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如何に死ぬべきか 3

聖跡を標示する為に作った支提しだい/梵語:caitya)を塔と呼ぶ。地中や地表面上の仏舎利収容部、心柱、頂上の相輪に本来の塔の名残が見られる。


●死を致す覚悟

 「迷い」は一体何処から起るのであろうか。
 それは「死」が限り無く怕
(こわ)いからである。また、人の死は普通、「いつ死ぬか」ということが正確に把握できないからである。

 この事は、末期癌患者が医師から余命予告されて、その余命が的中されないことからも明確であろう。余命の期限を待たずに死ぬ者もいるし、余命以上に、うんと長生きをする者もいる。
 これこそが、死が予測できない大きな理由であり、人が「いつ死ぬか」などは、人間の能力を遥かに超えたところに存在しているのである。

 10代、20代の若者は、本来は死を予測するような年齢でないと思う。死ぬには、あまりにも若過ぎると言う、死を遠い日に思わせる観念があるからだ。
 この若年齢で、死を予測し、覚悟している人は、何か恢復
(かいふく)が難しい重い病気に罹(かか)った人である。
 しかし一方で高齢者は、自分の大方の寿命を逆算して、死を覚悟し、肉体的快楽生活から離れて、精神的な成熟した人格完成の為の生活態度が必要であろう。

 精神的な生活とは、人間が死と倶
(とも)にあることを自覚することである。これは精神的なレベルから言っても、自分は死について何を思い、どういう死に方を選択するかの覚悟である。死が突然襲って来て、それまで「生」に固執していても、死ななければならないと思ったら、「生」から潔く離れるべきである。

 人間の「生」は天命より生かされている限りにおいて生存は約束されるのであり、生きる因縁が失われれば、死を覚悟しなければならない。その場合、できるだけ、見苦しいと言う態度は回避しなければならない。

水の流れるような静かな安住の世界。静けさの中にこそ、人が安らぐ、穏やかな世界が広がっているのである。

 生きるだけ生きたら、次は「死を致す」という態度は必要であろう。
 「今」とは、今こそが最高であり、これ以上の「今」の最高はない。
 後にも先にも、「今」はやってこない。「今」を生きる中に人生の妙があり、これを真剣に生きることが「今」の経験であり、また、「今」において死が迫っているのなら、今こそ「死を致す覚悟」が必要であろう。
 この覚悟が確立されてこそ、人は、穏やかな心の安住を得るのである。



●心の安住

 誰もが、「人生、如何に生きるべきか」と思い、これに心を砕く者は少なくないであろう。
 それは「現代」と言う社会が、目紛
(めまぐる)しく変化するからだ。
 そして、「如何に生きるべきか」と反芻
(はんすう)すれば、そこに「よりよい生き方はなかい」と模索する者は少なくないであろう。

心の安住を得る。

 日本人は戦後、経済発展の繁栄にその恩恵を享受し、物質文明から授かる様々な利点を手にした。それは便利さ、豊かさ、快適さという名目で、誰もが少なからず預かっている。
 しかし一方で、精神文化と言う、個人の身の律し方には除外し、無頓着でいる者が多い。また、自分を粗末にしている者も以外と多い。

 それでいて、多くの日本人は、何かに止まり、狼狽
(うろた)えている。科学万能主義に入れ揚げ、物質至上主義の恩恵を享受しながらも、自分達の未来が確かでない事に、何かしらの不安を抱いている。その不安の出処を探すが、確たる証拠は掴むことができない。
 また、不安解消を、政治が片付けてくれるとも思っていない。勿論、経済がそれを救ってくれるとも思っていない。不安の出処の原因は何も掴んでいないのだ。

 しかし、不安の出処が突き止められないまま、やはり何かに不安を感じ、そして迷いを抱いている。こうした問題点を、自分の小さな力で解決出来るとも思っている筈はなかろうが、では、それを科学が解決するとも思っていないようだ。

 何故ならば、科学は人間の為の、本来は道具であったからである。
 道具は、私たちの生活を便利に、豊かに、快適にするが、人間の命を幸福にするものではない。道具は、あくまで道具であった筈だ。
 そのことだけは、かつては多くの人が心得ていたようだ。道具の遣い方を知っていたのである。

