運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 47

世に中には、他人が批判されたり指弾されることを、喜ぶ人が多いようだ。そのくせ自分が、他人から批判されると気を揉(も)むものである。
 他人に対し傲慢
(ごうまん)な人ほど、他人が自分に対して傲慢であることを嫌がるのである。そこに引っ掛かって、さらりと躱(かわ)して行けなくなる。抜けられずに、拘泥(こうでい)して「こだわり」が生じる。現代は拘泥の時代である。これを良い方に採る。
 そんな訝
(おか)しな時代である。

 これまで影であるべきものが、身と前に姿を曝
(さら)し、それで評判を得ようとするところから陰陽が入れ替わってしまった。納まるべきところが逆転してしまったのである。これは人智で感じる正邪も逆転したと言ってもよいだろう。白が黒になり、黒が白として擡頭(たいとう)する流行が生まれた。

 そして、大多数の社会構造というのは、世襲や習慣に流される安易な生活を余儀なくされる構造を作り上げてしまうことである。
 こう言う構造が出来上がってしまうと、大多数の一般人に対し、小数の専門家が支配する世の中が出来上がる。これがまた、大多数の持たざる者と、圧倒的小数の持てる者との格差を作り、疎い者は搾取され、聡い者は先を超して優位に立つ。これは時代に迎合する人間だけが先手を取れるという社会である。

 また、これ自体に創意工夫の受け入れない社会要因となって、大多数は常に支配される側に廻るしかなくなる。また大多数の人間牧場の中では、自他の関係も、周囲の横の繋がりの中で連結されることになる。上下が見えず、横同士しか見えないのである。そこには嫉妬が渦巻き、そこに妬みが起こる。これが自他の足の引っ張り合いになる。
 牧場内では一見管理・監督され、監視されて、そこの住民は永遠に自由を手に入れることが出来ない。どこかで監視されている。
 プライバシー重視社会の、プライバシー不在である。
 今日の、考えさせない、行動させないは、同時に創意工夫の芽を摘み取る元凶になっている。そして焦点は、デジタル技術により巧妙に加工されて暈
(ぼか)されるのである。


●無態

 「お目醒めになりまして?」
 喜々として溌溂
(はつらつ)な女性が部屋に入って来た。だが私はこの女性を知らない。
 しかし彼女は、別に怒っているふうにも感じられず、訳の分からない闖入者が此処にいるとも思っていないようだ。また私を知らない人間とは微塵
(みじん)も思っていないらしい。また不逞の輩(やから)とも思っていないようである。
 むしろ親しみすら漂わせている。妙だ。これ自体が不可解であった。どうしたことか。なぜ此処にいる。これが分らない。そのうえ飲み過ぎで頭がガンガンする。
 混乱と飲み過ぎの後遺症が混乱を招いていた。酩酊から溺酔へと変化していた。むしろ泥酔だろう。それが記憶を消去していた。
 おまけに、この女性が誰だったか分らないし、かつて出遭ったとしても、今は全く思い出せないのである。私は混乱とともに、運命に翻弄
(ほんろう)されていた。
 女は夜と朝の貌は違う。
 その違いは分るのだが、前に居る女性が未だに誰だか分らないのである。分らないだけに恐怖が募る。
 さて《困ったぞ……》が、私の率直な感想であった。唸るしかないだろう。

