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うまく死ぬ法 28

老いて、これまで生きてきた足跡を振り返る。
 果たしてどうだったかと……。そして、「足るを知る」生き方が出来、若気に至りに赤面するような過去があったとしても、「今はどうか」と顧みたとき、それで満足を覚えれば結構なことである。
 結局、人生は「プラスマイナス・イコール・ゼロ」で帳尻が合うようになっている。人生晩年は帳尻合わせで終了するのである。

 人生の『貸借対照表』は、トータル的には善いことも悪いことも総て、喜びも悲しみも、どちらも相殺されてゼロになる。そのゼロは、臨終の刹那に決定されるようだ。
 したがって精緻
(せいち)な論理を展開した学者の言も、端的な語録を直言した箴言には、最終的には適わないようだ。

 それは老境期に入ると、時間が残り少なくなり、また濃厚になって来るからであろう。結局、心境を吐露した方に最終的には傾くようだ。それは充実感を求めてのことだろう。
 多年にわたり積み重ねられ、磨き上げられた方が、より吸引力があるからであろう。

 それはまた、単なる技より、心となるためであろう。
 人は老いると、小難しい論理や、生温い、ふやけた恋愛虚構にはあきらだず、死に対峙する血の滴
(したた)るような凄まじい信念や真理に迫るようだ。
 真摯に死を模索するからであろう。斯
(か)くして、此処に至って生・老・病・死の真相を知ることになる。


●渦巻く嫉妬

  肉体は滅びても意識は残る……。
 霊魂とは、そういう構造をしている。
 換言すれば、霊魂の実体が物質とは異なる意識体であるからだ。

 肉体を持たない意識体は死後、物理現象を行うことは出来ないが、かつてこの世に生きていたときの意識を引き摺って残留しているものである。ただし意識は引き摺っているが、その意識に、この世時代の未練とか思い入れとか、そういうものが混ざっている場合は、すんなりと帰るべき処に帰れず、様々に地上に在
(あ)って迷うのである。
 迷いが、この世への思いをこの世に留め、真っ直ぐに、次ぎなる行くべきところに往
(い)けない状態になっている。つまり意識体は地上に居残るのである。未練や心残りがあった場合はそれが顕著となる。あたかも魂魄の魄が骨となって地上に残るように……。

 魄の中には様々な未練や、心残りや、あるいは「恨み骨髄」の遺恨であるかも知れない。
 特に遺恨は、「争い」に絡むことが多い。
 『史記』
(秦紀)には、「繆公ぼっこうの此の三人を怨むや骨髄に入れり」とあり、恨みは骨にまで染み入るような、心の底から深く恨み意識を濃厚にする。
 魄は「骨」を顕す。したがって骨に恨みが染み付いても不思議ではなく、それは遺伝子の中で血を媒介して代々続くのかも知れない。

 好敵手と雖
(いえど)も、これに搦(なら)め捕られている。戦いに敗れれば、そこから挽回を狙ったり転覆を企んだりするものである。
 勝負事や力量を競う世界では、好戦絡みの遺恨が伴っているようだ。
 追い掛け、追い越すだけの純粋なものなら結構なことだが、拗
(こじ)れるとそこで起こる感情は複雑なものになる。遺恨化し易い。

 この世時代に争いや諍
(いさか)いを好み、好戦的なことが往々にしてあった者は、今なお、闘い続けねばならない。死した後の意識も、まだ闘っているのである。阿修羅の如きと言わねばなるまい。
 戦いを好んだ者の意識は、今なお、争うことで地上に残留する。まさに阿修羅界の騒乱である。
 戦いに明け暮れる。その戦いは、いつ終わるとも知れない。あるいは永遠に戦い続けるかも知れない。ただ戦い、争うことに異常な執念を燃やす。

 好戦的とは、こうした性格上の戦いを好む闘争心がある。過剰なる闘志である。戦いに異常なるエネルギーを投じる。あるいは「痛い」という痛覚が鈍化あるいは退化しているのか。
 他人と戦うことを常とする。
 だが、決して自分とは闘わない。自分の心の裡
(うち)と戦い、その葛藤の分を外とに廻す。他人との啀(いが)み合いにエネルギーを対やする。自らを顧みることがない。血に飢えているだけである。
 他人を倒すことだけに生き甲斐を感じる。闘志はそこに注ぎ込まれる。

