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陽明学入門 30

住いには、いつも「臨戦態勢」という非常時に対しての構え方がある。そういう家は、いつも時間が慌ただしく流れて行く。しかし多忙とは異なる。大急がしである。あるいは「大忙し」だろうか。

 多忙と大急がしは、その意味合いにおいて若干異なる。大童
(おおわらわ)と言った方がいいかも知れない。大急がしは、自らの持てる力を100%出し切って、奮闘する様を言う。

 一般に言う多忙は、力の限り奮闘するのではない。単に時間に追われているだけである。そして時間に追われつつ「忙しい振り」をするポーズの多忙であり、大急がしは実質が忙しく、奮闘せねばならず、まさに大童であり、当然背景には非常事態に備えて、臨戦体勢と言う状態が生まれる。

 一日一日は、臨戦態勢においては、その慌ただしさと非常時と言う局面から、その中に身を委ねるしかなく、そういう佇まいの中で細やかな楽しみを求める。力の限り奮闘するのである。奮闘すればその事自体が、また楽しみにもなる。

 しかし思えば、とりたてて楽しみを需
(もと)めても仕方のないことで、敢えて言えば「慌ただしさ」と「臨戦体制」と言う緊張感が楽しみの一つであろうか。
 常に緊張していなくても、緊迫感があり、また根底には無意識の緊張がある。

 いつも緊張している。ほどよく緊張している。これが無意識の緊張である。
 一方、やたらに緊張する。これは緊張が常時に起こっているのでなく、突発的に発作的に緩急の間をとって交互に繰り返される緊張で、当然、激した緊張が起こればストレスを発生する。

 ところが無意識の緊張はそうではない。それもストレスを感じるような緊張ではない。リラックスした無意識の緊張である。
 そう言う緊張はいいものである。隙を作らないで済む。こういう程よい緊張は、内部の性命エネルギーを、老いてもなお、燃え立たせ、このエネルギーと命の燃焼が無縁のものではあるまい。

 ところが、現代の長寿を約束されてしまったような年寄りはどうだろう。
 老いてもなお、生に縋
(すが)っているのではあるまいか。生に縋って、何をするでもなく、只生きていたいとする年寄りは多くなったように思う。そして性命エネルギーが枯渇しているから、肉体的な表皮とは別に、年齢相応に涸(か)れていると言う痕跡が見られない。ただ動物的に生き存(ながら)えているのである。

 老いても、いまだ金・物・色から卒業で来ていない。欲に耽っている。
 こう言う欲に絡む長い老後を、これからの年寄りは、どう過ごして行くのだろう。何で埋め合わせをして行くのだろう。

 昔の日本にでは、国民の多くが貧しかったから、当然不如意なことが多くなる。それゆえ年寄りにもすることが多くあった。年寄りの仕事は沢山あった。
 年寄りにも人間としての存在価値があった。

 しかし、今の年寄りは存在する何らかの価値と、生きる目的が不明確である。人生のラストスパートにあたり、何かを燃焼させ、次に世代にバトンタッチして行く伝統や、伝えねばならぬ伝達物を持っているのだろうか。



●見られて試されている

 陽明学の原点を辿れば、わが心に反映させて常に自問自答をし、心を曇らせない、あるいは濁らせない、邪智に魅入られないという良知を得て、それを自分に向けて「天は見ている」あるいは「神は見ている」という克己を自らに突き付けていることだろう。
 そして常に「試している」あるいは事に及んで「試されている」ということだろうか。

 人間は試されている。
 この課題を突き付けられれば、人間は自らの襟を正さなければならなくなる。自らの心に問い掛け、心は曇っていないか濁っていないか、更には「歪
(ゆが)んでいないか」を、わが心に突き付け自らを糺(ただ)さねばならなくなる。

 人間の棲
(す)んでいる領域は狭い。
 誰もが井の中の蛙
(かわず)である。この“蛙領域”を免れているものがいるとしたら、それは神であろう。人間ではない。
 人間の見ているものは自分の僅かな領域だけである。それは狭い。その領域の中で喜怒哀楽を繰り返している。それを内外に感じて、仮に感得したところで、高々長くても「百年前後の人生」を送り、未完成のまま潰えて行くのが人間の宿命であるらしい。果敢ないと言えば果敢ない。

