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滅びに向かっている現代日本人 2


●天地がまぜまぜになる大激変

 現代人の昨今の狂気は、異常なものを感じる。
 敏感な人は既に気付いていようが、いま都会から、都会の喧騒
(けんそう)を逃れて、地方に引っ越す人が居る事だ。それも地方都市などではなく、山奥に引っ込んだ田舎に移り棲(す)む人が居る事だ。
 これはまるで、火事や災害に遭遇する前兆を感じて逃げ出す、あの鼠
(ねずみ)の感覚ではないか。

 人間が、日に日に増加し、物質的幸福を求めて一方に殺到すれば、他方は不平や不満が出るのは当たり前のことで、種々喧
(やか)しき問題が一挙に浮上して来るのは世の習いである。また、それが抑圧された者の生物としての心情反応である。

 こうした反応が顕われると、生物一般は、隣人に対する愛情を失い、利己主義に陥る。また共食いが起る事でも知られている。
 人間の場合は、獣欲が旺盛になり、不倫や不道徳の限りを尽くし淫乱へと傾いていく。こうした背後に、現代人の動蛋白信仰が絡み付き、食肉常食の「雑食」に益々拍車を掛けている。これが「食の乱れ」と「性の乱れ」である。
 マトモな神経の持ち主ならば、こうした人心異常に、直ぐに気付く筈
(はず)である。

 その意味で東京は、現代社会の典型的な縮図と言えよう。そこには動蛋白中心の外食産業が軒を並べ、その肉を喰
(く)らわせて食肉常習者に仕立て上げる。単に、肉常食者に仕立て上げるだけでなく、霊的神性を曇らせ、人格と品格の次元を低くさせて、霊的波調の粗(あら)いものへと作り替えてしまうことだ。

 また風俗関係の商売が、性の慰安を求めて徘徊
(はいかい)する獣欲家たちに、誘惑の魔の手を拡げて忍び寄り、隙(すき)あらばその人間ごと生け捕って包み込もうとしている。年から年中、色ばかりに狂っていると、その人間の霊的波調は粗(あら)くなり、霊的神性が曇らされる。こうした人間に成り下がってしまった者は、霊的波動までが低下し、大激変には相当な苦しみを受けるものと思われる。

 来るべき大激変は、これまでの人類の想像を遥かに上わることだろう。
 それは「立て替え」の為の新しき世を意味するからだ。魂の鋳型
(いがた)構造が、新しきものと取り変えられる為だ。霊的波調の粗い者は、その「移行」と「取替」において、構造上の「型違い」で苦しむであろう。此処に起る地球規模の霊的波動は凄まじいばかりだろう。

 物質界の低い次元と、霊的波調の粗くなっている人間は、この大激変に耐えられまい。
 霊的昇華
(れいてきしょうか)に辿り着けない者は、勘(かん)が鈍くなり、「見通し」が兇(わる)くなり、霊性が下がり、その肉体は滅ぼされ、淘汰されよう。
 天地開闢
(かいびゃく)以来の大激変が起るのだ。そこには人災や天災を含めた、「火」と「水」の試煉が待っているのだ。

大異変の前に必ず顕われる飛蝗(ひこう)。飛蝗はバッタ科のトノサマバッタやサバクトビバッタなどが、多数群飛して移動する現象である。

 広大な草原地帯で発生し、通過地域の農林作物は惨害を受けることで知られる。生息密度が低いときは群飛しないが、高密度になった世代では、形態上あるいは生理上に著しい変化が起っときに飛蝗化する恐ろしい昆虫である。

 もし、こうした昆虫が飛蝗化した時、日本列島も例外ではないだろう。
 飛蝗が飛蝗化する日、それは食糧を海外からの輸入に頼る日本の滅ぶ時かも知れない。

 既に今日までにも、陸地の大規模な冠水や侵蝕や、更には異常隆起が起り、その後の地軸の移動が懸念(けねん)されている。豪雨による大洪水、大型台風、大地震、大雷、大竜巻、そして飛蝗(ひこう)の異常大発生などの、ありとあらゆる大異変が、同時に、複数重なって発生する懸念がある。本来、「飢饉」というものは、複数が重なって起るものだ。