 人間は便利さや、豊かさや、快適さを、至福
(しふく)と混同してはならない。倖(しあわせ)と置き換えてはならない。こう肝に命じ、納得していた。

 しかし、文明に加速度がつき、時代の流れが速くなると、幸福と道具がイコールのように錯覚し始めた。多くに人間が、これを何と混同している事であろうか。
 この混同の誤謬
(ごびゅう)が、人間の本当の生活を歪(ゆが)め、精神的貧弱と、満ち足りない心の不幸に陥れているか、これを考える人は、余り居ないようだ。

 かつての共産主義の出現は、人間の幸福の為の「模索の一つ」であった。誰もがこれに飛びついた。太古の原始共産主義に平等の制度を見たからだ。
 ところがカール・マルクスによって確立された近代での「科学的社会主義」の理論は、虚構の一種でしかなかった。それは人類の実験的な試案に過ぎなかった。

 この理論によれば、人間を客観的合理性によって行動する「経済人
homo oeconomicus/経済的かつ合理的な考慮から行動する人間)」だと定義し、この論理に従い、そうであるならば、「善良にして有能な人民官僚」が出現すると考え、万人に対し、共通の最適規格を発見出来る筈だと考えた。

 この最適規格だけを大量生産すれば、最も効率の良い、生産システムが出来上がり、万人に等しく、豊かさの恩恵を享受出来る筈だと考えたのである。しかしこうした社会は、最後まで実現しなかった。

 それは何故か。
 科学的社会主義とは、唯物論的人間観と、科学的客観性と、大量生産効果とを全域に波及させ、それに全信頼を委ねる事であった。また、極度に近代工業社会的な理想を追求した事にあり、この理論を信じて作られた社会主義国では、競争原理が生まれなかったので、規格化され、大量化される一方で、官僚管理が起り、やがてこれが行き詰まる元凶となって行った。
 官僚が人民を監視し、管理し、酷使したからだ。
 かくして社会主義は、一等上に控える共産主義まで辿り着く事が出来ず、また共産主義も虚構理論であると言う事が暴露された。

 では、競争原理の働く資本主義ならば問題解決はなるのか。
 否、資本主義自体も、老いていて、多くの腐朽
(ふきゅう)を露(あらわ)にしている。
 歴史的に見れば、社会的な歴史の方向転換は、ルネサンス以来の近代史の方向性は、資本主義
(capitalism)社会の出現によって、近代史に止めを刺したかに思えた。
 ところが、産業革命によって確立した生産様式は、剰余価値を利潤として、手に入れる経済体制はマルクスによって、労働階級を搾取
(さくしゅ)する手段と定義付けられたのである。

 一方、社会主義はどうだったか。
 一切の私有地や私物を認めず、人間が客観的合理性によってではなく、各個人の主観的な満足感で動こうとする人心の感性までは、ついに最後まで縛
(しば)る事が出来なかった。社会主義下の人民は、万人共通の規格化されたものを欲するのではなく、感性によって、多様化する知力の世界を追い求め、社会主義が行き詰まる現実を招いて行った。

 そして1980年代に入ると、電子技術などの発達により、多品種少量生産の原価が低下し、大量生産効率が乏しくなる結果を招いた。それに加えて、社会主義の不備と、それに対する人民の不満が吹き上げた。社会主義の官僚制度は完全に機能しなくなっていたのである。

 東側社会主義陣営の崩壊は、軍事的はミスでも、外交的な政策の失敗でもなかった。
 科学的社会主義の理論に基づく、一党独裁の官僚統制が、文化的な破壊を齎
(もたら)したからである。その結果、社会主義体制が崩壊しただけでなく、ソビエトやユーゴスラビアなどの国家までもが崩壊し、消滅してしまったのである。その後、これ等の地域では内紛が起り、移民流出が激化し、流血の内紛状態が今でも続いている。
 そして社会主義体制は、これ等を食い止める抑制の機能までもを失っていたのである。

 こうした社会主義諸国での惨事を余所目に見ながら、日本国内では、これと並行して、資本主義市場経済の盲点とも言うべき、バブル崩壊が、急激かつ徹底的に襲っていた。
 所謂
(いわゆる)これも、近代工業社会が終焉(しゅうえん)する過程に顕われた徒花(あだばな)であり、規格大量生産を発展させ、必然的に生じる供給過剰を輸出と投資の拡大で、均衡させようとした時代錯誤の結果からであった。

