運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
そろそろ死のうか 1
そろそろ死のうか 2
そろそろ死のうか 3
そろそろ死のうか 4
そろそろ死のうか 5
そろそろ死のうか 6
そろそろ死のうか 7
そろそろ死のうか 8
そろそろ死のうか 9
そろそろ死のうか 10
そろそろ死のうか 11
そろそろ死のうか 12
そろそろ死のうか 13
そろそろ死のうか 14
そろそろ死のうか 15
そろそろ死のうか 16
そろそろ死のうか 17
そろそろ死のうか 18
そろそろ死のうか 19
そろそろ死のうか 20
そろそろ死のうか 21
そろそろ死のうか 22
そろそろ死のうか 23
そろそろ死のうか 24
そろそろ死のうか 25
そろそろ死のうか 26
そろそろ死のうか 27
そろそろ死のうか 28
そろそろ死のうか 29
そろそろ死のうか 30
home > そろそろ死のうか > そろそろ死のうか 10
そろそろ死のうか 10

何事も自前で賄(まかな)う。一を宛てにしない。
 その自立が、やがて自前主義を形成する。そして自前主義に徹しなければ、わが生も尽きることを知る。

 こうなると、生き方は明白となり、生き方は、「何によって死のうか」という窮極まで貫くことになる。まさに、依
(よ)って以て手死ぬ何かの、求道となる。
 精神的貴族の話の中に、「明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という文言がある。

 人としての徳を悟ることが出来れば、譬
(たと)えその日の夕刻に死んでも心残りはあるまい。その言葉は、そのように教えている。

 しかし貧困は、人を強くする場合もあるが、一方で人の心を荒
(すさ)ませ、乱し、繁雑にし、狂わせて恨みを抱かせる場合もある。それが妬みに通じる場合もある。

 一方的に貧しくとも駄目であるが、また極度に富を求めこれに溺れることも禁物だろう。それを半ばして、中庸を保つことこそ、人間は自らの身体を間違わずに、身が保てるのである。


●腹芸と胆識

 自称・債権者騒ぎは一人去り、二人去って鎮静化の方向に向かい、騒動は一件落着した。
 先生の胆識の威力を見たとき、悟るものがあった。
 世の中には、知識の応酬だけの議論だけでは解決できないものがある。現象界ではそう言うものが多く存在する。知識だけででは如何ともし難いのである。

 また、そうかと言って、腕力を奮って黙らせようとしても巧くいかない。
 ネバー・ギブ・アップという看板を背負う筋者に対しては、効果薄である。一度退散しても、次ぎなる挑戦を挑むからだ。
 知力でも駄目で、腕でも決着がつかないとなると、どうにも手のつけようのない。
 次々に挑み掛かられれば、最悪の事態さえ起こる。それも度々起こり、忘れた頃に連続する。
 こういう場合に決め手になるのは、人間の生きた証の象徴である「肚の据わり具合」ということになろう。
 肚の出来た人は、相手を睨
(にら)んだだけで無言の威圧を与えることが出来る。
 あるいは、『三国志』に出て来る彼
(か)の諸葛孔明が南征のときに用いた「七たび捕え七たび放つ」の敵の心を改めてしまう策である。

 「用兵の道は、敵の心を改むるのが上策である。敵の城を攻むるは下策。どうか上策を採って敵の心を攻めるようにしては如何でしょうか」
 こう進言した者が居た。部下の馬謖
(ばしょく)である。
 馬謖の言に孔明は大いに共鳴をした。同感だと言った。
 また孔明も、南蛮未開の民に対し、仁者の道をもって戦いに臨むつもりであったからだ。
 計画通りに仁者の策で敵の心に攻め入った。敵陣に近付いた後、「敵将の孟獲を生け捕りにせよ」の指令を発し、部下が孟獲を生け捕りにすると、孔明は敵将孟獲に問うた。
 「この陣立てはどうか?」孔明は訊いた。
 「先ほどの戦いでは、わが方の欠点が何処にあったか、分らぬゆえ不覚をとった。ところが、こうして陣立てを見せてもらえば、『高がこの程度なら』と思った。勝つのは容易
(たやす)いことである」と、孟獲は豪語した。
 「成る程、そうか。ではこの者を放してやれ」部下に命じた。
 孔明は折角捕えた孟獲を放して、敵陣へ帰陣させたのである。
 孟獲は再び用意周到なる策を立て、再び蜀軍目指して攻め込んで来た。自信満々の策である。

