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そろそろ死のうか 15

自然は自ずから成る。隈無く循環する。
 輪廻の輪を永遠に流転しながら、寸分も無駄なく、無理なく、濃淡や厚薄のムラもなく、浪費せず、巨大な有機生命体を為
(な)して循環している。
 自然の寄り添えば多大な恩恵が受けられるが、自然から離反すれば人智の所産は総て徒労に見舞われる。

 人間は斯くも自然から離れてしまった。
 科学技術のみを重大なる要
(かなめ)に据えて、科学の進歩を大いに喜んでいるが、便利で快適な電気エネルギーをはじめとする種々のエネルギー源を科学技術に求めたところに、エネルギー浪費の悪夢が始まったのである。

 今や科学の扶
(たす)けなしに、現代人は生活を営んで行くことは出来ない。便利で快適で、そのうえ物に恵まれた豊かさは科学の恩恵であった。だが今や、科学を必要としなければ生きて行けない現代こそ、本当は憂えねばならなかったのではないか。


●懐かしい脳

 そもそも日本人は、太古から農耕を営んだ民族だった。大地に慣れ親しんだ民族であった。
 農耕を生業
(なりわい)とするから、農事の神と一体の生活をして来た。現代の日本人も、大半は、その末裔(まつえい)である。その遺伝子を引いている。
 ゆえに、都会的現代生活を営んだ人が再び農村に帰って来て、帰農する場合がある。
 現にこうした事例は歴史の中では多くある。
 官職を辞し、郷里に帰って農事にしたという話はゴマンとあるのである。一端は離農して都会に出たが、そこでの水が躰に合わず、再び故郷に戻り百姓をする。

 これは昔、武芸修行をしていた武芸者が、何処か山奥の農村に止まってそこで農事に帰農しつつ、道を極めるという話も、よく聞くところである。こうした帰農願望は、人間の心に、土に還る懐かしさを遺伝因子として、心の裡
(うち)に仕舞っているからであろう。
 帰農者は懐かしい脳に還って行くのである。心の故郷が脳裡
(のうり)に残っているからだ。

 また、懐かしい脳に刻まれている遺伝因子には、農事に関する「神祀り」の神と一体であると言う、「神と伴にある姿」の残像が横たわっているからである。それは、心の古巣に帰ろうとする。まさに望郷の想いが心に蘇
(ゆみがえ)るのである。

 日本では農事に纏
(まつわ)る祭が多い。それは「農耕儀礼」と無関係でないからだ。
 農作業が順調に運ぶことを願い、実りの秋には豊作となるように「一粒万倍」の祈願をし、遂に刈り入れの秋には天地に感謝して行われる一連の儀礼を、農耕儀礼と言うのであ。
 祭は、神を祀ったことで生じる農耕社会における主要な年中行事だったのである。生まれた土地の守り神である、土産神
(うぶすな‐の‐かみ)との一体生活も、農耕儀礼に始まっている。

 思えば百年前の日本は貧しかった。それは農事を携わる百姓自身が貧しかったと言える。
 昔の百姓は貧しかった。そのうえ抑えられ、うだつも上がらなかった。
 田畑を所有しない貧しい小作、または日雇いの農民を“水呑百姓”と言った。百姓の中でも最階位の百姓で、無高
(むたか)百姓などとも言われた。
 百姓はいつの時代も虐げられた存在であった。
 特に最階位の百姓は惨めだった。

 この階級は下積みの生活が余儀なくされ、多くの小作人層を形成するこの農事の従事者は地主から土地を借り、小作料を払って農業を営むことが赦
(ゆる)されていた。
 彼らは昔、とにかく貧しかったのである。ボロを纏った、極貧と言っていいほどだった。土地を所有する自作農を除いては、みな百姓は貧しかった。

 しかし、貧しいからと言って、死にはしなかった。それは死ねないのでない。死なないのである。したたかに生き残った。貧乏に悲観すらしなかった。貧困に耐え抜くバイタリティを持っていた。辛抱強さを持っていた。忍んで我慢することに、したたかな免疫力を貯えていた。
 では、その力は何処から湧いていたのであろうか。
 また、彼らは何を頼りに生きて来たのであろうか。

