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うまく死ぬ法 11

大脳皮質の体知覚野と運動野

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●大脳皮質

 脳は大脳生理学の研究成果により、左半球と右半球の働きは対象的に対峙(たいじ)している構造が明確のなった。左右の脳を対照・比較すると次のようになる。

左脳(左半球) 右脳(右半球)
思考
自然科学的体系思考
粗心的知識性
断片的体系思考
未科学的神秘思考
密的インスピレーション
有機生命体的連続思考
認識
可視世界の現在認識
観念構成による概念の認識
体系的科学的認識
自覚的記憶認識
無機的ミクロ的分析機能
不可視世界の未知認識
図形的絵画的認識
有機生命体機能
無意識的認識
有機的マクロ的象形機能
機能
言語的機能
細分的機能
算術的数式的暗記的機能
肉眼的脳機能
非言語的機能
統合的機能
幾何学的認識
未知的霊的脳機能
感覚
五官(感覚器官)
唯識(心の表出)
意識
顕在意識の連続性
潜在意識の連続性
形態
時間的連続的分析形態
象徴的霊的イメージ形態
粗密
粗い心(知識脳)
密なる心(見識・胆識脳)
領域
肉眼確認の可視的世界
闇を含む不可視世界
波調
粗なる荒々しい波調
交流
細密なる霊的波調
見えなる心
正流
解読
(暗記型表面的)
(複合型立体的)
正否
心的死後の世界の否定
魂魄の否定
心的死後の世界の肯定
魂魄の肯定
存在
肉体の死を人の死とする
死後、生体と命体に分離

 明治以来、日本の教育は西洋を模倣して左半球重視の言語的機能を重んずる体系的知識が中心であった。右脳軽視の、左脳重視の教育制度が実施されて来た。
 特に著しいのは自然科学の対象が科学的体系主義思考で、近代思想を網羅し、右脳の働きは殆ど顧みられなかった。

 特に“科学的”という言葉はそれを顕著に顕し、近代は科学信奉者中心で世の中が動いて行くことになる。その中でも、近代は「体系」という言葉が大いに持て囃
(はや)されたのである。
 「霊的」というマイナーレッテルは、科学と相見
(あい‐まみ)えることなく、現在に至っても平行線を辿っている。

 ところが現象人間界では、これから人類は直面する多くの問題を抱えており、この解読には表面的な事象だけを捉えて分析して見ても、その解決策にはならない。細分化し、専門化したミクロ的解釈では釈然としない箇所が顕われ、事象を肉の眼で確認できる“科学的”という手法で解析するため、何となく読み過ごし、見過ごしてしまうのである。

 そもそもこの世の現象界では抽象的な言い回しの事象や言動が多く、人智では計り知れない奥深さが存在していることを忘れてはならないのである。そのためには裏の裏まで読むと言うことか肝要である。
 事象や言動に対する受け止め方は、人さまざまであろうが、解読に当っては、迷うことは禁物である。決断を鈍らし、優柔不断にするからである。

 そうなると、真の信も、真の善も、真の悪も、真の偽りも分らぬまま見逃してしまうのである。
 そのため邪を信用し、邪に狂うことになる。そしてこうした状況が生まれると、宗教的な関心が薄れ、軽視され、無視され、ただ物ばかりに奔
(はし)り、物質世界に狂奔して行くことになる。
 その状況下で、脅威が生まれ、破壊が発生し、政情不安や経済恐慌の恐れなどが浮上し、大なり小なり現代人は不安の闇の中を突き進まねばならなくなる。



●死に態を悪くする現代

 日本は幕末に懸けて外国からの多大なる外圧を受けた。
 またそれに対して警告があった。その警告を察知したのが、時代の先覚者と言う人達であった。
 そして、今その警告は人類社会に地球規模で及ぼうとしている。
 これをどう読み解くか?……である。

 現在の人類の危機的状況……。
 異変の前兆は至る所に顕われている。
 更には、民族ならびに宗教間の対立やテロ犯罪の増加、青少年の非行、麻薬・覚醒剤の蔓延、人倫の乱れと不倫、自由恋愛および性の乱れ激増、同性愛激増、親子兄弟姉妹間の近親相姦と人間の動物化、人民の家畜化と明確な階級化、人権と権利の価値観の急変、モラルの崩壊、国籍不明用語の激増、日本語と言霊の乱れ、政治的捏造工作、言った者勝ちの情報操作、突然の経済悪化と株式大暴落、幼少年を含む異常セックスの蔓延、エイズの爆発的感染、難病や奇病、地域を襲う感染症、食の乱れによる動タンパクの共食い、遺伝子組み換えの弊害、拝金主義と貧富の格差の増大、知識力の増大と常識力の低下、世界規模な食糧難、イベント会場までの行き来の人災による大事故、火山の噴火、異常気象による大雨や洪水や大型台風、大地震や巨大津波の多発などである。
 これらは巨大な自然の摂理の輪の中で、無機的なものや有機的なものに関わらず連動して起こるようだ。