 だが、孔明はまた孟獲を易々と捕えてしまった。そのうえ再び自軍の陣営を披露した。
 充分に見せてから、また放してやったのである。
 こうして孔明は七たび捕え、七たび孟獲を解き放してやったのである。
 そして七回捕えられた孟獲は、今度ばかりは解かれても孔明の許
(もと)を離れようとせず、次のように吐露した。
 「あなたは神の如き人だ。南人は二度とあなたに背くようなことは致すまい」
 これが有名な「七擒七縦
(しちきん‐しちしょう)」である。この策法により、南蛮の諸族を遂に心服させてしまったのである。
 人間の胆識の妙は、ここにあると言えよう。

 ところが今日のように、人間が表皮的になり、裡側
(うらがわ)を見ず、外側ばかりに注視する時代、肚の据わった人は殆ど見なくなったし、人間のレベルを裡側から品評すれば、大半は“お行儀のいい真面目なドングリ”である。規格は粒揃いだが、これといって特長がない。どれも似たり寄ったりで、目立って特長がなく、その大多数は規格品の“お利口さん”の域を出ない。
 昨今はリーダーシップを強調する人でも、どこか人間的魅力が欠乏している。恰好に固執し、その事ばかりのこだわる反面、魅力の上で面白みがない。人間的な精神気魄
(きはく)がないのである。

 スマートさと恰好よさばかりに固執し、その事だけにこだわる現代の頑迷は、結局、大河山野を跋渉
(ばっしょう)する英雄豪傑の威風に欠け、顛落したのちドン底から這い上がる苦労を身につけるようなジグザグコースの人生を歩もうとしないのである。泥臭さに欠け、綺麗なことばかりを夢見てそれを空想のユートピアン世界に反映させようとするのである。目標として定めるところは安全なる安全圏からの手腕で終わる。つまり安全圏に居て眼力や心眼(しんげん)をますます曇らしているのである。斯くして鑑定眼は冥(くら)くなり、真贋を見分ける眼を失うことになる。

 現代は“お利口さん”が大勢居る。
 エリートと言われる世の中のキャリア層を見ると、確かに名の通った一流の出身学閥といういい服を着ているし、それだけに知識もあって、知力も高く、一点の非の打ち所もない。頭もいいし、才も持っている。交際上手で、紳士然として当たり障りもない。

 大して大酒も呑まないし、また乱れることもないし、家庭や家族を大事にして、女房を泣かすことなどはしない。況
(ま)して、スキャンダルを恐れるあまり、週刊誌に尻尾を掴まれるような愚かな女漁りもしない。表面上は至って真面目の塊のような人が多い。
 しかし、どこか総てが“こぢんまり”している。整っているが、魅力が欠如しているために人間としての味がなく、さっぱり旨味もなければ、接しても感動や感激が起こらない。
 長時間、同じことが出来ず持続力も不足気味である。我慢や辛抱の忍耐力も欠如している。
 毎日、何やら忙しそうに動き廻っている。それが日々を過ごすポーズだろう。

 だが遣っていることと言えば、要するにどうでもいいよいなことを、その種のポーズで繕い、誰にも出来るようなことを自分では大層なことをしている……と錯覚したまま動き廻っているのである。現代の多忙は、此処に起因しているようである。
 そして“誰にも遣れる”ということだから、その正体は、可もなく不可もなしと言うところであろう。
 私には、そういう感想しか持てないのである。

 第一、人間的に魅力に欠けるのである。そのうえ長時間の持続力がない。
 こういう手合いが何千何万と集まったところで、難局の激動期は渡り合えまい。相手に手玉に取られて丸め込まれ、まるで赤子のようにあしらわれてしまうのである。
 打てば響くような、どこか手応えが欠けるのである。確かにいい服を着て、エリート然とはしているが、この種の不物は、当たり障りのない八方美人を決め込んでいるようである。

