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陽明学入門 22

貧して楽しむ。貧しくとも、人生の楽しみ方はいろいろあるのである。
 貧乏であろうとも貧しさを恥じず、むしろ貧しさを卑しくすることこそ愧じとなる。そういう「愧じ」を赤貧という。徳なき愧じのことである。



●貧乏問答

 『論語』の中には、孔子と子貢との「貧乏問答」なるものがある。
 子貢が孔子に、「先生、貧しくとも卑屈にならず、人に諂
(へつら)ったりしない。また、金持ちになっても威張るところがない、と云うのはどうでしょうか」と孔子に訊(き)くと、孔子曰く「悪くはないが、貧しくとも道を楽しみ、富んでいても礼を好むというのには遠く及ばないことである」と子貢に説いた。

 つまり、貧富に心が揺さぶられないことを指摘したのである。
 これは取りも直さず「貧して楽しむ境地」を教えているのである。
 また『酔古堂剣掃』には、「貧にして客を享
(もてな)す能(あた)わず。而(しか)も客を好む。老いて世に狗(したが)う能わず。而も世に維(つな)がるるを好む。窮して書を買う能わず。而も奇書を好む」とある。
 貧士の客好きを論じている。

 また、この種の客好きは、金のないくせに無闇に来客者に酒を呑ませたり、ありったけの食糧を出して持て成し、且
(か)つ議論をしたがるものである。それが、また実に楽しいものである。
 呼ばれる方も楽しく、呼んだ方も嬉しくて仕方ないのである。こうして、同じ心を持った連中が挙
(こぞ)って、貧士の家に押し掛けても来る。
 このように人が集まってくる家は、未来展望として「栄える暗示」がある。人が集まる家は、栄える暗示があるのである。

 然
(しか)も、こういう家の女房と言うのは中々よく出来た人で、来客貧乏になりながらも、一生亭主と苦労することを厭(いと)わない。それを覚悟に貧士の女房を勤めている。見上げた覚悟と言うべきであろう。
 それは、亭主と一心同体になって二人三脚で、人の喜ぶことを知っているからである。
 そのうえ自分達のことは後回しにする。決してマイホーム主義ではない。ここに栄える暗示がある。こういう家は、やがて天の富貴が味方するであろう。

 亭主は亭主で、老年になってこの方、遊楽習道風見で、益々世間とは逆行し、風流を好み、時代に取り残されている現実を振り返り、見るもの聞くもの全く面白くない。そのくせ白眼超然としておれない。なぜか捨て置けないのである。
 あっさりと世捨人になって隠遁すればいいものを、世の中の不条理が何かと癪
(しゃく)に障る。
 そう言う人物に限り、金でも持たせたら最後、有り金を叩
(はた)いて奇なる本を買ってしまうのである。
 人を持て成し、且つ老いて学ぶことを忘れない。

 『酔古堂剣掃』には、そのことを挙げており、そうでなければ、つまらない男というのである。
 更に本来、一廉
(ひとかど)の人物と言うのはそうした人であり、この奇人振りこそ面白いと言っているのである。

 また『大学』には、「徳は本
(主)なり。財は末(従)なり」と出ている。
 本とは本流のことであり、末とは後から蹤
(つ)いてくるものというのである。利益は目的でなく、単に結果であると言うのである。世の中の役に立つようなことをすれば、その貢献度に応じて、それに相当する報酬が社会から齎される。それが利益だと言うのである。
 社会への貢献度に応じて齎されるものが利益である以上、それは確かに結果であって目的ではない筈だ。

 財は、その人の徳によるというのである。自然に集まるものというのである。そのためには先ず徳を知り、徳を積み、財に励むことはその次であると言うのである。徳が養われれば、財は後から押し寄せてくると言うのである。
 したがって、財を集めるには、変な苦労をして集めなくても、まず徳に心掛けよとある。財は末であると教える。徳があれは、財は後から勝手に蹤
いてくると言うのである。

