運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
運命転換術 1
運命転換術 2
運命転換術 3
運命転換術 4
運命転換術 5
運命転換術 6
運命転換術 7
運命転換術 8
運命転換術 9
運命転換術 10
運命転換術 11
運命転換術 12
運命転換術 13
運命転換術 14
運命転換術 15
運命転換術 16
運命転換術 17
運命転換術 18
運命転換術 19
運命転換術 20
運命転換術 21
運命転換術 22
運命転換術 23
運命転換術 24
運命転換術 25
home > 運命転換術 > 運命転換術 4
運命転換術 4

古詩に、「鼠をいとおしんで常に飯を残してやり、蛾を憐れんで灯を点けない」というのがあるが、これは慈しみの心を顕したもので、また仁から出た言葉である。
 実際に鼠をいとおしむ人など居るまい。また、煩くまつわりつく蛾に対して、わざわざ虫の命を惜しんで灯を消す人も居るまい。

 しかし、このような愛惜の心が常に自分の心の片隅に鎮座していて、物の哀れを知ることくらいは必要ではないかと思うのである。そして、出来るだけ殺生をしない。
 この殺生をしないと言うことだけで、陰徳の積み重ねになるのである。

 例えば、自分の舌先三寸の味覚を満足させるために動物の肉を喰らわないとか、それを啖うためにわざわざ高級レストランに出向いて美食を喰らうというなどの「貪り行為」である。
 こういう貪ることは出来るだけ控え、人間レベルの勝手気ままは慎みたいものである。

 陰徳は善行の始めなり。
 それは殺生をしないことと、放生を実践することである。
 したがって、人間の性に近い四ツ足やその他の肉は出来るだけ喰らわないようにして、性
(さが)から遠い生命の命を頂いて、わが命を繋ぐ。例えば、野菜類や穀物類の慎んだ食生活を実践することである。
 例えば『菜根譚』の「菜根」も此処に人間の食性を認めた処世術を説いている。

 人間は自分が生きるために他の動物を殺してそれを喰らったり、その他の生命を奪って、その命を頂き、自らの生を繋いでいる。これは畏れ多いことであり、ゆえに物を愛する気持ちを抱かねばならないのである。

 物は、愛すれば愛するほど悲しい。ゆえに愛すると言う字は、また「かなしい」と読むのである。
 ゆえに、また慈悲があるのである。悲しむことがなくては、人間の人生道も徳行も一切皆無となり、それゆえ絶えず物の命をいとおしむ行為が必要なのである。この行為こそ「善行」といい、またこれを「陰徳を積む」と言うのである。

(写真は根野菜の甘露煮である。穀類や野菜こそ、人間の性より遠い、人間に許された食べ物である)



●気の毒だと思う心

 「鼠を愛して常に飯を留め、蛾を憐れんで灯を点(つ)けず」という言葉がある。
 さて、何を以て物の命を愛借するのか。
 人の人たる所以は唯一つ。
 それは物の哀れを感じたり、可哀想に思ったり、不憫
(ふびん)だと言う気持ちであろう。気の毒に思う気持ちである。
 所謂
(いわゆる)惻隠の心を持っているかどうかに懸かるのである。
 孟子も「惻隠の心は仁の端なり」といっている。
 人間が仁を求める気持ちは、この物の哀れさと、不憫なものを見て気の毒だと思う気持ちである。

 陰徳を積む。
 一言で「陰徳」といっても難しい。
 言うは易しである。
 陰徳の背景には仁があり、仁を求める心こそ、陰徳の始まりと、かの『陰隲録』では説いている。
 この書には運命転換の仕方は詳細に述べられている。
 その中に「仁」を説き、孟子が言ったように「惻隠の心は仁の端なり」の実践編が論じられているのである。そして仁を求める心こそ、「惻隠の心」を求めることだとして、徳を積むことの大事を説いているのである。

 では「徳」とは何か。
 まず仁を求める「惻隠の心」は忘れてはなるまいが、一方で「四不食の戒」というのを実践するように説いている。

 「四不食の戒」とは、第一に動物を殺すと聞いた動物の肉は食べない。第二に動物を殺す場面を見たときのその肉は食べない。第三に自分で飼っている家畜の肉は食べない。第四に専
(もっぱ)ら自分を持て成すために殺した持て成し料理の肉は食べない。