 喩
(たと)えば、昭和6年(1931)の世界的な異常気象の二年前の1929年(昭和4)10月24日には、ニューヨーク・ウォール街で「暗黒の木曜日」といわれる世界的規模の経済恐慌が起った。まさに昭和という時代は、不況で幕開けした時代であった。

 昭和の幕開けでの不況は、関東大震災が直接原因して、震災手形の処理問題で銀行は忽ち休業に追い込まtれた。昭和2年3月には、東京渡辺銀行の取付騒ぎが切っ掛けで、金融恐慌が起った。それに加えて昭和6年には、東北地方では冷害に見舞われ、大凶作となった。また、昭和7年には文部省調査で欠食児童が20万人に達したと言う。
 これは日本ばかりでなく、アメリカは旱魃
(かんばつ)の襲われ、不況は一層深刻なものになっていた。

 その他にも、中国・揚子江沿岸では豪雨による大洪水が起り、東欧や西シベリアおよびイギリスでは大旱魃が起り、ギリシア・アテネではバルカン半島の南端に位置しながら、この地方は寒冬地帯となり、異常気象で農業が大打撃を受けた。地球規模の異常気象と世界恐慌が重なり、その背後ではファシズムとニューディール政策で不況克服の模索が始まっていた。そして、日本の場合、世界大恐慌と異常気象が、満洲事変を起す要因となっていた。歴史は複数の事象が重なる事で、それを転機として急変するのである。

 そして、平成の今日、再び異常気象が起り始めている。異常気象は日本だけのものでない。世界的な規模で起っている。平成十九年の春、ニューヨークに寒気団が押し寄せて凍死者や、雪の害で事故死者が続出したのは、私たちの記憶に新しい。
 また、平成18年から19年の日本の冬は、暖冬現象が起り、極端に雪が少なかった。雪だけでなく、降雨量も少なかった。温暖旱魃かの傾向が見られた。そしてこの年の冬の雪不足は、同時に水不足を招いた。

 しかし、問題はこれだけで終らない。問題の中心は「飛蝗
(ひこう)」である。飛蝗は寒冷に弱い。大雪に見舞われるような、寒い冬が到来すれば全滅する。
 ところが温暖の冬が来るとどうなるのか。

 かつて中国では、蝗
いなご/バッタ科イナゴ属)が大発生したことがあった。
 地球が一時、温暖時期に入るということは、蝗を大発生させる危険がある。
 飛蝗は、バッタ科のトノサマバッタやサバクトビバッタなどである。
 この昆虫は9月頃に産卵する。地下7〜8cmの処に卵を産みつける。卵は越冬する。翌年の4月には第一齢の幼虫が地上に出て来るが、冬の時期に雪が降り寒冷であった場合は孵化
(ふか)しない。寒冷期に弱いと言う盲点があるからだ。その盲点に、寒冷気候が襲えば蝗は死に絶えるが、万一異常気象で暖冬なる冬が到来すれば、蝗は確実に越冬し、来春に大量発生する確率が大となる。冬に多くは死に絶える蝗が、越冬して生き残るのである。

日本の田畑から農作物が消える日……。それは文明の全滅を意味するものである。あるいは異常気象で、そう言う日が来るかも知れない。

 則(すなわ)ち温暖だと、暖かさに助けられて、越冬できる生息数が増える。そうなると翌年の4月頃には巨大な群れが一斉に孵化する。問題は此処にある。
 飛蝗は9月に産卵し翌年の春に孵化するのであるから、苗付け時期と収穫時期が一致してしまう。これが重なれば、農村は秋の収穫期に農作物の大打撃を受け、春から初夏に掛けての田植え時期に再び大打撃を受け、もし旱魃
(かんばつ)と飛蝗で東北地方が打撃を受ければ、潰滅(かいめつ)状態が発生するかも知れない。農作物は大打撃を受けるだろう。
 これは何も、今年だけの話ではなく、来年も、再来年もあるいはそれから先、ずっと飛蝗への警戒は怠れないだろう。