 常に挑む。争いを好む。活人も無い。ただ殺人があるのみである。戦いに明け暮れ止むことがない。好戦的であるが故である。
 阿修羅の世界とは、このような世界である。
 また枯れることを知らない世界である。

 人間は成長し、長生きすることのより、晩年は「枯れる」という現象を起こす。肉体が枯れると同時に、精神思考も枯れる中に取り込まれ、晩年は益々円熟するのである。好々爺などもその一つである。老いて丸みを帯びる。頭が若年層に比べて低くなる。威張ることからも卒業する。そして枯れることにより、死んで逝く準備を始めるのである。

 物欲、色欲、金銭欲から解き放たれ、嫉妬なども無くなり、もう権勢欲や名誉欲なども現世の利権も不必要になって来る。況
(ま)して好戦的に振る舞うというストリートファイターや喧嘩師のような行為はしなくなる。
 老いて枯れ、人間に丸みが出て円熟するからである。
 かつてはそうであった足跡を辿った人でも、そこから抜け出し、次ぎなる細やかな挑戦と言えば、即身成仏への模索をはじめ、より善き死に方に、わが心身を近付けようとするものである。円熟へと進化したからである。魂が、これまでの感情から、超感情へと移行したからである。
 斯
(か)くして、人は老いれば好々爺化する。棘だったところが取れ、円満な面が出て来る。隠れていた飄逸(ひょういつ)とした面が浮上するからである。小事にこだわらなくなる。こだわりからの解放である。

 つまり、好々爺化し、円満になって円熟するとは、棘か角が取れるだけでなく、併せて「譲る」ということを知り、かつ「自分のことは後回しにする」ということであり、此処に「我」というものが消滅すると言うことである。
 老いれば、この境地に辿り着かねばならない。
 若き頃は、「我」が突出し、「我が」が先立っていて、行き先や、他人を制しようとしたが、晩年期は「我が」の焦りは必要ない。自己は他人の中で再現されるだけでいいのである。
 ここに来て「自他同根」を悟るのである。

 自他同根。
 この善き逸話に、京都大学名誉教授であった故・森信三
(もり‐しんぞう)先生の話の中の、「一つのリンゴ」というのがある。
 「一つのリンゴ」の物語は、一つのリンゴを前にして、二人の兄弟がいて、このリンゴをどのように分配するかの話である。

 その第一の配分方法は、リンゴを真半分に切って、兄弟二人でこれを仲良く均等に分ける。
 その第二は、兄が年上で体格も大きいから、弟より少し多めに取る配分。以上が大方、世間一般の分配方法であろう。
 ところが森信三先生は、これ以外にも第三の分配法として、双方が満足の行く配分方法があると言うのである。それは兄が弟を慈
(いつく)しみ、自分の食べる分を総べて弟にやって、弟が美味しそうにリンゴを食べる顔を見て、それで満足し、その弟の顔からリンゴの美味しさを察するという考え方である。

 この境地に達するには人間が練れて、相当に円熟していなければならない。この物語りでは兄弟での配分法であるが、これを他人と置き換え、他人を兄弟視して、同胞と考え、また自他離別の垣根を取り払って、自他同根の境地に到達して実践できるものである。我があっては到底到達することが出来ない。我が……我が……が、先に出て、他人を押しのけ、他人を制することばかり考える。他人と遣り込めることばかり考える。

 そこで、半分に分配するどころか、自分が全部取ってしまうのである。
 こうなると当然争いが起こる。争いごとは、そもそも自分の独り占めが根源に巣食っているからである。
 これでは、まさに我田引水である。
 しかし、円熟し、老練の境地に達すれば、余裕をもって、損する余裕をもって、他人に道を譲ることも楽々と出来、他人を急がせて道を譲り、自分がそれを見て満足できる境地へと到達できる。これが円熟である。
 また円熟することこそ、即身成仏の権利を手にしたことではないのか。

 長寿を全うし、長生きの途上にある場合は、晩年期は濃厚な時間を過ごす時期であり、此処に即身成仏の模索する時期があるのである。ただ長生きをして老後を楽しむばかりではない。
 これまで外に向かっていた興味の対象は、晩年、内に向かうのである。真摯の自己探求が始まるのである。そして多くは、死後の世界を肯定するか、また否定するかの、白黒への判定に時間を費やすことになる。