 女性は活動的なブルージーンズに、黄色の徳利のセータである。軽快で活動的な服装をしている。
 「あのッ……、どなたでしたか?」
 顕われた女性が分らない以上、こう訊くしかない。私には見覚えがない。記憶にもない。果たして何処の誰だったか?……。
 「いやだァ〜」《もう忘れてしまったの》はしゃぐように言う。
 これは向こうが知ってて、こちらが知らないという構図である。何とも気味が悪い。心理を思えば、分らないということは失礼でもある。
 「いやだなんて言われても、さて、これはどうしたものでしょうか。困りましたなあ」
 「困るのは、あたくしの方ですわ。だって、どなたでしたか?……なんて言われるんですもの。これでは、あたくしの立つ瀬がありませんわ!」
 それは《昨夜はざんさん介抱したのよ》と言わんげであった。確かにそうだろう。しかし誰に介抱されたか覚えていない。
 「そう言われてもですなあ」
 覚えていないことは覚えていない。知らない人は知らない。どう問われても思い出せない。総て記憶が消えている。
 この女性は一体誰だろう?……。
 昨夜『ひさご花』で飲んだ。そして不覚にも酒に呑まれた。いや、呑まれたのである。
 それは記憶を消去してしまっている。一緒に飲んだ相手は、とびっきり美人だった。私の記憶はそこまでである。それから先が定かでない。
 そしてこの女性と、昨夜の若女将がどうしても結びつかないのである。同じ貌に重ならない。では、聲
(こえ)の色は?……、似ているようで、似ていないようで……、遂に狐に騙されたか?……。
 そもそも『ひさご花』は狐狸
(こり)の館か?……。

 「昨夜のこと、全く覚えておりませんの?……。あれだけお世話しましたのに……」
 その語尾に続いて《昨日は大変でしたのよ》と付け加えたいのだろうか。
 「些
(いささ)か健忘症でして……」
 ここは白
(しら)ばくれて逃げ切る以外あるまい。どうしても記憶が戻らないのである。どうも昨夜は悪い酒を呑んだらしい。そもそも、酒の呑み方に酒品がないのである。品格の欠如だった。こんなことでは酒を呑む資格などない。酒に呑まれたからだ。
 「ご冗談でしょ?……。つまり、何故そんなに恐縮なさっているのですか」
 それはむしろ私の方が訊きたいくらいであった。
 「そんな恐縮なんて。無礼を詫びているのです、平にご容赦を。大変申し訳ないことをしました」
 「申し訳ない?……、なぜ?」《一体どういうこと?》と訊きたいようだ。
 「つまりですなァ、この醜態です。制裁はいかようにもお受け致します」
 「いやですわ、制裁だなんて。いったい誰が制裁なさいますの?」
 「そのですなァ、あなたのご主人とか、あなたを庇護さてているその筋の怕いお兄さんとかの……まあ、その何と言いますか……」と、しどろもどろなりつつ、恐々と切り出した。
 私は昨晩、他人の家に上がり込んで、そこの亭主か、庇護者に成り済まして寝込んだと思い込んでいたからである。前後不覚のまま、見ず知らずの他人の家に上がり込んで、亭主面して朝まで寝込んでしまったのである。
 こうなると、この現場を検
(み)ただけで申し開き出来ない。弁解する術(すべ)がない。
 遣ったことは密男
(まおとこ)然である。この現場だけで袋叩きにされる。現行犯だ。恐怖するのはそこであった。昨日の深酒が間違いの元凶(もと)だった。
 しかし今さら悔いても後の祭りである。
 これだけのことを仕出かしているのだから、全く弁解の余地がない。“抗弁赦
(ゆる)されず”である。