 飛蝗は、生息密度が低いときは群飛しないが、高密度になった世代では、形態上および生理上に著しい変化が起って飛蝗化する昆虫なのだ。それは知能的とも言える。こうした知能をもって農作物を襲うこともあるのである。
 では、何処が襲われるのか。

 まず蝗は本能的に知能犯的な能力が備わっている。他の昆虫と「格」が違う。その格の違いが、“いなご”を「飛蝗」と呼ばせたのである。空を飛ぶ、「皇帝」と考えていい。
 この集団に襲われると、惨害を受ける。この集団は広大な草原地帯で発生し、通過地域の農林作物を徹底的に食い荒らす。だからその行動は、並みの昆虫の比ではない。大軍を為すと言う、集団行動を特異とする。それだけに襲われれば恐ろしい。

 そして不思議な習性は、生息密度が低いときは群飛しないが、高密度になった世代では形態上・生理上に著しい変化が起こって飛蝗化するのである。猛威と考えていい。
 生息に、粗密も差が起こったとき、異常発生する。
 特に、密の場合には異常発生の予兆が起こる。

 これから検
(み)ても、並みの昆虫より格が、数段も高い。したがって襲撃する場所も、単に手当り次第ということではない。知能犯的である。惨害を与えることを特異とする。

 襲う場所は、農民が丹精を込めて作った野菜畑や、それに準ずるビニールハウスであろう。よく実ったところから、効率よく襲う。懸命で真面目で、かつ働き者の農夫がいるところから襲う。そういう農夫のいる農園は、いつも農作物がたわわに実っているからである。
 蝗は、ビニールハウスの纔
(わずか)な隙間からも侵入するのである。特異なる闖入者である。隙間があれば、丈夫な歯で喰い破り中へ侵入する。
 そして蝗から考えた場合、夏の野菜はほどほどに採れるし、また冬野菜もビニールハウスで自給自足的な賄いが可能な場所を狙うであろう。こうして狙われたところは、ひと溜まりもないだろう。
 これに天変地異などの大激変が重なれば、重大な事態を発生させるであろう。食糧危機と大異変が重なればこの惨状は大きい。

 そして、大激変のクライマックスは、大都会を襲う自然淘汰だ。都会人が殺される自然淘汰である。地方都市も、この洗礼からは免れようがないだろうが、大都会ほどではないだろう。都会は流通システムによって都会機能が運用されているが、一度食糧危機が発生すると都会の食料品店から、一気に食糧が消滅してしまうのである。

 現に東京などの夜の喧騒
(けんそう)に浮かれる大都市の霊的波動は日増しに悪くなっている。
 霊的波動がどす黒くなっている事に敏感に感知する人は、大都心を離れて、郊外に引っ込むか、地方の田舎に引っ越そうとする人が増えた。この人達は、大都会へ心惹かれる者の、淘汰される未来予知を察して、都会から離れようとしているのである。

 既に淘汰される側と、そうでない側が二分されたと見るべきであろう。
 大都会の夜の喧騒に惹
(ひ)かれ、こうした者に心を奪われている人は淘汰の憂き目から逃れられないであろう。一方、都会の喧騒に嫌気が差し、ここから離れる人は何とか生き延びよう。

東京名物浅草の浅草十二階は八階辺りからポッキリ折れてしまった。

東京のシンボル的な名物であった浅草十二階の陵雲閣一帯。

 こうして歴史の中から、大正12年9月1日、午前11時58分に発生した関東大震災の大地震を考えると、次回に起こる天変地異は、かつての大激変を上回る巨大なものである事が分かる。おそらく人間の想像の域を上回り、筆舌に尽くし難い阿鼻叫喚の大惨事が派生するだろう。
 そして物質文明の恩恵を受けている利己主義に趨
(はし)る獣欲家らは、彼等が持つアクやアカが残らず掃討され、淘汰されるであろう。魂が浄化されていない者は、悉(ことごと)く淘汰されるであろう。