 それでいて自分自身は己が何者かも分らぬまま、人生を終える人は余りにも多い。
 確かに自分の外に眼は向いているが、その肉の目に映るものは、世間という外界である。世間という鏡に映る自分の姿を見ると、目に付くものは鏡の不可解さではなく、歪
(いびつ)さであり、またその鏡に映る自分の姿の醜さや愚かさばかりである。
 斯
(か)くして陽明学はいう。
 「自らの内にある心の鏡から曇りや濁りを駆逐せよ」と。
 あるいは「心の鏡に映る雑念雑想を取り払え」と。
 そして、そこに至るプロセスとして事上磨錬の濾過器
(ろかき)を通して、「心の洗濯を行え」と示唆している。それは、一つ一つに即し、良知を発揮して功夫(工夫であり実践の意)して事に当たり、磨錬すると言うことである。

 この示唆を、現代と言う次元に充
(あ)てて考えてみればどうなるだろうか。
 人間は文明の進歩に伴い、現代人の生活様式は古代人に比べて豊かで便利で快適になったと誰もが信じている。しかし、それは外見に限ってのことである。

 日本は先の大戦で大敗北を帰した。完膚
(かんぷ)なきまでに叩き潰された。そして残酷残忍だったことは、世界人類史上、広島・長崎に原子爆弾を投下されたことであった。
 此処では多くの非戦闘員が死んだ。生まれたばかりの赤ん坊も当時の敵国であった国際連合軍
(米英を始めとする枢軸国に対するソ・中・仏・蘭・濠など)から検(み)れば、非戦闘員ではなく、将来の戦闘員と看做(みな)されて無慙(むざん)に殺された。

 そして国際政治から検れば、広島・長崎に原爆投下は正しかったという論理が罷り通っている。実際に人間を原子爆弾と言う日本人の頭上に、人工太陽を直撃させておいて、実験動物に仕立てておいて、これが正しかったと言う見解を持つのが、現実に国際政治であった。
 近現代史の歴史に記録されたことは、昭和二十年八月十五日に、日本は国際連合軍に対して無条件降伏したことであった。大敗北という汚名が無理矢理戦勝国から被せられた日でもあった。
 この日の天候を記憶する人は、「恐ろしく暑い日だった」と言う。
 この暑い日は、実は灼熱の人工太陽に灼
(や)かれた「熱い日」を連想させた一日であったのだろうか。あるいは総てが焼け野原で、焼け爛(ただ)れた日だったのだろうか。

 同年の八月六日に広島に原子爆弾が投下され、九日に長崎に原子爆弾が投下された。
 そして国際連合軍は、原爆と投下を、既にヤルタ会談の秘密協定で事前の打ち合わせて承知しており、広島に原爆が投下されたことを知ると、ソ連は直ちに対日参戦を決定し、まず満洲に攻め入った。中立条約を一方的に無視し、あるいは破棄して、満洲国境付近に怒涛の如く進撃を開始した訳である。
 広島と長崎の原爆が投下され、ソ連が参戦したという三つの大事件は、日本が敗戦を決意しなければならない要因となってのである。

 日本が敗戦を決意して無条件降伏を受け入れ、敗戦を決定した翌日の十六日、国際連合軍のイギリス首相のチャーチルは「広島長崎に原爆を投下したことは正しかった」とする、米国大統領トルーマンの原爆投下の決定を示唆したのである。
 この論の裡
(うち)には、日本に原爆を投下したことで、日本の本土上陸作戦を遣らなくて済んだ。そのために米軍兵100万人と英国兵23万人が犠牲にならずに済み、彼らの命は救われたという見解を出したのである。
 原爆を投下した御陰で、米英123万人の命が救われた。したがって、日本に原爆を投下したことは政治的決断として正しかったという、何とも「こじつけ」にも思われる正義論が組み立てられたのである。

 そして、“こじつけにも思われる正義論”は「正義」の名をもって以降、近現代史の中で大手を振って国際政治の大道を闊歩
(かっぽ)し続けているのである。
 この正義論は、今や“絶対正義化”されてしまったようである。現在でもアメリカ人の六割りないし、八割りの米国民が「原爆投下は正しかった」という確信を持ち続けている。その確信は英国人とで同じである。
 しかし、こうした確信の背景には、実際に“原子爆弾”という非人道的な人工太陽の下で、自らの頭上を灼かれていないから、こういう外野感覚で、仕掛けた戦争を聖戦化できるのだろう。実際に人工太陽で、自らの頭上を、肉体を、灼熱の火で焼かれてみれば、決してこういうことは言えないだろう。