 しかし一方で、老獪なる智慧を集積した長老も居る。
 長年の風雪に耐え、人生の酸
(す)いも甘いも嗅ぎ分け、恃(たの)まれれば見事な寝業師の妙技を遣って退ける。それだけに老練であり、いなし方も、すかし方も巧い。名人芸である。
 こうした長老然は、それだけに“狡猾な狐”と“したたかな狸”の図々しさも、兼ね備えていよう。寝業師だけに、“駆引き”や“渡り”も巧く、更に交渉上手で、腹芸もお手の物である。

 勿論そう言う人物は、凡夫には持ち得ない欠点もある。
 しかしそれはまた、人間の魅力でもある。
 数えるべき短所を持ちながらも、不思議に人を惹
(ひ)き寄せる妖しい魅力も備わっている。この辺は“お利口さん”の規格外である。
 それは必ずしも表面から醸し出す雰囲気だけではない。中身がある。それが人生を面白くさせる魅力となっているのである。
 しかし、こういう魅力のある人物が、現代は日本から激減しつつあるようだ。

 かつてのように「貧にして楽しむ」という『酔古堂剣掃』にあるような、貧士の客好きというのも殆ど消えてしまっていると言っていいだろう。
 一廉
(ひとかど)の人物という、面白い側面が欠落しているのである。もしそう言う人がいれば、現代の世では白眼視されるだろう。
 その証拠に、誰もがお行儀がいい。非の打ち所がない。欠点を見事に隠しているように見える。
 みんな粒揃いで、しかし似たり寄ったりで、あたかも“ドングリの背比べ”をしているようである。このドングリに面白みのないのは明白であろう。

 霞ヶ関や筑波に向かうエリート然を検
(み)ると、確かに学閥もいいし、外側はいい身形をして、種々の装飾品で飾っているが、それらは中身のない虚飾であろう。また春・夏・秋・冬、快適なるの便利なマイホームを所有していても、更には高級家具や調度品などの値の張った物財に取り巻かれていても、物で取り巻いた虚飾に過ぎない。
 現代はこの虚飾人間が多くなったのである。そのために間違いの習性も出来なくなっている。
 惰性人生は、弾みがつくと簡単には止まれない。複雑化した状況変化は、容易には単純に戻せない。ただ突き進むだけである。

 例えば、貧しき者が一度裕福の何たるかを知ると、かつて貧乏だったことは忘れ、もう元の貧乏には戻れない。一度手に入れた豊かで便利で快適なる生き方は、これ事態が恐怖となる。もう後戻り出来ないのである。
 これと同じように、一度美食などで奢ってしまった口や舌は美食を知らなかった以前には戻れない。過ぎれば惰性がつくのである。つまり修正できない状況の置かれてしまう。
 現代は、惰性がつくと間違いが起こっても修正できない環境にある。

 こうなると、人生上で起こるチャンスも、本来は一度限りなのに、それを見送ったとしても、その後も同じようなチャンスが廻って来るような錯覚に陥る。再び訪れると高を括ってしまう。
 斯くして、一度しか来ないチャンスを見逃し、また見逃したことが惰性習慣となって、次ぎなるチャンスの訪れを待ちわびるのである。しかし、もう再び廻ることはない。一度限りを、度々あると思い込んでしまうのである。

 だが「一度限り」の限定付きは、人生上で多きな意味を持つ。
 また、修正するのであれば、原点に戻って、そこから再出発となるが、これも怠ると、“怠ることの惰性癖”がつき、その反動は後々までも連鎖するようである。つまり、惰性は修正を拒み、また止める抑止力を失わさせるのである。

 現代社会は惰性方向へと疾っている。疾走と言ってもよい。
 益々加速度がつく。やがて人為では止められない速度になるかも知れない。
 そう言う速度で、現代は突き進んでいるのである。
 例えば、経済優先政策が採られれば、そこに加速度がつき、最初の疾走は、やがて爆走することになろう。それが危険な暴走を招く。更には、経済的に豊かになった分だけ、外部を飾る装飾品や物財も贅沢さを増す。それがエスカレートする。その風潮が社会全体をやがて覆おう。
 そして誰もが、それに「右へ倣
(なら)え」をするだろう。

