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死の超剋と人生哲学
 人間とは如何なる存在の生き物であろうか。果たして、存在が実体なのか、非存在が実体なのだろうか。
 もし、非存在として死すべきものが生きているという事になれば、これこそまさに奇蹟であろう。生きている人間は、その日々を奇蹟によって生き繋(つな)いでいると言えよう。

 だが、その奇蹟もやがて潰(つい)える時が遣(や)って来る。死を迎える時が遣って来る。

 長い間、非存在であるべき人間が、かりそめの生活を営みながら存在を享受し、長らく人生を生きてくると、死すべきはずの存在が、いつの間にか死から逃れようと藻掻き始める。
 特に、この人生において財を成し、社旗的な地位と名誉を手に入れた物質的な成功を見た人にとって、死ほど恐ろしいものはない。長らく、この中に居て、もっともっと快適で豊かな人生を更に貪(むさぼ)りたいと考え続ける。

 斯
(か)くして、その人の死は見苦しいものになる。
 死に臨んで醜態を曝(さら)すことになり、最後の最後まで欲の世界から抜け出せないのだ。欲に囚(とら)われた生き方をしてきた人は、更にこの感覚は強く、死を殊更(ことさら)恐れるようだ。

 また一方で、「いつ死んでもいい」と言う人がいる。しかし、そう言う人に限って、いつまでも生き残りたいと心の中で密かに思っている。
 況
(ま)して、殺されるなどとなると、これに激しく抵抗し、すんなりと死を覚悟しないものである。

 死を追求すると、現代人にとって死ほど難しいものはないと思えて来るのである。したがって、この難しさ故に宗教に帰依する人も少なくない。
 特に現代の新興宗教に於ては、死を解決する手段を説くのでなく、ただ死から逃げ回り、「信じて、行いをすれば、病気をが治る。運が良くなり、あなたの暮らし向きもよくなる」などの「現世御利益」を標榜(ひょうぼう)するものが氾濫(はんらん)している。その上、多額の金品を寄進させられる。

 こうした現世御利益に縋(すが)る人の多くは、この手の宗教が理性を証明する方法がないことに、眼をすっかり晦(くら)まされ、目先の現象に酔い痴(し)れるその場限りの快楽・享受の実態に気付かないのだ。
 しかし、死を解決する手段として、本来信仰に全うすれば、この世では得をすることより損をする方が多いのである。この錯覚にも気付かぬまま、これに入れ揚げる人も少なくない。
 宗教に縋った故に、第二の不幸が襲う現象である。死は「現象」如きで解決できない問題なのである。

 では、人は何故、死から逃げ回るのだろうか。
 それは本来非存在であるはずの実体が、存在という現象に慣れ過ぎて、自分だけはいつまでも存在できる物体と勘違いすることから始まる。これにより、人は諦めを悪くする。生に縋りたいと思う。

 運命と言うものは、人間の手にあまる代物である。
 人間の力など、この運命には対峙(たいじ)できるはずもない。これが解れば、生から死に移行する思考も早くなろうし、諦めもよくなるよいうものである。

 人間は、齢(とし)を取ると、人生での残り時間を逆算して、大方いつ死ぬか検討がつくものである。後半の人生は死への解決に向かって抗っていかなければならない人生が展開されるので、人は五十路(いそじ)の齢を過ぎれば、死について考え続けなければならない。この作業を怠ると、臨終
(りんじゅう)に際して取り返しのつかない醜態をしでかすのである。

 人間の生き方は、出来るだけ素直な方がよろしい。また、潔(いさぎよ)い生き方のほうが、臨終にも迷いが生じなくなるであろう。
 失敗したら謝り、間違いは反省して同じことを二度としまいと素直に反省し、身に覚えの無い誤解は解くように解決を試みても、それでも駄目なら、後はさっぱりと諦めるようにした方がよい。
 それこそ、「涼(すず)やかな生き態
(ざま)」であり、「死を致す道」ではあるまいか。

 何ごとにも「こだわらない」ことである。拘泥して固執しないことである。また執着しないことである。さらりと流して、悔悟(かいご)の念を残さないことである。

 人間が現世を生きる上で、「人生何をすべきか」という質問に対し、この質問を青春時代から問い続けてきた足跡は誰にでもあろう。
 ところが、若い時、この質問に対し明確に答えられた人は果たして何人いるだろうか。
 若者が終始投げ続けてきた質問は、遂に答えられず、全く答えが出なかったと言うのが実情ではあるまいか。