 以降、競争市場において、需要と供給との関係によって成立する価格である競争価格は、早過ぎる現実について行けず、混乱と戸惑いを煽
(あお)るばかりだった。
 膨らみ過ぎたバブルの消滅は、現下の需要縮小や資産価格の値下がりを招き、深刻な不況を誘発し、景気波動を低迷させ、社会気質が急速に変化する環境を作り上げた。

 もはやこうなれば、人々は立身出世や、成功致富の夢に、「人生とは何か」という疑問を、そこに見い出す事は出来なくなる。奮闘だ、努力だ、ファイトだと言う激励は、単に負け犬の遠吠
(とおぼ)えのように響いて来る。在(あ)り来たりの人生論にも、倦(あ)きが来て、これらはすっかり信用されなくなった。

 しかし人々は、「力」を失っているのではない。力と言う、力そのものを見失っているだけである。力の究極を見出せないだけである。
 では、見出せない原因は何処にあるのか。

 それは目的論の誤りである。何によって生きて行こうかと言うのではなく、「何によって死のうか」という事を知ることである。
 人は、生まれた以上一度は、死ななければならない。富豪貧富の差なく、老若男女の別なく、誰にでも同等に与えられているのである。
 したがって、一度は死ぬのであって、死ぬべきものを捕まえる必要がある。そしてこれを捕まえた時、イデオロギーとは関係なく、本当の「心の安住」を得るのである。



●この旗の許(もと)で死のうではないか

 長い動揺や、不安や、迷いから抜け出すためには、「生きて行くには、どういうふうにしたらよいか」というタテマエ論的な考え方から抜け出す必要がある。
 生きることを考えるのではなく、間違いだらけの自分の過失を、一旦放棄しなければならない。それには先入観を捨て去り、固定観念を消去することである。

 あるいは損得勘定で物事を考えたり、利害や打算に振り回される考え方に凝り固まっていては、一寸の休息もなく、心に安住は訪れない。こうした考え方に左右されているうちは、まだ、来ても居ない明日のことが心配になり、将来のことが心配になる。そこで、こうした物に囚
(とら)われている間中、安定がないから、力も湧いて来ないのである。

 生きていると言うことは、他の生き物を犧牲にして、自分が生き延びるということである。
 生きるためには、「喰
(く)わなければならない」からである。それは他の生命を喰い、あるいは他人を蹴落とすことである。

 生存競争に勝ち残り、生きて行こうとすれば焦心
(しょうしん)する為に、人間は却(かえ)って「本当に生きる道」を殺して、打算と利害と利潤追求の道を選択しなければならなくなる。
 この道を選択した場合、行き詰まることは目に見えているのである。
 しかし、こうした愚に気付くのは、とことん追い込まれ、その極処に来て初めて気付くものである。

 人より、一歩先んじて生きることが、実は生きることではなく、自分が本当に生きると言う事を殺していたのだと……。
 そして囚われたり、こだわったり、行き詰まりを防止するためには、「依
(よ)って以て死ぬべきもの」を捕まえねばならぬことを……。
 そこで、此処に来て目から鱗
(うろこ)が墜(お)ち、「何と一緒に死ぬべきであろうか」という、これまでとは異なった課題に挑戦する事になる。

 人の生き方を示唆
(しさ)するものに「戒律」なるものがある。
 戒律は本来、自分の生活をより善
(よ)く生かし、日常生活を整頓し、効率をあげる事を目的にして作られたものである。
 しかしこうした一面ばかりを強調して、それに随
(したが)うのであれば、その戒律は本当にそ、の人を生かしていないことになる。
 また、戒律の存在する意味も生きて来ない。

 本来、戒律と言うものは、戒律によって生を共にするものではなく、戒律とともに死すべきものであった。ところが、戒律とともに生きようとしたところに、戒律は、かえって生身の人間を縛
(しば)り付け、もっと豊かに、もっと便利に、もっと快適にと言う物資面を追い掛ける生き方に繋(つな)がり、手枷足枷(てかせあしかせ)の状態となった。これにより、本当の戒律は崩れ、人の生き方も生存競争に疲れ果てて、生そのものにも、張りや艶(つや)が無くなり、ついには萎(な)えてしまうのである。

