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うまく死ぬ法 24

この世の真理は、「捨てていく中」に真理がある。
 現世と言う人間が構成する現象界は、表面上は人間によって運営されているが、その深層部は人智で動かされているものでなく、人智が及ばない、不可視世界の現象で、それが可視世界に反映されている。可視世界だけで人間現象界が動かされていると考えるのは大間違いである。

 つまり「人間の肉の眼で見えないもの」が、人間を検
(み)ていると言うことである。善も悪も、清濁併せ持つこの世界のものを、「人間の肉の眼で見えないもの」が、じっくりと検ていると言うことである。
 よく「天が見ている」というが、それである。

 したがって、「人間の行為の一切は観
(み)られている」ということになろう。
 人間を観るは人相も含めて、可視世界では眼力のある人間だが、行為や行為や発言などの言動は、如何なる場所や時間帯に居ても、それを観るのは、人間以外の「天」である。


●躍動

 人生には種々の局面が顕われる。その多くは複雑で困難な局面であることが多い。あるいは始めて遭遇するような、全く未経験の局面があり、これが未経験であるばある程、人は不安を感じ、あるいは恐れを抱く。そして死は不安の中でも、最大限の不安であり、これを克服していくのは困難なように思える。
 更にこの困難が、極度な不安に陥れ、不安は激しい感情へと変化していく。そのうえ、この感情は放置・放任すれば消えると言うものでもない。生涯付き纏う。

 死の超克。
 人間は生きて肉体を持っているうちに、死を克服しておかねばならない。
 死生観そのものを超越する境地に到達していなければならない。その超越るする方法は、では如何にしたら得られるのだろうか。
 それは「行動」と云う面にのみ、キーワードが隠されているのである。

 また懐手
(ふところで)で傍観していても、決して解消するものでもないし、解決するものでもない。動くことで、行動することである。つまり思考を働かせることである。然(しか)も安穏に固執し、消極主義に奔(はし)ることでない。求道心をもって一心に克服策を講じることである。それには心の靄(もや)を解き放つことである。
 迷いが生じた時には、まず自心を見据える行動を起こすことである。放置してはならない。己を究明する自我の滅却をすることである。払拭である。それを行うことである。

 行動すること、また働かせることは、動くと言う「動」の状態において、不安材料を消去し、解決するための感情の変化と流動化が行われる。それが促進される。これが「己事究明
(こじ‐きゅうめい)」である。
 積極的な解決策を求めてのプラスに転じる「動」の状態には、快い感情は訪れ、逆に「静」の状態に固執する消極的なマイナス思考の“懐手”は不快な感情が伴うのである。不快な感情は益々不安を増幅させ、在
(あ)りもしない怖れまで抱かせてしまうのである。

 本来は無いものまで在るが如くに出現するのは、不快な感情が招いた「静」に固執する消極的な、何もしない自我が招いた結果からであり、ここに地獄の悪想念が出現する。無いものまでを在るが如くに映し出す。そして残虐・残忍であるから、恐怖に戦慄
(せんりつ)する以外ないのである。

 悪想念は、無いものまで在るが如くに現実を不安へと陥れていくのである。深みに嵌まって行く。
 ここに在りもしない妄想が増幅するのである。ここに内向する苦悩がある。不安が生じ、迷いが生じるのである。
 一度迷えば、迷宮の閉じ込められ抜け出せず、堂々巡りの悪循環が繰り返される。地獄想念で映し出した世界は、そういう心の歪
(ひず)みから起こる。

 一方、消極的内向する苦悩を駆逐して、「動」に転じたらどのような変化が起こるだろうか。
 例えば忙しく働き続けるという「動」の状態である。
 人は忙しく立ち働いているとき、心の蟠
(わだかま)った心配事や不安は忘れているのではないだろうか。

 また現状に抱える人とのトラブルも、その時に限り忘れているのではあるまいか。
 内向した心配事や不安を行動によって外向に転じたとき、不安に怯えていた感情は消えているのではあるまいか。
 内向して、うじうじすることではない。先ず行動第一である。
 動き、働き、そこにテンポのいいリズムが生じているとすれば、これまでの不安で固執していた感情も躍動を感じるのではあるまいか。そしてその躍動は、無意識の音となり、強弱、驚愕のリズムをもって聴こえるのではあるまいか。

 強弱を織り込んだリズムは、浜に寄せては返す波のような耳障りのいい心地よさを齎し、それが波動化していくのである。波動に周期的な心地よさを感じるのである。
 身体に、あるいは脳裡
(のうり)に機械的な強弱を感じる音の装置が内蔵されてないのにも関わらず、人の精神活動に中には、緊張と弛緩のリズムを感じる感情があるのである。
 これは時間的なリズムでもあり、また空間的なリズムも含まれている。