 では、どうして答えに窮するのか。
 それは非実在の人間が、実在であるかのように映っているからだ。実体は「まぼろし」に過ぎないのだが、これを実在の対象と見てしまうからだ。

 現象界の事象は、自分の行為が決定するかのように思い違いする。総ては、「自分の蒔(ま)いた種」の結果だと思う。ところが、そうではない。
 実際にはそれ以外の方法が関与して、事象を起こすものではないと考えがちだが、しかし考えてみれば、人間の決定したことが正しかったと言う保証は何もない。幸運の女神が微笑
(ほほえ)みを止めれば、いつ、酷い狂気に襲われるかも知れないのだ。

 そして、自分の行為が正しかったと確信を持てば持つほど、人間はいつの間にか思い上がり、畏敬の念を忘れてしまう。
 つまり、「恐れ戦
(おのの)きながら」という謙虚さが欠如するのである。この欠如が浮上した時、また、人の死は実に見苦しいものになるのである。

目次一覧

死ぬとどうなるか
第一章 大往生とは
死の恐怖意識の克服 見えない心 事故死の実体 非業の死 姦淫(かんいん)はするな 因果律と逆因果 不倫から齎(もたら)される報い 自分の肉体すら、自分のものではない この世に、自分の物は何一つない 死相とは「生」から「死」への「凶の移行」を云う 死して名を残すだけでは、大往生は出来ない 人が生まれると言う事は、一体どういうことか 山水信仰 尋香(じんこう)の意味を知る ほか

第二章 断末魔
断末魔(だんまつま)はあるのか 死後、成仏をする為に、宿命は自分で変えなければならない 「霊」という文字の悲壮の意味 物質信奉者や肉体信奉者の末路 メグリが齎(もたら)すもの 死後の世界を否定する唯物論 死が生の終わりとする考え方は正しいか 架空の極楽浄土が発生させる地獄界 本来は地獄も極楽浄土も存在しない ほか

第三章 霊的世界の構造
波調の世界がつく出す霊界の構成図 平等に課せられた「人の死」と、死後の想念 極楽浄土と言う地獄 よき死を得る為には、死に方が大事 現世と言う現象界は、霊界で起っていることの反映である 方便と言う俗諦(ぞくてい)の時代は終った 生きている、肉体があるうちに「改心」しなければならない 愛すべき微生物の崩壊とガン発症 事故死とはどういう現象か ほか

第四章 苦しみの世界
ボケにより「死にざま」を兇くする 脳と心の関係について 生まれる時の逆のコースを辿るのが死である 老と病の苦しみ 渇愛(かつあい)の幻想 阿修羅(あしゅら)の世界 神々の世界 永続する意識 ほか


死ぬるも、また一大事
第一章 死生観
寿命について 一寸先は闇(やみ) 「無」に回帰する非存在の人間 死ぬるも、また一大事 今日一日と言う「大きな恵み」 人間は大きな御加護を宿している 生きるも死ぬも、総(すべ)ては因縁から始まる ほか

第一章 臨終
寿夭不貳(じゅよう‐ふに) 生死を超越してこそ、絶対自由の世界が開ける あるが儘に生き、あるが儘に死ぬ 融通無碍(ゆうずう‐むげ) 徳と働き 巡り 生きるという事は、知る事ではなく行う事だ


第一章 六道を輪廻する
六道輪廻(りくどう‐りんね)に見た先は 臨終という秘儀 心の性格 死して、その後の出発 捨てることの意味 死を迎えるとは、何が一大事なのか ほか

死の荘厳
死生観を超越する さて、そろそろ死のうか 死と死後硬直について 死の荘厳(そうごん)と歓喜 他人の生命を自分の生命と同じに扱う「自他同根」 生命の玄妙(げんみょう)を知る 生きとし生けるものが所有する命 死に態(ざま)の大事 死生からの脱却 魂の不滅 死にたくないと言う願望は何処から起るか 一切空 近づきつつある餓鬼の世 天産自給 弥栄(いやさか)の法則 魂の上昇と昇華 ほか