 おおよそ百年前の日本の百姓生活を探って見ると、まず、殆ど自給自足の生活をしていたことが分る。大自然の中で独立自給の精神があったことが分る。そこで小さな村社会を形成していた。少数単位で扶
(たす)け合いとの運命共同体の中に在(あ)り、時には雨風とも格闘した。
 しかし、風雨を齎す自然を恨みはしなかった。それを有難い恵みだと感謝した。
 その感謝の中には、心の安らかさがあったからだ。その心境こそ「日々是れ好日」であったに違いない。
 雨が降ったら降ったでよし、風は吹いたら吹いたでよし。また雪は降ったら降ったでよし……、雲が懸かったら懸かったでよし……、それを総てよしとして、その日々は好日であった。

 昔の百姓はおそらく真の自然とは何かを理解していたのであろう。
 この理解なしに天を、地を相手に出来ないのである。
 天候を読み、時節を知り、土を知って、毎日の日々には様々な事象が訪れ、変化に富んだ流転の流れを知っていた。

 一日のうちでも太陽の昇る前半の日々があり、また沈む後半の日々があることを知っていた。
 これを一年周期で観て、その四季の流れには前半の春と夏があることを知り、また後半には秋と冬があることを知っていた。その前半と後半の切り替えを巧みに読んでいたのである。
 これを人の一生に譬
(たと)えれば、前半の上り坂に対して、後半は下り坂に差し掛かることも、周囲の老人の枯れ方を検(み)て、人の一生の変化を見ていたに違いない。

 しかし、現代に生きる現代人は、自然の見方や人の一生の見方はどうだろうか。
 前半の上り坂ばかりを見て、後半に下り坂があることを見逃しているのではあるまいか。
 いい歳をした高齢者が、若作りをしたり、筋トレに励む姿は、結局、人生の前半ばかりに縋
(すが)って、後半に下り坂があって、やがて枯死していくという現実を見逃しているか、それを承知していて、見て見ぬ振りをしているとしか思えないのである。こういう後半の下り坂を蔑(ないがし)ろにすることは、人生を全般的に見た場合、明らかに片手落ちであろう。
 この“片手落ち”をもって、「あなたの心は安らかでしたか」と、死期の近付いたときに質問事項として訊いてみても、明確には答えは得られまい。

 おそらく大半の人は、前半の上り坂ばかりを検て、後半の下り坂を見逃して生きたのだから、後半は、前半と比較にならないくらいの不安感と危機感で苛
(さいな)まされていたのではあるまいか。
 今年は順調か、来年はこれまでの体調が維持できているだろうか、経済的には儲かっているだろうか、老後資金の貯えは大丈夫だろうか、年金はやがて枯渇するのではあるまいかなどと考え、不安感と危機感に襲われるだろう。

 来年はどうか……。
 翼々年は大丈夫だろうか?……。
 そういう気持ちが付き纏っているとしたら要注意だろう。
 不安感と危機感に襲われていたら、日々是れ好日はあり得ないし、だいいち人生を「味わう」ことなど出来ないのである。
 来年は今年より、上向きであろうか……などを思い悩んでいたら、不安感と危機感が増幅されて倍増するばかりである。決して安住は訪れまい。
 心が掻
(か)き乱され、安定は狂わされ、苛立が先行して、その一方で、体力は減退していく。そうした状況下で、「あなたの心は安らかですか」などと訊いても、朗らかな心境には至らないであろう。
 人生、何が面白い……、何が楽しいのか……と苛立を露
(あらわ)にする人も居よう。
 もう、これだけで充分に、不成仏の軌道を疾
(はし)っていることになる。

 老子の言葉に「人、飲食せざるは莫
(な)し、能(よ)く味を知るもの鮮(すく)なき也」というのがある。
 人はみな飲食をする。食物を食べないと言う人は居ない。ところが食物を食べながら、その味をよく知る人は少ないと言っているのである。
 昨今の飽食の時代にあって、世は挙げて美食に現
(うつつ)を抜かす世の中である。料理の哲人と称する料理人の美食に舌鼓を打ったり、美味い店があると聴けば、押し掛けて行列を作る。体力をつけようと肉料理に奔る。エネルギー補給のために体力重視は、今の世の中では常識化されてしまっている。一生の間、美味いものをどれだけ多く食べれるかが、現代人の食のテーマになってしまっている。美味いものと聞けば、地球の果てまで食べに行く。
 しかし、これは前半の上り坂での食生活である。

