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そろそろ死のうか 13

現世と言う「この世」は、あらゆるものが複雑に、複合的に組み合わされて、依存しながら存在している。何一つ、単独で動いているものはない。
 しかし、現世は現象界であり、私たちの棲
(すむ)む現象人間界は刻々と変化し、流転(るてん)する制約に縛られている。止まることを知らない。その為に、固定した実体というものが何一つない。

 ところが人間は言葉を用いて、現象のそれぞれに名称や名前をつけた。自分の足許
(あしもと)を見て、踏みしめたものを「大地」といい、天を指して「空」と名づけた。そして自分にも、「わたし」もしくは「ぼく」という一人称での呼称をつけた。

 こうして、一旦名前が与えられると、大地も空も固定した。固定が特有の固有名詞を持たせた。それがあたかも、実体を持つが如きの存在に思えてくる。また、そのように思い込んでしまった。
 斯
(か)くして私たち人間は、固定観念の世界に絡(から)め捕られて、以後、先入観に襲われることになるのである。
 「死」という言葉も襲われる恐怖の対象になった。時代が下るにつれ、死の恐怖は徐々に増幅されて行った。

 人の悲しみや、苦しみの根源には、「死への恐怖」が横たわっている。死は限りなく怕
(こわ)い。そのような先入観を抱いている。
 しかし、無常は止
(や)むことがない。変化をし続ける。時々刻々と変化する。
 現象界では、一時たりとも止まる事がない。常に万物は流転するのである。

 宇宙は絶えず、「生成」と「死」を繰り返している。
 その中に、現代を生きる私たちがいる。
 また、その中で自己が形成されている以上、私たちの世界はいつかは破壊され、やがて「空の世界」に回帰する。


●自然から離反する科学信仰

 人間は十人十色であり、同一の目標を持ち、同じ価値観の一枚岩の目的に向かって人生を歩んでいるのではない。人それぞれに異なる。目的地も違うし、幸福の概念も異なる。
 何を以て幸福とするのか、人それぞれによって違うのである。一緒くたに出来ない。
 戦後降って湧いたような平等論を持ち出して、総てを平等の枠に押し込んではならない。

 それぞれの異なりを認めることが、本来の人権であろう。
 種の違いや色の違いを、平等と言う型に填めて、総てが同格で同等とするのは、むしろこの方が不均衡と言うべきである。既に拮抗を失っている。

 人間同士の争うが絶えないのは、こうした自他ともに認め合う容認が欠如しているのかも知れない。押し付けがましいお節介は無用のことである。
 こうすべきである。この価値観こそ正しい。この宗教のみが正しくて、他は間違っているとする宗教観。こうした他を指弾する攻撃が、そもそも紛争を招いた。東西・南北で格差が起こり、これに軋轢
(あつれき)が生じたのは人類の歴史が示す通りである。

 人はそれぞれに違うことを認めるのが、本当のバランスを保つ拮抗術であった。この拮抗術により中道が保て、また中庸が維持することが出来るのである。それには互いにそれぞれの違いと立場を認め合い、更には長所のみならず短所まで了解した上で、認め合うことである。
 そして最も重要なことは、単に安易な平等論に振り回されるのではなく、平等でないことこそ念頭に置くべきで、これを忘れれば拮抗
(きっこう)は忽(たちま)ち失われてしまう。

 才能の量も質も違う。思考的にも上下する。知力も高低がある。物を検
(み)る眼の醜美も存在するし、感受性も違う。それを認めた上で拮抗を保つ。それを維持する。
 また拮抗の基準には、物を見る着眼点も違うことを認め、優れた者や劣る者がいることを各自が認識すべきなのである。そのうえで互いに違いを認め合う。それには平等で無いことを確
(しっか)りと認識することである。

 例えば、囲碁や将棋の愛好者は、愛好者同士でも習得のレベルも違うし、修行に没頭した時間も違う。
 また、プロになるには、30歳までの通過しなければならない登竜門があり、才能年齢がある。その年齢を逸すると、有段者でもプロへの資格を失う。あとは熟練の愛好者として、愛好の道を歩む以外ないのである。
 これは碁や将棋のプロ棋士を見れば一目瞭然だろう。