 特に戒めとして大事なのは、賓客が来ると、わざわざ動物なり鶏などを裁いて、これを客に振る舞う場合があるが、こうした肉は遠慮して食べないことが徳の証
(あかし)であり、出来れば人間と同じような性(さが)を同じくする哺乳動物の肉は出来るだけ食べないようにする。
 そして自身も出来るだけ殺生をしないようにする。
 「殺生をしない」というのが慈悲の心と愛借の心に繋がるもので、これは仁から出た「万徳」の源泉となるのである。

 現代の日常生活の中には、至る所に殺生の現実が転がっている。殺生のための暴力が広く波及している。だがそれに、右へ倣
(なら)えして人真似行為に奔(はし)ってはならない。人のふりを見て、それに便乗せず、自らを戒めることである。

 殺生を戒める。
 これは仁から出た言葉であり、此処にこそ人としての慈悲の心がある。
 殺生を戒めるのと、同じように「放生」という言葉がある。
 例えば、亀や鯉などを川に放してやるのを放生といい、これは殺生をしないと言う戒めにも繋がっているのである。殺生と放生とは表裏一体の関係にあるのである。



●人生の貸借対照表

 運命と同じように、陰陽の支配を受け、その中に取り込まれて、予定された通りの人生を履行しなければならないのである。
 つまり運命の陰陽の支配とは、貸借対照表で言えば、「資産の部」と「負債の部」の関係なのである。「負債の部」を抱えている人は、どうしても運命の支配を受けてしまい、この「そもそもの 間違いは何処にあったか」と気付かされるのである。

 この場合、金銭的な情報を読み説く力が無かった事であり、これを運命に例えれば、「陰徳を積み上げる能力」に欠けていたと言えるのである。こうした人の 多くは、金銭的には資産と負債の意味が分かっておらず、借金で買い込んだ物まで、自分の資産と勘違いしていたのである。

 したがって、これを運命に喩えた場合、いま一時的に順調に見える順風満帆
(じゅんぷう‐まんぱん)な時期を、自分の生涯の総てと勘違いしてしまう事なのである。「満つれば欠ける」という運命の支配を知らなかったのである。こうした人は、予定された通りの人生を履行する事になる。つまりこれは、「因循いんじゅん/古い習慣に因り循したがっていて改めようとしないこと)」という二字の為である。

 私たち人間は、自分で自分の墓穴を掘っている事に、中々気付かないものである。しかし、この墓穴に落ち込んでいると気付いたら、それ以降、もう墓穴を掘 るのは止めなければならない。早く運命転換法を知り、因循から逃れて、運命を転換させるには「陰徳」を積まなければならない。
 しかし、自分で自分の墓穴を掘っている事に気付いたとしても、多くの人は、奮発し、運命を改造しようと努力はするが、それは目先の努力であり、かつ、末端的な努力であり、こうした努力はどんなに一心に励んでも、天命を変える事はできない。

 それは何故か。
 自分の不徳を知り、過ちを改めようとせず、自分の非に気付かないからである。付焼刃
(つけやき‐ば)のような末端の努力では意味がないのである。これでは、ついに一生を一定の、予定された通りの天命に任せ、運命の陰陽に支配されて、空しい最期を遂げるのである。
 運命を転換させ、吾
(わ)が人生を、より善く生きようとするならば、運命転換法の根本を知って、この実践に努めなければならない。

 雲谷禅師は袁了凡に、運命転換法の秘伝を授けた。そして日時を無駄にする事なく、善悪を基準にした貸借対照表とも言うべき「功過格表」を示し、これに毎日記録する事を促したのである。毎日、一日の終わりに、日記と共に記録を書き、その日一日に為
(な)した功過を反省する事を促したのである。そして記録したものを、一ヵ月で纏(まと)め、一年で纏めるのである。たゆまず実行する事が、運命転換法の第一歩なのである。

 『陰隲録』に記された
「人生の貸借対照表」によると、功過格(『雲谷禅師伝』改)は次のようになる。
 なお、功過格表を作成するにあたり、現代の時代に相応しくないものは除外した。

