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滅びに向かっている現代日本人 3

●斉一説

 地球上に起こっている天変地異を、どうしたら学問的に立証出来るか。
 十八世紀の末、ハットンが提唱した天変地異説を更に発展させた地質現象の現象観が、チャールズ・ライエルの「斉一説」であった。
 ライエルは近代的地質学の基礎となる斉一説を広めた人物でもあり、またチャールズ・ダーウィンの友人でもあった。
 ライエルこそ、ダーウィンの自然淘汰説の着想に大きな影響を与えた人物なのである。
 彼はスコットランド出身の地質学者でもあり、法律家でもあり、著書の『地質学原理』の著者として知られる。

 そして著書の『地質学原理』は、「斉一説
( uniformitarianism )」の学説となり、この学説が登場する数十年前、ハットンによって提唱されていたアイデアにも繋がって行くのである。 
 「斉一説」によれば、地球上の自然界の営みは、今も昔も変わらず、いつの時代も自然の法則で動いていると言う考え方を強調する学説である。同じ法則で、古今東西は動いている。ライエルの主眼とするところである。過去も現在も同じである。

 この意味からすれば『天変地異説』のジョルジュ・キュヴィエの提唱した“神の手”は、悉
(ことごと)く排除される事になる。
 そうなると過去に起こった大変化は、その根源に現在の地球と同じ現象が起こっているため、現在の地質現象を研究すればよい事になる。これが「斉一説」である。

 また斉一説の論旨は「現在は過去への鍵である」という言葉を、ライエルは度々自分の仮説の中で用い、斉一説をもって、「ノアの洪水」までもを否定してしまうのである。世界中が同時に大洪水になることはあり得ないとしたのである。

 当時、天変地異説に真っ向から対立する説として登場したのがライエルの仮説であり、地球の規模から考えて、地球全体が大洪水で襲われたという地球の歴史は、今までに一度も存在しなかったとしている。現に現在でも「世界同時大洪水」と言う現象は起こらない。一地方が集中的な洪水に見舞われるだけである。
 ゆえに現在でも、地球規模の地球全体が水浸しになる事はあり得ないとしている。

 ライエルの言によれば、現在に一度も起こらないことが、どうして過去に起こったのであろうか?……と、疑問を投げ掛けているのである。
 つまりライエルの「現在は過去への鍵である」という言に回帰するのである。

 こういう理由から斉一説は「現状説
(アクチュアリズム)」とも云われている。
 この仮説によれば、自然は勝手に動いているのであって、神の手など関与しなくても、その動きは自然法則的に動かされているということになる。

 かつて様々な地質現象を説明したのがハットンであった。
 ハットンは地質現象を説明した書記の代表的な人物であった。十八世紀末頃の人物であり、スコットランド人で中年になる頃までに農場経営をして事業家としても成功し、一財産を作った人であった。

 潤沢な自分の財産をもって、1768年エジンバラの街に住み、以降学問を愉
(たの)しみの一つとして研究する研究者の道を歩いた。
 特に地質学への造詣を深めたのは、この頃からだった。
 そしてハットン自身、その学識は百科事典的に広く、物理学、化学、気象学、農業、哲学、法学、医学などの領域に博識が広く、独立独歩の論文や研究発表などをした。
 その中でも地質学的な著書だけが価値に飛んでいたのである。そのために彼は「地質学の建設者」とも云われたのである。ハットンの地質学を一貫しているのが斉一説である。

 またハットンのこうした思考を抽出し、地質学を体系的に組織したのがライエルであった。
 ライエルはハットンが死んだ1797年に、同じスコットランドで生まれている。
 そして1830年から33年に懸けて三巻からなる『地質学原理』を著したのである。
 この書籍は、斉一説をもって地質現象を説明し、地球の歴史を明らかにしようと著したものである。