 ペンは剣より強しでなく、やはり剣は強かったのである。
 武力に勝る方が正義であり、力こそ正義であった。この力関係は、まさに政治力であり、狡猾
(こうかつ)な駆引きをした方が、外交音痴で、智慧の廻(めぐ)りの悪い弱者を遣り込めることが出来るのだろう。

 更に不可解なことは、「原爆投下は正しかった」という米英国民の確信に対して、日本人はその反論が殆どないことである。
 なぜ反論しないのか。
 反論しないのでなく、あるいは反論できないチャーチルの老獪
(ろうかい)かつ狡猾な発想が背後にあるからである。また敗戦国は何一つ発言権がない。発言しても負け犬の遠吠えになる。
 国際政治や国際交渉に対して、外交音痴の日本人は、政治選択の一つである戦争が、その後の歴史に、どういう歴史的な意味が含まれるか、全く理解していないのである。

 日本人の歴史史観は、実にミクロ的であり、明治以降の教育を検れば、歴史と言う教科を“年号暗記”の教科に仕立て、単に年号と事件を暗記してそれで終了とする教育方針を取り続けてきた。常に近視眼的に、ミクロ分野だけを専門化し細分化して、未来を担う子供達に、その種の教育を施しただけであった。暗記であって、考えさせない教科であった。一切のマクロ的見地が抜け落ちていた。
 つまり、国際政治の流れという概念がなく、単に微視的に視て“戦争は悲惨だ”とか“戦争はもう懲
(こ)り懲りだ”という感情論並びに恐怖論で、特に戦後教育は牽引したことであった。
 したがって、これ以上の議論が出来ないのである。

 この構図を裏から観れば、広島長崎の犠牲とソ連参戦によって、満洲で失われた犠牲者総数は、もし日本本土決戦の作戦にあたり、米英123万人の犠牲が出る筈だったが、その犠牲者比較をすれば、どちらが多いかということをチャーチルは政治の国際舞台で突き付けたのである。
 これについて、単純なる引き算計算にあたり、日本人は“ぐうの音”も出なかった。戦勝国の好きに料理された。敗戦国民はひらすら忍従し、沈黙を保った。
 その沈黙が、現在も余韻
(よいん)を残していることである。

 また、戦後教育では「戦争犯罪者を裁く矢面として先頭に立たせる教育」を行い、矢面陣営に国粋主義者あるいは軍国主義者の汚名を被せ、徹底的に彼らを叩く教育を行った。その象徴たる悪しき裁判が東京裁判
(極東国際軍事裁判)であった。

 一方、同年の二月、ソ連はヤルタ会談の秘密協定で、「ドイツが降伏してから三ヵ月後に日本に対して参戦する」という取り決めをしていた。この「三ヵ月」の期間は、ソ連軍をヨーロッパ戦線から極東に移動するのに要する期間であった。その期間的な余裕があれば、ソ連は参戦できるのである。その取り決めをスターリンは、ルースベルトとチャーチルに確約させたのである。

 ソ連は広島に原爆が投下されたことを知るや否や、怒涛の如く満洲に攻め入った。この攻め入る際にその先頭に立たせたのが、犯罪者だけで構成する“ならず者部隊”であった。ここで云う犯罪者とは政治犯は含まれない。これまで殺人や強盗などの兇悪犯罪者であり、終身刑や死刑で服役中の極悪人を集めて部隊を組織させ、「罪一等を許す」と言う名目で、これをまず満洲の国境付近から侵攻させて奇襲する電撃作戦を立てた。

 要するに犯罪者に、今まで犯した以上の極悪非道な犯罪を重ねさせ、遣りたい放題にさせ、その後、掠奪しようが、強姦しようが好き勝手にさせる。さんざん好き放題を遣らせておいて、その後にソ連軍の正規部隊や憲兵隊を出動させて、「軍紀の乱れを取り締まる」という名目で片っ端から銃殺して行くのである。