 淘汰……。
 それは進化論で云う「自然淘汰
(natural selection)」と言う意味だろうか。
 生物はその進化の過程で、ある種の個体群を構成する個体間で、ある形質を持つ個体がそれを持たない個体よりも多くの子孫を残すことができ、然
(しか)もその形質が遺伝する場合は、その形質が後の世代により広く伝わるようになることを、かつてダーウィンが提唱したのである。

 形質遺伝する過程において、適応的進化が生じた場合、これをダーウィンは『自然淘汰説』と言う仮説を掲げたが、今日でもダーウィニズムは生物進化の主要な要素となっているが、この観念は仮説の域を超え、しんの科学的見地の立証面から果たして正しいのだろうか。
 またダーウィンが体系付けた、広く社会に浸透している現代文化などに影響を与えた進化論は、果たして現代の生き物が、原始生物から進化してきたものであるという仮説は正しいのだろうか。



●人間は進化しているのか

 チャールズ・ダーウィンCharles Robert Darwin/進化論を首唱したイギリスの生物学者。進化論の首唱により生物学や社会科学ならびに一般思想界にも多大な影響を与えた。著書に『種の起原』『ビーグル号航海記』がある。1809から882)の『生物進化論』が発表されたのは十九世紀後半のことだった。この発表は、思想的に広く広められ、特に日本においては進化論を信じる一般国民は多い。

 進化論を要約すると、生物が世代を経るにつれて次第に変化し、元の種との差異を増大して多様な種を生じてゆくという仮説である。また、その過程でその変化は複雑化し、かつ適応力に応じて高度化して行って、種類は益々増大するという進化ならびに発展の過程が論じられている。

 一方“社会科学”と題した項目からは生物進化論に肖って、スペンサーらが提唱した「社会進化論」が未だに主流を保ち、生物界の進化の観念が人間社会の適応力に振り当てられ、社会も発展の観念から、同質ものから異質のものへと変化し、末分化のものから分化したものへと一方方向的に進むとされている。これが社会進化論である。

 そして社会進化論は、一般に進化論の考え方に基づいて物事を説明する立場をとりつつ、自然や社会のみでなく、日常の精神生活にも進化主義が適用され、日常生活には、一方で単独的な精神主義が働いているという仮説が、しばしば用いられる。だが根拠はない。立証不可能な精神主義が働くとされている。

 時代の、時代区分という地質が気的テーマから考えれば、進化は寔
(まこと)に奇妙な語句であり、地質時代の生物の変化は、あくまで変化であり、更に違いであって、その違いによって時代区分が為されて来たと言ってよい。何処にも進化の足跡を見ない。したがって、地質学上では変化はあくまで違いであって、決して進化とは云わないのである。

 例えば、中生代は三畳紀、ジュラ紀、白亜紀という三つの時代に区分されている。
 また新生代は第三紀と第四紀に区分されている。そして時代区分を考えれば、地質時代の生物は変化しただけであり、またその変化によって違いが顕われただけである。決して進化したとはなっていない。

 更に言及すれば、地質学上の時代区分はダーウィン進化論が発表される五十年以上も前に、生物進化の思想無しで地質学で云う時代区分は為されていたのである。
 フランスの博物学者のラマルク
Jean Baptiste de Monet, chevalier de Lamarck/自然誌博物館教授。「フランス植物誌」を出版する。無脊椎動物学の開拓に努力したことで知られ、動物哲学などを説き進化論の先駆を為す。特に「ラマルク説」は有名。「用不用説」で知られる。1744〜1829)の生物進化論が発表されたのは1809年のことだった。
 ラマルク説によれば、生物は単純から複雑へと発展する傾向をもつ生き物であることを説き、また外界の影響や異変などによって用・不用による器官の発達や退化などが獲得形質として変化すると説いた。また同時にそれは遺伝すると論じ、これを進化の重要な決め手にしたのである。これが、かの有名な「用不用説」である。そしてこれはラマルク進化説の重要要素を掲げている。