人生の貸借対照表・功過格表
功 格(資産の部)
百功に準ず 一人の死を救免す 一人の人間の生命を救い、死から救う。
一婦女の節操を完うす 一人の女性の貞節を、結婚前に犯さぬ事。
【註】例え恋人関係にあっても、相思相愛の仲であっても、肉体関係をもっての愛情表現は「過格」となり、逆にこれを厳守すれば「功格」となる)
一子を堕胎せず 堕胎したり、堕胎する事を思いとどまらせる事。
一身内の不具者を捨てず 自分の妻子や夫が身体障害者(事故での不具や精神障害での障害者)や、植物人間になっても、これを施設などに捨てず、慈しんで最後まで愛情をもって面倒を見る事。
五十功に準ず 一嗣を延続す 世継ぎの絶えるのを防ぎ、継続出来るようにしてやる事。
一人の骸を埋(うず) 一人の亡骸(なきがら)を手厚く葬る事。
一無縁者を弔(とむら) 無縁者の葬儀を行い、弔って埋葬する事。
一流浪者を救免す 困窮した流れ者やホームレスを生活出来るように助力する事。
吾命を他に賭(と) 自分の命を投げ出して、他人の為に尽くしたり、自分の資産一切を投げ出して、社会や他人の為に命賭けで尽くす事。
慈愛忘却せず 身体障害者や植物人間になった妻子、夫、父母、義父母らを慈愛をもって世話をする事。
【註】昨今は身障者の身内を私設に預けたままにし、また精神病患者や、脳溢血などで半身不随になった夫や妻と離婚し、新たな人生を出直そうとするが、これまでの慈愛で世話をすれば「五十功」、捨てれば「百過」の過格を背負う事になる)
一倚(よ)るなきを収養す 身寄りのない子どもや老人を引き取って扶養する事。
三十功に準ず 一非為人を勧化し行いを改めさせる。 無法者や不良少年を教化し、間違いに気付かせ、善に導く事。
一冤罪えんざい)者の潔白を証明する 無実の罪に苦しむ者を助け、無罪を明らかにして、潔白を証明してやる事。
十功に準ず 一有徳人を推薦する 有徳の士を推薦し、引き揚げてリーダーにする事。【註】現在では被選挙民と選挙民の関係で、有能な政治家を立て活躍の場を与える)
一民害を防ぐ 環境保護や公害防止の運動にに無償で参加する。
五功に準ず 一人の訟を勧息す 訴訟を起こそうとしている者を思いとどまらせ、争う事の愚を諭(さと)す。
一人の生命を保益する方法を伝える 健康法をはじめとして、食養や養生の正しい食餌法を伝える事。
一家畜の生命を救免する 牛や馬や豚などの一家畜の生命を救う事。
三功に準ず 一横を受けて嗔(いか)らず 一無法な仕打ちを受けても、それに対して腹を立てず、仕返ししない事。
一謗を受けても弁ぜず 誹謗や中傷を受けても、それに対し、言い訳や弁明や弁解をしない。
一耳に抗(さか)らうを受け流す 自分に対して不愉快になる事を云われても、それを甘んじて聞き流す度量を備える事。
一撲責すべき人を饒免す。 打ち据えてやりたいような者に対して、憤激せず、これを許してやる事。
負を饒(じょう) 他人に貸した金品などの債務は、困窮者に限り、免除してやる事。
一無益なる畜命を救免す 人間の益に直接関係のない鳥獣でも、その命の絶える事を救い、保護する事。