 下り坂の後半にこう言う事は出来ないのである。慎み第一となる。食を乱さないことを旨とする。
 後半では、前半のように、どんどん食べればいいと言うものでない。美食を貪るべきでない。
 下り坂に差し掛かれば、多く食べるより、「味わう」ということが大事になる。
 味わってこそ、食べ物の味が本当に分って来るのである。後半は、味わう人生だった。

 古人は、このことをよく知っていた。
 下り坂で、まだ、そのまま現状維持して上へ上へと上がって行くことは愚である。上がれば悪因縁を引き寄せることになる。悪因縁とは生活習慣病である。
 味わいの時期に、喰って喰って喰いまくるのは愚である。また、この時期に不安感や危機感を抱いても愚である。愚を通せば、ストレスが溜まる。不安に付き纏われ、心配の胤
(たね)が殖えるばかりである。こう言う心境では、「生きていてよかった」という感慨も、心の底から込み上げて来る喜びも感じられないものである。

 更に老子は言う。
 「道の道とす可
(す)きは常道に非ず」
 ここで言う常道は、いつも大半の人が考えている道で、社会の常識である。その常識をもって現代は道と言うのであるが、実はこれは本当の道ではない。似非の、仮の道である。
 何故なら、本当の人生など、この似非の道、仮の道では味わえないからである。
 本当に人生を味わえる道であるなら、不安感や危機感など起ころう筈が無く、また心配などからストレスなど溜まりようが無いからである。ストレスの元凶は、この世の中を、人よりも巧く渡り切って、人よりいい生活をしたいと考えている事自体にストレス発症の病因が巣食っていたのである。
 本当の人生の味を味わっていこうとするならば、巷
(ちまた)で常道と信じられている人真似(ひとまね)人生の模索から離れて、種々の現代の被害妄想を一蹴することである。この妄想に悩まされている以上、人生など味わえる筈が無いのである。

 昔の百姓は貧しかった。極貧と言っていいほど貧しかった。
 それでも人生を味わい、楽しんでいた。
 あたかも清貧として知られた原憲の如きである。
 実は世間で思われている常道というのは、人生を味わうには少しもいい道ではなかったのである。苦悩が付き纏う道であった。また迷いの多い道でもあった。

 ゆえに老子は牧歌的な帰農人生こそ、真に人生を楽しみ、味わいのある後半の晩年の過ごし方であると説いた。
 現代人の多くは都会にあって、あくせくと多忙に追われる気忙しい社会通念を常識と思い込んでいる。この思い込んだ常道は、本当の道でないと喝破
(かっぱ)したのである。

 現代人が思っているような生活が本当のいいかどうか分らないのである。この点は考え直す必要があろう。
 しかし都会生活こそ、快適で便利で豊かであると信じている人は、『老子』を学ぶ必要はないのである。そのまま、妄信のまま、人生を潰えれば宜
(よろ)しいのである。
 だが、自分はこの世に生を享
(う)けて生きて来たが、果たして本当に人生を能(よ)く味わって来たのだろうか?……と疑問を抱いている人は、老いてなお『老子』を学ぶ必要があろう。
 本当に心の豊かな、ゆったりとした余裕のある人生を歩いて来たのか、もう一度疑い、素直に自分自身を掘り下げてみる必要があろう。
 彼の佐藤一斎も言うではないか。
 「老いて学べば死して朽ちず」と。
 老いの学は自己探求である。
 その探求の結果、もう忘れかけていた「懐かしい脳」の記憶を取り戻せば幸いである。



●老いてなお毅然さを失わず

 五十の折り返し点と折り返せば、愈々
(いよいよ)そこからは後半人生の下り坂に差し掛かる。
 だが、下りは楽だと思うのは早計である。下りこそ、上りよも足腰が確りしていなければならない。若い頃の上り坂人生では、よく鍛錬をして腰力などを養って行かねばならないが、この成果が出るのは下り坂に入ってからである。