 先の大戦では、“罪人減らし”のために各国ではこの手口が遣われた。犯罪者によって、遣りたい放題の“ならず者部隊”を組織させ、その大軍をもって、突破部署に尖兵
(せんぺい)として敵国に送り込む。そして好き放題暴れさせる。
 その後、軍紀の乱れを楯に正規軍や憲兵隊が取締に当たる。
 実に卑劣な遣り方であるが、また効率のよい一石二鳥の遣り方である。手に負えない猛獣の有効利用を知っていたと言うことである。

 だが、国際政治や国際交渉に対して外交音痴の日本人は、歴史を構成している因果関係が人工的に組み立てられるという狡猾な裏側を知らないし、知ろうともしない。
 したがって、自分のマイホームにしか眼が行かないし、これを知ることについて研究もしない。自分の家の冷凍冷蔵庫に満杯の食べ物があり、自分と自分の家族だけが幸せであればいい。その種の幸せを願うのが、昨今の日本人であるようだ。

 近現代の日本の中に広島・長崎に原爆投下があったことは過去の事として記憶が薄れ、ヤルタ会談の秘密協定で何が画策されたかも知ろうとしない。それでいて自分だけの幸せを願うとは、まさに「不仁」ではないのか。自分さえ、自分と家族さえ安全であればいいと云う考えからである。
 これは自分の家族の個人間のことしか考えないと言うことで、また個人の平和と幸福だけを願うと言う構図であり、その幸福感は実に空虚である。
 ただ「個人の平和を守れ」と喚
(わめ)いているように映る。

 災難に遭っている人を見て見ぬ振りをする。損得勘定だけで物事を考える。そしてこういう行為に微塵も恥じの意識を持たない。確かにそう言う生き方もある。否定はしまい。
 但し、これは裏を返せば、もし逆の立場になったとき、「扶
(たす)けてくれなくてもいい」と容認することなのか。自分にあっては不仁であってもいいというのか。
 陽明学では「不仁」こそ、批難されるべき人間の愚行であった。大いなる恥であった。
 斯くして現代日本人からは、恥を知ることや勇気や、誇りを持つということが悉
(ことごと)く消去されているように思うのである。

 有事は国情を一変する。
 更に不可解なのは、大ローンで購入したマイホームは、一体何処の国に所属するのか、何処にマイホームの登記簿謄本が存在するのか、これすらも実感として感得できない日本人が殖えていることである。それとも、所属する国はどうでもよく、その後の侵攻国に丸ごと譲渡して、そこの借家人になるのだろうか。

 日本は戦後、確かに豊かになった。かつての西欧先進国と肩を並べられるくらいの経済力を付けた。日本は経済的に躍進し、高度経済成長まで達成して大きな伸びをみせた。その結果、今では自由を謳歌し、平等を高らかに宣言し、一見伸びやかに見える文明生活は、実は戦後民主主義という虚構の上に造られた幻想であることを殆どの日本人が知らない。その幻想に、多くの日本人は気付いていない。
 誰もが、わが世の春を満喫し、恋に歌にセックスにと、享楽のことだけを念頭に置いて生きている。

 そして、果たして伸びたのは、単に経済力だけだったのだろうか。
 あるいは物質的に言えば、伸びたのは、経済成長率や現代日本人の戦後生まれの身長だけであり、多くに人々の内面的生活は矮小化に向かい、画一的な娯楽と海外旅行に狂奔し、美酒美食に、慰安を求めるセックスの三部作を生活の一面に組み入れて、わが世の春を謳歌している。ここに亡国の暗示がある。
 かの『韓非子』の中の「亡徴」は言う。
 「果てしなき貪欲をもって利益のあるところのみに近付き、損得のみを考える、かかる君主の国は亡ぶべきなり」と。

 「国破れて山河在り……」の感傷主義は、もう再び通用しない時代になっている。
 戦乱で一度破壊された山河は、もう再び日本民族の元に還ることはない。
 広島でも長崎でも戦後復興されたと言っても、元の山河をそっくりそのまま復元したのではあるまい。
 また敗戦後、ロシアが占領しや歯舞
(はぼまい)諸島・色丹(しこたん)島、および南千島の国後(くなしり)島・択捉(えとろふ)島の北方四島は、もう再び日本に帰ることはない。四島を取り返そうとすれば、戦争で奪われたのだから、もういちど戦争で取り返すしかない。しかし不可能だろう。

