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陽明学入門 26

孔子の愛弟子であった顔回(がんかい)は、孔子門下で、広く秀才として名を知られいたが、普段は何もしなかった男である。一見すると、そのように映る人物で、別段善いこともしないし、そうかといって悪いこともしない。実に平凡なり男であったと言う。

 しかしこの平凡の裏に、有事の際の偉大さを格した人物でもあったと言う。こういう人を平凡なる偉人と言うのであろう。
 普段は空気のように思われていて、特に有難いとも思わない。無為にして無事なのである。

 ところが、この無事こそ、実は如何に有為か、有事になれば気付かされるのである。
 空気のような、普段は差して有り難味のない人物である。
 しかし、この安心感が平凡なる偉大の中に眠っているのである。



●大任に臨んで敏なるか鈍なるか

 運命の明暗を分けるのは、機に臨んだ場合の態度である。有事の時である。この場合に、人の態度は明確になる。
 その時の態度に至誠がなければならない。
 至誠があれば自ずから敏なる行動がとれるが、至誠がなければその態度は鈍になり、安全・安定・安心に執着するあまり、最も重要な転換点で機を逸することになる。

 消極的な人間の行動パターンは、鈍が先行する。
 消極的人間は、時期尚早と云う言葉が好きで、何でも先送りするのが生き方のパターンとなっている。
 つまり「何でも反対」であり、反対理由の代替案も持たず、とにかく何でも反対である。
 斯
(か)くして、建設的な意見は一言も出て来ないままである。

 更にこのタイプの人間は、「遣れば出来る」と云う言葉も好きで、常に安易に口にすることが多い。先送り論である。
 その先送り論には、また希望的観測の「明日があるさ」があり、「遣れば出来る」とともに、よく口にするようである。

 しかし考えればよく分ることだが、どうして今しないことについて、“遣れば出来る”と言うのだろうか。実に無責任である。これ自体が、どうしても辻褄
(つじつま)が合わない。
 今出来ないものに、明日が来たら出来るような根拠が生まれるのだろうか。今日出来ないものに、明日か来たら、突然出来るような状態が訪れ、突然変異が起こる訳はないのだが、世間では安易に、この無責任な言葉が持て囃
(はや)されている。愚者の煽(おだ)てによく使われる。

 「遣れば出来る」と「明日があるさ」を安易に口走る人間は、今を見逃す人間である。
 人生は目一杯生きなければならないとも云う。そうでなければ生まれた甲斐がないとも云う。
 負けても挑み、抗
(あらが)い、いじけず、自棄にならず、挫(くじ)けずに根気よく探求して、道を極めねばならない。

 負けても、決して自暴自棄になってはならないのである。そして、細事にこだわることなく、真摯に道を極めるのである。
 諦めずに探究心を旺盛にし、挫けそうになる自分を叱咤激励するのである。辛抱が肝腎である。
 これがまた、陽明学の言う「事上磨錬」の実践篇あるいは応用篇と言うべき行為であろう。

 事に臨んで、天は人間に試煉を与える。火と水の試煉を与える。
 何しろ、事上磨錬である。そして、この過酷な試煉に耐えた者だけを、天は遂に、その者に大任を授けるのである。大仕事を任すのである。
 大任を受ける者は、まず火と水の試煉によって鍛えられる。天は、まさに凄まじい。これでもか、これでもか……と、苦しい試煉を与える。大いに迷わし、かつ大いに苦悩を与える。
 筋金入りでも、凄まじさに驚愕
(きょうがく)するくらいである。まさに辟易(へきえき)する。

 惑乱させ、迷わし、疑心暗鬼に陥れて、苦しめるだけ苦しめる。半端なものでない。それは恐ろしいほど徹底している。
 ゆえに「検
(み)る」のである。天は、そこを確(しか)と検るのである。大任を与えていいか、どうかの本物の受任者であるか否かを……。