 それでも規模的には小規模である。様々な問題発生や天変地異は、現状では小規模であり、これが突如大規模な物に変化するかも知れない。
 小規模は、大規模に至る実施段階の一局面に過ぎない。問題はこれからであろう。果たして「世直し」の段階に入ったのだろうか。
 世直しは天変地異の破壊活動から起こるようである。

 神霊界で起こっていることが、人間現象界である顕界に転移されていると言う。
 神霊界の事情は、必ずこの世の顕界にも反映して来ると言われる。
 神霊界と顕界は一枚の紙の裏表であり、不可分の関係になっている。それゆえ人間の死生も実在と非実在の関係で、これもやはり不可分の関係である。

 物質一辺倒・科学万能主義の世の中は、自分さえ善ければの……自己中心的であり、金・物・色が主体である。唯物の世界である。
 弱肉強食の強い者勝ちであり、また情報化社会にあっては言った者勝ちである。喚
(わめ)くように喧伝(けんでん)した方が勝つようだ。
 そして現代人は、この世の中を当然と思い込んでいる。

 物財や金品に傾く人間現象界の影響下には如何なる事象が起こるだろうか。それに顕われる現象は如何なるものであろうか。
 物質が影響を及ぼす時代、物質である肉体もこの影響下にある。
 また、自己中で自分さえ善ければ……という指向は、当然、物質を媒介として自らの肉体に入り込んでくるから、本人が気付く気付かないに関わらず、肉体は物質の影響によって変化して行く。そしてその変化は病変的である。

 特に、物として粗い、かつ荒々しく猛々しい性格を持った物質が、何らかの形で肉体に関与すれば、肉体は当然の如くその影響を受け、その物質が悪の性質であれば、その悪は肉体に取り込まれて、そのままの反映を見せるのである。
 つまり、肉体は悪化し、悪へと変質して行くのである。これを顕著にしているものが現代病などであり、これは肉体が悪となり、悪として活動していることを顕すのである。これが病変である。

 また現代社会は、この種の人間が集団を作り、組織化した行動をしているとも言える。そして、こうした行動をする人間達の天下となってしまった。貧富の格差の元凶は、ここに寄せ集まっていると言えよう。

 そもそも人類の歴史と言うものは、歴史そのものが偶発的に、自然発生的に、自然体をもって変化するものでない。一見偶発的に起こった事象でも、それは偶発の集積ではないのである。意図的である。
 そこには必ず、何らかの不可視世界のもの、あるいは悪神的なものが働き、その意図が反映されているのである。こうした反映の根本には、闇的な「何か」の意思の発動がある。そして、その意志を受けて歴史は動くのである。意のままに動かそうとする、闇の中からの見えざる意志が人間界を、人類の歴史を動かしているのである。

 特に、十八世紀後半から十九世紀の近代史は、決して自然の成り行きで起こったものでない。意図的な匂いが濃厚である。
 そして、十八世紀後半から、人間界はおおよそ一つの流脈により、人工的に誘導された形跡がある。

 近代史は、まさに特定の目的により動かされて来た。更に水面下では政治的経済的工作に当たり、ある意図思った隠微な工作員によって変化させられ、仕掛けられて来たと言えよう。
 これこそが、物質である肉体中心の体主霊従なる世の中の出現であるからだ。
 この構造を紐解けば、神霊界から幽界、幽界から顕界へと、顕界に顕われる現象が、これらの世界の転移であることが分る。

 さて、死後の世界が有るか無いか。また神仏が居るのか居ないのか。
 更には無神論と唯神論
(唯心論)はどりちらが正しいのか。どちらが正しく、何れを否定するのか。
 この問いに対して、短絡的で早計なる軽率な回答を出して一蹴してはなるまい。
 何れかに結論に辿り着くまでには、少なくとも十年以上研究し、また人間に課せられた人生の意義を徹底的に探求した上で回答を出すべきだろう。安易な思い込みによる結論は禁物である。

 先ず第一に遣るべきことは無神論か唯神論ではない。
 人間には自己の小さな自我がある。自我の殻
(から)から抜け出して解脱する必要がある。少しでも人生を高くして、大いなる目的と志の許に、理想を追求した精進の後を示さねばならない。
 この観点からすると、偽・私・放・奢は禁物である。



●災難が襲ってくる日

 ところが、昨今の日本ではこれに固執し、こだわり人が急増した。そして、こうした現代日本人の陥った最も痛切な問題は、生活様式がすっかり西洋の合理主義と体系主義に汚染されてしまったため、本来の生活が、その意義を失ってしまったことである。
 これが現代日本人が、物に趨
(はし)る実情である。また、これにより精神の根本をなす心が蔑ろにされてしまったのである。

 その一方で、多くの人は物質の恩恵に預かりながら、物を粗末にしている現状が多く見られる。物は、ただ消費されるだけである。最後は粗末にされて捨てられるだけである。

 その顕著な例は、食べ物に於いて見られる。
 現代日本人の食べ物に対する考え方は実に贅沢であり、中途半端に喰い散らかされて、あとはゴミとして捨てられている。食べ物の命を全く理解していない。
 自分の命を支えてくれる食べ物に対して、食べ物が命を捧げてくれた有難さを全く分っていない。