 現代日本人は、人の足が大地に土のつかないところで暮らしている。大地に足は触れることはない。左右両手は草木から手が離れ、眼は天を仰ぐことはなく、花鳥風月は眼に映らず、耳は鳥の声を聴かない。鼻は大気汚染の異臭と排気ガスで麻痺し、舌は素朴な自然が齎す蔬菜
(そさい)の味を忘れた。
 現代人の五感は大自然から隔絶され、大地の上には二重三重のアスファルトで土から遠ざかり、生活の象徴は物質を除けば、もう裡側
(うちがわ)には何もなく、誰もが科学的と云う言葉を連発させながら、精神の荒廃のみを露(あらわ)にさせているように映る。

 それは物質的混乱と精神的荒廃を同時に齎しただけでなかったか。
 現代人はその畸形と異常性に、どうして感得が出来ないのだろう。
 また、この鈍感さが不穏な方向へと暴走していることに気付かないのだろう。
 そして現代日本人の悲しむべきことは、自ずから暴走に対して制御する仕組みが自浄努力で可能である筈なのに、それを知らない人が余りにも多い。

 ここで、朱子学を奉じながら陽明学に傾倒し、陽朱陰王と評された江戸後期の儒学者・佐藤一斎の『言志四録』の一節を繰り返したい。
 「少
(わか)くして学べば、壮にして為(な)すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」と。
 ここに「学ぶ」という深い意味がある。
 それは「学ぶ以外ない」と解することが出来るかも知れない。人は学ぶ中に人生がある。
 では、人は何の為に生きているのであろうか。これを繰り返し反芻
(はんすう)する必要がある。

 そもそも人間は、科学至上主義の中で自然を知り、自然を管理・監督し、そして自然を利用してきたと高を括っている。また科学力によって人間の文明を築き、地球の覇者として君臨できたと自負している。
 しかし、人間が自然を知るというときに、その「知る」の行為の中に、自然の本質を明らかにしたものは何一つなかった。
 生きている有機的な結合で結びついている統一的な生命体に対し、人間がそれを分解し、分離し、解析してそれで知り得たとしている。それは冷徹に凝視すれば、虚妄の自然を構築したに過ぎなかった。

 もともと人間は全知全能の宇宙間の万物を造った造物主でもなく、また万物の霊長でもなく、そのくせに自然の総てを知っていると豪語し、自然の摂理も秩序も無視して、我がまま勝手に作り替え、破壊したに過ぎなかった。
 現代に起こる度重なる不幸現象の多くは、人間が自らの傲慢
(ごうまん)な行為に、不安と反省の必要を感じなかった結果だと言えよう。
 これを逆説的に言えば、不安や反省は現代は科学の中に取り込まれてしまったように思う。
 則
(すなわ)ち、宗教に代わり科学が表面化し、例えば仏教であるが、現代人が聴いていて意味が釈然としない教典よりは、分析明快なる数値主義で表した科学という明白なものを信仰するようになった。

 かつて日本人は苦悩や貧苦、災害や死の恐怖などの不安と困苦に雁字搦めにされ、この世の苦海に沈んだときがあった。そこで仏教を信心し、そこから救われる解決法を仏教に求めた。庶民は今の苦しみから逃れられる力も智慧も、また策もなく、ただ永遠に苦しまねばならぬという悪夢と訣別するために、その救いを仏教に求め、阿弥陀仏に取りすがる道を選択した。

 僧侶の導くまま、説くままに、その教えを深く厳守し、因果応報は自らの行いに誤りがあり、その報いが苦しみ元凶になっていると報
(し)らされ、因縁消滅のために、死者の浄土を信じることで、この苦海の世に耐えて行く力を得たのだった。

 ところが明治維新を経て、大正・昭和と時代が下り、日本が先の大戦に大敗北し、戦後に至っては、日本人はかつてのように衣食の苦しみは味わうことはなくなった。病苦や災害はあるにしても、それに対処する対応策は科学の進歩により最悪の全滅状態だけは避けられるようになった。
 日本人は科学に力によって、かつて苦しんだような人々は、今では夢に見た、豊かで便利で快適な日常生活を殆ど手にしてしまったのである。そして今は、更に科学力を駆使して、若返りと不老長寿への挑戦が試みられ、科学は宗教に取って代わったのである。

