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武門の妻 前篇 5

西郷派大東流馬術構想図

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●西郷派大東流馬術構想

 この更生施設は、小・中・高校生の登校拒否者らや、自閉症などの心に悩みを持つ青少年、あるいは現代という時代の高速加速度がつく社会の動きについていけない性格粗暴の若者を対象に、純粋な動物を見て、自分を見つめなおす環境を造ることであった。それと併せ、これに孤児院の併設だった。
 つまり両親の離婚や、両親の交通事故死などで、両親、あるいは片親を持たない遺児が増えている。この遺児を救済する目的も考えていた。

 この施設は、少年少女の特別養護施設である。
 此処では、少年少女に年寄りの智慧や経歴に尊敬を抱く思想を育てると言う発想に加え、更に養老院を付設するのである。

 これは老人が少年少女と接することで「先生」となり、また智慧を教えることで若返る。あるいは、日々、孤独に過し、極端な人嫌いの離人症のような障害を持つ老人をドッキングさせ、「抗早老病対策」を狙ったものだった。
 また、リストラなどをされて職を失った中高年層を施設の職員として再雇用し、これら三者が連携して、互いに助け合う構想プランを描いていた。雇用対策にもなるはずだった。

 そして、ここで核となるのは、「馬」である。
 馬は他の動物に比べ、優れた癒しのエネルギーを発する能力を持っている。
 馬は人の心を癒
(いや)す。ホースセラピーの能力がある。
 その能力を十分に引き出し、これを人間に当てる。馬を通じて、それぞれの人間の集団は、相互扶助の関係を保つ。

 例えば、高齢期に達した老人は、単に死を待つだけの老人であってはならない。老人の残された晩年の生き方は、まず、子供にかかわりを持つことによって、誇りある晩年の名誉が回復される。自身が誇り高く死んでいくことを、今の青少年に見せつけるのである。
 次に、子供は高齢者に対し、尊敬の心を抱く考え方が生まれ、老人を「長老」として崇
(あが)めることにより、そこから人生の智慧を導き出せる。

 更正施設の青少年は馬を世話しつつ、ホースセラピーによって、壊された心の修復を図り、本来の人間性を取り戻す。
 当然そこには、老人の見る目も変化が起きよう。
 馬を核として、三者は相乗効果により、より充実した人生を生きることが出来るのである。

 現代という社会は、高度資本主義経済の真っ只中にあり、この社会システムは、一部の人間層に歪
(ひずみ)を齎している。
 社会全体の進歩が高速化し、加速度的な進歩が要求されるようになると、こうした高速回転をする遠心分離機のような社会から、弾き出される人間が出てくる。

 こうした人間は、「社会の落ちこぼれ」として扱われるだけではなく、社会の犯罪の縮図に閉じ込められ、そこから抜け出せない危険性を孕
(はら)んでいる。こうした悪への勧誘を阻止しなければならない。
 これらが起因して、更に社会は混沌とし、不穏な世の中が出現する危険性を孕
んでいる。また、こうした最下位の階層を放置すれば、社会の不安や不幸現象は益々増大するばかりであろう。

 アメリカでは、少年犯罪者の殆どが、たった一週間、馬を世話するだけで、犯罪を犯した少年たちが立ち直り、自分の罪の恐ろしさを認識し、真人間に戻っていくという、大きな効果を挙げているという報告がなされている。

 しかしながら、日本にはこうした施設がなく、老人問題も、少子化する未来の子供たちの健全な育成プランもないまま、無能で貪欲な政治家たちに、この日本の未来を、政治家親子どもの相伝画策によって、引き渡そうしている。利権相伝である。
 果たして、こうした我田引水的な内輪継続で、日本の未来は健全といえるのだろうか。

 そして、見逃せないのは、JRA
(日本中央競馬会)で、一回ごとのレースのたびに、相当数の馬が廃馬にされていることである。
 骨折などの事故で廃馬になる馬は仕方ないとして、単に、治療可能な剥離
(はくり)などで廃馬になる馬も多く出ている。
 こうした馬は、成績不調続きのためか、ひとレース走ると、直ぐに注射を打たれ、次の瞬間には冷凍車に載せられているのである。馬肉になるために……。