 そして、この時に生じている感情は「注意力」であり、この力には緊張と弛緩のリズムがあるため、この場合の緊張はストレスを感じる緊張でなく「無意識の緊張」である。また弛緩も、散漫している“弛み”でない。強弱を持つ。規則性のテンポがある。

 例えば私たちは、考え事をしている街中を歩いているときでも、無意識の緊張があれば、前方から人が来ても、ぶつからずに避けることが出来る。逆に無意識の緊張がなく、散漫した不注意状態にあるとき、避けられずにぶつかってしまう。強弱や拍子や規則性がない乱れた状態であるからだ。その乱れが、避ける周期とタイミングを狂わせ、不注意を招くのである。

 不注意はその他、種々の局面にも生じているのである。不注意が散漫の弛みを招く。
 構えた緊張はストレスを生むが、無意識の緊張は、常に寛いだ中にも周囲に注意を怠らないのである。あたかも『牡丹下の猫』の如きである。

 ところが、緊張が解けて散漫状態にあれば、心に歪みが生じた状態であるから、不注意状態が生じる。
 大半の現代人は、構えた緊張と、その一方で“弛んだ散漫”を繰り返しているのである。
 前者は“表の貌
(かお)”で後者は、現代人がプライバーなどと称する“裏の貌”であろう。殆どの現代人は裏と表を持ち、二面性を具え、人格を代表する貌は分裂状態にあるのかも知れない。この隔たりが大きければ多いほど、また不注意が生じ易いのである。

 「つい、うっかり……」などがそれであり、この場合、人は“粗相”を犯すのである。不祥事や不手際を生じさせ、不注意の隙が突かれるのである。
 これは散漫した雑念が、邪を呼び入れたりもする。こういうのを「隙有り」というのだろうか。緊張が欠如すると襲われる現象である。

 雑念恐怖を抱えている人は「いつも雑念に苦しめられている……」などというが、実際には雑念から注意力が失われ、心が散漫している時なのである。しかしそこに意識はなく、また無意識の緊張があるのでもなく、ただ散漫し、乱れ、精神状態が分裂しているだけなのである。

 人が意識するときには、雑念に警戒している時だけである。
 注意力はこういう時だけに生まれ、雑念恐怖を抱えている人が言う「いつも……」は、あたかも不眠症の人が鼾
(いびき)をかいて寝ているとき、自分は寝られずに悩まされていることは忘れている。
 不眠症と言い切る時は、寝られない時だけのことを根拠に、不眠を意識として論
(あげつら)っているのである。更にこの背景には、注意する雑念意識と、自己嫌悪における違和感を感じる感情で、この感情に陥れば、堂々巡りの悪循環を繰り返すのである。

 この悪循環は、例えば惨めな敗北や自分の行動に不手際からトラブルが生じたり、不注意から損害を発生させた場合に苛まされる悔悟となって、襲い、度重なれば、劣等感を強めるばかりである。
 在りもしない予期不安まで紡ぎ出してしまう。これでは不快の感情は益々増幅されるばかりである。迷宮に迷う悪循環である。

 悪循環の中では、「恐れるものは皆来る」が出現するのである。
 死を恐れて逃げ回っていれば、斯
(か)くしてこれは悪循環となり、恐れるものは皆来るの喩えから、ここに恐れを抱いている地獄想念が出現するのである。これは一種の精神症状として悪化させる方へと奔らせてしまう。

 在りもしないものが、あたかも在るが如くに意識の中に顕われるのである。これが「不快の感情」の悪循環である。
 そして“不快”は怖れから来る。
 更には疑心暗鬼が誘う。その、脅迫観念が連鎖的に誘発する。在りもしないことを引き起こす。怪奇は、この悪循環の連鎖で起こる。

 恐れるものは皆来る……。
 この恐怖は何もせず、傍観して懐手を決め込んでいる時に起こり易い。
 迷いが生じて、ああでもない……、こうでもない……と悩んで決断が出来ず、解決策が見つからず、時間が掛かり、優柔不断になり、手を拱
(こまね)き、ただ思い悩むだけである。何もせず、消極的な感情に取り憑かれてしまう。恐れはこういう時に起こる。
 可もなく不可もなく、お行儀良く、お利口さんを決め込んでいる時に起こる。皮肉なものである。