 幾ら才能や素質があっても、この程度の苦悩で、不平や不満をいい、理不尽を詰り、疑いも持ち、簡単に音を上げる者には、大仕事は任せられる筈がなく、大任は与えられないからである。
 しぶとくて、根気があり、最後の最後まで諦めずに、何度打ちのめされても起き上がる者でなければ、大仕事は任せられないのである。ゆえに、この大仕事を「大任」と言う。受任者の資格だ。

 かつて私も、この事上磨錬とも言うべき試煉を受けた。
 これでもか、これでもか……と言う苦境に立たされ、そこで大いに迷い、困窮
(こんきゅう)し、火と水の試煉を受けた。大いに苦悩した。どうしようもない自分に悶絶(もんぜつ)もした。
 だが、その洗礼を受けたことにより、黙々と耐え忍び、自身でも、ひと回りも、ふた回りも大きくなったと自負している。いい経験であった。恐ろしい体験もした。これは、事上磨錬の成果だったと確信している。

 私が窮地に陥った時を語れば、次のようなことがあった。
 あの時代、特にお世話になったのはカネミ倉庫の加藤三之輔社長だった。
 加藤社長が『孟子』の一節を、私に下さったことがある。
 それには「天は、その人を苦しめ、とことん困窮させる」とあるのである。
 この言葉の意味を、有機的な繋がりから探り出しとして、読み解けば「天は人を苦しめる」とは、どう言うことかを考えさせてくれたことがあった。

 そして「天は人を苦しめたら、それでお終いか」とも、考えたことがあった。
 ところが、この言葉の隠れた有機的な「何か」を探り出そうと試みたのである。
 更に、注視すべきは『受任者』という箇所であった。
 一体、受信者とはどう言う人物なのか。
 この箇所には「孟子曰く」で始まり、「……故に天の将に大任を是の人に降さんとするや……」に繋がり、「必ず先づ其の心志しを苦しめ、其の筋骨を労し、其の體膚
(たいぴ)を餓(う)えしめ、其の身を空乏にし、行いは其の為す所を払乱す……」とある。

 この部分を加藤社長は、私に親切丁寧に解釈して下さり、次のように、ご自身の蔵書の一部をコピーして説明してくれたのである。

加藤三之輔氏が示された註釈並びに解説付きの『受任者』の項目。

 そして『受任者』は、今でも心の支えとなっている。私の心に深く印象を残した箴言の楔(くさび)だった。
 さて、「最早ここまで」となったらどうするのか。
 土壇場に追い込まれて、ゴネるのか、諦めるのか。
 あるいは往生際悪く、ひともがきも、ふたもがきも遣って見せるのか。
 最早ここまで……。もうだめだ……。諦めるしか仕方ない……。
 これも、その後の運命の一つの手かも知れない。何故なら楽でいい。

 ところが孟子曰くの『受任者』は、どうもそうでない。奥に何かある。
 黙示しているように考えられ、また「隠れた部分のパズルを有機的に繋ぎ合わせ、自らで解読してみよ」というふうにも取れるのである。
 絶体絶命。
 この境遇を、諦めよとしていないようだ。そこで受任者はもがき、格闘するのである。
 何故なら「天は、これでもか、これでもかと苦しめる」とあるからだ。
 それは「敢えて苦しめている」と採れなくもない。

 そこで私は、いったい受任者とは、如何なる人を言うのかと考えた。受任者の資格である。
 受任者は耐えるのである。とことん耐えるのである。
 何故なら「其の筋骨を労し、其の體膚
(たいぴ)を餓(う)えしめ、其の身を空乏にし、行いは其の為す所を払乱す……」とあるではないか。
 そして、「それでお仕舞い」とは、一言も云っていないのである。まず注視すべき点である。
 偉い孟子先生の言うことである。これを黙って聞くしかあるまい。真摯に耳を傾けるしかあるまい。
 そこで、よく聞くことにした。
 次に隠れた有機的な部分を探求した。勿論、これは私の持論上のことである。
 私は次のような結論に到達した。