 廃馬を積んだ冷凍車は馬肉にするために、解体工場へと向かう。何と言う、可哀想な、勿体ないことをしているのであろうか。
 単なる剥離だけならば、数ヵ月ほど治療をして、十分に乗馬にも使えるのである。事実、こうした馬が、その後治療して、国体で優勝や準優勝する成績も収めているのである。

 私はこの現実に対し、JRAが廃馬した馬を殺さずに生かすことができないか、また受け皿としての馬場施設などがないか提案をしてきたのである。しかし、私に力を貸そうという人は皆無だった。
 実現不可能な、荒唐無稽な構想だと見下されていたからである。

 かつて、平成4年から13年3月までの九年間、滋賀県大津市瀬田に住んでいたが、そのとき、私の下
(もと)に、稽古に来ていた中堅の建設会社の社長がいた。その人は京都から習いに来ている門人だった。
 その当時、この社長に『ホースセラピー』の話をしたことがあった。
 そして、それを聴いた後、「さっそく、その話を銀行に持って行って、事業計画書を出してみたらどうですか。私が幾つか紹介しますよ」という話だったが、結局、事業計画書を出さず仕舞いになってしまった。

 その後も、平成17年頃、大分県別府から習いにきていた高齢者の門人Sさんが、この話を聞いて、大分県の、あるバス会社と観光ホテルをしている経営者のKさんに、私から聞いた話を持って行き、青図面だけ引いて交渉が始まったのだが、結局門人の爺さまが、途中で高血圧で斃
(たお)れ、この話はそれっきりになってしまった。
 もし、この爺さまが斃れなければ、今ごろ湯布院か何処かで、『ホースセラピー』の構想が実現していたかも知れない。
 そして、月日が流れた。

 しかし、後援者が絶えたからと言って理想郷追求を諦めた訳でない。
 その夢と理想への追求は、沸々と未だその火が消えること無く燃え続けている。しかし、私が生きている間に最終段階まで到達するとは決して考えていない。
 私の役目は、第一段階を達成し、その後残った尚道館を血筋に誰かに受け継がせ、その時点で私の命は尽きるであろう。
 そしてその志は、血筋が受けて子の二代へと継続し、二代が出来なければ孫の三代が受け継ぎ、血筋を脈々と継続させて行くのである。

第一段階 道場に事業部を起こして、道場という「函物」を取得する。
 そのために刀剣業務である『大東美術商会』を起こし、次に大学予備校『明林塾ゼミナール』を起こした。ここで函物を介し、武芸・武術一辺倒でない一般道場生の募集のみに留まらず、個人対象の教伝方式を採用した。また馬を知らずに、「武士」としての職能集団の真価は認められないからである。
第二段階 道場という「函物」を構えて信用を得つつ「有徳の士」を募る。有徳の士の後援を得て、ホースセラピーを目的とする「西郷派大東流馬術構想」の達成に向けて馬を放てる土地を確保する。
 場所は山林や原野であり、先ず開墾し、平地にならし、馬を入れるための厩舎を造り、人が棲めるような家屋を建て、働く人を雇い、志を同じくする志願者を集める。
 またその活動は文武の両道を目指すとともに、吉田松陰方式の「講師当番制」に習い、各自が役割を果たして、構想村開拓団を作り上げていく。
第三段階 農事開拓者を募り、屯田兵的なものを組織し、農業を基本とする産業を興し、馬育成に努める。大半は自給自足の食糧に当てたが、残りは農協などで販売する。資金調達は、少しでも換金して、軍資金を蓄えたのである。共同経営を募る。
 共同経営の基礎は、原始共産制に習う。数字羅列の経済優先政策はやがて崩壊の憂き目を見て、貨幣経済自体に疑いがあるからである。貨幣は無効になる時代が来るだろう。
第四段階 構想村開拓団の農事を通じて、社会にホースセラピーを還元し、馬・子供・老人の三者を合体させる特異な構想の実現する。馬と言う生き物を通じて、癒しを展開する。
 人間と性(さが)を同じくする馬は、信頼関係を保てば、これを裏切ることなく、最後まで義理堅く履行(りこう)し、信頼関係を実行するのが、「馬」という生き物である。
 この信頼関係において「人馬一体」をホースセラピーとして社会に還元する。人間に御世部を心理的影響は大である。