 ところが、現代の世は本末転倒している。
 多くの現代人は野心をぎらつかせて、最初に財を集めることに懸命になる。徳に心掛けることなど微塵
(みじん)も思っていない。徳を無視した生き方に励んでいる。
 では、懸命にして財を集めたとしよう。
 だが、この財は、あの世にまで持って行けない。物財はこの世限りであり、老いて財を追うのは、その行為自体に無理があると言う。
 これは換言すれば、財の本質を知らないためであろう。あるいは金銭哲学や物財蒐集の根本を理解していないからであろう。

 財を求めたり、富を追うことは、決して悪いことではない。人なら、誰もそう考える。
 だが、それを得る自らの行動規範にこそ問題がある。
 『論語』に「子曰
(し‐のたまわ)く、富にして而(も)し求む可(べ)くんば、執鞭(しつべん)の士と雖(いえど)も、われまたこれをなさん。もし求む可からずんば、わが好む所に従わん」とあり、これを一般的に解釈を加えるならば、「富を求めることが私にも出来る世の中であるならば、私は如何なることをすることも厭(いと)わない。しかし、もしそうならなければ自分の好きなように人生を生きる」という意味になろうが、これでは実に孔子らしかなぬ。
 その意味はもっと深いところにある。

 何しろ、孔子は後世の人達から「聖人」と言われた人である。表面的解釈だけで、言葉の背後に隠れる有機的な隠れた部分を見逃しては、真意は伝わって来ない。隠れた部分を見抜くべきである。
 それはまさに『易経』を読むが如しである。
 宋代の大詩人で蘇東坡
そとうば/唐宋八家の一人で書家でもあり、名は蘇軾(そしょく)という。蘇東坡は居士。父の洵じゅん、弟の轍てつとともに三蘇と呼ばれるが、王安石と合わず地方官を歴任、のち礼部尚書に至る。1036〜1101)は、この部分の解釈を、このように註釈している。

 「孔子は富を求める意志はそもそもない。元来そういう人である。
 求めるとかそうでないとか、そう言うことは問題にしていない。また然
(しか)るに、富はそう簡単に求めることが出来ないことも明らかにしているが、それを求めたからと言って、否定できるものでない」と。

 つまり、「富貴は天にあり」を言い表しているのである。
 ゆえに富の否定は、決してしていないのである。有ったら有っていいし、無いなら無いでいいのである。それは総て、天が決めることとしている。

 現にこれを認めることを弟子の子貢
(しこう)が商売していることについて、このように述べている。
 「子曰
(のたまわ)く、回(顔回)や其(そ)れ屡々(しばしば)空しきに庶(ちか)し。賜(子貢)は命を受けずして貸殖(かしょく)す。億(はか)れば則(すなわ)ち屡々中(あた)る」と。

 註釈を加えるならば、「先生は言いました。顔回は年中貧乏暮しという。また子貢は
命ぜられなくとも、金儲けに熱心である。商才に長けている。
 金に関して言えば、彼の経済情勢の見通しは正確で、理財の才があるから大抵の予見は的中する」というところであろうか。
 金銭を張って、博奕などの賭け事をしても子貢は目端
(めはし)が利くから強い人なのであろう。また気転が利き、金勘定が早いから頭の回転も早い人なのだろう。それだけに理財の才がある。

 顔回と子貢……。
 同じ孔子の弟子でありながら、この極貧の者と富豪者の差は一体何処にあるのだろう。
 子貢が大金持ちであるならば、極貧の顔回を支援しても良さそうなものであるが、それを子貢は敢えて行っていない。また顔回もそれを需
(もと)めていない。
 両者の貧富の差は天地ほども開いているが、それを双方とも全く気にしていないのである。

 貧富は天にあり……。
 一つの天命論であろう。
 それに従えば、貧富は天の定めるところにあり、これを人間側が意図的に金銭に関する我田引水を企んだところで、どうにもなる訳でない。それは天が決めることであるからだ。
 金銭に縁があれば身に付くし、無ければそれまでである。