 更には、人によって霊的感性も違う。霊的神性の明暗度も違う。
 霊的感性は、遺伝子の中に残る先祖の記憶であり、この記憶を明確に留
(とど)める人と、殆ど記憶を喪失してしまっている人に別れる。記憶を留める人は、太古の縄文時代から、そのまま霊的能力を残留している人もいる。したがって闇を見る視覚が明るい。それだけに見えていた。

 恐らく縄文の古代人は、みな闇を見る視覚が明るく、肉体を持たない霊魂だけの意識体の動きが見えていたのであろう。そのため生活の中には、生者も死者も同じ生活空間に棲
(す)んでいた。死者を祀(まつ)るのはそのためである。そして最初の死者が初代の先祖霊となり、やがてこれが神格化され、神ととなって祀られることになる。

 この「祀る」には、同時に祭祀が含まれていたと思われる。先祖に対する儀礼法である。そういう痕跡は、神社仏閣に残っている。古代人は、みな霊能者であったと考えられる。
 ところが、個々人の間に記憶格差が起こり、記憶を留めて先祖の遺伝をそのまま現代に持ち越した人と、早々と喪失して喪失してしまった人とに別れた。

 それを分岐させたのは、食べ物であったと考えられる。
 食生活が人間を霊的神性を留めた穀物菜食実践者の「霊人
(たまびと)」と、片や、肉でも乳製品でも野菜でも果物でも、現代栄養学が推奨する自称“バランス良く”の、何でもの食べて雑食する百花繚乱の、主食として肉や乳製品を多く摂る肉常食者の「獣人(けだものびと)」に隔ててしまったのである。
 したがって両者を比較すれば、霊的神性の曇り度合いも違うし、霊的波調の粗密も異なるし、更には闇の中を視る眼の視力能力も違う。視覚の明るさまで違う。

 最も分り易い比較で言うならば、夜目の利く人と、そうでない人である。
 夜目の利く人は、視覚自体が明るく、更に広角度に遠くまで宵闇
(よいやみ)の中を見ることが出来る。利かない人はその限りではなく、宵闇世界は盲同然である。
 一方で、夜の時間帯は、全く駄目と言う夜盲症の鳥目もいる。この違いは歴然としているものである。

 あるいは食に対しても、食思想についても言えることである。
 肉体の根本を為
(な)す、食に対しての考え方も違う。食思想も異なる。
 食肉を主に消費する肉常食者も居ようし、野菜や穀物中心のベジタリアンも居よう。それに加えて、好き嫌いや主義主張が異なれば、それぞれの接点箇所も極めて小さくなる。接する面積は限りなく小さい。極小値に至る。
 そうなると水と油の関係となってしまう。

 世の中には体質的に受け付けない、交わらない平行線もある。同胞と看做
(みな)さない、性格上の好き嫌いもある。
 また、その違いは、霊的神性まで直結しているから、此処には穀物菜食をするか、肉常食をするかで、霊的感性も異なる。
 前者の霊的感性の波調は細かく柔らかで密であるが、後者はその感性から来る波調は荒々しく、雑で、かつ粗である。
 霊的波調から来る粗密の違いもある。その違いが平行線を辿ってしまうのである。つまり、霊を信じる者と信じない者である。両者間の理論は、未だに平行線のままである。

 況
(ま)して、それぞれの能力を比較した場合、規格品のように同一でもないし、平等でも同格でもない。最初から同一線上のスタートラインに並んでいない。それを敢(あ)えて、同じ土俵で優劣を見聞し、軍配を下すことは難しいだろう。
 何故なら現代人も、人類として進化の発展途上にあり、未だに思想的見解を共有し得ないからである。
 そして更に、進化を妨げ、これに拍車を掛けているのは現代特有の「現代人の生き方」である。