 十六世紀の末、ハットンが斉一説的な地質学を発表したところ、それは反宗教的な学説と看做された。また社会に反すると看做され、他の学者からも避難され攻撃まで受けた。
 しかし、ハットンの著した三巻からなる『地質学原理』は、余りにも厚過ぎ、かつ、書き方が冗漫に満ち、科学とは無関係な前起きや形容詞が多く、とても読めたものではなかった。殆ど読まれなかったのである。
 それにも拘らず噂が噂を呼び、ハットンの悪評が一人歩きしたため、その真意も確かめられないまま、ただ批難の対象になっていたのである。

 彼の友人の一人に化学者で政治家であるライアン・プレイフェア
Lyon Playfair/初代プレイフェア男爵。マンチェスター王立研究所の化学教授。のちにイギリス地質調査所で働き、その後新たに創立された王立鉱山学校の教授となった。1818から1898)がいて、ハットンの死後、ハットンの地質学説を解説する本を書いた。学説の本質を要領よく論じ、体系的に述べているところが大いに受けた。また、この本の出来が大変見事だったので、この解説書により『地質学原理』が世間に広まる経緯を見たのである。

 学問の世界では、論文の書き方が悪かったり、あまり広域に亘り説明を加えたり、有名でない雑誌に発表したりすると、幾らいい研究でも、長く埋もれてしまうことがある。埋もれてしまうのは研究の価値だけによるものでない。研究を発表する機会や、その発表技術にもよる。更には時代によるものである。
 『地質学原理』の解説書が出たのはハットンの著書よりも約40年後の事であった。

 当時にイギリスでは自由主義的な考えが社会全体を覆っていた。
 その中でも、ライエルの非宗教的な地質学説を歓迎する人が大勢いて、特に科学的根拠や立証可能な論文は人々に大いに持て囃された。

 1930年代のイギリスでは、まず自由主義貿易が唱えられ、選挙法が改正され、社会全体の空気が科学する事に大いに期待を寄せられ、反宗教的な空気を歓迎する社会体制に変化しつつあった。
 資質学原理は、この追い風に乗り、解説書とともにハットン著作本も大いに売れたと言う。しかし、ライエルの方がハットンよりも物的には幸運な時代に恵まれたと言える。
 ただ事実なのは、何
(いず)れにしても、ライエルは斉一説をもって時代を一世風靡(ふうび)したことである。それにより地質学の体系を建設したのは事実であった。
 そして地質学体系を明確にした事は、単に地質学だけに止まらず、生物学にも大きな影響を与え、後にダーウィン進化論を生み出すことになるのである。

 さて、斉一説の立場に立って考えると、現在地球に起こっている現象の変化は、これまでの緩やかな変化が蓄積されて、やがて大きな変化に至るという仮説を導いている。したがって、「緩やかな変化」とは大変長い時間を指しているのである。
 ライエル学説によれば、地球の年齢は数千万年とか、数十億年とかの、これまでとは桁
(けた)違いの長さが存在することになる。

 これまでの地学的データが集積されたので、地球の歴史が大変に長いと言うことが解り、その長さは、単に年代別に、数直線上に並べられた「順序でない」と言うことである。現に事実は逆で、斉一説と言う仮説が先に出てきたことである。

 この仮説は、これまでのデータをもってしても、逆に十分に説明出来たとは云えないという、皮肉にも逆説的な矛盾を生む。
 仮説とは、一つの過程の仮定的な思想に過ぎないのである。
 つまり、地球の年齢は余りにも厖大な年齢を持ち、この長さ故にデータの方が、その仮説に合うように解釈されてしまうことである。その度に大きな自然観の転換が繰り返されて来た。

 さて、斉一説的な考え方で一つの例を挙げてみよう。
 関東平野は多少の不規則性があっても、長年の間ゆるやかに沈降し続けている。その沈降が一番早いのは東京や千葉周辺である。
 だが、早いと言っても、その沈降続度は平均して一年間に1ミリメートル程度に過ぎない。