 科学的と称される、数値データはどこまでも重宝がられる。意味の分からない教典の読経より、数値による分析結果の方が有り難がられるようになってしまった。
 現代人はどこまでも科学を信心する。
 こうして考えると、これまでの仏教はもはや葬式仏教に成り下がり、釈迦牟尼にが説かんとした教えの多くは形骸化し、単に学問の領域になって行くのは時代の趨勢
(すうせい)かも知れない。

 昨今の科学万能主義の猛威はどうであろうか。
 老いも若きも合理主義に入れ揚げ、科学一辺倒の効率のよさに驚嘆し、その恩恵に浸りながら、一方で人間はあるべき姿を急速に喪失している。
 あるいは現代人は喪失することに細やかな喜びと、やがて絶望するであろう刹那主義にひと時の憩いを求めているのではないか?……というような幻想すら抱いてしまうのである。

 時代は変わった……。
 ただそれだけのことであるが、現代の多種多様の複雑に枝分かれした現状把握はもはや不可能であり、いったい何が不安なのか、その根底に如何なる絶望が横たわっているのか、それが自身でも解明できないままに、分けもなく苛立ち、分けもなく不平や不満を飛ばしているだけである。
 その一方で、これまで自らが手に入れた“中の上流”意識だけは失いたくないと見えて、現代生活の物質文明に浸り、豊かで快適で便利な、物にこだわることは絶望と刺し違えをしても捨てたくないと頑張るのである。この種の矛盾が益々混乱を招くのである。

 葬式坊主から、「死した後は浄土があるから安心しなさいよ」と言われても、浄土とは?となってしまう。そんな浄土があるのだろうか?となってしまう。
 もう、如何に絶望を感じようとも、浄土など信じる日本人は一人もいないだろう。
 現代人に信じられるのは科学的と言う解析理論が割り出した「数値」のみになってしまった。
 ○○値というのは、日本人にとっては最大の関心事であり、これがかつての宗教に取って代わったというべきであろう。

 だが、そうなったのは必ずしも仏教の責任だけではないだろう。
 一方で、現実主義者あるいは科学一辺倒主義者が、科学的の名をもって宗教を科学に摺り変えてしまった実情が否めない。その結果が、科学の力で生命を産み出し、死さえ遠ざけることが出来る思い上がった、これまでの「正しい考え」を捨てることであったのである。
 「まごころ」は遠くに隔離されてしまった。

 更には、天が見ている……、神が見ている……と言う脅しで、脅してもこの脅しに屈する人間も殆ど居なくなったように思うのである。
 こうなると、益々「まごころ」は廃
(すた)れるばかりで、やがては至誠と云う言葉すら死語になって行くかも知れない。言葉が実に軽くなった時代なのである。

 だが、私は「まごころ」と「至誠」に思いを馳せたい。
 あの貧乏でも毅然
(きぜん)として生きた原憲の生き態(ざま)のように……。

 原憲は孔子の弟子で、清貧を貫いた人物で知られる。
 この人物ほど、常に「天が見ている」と意識した人は居ないであろう。必ず視ているのである。そう自覚していたのは『平家物語』にも出て来る原憲であった。
 そういう意識を持てば、必然的に凛
(りん)とした態度をとる。誰も視ていないでも、その態度は胸を張ったものになる。

 例えば、誰も視ていない路地裏の往来に、分厚い札束の財布が落ちていたとしよう。
 これを拾って交番に届けるか、猫ババするかである。ここに人間としての「格」が顕われる。
 かの原憲の凛とした姿を検るがいい。ここに人間としての「格」があった。
 既に述べたが、子貢が原憲の草庵を訪ねたときのことである。
 このときの光景を想い描いて頂きたい。こういう状況に遭遇したとき、人はどう言う態度をとるかでその人物の価値が決まるようである。

 孔子の弟子であり、「孔門十哲」に数えられた子貢は、原憲が門を離れ、一人隠遁生活を送っていると言うことを聞きつけ、彼に会いたいと思った。そして原憲の草庵を訪ねる運びとなった。