 ユダヤ人は血を重んじる民族と言う。血を重んじることは、往時の日本人とよく似ている。
 彼らユダヤ人が血を重んじる理由は、血の中にこそ、血統の伝承によって、初代の志を受け継いで行くという使命があるのである。
 しかし、それを一代で完成しようとは思っていない。
 何代も懸かり、百年、二百年は元より、千年単位でもその理想を果たそうとするのがユダヤ人であると、私は若い頃聴いたことがある。

 私の場合は、ほぼ第一段階を達成しつつあるから、上出来というべきであろう。その後、子が受け継ぎ、子が達成できなければ、第二段階、第三段階を孫へ、更には曾孫へと受け継いで行けばいい。初代の理想郷を血筋に子孫に観るのである。
 そして、私の『ホースセラピー』に大きな影響を与えたのが、少年時代、平戸で育ったことから祖母の影響が実に大きいのである。

 祖母は大正期の女学校時代、馬術の選手であった。
 家は武家の出で、岩崎家に嫁に来て、長らく祖父と連れ添い、一時期、祖父が米相場で失敗して没落の憂き目を見たが、それも戦後には再興できて血筋の絶えるのを食い止めた。
 今にして思っても、まさに祖母は「女傑」というような人であった。

 祖父は一時期、洋行帰りなどと人の羨
(うらや)む生活をしていたが、一夜にして米相場の失敗で、ドン底に墜ちた。家族を巻き込んでの顛落を遣ってしまっていた。
 そのとき叔父が特別年少兵として佐世保海兵団に入隊し、海軍水兵の僅かな給料で残された祖父母並びに、私の父らの兄弟の生活をみたという。私が現在こうして生きていられるのも、叔父の海軍の給料で、父らをサポートしてくれた御陰であった。
 戦後、叔父は親和銀行に勤めていたが、私が平戸に預けられた時には岩崎家が見事に再興し、それなりの屋敷に住んでいた。

 この時期に、私と祖母の関係は深く、それは馬術に於いては師弟関係のようなものであった。この祖母の馬に対する影響が、私の志の中枢を貫いているのである。

 私は三十代初めまで、どう言う訳か結婚離婚を度々繰り返した。女房運はあまりよくなかった。
 しかし、どう言う訳か、最後の女房だけは理想という面で実にぴったり気があってしまったのである。それも九星気学で言う最も悪い「火と金」に於いての関係である。
 九星気学で言えば、九紫火星と七赤金星は、最も悪い相性と言うことになっている。犬猿の仲と言う。
 しかし、実際にはそうはならなかった。

 相思相愛とはいかないまでも、かと言って
、別段仲が悪いなどはなく、ごく一般に、順調なる生活を営んで来た。また、波瀾の中でもそれを嫌がり愛想をつかされることはなかった。
 窮地に立たされても、能
(よ)く蹤(つ)いて来た。ドン底の極貧生活にも甘んじて、不平を聴いたことは一度も無かった。

 極貧に甘んじていながら、また窮すれば通ず……をひたすら信じた。
 根拠は、運命は開け、創造できるものであるからだ。
 九星気学や四柱推命の論理のように固定的なものでない。それには、今日、明日、明後日と区切らず、目先の損得に囚
(とら)われないで、出来るだけ長い目で観察することが大事だ。
 「占い」という、一面に囚われては、そこで固まる以外あるまい。考えに迷いが出ても当然である。
 その上、思考も頑迷の波に翻弄
(ほんろう)されるだろう。

 それを防ぐためには、出来るだけ多面的に、全面的に、全体的に、立体的に、大局から考察する必要があろう。
 そして人間がこの世に存在する、この世に生まれた、こうした実際は、則ち、私たちの人生と言うのは、一つの「命
(めい)」である。

 その「命」は、宇宙の本質たる、限りなき創造変化の中に置かれ、それは動いて止まざるものなのである。「命」は、流動するからこそ、「運命」という。
 “動”を伴うから「運」という。運命は「動」で顕わすのである。
 運命の「運」は、“軍が走る”という文字からなる。軍隊が走るから、それは凄まじい。軍隊が大動をするのである。だからダイナミックなのだ。
 このダイナミックなうねりの中で、大いに揉まれ、鍛えられ、そして耐えた。