 ところがである。
 年間1ミリメートルでも百万年続くと実際には100メートル沈降することになる。現に、これまでの沈降も、これくらいの時間の単位で続いたのである。地球と言う生命体は、長期に懸けて壮大な変化を遂げる。大寿命の猛威である。またこれこそ、地球が生命体として生きている証拠である。
 それに比べて人間の寿命などは、瞬き程度で実に短い。大寿命に対し、刹那
(せつな)と言う表現こそ、人間に当て嵌まる語句である。

 これは裏からみれば、100万年前の地表に堆積した水成岩は、現在では地下1000メートルのところに埋まっていると言える。沈降するにつれ、その上に新しい地層が堆積するからである。堆積は、上へ上へと新しい地層が重なって行くのである。
 それは「冷えゆく地球」を暗示したものではなかったか。
 だが、果たしてこの暗示は正しいのか。



●冷えゆく地球

 地球は熱い塊から冷えているのではないか?……。
 こうした「冷えゆく地球」を想像した学者が居た。
 だんだん冷えて固まって来る。
 固まり終わったとき、地球の内部の格深さの温度は、その深さで岩石の融点を示す……という仮説を立てた学者が居た。ケルヴィンである。1862年このであり、この計算式を求めようとしたのである。

 ケルヴィンなる人物は、イギリスの大物理学者の初代ケルヴィン男爵のウィリアム・トムソン
William Thomson/アイルランド生まれのイギリスの物理学者。特にカルノーの理論を発展させた絶対温度の導入、クラウジウスと独立に行われた熱力学第二法則(トムソンの原理)の発見、ジュールと共同で行われたジュール=トムソン効果の発見などといった業績がある。1824から907)は、また通称ケルヴィン卿(Lord Kelvin)の名で知られている。

 ケルヴィンは有名なイギリスの物理学者である。それも並みの学者ではない。大学者である。
 彼は熱力学の第二法則
(低温から高温へ熱を移し、一つの熱源から熱を取り出して総て仕事に変えたり、他に何の変化も残ず周期的にこれを働くようにすることはできない。エントロピー増大則。つまり第二種永久機関のこと)を研究し、絶対温度目盛を導入したことでも知られる。更には、海底電信の敷設を指導し、多くの電気計器を作り、また航海術、潮汐その他の地球物理学の研究も多い事で知られる。

 私たちが知っているのは「絶対温度」という温度目盛りである。ケルヴィンが始めて導入したものである。
 これは原子ならびに分子の熱運動が全くなくなり、完全に静止すると考えられる温度を、最低の0度、水の三重点を273.16度と定め、目盛間隔はセ氏のそれと同じにとった数値で、後にK
(ケルビン)を付けて顕された。
 セ氏とは、一般によく知られる温度目盛りである。
 そしてセ氏t度と絶対温度Tの間には、
 T=t+273.15の関係式が成り立つ。
 これをケルヴィン温度という。
 また熱力学的温度を顕し、「三重点」という言葉でも知られる。

 三重点とは、一物質の気相、液相、固相の共存する状態をいう。また座標上に顕す場合は、圧力と温度とを縦横の座標にとった状態図で顕して1点として表される。則
(すなわ)ち、その状態の圧力と温度とは、一義的に定まということだ。
 水では圧力が611.66パスカル
(1パスカルは、1平方メートルに1ニュートンの力が作用するときの圧力)で、温度はセ氏0.01度(水の氷点を0度、沸点を100度とし、その間を100等分した。現在は、絶対温度から定義する。セルシウス温度)である。
 そしてケルヴィンは、地球の年齢を次のような計算で見積もったと言う。
 一般に物質の融点は圧力を増すごとに高くなる。地球内部では圧力は、深さとともに増して来る。
 この場合、岩石の融点の圧力による増加値は、実験によって求められる。また深さによる圧力の増加は岩石の密度から計算される。こうして、地球が冷えて固まった時の温度分布が推測される。固まってから後、そうした状態では地球自身が温める媒体をもたず、冷却の一途を辿るであろう。それが、どのくらいの時間で冷えて行くかは計算で求めればよい。ケルヴィンはそう考えた。