 ただ、経済的不自由は、決してよくないのである。
 金銭的に二進
(にっち)も三進(さっち)もならない状態になるのはよくないのである。自らの食扶持(くいぶち)は、自らで、自力で、自前で賄(まかな)わねばならない。他人に頼ってはならない。他人を宛てにしてはならない。他人から面倒を見て貰ってはならない。
 何事も自前主義である。経済的なることに、孤軍で奮戦し、援軍を求めてはならない。これでこそ自己が確立される。毅然とした自己が保たれる。

 自前主義に徹するには、まず自立する必要があり、自分の脚で立つことである。自分の脚で大地の上に立つことである。それに援助を求めてはならない。
 親兄弟の面倒になって、側面から援助してもらうような生き方は、やがては身を滅ぼす元凶になる。むしろ後から追ってくる元凶の反動の方が恐ろしい。自分の今の現状を知らなければならない。自分を大きく見せ掛けてはならないのである。そう言うことをすれば、必ず反動が起こり、それは反作用となって顕われる。
 自分の等身大の大きさを知らないからである。

 自分の甲羅
(こうら)に併せた生活が大事であり、無理して背伸びして、自分を等身大以上に見せ掛ける生活をすれば、忽(たちま)ち経済的不自由に陥ってしまうのである。

 俚諺
(りげん)に「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と言うではないか。
 人は自分の、分相応の考えや行いをするものなのである。
 その、等身大の自分の大きさを知り、それ以上に贅
(ぜい)を需めないことである。自分の等身大を知り、分相応を知ることである。これさえ自覚的ていれば、経済的不自由には陥ることはない。

 経済的不自由に無ければ、また貧乏も良しであり、貧乏の中にも人生の楽しみは幾らでもあるのである。貧しき中にも、人生の楽しみ方は幾らでもある。
 わが甲羅大に併せて穴を掘れば済むことである。等身大以上に穴を掘る必要はない。身に過ぎることはよくないのである。

 更に孔子は言う。
 「子曰
(のたまわ)く、篤(あつ)く信じて学を好み、死を守りて道を善(よ)くす。危邦(きほう)に入らず、乱邦(らんほう)に居(お)らず。天下道有れば則ち見(あら)われ、道無ければ則ち隠(かく)る。邦(くに)に道有るに、貧しくして且(か)つ賤(いや)しきは恥なり。邦に道無きに富みて且つ貴(とうと)きは恥なり」

 要約すれば、確固たる道のあることを信じて学問を好み、命を掛けても道を全うする。これで死んだとしても悔いはない。そう言う覚悟で学問に励む。
 だからこそ、亡びかけた国には行かず、乱れた国も敬遠し、そうしたところには行かない。

 さて、富貴は天にあり……。
 この言葉をもう一度復習すると、天下に道があるならば出世はするが、そこに道がなければそれを避けて世の中から隠遁する。国に道が行われているのに、貧しくて経済的不自由に陥っているのは実に自身の努力不足で恥であるが、他方、天下に道が行われていないのに、何者かは富んでいて、何者かは卑賤
(ひせん)で居て、かつ能力がありながらも、それが低く抑えられて貧困で喘(あえ)いでいるのは、それこそ恥であるというのである。

 また、人は一様にして、誰もが富と高い地位や名誉を欲しがるものである。それに男ならば絶世の美人を妻に求めたいし、妻以外にも美女と床を共にしたいと願望を抱くものである。取り巻きはいつも美女で飾っておきたい。多数を相手にしてハーレムを作りたい。世の男どもの願望であろう。
 一方女性であっても、この逆の立場を望み、亭主もハンサムで、金持ちでスポーツマンで、高学歴で日本でも最高峰の学閥出身者で、取り巻きも美男群を侍
(はべ)らせたいことであろう。

 そして、これらの願望が正当な方法で適
(かな)うのであれば、それには文句は付け難い。
 あったとしても悪いことではあるまい。
 ところが、これらが不正な方法で適うのであれば、それは避けなければならない。