 「まあ、厭
(いや)だ。あたくし、今は独身ですのよ。それにその筋の庇護など受けておりませんわ。自立しておりますの、シングル・マザーですけどね。それに今年小学校に上がった子供が居りますの。あたくしたち母子は、此処で、叔母と三人暮らしですのよ。ここまで話しても、お気づきにならなくて?」
 段々事情が呑み込めて来た。記憶が戻って来た。それで、この人は自分のことを若女将と名乗った、あの女性である。徐々に戻って来て、昨夜の続きが朧
(おぼろ)げながらに浮上して来た。
 「あッ!」《やはりそうだったか、声だけは聞き覚えがあると思ったが……》
 人間とは、いや女性とは、斯くも変わるものか……。この変化
(へんげ)に感心した。
 「やっと、お気付きになりまして?」
 「はあ………」ただ頷
(うなず)くだけだった。
 「昨夜の、あたくしですのよ。やっとお分りになりましたわね」笑いながら言う。
 しかし定かでない部分も多い。細部まで覚えていない。記憶がところどこの消えている。断片だけが散らばっている。このパズル合わせは難しい。
 果たして、私は逆向性健忘症なのか。それとも早期痴呆が始まっているのか。その疑いもあろう。
 此処で切り出す言葉は、先ず《救急車でも呼んで頂けませんか》とでも言うべきか。
 「申し訳ありません、自分はつい深酔いする癖がありましてですなァ、二日酔いが、つい三日酔いなってしまう場合が多いのです、何卒ご勘弁を」
 「おもしろい方……」
 「おもしろいなんて言われても……、さて、どうしたものでしょう……」恐縮気味に言った。
 やはり救急車を呼んでもらうのが正解なのか。
 果たしてこの女性は、私が《救急車を呼んで下さい》と言ったら笑い出すだろうか。それとも気分を概して怒るだろうか。
 それは扨措
(さて‐お)き、要するに深酒をして、前後不覚になり、終電にも間に合わず、此処で一晩厄介になったということである。それは醜態を曝(さら)したということと同義であろう。曝首のように醜いものであったに違いない。
 おそらく私のことだから、相当に梃摺
(てこず)らせただろう。乱暴狼藉を働いたかも知れない。
 男には酔った勢いということがある。奔騰
(ほんとう)する情動につき動かされたのかも知れない。その挙げ句に襲い掛かって乗ったかも知れない。あとは愉楽(ゆらく)が尽きるまで止まらない。
 途中で記憶が切れているから、更に始末が悪い。とんだ不覚をとったものだ。

 だが、人の家に上がり込んでガウンまで着て、朝まで寝込んでしまったのである。何と言う恥さらし……。この無礼は赦されざるものがある。それにガウンを着ているということは、着物を脱がされ、着せ替えられたということである。その際、どう言う、みっともない痴態を曝
(さら)したのだろうか。これ自体が痴態である。それを思えば恐ろしくなる。それに私は褌の愛好者である。その褌も赤である。先祖の平家の赤に因んでお揃いを決め込んでいるのである。この赤にどういう感想を抱いたのだろうか。
 金輪際、酒は止めよう。そう誓う。だが、これが翌日簡単に破られてしまうから怕
(こわい)い。酒呑みの共通の悩みであろう。
 こうなった自分の不甲斐なさを後悔した。
 今さら後悔しても取り返しがつかないが、後悔することも無駄ではあるまい。むしろ大いに後悔すべきである。取り返しがつかないと思えばこそ、私のような懦夫
(だふ)凡夫(ぼんぷ)の類は後悔して、運命から鍛えられ、厳しく矯正されなければならない。修正するチャンスを頂かないとならない。そこに改心がある。
 その意味では、後悔しない人より、後悔する人の方がまだ増しである。増しな分、後悔も決して無駄ではない。学んだと思えば救われる。

 「お着物はこちらに御座います、お着替えになって下さい」
 それは早々に着替えれということだろう。他人のうちの、誰のガウンだか分らない物は、いつまでも着ておれない。
 「とんだご迷惑を……」
 私はただただ恐縮する以外なかった。この痴態をどう言い繕
(つくろ)ってみても赦(ゆる)されるものでなかった。昨夜の状態が定かでないだけ、痴態を曝した恐怖が過(よぎ)る。これは重罪に値するだろう。
 それゆえ恐縮する以外ない。
 世に「自分を知る」と云う言葉があるが、確かに自分を知るのは自分だけだが、また一方で、自分を知らな過ぎるのも自分なのである。一口に、「汝
(なんじ)自身を知れ」というが、これ自体が難解である。極めて困難である。
 だだ、この解決策は謙虚になり、従順になる以外あるまい。それは醜態を曝しつつ、一つ一つを思い知って矯正して行く以外あるまい。その一つが、私の場合は“この場での恐縮”であった。