 これは若者だけではなく、青年期を過ぎた壮年期にも、熟さなければならない老年期にも、老若男女を問わず、日本の経済優先政策の背後には、一億総虚飾の物質的豊かさで、精神に取って代わろうとする思い込みがあるようだ。
 しかし、思い込みは、どれもこれも判子を捺したように酷似する。手本となる人真似現象が、それを煽
(あお)るからである。
 流行も煽られる。煽られて連鎖する。波及現象を起こす。
 大自然も人間も、それぞれに波動の現象界に生きているのである。万有引力波の伝搬の中に在る。斯くしてその波動は、重力波のような状態になって波及し、伝搬する。心のその制約下にあると言えよう。

 そして、“お行儀のいい真面目なドングリの背比べ”の背景には、現代特有の現代人の性癖が顕われているように思うのである。現代の人真似現象は、これを時代の申し子として出現させてしまったのである。

 デジタル情報から得られた数値のみを信奉する現代社会は、人間不在の、また人間的魅力を相手にしない経済成長から余韻を曳いた“マネー・イズ・オールマイティ”の考え方が世の中を席巻し、人間の器の向上も、志や理想も追求しなくなったように思うのである。
 現代の風潮として、金銭に依存する利殖とか資産作りのマネービル現象が出現した。
 また一方で、数値は金銭の残高量で評価される。弾き出された数字が問題なのであって、人間はその数字の後ろに隠されてしまう、
 況
(ま)して人格などは、なおさら不在となってしまった。
 その結果どうなったか。

 人間的な魅力は失われ、更には人格不在のまま、ただ現代人は規制枠に嵌められた“お行儀のいい真面目なドングリの背比べ”で、物により、他人より勝ろうとしているところがあるように思えるのである。
 それはサラリーマンなどを検
(み)れば一目瞭然であろう。
 世は、世の中全体を挙げてマイホーム主義である。
 某テレビ局の幼児番組には、団塊の世代には耳慣れない『お父さんといっしょ』という、父親が子供に構う番組まで放映されている。家庭内では家事も分担している。しかし、これが悪いと言うのではない。

 ただ、父親の威厳が墜落し、今では家長が完全に消滅したと思い知らされるのである。
 現代の子供は、父親の背中を見て育つという子供環境は崩れたように思う。
 斯くして、子供にも背中が見れる父親がいなくなってしまったのである。日本の父親像喪失である。

 昔と比べて、職人と言われる層が激減したから、子供には自分の家特有の家業が無くなった。親はサラリーマンである。サラリーマンでは見せる背中も失われた。
 多くの父親像は、土・日はちゃんと家に居て、何かと構ってくれる父親である。怒りもしない。物事を荒げたりもしない。
 静かで、母親に従順な父親である。悪い事をしないし、真面目な父親である。
 しかし、それ以下ではないが、それ以上でもない。“ただの人”である。

 日本人の多くを構成する“中の上”と自負する中産階級と言われる家庭では、親も子も、その枠から一歩も出られない。また出ようともしない。
 この階層では「理想的人間像の追求」というのは停止したままである。
 斯くして“お行儀のいい真面目なドングリの背比べ”で、日本全国が覆われてしまったことが否めない。そしてリタイヤ後の人生は、この階層が歳を取ったとき、誰一人として若者から尊敬されるような長老と言われるような高齢者が出現しなくなったことは、ほぼ確定的である。

 こうした背景には、明治以来の日本の知識優先主義があるからだろう。
 これまで知識階級は時代に先駆けるものとして、優遇され、また周囲からチヤホヤされた歴史を持つ。そして今日もその線上を歩いている。
 だが知識の本質を考えると、それは断片的な記憶に過ぎない。大脳の働きに過ぎない。それゆえ、それだけでは行動になり得ないのである。実学不在のままである。
 実学不在者は実戦に不慣れであるだけでなく、空理空論に奔ったり、いたずらに悲憤慷慨するだけで、現実問題を解決する建設策が何一つ出て来ないのである。此処まで止りである。