 また、背筋を伸ばす訓練も充分に遣っていることが大事であり、特に余り老後には役に立たない腹筋を鍛えるよりは背筋を鍛えておく方が懸命である。腹筋は鍛え過ぎると、歳を取ってから腰痛の原因を作る。腰痛を患うと、仙腸関節が弛む。外れて開き気味になる。腰痛の病因は筋トレなどで腹筋を鍛え過ぎたことによる。腹筋鍛練は無用なのである。大事なのは背筋だった。

 したがって腹筋より、腰骨の上に脊柱を垂直に立てる背筋を鍛えておく必要がある。猫背にならなくてすむし、その姿自体が矍鑠
(かくしゃく)として見え、矍鑠とした姿から吐く言葉は毅然と響き渡るものである。
 同時に背筋力は呼吸法の鍛練にもなり、話す声と言葉の内容が拡声器を介さなくても、遠くまでよく通るのである。何を言っているか、声の伝達が明確なのである。
 これは背筋力の威力である。また肚から出て来る丹田の力である。丹田の養成は呼吸力を通じて行われ、何よりも背筋がしゃんと伸びていなければ丹田力は発揮できない。

 声が確
(しっか)りしていれば、態度の毅然さは崩れず、それが老いても矍鑠として映る。背筋を伸ばし、大胸筋を開き胸を張る。人間は誰の前に出ても、胸を張っていればそれだけで威厳と毅然さは維持できるのである。背中を丸め、猫背にしては、ただオドオドしていると映らないので、その人が如何なる人物か、その態度だけで暴露されてしまうのである。
 老いても、枯れても、胸を張っている老人は威厳が失われていない。人に一目置かせる威力がある。
 一方背中を丸め、腰の曲がった高齢者は、同じ年齢でも堂々さが失われ、しょぼくれ、長老然として見えない。少なくとも健康そうに見えない。

 かの『葉隠』の口述者・山本常朝は言うではないか。
 「人間は健康であるよりも、健康そうに見えることが大事」と。
 猫背で、背中を丸めていては幾ら気負って頑張り通しても、傍目
(はため)には不健康にしか見えない。見るからに、胃腸が悪いのではないか、何か重大な病気を抱えているのではないか、まさかガンではあるまいな等と、人は勝手な想像をするのである。そうなればマイナスイメージであろう。貸すものも貸さなくなる。
 したがって、常朝は言った。
 「健康そうに見えることが大事」と。
 それ以外に何があろうか。
 何も我武者らに健康に縋
(すが)らなくてもいいのである。
 
 背筋鍛練。
 また、これが肉体を強靭にし、心まで気丈にする。
 老いたりと雖
(いえど)も、簡単にはへこたれない。音(ね)を上げない。
 日本人は、誰もが心に故郷を描き、脳裡にはみな懐かしい脳を持っている。
 晩年、故郷に帰って農事に携わるなどのこうした行為は、かつての百姓が持っていた同じ心を共有するからである。

 それでいて、孤高の生活を楽しんでいて仙人的な一面があることも発見できるのである。
 昨今の時代劇で創作された、悲惨一方の百姓像ではなかった。
 喩え、生かさず殺さずの中に置かれていても、結局死にはしなかった。
 百姓が死ぬときは、また百姓以外の士・工・商階級も死ぬ。例えば飢饉に見舞われたときは生きる智慧が無ければ死ぬ。士農工商の階級で生き残り率を考えれば、先ず天地異変が起こったとき、百姓を筆頭に半農武士であった下級武士である。打たれ強い体質を持っていたからである。決してヤワではなかった。

 百姓は日本全国、様々な地域に分布していた。
 特に、山国日本では、その多くは山地の峡谷や渓谷に居を構え、狭い土地を耕し、里山を形成した僻地
(へきち)に生まれて、僻地で死んで逝った。みな名も無く、貧しく、臨終を迎えるときは無言で死んで逝った。
 山地に棲む百姓は、低地の街中とは隔絶され、世間とも離れて暮らし、それでいて住居の作りや構えにも何の不満も持たず、不平も洩らさず、一見孤独に見え、そう映りながらも、実は孤独でなかったらしい。一見、牧歌的なところがあった。また、そこに味わうべき哀愁があった。