 だが、その恐縮する態度の滑稽が、この女性にも伝わるようで、
 「そんな縮
(ちじ)こまっても、それ以上に小さくなりませんわ。蟻になりたいと思っても、無理な相談です。壮士の豪放磊落はどこに消えてしまったのです。そんな牢屋に閉じ籠(こも)ってないで、曠野(こうや)に飛び出して、伸び伸びと手足を伸ばしたらいかがですか」と促す。
 「そう言われれば、ご尤
(もっと)もです……」
 こう聴いて、些か四角張った緊張が解けた。
 「先ほど、牢屋に閉じ込められることは幸福ではないと申し上げましたが、さりとて、無人の曠野に放たれることも、決して幸福ではありませんのよ」
 「なるほど……、いいことを仰る。さすが聖心の日本語学科の出身者であらせられる」
 「感心もほどほどにすることですよ。持ち上げても、これ以上、揚がりようがありませんから」
 「ご尤もです……」
 「ある本に、こう書いておりましたわ。『人間は牢屋にあっても、また無人の曠野にあってもいけない。人間は人間界の棲む世界にこそ人間たる所以がある』と。そうなると、人間は束縛される中で、ほどよい安定を覚え、またある程度の自由がほどほどにあって、本当の幸福を維持出来るのではないかと思いますの、如何かしら……」
 「ご尤もです……」
 「何れも、制限という束縛があり、一方で自由に振る舞える余裕があり、この両者を兼ね備えていなければならないということですわ、どうお思いになって?……」
 「ご尤もです……」
 「相槌
(あいづち)も、そのように単調に、あたかも邦楽の間(あい)の手程度で繰り返されると、喋っている、あたくしが何だかバカのように感じられて来ますわ。そう思いませんこと?」
 「ご尤もです……」
 「別の相槌なんて、レパートリーに御座いませんの?」
 「そうですなァ、いま考えております」
 「それがいけませんのよ」
 「ご尤もです……」
 「もう!……。それ以外の言葉、ありませんの!」ぷいと拗
(す)ねた観があった。
 私の返事の間の手のような言葉が癪
(しゃく)に障るのだろう。
 「ではさっそく、着替えさせて頂きます」
 立ち上がって、ガウンをすぱっと脱ぎ捨てる。これで女性も一先ず退散。
 話をここで中断させる必要があった。矢継ぎ早に浴びせ掛けられては考える余地がない。言葉巧みに切り返す話術も、矢継ぎ早で畳み掛けられてはボロが出る。
 だが、敵も然
(さる)る者。話術の何たるかを研究している。言霊を研究している。日本語の意味を熟知している。話術が世の中を動かしていることをよく知っている。
 女性は席を立った。

 着替え終わり、蒲団と畳み、着ていたガウンをきちんと畳んだ。しかし、家ではこんなことは一度もしたことがない。恐縮の惰性が続いていたのである。
 開け放たれた障子から、前方に広々とした庭が広がっていた。まさにパノラマである。池こそないが、枯山水の風情である。そしてパノラマを作り出しているのは、軒桁
(はしげた)という桔木(はねぎ)または出梁(だしばり)を支える桁がない。
 また庭を眺める前方には、軒柱が一本もないのである。前方のパノラマを作り出すために工夫された巧みの技であろう。それだけ贅
(ぜい)を尽くしていると云えよう。
 いい風景である。
 十一月の朝日が柔らかく差し込んでいる。開放的な大窓がそれを室内に招き入れている。それだけに、この家が豪邸であることが分る。だが、これだけの豪邸を銀座の店一つで弾き出したとは思われない。背後に大きなスポンサーがいるのだろう。大物が控えているのであろう。それが何者か分らないだけに怕
(こわ)い。とんだ場所で、とんだ無礼を働いたものだ。
 本来ならば、私のような底辺の最下位では、足も踏み込めない場所である。思えば、奇
(く)しき縁であった。その縁の関連を考えてみる。
 現象界での人の縁は異なことから起こる。
 私の場合は、目の前に顕われる現象が“どんでん返し”の連続だった。不可解なことが起こる。これこそが波瀾を背負った人間の特長である。そう言う場面に、今までしばしば直面した。その度に、乗り切る術
(すべ)も覚えた。人より多く地獄を見て来たのである。