 しかし、知識に精神活動の原点である「理想」が生まれて来ると、それは「志」に変貌する。その志が、これまで学習・記憶した知識に結びつけば、やがて見識へと変貌する。
 つまり、道徳的判断が備わって来るのである。
 また心理的にも不動心と言うような、外圧が加えられても、容易に変形してしまわない強靭さが出来るのである。
 この見識と言うのは、人から借りて来る事は出来ない。自らで体得する以外ない。付け焼き刃が一切通用しないものである。自分自身の修行を通じて体得する以外ないのである。

 だが、世の中には見識まで身に付けたとしても、見識だけで物事の処理をすることが不可能な場合がある。現実問題を解決し、それを一本一本解して行くには根気だけでなく、簡単に崩れないだけの肚を備えていなければならない。この肚が、不動心である。脅しや執拗な絡みに屈したい耐久力である。

 更に、この世の現象の何たるかを知り、その構造を見抜き、そこから生まれて来るものは清濁併せ呑む現象と、善悪綯い交ぜの構造を把握しなければならない。
 清を好み、善を好み、逆に濁を嫌い、悪を憎めば、それは解決の糸口を見失うことになる。敢えて利害や矛盾を呑み込んで、あるときは抑え込み、またあるときは捩じ伏せ、寝業師的な芸当が必要になのである。
 寝業師としての芸当が出来るか否かで、また実践して行く判断力が生まれるのである。
 つまり、これは見識に決断力が加わり、それを合体させたものが、次ぎなる「胆識」という寝業師の得意技である。この技は一般的な常套手段とは次元が違う。
 虚を衝くことを特長とする。心の虚を衝くのである。

 一方で裏面からの攻めが巧みで、様々な利害や矛盾、更には発生した議論の変化により、単に押されるだけでなく、逆手を取って抑え込み、捩じ伏せ、動きを制して、遂には従順にしてしまう背面技を繰り出す。
 あるいは変じて「腹芸」となる。
 喚
(わめ)き散らす言動や小難しい理屈によらず、度胸や経験で物事を処理することである。



●外交音痴

 老獪で狡猾なる交渉術は、交渉人の職業的な話し合いだけでは収まらないだろう。
 この狡猾で老獪な智慧は、まだまだ遣い道があると思うのである。長老の老練は形を変えて行かせないものか。

 例えば、歴史を振り返れば、昭和16年12月8日以前の日米開戦の前夜に応用するとかである。
 歴史を振り返って『ハル・ノート』の難題の、いなしが出来なかった当時の日本の外交音痴に焦点を当てれば、老練かつ老獪な胆識が、外交上、如何に大事か分るであろう。当時に日本には胆識を持つ人物が居なかった。追い詰められた日本は、已
(や)む無く大東亜戦争を戦う羽目となった。これを食い止める策はあっただろう。
 老獪なる話術をもって躱すことも出来たし、いなしたり、すかしたりも出来たであろう。
 ところが日本の外交音痴は極端に悪化させる方向へと日本を暴走させた。ここがそもそも間違いの発端だった。

 躱す術、抜ける術を知ってさえいれば、日本は敗戦国の烙印を押されて末代まで、今日のような袋叩きの憂き目には遭わなかっただろう。他の道が開けていた筈である。

 先の大戦を考えれば、日本の外交不在のままで日米開戦に突入した観が否めない。当時の日本エリート層が外交音痴で米国に接したところにある。これが開戦に及んでしまったと言えよう。そして近現代史では、この戦いが「無謀な戦争」と位置づけられてしまった。その位置は現代でも不動だろう。
 当時の官僚エリート層は、ハル・ノートを「日本への威嚇」と理解できなかった。恫喝とともに最後通牒と受け取ってしまった。

 だが外交における交渉術の定石は、相手の出した提案条件をそのまま真に受けることでない。交渉における提案は、何処まで追求しても初期条件を提案しているに過ぎない。これが最終的な到達点でない。双方が交渉を繰り返しつつ、改善するべきところは改善し、歩み寄りがあるべきところは煮詰めて歩み寄ればいい。到達点は未定である。交渉を通じて収束するものなのである。