 現代は生活様式が世代ごとに異なっているし、価値観も違い、考え方も違う。また物事の認識も違う。見詰めている対象物や向かおうとする目的地が違えば、当然此処には大きな隔たりと格差が出て来る。同一の既成枠で詰め込んでしまうことは土台無理なのである。
 そもそも時代差からら起こる時代霊は、段階別に違いが生じ、格差を持っているのである。時代別に憑衣される時代霊は格差間で異なっているのである。

 しかし、平等を標榜する民主主義下では、これらの相違をもって、排斥
(はいせき)することは出来ない。平等と言う概念と禁止事項に抵触し、差別したと看做されるからである。
 斯くして平等概念は崩れる。

 また個々人の思考力の格差による。考えるか否かは、この時代、実に大きい。
 思考しても、その格差は細分化し、専門化したことで分裂状態になってしまった。分裂したその尖端
(せんたん)は放射に膨張・拡散し、多方向に多様分裂している。

 この分裂が中心から大きく膨らんで、拡散してしまっているのである。
 このように散らばったものを、平等スローガンだけで、元の鞘に納めることは至難の業
(わざ)である。
 また中心に帰一させることは、今日では不可能に近くなっている。多様化が進み過ぎたからである。
 更に、その多様化の先に、近年、市民権を得るようなものまで登場した。この分裂状態は、これから先も益々激化を極めるだろう。

 何故なら、多様化と多方向への分散・分裂は、高度に文明が発達した社会に見られ、家族構成自体が核家族であり、市民社会を構成する文化水準が上がれば上がるほど、複雑化するばかりでなく、多方向に細分化して拡散し、放射状に散乱するからである。その散乱は広範囲に及ぶ。
 したがって、それぞれに散った先端部分を、また再び元に寄せ集め、結束することは不可能であろう。
 細分化して切り刻んだ物質を、再び繋
(つな)ぎ合わせて、元に戻そうとしても、元通りに復元できないのは、このためである。
 これは自然と言う有機的生命体を細切れに刻んで、元に戻そうとして繋ぎ合わせても、元には戻らないのと同じである。これと同じように、破壊された自然は再び元の姿には復元できない。

 自然は元来、生もなく死もない。大小も、盛衰も、強弱もない。比較不能な自然体であり得た。また、それは不動であり得た。
 だが現代に科学と言う体系付けの学術騒動が起こった。系統立てて、自然科学と言う論理的に自然を考える思考法が擡頭
(たいとう)した。
 その思考法によると、自然が弱肉強食の荒々しい矛盾に充
(み)ちた相対界の残物だと騒ぎ始めた。
 しかしそのように騒ぐのは、科学信仰を信奉する信者だけである。その信者達は自然に尤
(もっと)もらしい論理で体系付け、系統立て、相対するものを宛(あ)てがった。そもそもの間違いは、此処に由来すると言えよう。

 科学知識を根拠として、それを体系的な根底を支える土台に置いて、西洋科学は此処から根本的錯誤を起因させ、それが人為的なる誤謬
(ごびゅう)を派生させた。この派生により放射状に散らばった尖端は、思想界においては思想の誤りが人間の生き方を誤らせ、衣食住を誤らせ、食に慎みを失わせて食の乱れを招いた。
 現代の世では、その乱れと慎みの無さが日常茶飯事として見られるだろう。

 食の乱れが起これば、当然食を生産する生産者にも農業・畜産業にまでその乱れは波及し、“見て呉れ重視”の、消費者に見栄えのいいものだけを提供する搾取が行われた。近年の生産者は形を整え、色を艶やかにし、見た目を重視して農作物を生産するのである。これに近年は“便利”と言うものが加わり、食べるにも食べ易いものが重視されるようになった。
 簡単で、然も食べ易い。そういう農作物がスーパーやデパ地下などの野菜・果物コーナーで売られている。
 例えば、“種無し葡萄
(ぶどう)”如きは、その生産者であれば、決して自分の家族には食べさせないだろう。薬品を遣っての生産物の有害性を自らは知り抜いているからである。これは科学が招いた食思想の誤りの一端だった。健康より食べ易さ重視である。それに併せて生産者も生産する。
 つまり、食に密接な関係がある農法に誤りがあれば、食は乱れ、その乱れが自然を破壊し、自然破壊が民族を衰退せしめ、その衰退が世界に波及して、間接的には地球に混乱を与えているのである。