鎧を纏った仏たち
日本人の霊的神性が失われた日 日本人の価値観が、精神より物質へと移行した日 欲の心が作り出す迷いに、人の人生は曝(さら)されている 生きるだけでも、人間は「苦」である 仏法では、人に巡り合うから更に苦しみは増えると教える 誰でも仏に近付けるが、それだけ苦悩も多くなる 愛だけでは、どうしようもない ほか


死の訪れ
死という現象 死は、何処で決定されるのか 死後硬直後の腐敗 死とは、どんな姿でやってくるか 事故死による断末魔(だんまつま) 個体の消滅 人間に、なぜ死が訪れるのか 死そのものを真摯(しんし)に見つめる 死に態(ざま)について考える ほか


合気武術概論
 武術は本来、「死の道」として説かれた、一種の道標(みちしるべ)であった。
 人が何故、武術を修行するのか。それは「道」を学ぶ為のものであった。「道」とは、即ち「死の道」であった。

 武術が、人間と人間との間で命の掛け引きを行う以上、そこには当然、命のやり取りの根本である、「死」が説かれれいなければならない。死を超越し、生きることにも執着せず、死することにも潔(いさぎよ)さが求められた。そして生死(しょうじ)を超越するものでなければならなかった。

 人間は生・老・病・死の「四期」を辿(たど)る生き物である。どんなに武勇に優れ、素質や才能を持ち合わせて生まれて来た武勇の士も、齢(よわい)には勝てない。武勇の士とて、齢と共に老衰し、死を目前に控え、うろたえる。

 その多くは、病気や老齢の為に、死を目近に控えた、かつての武勇の士も、側近の手を煩(わずら)わせ、周囲から老醜に満ちた「この人さえ生きていなければ、どんなに楽で、どんなに楽しかろう」と思われるようになる。いま、こうした往時の武道家が増えていると言う。

 かつては自らの伎倆(ぎりょう)に物を言わせ、百練千磨の勇士も、老衰と共に、その人の「困った存在」が「困らされる存在」へと移行する。世話をするその人が、幾らお人好しでも、困らされている時には、「困らされる人」に対し、何とも承服できないものである。

 現代の世は、武道家とて人間である以上、この世界の規則に制約されて生きなければならない。
 一口に、人間は平等とか、民主主義とか、差別撤廃と言うけれど、最も肝心な「心法」を養い、その修行のした事の無い、自称・武道家では、言葉の上だけで人間の生きざまを完成させる事は出来ない。それは、そもそも武術修行を通じて、才能と素質に裏づけされた伎倆面(ぎりょうめん)ばかりを追い求めた結果である。

 往時(おうじ)の「手練(てだれ)」といわれた人の中には、伎倆に固執した為に、「死の道」の修行することもなく、これを安易に見逃し、自分が一個の完成した固体だと思い上がってしまった為である。そこに往時の武道家の醜態がある。
 そして、こうした間違いをしない為には、はっきりと「武術」と「武道」の違いを見極めるべきであろう。

目次一覧

合気剣術武範
第一章 剣術の世界
合気剣術に向けて 大東流剣術 大東流剣術と居掛之術(いかけ‐の‐じゅつ) 刹那の迷い 太刀の理合と大東流合気剣術 なぜ、「試し斬り」や「据(す)え物斬り」が必要か 二刀合気の躰動(たいどう)

第二章 二刀剣の世界
合気二刀剣・陰陽乱斜刀…旋回刀操法 二刀剣から一刀剣へ 一刀剣から無刀へ 無刀から無構えへ 大東流合気二刀剣の戦闘思想 合気二刀剣に見る車之陣(くるま‐の‐じん)

第三章 五行之剣
斬る為に造られている日本刀 五行之剣(ぎょぎょう‐の‐けん) 五行之剣の戦闘思想 五行之剣と居掛之術 皿飛ばし 伝統武術と伝承武道の違い 殿中居合 試し斬りと据え物斬り 剣武に賭ける思想 ほか


合気手裏剣術
第一章 武芸十八般
《武芸十八般》と合気手裏剣術 手裏剣こそ「小能く大を制す」最大の特長を持つ 合気手裏剣術の実際 長距離に手裏剣を打ち込む為には 太陽手裏剣 合気手裏剣術の実際 ほか