 仮に、天が「もう駄目だ。これ以上、二進も三進もいかない。後がない。お前はこれで一巻の終りだよ」と囁
(ささや)いても、言葉に隠された有機的な部分を注意深く解読すると、その解釈は「そんな風に遣うのではない」と、逆説的な受け止め方が出来る。
 「もう駄目だ。お手上げだ。諦めるしか仕方ない」
 こうなったとき、最後の「諦めるしか仕方ない」を、私は「これまでの遣り方」を諦めるしか仕方ないと捉えたのである。
 諦めは、「方法論を変えよ」と受け止めたのである。これは今までの遣り方を諦めるのであって、新たなところから視線を変えて次ぎなる奇策を考えると感得したのである。
 事上磨錬は、時に人を強くする。

 人は、時には、天から鍛えられるがよい。
 試されて、苦しめられるがよい。また、経済的困苦に遭って、貧乏するのもいいだろう。安全圏に逃げ込んでいては、保身ばかりを図っていては、人生に対する見聞も広まるまい。
 難儀に当り、苦しんでみるのもいい。そして、苦しんで苦しみ抜いて頑張り通す。容易に音を上げない。絶対に泣き言を吐いてはならない。
 弱音は全体に波及するところ大であるからだ。弱音を吐いたら最後、人に内冑を見透かされてしまうからである。ただ忍んで我慢し、その試煉に耐える。また耐えるが故、人情の機微も分ると言うものである。

 本来ならば、泣き言は言わぬものである。弱音は吐かぬものである。そして耐える。
 だが、泣き上手は人望を集める。泣き上手は、泣き上戸ではない。人情家としてだけの涙もろいのを言うのではない。
 泣き上手の名手は、悔やみや心の深さから来るものである。これは愛情の深さと解してもいい。こうした泣き上手は、聞き上手と同じくらい人望を集めるものである。聞き上手も泣き上手も、深い人生で難儀を経験していなければ、その境地には達しない。

 さて、泣き上手である。
 泣き上手は作為からくる作り物でない。
 心の現れである。
 だが、単なる人情家のそれとは違う。決して人情家の涕
(なみだ)などではない。純粋に本然から起こるものである。
 本来ならば、長く生きて欲しい人間や、大きな目的を前に、刀折れ矢尽きで壮絶の死を遂げた者をへの自責や不快哀悼から起こる涕なのである。

 事上磨錬を経験して苦境を克服した人間は、まさに苦しみを、人と共にすることの出来る卓
(すぐ)れた面を持っている。同喜同苦を分かち合うことの出来る人間である。そう言う人とは、共に手を取り合い、励まし合って、助け合い、その相互間において遂には目的へと到達できる心友となり得る。
 したがって、まず苦しみを共に出来るか否かが心友の最低条件であるが、しかし、ただそう言う人は、苦しみは共に出来ても楽しみまでは共に出来るか、それは甚だ疑問である。

 歴史を検
(み)て見るがいい。
 かの漢帝国を築いた劉邦の晩年はどうだったか。また、戦国期の信長や秀吉の晩年はどうであったか。
 功成った暁、功を立てた者を忘れるだけでなく、煙たがる統一者や覇者が居る。
 劉邦にとって、韓信は甚だ煙たい大将軍であった。遂には謀叛の嫌疑で誅殺された。また、信長は光秀を憎むに至った。更に、秀吉にあっては、関白を養子秀次に譲って太閤と称したが、秀頼が生まれると秀次が煙たくなって高野山に追放の自刃を命じた。

 このような晩年に経緯には、功を立てた者を忘れてしまい、今日の成功は自分の力で成し遂げたと言う錯覚から起こるものである。そして、そうなると、功を立てた者は自らの地位が危うくなるだけでなく、命すら危うくなるのである。
 覇者の目論見が功成ると、その後、功を立てた者は「オレの働きを忘れたか」となって、やがては両者間の心には亀裂が入ってくる。以後、よいことは起こる筈がない。