 ところが、もうどうにもならず、進退窮まり、二進
(にっち)も三進(さっち)もいかなくなり、決め手になる打開策が生まれず、打つ手無しの極限状態に追い込まれれば、人は行動により、この難局を突破することが出来る。そのように動く。そういう働きをする。
 つまり「破れかぶれ」の、死に物狂いの、出たとこ勝負に出ることがある。
 そうなると、これまで思い悩んだ迷いも消える。臆病者も勇者に変わる。懦夫
(だふ)が突如勇者に変身することがある。
 気の弱い意気地なしでも、勇敢な働きを見せる。

 絶体絶命に追い込まれ、自分の立場を把握できれば、窮鼠猫を噛むの俚諺
(りげん)通り、無理と分っている決戦でも挑むのであり、このときに大敵を破った故事は多々あるのである。歴史を見れば克明である。
 源義経の鵯越
(ひよどり‐こえ)も、楠木正成の千早城(ちはやじょう)も、織田信長の桶狭間(おけはざま)も、大敵を破った歴史であり、ここに追い込まれたときの「背水の陣」の強さがある。

 もう、これ以上一歩も退けない……。これ以上もがいても活路が見出せない……。では、此処で死のうではないか。死を決心したその刹那、此処に奇異なる異変が訪れることがある。
 こういう絶体絶命のとき、この境地におかれると、弱者も恐怖突入して強者に転ずることがある。

 これは中途半端な恐怖でなく、もう一歩も退けない恐怖に直面した時、そこには強力な、底から湧き上がる注意力が生まれる。
 小心で、気弱で、消極的で、ケチで、了見が狭い人間でも、極限状態に至り可逆性が働き、中
(うち)から芯(しん)が弾き出れば、これまでの性格は一変する。その一変を促すものが注意力であり、また極限状態の意志力である。そこまで追い込まれると、人は大きく変身することがある。

 全部が全部ではないが、不安材料を駆逐し、一掃しようとして、最後の力を振り絞り奮闘した場合、人は突如変わるものである。
 懦夫が勇者に変わる。
 あり得ることだ。
 それを可能にするのが、極限状態の臨死体験をした、ぎりぎりの注意力である。意志の力である。
 この注意力こそ、必死必生の注意力であり、もうこの状態は死生観を超越しているのである。生きるも死ぬも無いのである。

 これは逃げないで為
(な)すべきことを為す行動であり、「あるが儘の姿」を曝(さら)け出して、恐怖突入すれば、自ずから「事上の錬磨」がなされるということを物語っている。これを陽明学では「事上磨錬」と言う。難事に直面し、それを解決する度に磨かれていく。

 これは頭で理解するのではなく、行動に移して実行するのである。知は行ってこそ価値が生まれる。実践が物のを言う。
 ただ手を拱
(こまね)き、静に固執し、消極的な考えばかりを廻らし、散々石橋を叩くだけ叩いて渡らないと言うのでは、折角の局面に訪れた打開策も水の泡になるのである。
 行ってこそ価値があり、動き、働いてこそ、そこに人生の意義があるのである。
 自分に打ち勝つとは、まさに事上磨錬の中にあり、錬磨した自分は、これまでの優柔不断であった消極的固執から、一皮剥けて、頑固な殻
(から)を打ち破り、新生した自分が顕われのである。
 その自分は、これまでの自分でないことは明白である。

 宿命論や運命を固定的に考える運命固定主義者は、運命はダイナミックに流動するものと考えないため、人間の性格は固定的で、先天的なものであるから、幾らその後に、後天的な作用を及ぼしたところで、変化無しと看做し、運命を宿命論的な見地で思考する。努力する他力を信じない。
 努力は必ずしも実るとは限らないが、努力しない者に天は力を貸す筈が無い。他力一乗は働かない。

 性格は、まず習気
(じっけ)から来る。
 だが、実際には必ずしもそうだと言い切れないこともある。
 確かに過去の習慣から起こり、それが遺伝的に伝達される。
 しかし、質素なる慎みの環境と機会と、それらの相関関係によってその組合せは多重に及ぶ。多重なる変化が起これば、一通りではない。その組合せは複雑に変化する動きを起こし、働きをする。予想外のことが起こる。
 これが懦夫も、ある極限状態の経験や体験を踏んで変化する運命のダイナミックな動きである。

 したがって性格もまた、遺伝的な性格を帯びた固定されたものでなく、それに刺戟が加わらなければ固定された状態で、あたかも固定観念のように変化を見せることは少ないが、遺伝的に規定されたことは特異点をもって覆ることがある。
 人は変わるのである。時間とともに変化するのである。年齢とともに老熟するのである。熟して老練になるのである。
 精神的なことは固定的な肉体と異なり、著しい可変性があり可逆性がある。大いに流動性に富んでいる。ダイナミックにうねるのである。大いなる変化に富むのである。