第二章 霊的世界
大東流の、歌舞伎を模した「見栄(みえ)」は動かぬ標的になってしまう 胃は命の「イ」を顕す 武術の「武」は、敵の侵略を食い止める事を第一義とする 現代社会を表す大脳生理学の鬩(せめ)ぎ合い世界 健脳状態を保つ為に修練 霊的世界を見る「第三の目」 ほか

第三章 手裏剣を造る
投擲武器のいろいろ 手作り手裏剣製作の手順 試し打ちと握り方のいろいろ 本鍛え四稜稽古用手裏剣の販売について ほか


大東流柔術
第一章 基礎編
柔術儀法の構成 他力一乗(たりき‐いちじょう)の妙技 次段階の基本柔術 藤下(ふくざが)りと絞業(しめわざ) 寝技、絞技の大事 (わ)が身を捨つることの大事 大東流柔術の史実と武勇伝は違う 秘伝とは奇想天外な業(わざ)である ほか

第二章 応用編
西郷派大東流の武術哲学 思想の中に「依(よ)って以て、死ぬべきもの」を探究する 扱心流(きゅうしんりゅう)柔術に学ぶ柔術の理念 捨てる中に柔術の奥儀がある 太刀捕りと太刀投げ 修羅場(しゅらば)の遺恨をどう乗り越えるか 柔術の頸固(くびがため)と点穴術(けんけつじゅつ) ほか


大東流合気柔術
第一章 戦闘思想編
西郷派大東流合気武術の儀法 西郷派大東流に検(み)る立合気や棒合気 柔術で学んだ儀法を自在にするにはどうしたらよいか 柔術による合気は、捨てることを第一義とする

第二章 術理実戦編
水掴行(すいこくぎょう) 重い物を軽く遣い、軽い物を重く遣う 挫けぬ力 内在する力


大東流合気之術
第一章 思想編
合気之術を会得する為の合気揚げ 足運びや足遣いの基本 架空の歴史観に騙されるな 合気剣の理と密事 時代にそぐわせようとすると、斬新かつ洗練されたものになる 合気揚げを行う為の体質改善 武運を養わねば合気之術は会得できない 握力と合気揚げの関係 力の無い人間は病原菌やウイルスに感染し易い 合気には構えが無い

第二章 実戦編
合気之術の組み立て 二刀の合気 大東流合気之術は太子流と似通った側面を持つ 戦いとは、一人の弱者をよって集って袋叩きにする事だ 吊り合う「合力」


耶和良之術
第一章 巴御前
巴御前(ともえ‐ごぜん)の馬上組打 巴御前の耶和良之術(やわら‐の‐じゅつ) 世の中は聖人の目で評価されるのではなく、愚人の目で評価される 耶和良之術と武士の嗜(たしな)みとしての馬術

第二章 蜘蛛の掛け
馬上武術と片手斬り抜打 蜘蛛(くも)の掛け綱と馬上抜打 西郷派大東流馬術の「輪乗り」 ほか


合気揚げ戦闘思想
合気揚げとは  合気揚げとウェート・リフティングの重量挙とは異なる (ゆる)みと腰砕け 動蛋白信仰と牛乳神話からの解脱 異化作用と同化作用 伸筋と屈筋は「5:5」の関係でバランスをとっている 伸筋と屈筋をアンバランスにする鍵は合気揚げである 過去の栄光は、人生を豊かにしない 芭蕉(ばしょう)の詠(よ)んだ「兵どもが夢の跡」の本当の意味 過去の出来事は再来しない 精神統一の難しさ 動く禅 「動く禅」と「動かない瞑想」とは、どう違うのか 素振り吐納法 木刀は振れば振るほど、無我の境地に近付く 合気揚げと木刀素振り 素振りから得る「絡めつき」の副産物 真の「内なる力」を需(もと)めて 木刀の柄を握るという、潜在意識に至る行為 合気揚げをするのに、なぜ素振りが必要か 「うねり」を起す合気揚げの為の躰動法(たいどう‐ほう) 内向の、新たなる力 重力に逆らわない内向武術 合気揚げと二刀剣の術理 合気揚げの三角フレーム 合気揚げを行う為の気の放出 立合気 木刀一振りの中に過去・現在・未来がある 球体螺旋(らせん)運動の儀法について 拍子の外し、間の外し 沐浴斎戒(もくよく‐さいかい)の重要性 世の中は緊張の連続 規則正しい生活の中に真の修行観がある 古いものの中に価値観を見い出す 「勝った、負けた」を争う理論からの脱出
木の花咲耶姫(このはな‐の‐さくやびめ)像。木花之開耶姫ともいい、また木花之佐久夜毘売ともいう。
 日本神話で、大山祇神(おおやまつみ‐の‐かみ)の女むすめ。天孫瓊瓊杵尊(ににぎ‐の‐みこと)の妃ともされる。