一人の善を讃える 一人の善人の、行いなどの善を褒(ほ)め讃える事。
一人の悪を暴かず 一人の欠点や、悪い所を暴露せず庇(かば)う事。
一人の非為一事を勧止す 一人の非行に趨(はし)って、悪を犯そうとしている人間に勇気をもって忠告し、それを止めさせる事。
一人の争いを勧息す 一人の争う事をしようとしている者を諭して、止めさせる事。
一病人を介助し、治する。 一人の病気で蹲(うずくま)る人を助け、手当てし、あるいは病院に連れて行ってやる事。
一人の飢えを済(すく) 一人の飢えている人の飢餓状態を救ってやる事。
一微細湿化の属命を救う 微細な生物まで恩を及ぼす事を指すが、大自然の生態系を守る事にも通じる。
遺を遷(かえ) 人の忘れ物を返す。(また忘れ物や落とし物は着服しない事を指す)
人畜役(えき)して憐れむ 人や家畜を使役した後は、「ご苦労様でした」と労(ねぎら)いの言葉を掛ける事。
道橋を造す 自分の所有する山林や敷地内に道を造り、橋を架けて、人の往来を助け、便宜(べんぎ)を計る事。
利を還元する 印税や賞金や賞品などは、自分一人が一人占めせず、公衆の利益と思って、一部を社会に還元する。
倹約節約の行い 無益に浪費しない事。(世の中は消費時代で、大衆消費社会が出現しているが、こうした流行に流されず、物を大事に使う事)
食を弄(ろう)せず 食べ物を大事にして、食べ残しをせず、日頃から食べ物を残さないように心掛けるべき事。
【註】これを一日単位に考え、その日のうちの食材などを検討し、穀物菜食に徹し、しかも食べ物を残さずに食べたら、これを「一功」とする)
一約を果たす 時間の約束、契約履行の約束など、自他の間で結んだ約束は必ず果たす事である。(時間なども厳守し、5分前を徹すべし)
興す所の事、利一人に及ぶ 事業を起こし、人が働ける職場を起こして、その利益が一人に及ぶ事。
【註】従業員十人の会社であれば「十功」、百人であれば「百功」、千人であれば「千功」である。企業の経営者は、従業員並びに従業員の家族に奉仕している)
過 格(負債の部)
百過に準ず 一人の殺害す 一人の人間の命を奪う事。(過失や事故であっても、過ちである)
一婦女の節を失わしむ 一人の女性の節操を暴力などにより強姦する、あるいは婚姻前に寢る事。
【註】後者は合意であれば男女同罪)
一子を溺らせ一胎を堕す 生まれて来た子どもを邪魔物扱いにして死なせたり、人工流産させて死に至らせる事。
一身内の不具者を捨てる。 自分の妻子や夫が身体障害者や、植物人間になり、これを施設に捨てたり、夫婦の場合は離縁する事。
五十過に準ず 一人の胤(たね)を絶つ 一人の胤を絶ち、世継ぎを絶えさせる事。
一人の婚を破る 折角決まった男女の婚姻を、嫉妬や横恋慕で破断にさせる事。(多くは悪口を言ったり、興信所の調査結果で婚姻を反故にさせる)
一人の骸を抛棄す 一人の亡骸(なきがら)を抛棄して、見て見らぬふりをする。(先の大戦中によくあった)
一人の冤罪者を作る 一人の無実の罪の者を犯罪者にしてしまう事。裁判官を指摘している。
【註】無実の者を意図的犯罪者に仕立て上げ、刑に服役させる事で、冤罪により死刑判決を受けた場合、この証言者は陥れた事により「五十過」と殺害の「百過」を併せた殺害者となる)
一人の離散者を致す 一人の放浪者をつくりだしてしまう事。またそれが元で、一家離散を導く事。【註】家族が四人いて、四人が散り散りバラバラになれば、「五十過」×4倍の「過格」となる)
三十過に準ず 一人の介行を毀(こぼ) 一人の一生懸命に精進努力している者を妨害したり、冷やかして、崩してしまう行為。
一人の行いを謗して穢す。 一人の人間を誹謗中傷し、一切合切を暴き立てて、その名誉を穢(けが)す事。
陰私を摘発し、行止(こうじ)の事を犯す。 影に隠れた事を摘発して、これを暴き、マスコミなどを通じて世間に公表し、他人の成就を邪魔する事。
十過に準ず 一有徳人を排擯(はいひん) 有徳の士を、自分の利害関係から、悪口を言って排斥(はいせき)する事。
一匪人を薦用(せんよう) 自分の利害関係から、悪人と分かっていても、これを用いたり、重要なポストに起用する事。
【註】例えば、貸金業者や不動産業者が暴力団を取り立てに使ったり、立退に使ったりする行為)
一の原節(もとせつ)を喪(うしな)った婦を受触(じゅしょく) 既に貞操観念(夫婦が互いに負う貞操を守るべき覚悟)を失った一人の女性に触れたり、性交する事。
【註】但し、節操のない尻軽女に近付く事を戒めているのではなく、男女共に不倫を戒めている)
冤白を得るも白せず 無実の罪である事を証明出来るのに、その儘にしてしまう事。
一病の難者を救わず 一人の病人が助けを求めているのに、これを無視し放置する事。
【註】交通事故やその他の事故現場に居合わせていて、怪我人が助けを求めているのにも関わらず、これを無視して放置する事)
一人の訟を唆(そそのか) 一人の者に裁判をするように唆し、その人を訴訟に巻き込む事。
一人の借返済せず 一人の個人間で借入した金銭を踏み倒す事。
一の衆生を殺す愚行 衆生とは人間のみを言うのではない。人間と同じ性(さが)を持つ動物を殺す事。
五過に準ず 道路橋渡を阻截(そせつ) 道路の通行を妨害したり、道路脇のガードレールやミラー塔を損傷または壊す事。
一家畜の肉を喰らう 牛や豚や鶏などの家畜の肉を食べる事。
【註】家畜を殺せば「十過」、食べれば「五過」、救えば「五功」である)
無責の行い 一人の者を保証人に仕立てて、自分は返済を怠る事。
一の化を乱す詞伝を編纂す 一冊の風俗や猥褻(わいせつ)を煽(あお)る書物を発行し販売する事。
三過に準ず 一耳に抗(さか)らうを噴(いか)り、諂(へつら)い媚(こ)びを売る者に寛容す 一つの耳に抗らう事を聞いて腹を立てる事。
【註】例えば忠告や諌言に憤激する事である。また逆に、お追従をする者の言を快く思い、この者の失敗に対して寛大に取り計らう事である)
一の尊卑の順を乖(そむ)き、身形で尊卑を計る 肉の眼で人を観(み)る事を戒め、乖離(かいり)での人の観察を戒めている。
【註】人生には長幼の順が有り、浅はかな判断で、物の秩序を間違う事である)
両舌人を離間す 二枚舌の者、口先ばかりで、饒舌(じょうぜつ)な者を仲間にする事。
一非法服を服す 地位や階級に相応しくない制服を着る事であり、身分不相応な事。