 ところが世間では、「運命」と云う言葉が正しく理解されていない。極めて通俗的に誤解され、宿命と、ごちゃ混ぜになっている。
 多くの一般大衆の想念には、運命を決まりきった「人生の予定コース」と考えている。固定化して、観ている。

 つまり、何年何月何日にどこどこの大学に入学し、何年何月何日にそこを卒業し、何年何月何日にそこそこの企業に就職し、何年何月何日に恋愛をして結婚し、何年何月何日にマイホームを建てる。
 何年何月何日に子供も生まれる。更に、その頃の何年何月何日に係長に就任し、管理職候補に選出され、やがて課長に昇進し、何年何月何日に部長となる。

 五十の折り返し点を超えたところで、過労から病気となり、何年何月何日に恢復
(かいふく)して、一応退院し、何年何月何日に両親の何れかが死亡して、親の財産を引き継ぎ、何年何月何日に定年まできっちりと勤め上げ、その後は悠々自適の年金生活者となる。
 八十歳くらいまで、一応世間では長生きと言われる年齢まで達し、それから後は、子供に迷惑をかけないために何処かの老人ホームに入所し、平均寿命を超えた何年何月何日に死亡してこの世を去る、というようなものを運命と思いがちだが、これは運命ではなく、明らかに「宿命」である。

 何年何月何日と「日付け」が固定されている限り、これは流動する運命などではない。
 明らかに宿命なのだ。
 宿命の「宿」は“泊まる”という意味である。泊まると言うことは、固定化され、実に機械的である。
 ところが、運命は流動的で留まることを知らず、もっとダイナミックなものだ。決して機械的な、メカニカルなものではないのである。いつも動いているのだ。この動きは、軍が走るほど、凄まじいものなのだ。

 ひと頃、九星気学は、その方位に凝っていた家内に、運命の流動的なる、ダイナミックなものを、私にこんこんと説き続けたことがあった。人間の「命」というものは、大いなる創造と変化の中にあって、始終動き続け、決して止まることないと教えたことがあった。固定された宿命ではないと言うことを、今度は逆に私が、こんこんと諭
(さと)したことがあった。

 そして、私たちの仲を挙げ、九星気学の相性が、ちっとも当たっていないことの実際を説いたのだった。固定なるものの中に、運命論など存在しないことを教えたのだった。これに縛られる愚を諭したのだった。
 それ以来、家内は、奇麗さっぱり今まで熱心に信奉していた九星気学を、あっさりと捨ててしまったのである。この潔さに、後の、運の好転の前兆を見たのだった。

 このように考えてくると、九星気学の相性判断こそ、恐ろしいもので、これに盲信することは、則ち、自分の人生を失うことだと判断したのであった。占いは占いである。占いの範疇
(はんちゅう)を一歩もでないのである。当たるも八卦、当たらぬも八卦なのだ。どこにも実際的根拠がない。それはあくまでも占いであった、占い以外の何ものでもないのだ。

 ゆえに、占いで自分の未来を判断する者を、私は信用しないのである。
 結局、この類
(たぐい)は、自らの占いで出した落し穴に、自身で落ちていくのである。その落ちることも気付かないで、愚かにも、自分で自分を占って、自己満足しているのである。人を占う者は、またその占いのよって墓穴を掘り、自らがその穴に落ちるのである。

 私たち夫婦は、見合いでもなく恋愛でもなく、双方が勝手に寄り添い、一つ屋根の下に住み着いたようなものだった。あたかも陰陽が互いに引かれるように、そうした関係で、夫婦を構成したのあった。

 いま振り返れば、世間に在
(あ)り来たりな結婚式を挙げた分けでもなく、ささやかな披露宴すらした分けでもなく、結婚写真すらなく、結婚指輪の交換もなく、したがって家内は、その後も花嫁衣装に袖を通すことはなかった。

 二人の結びつきは、誰からも反対されなかったが、また誰からも祝福された分けでもない。
 確かに家内は、嫁姑戦争の苦労はしなかったが、一つ屋根の下に寄り添ったときは既に私の親はなく、したがって相続する財産もなく、親戚付き合いも一切やらず、婚姻届も、妊娠して子供が産まれる段になってやっと提出したくらいで、子供が産まれたら産まれたで、誰からも誕生祝いを貰ったことはなく、裸一貫、夫婦二人三脚で、誰の力も借りず、運命の創造と変化だけで、人生の荒波を乗り切って来たのである。それは「自力で」という言葉に代表されるような、「努力する他力一乗」だった。