 人は、度量のある人間でも苦労を共にする間は、両者間で共に泣き、共に喜ぶことが出来る。運命的な共同体であることを意識するものである。
 ところが、功成ったとき、なお謙遜と謙譲の気持ちを忘れず、かつての苦労に涕を流すことは殆ど無くなってしまう。そして、こうなると、共に苦労した感謝の涕は何処吹く風となる。むしろそういう者の存在が目障りになってくる。
 心は離れて、疎
(うと)まれれば、その身すら危うくなるのである。
 こういう結末を招くのは、共に手を携えた同志や、心友と信じていたその者に「感謝の裏返し」が欠如していたからである。つまり、苦労時の「泣き上手」が欠如していたことになる。

 泣き上手こそ、感謝の裏返しの行為だった。
 苦労し、功成り目的が達成されたとき、ここで一緒に喜べるか否かは、泣き上手であるか否かに懸かる。

 苦労は共にしても、功成ったときに泣かぬ人間は、友の心を動かすことの出来ない冷血漢である。そうなると、やがて人は離れる。友は、友でなくなってくる。
 況
(ま)して、心友などではない。慟哭(どうこく)を知らない者は、また苦労が足りないだけでなく、事上磨錬の経験者でもないと言えよう。したがって愛情薄く、人情の機微も感得できない。泣き上手でない人間の特長である。
 人を感動させるには、難儀を経験し、事上磨錬の熟練者でなければならないのである。また、この熟練者であるから、天はその者に「大任」を与えるのである。



●知行の覚醒と度量しての損する余裕

 人は、基点を「有機的な結合」に焦点を当てたいものである。
 隠れた部分を洞察する鍛錬をしておきたいものである。人の心こそ、洞察するに値する対象体である。
 心は肉の眼に見えない。深層の裏に存在するものであるからだ。
 しかし、心が裏に存在するからと言って、裏から裏から……とばあかり見ていては、本当の心は分らない。

 裏から検
(み)て、それを特異がる人がいる。裏から検(み)る人は頭がいいと、自分で思い込んでいる。しかし、そのレベル止まりである。小人(しょうじん)指向である。大人ではない。
 裏から裏からと見ていては、表側のことが分らなくなる。裏に偏るだけである。そして遂には、陰険さすら作り上げてしまう。凶である。
 実体は、表裏を同時洞察して正体が明らかになる。

 頭のいい悪いは、まず物事の見方による。物事をどう検るかにある。
 賢者は物事を正面から見据える。素直に物事を見る。疑いを交えない。その結果、「おや」と気付けば、それは怪しいのであり、このとき始めて裏側を見ようとする。
 正視する能力があるから、常識では考えられない荒唐無稽なものが混じっていたり、強引なこじつけがあったりすれば、訝
(おか)しいと思うのである。その勘は、ほぼ正しいだろう。
 正面正視で、訝しいと思えば、次に裏を見る。調子のいい羅列が続けば、「出来過ぎ」と読む。賢者の物事の見方である。
 思考力があるゆえに、ある事象に対し、その言を鵜呑みにしない。疑う。

 この「疑い」の中に、始めて隠された正体らしき物が浮上してくる。その「浮上した物」を巧みに読み解いていくのである。読み解く中に「なるほど」という発見箇所が顕われる。その発見箇所をベースに、解読の手順が明白となり、謎の読み解きや、隠れた部分の正体の実体が次々に顕われるのである。

 先ずは、最初、素直な表の世界を検て、その眼から読み解いた物に一点の矛盾でも顕われれば、次に裏返しにする。こうして始めて裏表の表面が分るのである。
 表の部分だけを鵜呑みにしてもいけないし、裏下や検て、裏の裏と言う展開のさせ方も手順や方法論としては正しくない。一方だけを検て、それで結論を出すのはよくないからだ。
 両面を同等比較で見なければ片手落ちになる。中道であり、中庸である。