 然
(しか)し乍(なが)ら筆者は、近代農法の実態を暴露して攻撃することを目的にしているのではない。もっと奥深いところから掘り起こし、中世頃から始まった禍根の錬金術の変形である西洋科学の誤りを指摘しているだけである。
 その一方で、老子的な東洋の「無の哲学」の奨励を、声を大に叫んでいるに過ぎない。

 日本もかつては貧乏国家だった。国全体が貧しかった。貧しくとも個々人は誇りをもって生活をしていた。
 例えば、武士である。
 この時代の武士は、かのザビエル神父が言うように、この階級は質素倹約に励み、慎みを知り、清貧を旨としていた。それに、誇りすら持っていた。
 フランシスコ・ザビエルは言う。
 「日本人にはキリスト教国民のもっていない特質がある。それは武士が如何に貧しくとも、その貧しい武士が、豪商と同等に尊敬されていることだった。清貧なる貧しさを、少しも恥だと思っている人はいなかった」と、貧乏は決して恥じでないとし、武士の毅然
(きぜん)さを讃えている。
 この神父は、当時の日本人の「清貧」さについて、驚きと感激の念を表しているのである。

 また日本の過去を振り返れば、この国は「稲穂の国」と言われ、稲藁文化を中心とした自給自足が可能で、古来より連綿と続いた直会
(なおらい)を実践しつつ、神と共にあって万物の命を頂く自然食の追求と、それを追慕しながら、至って幸福な暮らし方をしていた。
 少なくとも、明治維新後の西洋が入って来るまでは、一見効率よく、合理的に見える合理主義など幸せの対象外であった。それだけで充分に幸せであった。

 少なくとも、百年ほど前までは、日本人は神と共にある「神と共に、神に縋らない文化」を営んでいたのである。それは、あたかも無神論者のような生き方であった。しかし、神を尊び、敬うことは知っていた。
 稲作文化は、神に対しての日本人の自然観も培っていたのである。

 そもそも稲作は、神の恩恵を受けなければ成り立たない農事であった。神の力、自然の力を抜きにして稲は育たなかった。また、神と共にあったから、農村自体を浄める神事が行われ、神への祈りが行われた。稲作はまた神祀りの文化であったのである。そして稲作から、稲穂を用いて衣・食・住に様々な恩恵を齎していた。

 衣では頭の先から足まで、稲穂を用いて作り出された笠・手袋・蓑・草鞋・沓・藁蒲団・籠など工芸品で身を包み、食にも稲穂が使われ、釜櫃や弁当箱や囲炉裏の藁灰などにも利用され、また住にも屋根から床の畳まで稲穂が用いられ、稲藁
(いなわら)による「一物全体活用」が行われていたのである。米の収穫後の稲藁ですら、余すところ無く全体活用していたのである。
 日本の生活文化は、米だけでなく収穫後の稲藁による恩恵が大きかったのである。その恩恵をもって、幸福感に回帰していた。不幸など感じなかったのである。

 幸福感は、何も多くの贅沢なる物財に囲まれ、便利で快適な生活空間に居ることばかりではないだろう。こうした都会の時間制限から離れた、田舎時間の佇
(たたず)まいの中にも幸福感は訪れるのである。不便と不幸はイコールではない。
 人間にとって、物欲拡大ばかりが幸福に繋がる道ではないのである。もっと根本的な、生命体の有機的結合まで眼を向ける必要があろう。

 科学的生活空間は、自然界を軽視する蜃気楼
(しんきろう)でしかないのである。この蜃気楼の幻想に載せられると、そこの住人は、釈迦の掌(てのひら)の上で乱舞する滑稽な孫悟空に成り下がってしまうだろう。
 地上の生物や無生物まで意のままに作り変え、新しい生命体を創造したとしても、結局、人智の産物でしかない。自然界にあるものとは根本的に違うのである。遺伝子組み換えはその最たるものであろう。