 正しい政治が行われ、世の大半の人がそれなりに生活ができていて、自分一人が極貧状態にあるのなら、それは自分の金銭哲学や経済感覚が狂っているのだから、当然そこには反省箇所があるだろう。それを改めて奮闘努力すればいい。それにも関わらず、極貧を強いられるのは、そもそも自分の生き方や考え方、あるいは金銭に対する哲学が間違っているからである。
 金銭を卑しむべきものと解釈してしまえば、金や物は忽
(たちま)ちのうちに逃げて行く。

 しかし、そうではなく、大勢が欠乏状態にあるのは正道が間違っているからで、ここに問題点が多くあると検
(み)ているのである。
 そのうえ貧富の差が大きくなり、持てる者とそうでない者との格差が極端に開いている場合は、特に危険であるから「悪
(にく)むところなり」としているのである。
 この「悪むところ」は、「恥」と同義なのである。

 富そのものは決して否定も肯定もしておらず、一方貧していることも否定していないのである。
 だが、それを手に入れることが出来るか否かは、天にあるとしつつも、また当然なる行いや思考によって、貧乏になるようなことをしておいて、政治が悪い、社会が悪いと悪罵
(あくば)をつくのは、少しも立派でないと言うのである。

 これは同時に、不正なる行いによって富を得ることも立派でもないとしているのである。
 正道が行われているのに貧乏になるような思考を抱いて行動し、極貧状態にある。また正道の網をかいくぐって不正を働き、それで富を得たとしても、その両者は大いに恥ずかしい限りであるというのである。
 此処には、恥の概念が二つある。
 一方は、行いや思考が間違っているために起こる「極貧という恥」と、もう他方は「不正を働いて富を得た恥」である。

 恥に絡んで、孔子の次の一言が光っている。
 「子曰
(のたまわ)く、疏食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。楽しみまたその中に在(あ)り。不義にして富み且つ貴(とうと)きは、われに於ては浮雲(ふうん)の如し」(述而)とある。
 疏食とは、粗食で言う粟飯
(あわめし)のことであるが、この一節の説明は無用だろう。

 私は、日本が戦争に負けて終戦直後に生まれた子沢山時代の団塊の世代であるから、子供の頃はいつも何処から腹を空かしていた。
 当時の典型として、幼心に刻み付けられた戦後の何年かは、「胃袋の時代」であり、何でもかんでも食べて飲んで胃袋を満たすのが第一だった。そしてそれが終わったかと思えば、今度は「高度経済成長の時代」が遣って来た。

 しかしこの時代、その恩恵に預かったのは一握りの金持ちだけだった。私のような貧乏人の小倅
(こせがれ)には、そのお零(こぼ)れは廻ってこなかった。親は極貧生活者でなかったが、やはり空きっ腹を抱えた時代であった。
 その時に流行した言葉が、総理大臣の池田勇人が口にした「貧乏人は麦を食え」だった。
 この言葉に日本中が非難囂々
(ごうごう)となった。特に左翼陣営からは風当たりが強かった。

 果たして貧乏人は麦を食えは、格差社会の幕開けだったように思うのである。
 この時代から日本人は高度経済成長の恩恵を浴びるようになるが、同時に、貧乏人と金持ちの格差が開いた起点であったかも知れない。
 先の大戦に敗戦し、終戦直後から昭和三十年代の高度経済成長に至るこの数直線には、確かに貧乏人の上に君臨する金持ちは居たが、また日本映画ではそう言う筋書きが確かにあったが、映画を見る庶民も、「あれは作り話のシナリオで実際にはあり得ない」ということを承知で見ていた。

 ところが、格差が顕著になり始めたのは、東京オリンピックの頃からだったと記憶する。
 この頃から、「金持ち」対「貧乏人」の格差が生じ始めるのである。
 こういう時期に、時の首相の池田勇人は「貧乏人は麦を食え」と、国会で堂々と発言したのである。
 この発言が当時問題になった。