 最初、夢を語り、理想を説いた。
 それに奇しくも家内が喰い付いた。
 貧乏同士が寄り添う結婚生活から始まった。
 夢を追い、理想を論じ、「幸福には至らなかったが、しかし幸福への道を夫婦で歩いたことは、とても幸福であった」というプロセスを家内に仕掛けたのである。この仕掛けに、見事に喰い付いた観があった。

 更に、極めつけは『緋文字』を著したホーソーンの妻ソフィアの話である。
 ホーソーンは税関の職を奪われ途方に暮れた。
 妻のソフィアは職を失って困り果てていたホーソーンに、貧乏は懲
(こ)りている筈なのだが「まあ、それじゃあ、また本が懸けますね」と嬉しそうに答えた。
 そこでホーソーン。
 「そりゃそうだが、本を書いている間の暮らしがね……」と困ったようにいうと、「それはちゃんとこういう風に」と、ソフィアはこれまで少しずつ貯めたへそくりを着せたのである。
 あたかも山内一豊の妻に劣らぬ激励にホーソーンは感動した。悪妻・鈍妻に悩む男だったら涙の出るような話である。かつてこの話を家内にしたことがあった。

 そして気付けば、添い遂げて三十年以上が過ぎていた。以外に長持ちした。しかし不運にも家内が55歳の時に死に別れしたのである。
 思えば珍しい女だったが、こう言うのを不思議な因縁と言うより、何らかの意味があったものと感得するのである。

 人は何らかの意味と使命をもって、この世に生まれて来る。単に生まれて、動物的に生きて死んでいくのではない。そこには何らかの意味があり、人それぞれに使命がある。その使命に気付くか気付かないかは、その人が生きた後転の気の作用によろうが、現代は多忙の時代であるから、自分の生まれ出た意味と使命を知らずに死んで行く人が多いようだ。残念である。

 またそれを象徴するかのように、日本語が急激に近年は変化してしまった。
 マスコミが流行させた奇妙な日本語が氾濫している。国籍不明の訳のわからぬ現代語に併せて、奇妙な感嘆語が「こだわり」とともに氾濫している。

 例えば「信じられない」とか、語尾を引っ張る「すご〜い」とか「かわしい〜」である。
 感動を表す感嘆表現が、昨今は実に安っぽくなっているのである。多忙と平行するように、これらの言葉が巷
(ちまた)に溢れている。そして、何処でも、何にでも、常套句か社交辞令のようにお手軽に乱れ飛んでいるのである。
 その一方で、こうした感嘆表現は持続性が無く、もう数分後には消滅している。そして再び元の無関心に戻る。
 日本人は何事にも無関心となった。それは、単なる無知か思想上の怠慢から起こっている現象であろう。

 戦後は、人の心に深く刻み付けるような人物が出て来なかった。日本の敗戦、そして敗戦後は、まさに胃袋の時代であった。腹を満たすことが第一条件だった。
 それが終焉
(しゅうえん)したと思ったら、次は高度経済成長の時代に突入していた。金銭至上主義が猛威を揮いはじめた。しかし「衣食足りて礼節を知る」とはならなかった。
 礼儀は益々忘れ去られた。そして今日も、その延長上にある。

 物質的には確かに満たされているが、精神的には現代人は全くの不完全であった。そもそも物に追われて人間不在でもある。人物論など、崩壊したままである。そのうえ人間関係は難しい。複雑でもある。
 これは単純化が疎外されているため、何事も簡単に、一筋縄ではすまされない現実が登場したと言えよう。現代の危惧は此処にあると言えよう。

 私の場合は、早くから漠然とした何かを感じていたから、いま思い返せば、間違いなく私の中に祖母がいたのである。祖母の響力が大きかった。

 最後の女房と籍を入れただけの結婚だったが、前妻と同じように平戸に連れて行き、祖母と“お目見え”させる行事から始まった。
 当時、母は亡く、父母より年長の人は祖母一人だけだった。他は総て死に絶えていた。祖母のみが健在であった。そこで祖母に惹き合わせるために、墓参りを兼ねて、平戸に連れて行かねばならなかった。

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