 さて、地球年齢は、ドロドロに溶けた岩から地球が出発したとしている。
 最初はドロドロに溶けているが、やがて時間とともに冷えて来る。熱源は、温める媒体がなければ次第に冷えて行くものである。そして冷えると固まる。ケルヴィンは、地球は冷却されて、固まってるのだと考えた。
 固まり終わったときの地球、は地球内部の温度の深さでそれぞれ異なる。その深さでの岩の融点になる。
 融点とは「融解点」のことである。
 融解点は、固体が融解する温度である。
 則ち、その物質の固相と液相とが共存する温度である。それは気圧によって違い、普通、1気圧の下における融解点を採る。氷ではセ氏0度。一般には、凝固点と同じ意味を持つ。

 ところが物質の融点は圧力が増すと高くなり、地球内部においての圧力は深さとともに正比例している。したがって、岩の融点の圧力増加は、圧力実験において、その岩の密度から計算される。
 ケルヴィンはこの実験を通じて、地球が固まり始めた温度分布が推定されると言うのである。
 固まった後、地球はこれ以上温度を上昇させるものはなく、冷却の一途を辿ると考えられる。そう考えた。そして、どれくらいの時間が経てば、冷却するかは計算によって算出することが出来る。自信満々の仮説である。

 熱の伝え易さの目安になるのは熱伝導率である事は既に述べた。これは実験によって定めることが出来るからである。
 更に地球が固まり始めて、現在までの時間を決定する場合、決め手になるのは地下増温率である。これは観測によって計られる。
 地球の表面が固まったときの温度は、内部ほど高くはなかった。現在でも地球表面の温度は100メートルにつき3度くらいの割合であり、深さとともに正比例して増加する。

 さて、十九世紀から二十世紀の始めに懸けて、提案された地球年齢は、種々の見積方があった。
 その一つは、海水を利用する方法である。海水は塩分を含んでいる。この塩分が決め手になる。
 ここで、まず過程として、原始の海は塩分を含まないとしよう。塩分は地質時代に陸地から川へ、川から海へと運ばれたと考えられている。それは雨などによっても運搬の役割が担わされていた。これにより、現在の川が運分を運ぶスピードの見当がつけられることになる。
 このスピードは地質時代から変わらなかったとしたら、この結果から海、つまり地球年齢を見積ることが出来るという見積りからの仮説で、この方法から得た地球年齢は、一億年より少し短かったとされる。つまり大まかに、数千万年という数値を得たのである。

 もう一つの方法としては、地層の厚さを用いる方法であり、地層の厚さの総計を見積り、これを現在の海底で堆積している、堆積速度で割る方法である。この場合にも、地質時代を通じて堆積速度は現在と同じだと考えるのである。この過程に則して割り出した地球年齢は数千万年であった。

 そして肝心なるケルヴィンの地球年齢の測定法である。
 ケルヴィンは観測値に等しい計算値を与える時を「現在」とした。それゆえ地球固化以来から現在までの時間が計れるとしたのである。
 ケルヴィンは、地球は冷却されていると考えたのである。現在までの時間を決める際、決め手となるのは、地下増温率の観測が急務と考えた。これを地球年齢としたのである。
 この地球年齢測定によれば、ケルビンの得た測定値は数千万年であった。

 こうして検
(み)ると、三者の求めた地球年齢は見事に符合している。
 三者のそれぞれの測定法で、第一の方法では川が運ぶ塩分のスピードから地球年齢は一億年より少し短かい数千万年と言う年齢の数値。
 また、第二の方法では地層の厚さを測る方法として堆積速度で割る方法では、同じく数千万年。
 最後に第三の方法で、ケルヴィンは地下増温率の観測から、地球年齢はやはり数千万年と出た。

 この事から考えれば、三者は驚くほど一致している。
 一致は人間社会では、多数決によって正しいと判断され易い。角度を変えた多数データは、数値が一致すれば正しい。この考えがデモクラシーの根源にある。