一人の善を潰す 一人の者が行った善行を無にしてしまう事である。
一人の争いを唆す 一人の人間の争いやケンカを嗾(けしか)け、面白がって傍観者になる事。
一人の悪を播(はん) 井戸端会議などを通じて、一人の過失を言い触れたり、面白半分に悪口を言い触れる事。
一盗を見勸阻(かんそ)せず 一人の盗みを働いた者を知りながら、これを傍観し、これを諭(さと)したり、咎(とが)めたりしない事。
一無識者を欺誑(ききょう) 一人の無垢(むく)な者や愚者、低年齢者の無知に付け込んで、遣り込め、これを騙し、欺(あざむ)き、誑(たぶら)かす事。
一約に負く 一つの約束を破り、背く事。【註】時間を守れない人間は既に運命の陰陽に引き摺られている)
一礼を失う 一つの礼儀を失う事。
【註】一回の無礼無作法も、「一過」にあたるので、それが度重ねれば、過格は増えていく)
一人の憂驚を見て慰釈(いせき)せず 一人の心配事や憂いのある人に対し、慰める事もなく、また相談に乗る事もなく、無関心で居る事。

 以上は、明代の袁了凡(えん‐りょうぼん)が生きていた時代の運命転換法であるが、当時の「功過格表」の通りに実行すれば良いと言うものではない。
 まず現代と、中国の明代とでは、第一、時代背景が違うし、環境も異なり、情勢も異なり、一概にそぐわないものを実行せよと言っても、無理があるように思う人も少なくないであろう。
 あなたも、その一人かも知れない。
 しかし、果たしてそうだろうか。

 人間には善悪が顕われ、しかし善も悪も何れかに極端に偏ることは無い。
 善を致す人に運を好転させる人をみるが、これも最初から定まったものでない。運は常に変動し、そしてある日突然と言うように、奇なる「特異点」を持っている。
 したがって、不運に苛まされ行き詰まりをみせ、二進も三進も異な格なる状態であっても、それは永遠に続くものでない。定まったものでない。

 これは栄辱死生においても同じである。
 定まった運命があると看做すのは短見である。それは妄想に過ぎない。
 人間は一旦妄想を抱けば、妄想が連鎖するように働くから、妄想の類は心の曇りを取って常に駆逐しなければならない。

 『孟子』には「求むればすなわりこれを得る。我に在るものを求むるなり」とある。
 これは善行・陰徳と言うのは、そもそも自分の裡側にあり、また徳も仁もみな裡側に内在しているのである。これらは努力して求めることが可能になるのである。
 他力一乗の働く所以である。




  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法