 人間の知識は、細胞のタンパク質解析や細胞核、核酸、その中の遺伝因子、染色体の合成から、組み替え作業に着手し、早くも生命を自由にコントロールできるなどと、思い上がりはじめた。これを叩き台にして、あらゆる生物を自由自在に変革して、その操作技術が可能になったと思い込みはじめたが、人間と万物を生み出した創造主との格差は歴然であろう。
 人間の用いる科学力では、知り、作
(な)し、造るもの総て、この次元から創出されたものは自然の模倣品である。根本的には似ても似つかない。
 また模倣品活用は自滅の道へ突き進ませるだけである。
 人智創出の産物は、どこまでいっても人智の領域を超えることは出来ないのである。

 人智から出発した人為的画策は、総て大自然の創造主的眼から検
(み)れば、その統(す)べてが徒労に終わる運命を免れない。人間が、人智を超えた世界に進出するなどは幻想に過ぎないのである。
 然
(しか)も、人智の知は、知によって滅ぶ知でもある。
 これこそ民族を、亡国に向かわしむ知である。
 何故なら、西洋科学は自然界を相対界と捉えているからである。そもそも此処に間違いがあった。

 相対界と看做す西洋科学の虚構は、独断的虚妄に過ぎなかったのである。
 そして忘れてはならないことは、自然を監督し管理して、制御するつもりで、実は自然を破壊したに過ぎなかったのである。
 地球全体を殲滅
(せんめつ)の淵に追い込んだだけに過ぎなかった。西洋科学は自然の実態を、肉の眼で見える物だけに限定したのである。
 また、それを自然界イコール相対界と検
(み)てしまったことであった。更には、自然界を弱肉強食の相対界と捉えたことであった。ここに検証の誤りがあったのである。仮説から論理的に導き出された結論へ導く段階で、自然界自体を見誤ったのである。

 だが自然には、もともと正邪もなければ善悪もないのである。相対界でなく、絶対界だったのである。それを相対界と見誤った。そう見てしまった。自然界の食物連鎖を“弱肉強食の世界”と捉えてしまったのである。
 そしてこの誤りのまま分解し、解体した後、系統立て、体系化してしまった。誤りが生じたのは必然であった。
 しかし、そういう区分は、専門家と言われる人種が仮託として、勝手にこじつけただけのことである。

 この体系主義が、形や質、大きさや色分類まで、人間側の勝手な思い込みによって考え出されたものであった。弾き出された詳細データは、人間の知識による認識の止まる。
 したがって自然に反し、自然から遠ざかったものであることは疑いようもなく、人間の知らないところで不完全性を増大させ、誤りはその後も増幅することであろう。
 本来、東洋には系統立て、図表化した組織体系なるものはなかったものである。それが日本にだって無かった。自然は征服するものでなく、遠くから眺めるものであった。

 例えば、富士山である。
 この山は古くから信仰の山として知られていたが、この山に登頂するのは、ごく限られた修験道の実践者であった。一般人は、登山だとかトレッキングと称して、この山に上る常習性は無かった。生活の中で、麓から見上げていた。パノラマ的な雄大さに感動するものを感じていた。

 ところが、プロテスタンニズムで分るように、宗教との闘争で勝利した中世以降の西洋科学文明は、方法論をもって明治維新以降の日本に雪崩れ込み、戦後に至っては自然界を征服する登山技術を、愛好者や愛好予備軍へ科学力を注入し、その洗脳に成功した。昨今はそれが顕著である。
 斯くして富士山は、近年、最新のトレッキング技術で装備した一般人までもを、山頂へと運び上げてしまったのである。今や、山頂の混雑、更にはゴミの山はどうした汚染現象に由来するのであろうか。
 日本には縁もゆかりも無い外国人までもが、この山に押し掛け、大気と土地を汚染している実情がある。観光立国日本も、経済成長戦略の一貫に組み込まれているが、実に困った現象である。