 私は子供の頃から、祖母と母に、平戸藩伝来の鎮信流の茶の湯の嗜
(たしな)み方を習ったことがある。
 また成人してからも、刀剣のみならず、古美術を扱う商売をしていたから、茶碗の奥を極めるために裏千家の茶道師範の許に通って、茶の湯を習ったことがある。
 こうした環境下で学んだことは、この道を嗜
む人は、抹茶茶碗を表側から見るだけでなく、裏を返して裏側から観察するものである。表を検て裏を検て、繰り返しよく見て、作者の心境を、わが胸中に思い巡らせるのである。

 この、思い巡らせる行為こそ、知と行の料理の関係を考える洞察力であり、この能力が備わっていて、始めて物事の実体が見えてくる。
 物事の実体をよく検て、次に為
(な)すべきことは何か、これが出来てこそ「心即理」の境地が生まれるのである。この境地を、知識でいじり廻しても、本当の正体は分らない。

 現代社会の階級構造は、上下の繋がりに乏しい。概ねは横の繋がりだけである。中レベルは中レベルの繋がりだけであり、中間階級の人が上流階級との交流は持たないし、また下層階級との交流も持たない。大体がほぼ同階級の人との繋がりである。そうした中で、一番多いのが中産と言われる中間階級の人である。大半のサラリーマンはこの階級に入ろう。

 しかし、この階級は見栄で生きているところもある。虚勢を張って生きる階級である。
 それは、自分が人よりも、一歩先を行き、優れていると言う自負があるからである。こういう自負が、中間階級としての意識である「中の上」を植え付けた。自分が、人よりも恵まれていると言う思い込みにより、そういう意識を作り上げたのである。
 そして、この階級の頼りにするものは、自分の所属する企業体での肩書きである。

 裸一貫の等身大の自分に値打ちがあるのではなく、企業体での肩書きに値打ちを見出すのである。
 肩書きの上下を持ち出して、階級が上だの下だの言っても始まらないだろう。そう言う上下の格付けは、裸の人間の価値とは何の関係もないのである。
 裸の人間として、裸の等身大の大きさとして、上下に隔たりなく、そうした垣根を乗り越えて、肩書きや身分や地位に関係なく、交流できれば理想である。そして願わくば、下に通じておく方が人情の機微はより細やかになる。

 一言付け加えれば、下は決して見下すべきでない階級である。今は貧していても凄い人がいる。毅然と胸を張る人がいる。
 最下位の階級と雖
(いえど)も、人間は人間である。人としての「品格」を踏みにじるべきでないだろう。一寸の虫にも五分の魂である。分け隔てないことを、陽明学の心情とする。その情において心を捉える。情を解して陽明学である。これでこそ、心学と言えるのである。
 階級を無視し、垣根を作らないところに、陽明学の陽明学たるところがある。

 したがって、こういう場合は、単に表側からだけを二次元的に世の在り方を美しくみても、それはそれで評価すべきものはあろうが、また裏側を無視して、裏道に息吹く人間同士の温かみは分る筈がない。表裏の両方を通じて、双方を輝かせている真贋の実体が明確になるのである。

 表側からだけを見れば、等身大の自分は等身大の寸法で見せることが、一番のベターであろう。しかし、それだけのバカ正直では、この世の有機的な結合部分は見逃してしまう。
 智慧者は、時と場合に応じて実力以上に、等身大以上に大きく見せることも必要なのである。

 この世の中は、「演出」が必要である。時として、どうしても「作る」ことが欠かせないのである。世の中を渡り歩くには、敢えて演出がいるのである。
 一方、演出の下手な人は、等身大以上か、等身大以下に軽く見られ、実力があっても実力以下に見積られてしまう。また、認められることがあっても、認められる時期は非常に遅くなる。遅くては損する場合もある。
 損する余裕は必要であるが、損しっぱなしというのも情けない。