 最初、習志野の桜から始まった。そのときの桜の樹の下からここまで繋がった。桜の樹の下の老人が此処まで私を運んだ。縁とは奇なるものである。
 あれは地獄を見たのか、それとも極楽を見たのか。
 老人の手にした瓢箪と盃。そして盃の花弁を浮かべた妙技。これが私の脳裡を支配した。
 その妙技が、いつまでも私の脳裡
(のうり)に残留した。心を捉えてしまった。魅(み)せられてしまった。
 あれは道術だろうか。もしそうだったら乞いたい。教えを請いたい。学びたい。
 更には、老人の大戦末期と特異な体験談。あれも異なる話だった。
 その体験談には瓢箪部隊の貴重な教訓があった。特に、瓢箪部隊の奇妙に掲げた『夢』の一文字に何故か心が惹
(ひ)かれた。それは禅的であり、また老荘的であった。
 老人は『夢』の一文字を「後に何も残さない」と説明した。決して世間でよく言う、「人生夢の如し」のそう言う、感傷的な意味ではないと答えた。私はその教えに惹かれた。ゆえに乞いたいと思った。
 教えを請いたい一心の願いが、私を此処まで運んだとしか思えない。
 更に請うものの中に、是非知らねばならないことがあった。それは小国寡民
(かみん)の具体的実践の方法であった。この方法が分らない限り、私が若い頃から描き続けた『西郷派大東流馬術構想』の夢は実現出来ず、心象化現象が起こらない。このままでは、ただの洞吹きの、世迷い言に終わってしまう。そこに、分らないことを請う大事があった。
 勿論この構想は、私一代では完成しないことは百も承知である。その後、数代に及ぶだろう。あるいは何代かかっても、永遠に未完成かも知れない。それでも構想は遂行する。私の担当期間は遂行あるのみである。
 単に場所や広さだけの問題ではない。また中身を充実させる人的資源だけでない。人と物を一体化させる思想がいる。精神的支柱がいる。支柱になる思想が肝心なのである。時代を経ても変わらない、色褪
(いろ‐あ)せない思想である。
 小国を作り、そこで寡民政策を執
(と)る。住人は老荘に共感を覚える理解者だけでいい。多く要らない。その思想的なものが、未だに分らないのである。分らないから請いて学ぶ。知らないから教わる。その願望の強さが、此処へ招来した。

 それに大戦末期の特異な体験談は、何故か、不思議と小国寡民に結びついてしまうのである。寡民体制は、小規模な組織体系を成したのではないか。小規模なるが故に、ゲリラ的に有効な遊撃隊制が採
(と)れたのではないか。これこそが最低限度の小国寡民の軍隊である。
 小国寡民は軍隊が不要ではない。国家を打ち立てる以上、絶対に軍隊が必要である。その軍隊の質である。スイスのような精鋭的民兵制度である。あるいは開拓団の屯田兵かも知れない。自給自足が出来る国家の軍隊である。戦わない軍隊である。
 彼
(か)の激戦の地で、死者を一人も出さず、無事日本に連れ帰っているからである。一人だけ事故者を除き、みな連れ帰った。老人は当時、単に小隊を率いたというだけではあるまい。それは安易に戦わない強さがあったと言っていい。これには何かがある。
 そもそも遊撃戦法は寡民であるから、執
(と)れたのではなかったか。少人数であるからこそ、あの時代、戦いの効率化を図ろうとしする大兵力とは逆行して、「小よく大を制す」の言葉通り、隙間を衝(つ)いたと言うべきだろう。兵は多いだけでは鈍重になる。私には、そのように思料する。
 あの混乱期、小国寡民の思想がなければ、不可能だったと思う。そこに何か藕糸
(ぐうし)の糸口があるように思うのである。
 この体験談が私の中で連鎖を起こし、次ぎなる連想を生んだ。その連想が、模索中に偶然が起こった。いや必然であったかも知れない。最初から有機的生命体は巨大な輪の中で、一つに繋がっていたと検
(み)るべきだろう。それを有機的に結合させたのは『夢』の一文字であった。
 だが、あの戦いは日本の敗戦とともに終わったのではない。現代まで藕糸で繋がっていたのである。こういう流れに、私が取り込まれたのかも知れない。
 それが奇しき縁の始まりだった。この繋がりに、辻褄が合って来る。