 さて、1809年と言えば、地質学の世界では、ジョルジュ・キュヴィエ
Georges Cuvier/フランスの博物学者。「天変地異説」(Catastrophism/キュヴィエの説)で知られ、地球や生物の歴史に関する初期の仮説の一つで、地層の形成や化石生物を天変地異的な現象で説明する。斉一説や進化論に対する強い抵抗勢力であったが、19世紀には力を失い、ダーウィン進化論に席巻される。1769〜1832)や、後のアドルフ・ブロンニャール(Adolphe Brongniart/フランスの植物学者で古植物学では第一人者だった。「古植物学の父」という評価を得たことでも知られる。1801〜1876)が地層と化石の研究をして活躍した時代である。
 しかし、当時としてはキュヴィエや、その後のブロンニャールの進化論は殆ど認められなかった。嘲笑さえされ、無視されたのである。
 またキュヴィエ自身は進化論には大反対だった。更には進化論は、地質学者も反対の立場をとり続けた。

 つまり、地層から出て来る化石が、地層の時代によって違うことは、別に生物が進化したからではなかったからである。生物は、ただ変化しただけであり、進化の足跡は認められなかったからである。このため地質学者は進化論には反対の異を唱えた。
 更に言及するれば、別に生物の進化を仮定しなくてもその変化や違いは地質学上からも説明出来るからである。
 当時としては、キリスト教の影響が強く、一つの時代が終わった時、神が前生物を死滅させた。それにより次の時代の新生物が登場したと考えてもいい訳だったからである。

 学問には、詳細なデータが必要である。
 だが、詳細なデータは集めるだけでは学問にならない。蒐集の域で終わる。
 学問の骨子となるのは、理論が必要であり、その理論は仮説を含んでいなければならない。つまり、仮説とは一定のものの考え方であり、だが一方で仮説が一般的な考え方を覆したり、新しい物事の思考を一新させることは難しい。
 更に言及すれば、学問の実際として、データーを蒐集する働きと、理論を紡ぎ出す働きとは全く異なることである。

 地質学上の歴史から振り返れば、十九世紀に懸けて地質学者は地層による化石の違いに憑いて詳細なデータを蓄積した。
 だが一方で進化論は、独自の論理を首唱し自動的に天から降って、湧いて出た訳ではない。
 キュヴィエのような才能に富んだ植物学者さえ、またラマルクの進化論さえ、ダーウィン進化論は押し潰して、遂に社会にまで影響を与えた挙げ句、ここに社会科学と言う新語まで生まれたのである。

 更に今日の現代人を考えると、人間は有史以来、特に新しい時代の事や新しい人類のことについて殆ど理解していない。古い時代ほど知識として知っているが、近現代史などは殆ど分らないでいる。
 例えば、歴史を検
(み)るうえで、奈良時代と昭和の時代を比べてみて、現代人は奈良時代のことを知識として詳しく知っている。ところが昭和・平成となると、どれほどの人がそれを知っているだろうか。

 これは地球の時代や歴史についても同じことが云える。
 地球の歴史について、例えば新生代のことは昔から比較的に知識として知られていた。
 古生代を第一紀、中生代を第二紀と呼称し、新生代を細かく区別して第三紀と第四紀で別けた時代区分がある。かつて地質学ではそう言う時代があった。
 そして今日でも、第三紀と第四紀という言葉だけが、地質学では遣われている。
 更に古い時代のことは、よく解らないと言う事情は古生代より以前になると、極端に解らないことが酷くなる。

 だが、古生代の中でカンブリア紀の地層には、化石が一番多く含まれている。その顕著な現れが、その下に堆積された古い岩石である。その岩石の構造は、花崗岩や変成岩であることが多い。更には変成してない水成岩の地層であることもある。そして、変成岩の地層の中では、全くと言っていいほど化石が出ないのである。
 化石が出ないのではデータの収集が出来ない。したがってこの時代の地質学者は、何と「太古代」と名付けたのである。意味としてはカンブリア紀より古いとするものである。化石の出ない時代の岩石など研究しようがないからである。