 ちなみに、静岡県や山梨県に住む県民で、然もその麓
(ふもと)に棲んでいる複数の人に、富士登山のことについて訊いてみたことがあるが、此処の住人の大半の人は、生まれてこの方、富士登山をしたことが無いという人の方が圧倒的に多かった。
 その事情を訊くと、この山は遠くから、その雄大さを静かに眺めてこそ価値のある山で、傲慢半分に山頂まで押し掛けて、下界を見下す山でないというのであった。正解だろう。
 富士山に押し掛けて来る大半は、遠く離れた県外者と言う。
 日本人は、そもそも自然を征服するなどの思い上がった西洋人的な考えは無かったのである。

 言ってみれば、自然界を体系付けるとは、言わば系統という名の下に還元主義に奔ることであった。
 譬
(たと)えその還元が正解の域にあるとしても、丸ごとバラバラにする人体解剖のようなもので、結局これは有機的生命体を無機化して、その後、再び復元するという実験であるが、誰が考えても不可能であることは言うまでもない。
 有機的生命体は一旦分解し、細切れにして無機化すれば、元には戻らないのである。死人は、死んで生体機能を失った以上、如何に手を尽くしても生き返らせることが出来ないからである。

 日本は維新後、拙速主義を政治と国家運営と社会に持ち込んだ。
 西洋文明を取り入れ、福沢諭吉の合い言葉の「脱亜入欧政策」に多くの知識人が入れ揚げた。日本がこの政策に踏み切ったのは、西洋の怒涛の東征を防ぐためであった。
 だが、これはまた西洋科学を容認することに繋がった。そして日本の西洋化は、解剖、組織、体系の科学的概念の三本柱が構築された。
 物を検
(み)る習慣は、科学的体系のみが重視された。それ以外は非科学と一蹴された。
 だが、此処には大きな落し穴があった。そもそも体系的と称する思考こそ、本筋を誤らせる虚構理論であったからだ。

 自然に正邪・善悪がなければこそ、これまで立派に大調和を保ち、無為にして、草木の一本一本にまで恵みの雨を注ぎ、多くの生命体を維持し、育んだ。此処に大自然の生命体としての実体がある。

 生きている有機的生命体は、したがって分解も赦さないし、解体も赦さない。そういうことをすれば死滅する。
 だが、自然の摂理を無視した科学信者らが、隠れた部分を持つ有機体を無慙
(むざん)にも分解し、それに体系付けて系統立て、死滅したものを検(み)て、自然を把握したと自称するのである。
 そして遂には、老子のいう「小国寡民
(しょうこく‐かみん)」の牧歌的な社会での独立独歩、更には自給自足の生活までもが歪(ゆが)められ、無慙に、統治者の「無為の治」は葬り去られ、物質文明の発達によって、現代に至っている。



●小国寡民

 老子の説いた「小国寡民」の国こそ、今日で言う平和国家の塊
(かたまり)のようなものであった。
 その小国では、兵器などあっても使われることは無く、死を賭
(ち)して遠方の国を遠征・干渉することも無く、長距離を移動する船舶も車も用いず、万一の場合に甲冑を着て敵に備えはするが、防備は万全であっても戦うことは無かった。敵国に攻め入ることもしなかった。
 経済循環は自国内で充分に賄
(まか)え、自給自足、独立独歩、自前主義をもって、他国に依存したり頼る必要も無かった。
 まさに今日で言う、永世中立国然としていた。

 敵と争わず、敵にも争わせない。侵さず侵させないのである。
 外交は対話と協調、更には不侵略を掲げ、それだけに侵略されることも赦さなかった。付け入られる隙を作らないのである。
 これが確立されば、勝つことも無いし、負けることも無い。つまり戦乱は消滅する。