 気質や性格が一生変化しないということはない。遺伝の力に縛られることはない。
 教育やその後の教養の蓄積で、その修養した効果は宿命論を覆す現象が起こる。宿命に流されるだけではないのである。流動的に変化するのである。
 つまり、「覆す現象」は行動が、またその働きが、これまでのデータ情報とは異なる予想外の動きを起こすからである。
 換言すれば、行動が人格を形成していることになる。

 行動が遺伝的性格を変化させる。
 習気は変わらないと定義された宿命論も、運命のダイナミックにうねり、変化する流動的な動きや働きは否定できなくなる。
 つまり、固定観念に定着した“こだわり”は、行動によって、新たな針路や打開策を展開することが出来るのである。

 人間の有機的生命体の一員である意識は、行動により、動きにより、働きにより、新たに生まれ再生するのである。
 霊魂が再生すると言うことは、“人間は死ねばそれでお仕舞いよ”とする従来の固定観念を覆し、思い込みは覆ることを表し、評価も時代によって変わると言うことである。

 意気地なしの性格も、臆病な性格も、小心だと侮蔑された性格も、行動すれば、動き働けば変化すると言うことである。固定されたものでない。
 固定されたと看做されるのは、動く時に動かず、働く時に働かなかった怠慢者の遺伝を言い表したものであり、懦夫が怯
(おび)えて猛威に震え上がって途方に暮れた局面とは異なる。懦夫も奮い立つ。意志力によって自己を鼓舞し、闘志を露(あらわ)にすれば、その変化によって勇者になることがある。
 歴史を見れば克明である。

 特に、かの『アラモの砦』のテキサス独立戦争中、デビッド・クロケットら約二百名
(この時、市民と義勇兵の混成軍189人で、資料によって182人とも187人とも)も)の独立軍が、メキシコ軍相手に立て籠って全滅した話は世界的にも有名ではないか。
 メキシコ共和国軍とテクシャン反乱軍の間で行われた激戦で、実質的には3月6日、激戦の後にアラモ砦は落ちる。しかし、この日は、多くのアメリカ人にとって胸を張る「誇りの日」であり、その後も誇り高く生きる精神的支柱になったのである。

 その昔、テキサスがメキシコから独立しようとした時、メキシコはそれを制圧しようと、軍隊を派遣した。メキシコ軍はサンタ・アンナ将軍の率いられ3000人の正規軍
【註】一説には6000人とも)が参戦した。そして、メキシコ正規軍はサン・アントニオ市に進軍してきた。この時、市民と義勇兵の混成軍はアラモ教会を砦として立て籠もった。

 此処で壮絶な戦いが繰り広げられ、メキシコ軍の大軍の前に、勇敢に戦ったのである。その戦いぶりは、『一歩も譲らず』という壮絶なもので、大激戦が繰り広げた。そして最初から負けると分かっている、負け戦を敢行したのである。
 負けると分かっていて、そこから逃げ出さずに踏みとどまり、肚を決め、決死の覚悟で戦うところに男の美学がある。この美学は、魂の象徴となり、後世の人の心の中に生きることになる。
 毎年3月6日、アメリカ人が胸を張るのは、この戦いに由来している。

 この戦いでの戦闘は13日間に及んだ。
 激しい攻防の末、3月6日、アラモ砦は遂に陥落する。此処を守る、最後の兵が倒れた時間が、午前6時30分だったといわれる。その後、この町はメキシコ軍の手に落ちる。189人の市民と義勇兵の混成軍も全滅する。壮絶な戦いだった。

 一方で、メキシコ軍側の被害も甚大
(じんだい)で、戦死者は1500人以上と言われる。
 これだけでも、この戦いが如何に激戦であったかが想像でき、そして此処で闘った戦士が如何に勇敢であったかが分かる。まさに「逃げずに踏み止まれば」という構図である。
 死守の覚悟を持ち、誇り高い精神を後世に残したことは明白であろう。

 アラモ砦の攻防における自己犠牲の精神は、『アメリカの魂』とまで言われ、戦闘で大活躍したデビッド・クロケットは、日本人でも知る者が多い。この砦の指揮官だったウィリアム・バレット・トラビスや、副指揮官のジェームズ・ボウイらの武勇伝は、その後、多くの伝説を生む。この戦いには、一つの人間の生き態
(ざま)を示す、崇高(すうこう)なものがある。
 それは“人間としての誇り”と“魂の永遠なる存続”である。自分たちが死ぬことで、後に続く者が生まれるからである。死ぬことによって、“魂の永遠”が約束されることだ。