 唯神論者は死後の世界を認め、霊魂の存在に益々確信を持つであろうし、無神論者は死後の世界を一切認めず、霊魂を徹底的に否定し、自己はこの世に生きて死んで逝くだけの生物だったと確信することであろう。
 その確信において、両者は一致するのである。したがって、決して中途半端ではない。肯定も否定も、その何れを支持するにしろ確信に満ちているのである。

 現代は怪奇現象などの怪奇の出来事を“科学的”という言葉で一蹴し、如何なる現象も科学で説き明かせると豪語する物質至上主義の世の中であるが、科学は、時として未科学分野を非科学と決め付け、迷信として葬り去る傾向にあるが、現実には非科学以外の、未科学のまま放置されている事象も決して少なくない。
 ただ、人智では観測できず確認できないだけである。

 また人間には意識が存在する。その存在は、恨みや辛みや憎悪となれば、長く堆積する。深層心理に残留する。遺恨などもその一つであろう。
 例えば、遺恨一つ挙げても、その意識の念の中には「自分のことを知って欲しい」という願望的な意識があることが否めない。敗れた方は特にである。戦って死んだ人間のことを知って欲しい。覚えておいて欲しい。切にそう思うのである。
 そして、なぜ死んだか、それを忘れないで欲しいと言う願望が根強い。無慙に殺されれば、特にその妄執は募るようだ。死を迎える最後の瞬間の死に態
(ざま)を問題にするようだ。

 戦いにおいて、「兵は詭道なり」という。詭計をモットーとして戦う。謀
(はかりごと)が常である。奇手がふんだんに用いられる。裏をかき、また裏の裏をかく。奇襲の連続である。
 そして、この不意打ちを食らった者は、奇襲からなる不意打ちを「卑怯なり」と絶叫するかも知れない。この絶叫が、また遺恨を生む。特に親族に奇襲で不意打ちを食らった死んだのであれば尚更であろう。

 これが根強い深層部に残留する遺恨となるのである。深層部の感情は連鎖し、繰り返すからである。忘れていても、何かの弾みに思い出し、怒りを新たにし、遂には怒り心頭にきる場合もある。また憤懣やる方ない気持ちを増幅させてしまうのである。そしてこの増幅は、遺恨によって生じた感情が、超感情へと昇華され、消滅するまで繰り返されるのである。

 戦乱は一度始まると、これから生じた原動力は、常識とは異なる以上と欺瞞で虚飾される。いつの間にかこの虚飾すら、虚飾と思わなくなり、当り前となってしまうのである。
 戦争が欺瞞と言われる所以である。
 則ち、争いは詭道の範疇を出ず、この中で繰り返される。決して決着がつくまで永遠と続くのである。
 阿修羅の如きと称するのは、このためである。

 仏道で説かれている阿修羅界の阿修羅達を動かしている原動力は、根底には嫉妬があり、嫉妬が激しい感情の並みで渦巻いている。
 つまり、阿修羅は生まれてこのかた戦いばかり繰り返す宿命が背負わされているのである。好戦的なのは、そのためである。
 そして、その宿敵は神々であり、自らの上に坐する勇者である。
 特に神々の世界には、あらゆる望みを叶えると言う「如意樹」が生い繁り、その枝にはあらゆる宝がたわわに実っている。

 だが、神々の世界の真下に棲む阿修羅界には、如意樹の幹と根だけが顕われて、肝心なる最も欲する如意樹の実は届かず、阿修羅達はただ仰ぎ見るばかりである。そのことに阿修羅は烈しい嫉妬を覚えるのである。

 これは十六世紀の戦国時代を思い浮かべれば、容易に想像が着くだろう。
 この時代は下克上の世界で、実力と能力さえあれば、下層階級でも上層階級の地位に就けた。頭の遣い方一つで、生まれや家柄に関係なく国取りが出来た。
 出身母体に関係なく実力で国を構え、居城を構えることが出来た。自らの実力の能力を備えた者は、天下人すら夢ではなかったのである。その夢の焚付け口が下克上と言う実力主義であった。
 これは、戦いを好み、好戦的なる仕掛けを企んだ者が、その実力者となれたのである。
 ここに「国取り物語」が展開されるのである。