 銀座に来た時、鮮やかな日の丸に眼がついた。何故だか分らぬ。
 神田神保町の復
(かえ)りであった。銀座通りを歩いているときだった。眼に、赤が飛び込んだ。日の丸が私を捉えた。
 日の丸が『ひさご花』という数寄屋造りの店に通わせる切っ掛けを作り、何度か足を運び、それが昨日の奇縁に結びつき、私は眼に見えない藕糸
(ぐうし)に操られて、不思議とも思える運命の中を旅していた。思えば壮大な仕掛けに、私は操られていたかも知れない。
 これから先、どうのように操られ、あたかも釈迦の掌
(てのひら)の上で乱舞する孫悟空を演じて行くのだろうか。
 人の運命の不可思議を想う。

 「叔母さま、書生さん、お起きになりましたわよ。昨日のこと全く覚えてないんですって」と、遠くから声がして、直に『ひさご花』の老女将と言うか、大女将というか、見覚えのある老婦人が遣って来た。
 「あらあら、書生さん。お目醒めですか、ゆっくりお休みになれましたでしょうか」
 「はあ、無態
(ぶざま)を曝して申し訳ありません。無礼は平にご容赦を……」
 私は平蜘蛛のように這
(は)い蹲(はいつ)って、深々と土下座した。土下座は私の専売特許だった。土下座で煙に捲く。危ないと思えば、平謝りして土下座する。私の護身法である。
 「妙な真似、やめて下さいな。何とも思っていませんよ」
 「はァ、恐れ入ります」
 「他人の間柄ではありますまいに……」
 若女将が妙なことを言う。《他人の間柄》とは、どう言う意味だろうか。何とも釈然としない。あのときの私をどうこうしても、へべれけでは何の役にも立たないであろうに……。どうも解
(げ)せない。もし乱暴狼藉を働き、押し倒して乗ったとすれば、若い方ならともかく、この老婆の方ではあるまい。
 あるいは前後見境もなく、欲情のあまり、女であれば誰でも構わず、善も悪も、また理も徳も、更には礼までもを無視して、人為の観念は蒸発して発情に変わり、原初の野獣が持つ肉情へと疾ったのだろうか。そうなると老婆を押し倒して乗ったということも考えられる。その場合、最悪の地獄の墜ちたことになる。