 だが、現在正しいとされる地球年齢は45億年の約百分の一と考えられている。
 ケルヴィンの場合、地球の熱源の見込み違いがあった。また地球は冷えつつあると言うよりも、むしろ暖まりつつあるのだ。

 ところが、三者の出した地球年齢は不思議にも、ほぼ同意見で一致したのである。
 一体この一致は何であろう。
 多数決の怕
(こわ)さを見る思いである。
 だが、この一致する三者の測定は、現在の地球年齢測定から考えると、それは百分の一程度なのである。

 これらの科学における「意見の一致」が、如何なるものか解ろうと言うものである。
 科学の出した測定値に、安易に鵜呑
(うの)みするのでなく、疑って掛かる警戒心は大事である。科学の世界の偽りが過半数制によって、あたかも現代の人類が民主主義デモクラシーを最高の政治システムと信じているように……。
 多数決は大衆が愚民であればあるほど、誘導され易いシステムである。これは多数決が、悪の多数決になりはしないか。
 現代と言うこの時代、各分野は細分化され専門化されて行く。一般人の知識はこれに追いつかない。

 例えば、自分の家族か自分自身が病気になって、大病院で診てもらったとしよう。
 医師は、細々と専門用語を交えながら現在の病状を説明する。この説明に、大半の人は全く理解できない筈である。最高学府を出ていていても、分野が違えば、それらの理解は皆無となる。
 況して専門分野の医学者しか通用しない説明は、一般人の理解の及ぶところでない。

 一方で、専門分野は益々専門化し、専門家の意見は「科学的で絶対だ」とするお墨付きを頂く、有難いものだと信じられ、また思い込まれている。
 ここに専門用語で押し切られれば、現代社会では「言いなり」という実情が生まれる。

 だが、この「言いなり」こそ、後に考えれば危険な判断となる場合が多い。決断したが誤りがあった……今日ではよくある事である。
 そこで忠告したい。
 過半数を占めれば、正しいと考える多数支配主義に陥らないように……。
 科学的データが一致したからといって、それを鵜呑みにするのは危険である。



●過去の仮説が復活する時

 一方で「斉一説」に対峙(たいじ)する「天変地異説」は、地層の形成や化石生. 物を天変地異的な現象で説明しようもので、十九世紀にはダーウィン進化論に推されて威力を失ってしまったが、近年、大雨や幾つかの生物の大量絶滅などが起こり、天変地異説で説明できる地質現象が存在するとも云われる。
 過去の荒唐無稽だと思い込まれていた仮説が、新仮説として登場した。

 あたかも『大陸移動説』の如し。
 大陸移動説は、ウェーゲナー
Alfred Lothar Wegene/1912年に大陸が移動したと言う証拠を提示し、大陸移動説を提唱。著「大陸と海洋の起源」1880〜1930)の説である。当時は「大陸漂移説」とも云われた。

 ドイツの有名な気象学者のウェーゲナーの説によると、「現在地球上にある大陸は、時代とともに移動して分裂・接合を行い、その結果現在の位置に至った」という地学上の仮説である。現在ではよく知られるところである。

 ウェーゲナーは1910年から1930年の自分が死期を迎えるまで、大陸移動説を主唱して憚
(はばか)らなかった。
 大陸について論ずることは当時としては大きな話題となった。だが、ウェーゲナーに対し、単体者は多く、その圧力も凄まじかった。やがて反対者が続出のため、大陸移動説は殆ど無価値なものになってしまったのである。

 ところが、それがウェーゲナー死後、近年に一変したのである。
 この一変は、古い地質時代の岩石の磁気の研究から明確になり始め、近年には大陸移動説に対する有力な証拠が続出したからである。
 また、ウェーゲナー説の致命的な欠陥と思われた箇所も取り除かれ、新しい方の大陸移動説まで登場して来た。
 近現代、大陸移動説は新しい魅力をもって復活したのである。