 それは何処かあの『聖書』に出て来る、“一粒の麦”を彷佛
(ほうふつ)とさせるところがある。一粒の麦が実際に死ぬからこそ、次の麦の生命が芽生えて来るのである。
 アラモの戦いは、この事を実証している。

 筆者である私は、「アラモ砦の戦い」に重ね合わせて、直ぐに吉田松陰の生き態を思い出す。
 吉田松陰こそ“一粒の麦”を地で行った男ではないか。受難者像を明確にさせ、確立させた人物ではなかったか。
 松陰は生前の強い叫びに大いなる説得力を付加した人物である。

 また松陰は、松下村塾門下生らに対して、時の老中・間部詮勝
(まなべ‐かつあき)要撃策を咎(とが)められて下獄したとき、自分か離れて行く門下生達に対して「吾輩、みなに先駆けて死んでみせたら観望して起こるものあらん」と悲痛な叫びを挙げている。
 まさに斬首されて「死んでみせる」ことを決意し、これを自らの運命のうねりと捉えたのである。それは決して宿命ではない、運命はうねり、つまり流動する媒体はダイナミックに変化するということを信じた後の行動であった。
 つまり先駆者たる松陰の役目は、この結論に至って完結するのである。

 この完結。
 つまり自己完結性をもって、松陰は『留魂録』を残すのである。
 松陰はこのとき、獄中にあって刻々と死に迫る時間に迫られていた。死と対決しなければならい時が遣って来ていた。更には、生の未練とも別れを告げ、生の固執し、こだわり、生へ執着する自分の気持ちを断ち切る覚悟をして、死を致すことに専念しなければならなかった。ひたすら死んでみせることであった。

 こうした時に、多くは何らかの宗教に帰依するだろう。必ずと言っていいほど、何かに縋
(すが)って、自らを襲う恐怖心を和らげようとする。死刑囚が教誨師に縋るのは、このことを雄弁に物語っている。
 死を覚悟することは、実に怕
(こわ)いからである。死をこの世で一番恐ろしいものと思い込んでいるからである。

 ところが、松陰は何らかの宗教に帰依しなかった。
 自己完結をしようとして、決して神仏には縋らなかった。神仏は尊ぶが、神仏に縋らずという独自の信念と自らを信じる信仰によって、意志力で解決しようとしたのである。意識体の置き場を、意識によって、死を克服しようとしたのである。その跡が『留魂録』に見て取れるのである。そして死生観を超越する境地に到達する。

 松陰は『留魂録』の中で、こう記している。
 その一節に、「私は三十歳、四季は既に備わっている。花も咲き、三十歳の実も結んだ。しかし、その実が単なる籾殻
(もみがら)なのか、粟(あわ)なのかは、私の知るところでない」といって、松下村塾の教え子達に『留魂録』を遺(のこ)した。

 松陰の著した『留魂録』の精神は、連鎖するように教え子達に受け継がれ、やがて明治維新を起こす原動力になった。
 松陰が三十歳で結んだ実は、決して籾殻などではなく、見事な「一粒の麦」だった。これは歴史が証明するところである。
 つまり、陽明学の「知行合一説
(ちこう‐ごういつ‐せつ)」の「知ること」と「行うこと」は一致して同じであるとする、この行動哲学は、死ぬ時に死ぬことにより、死した後の魂は、精神は、見事に蘇(よみがえ)るのである。人々の心の中で生きるのである。

 次の生命の為に自分が犧牲になることが、決して損なこともで、無駄なことでもなく、また虚しいことでもなく、他人に捧げ尽くして生き、捧げ尽くして死ぬことが、満たされることであると云うのである。
 松陰が『留魂録』を書き上げるのは、処刑当日の一日前の、黄昏時
(たそがれ‐どき)の夕刻だった。時間を惜しむように書き上げている。

 松陰は死が近付いていることを、ひしひしと感じ取っていたのである。それはまた、死が恐ろしくて暗いものでもなく、明るい未来を感じさせるものだったのである。
 そして松陰に『留魂録』を書かせるに至ったのは、陽明学の「知行合一」だった。

 「知」は「行」の根元であり、「行」は「知」の発現であるとする陽明学は、「知」と「行」とを同時一源のものとして捉えることにより、溌溂
(はつらつ)たる情念の躍動を放つのである。
 これは「動」であり「躍動」であり、行動することであった。




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