 そして、火闌降命(ほのすそり‐の‐みこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみ‐の‐みこと)・火明命(ほあかり‐の‐みこと)の母であり、後世、富士山の神となったといわれる。
 木の花咲耶姫の姿の中に教訓とすべき現代人の課題がある。

「たたずまい」に人の生き方、暮し方、また、生業(なりわい)などが刻まれ、人間(ひと)さまざまな梅暦(うめごよみ)を持っている。

 暦代りにする梅の花を梅暦という。
 そして、山中で梅の花の咲くのを見て春を知るのでいうこの事から、「春色梅暦(しゆんしよくうめごよみ)」ともいう。佇(たたずま)いには、そうした梅暦の面影がある。


西郷派大東流の馬術の稽古。

 西郷派大東流は馬術を通じて、日本武術の根本を探ることを目的にしている。

 そして、ここに「人馬一体」の“合気”の境地があるのである。(耶和良之術より)

西郷派大東流馬術の軽武装装束。

 人間の心と、馬の心が「一つ」になったとき、馬を馭(ぎょ)す人間は、馬と一心同体になる。

兵は詭道(きどう)なり。この言葉は、迷いも、苦悩もすべてを捨て去る。

 迷わず己を信じて、「一打必殺」という気迫が手裏剣を打ち込むときには必要になる。

天命は、人の頭上にある。因縁を持つ者に働くのである。

 これをわが流では「他力一乗(たりき‐いちじょう)」と言う。

 則(すなわ)ち、精進努力して「術」を身に付けるのは人間であるが、その術の効果がどうでるかは、人間の識(し)る処ではない。天が決める事である。運命が決める事なのだ。

 人間は直立して両手を挙げると、手頸(てくび)、肘、腕、肩、胸、腰、尻部、腿、膝、足首、そして足、足の裏と、動きが繋がっている事が実感される。この一連の繋(つな)がりが、人間としての動作を支配している。

 そして多くの場合、人間が直立して、何かの動作を行うとき、直立状態にある中心軸は正中線に委(ゆだ)ねられる。

 その正中線こそが、人体行動の謎を解き放つ基軸であり、起点を作る。しかしこの起点は、中心軸をずらされると崩れ易い。
 この一瞬の崩れの隙が「合気に掛かる瞬間」と言える。

神武天皇と金色の鳶。神武天皇は記紀伝承上の天皇である。
 名は神日本磐余彦(かん‐やまと‐いわれびこ)という。

 伝承では、高天原(たかまがはら)から降臨した瓊瓊杵尊(ににぎ‐の‐みこと)の曾孫という。

 日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦(ながすね‐びこ)らを平定して、辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮かしはらのみやで即位したという。

虚空菩薩印。
 虚空(こくう)のように広大無辺の福徳・智慧(ちえ)を蔵して、衆生の諸願を成就させるという菩薩である。

 胎蔵界曼荼羅虚空蔵院の主尊で、そこでは蓮華座に坐し、五仏宝冠を頂き、福徳の如意宝珠、智慧の宝剣を持つ。
 求聞持法(ぐもんじ‐ほう)の本尊でもある。

 この法は虚空蔵菩薩を本尊として修する行法で、記憶力を増大させることができるという。

商品交換の媒介物として貨幣が生まれた。それは価値の尺度を計るものであった。

 後にこれは、価値尺度とともに、流通手段や価値貯蔵手段の三つの機能を持つようになる。

 本来は、それ自身が交換されるものと等価な商品であったが、昔は貝殻、獣皮、宝石、布、農産物などの物々交換の対価として用いられて物であるが、後に貨幣商品として、最も適した金・銀のような貴金属が漸次用いられるようになった。

 ここに金融経済の発達する要因があったと言えよう。



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