 何故なら、何よりも彼らは土と親しみ、草木に触れ、それを愛で、太陽と共に起き、太陽と共に寝た。
 大自然と言う神の前で、彼らは耕作という神の田園を耕すことを赦され、耕す喜びに誇りを持っていたからである。日々が胸を張れる誇れる日々を送っていたのである。
 日が昇れば野に出て働き、日が暮れれば憩いの塒
(ねぐら)に帰って行った。毎日が「日々是れ好日」であったのである。

 その好日は無限の好日であり、無限の一日は、永遠の生命の一コマに過ぎなかったのである。そして無為自然の中で生きていた。
 何ものにも侵されず、何ものも侵さなかった。常に神
(大自然)と共にあった。自立を確保していた。
 また「神と共に」は自給自足・独立独歩・自前主義を可能にした。他に依存しない自立の精神を育んだ。その中に、生も死も共生していた。

 現代人の感覚では、表裏一体の関係にある「生死の問題」を、それぞれを個別に切り離し、単体と考えていることである。死の問題を棚上げしていることである。そして生と死は同根でもなく、同一でもなく、両者の拮抗も均整も図ろうとせず、片方のみの“片手落ち”の見解を抱いている。
 現代社会において「生」の比重は余りにも大きい。
 その一方で、「死」が蔑ろにされている。死んではならないとなっている。生を諦めてはならないとなっている。生きることが強要される。

 生に固執し、生きることを諦めさせない社会背景が現代の時代を形作っているのである。死んではならない生に固執する人生を奨励している。そして、生と死は表裏一体であることを完全に見逃しているのである。
 しかし、本来は生死は表裏一体であるから、どちらを好み、どちらを嫌うかと言うものでなかった。生死は同根であった。
 生きるときは精一杯生きればいい。そして死ぬときが来れば、還る時間を告げているのだから、還る時には還ればいいのである。

 人生に春・夏・秋・冬の四季があるならば、人間にも生・老・病・死の四期がある。この四期は何れが善くて何れは悪いと言うものではない。人生を経験する上でそれぞれがどれも大事な事柄だったのである。
 かの道元は言った。四季をこのように詠った。

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり

 春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬は雪が白銀に冴えて何と心の涼しいことよ。
 道元は、そう詠った。
 これはフォーシーズン総てよしとしているのである。
 春がいいとか、夏がいいとかの、四季の選
(よ)り好みは無い。四季の季節を選ばず、その変化は全部いいのである。
 しかし、四季の春だけとか、夏だけとかの一部に限定すれば、一年の内で、たったの三ヵ月ほどになってしまう。十二ヵ月ある一年を、その四分の一しか楽しめず、味わえないのである。残りの九ヵ月が無駄になってしまう。
 それは九ヵ月間を不安感と危機感を抱いて、心配通しの生活を送っていることになりはしないか。

 日々是好日……。
 此処にこそ、本当の安心立命があったのではないか。
 死を嫌って何処までも生にしがみつく。最新医療などに縋り付く。
 果たしてこれは、安心立命の境地だろうか。

 情報時代は情報に振り回される時代である。
 特に現代人は、データ情報の数値に振り回され易い。データ情報から弾き出されたアルゴリズムの数値に振り回され、その数字に一喜一憂を繰り返している。
 血圧値が幾らだとか、血糖値が幾らだとか、コレステロール値が幾らだとか、また経済動向となれば、物価指数や株価指数、はたまた国内総生産が幾らなどの数字ばかりを気にして生きている。
 だが、情報と言うものは実に曲者である。
 何故か。

 情報と言うものは危機感を煽
(あお)る効果が大であるからだ。
 煽られればデマが流言し、その流言に乗って軽挙妄動の愚行を起こすこともあるし、付和雷同に陥って徒党を組み、軽佻浮薄を繰り返すことになる。また偽情報が風評・流言となって必ず波及るする。こうなると安心立命どころではない。
 だが今日、流されている情報の多くは、不安を煽ることを目的に流されている。
 情報と言うのは人を脅し、恐怖感を煽るのである。

 例えば日経平均株価で、一部上場の代表的な銘柄について算出し、発表しているダウ式平均株価指数で乱高下を繰り返して、仮に続落から暴落となるような兆候が顕われた場合、この種の報道はどうなるだろうか。