 だが当時、私は小学生であったが、「貧乏人は麦を食え」という池田発言が、今考えても間違っているとは思わない。あの発言を非難する方が間違っていると思うのである。
 貧乏人が麦飯を食い、喰うことで麦飯が不味いと思うのなら、米飯を食えばいいのである。米の飯が喰えるように努力すればいいのである。
 そのうえで、どう努力しても米の飯が喰えないのなら、麦飯の中にも喜びがあり、それで我慢して、麦飯のよさを自分で発見すればいいのである。麦飯にも白米とは異なる良さがある。
 その努力も、発見もすること無く、頭から「貧乏人は麦を食え」発言を否定して、これに非難囂々とは言う方が理不尽である。

 現代人の生活を考えると、一応衣食足りてそれなりの生活を送っている人が多い。少なくとも、今日の日本では飢えて死ぬ人は居ない。栄養失調すら居ない。
 それでいて、生かされていることに感謝する人も居ない。何故だろう。
 また、これに「住」を加えれば、現代の世は、それなりに「衣食住満ち足りて」という時代であろう。

 ところが、「衣食住満ち足りて」というこの時代は、残念なことに科学万能主義の上に成り立った生活であり、確かに科学的と称する時代にあって、便利で豊かで快適な生活はしているが、しかしそれだけのことである。
 また、「それだけ」のことだから、礼節を知らない恥知らずも殖えたのだろう。

 衣食足りて礼節を知るという。
 『管子牧民』には「倉廩
(そうりん)(み)ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る」とある。民は、生活が豊かになって初めて、道徳心が高まって礼儀を知るようになると言う。
 また、衣食足りて栄辱を知るとも言う。
 栄辱とは、栄誉と恥辱の意味だ。辱
(はずかし)めを敏感に感じると言うのである。
 ところが、現代はどうだろうか。



●恥意識の喪失

 現代人は恥辱に敏感だろうか。恥を知っているだろうか。
 そういう敏感さは失われてしまったように思う。
 更に突き詰め、現代人の行動律に、恥に対する名誉意識があるだろうか。
 人間は、人それぞれに自分なりに自尊心を持っている。一寸の虫にも五分の魂である。自身で、誇り高くありたい、そして毅然とした態度が示したいという願望は、誰にもある。

 かつての日本人は、人に笑われることを嫌い、侮辱されることを拒
(こば)んだ。
 これは背景に、何事も毅然とした態度で臨みたいという誇り高さが存在したからだ。
 また、侮辱を受けることは、自分自身の人格の否定でもあった。
 恥の意識がある人は、卑怯者とか、腰抜けなどと侮辱さされれば、これに対し、何らかの形で刃向かったものである。

 また、江戸初期には、上意討ちの場で、自分に向けられた処分や申し渡しに不服である場合は、手向かうことが許されていた。
 殿中の大広間で、重役達の居並ぶ中、処分等についての言い渡しに不服がある場合は、上役に対して討ち果たしても構わないことになっていた。
 そして処分や、重役達の意見や発言に納得いなかい場合は、充分に説明を受けた上で、それでも釈然とせぬ場合は、腰に帯びた脇差を抜いて、斬り掛かることが許されていたのである。
 ゆえに武士は、ひとたび御目見
(おめみえ)えで登城した場合、身分や家柄に関係なく、殿中でも脇指の帯刀が許されていたのである。何処の場所でも、誰の前でも脇差帯刀だけは許されていたのである。

 身分の上下に関係なく、不服のある場合は脇差を抜いて斬り掛かることが許されていた。これはよく考えると、恐ろしいほどの武家社会の規範であった。武士は、常に死と隣り合わせであったと言えるだろう。
 その場合、相手が譬
(たと)え主君であってもいいことになっていて、敢えて刃向かうくらいの意地を見せて自分の全人格を前面に打ち出していたのである。
 これこそ、「見好い態度」というべきであろう。そこには微塵
(みじん)も醜さが感じられない。
 そういう態度こそ、大いに評価されていいのである。これが当時の武士の気風でもあった。