 一方詳細なデータを蒐集することの出来る、解り易い時代の地層研究に集中するようになる。いつの時代も研究者は研究し易く、解り易く、研究課題として道の開けている方に殺到する。
 だが、現実問題としてカナダやフィンランドの国土の大部分は太古代の岩石によって出来ている。その国の研究者は、研究し易い課題だけに挑戦することは出来ない。彼等は解らないことに挑む。

 ところが日本の研究者は、例えば先カンブリア時代の地質研究を、古い方を“無生代
(大古代)”として呼称し、それより新しいものを“原生代”と呼ぶようになった。言葉上は“無”と“原”の違いである。そして更には、太古代と思い込んでいた方にも「生物が居たらしい」と言う兆候が見つかると、今度はそれを“始生代”と呼ぶことになった。立証を言葉ですり替える。

 水成岩の地層では、生物が居たとしても多くは酷く変形し、また変成作用を受けて、どういう順番により地層が重なっているかが不明である。そして多くは堆積順の根拠がない。立証不能である。
 それなのに研究者の発する、挙
(こぞ)って口にする立証不能な気分だけの、そういう言葉だ一般人を洗脳して“科学的”という言葉だけが一人歩きをしているようだ。そして仮説はいつの間にか、科学的と云う言葉に推(お)されて、“現代の常識”になる危険すらあるのである。大半の現代人が科学的データを信用するのは、この為である。

 生物変化の過程で、その違いが顕著になるのは、先カンブリア紀である。この時代の定義付けは、「先カンブリア紀時代観」の変更でもあった。この時代観に転回が見られる。何故なら生物はこの時代に目覚ましい変化があったからである。それゆえ重視された時代でもある。
 先カンブリア時代のことを、時代区分として“先カンブリア紀”と呼称する人は多い。
 そして「紀」というのは、カンブリア紀とか、オルドビス紀
Ordovician Period/古生代のカンブリア紀後、シルル紀前の時代で、約4億9000万年前から4億4000万年前までをいう。甲冑魚類が出現し、筆石類やオウムガイ類が繁栄した地質年代)とか論ずるように、地質年代に一つを呼称し、古生代、中生代、新生代などの各々を細分したときの小分けた時代区分のことである。

 ちなみに先カンブリア時代のほぼ詳細な推定の長さが証明されたのは、二十世紀に入って放射性元素によって鉱物の年代測定が可能になってからである。
 爾来
(じらい)、従来の考え方が大変な誤りであったことが解り始めたのである。1950年代以降のことである。
 そして、この事から解ったことは、先カンブリア時代は古生代から現代までの長さの約5倍以上もある事が解り、この時代の長さは地球の歴史の半分を占める重要な時代であったと言うことになるのである。

 更に、地球の歴史を思えば、この時代に、地球上に大陸や太洋が出来、また今日のような大気が出来たと考えられている。海の中では生命が発生し、そこで変化して行った。様々な異種が生命より派生した。この変化を、今日では“進化”と呼ぶようだ。
 ところが、変化と進化の違いには要注意。変化を、安易に進化と捉えてはならない。

 また先カンブリア時代の大きな特徴と他の時代との違いは、地球は初期ほど火山活動が烈しく、変成作用が強かったと言うことである。だが、これ自体も一つの仮説である。

 人間の一生は、長生きをしたとしても高々100年程度である。
 一つの家系で、親から子へ、また子から孫へと三代合わせても、家系的に見た系図上の長
(おさ)としての権限は100年を僅かに超える程度である。日本では、戦前まで存在した家長と言う制度の中である。いわば家長である。
 だが、100年も時代を重ねると、古いことは大抵の場合、解らないと言うのが普通である。

 したがって、人間が単に空想した場合に考え付く長い時代と言うのは、この「100年経と殆ど解らない」というのは普通である。
 現代においても100年間と言う時代はとてつもなく長い時間のように思われる。

 十九世紀後半、「ダーウィン進化論」は華々しくこの時代の登場し、世界を席巻し、その果てに社会科学なる物まで作り出した。一つに仮説による創出である。
 同時代には、キュヴィエの『天変地異説』も登場した。