 おそらく報道機関では「証券取引所始まって以来の最安値をつけました」と報道すれば、視聴者は「これは大変なことになりそうだ」という不安イメージと、大暴落への連想を誰もが抱いてしまうだろう。これ事態で「経済大恐慌の再来か」と危惧
(きぐ)してしまう。
 ところが、「今世紀始まって以来の最安値になりましたが、過去にもっと酷いときもありました。1929年の世界大恐慌となった『暗黒の木曜日』や平成バブルを招いたバルブ時、それにリマンショックの時に較べれば大したことはありません。今が底値ですので、もう直、挽回するでしょう。心配は要りません、ご安心下さい」などと言うと、もうこれは聞き流されてしまう。情報の質からすれば、決していい情報とは言えないのである。

 いい情報とは、徹底的に危機感を煽って人を不安に陥れ、始めていい情報になり得るのである。これが情報のメカニズムであった。したがって危機感を煽られて不安を感じる人は、このメカニズムの情報の仕掛けに嵌められたと言うべきであろう。
 則
(すなわ)ち現代人は、いつも日々の情報に振り回され、引き摺られ、時には煽られて、不安感と危機感とを同居させて生きているのである。また、これが多忙時代を招き寄せたと言えるかも知れない。

 企業経営の首脳陣は、常に利潤追求を考えている。余剰利益を少しでも多く出して成長することばかりに専念をしている。それが波及して、社員層に多忙を作るのである。
 ある経営者などは社員に対して「経営者のつもりで働け」とか「社員一人ひとりが、みな経営者なのだ」などと、平社員まで発破を掛けて叱咤激励する。時には、肩叩きのポーズをちらつかせて、「営業成績の悪い者は……」と脅しつつ、叱咤の態度を見せる。
 この叱咤こそ、多忙を作り出した元凶ではなかったのか。

 伸びなければならない。成長しなければならない。この飽くなき余剰利益の追求が、雇用者に過労を強いたのではなかったか。多忙を押し付けたのではなかったか。
 また、今でこそ騒がれなくなったが、多忙は「過労死」という生贄
(いけにえ)を必要とした。暗黙の了解でそれを勤務上の不文律にしていたのではなかったか。
 官民問わず、下っ端の平はこの環境に置かれた。
 「サラリーマン残酷物語」は多忙に始まったと言えよう。そして、今もその延長上にある。

 前年度と今年度を比較して、どうか?……。果たして目的達成値に到達し、儲かったか否か?……。企業経営者の関心事はこれだけである。何処までも利潤追求を怠らない。それは皮肉にも多忙を押し付ける構造であった。
 就労者の一日の労働時間は8時間である。8時間を超えるようなサービス残業が必要になるような仕事を押し付けるのは、経営者自体が無能であるからだ。有能な経営者は、時間内に残業なしで仕事を終了させて、その後は解き放つものである。また多忙を理由に不文律でも拘束はしないものである。

 だが無能な経営者はそうではない。
 今年は儲かったが、来年はどうか。更に次の年は大丈夫だろうか。
 いつも近未来に向けて疑問符を抱いている。
 もっと発破を掛けなければ……。営業成績の悪い奴は、どやしつけなければ……と、いつも焦燥感に煽られている。経営者の心理は必然的にそうなる。無能だからだ。
 いつも上り坂を駆け上がるように、自らのバイタリティで猛烈に牽引し、奮闘する反面、味わうことを知らない味気ない人生を送っているのである。無能な証拠でもある。

 しかし経営者として、また官公庁などの組織の長として、あるいは局長や次長、部課長クラスの役職で、本当のリーダであれば、過労死に追い込む元凶となった多忙は強制しないものである。暗黙の了解であっても、そういう、昔で言う「切り捨て御免」は遣らないものである。
 有能なら、それぞれの長所を見出して、活かして使い、適材適所に配置して無駄なく使う。肩叩きで脅しはしない。こうした配慮が出来ないのは無能であるからだ。
 人を知り、人情の機微を知ってこそ、人生の味も分ると言うもの。人生の楽しみも、「知る」と言う行為の中に存在する。

 人間、晩年期に至ったら、下り坂を楽しみ、人生を味わい、濃厚な時間を過ごしつつ、四期の最後の「死を向かえる準備」をするべきで、これを怠ってはなるまい。早く気付くべきである。

 さて、そろそろ死のうか……、そういう心境にあって、最後の「臨終の祭典」に参加する死の準備が整うのである。


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