 自己表現に関して、自己を拡大かつ強大に表現することは悪いことではない。人心を吸引するには、時として拡大強大にしてみせることも大事である。そういう特異な裏技があってもいい。

 だが、演出無しに力の限りの全力投球は決して悪くないが、疲れると言う欠点がある。
 我武者羅
(がむしゃら)に無理をしては疲れてしまうし、疲れは病に変化することもある。その病変は心までもを病ませる。鬱病の類である。
 無理はしても、無理は無理なのである。したがって無理が利かなくなった時が悲惨である。無理をすれば、斃
(たお)れてしまい、そのことで誤解を招くこともある。

 普段は全力投球で、等身大の自分を見せておくべきであろう。それは表側の自分の姿である。
 ところが、自分の実像には裏の面も隠しておくべきである。裏の面には、演出された等身大以上の、また実力以上の自分が控えていてもいい。そして、力以上に自分を表現することが演出であり、この演出こそ、裏技である。隠れた、見えざる自分である。その裏の部分の自分は、実は表の自分と表裏一体なのである。

 この自分を、つまり裏の自分を見事の演じきった先人に、かの有名な紀伊國屋文左衛門が居る。
 世間から「紀文大尽」と言われた人物である。
 一方で、半ば伝説上の人物であるとも言われるが、その真意は定かでない。
 文左衛門は如何なる演出で、その後の財を築いたか。
 この演出手法を研究すると、「なるほど」と思わせる心憎い演出をしていることである。

 文左衛門が生きたのは元禄時代で、二十代の頃は、紀州蜜柑や塩鮭で富を築いた話が伝えられる。
 特に、江戸での蜜柑売りは有名な逸話にもなっている。蜜柑が不足していた江戸では、嵐を乗り越えて江戸の人たちに蜜柑を提供したということで講談にもなり、江戸っ子の人気者でもあったという。
 元禄年間には江戸八丁堀に棲んでいたと言う。老中の阿部正武らに賄賂
(わいろ)を贈り接近したと言われるともいわれる政商的な商人である。上野寛永寺根本中堂の造営で、巨利を得て幕府御用達の材木商としても知られていた。
 ところが、江戸城まで焼けたと言われる、明暦の大火
(明暦3年正月18日から20日まで丸二日間も得たと言う大火事で、江戸城本丸をはじめ市街の大部分を焼き払った。焼失町数400町。死者10万人余という。本郷丸山町の本妙寺で施餓鬼(せがき)に焼いた振袖が空中に舞い上がったのが原因といわれ、俗に振袖火事と称した)の時には、木曾谷の材木を買占めて、一気に百万両ほどを手にしたというのである。

 この時の逸話というか、伝説と言うのは、こうである。
 文左衛門は大火事を、またとない好機と捉えた。千載一遇と検
(み)た。その時の機転は早かった。木曾谷に直通したのである。
 そして、そこで何をしたか。
 この時、文左衛門は木曾谷に直通したものの、大した金額を持ち合わせていなかった。僅か数両ほどの金子
(きんす)しか持ち合わせていなかった。この程度で、材木を売って欲しいと交渉するのである。しかし、売主は金持ちにしか売らないのが常である。食い詰め同然の材木商には売る筈がない。そこで文左衛門は、どうするか思案した。しかし中々いい案が出て来ない。

 いよいよ木曾谷に差し掛かる頃、五、六人の子供達が独楽を廻して遊んでいるのに気付いた。それを見て、ふと妙案が泛
(うか)んだのである。「これだ!」と思った。
 ひと捻
(ひね)りの奇手と思える、まさに妙案が泛んだのである。
 文左衛門は子供達の中に入って、こう言った。
 「わしが、面白い独楽
(こま)を廻してみせようか」
 面白い独楽という言葉に惹
(ひ)かれない子供は居ない。好奇心旺盛の子供達は、それが是非見てみたいと思う。全員一致で頷(うなず)き、それを見てみたいと思ったのである。