 子貢は豪華な四頭立ての馬車で乗り付けた。このとき彼は衛の相に出世していた。
 原憲の草庵は田舎道の果てにあった。進めば進むほど道幅は狭くなる。もう四頭立ての馬車では通れなくなり、子貢はそこから先歩くことになった。子貢が歩いた先に、粗末なあばら屋があった。
 その前には、原憲は子貢を迎えた。
 その様は、藜
(あかざ)の杖を突き、着古した粗末な衣冠に、破れた履(くつ)からは踵(かかと)が食(は)み出した有様であったという。
 だが、原憲は自らの姿を毛ほども恥じるようすはなく、毅然として胸を張り、昔ながらの謹直な態度で、出迎えの礼を返した。

 子貢は、しかし原憲の姿を見て、思わず恥ずかしくなった。内心は、いやしくも孔子の高弟でありながら、仮に世は避けて隠遁したとは云え、その姿は何だ!……と一喝するつもりだった。
 ところが、原憲は毅然としていた。

 その原憲に対して子貢はこう言う。
 「あなたは何と病んで
(苦しんで)おられるのか」と嘆息して、妙なことを訊いた。この嘆息に、子貢の痛烈な皮肉と責めがあったことは言うまでもない。
 子貢は原憲に「あなたは病んでいるのか」と訊いたのである。仮に世は避けているとはいえ、こんな態
(ざま)でいいのかと訊いたのである。責めたのである。
 それを聴いて原憲は首を振った。依然として凛とした態度を崩さない。
 そして、「財産が無い者を貧しいと言い、道を学びながらそれを行えないことを病む
(苦しむ)という。私は確かに貧しくはあるが、だが、断じて病んでなどいない」と毅然として言い放った。

 更に言及して「世間の目を気にして行動し、周囲に諂
(へつら)う者を友とし、他人に自分が学があること誇り、ただそのためにあなたは学問をして来たのか。教えたことで人から謝礼を取り、そのために人に学問を教え、仁義の心を学問などと偽って、結局、見栄を張って、馬車を立派に飾り立て、見せ掛けの行動で、尊大なる態度で人に学を教授するのか。そういうことは到底、私には出来ない」と指弾するように遣り返し喝破(かっぱ)した。衛の相になった子貢を痛烈に批判したのである。

 原憲の凛としたところこそ、人間の「格」であろう。そこに人としての高い人格があろう。
 このように痛烈に指弾されて、子貢は自分の態度を大いに恥じ入り、生涯、己のこの発言を悔やんだと言われる。
 これも恥に気付いたのも高い人格であろう。子貢は恥を知っていたからである。

 原憲は、孔子の在
(あ)りし日の毅然とした態度で問うた「恥とは何か」を思い出したに違いない。
 子曰
(しのたまわ)く「恥とは、邦に道あれば穀す。邦に道無きに穀すは恥なり」であろう。
 また原憲にこう言わしめたのは、彼が中途半端な貧乏人ではなかったからだ。根っからの極貧であり、自分では極貧とすら感じても居ないし、貧乏すら気にも止めていない。確かに中途半端な貧乏であれば、もしかすると原憲は音を挙げていたかも知れない。

 ところが極貧である。半端なものでない。
 もう貧乏を恥じる次元でもなく、その域は中途半端な赤貧を通り越して「清貧」の域にある。気高き域に到達している。何を恥じることがあろう。

 ボロを纏っていても構わないし、履
(くつ)が破れ、頭上の冠が貧弱でも構わないのである。もうそんなことは一切関係ないのである。此処まで肚(はら)の据わった極貧の境地に至れば、却(かえ)って気が楽で、まさに悠々自適を楽しんでいるという風雅の趣(おもむき)すらある。
 また、原憲は「困窮が人間を正しく考えさせる」という、一風、風変わりな金や物に縛られない真理を発見していたのかも知れない。
 そして、この毅然とした態度にこそ「天は見ていた」のである。見られて試されていたのである。
 物質的な追求生活に奔走している人は、原憲の風雅さなど分るまい。
 思えば、昨今の世の中こそ、かつてないくらい物は満ち足りていて、物質的には一応幸福なのだろう。ところが、幸福はそれだけではないと感じている人には、今の世こそ空虚に感じるものはないであろう。



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