 食べ物は、例えば米一粒、大豆や小豆にしても、また魚一匹、牛や豚の肉一切れにしても、彼らは人間に食べられることを承知で、自らの命を捧げたのである。人間を生かすために捧げたのである。
 捧げられた人間側は、これに対して感謝する必要があろう。
 有り難いを感謝し、命を頂くことの畏れ多さと、活かしてくれる犠牲に対して頭を下げる気持ちが必要であろう。

 食する前に「頂きます」というのは、命を捧げてくれた物に対しての有り難味と感謝の言葉なのである。だから「頂きます」なのである。
 しかし、こうした感謝を、現代日本人は果たしてどれだけの人が持っているだろうか。
 多くの人は、食べ物があって、当り前と思い込んでいるだろう。思い上がりもいいところである。この思い上がりこそ、傲慢であった。現代日本人の物を粗末にする傲慢はこう言う食べ物の扱い方と接し方により一目瞭然となる。

 先の大戦の戦時中ならびに終戦直後、日本では食べ物が悉
(ことごと)く欠如した。
 国家管理の配給では賄
(まかな)えず、誰もが飢えて死ぬ寸前であった。巷(ちまた)には闇市が蔓延(はびこ)り、また闇の買い出しが公然の如く罷(まか)り通っていた。誰もが餓えていたのである。敗戦国の日本国民は餓鬼の世界を彷徨っていたのである。

 ところが、昭和30年代の高度経済成長の結果、日本は経済的に豊かになり、金を出せば好きな物は自由に手に入る経済体制を造り上げた。敗戦国日本は、経済に於いて世界のトップ水準と肩を並べた。爾来、日本にはあらゆるものが溢れ出した。欲しい物は金で賄える体制を造り上げたのである。金さえ出せば何でも買える。欲しい物は金で手に入れることが出来る。
 その結果どうなったか。

 物は金によって好きなだけ手に入れることが出来る。
 この背景下に傲慢が生まれた。他者を傲慢で侮るようになった。
 人を観るにも、その観相は外形による判断でするようになった。中身は問題外となった。衣服、身に付けている装飾品、履物などの外形で判断し、中身を見抜く心眼を退化させてしまった。
 斯
(か)くして、物事の実体を見抜く眼が失われ、ただ体系を重んじる“科学的”という言葉だけに翻弄(ほんろう)され、肉の眼で確認できるものだけを真実としてしまった。こうして物質至上主義と科学万能主義が跋扈(ばっこ)するようになったのである。

 いま世界の半分以上は飢えている。飢餓状態にあり、生命の存続すら危うい人がいる。食べられないからである。栄養不足であるからである。
 一方で、現代日本人の多くは物を粗末にする。飢えを知らない。その恐ろしさを知らない。金さえ出せば何でも買えると思い込んでいる。
 特に牛・豚・鶏の肉の消費については、それが顕著である。
 そして文明国は、飢餓に対して非情に脆
(もろ)いことを知らないのである。科学や知識で対応できると高を括(くく)っているのである。果たしてどうだろうか。

 経済構造が金だけ出せば……、何でも買える……という仕組みになったとき、この仕組みの弱点は何だろうか。
 そして金だけ出せば、買えない物は何もないと思い上がったとき、その弱点をついて忍び寄ってくるものは何だろうか。

 戦時中から終戦直後に懸けて、金を出しても買えない物が山ほどあった。高価な物品も、一掴みの米の前では無力であった。地方の農家に出掛けて行って、農民相手に、一個のサツマイモを手に入れるために高級反物を何枚も差し出して、やっと一個という酷い状態もあった。そして買えない物だらけだった。
 多くに人は、これに指を銜
(くわ)える以外なかった。物が欠乏した時代である。農民のいいなりの売手市場であった。

 非日常には、金で買えないものが幾らでもある。このことを覚えておくべきだ。
 ここで言う非日常は、自宅の普段の生活を離れて、自宅以外での、日常生活以外での他地での生活と言う意味ではない。あるいは行楽地や観光地に出掛けて、そこで観光を楽しむ慰安の日を言うのではない。

 平時以外の戦時を指す。戦闘状態を指す。
 こう言う状態に至ったとき、金で買えないものは幾らでも派生する。
 確かに秩序があり、ルールを厳正に順守されている平時に於いては支払いと契約で、金で買えないものはないであろう。
 ところが、平時が一変して戦時にどんでん返しする。異常な災害時に直面する。
 そうした場合、正規の経済システムは果たした正常に機能するだろうか。必ず闇が蔓延る筈である。日頃のモラルすら崩壊してしまうのである。

 災難は忘れた時に遣って来る……だけでなく、奢
(おご)ったとき、傲慢になったときも襲ってくるのではないか。その懸念は大いにあろう。



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