 したがって提案者は、最初、受け付けない無理難題をふっかけて来る。呑めない提案を矢継ぎ早に繰り出して来る。だが、これは過酷な要求であることが分ろう。初期条件における交渉とはそうしたものである。
 まず呑めないのである。ゆえに真に受けることはない。真正直の捉えてはバカを見る。
 そして呑めないから、次に交渉する。折り合いを付ける妥協点を見つけ出し、互い歩み寄るのである。
 呑めないからと言って、いきなり最初から尻を捲ったり、怒り心頭に来て錵
(にえ)を切らせて反古にする必要はないし、一方的に恫喝される必要もないのである。初期件は、後に幾らでも変更可能なのである。

 かつて「高文官試験」なるものがあった。
 これは現代では国家I種試験と言われるものである。最難関の試験とされている。
 かの福沢諭吉は、学問によって、人間は家柄や身分に関係なく立身出世が可能であると、かの有名な『学問のすゝめ』を論じた。
 文が、武を抑える科挙的な構図である。
 そして、この思想から生まれたのが、国家試験の極みであった「高文
(こうぶん)」と云われた高等文官試験であり、また陸軍士官学校入学試験(恩賜卒業者は後々まで優遇された)や海軍兵学校入学試験であり、これらの合格者は、日本では、身分や家柄に関係なく、国民から平伏されたではなかったか。
 日本人は、学問によって世に立つ者に対し、異常なまでに尊敬の念を抱く。したがって偉人は、学問によって世に立つ者であると信じて疑わない。

 今日では陸海軍の試験こそなくなったが、現代でも最難関と言われる国家公務員採用一種試験が存在し、その合格者は日本の国家運営が任され、これらの者に対し、国民は批判の眼を向けないのである。
 また少なからず官僚批判はあるものの、高級官僚のエリートを名指しで批判することは殆どない。
 秀才に対しての平伏の構図は此処にある。

 だが、平伏された高級官僚のエリートは人間的に検
(み)てその魅力はどうか。
 突破が極めて困難な難しい試験に合格したという合格者が、一般国民に対して執るそのポーズはどうか。
 その根底には、今も昔も変わりなく、優秀だから選ばれたとする選民意識はありありだろう。
 だが、その選民意識をもったエリートの正体が、“ドングリの背比べ”をしているような面白みのない、四角四面の、マナーとお行儀のよさだけの中身だったら、交渉はどうなるか。
 例えば、これが日米開戦前夜の外務省高官の外交官だったら、どういう結末を招くか?……、誰にでも末路が、どう言う道を辿るか想像に難しくないだろう。
 当時の外交官達は、まず米国の威嚇によって、初期条件の一撃でのされてしまったのである。最初の一撃すら、耐えることが出来なかった。米国の意のままに手玉に取られたことは、近現代史が示す通りである。

 そして重大問題は、日本政府にハル・ノートが突き付けられたとき、ルーズベルト大統領にせよ、ハル国務長官にせよ、自分らの要求が日本にそのまま受け入れられると、夢にも思っていなかったのである。
 これこそアメリカのお家芸である威嚇術であったのである。これは交渉はつきものだった。

 当時のルーズベルトの地位たるものや、アメリカの輿論の暴風雨に風前の灯のように消えようとする不評甚だしきものであった。米国輿論は英国はナチスに屈するのは反対だったが、米国が自国民の血を流してまでヨーロッパ戦線に拡充策を採るのは、更に猛反対であった。
 このとき米国は大不況の中に在って、それも重傷化しており、末期病患者なみの悲惨な状態だった。
 したがって、このうえに戦争が米国を覆うことは輿論自体が赦
(ゆる)さなかった。此処にも付け入る先があった。

 本来の外交術は此処まで分析する。何も工作員や諜報員を敵国に潜入させなくとも、一般の新聞などの公開情報だけで、当時の米国がどう言う状況下にあったか分析で来たのである。
 ところが日本政府はこれをしなかった。ルーズベルトの困惑を分析すれば、それだどう言う状況であるか、分析できた筈である。これをしなかった。