 また戦費や防衛費が少額で済む。将兵はよく統率された寡兵
(かへい)である。他国に攻め込んで、戦争を企てる軍隊ではない。真の「武」の意味を知る。
 小数精鋭部隊で、能
(よ)く国を守る。戦争職人としての指揮官の「負けない境地」が徹底されている。それだけに、敵に回すと厄介な組織抵抗の精鋭である。この精鋭の恐ろしさを知る隣国は、攻め入ろうなどいう気は起こらない。天下の鬼門として避ける。
 だが、これを可能にするためには、軍事の研究を起こられず、種々の防衛術を確立し、決して争わないが、あらゆる最悪の侵略を受けた時の、万一を想定して、「百年兵を練る」の精神を忘れなかった。

 また民に対しては、特別な高等知識を求めず、文盲であっては困るが、通信が出来る程度で充分とし、料理献立においては粗食少食を旨として美食を求めず、衣服も住居も自給自足で賄い、太陽と共に起きて太陽と共に寝る生活を楽しむとした。
 隣国との付き合いは、ある程度の距離を置きながら、国民は一生のうちで殆ど往復することが有るか無いかにする。交通機関を発達させて頻繁に往復しないようにする。
 したがって観光による物見遊山の旅行も無いし、外国からの訪問者も無い。こぢんまりと纏まっている小国を理想とした。

 あたかも牛が涎
(ゆだれ)を引いて歩くような、牧歌的ではあるが、また人が踏み入れないような桃源郷を連想させる。一見非現実的な社会が泛(うか)び上がってくる。また進化発展を放棄したようにも映る。
 だが「小国寡民」の自給自足と独立独歩の自前主義は、現代にも重要な示唆を与えている。
 他人を当てにし、頼るばかりが能ではないのである。

 ところが現代の世は、集積して得た科学知識をもって「真理を探究する」「人間の生き方を模索する」「いかに効率よく人生を生きるか」などの都会人の生活の在り方を説く。
 だが、老子の世界とは対照的で、また孔子の世界とも対象的である。

 本来、人間は有史以来、地は「大地」とともに、天は「日月」とともに生活して来た。
 老子の世界に酷似する太古の人達は、真理を探求しなくても、生きる時には生き、死ぬ時が来たら死んだのである。ただそれだけだった。したがって死は、怕
(こわ)いものでなかった。死は必然であることを知っていた。
 意識体の住いが、肉体から霊体へと変わるだけであった。そのことを熟知していた。
 それはまた、日々の生活が空虚でなかったことを顕している。更に、生き方に迷いの胤
(たね)が無かったことを顕している。そして平凡な日々に終始することで、神から生かされることに満足感を抱いていたのである。
 過労に祟
(たた)られてることも無かった。

 ところが現代は、「どのように生きて行くか?」などと言う。生き甲斐論と一席ぶつ。笑止である。
 自分だけは死なずに、まだまだ死からは遠いと思い込んでいるからであろう。
 生きるだけでなく、枯死する人間像も教えなければならない。

 したがって、生重視の片手落ちでは「依って以て死ぬ」とはならない。
 現代人は死から逃れ、生きぬこととだけがテーマとなってしまった世の中で、片手落ちの生活をしているのである。片手落ちの証拠に、裕福になって行くと信じられている経済成長を、資本主義圏では永遠に続けなければならないのである。
 それは奇
(く)しくも、自転車操業の異名が、「経済成長」と言う名の“徒労”であった。そのうえ徒労の先が、実は落し穴なのか、あるいは峡谷の断崖絶壁であるのか、全く分らないままに五里霧中の経済世界を暴走しているのである。
 今日の世界同時連動の経済構造の弱点は、一度経済成長を企てると、ベダルを忙
(せわ)しなく漕ぎ続けなければならないのである。

 思えば古代人は、「哲学すら無用である」と言う哲理を持っていたのであろう。哲学無用の哲人社会を形成していたのである。誰もが、哲学をしない哲学者であった。
 古代人は無為自然の哲理を、早々と構築していたのである。
 これは現代の哲学をする哲学不在の社会とは対照的である。
 現代は哲学・哲学……と言うわりには、何処にも哲学がないのである。現代は哲学不在の社会である。
 単に哲学と言う言葉だけが、持て囃
(は)されて一人歩きしているだけである。
 現代は哲学不在の、哲学と云う言葉だけを持て囃す時代なのである。



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