 その根拠の一つになったものが、アフリカだった。
 アフリカではダイヤモンドが沢山出る。世界のダイヤモンドの大半はアフリカで産出されている。
 ところが、アフリカでダイヤモンドが発見されたのは十九世紀になってからのことである。それより以前は、ブラジルが世界一の産出国であった。
 この地理的な構造を考えると、大西洋の両岸のブラジルとアフリカは、地質学的に岩石の性質が実に酷似しているのである。

 更に、である。
 ダイヤモンドの例から考えると、ブラジル以前はインドだった。十八世紀頃までの世界一のダイヤモンドの産出国はインドだった。
 このことから、地質学的に検
(み)て岩石の性質が酷似している場合、大陸は移動し、かつ離合集散したと考えられるのである。これはさ化石の分布や、太古の気象、大陸間の岩石類が似ている場合、この事がよく説明出来るのである。
 この説明に従い、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸が分離したのは比較的新しいことまで解り始め、地質成分を調査する画期的な「炭素14法」が用いられたからである。

 「炭素14法」は、アメリカの化学者リビー
Willard Frank Libby/炭素14法を確立で知られ、水素の放射性同位体トリチウムによる年代決定法も考案した。ノーベル賞授章者。1908〜1980)が開発した測定法である。
 この測定法によると、生きた生物は、常に大気と物質交換をしているので、質量数14の炭素原子と、質量数12の普通の炭素原子との比は一定であるが、生物が死ぬと、交換がなくなるので質量数14の原子は壊変して、時とともに減るとした化学反応的根拠による。これを利用して、過去数万年程度までの年代を測定する方法である。

 太平洋や大西洋の中には、絶海の離れ小島が多く点在する。これらの小島は火山噴火によって出来た物である。海底から火山が吹き上げ、その頂上が海面に到達して小島になった。更に温かい海では、小島をベースに珊瑚礁が出来る。
 また、その後、それぞれの島が海底に沈降すると、珊瑚礁は上に向かって成長して行く。海面に達しようと成長する。こうなると火山の岩石は見えなくなって、珊瑚礁だけに覆われる。
 こうした中にも陸地の移動がある。

 「炭素14法」はその証拠が集め易くなった。成長と移動の組合せが、現在の大陸を造り上げているのである。
 列島と言う島の中には、日本列島や千島列島、マリアナ群島のように、大陸の成長以前の前進拠点と思われるが、他方でマダガスカル島などは、大陸移動の時に出来た断片だと考えられている。
 これから洞察すると、アフリカとインドは、元々一塊だった時代があり、マダガスカルはその間のひと塊の一部分と考えられ、今ではどちらからも分離していると言う。大陸のみならず、島すらも分離し、移動しているのである。
 そして「炭素14法」は、大陸の成長と移動までもを見事に証明してみせたのである。

 さて、大陸移動はウェーゲナーの説である。一旦は荒唐無稽として、時代から葬り去られた説であった。
 ところが近年に見事に復活した。
 これから考えると、過去の仮説が現代に持て囃される場合もある。
 例えば、「斉一説」に対峙
する「天変地異説」である。天変地異説は一旦は葬り去られた。網の手の関与などある訳がなく、荒唐無稽と退けられた。
 ところが近年の大雨や、幾つかの生物の大量絶滅などが起こり、天変地異説で説明できる地質現象が存在するとも云われる。
 過去の荒唐無稽として葬り去られた仮説が、いま再び新仮説として現代に
登場したのである。



●低俗化を極める時代

 物質化され、仕事や行動律が金銭に換算される現代、一方で物質的な進歩は見たが、一方で精神的には低俗化を辿っている。この低俗化は、一種の精神文明の滅びを暗示しているのではないか。
 また、その顕著な現れとして、「言霊
(ことだま)の乱れ」がある。
 日本語が滅茶苦茶に乱れているのである。

 近年の特徴として、「こだわることはいい事だ」という考え方が生まれた。少しばかり論旨に反れるが、これについて論じてみよう。
 こだわる……。
 果たしていい事か。

 昨今は、こだわることはいい事だと解釈され、いい意味で何事もこだわれば、それが一生懸命とか、極めると言う意味になっているらしい。
 遂に日本語ここまで変形し、畸形化
(きけいか)してしまった。