 嫉妬され戦いを仕掛けられた方の神々は、日本では平安貴族と言われた公家階級である。
 この構図は公家階級を神々、東西あるいは南北に別れて争う武士団を阿修羅と看做すことが出来るだろう。武士団の棟梁は、自らの胤を皇族に求めることが出来る。皇胤の流れを汲んでいる。武士団の起こりは、清和源氏に求めることが多いようだ。
 そもそも、皇胤階級は、もともと争いを好まず、温和な性格の持ち主である。
 しかし、対立する構図が生まれる。この時ばかりは、神々と阿修羅の戦いのように神々も阿修羅の「粗暴の森」に出掛けるのである。

 承久三年に起こった承久の乱
(1221)
 後鳥羽上皇が鎌倉幕府の討滅を図って敗れ、かえって公家勢力の衰微を招き、逆に武家勢力の強盛を招いた戦乱である。以降、天皇の力は弱まる。その一方で二つの天皇家の権力闘争が起こる。
 親政を志し、北条氏を滅ぼして建武新政を成就した後醍醐天皇の親政による吉野の南朝
(後醍醐・後村上・長慶・後亀山天皇の朝廷)京都に足利氏が擁立した持明院統系の光厳・光明・崇光・後光厳・後円融・後小松天皇の朝廷との天皇家の権力闘争である。これは南北朝合一まで続くのである。

 建武新政(建武の中興)
 後醍醐天皇による新政である。
 実は、この構図は南朝と北朝の二つの天皇家との内乱でもあった。天下は大いに乱れた。
 元弘三年
(1333)六月、鎌倉幕府を倒して京都に還幸し、強力な天皇親政をめざして記録所を再興し、雑訴決断所を置き、翌年、建武と改元で、足利尊氏と対立したが、僅か二年半で崩壊する。以降、南北朝時代を迎えることになる。そして時代は第二段階へと突入して行く。

 応仁の乱。
 応仁元年から文明九年
(1467〜77)、足利将軍家および管領(かんれい)畠山・斯波両家の相続問題をきっかけとして、東軍細川勝元と西軍山名宗全とが、それぞれ諸大名を率いて京都を中心に対抗した大乱である。そして京都は戦乱の巷(ちまた)となった。
 幕府の権威は地に落ち、社会的にも文化的にも大きな時代の転換期を作り、これまでにはない画期的な時代が登場する。同時に、このとき一つの時代区分が顕われる。

 十六世紀後半に入ると豊臣秀吉の天下取りが適い、特に美術史から見れば、安土・桃山時代から江戸初期に見られたような中世から近世への過度期となっていることである。特に豪壮な城郭・殿邸・社寺の造営やその内部を飾る障壁画などは、その顕著な現れであり、背後には時の権力層の思惑が反映されている。思惑の裏には、神々と阿修羅の対抗意識がある。そして公家階級は武士団に制約を受ける構図が生まれた。
 その最たるものが、『禁中並公家諸法度
(きんちゅうならびにくげしょはっと)』ではなかったか。

 禁中並公家諸法度は、元和元年、徳川家康が天皇と公家の守るべき法を定めたものである。そして武力の行使を禁じ、天子は学問を第一とすべきと述べている。また、他にも制約を付け、天子は学問を第一とすべきと定めたのである。これは嫉妬の何ものでもない。
 阿修羅は古代インドの神の一族である。後にはインドラ神
(帝釈天)など天上の神々に戦いを挑む悪神とされる。ただし仏教では、天竜八部衆の一つとして仏法の守護神とされる一方、六道の一つとして人間以下の存在とされる。絶えず闘争を好むことから、このようなランク付けになっている。

 戦いは嫉妬から起こるものとされる。心が閉ざされるからであろう。そのために敵を求めて彷徨わねばならないのである。輪廻の輪は、快適なる生活を求めて、そこに人間の思惑と理想があるが、快適過ぎる生活を求めれば、そこには持てる者と持たざる者との対立が生まれ、持たざる者は持てる者に嫉妬しなければならなくなるのである。
 時代はいつになっても、嫉妬で覆い尽くされている。内乱抗争なども、その最たるものであろう。



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