 「金や物に頼って生きて行こう」あるいは「これを基盤に栄えて行こう」と言うのでは、本当の人生の道が不明確になり、己自身を生かして行く味が分からなくなる。「人の道」に行
(ぎょう)じて行く味が素気ないものになる。道と一緒に、自分も死ぬのだと言う次元に至った時、初めて道が見えて来る。
 道とともに滅びようとした時、初めて道は、人を真当
(ほんとう)に生き返らせる事が出来るのである。そこには奪われるものがないからだ。

 「もうこれ以上、何も奪われるものがない」という次元に至った時、人間は、初めて強く慣れる。怖れるものが無くなり、動揺するものが無くなるからだ。これこそが、「捨身
(すてみ)」である。
 力ある生き方とは、実は「依って以て死ぬべきもの」を見つけた時、そこに命の源
(みなもと)を見るのである。

 「この旗の許
(もと)に死のうではないか」
 こういったものを見つけた時、懦夫
(だふ)も勇者になるのである。
 これまで女々しいと映っていた者も、「慎重である」と映るのである。
 多くに人間は、死ぬべき目標を見出せない時、ひ弱な者は女々しく映る。何もかもが逆方向に見え、そのように判断する。

 私たちは、これまでの人生の中で、朴訥
(ぼくとつ)な人を「田舎っぺ」とバカにして来た。決して、「素直だ」「実直だ」「勤勉だ」「律儀だ」とは評価しなかった。自然の様を、素朴な様を「ださい」としたのである。

 これと同じように、勇敢な人を、都会では「乱暴者」と呼び、熟慮する人のことを「決断力がない」と決めつけ、仕事に丁寧
(ていねい)な人を「のろま」と罵倒(ばとう)して来た。悉(ことごと)く色眼鏡で見て、評価を誤り、その深層を全く見抜けなかったのである。
 また、こうした評価の誤りから、人間の生死すらも誤って来たのである。死を極力恐れ、これから逃げ惑ったのである。
 いったい逃げるだけ逃げて、本当に逃げ切ったのであろうか。

 例えば、ガン病棟に入院している末期ガンのガン患者は、死を悉く恐れ、こうした状態にあっても、生き延びたいと懇願
(こんがん)する。抗ガン剤を打たれ、副作用に苦しみ、それでも生き延びることに異常な執念を燃やす。
 枕許に死に神が佇
(たたず)み、いま死の決断を下す刹那(せつな)になっても、まだ生への未練が断ち切れないと言う。
 なぜ、生に固執するのだろうか。

 生き延びたい事は、何人にとっても最後の執念であり、生きる事への人情であろうが、何故、固執するのだろうか。
 本来、死は恐れるべき対象でなかった筈だ。生と同根であった筈だ。死ぬ事は、実は、よく生きる事であった筈だ。

 死のうと決心した以上、戦って戦って、生き盡
(つ)くす覚悟が生まれる。
 愚かな事で、ヘタに死ねないと思う。自分を大事にしなければならないと言う心が生まれる。何が何でも命だけは、という気持ちが生まれる。今までの不摂生
(ふせっせい)に気付く。夜の喧騒(けんそう)に誘惑され、浮かれていた愚かな自分に気付く。
 そして、一旦死のうと覚悟したのであるから、死んだとて何の後悔もない筈だ。

 しかし、不思議なことに、死のうと覚悟したことが、実は死ぬどころか、とことん自分を最大限に生かしてくれるのである。これこそが真当
(ほんとう)に楽な生き方であり、人を生かしむる偉大な行動も、こうした決意と覚悟から生まれて来るのである。

 「何によって生きようか」と言うことを求めていたのでは、死ぬべきものが探せなくなる。したがって、損得勘定や利害ばかりが先行する。こうなると焦心からは、逃れられないものになり、じたばたしなくてはならなくなる。
 これこそが、真当
(ほんとう)に自分を生かす生き方ではなく、実は自分を殺す生き方だったのである。こうしたことを念頭に置いている間中、真当(ほんとう)に生きた日は、一日もなかった筈である。



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