●天変地異説

 地球の歴史を地質学的に見て行くと、例えば造山運動である。
 高い山の上にも、かつて海の底で堆積していた水成岩がある。
 水成岩は堆積岩の一種だが、岩石の砕けた砕屑
(さいせつ)粒子や粘土、また生物の遺骸などが水によって運ばれ、または水中に堆積し生成したもので、この岩石は堆積岩の大部分を占めている。
 更に水成岩に注目すると、山頂に海の生物の化石が発見されることがある。

 この時代のことを思えば、どういう作用によって海底がどんな現象で押し上げられたのだろう?……という疑問も生じて来る。途轍
(とてつ)もない力が加わらねば、こうした強力現象は起こらない。
 この場合に造山運動は、何らかの作用に対しての反作用であると考えられるが、反作用を齎した作用はどういう作用であったのだろうか?……。

 また、この時代、地球上には恐竜とか魚竜と言った巨大生物が蔓延
(はびこ)った時代である。巨大爬虫類が蔓延った時代、その時代を我が物顔に闊歩(かっぽ)したであろうが、史上最強を思わせる巨大なる爬虫類は、またそう言う理由で絶滅したのであろうか。
 これについて、種々の仮説が提起されているが、しかしそれを正確に立証出来るものは、単なる仮説に止まらず、あるいは参考意見程度のものが多い。

 十九世紀、地質現象を説明するのに「天変地異説
(てんぺんちい‐せつ)」と「斉一説(せいいつ‐せつ)」があった。
 そして「斉一説」は、地質時代の地学現象も現在の自然に見られる現象と同じであったとする考えで、以前の十八世紀末にハットン
James Hutton/スコットランド人の地質学者で、マグマ活動を重視して火成論を展開した提唱者。1726〜1797)が提示し、ライエルCharles Lyel/イギリスの地質学者で、ハットンの考えを「斉一説」として確立、「地質学原理」を著し、ダーウィンの進化論成立に影響を与えた。1797〜1875)が確立した仮説である。

 また天変地異説は、既に述べたがキュヴィエの十九世紀の仮説で、この仮説によれば、天変地異によって世界の生物がほとんど絶滅し、残存生物が新たに世界に広がったとする論が挙げられ、後に天変地異ごとに神によって新たに生物が創造されるとも唱えられ、生物進化論と対立した因縁の経緯をもっている。
 天変地異説を「カタストロフィー説
catastrophe theory/カタストロフ理論)」ともいい、力学系では分岐理論の一種とされている。不連続な現象を説明する場合に多く遣われ、カタストロフィーとは周期的な秩序だった現象の中から不意に発生する無秩序な現象をいう。

 さて、カタストロフィー説によれば、太古の地球では現在の地球には見られないような烈しい異変は度々繰り返され、海の底が高い山になったり、巨大生物が絶滅したと言う考え方に基づき、カタストロフ理論は地質現象を説明し、当時は画期的な理論として注目を浴びたが、またその真偽は大いに議論された。
 この論理を提唱したのはルネ・トム
Rune F. Thom/フランスの数学者で1958年、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞。またコボルディズム理論を創始者。その功績はトム空間、トムの横断性定理、特性類、特異点理論、葉層構造論、力学系、ホモロジー、ホモトピーの研究の基礎を築き上げた偉大な数学者だが、後年は数学よりも生物学や哲学に興味を示す。1923〜2002)の『構造安定性と形態形成』であった。

 現象界ではある日突然、いろいろな現象が起こる。
 例えば、大正12年
(1923)に起こった関東大震災を考えてみればいい。
 九月一日午後11時58分、相模トラフ沿いの断層を震源とする関東地震
(マグニチュード7.9)による大地震が起こった。関東大震災である。

 これからも分るように地球は生き物であるということが理解出来る。一つの生命体である。
 この大震災では、南関東では当時の最高震度で「進度」が記録された。被害は死者・行方不明者を合わせて10万5千名余りに及び、住宅も全半壊で21万余り、焼失も21余に及んだ。これに京浜地帯は大打撃を受けたのである。