 文左衛門は小判一枚を取り出し、その中心部に孔
(あな)を空け、黄金の独楽を無造作に作ってみせた。既に賭(か)けに出ていたのである。
 それは子供から親への「口コミ」と言う奇なる賭けであった。独楽を廻してみせ、最後は子供に、独楽までプレゼントしたのである。
 そして、この独楽を見た子供達は、それを家へ帰って親達に話した。この話を聴いて親は驚いた。
 一気に黄金の独楽の噂が木曾山中に流れたのである。黄金の独楽と聴いて、この地域の人達は仰天したのである。この噂は忽
(たちま)ち広がり、突然顕われた文左衛門を江戸から来た大金持ちと早とちりし、我も我もと、文左衛門に木を売る人が続出したのである。

 つまり、文左衛門の策は、海老
(えび)で鯛を釣るような方法で、独楽を海老に見立てて、遂に鯛を釣り上げてしまったのである。見事な演出であった。
 だが、こうした演出も、後から聴けば、コロンブスの卵で、「何だこのくらい、オレだって……」と思うだろうが、果たして実際に、常人にこうした妙案が泛ぶものであろうか。

 知っていても、思い至って遣ってみなければ、妙案は妙案でない。ただ知識として知っていても何もならない。本当に知識が遣うと言う行為において、智慧に変換されて始めて、それが本物の智慧になり得る。心即理の行動原理を知らなければ、文左衛門のような妙案は、実践には活かせないのである。
 智慧を活かすとは、実践を通じて始めて知識が智慧へと変換されて功を得るのである。
 文左衛門が陽明学を知り得ないのは明白な事実であろうが、知らずして、陽明学の知行合一を実践して大富豪への道を歩き始めるのである。

 陽明学は、朱子学のように小難しい論理を捏
(こ)ねくり回して、学術的に、ああでもないこうでもない思考を繰り返す学問ではない。実践し、行動に至れば、それが即座に心即理となり、知らず知らずのうちに、陽明学に似た行為を人間がしていることがあるのである。

 私はこの行為を「無意識の陽明学」と名付けている。
 無意識で、誰もが陽明学を知らず知らずのうちに実践していることである。
 もともと人間の深層心理には、良心がある以上、「無意識の善悪」が具
(そな)わっていて、それが時としていい方に遣えば善となり、悪い方に遣えば悪となるのである。この善悪は、人間側が勝手に定めたものであるから、天から検(み)た場合、それが悪か善かは天が決めることであり、文左衛門においては、一枚の小判がその後を決定する大事な賭けとなったのである。

 木曾谷まで出向いても、下手をすれば木は一本も契約できずに、乞食同然で江戸の舞い戻らなければならない。その懸念は大いにあった。
 ところが、文左衛門が用いた策は見事に当り、そこに人間の「演出する」という面白さがあるのである。
 そして文左衛門は譬
(たと)え、この賭けに失敗しても気を落すことなく、「ちぇッ、しくじったか」くらいしか思わず、また新たな奇手を考え出すことだろう。智慧者はしたたかである。

 人間の行動原理の中には、小人
(しょうじん)か大人(だいじん)かを判定する場合に「損する余裕」という度量の器の大きさがあって、器が小さければ小人のそれであり、大きければ大人の行動原理のなって、常に心即理に反映されているのである。
 ゆえに「損する余裕」のある人に限り、人が、その人に人望を寄せるとも言えるのである。

 では、損する余裕をもって、その演出とは何か。
 それは、ズバリこれである。
 仏のウソを「方便」といい、武将のウソを「武略」といい、商人のウソを「駆引き」というのである。
 これ以外、何があると言えよう。



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