きく抱えている人は、これを小さくする為に、一年以上は掛かるでろう。無意識のうちに、死体の臭いを抱え込んでいるのが、現代人の実態である。したがって、この期間を短縮し、より健康な体質づくりをするのは、「断食」が一番なのだ。
 人生を生きる上で大切なのは、肉食をして体力を付けるのではなく、粗食・少食に徹し、粗衣の生活をして、体質を良くすることなのである。

 多くの現代人は「肉はスタミナのもと」という肉食品産業のウソに騙されて、これを実行しているようであるが、これこそ、自ら進んで寿命を縮める自殺行為なのである。四ツ足の動蛋白摂取では、より良い体質は維持できないことを知るべきであろう。
 つまり、霊魂の存在は、人間だけではなく、他の動植物にも存在するからだ。

 人間の生存は、他の動植物の命を貰うことにより、存在が許されている。それらの動植物を食して人間は存在が許されるのである。人間以外の動植物も、自然の摂理に従い、願うことは生存であり、自らの命を長らえることである。これらの生命も、末永く生存したいと本能的に、その本能を発揮させて生きている。生存本能が旺盛な場合に、生きられる。あるいは生きる因縁を作る。そして各々に霊を宿している。

 また、霊は肉体に宿るものであり、あるいは肉体の死後においては、肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体のことである。その上、霊には、「計り知れない力」があり、目に見えない不思議な力を有している。そしてそれらを包含して、「霊魂」という。

 霊魂は、人間の身体内にあって、その精神や生命を支配すると考えられている人格的かつ非肉体的な存在である。病気や死は、霊魂が身体から遊離した状態であると看做される場合が多く、また霊媒によって、他人にも憑依
(ひょうい)しうるものと考えられ、性格の異なる複数の霊魂の存在が、現象人間界には霊的波調として存在している。
 食の化身である人間は、生存と言う行為の中で、他の動植物の命を貰い、それにより生存が約束されていると言うことを忘れるべきではないだろう。
 そして他の動植物も人間と同じように、一種独特の「性
(さが)」を持っているのである。



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