 だが、「こだわり」とか「こだわる」と言う語句は、「拘泥
(こうでい)」から来ている。執着を示す言葉である。頑迷に固執する言葉だ。

 拘泥とは、小さなことや些細なことに執着し、あるいは固執して、人間的には融通がきかないことを言う。まさに臨機応変性がないことを云うのである。
 したがって執拗
(しつよう)に重箱の隅を楊枝でほじくるような行為を指す。行き詰まりの暗示がある行為である。出口を見付けられないのだ。迷宮の中に迷い込んで、退路を探すが、ここでもない、あそこでもないというような、迷うに迷う姿である。

 また、「こだわる」の語句の中には、“さわる”を指し、“ひっかかったり”“つかえる”ことも云い、些細なところに囚
(とら)われる意味もあり、これこそが拘泥の拘泥たる所以(ゆえん)である。
 また更に“難癖をつける”という意味も持つ。魂胆には、干渉という心の思惑と、遣り込める気持ちと、内情を探るという穿鑿の意図が窺
(うかが)われる。したがって「些細なる行為」となる。大事でなく、小事に執着するのである。

 “いちゃもん”なども、人間の固執する拘泥の現れであろう。非を論
(あげつら)う事を目的とする。粗(あら)探しと言ってよい。
 これが何故か「こだわり」の不思議にも相似的に重なるのである。
 どう考えても、「極まる」とか「極める」とは程遠い。
 「道を極める」などと言えば、崇高な行為に響くが、こだわるとなると、そこには低俗性が鼻を突く。その拘泥の裏に“俗なる意味”が潜んでいるからだ。それは卑しさと同義である。

 どう考えても、風流とは云えない。極めるとは程遠い。卑しくて雅やかでない。
 果たして凡庸すら感じさせ、固執する凡夫
(ぼんぷ)の行いをイメージさせる。
 極める非凡とは違うのである。こだわって、どうして優れた面が表現出来よう。ただ、凡庸が意地で、捏
(こ)ねくり回すそれに類似しているようにも思える。

 一言一句に拘
(こだわ)る。
 何故だろう。側面に頑迷がこびりついているからである。
 頑迷に惑わされると、いちゃもんが拭い切れない。拘泥の無理すら感じさせる。ごり押しのようでもある。
 こだわりとは不可解な言葉である。言霊の狂いであろうか。

 あたかも強迫観念に駆られるように、訳の分らない明日の憂いに悩んだり怯
(おび)えたり、目先の戦局やその運試しに、一喜一憂に舞い上がったり沈んだり、その繰り返しだけの妄想に駆られるのが、現代人のライフ・スタイルのようでもある。
 また意味不明な、自分中心の文句を論い、独断と偏見と自己主張を露
(あらわ)にして、大半の者が挙(こぞ)って口にする立証不能な気分だけの言葉が、巷(ちまた)に満ち溢れている。

 天の雲行きが怪しいとか、災害を引き起こす天下が巨悪であるとするならば、単に感情だけでなく、その論破の中に思い入れや思い過ごしを排除した「極め」の熱意が込められていなければなるまい。

 したがって、「こだわり」イコール「極める」ではないのである。
 こだわりとは一見「極める」にも通じるような錯覚を抱くイメージがあるが、実は、この勝手に推測されるニュアンスは、そもそも色彩だけでなく、音色さえも極めるとは大きく違っているのである。似ても似つかないものである。
 またニュアンス自体、日本人には一言で言い切れない難解な語句である。

 言葉の乱れは言霊の乱れであり、言霊の乱れは、言葉の原点である「光透波
(ことば)」を狂わせる元兇となる。
 「はじめに言葉ありき」が狂ってしまってはどうにもならない。
 この元兇がやがて、日本全体を滅びに導く暗示にならないとも限らない。
 言霊の乱れは言葉の乱れ。言葉は光透波である。光透波が乱れれば、その結果どうなるか、想像に難くないだろう。



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