 そうかと言えば、造山運動である。
 造山運動は陸上の大山脈や弧状列島の地質構造をつくる機構をいい、プレート収束帯における付加・衝突作用を含む地殻変動、火成活動、変成作用すべてが含まれる。また稀
(まれ)に山脈形成の隆起運動だけを指す運動を云う場合もある。
 造山運動の起こった地帯を「造山帯」という。
 造山帯は一般にプレートの境界に沿う帯のことで、2億年前以後から現在までに活動した造山帯は、環太平洋造山帯とアルプス・ヒマラヤ造山帯である。

 かつてアトランティスという文明国があったという。この文明国では、種々の果樹や香料などが満ち溢れ、此処に住む人々は殆ど衣食住に困らない快適で便利で豊かな生活をしていた。
 国王の住む巨大な都市があって、神殿にポセイドンを祀り、その周りにも神殿や宮殿があったと言う。人民の民家も文化的で豊かであり、快適で便利でという言葉に付きたと言う。

 ところが今から1万2千年前ほど、ある日、地震と大噴火が起こり、一夜のうちにこの文明国は大西洋の海底に沈んだと言う。この有名なプラトンの『アトランティス伝説』も、考えれば天変地異説の示すところである。
 繰り返すが、天変地異説を唱えたのはキュヴィエである。十九世紀の仮説であり、これはダーウィン進化論と対峙
(たいじ)している。ほぼ同時代の仮説どうして、双方は今もなお反目し合っている。あるいはキュヴィエの方が進化論に推され、退けられている観が強い。

 キュヴィエは地層の中に出て来る様々な化石が、まず現在の生物と違っている事に非常に驚いた。それを証明する為に彼は、これまで神は、神の手によって、何度も天変地異を起こされ、大部分の生物は死滅し、その後に新しい生物を造られたと提唱したのである。

 つまりキュヴィエは生物の進化は認めないで、地上の作り替えが行われたとする天変地異説を提唱したのである。彼は天変地異説として1826年から30年までの間、数カ国語に訳され多くの版を重ねて地質学界に広く受け入れたれた。
 天変地異説で説明の付くのは、例えば「ノアの方舟」もそうであろう。

 キリスト教神話の中では、ノアはアダムの十世の子孫である。その頃、人間は墜落していた。この墜落は現代にも当て嵌まるようだ。
 人間の墜落に神は大いに立腹され、四十日四十夜、大雨を降らせた。地球上全体を大洪水で襲わせたのである。そのため地球上の動物の大半は滅んでしまったと言う。

 これを事前に聴いたノアは、神の云われるまま方舟を造った。妻子や家畜とともに方舟に乗り、洪水の上を漂流したとある。
 やがて水が引いた。
 方舟はアララットの山頂に漂着した。
 アララット山はトルコ共和国の東端にある標高5,137mの山であり、またこの山は成層火山である。『旧約聖書』に出て来る有名な山である。ノアの方舟が漂着したとされる山で、山の命名は十二世紀ヨーロッパ人によってなされた。

 現在のアララト山頂から発見された古い時代の木の化石や、そのほか航空写真から見出だした方形の船の跡らしいものをノアの箱舟の痕跡だとする主張者も居るが、その言の殆どは眉唾物として一蹴されているのが一般的である。科学的ではないと言うことである。
 現代と言う時代は、科学的でないと異端視され、軽蔑されるのは一般的であるようだ。

 またキュヴィエの時代、ノアの洪水を妄信的に歴史的事実だと信じる人は多かった。また同時に、キリスト教神学の正しさが一時的に認められ、これが科学的な根拠を与えたと看做された。
 更に、キュヴィエ自身も、今から数千年前に起こった事実であると考え、キリスト教会的な思考と一致していた。
 ところが科学的と云う言葉が連発される現代の世にあっては、地球上の変化を神の起こされた天変地異の所為にするのはあまりにも非科学で、学問的な説明にはならないと一蹴されるのがオチであるようだ。
 これに、どうしたら学問的な説明が付けられるか苦慮したのが、ハットンの一斉説
(ユニフォーミタアニズム)である。



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