 ハル・ノートを検証すれば、中国東北部から日本軍の全面撤退を提唱しながらも、その期日や方法は一切詳細にしていない。この点に注目するだけでも、交渉する余地は大いにあったであろう。
 そのうえ撤退となれば、簡単には行かない。中国東北日に展開した関東軍は大世帯である。
 更に軍部の協議にも多大な時間を要する。軍首脳部で合意するために、話は拗
(こじ)れて纏まらないだろう。難航が予想される。誰が考えても分ることだ。
 現に軍部は、統制派と皇道派の二大派閥に別れていた。大揉
(も)めすることは疑い無しである。両者が一枚岩となって同意することは到底不可能だろう。

 此処に眼を付ければいい。老練な者なら、直ぐこれを逆手
(さかて)に取るだろう。老獪の智慧である。したがって期日や方法は、米国側の提唱に一切従わなくていいことになる。
 なぜ当時、これに気付かない。どうして此処に眼を付けない。不可解である。
 そういう発想で分析しなかったことが実に不可解千万であり、官僚の役人風と夜郎自大の側面であろう。これは当時に限らず、今日もその延長上にあると考えなければならない。
 デモクラシーは絵に描いた餅である。機能してない。

 昨今でも、軽薄なる与党議員が、種々のスキャンダルを起こして、輿論から指弾されているのは周知の通りである。
 育児休暇云々……の某国会議員も、輿論から叩かれている一人である。
 つまり隙だらけが、また自分自身の怠慢とともに、外部に対して外交音痴を作り出していると言えよう。対外措置に疎いと言えよう。

 平和ボケの中に居る“隙だらけ人間”と言うのは、単に軽薄であるだけでなく、本当の「老練」の意味が理解できないのである。
 況
(ま)して、長老が毅然として発する老獪なる智慧など、全く理解できないであろう。

 しかし不思議にも、昨今は見掛け倒しの時代であるから、表皮の飾りを虚飾と見抜けない選挙人も多く、また大勢が共鳴して付和雷同したり、マスコミの誘導や操作に弱く、権威筋の暗示に掛かり易く、現代は哲学なき時代の只中に、国民の大半が置かれていると言えよう。
 いま日本には“ドングリの背比べ旋風”が吹き荒れている。
 その風の出所は何処に起因するか。
 言わずと知れた民主主義の“平等思想”に起因する。みな平等、何ぴとも高低の差なく総て平等……。

 これは裏から見れば、民主主義国家では、市民は取るに足らない存在であることを物語っている。つまり、この社会を構成する国では、平等の意味でおいて、一人ひとりが主人公であり、一億総活躍を目指す現代社会では、誰もが重要人物であると言えよう。尊重されるべき存在である。
 更に、平等という意味からすれば、国民層は主権を持った「一廉の人物」の集合体と言うことになる。
 しかしである。

 誰もが一廉の人物と看做
(みな)す社会では、裏を返せば、誰一人として重要人物は居ないと言うことなのである。平等主義の鉄則である。
 この構図は、全員が一廉の人物である。だが皆が一廉の人物であるから、裏から観れば誰もが重要で無くてもいい。大半は平等主義の詭弁に見事に操られた。

 では誰一人として重要人物でないとするならば、その一般国民は、顕微鏡下で、生きようが死のうが、どうでもいい“ドングリの背比べ”的な微生物となりはしないか。
 この微生物を、また“ドングリの背比べ”的なエリートが顕微鏡の上から管理し、監督し、監視するという奇妙な社会機構……。現代はそれに酷似する時代である。
 考えれば、何処か不安定で、異常事態のうえに、今日の繁栄が築かれているとしか思えてならない。これは極めて危険なことである。

 だが老いた者は、寿命が尽きて近いうちに死に絶える。その老いた眼で、崩壊する未来の地獄絵を見ぬことだけは免れている。少なくとも50年先の未来は見なくて済む。
 皮肉な言い方をすれば、これは幸せと言うべきか……。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法