 この誇り高き気風を持ってすれば、主君とて、家臣の武士を気に入るような素振りをしたり、そうした態度や媚びるような発言をすれば、今後は逆に家来から、武士の風上にも置けない卑屈な姿として見透かされ、主君と雖
(いえど)も真剣勝負の場に立たされていたのである。
 昨今の映画やテレビ時代劇で見るバカ殿とは大違いであった。バカ殿のポーズは後世の仮託である。

 登城すれば、家柄や上下の身分に関係なく脇差の帯刀が許される。この為来
(しきた)りは、まさに脇差帯刀の面で、人間の平等を見る。
 今のサラリーマン社会とは大違いである。実に自由であり、またこうした面では平等であった。
 その象徴が脇差帯刀であり、それは刃向かう場合の唯一つの象徴であった。
 この、自由と平等を履き違えない限り、当時の武家社会は正常に機能していたのである。

 特に武門の行動律は、恥辱に対する感覚の敏感さで、当時に四民
(士農工商)の中でも頂点に立っていたのである。そして侮辱されれば、「武士の一分あい立ち申さず……」と言って、腰刀の鯉口(こいぐち)を切ったものである。
 全人格を代表して、自身の一大事に対しては、毅然とした態度で恥辱に立ち向かったのである。
 勿論この場合、鯉口を切った以上、そこに死が貼り付いているのだから、総てを承知の上で、相手に刀を抜かせるように、敢えてこの言葉を使い挑発することもあったようである。

 何れにしろ、武門のこうした行動律は、明治時期頃まで続いたと思われる。
 恥とは、自分自身の名誉の否定に繋がり、名誉こそ命であったから、それは自分の全人格であり、その象徴が武門にとっては「太刀」であった。刀工の鍛えし日本刀であった。
 太刀こそ、恥辱に対して抗
(あらが)う唯一の象徴であったのである。

 日本陽明学派は、日本に王陽明の陽明学が伝わって以来、中江藤樹を祖として、爾来
(じらい)武士階級の中で盛んに研究され、研究に研究が重ねられ、遂には明治維新にまで驀進して行くのである。そして日本陽明学派の特長を挙げれば、王陽明の陽明学が「誠意」を重視したことに対し、日本では「誠の倫理」と解したようで、誠意とか誠実を更に追求して、「至誠」という境地に辿り着くのである。
 つまり、日本人は誠実なるその強調が「至誠」であった訳で、その根底にあるものは心即理の示す「良知」を問題にするか否かにあった。

 近世に於ける陽明学は、この時代に至って日本独特の主導的な教学となり、その道徳的内面を心即理と捉えたわけで、これは自己意識にも反映されたものを思われる。
 つまり、悪を検
(み)ては自らの襟を正す規範と言うようなもので、近世の日本人は、自己と言う意識をもつことが、今日流に言うならば、自分と自分の家族だけが幸せならそれでいいと言うマイホーム主義や個人主義に奔ることが「悪」と言う考え方に流れ、むしろ自己は全体に、わが身を犠牲にして報いるという方向に奔ったようである。

 これが、「わが身を殺して仁を成す」という考え方であった。
 全体への奉仕を目指したものであった。そのために、わが身を捧げようとする考えである。
 少なくとも、幕末期にはこの「捧げる精神」が隆起し、それが維新への原動力となって行く。

 維新以降の日本では明治中期まで、日本人は「良心」をしきりに問題にして生きた時代であった。そしてこの頃に至って、陽明学の「良知」が定着して行ったものと思われる。
 日本人に与えた陽明学の影響は極めて大きく、誠実の強調形が「至誠」であったことである。
 誠であり、「まごころ」であった。
 幕末期から明治に懸けて、日本人は陽明学の行動律によって、自らの毅然とした生き態
(ざま)を貫いたと言えよう。



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