 「むしろ感謝しているのですよ」大女将が間の手を添える。
 「えッえッ?……、意味が分かりませんなァ。それどういうことです!何か失礼な事をして、破廉恥にも淫行勧誘の行為などを働きましたか?……」驚く以外ない。
 「あの、勘違いなさらないで下さらない。そういう意味ではありませんのよ」若女将が笑顔で切り返す。
 「これ、見覚えあります?」
 緞子
(どんす)の小袋から、大女将は朱塗りの見事な盃を差し出した。
 私は思わず「あッ!」と聲
(こえ)を上げてしまった。今年の春、習志野で見た、あの盃と酷似していたからである。同一の物か、否かは不明だが、よく似ていた。
 「あの、爺さまの!……」
 「そう、練馬にお住まいの……」
 「それは窺
(うかが)っておりますが、何処の誰かは?……」
 「この方、樽の中にお住まいです」
 「それは昨日、姪御さんから聴きましたが、何処の誰やら……」
 「練馬と樽だけで充分です。探してみますか、この盃をもって……。わたしは厳しく口止めされていて詳しくは申し上げられません。わたしの言えるのは此処までです。でも、勝手に探すのはご自由です」語尾の濁しは在
(あ)り在りだった。
 「何か謎めいていますなァ、私はこういう謎解きが大好きです」
 「それは宜
(よろ)しゅう御座いました。では、これから先の道案内には姪を付けて差し上げましょう」
 「姪御さんをですか!……」素頓狂
(すっとんきょ)な間抜けな声を上げた。
 「ご不満かしら」
 「滅相もありません」美人の貌が浮んだ。
 そう言っているところに、先ほどの女性と小さな女の子が遣って来て、「お客さまにご挨拶なさい」と促した。女の子は「おはようございます」と、お行儀よく言うのであった。
 そして、その女の子の冬服の制服を見て「あッ!」と思った。慶応幼稚舎だった。紺色の制服に制帽、確かに見覚えがある。
 「うちの娘、慶応幼稚舎ですの」女性は言った。
 「はあ、それはそれは……」
 「誰か、お心当たりが御座いますの?」
 「いえ、別に……」
 それを聴いて、一先ず子供を学校に送り出しに行った。
 忘れていた目黒の彼女の娘のことを思い出した。娘も慶応幼稚舎だった。つまり彼女というのは、別れた前の前?……の、それくらい前の女房のことであった。私は同じ轍
(てつ)を何度も踏んで、同じ愚を繰り返していたのである。悪い遍歴であった。
 私の極楽トンボは、習志野時代のこの時に始まったのではなかった。そもそも私の人生そのものが極楽トンボで、常に何処かで極楽廻りを虎視眈々と窺っていたのかも知れない。こうして巡り廻って、悪徳の限りを尽くしたのである。悪い奴であり、悪党だった。
 目黒の娘は今どうしているだろうか。もう長い間、逢っていない。おそらく中学生になっている筈だ。今となっては敷居が高くて近付くことも出来ない。触られれば、痛む古傷は幾らでもあった。叩けば、埃もボロが出る躰である。揚げ足取りの材料は困らない。幾らでもある。
 女性は、私の翳
(かげ)りを即座に見抜いたに違いない。脛(すね)に傷を持つ悪い奴なのである。そう映ったに違いない。
 極楽トンボは時として、こうした悪い画策めいた極楽廻りもしてしまう。凡夫
(ぼんぷ)の悲しいところであった。

 「朝のお食事でも如何です?……」
 明らかに験
(ため)している。それが分かる。
 「はあ……」断る訳にもいくまい。これは一種の試験であろう。
 普通、並みの人間なら断るのである。食べられるだけの余裕がないからだ。体質的にも精神的にも、その許容量がないのである。世間風の常識と言う制御が懸かっている。これが常人の素顔である。
 並か、そうではないかの、その判断は、こういう場合の「食試験」というものを試す。人の度量を検
(み)ているのである。一般には知られていない実験法である。
 この方法は、私も予備校を経営している時、教職員採用にあたり、よく食試験で、その人物の器を試したものである。食試験は『帝王学』の古典にも述べられている。「食試しで人を検
(み)る」とある。それは食べっぷりだけでない。人間の度量や器は食べている時にこそ、その人間の教養と人格の一切が顕われるものである。
 「それとも、朝の迎え酒でも?」おそらく釜を掛けているのだろう。
 老女将は験
すように言う。顔色を覗きこまれたことで、験されていることがハッキリと自覚した。何と答えるべきか。
 さすがに食試験に「朝の迎え酒」というのはない。珍種の食試験なのだろうか。あるいは裏の裏に、そういうものが存在していたのであろうか。受けてみるのも面白い。常識外れを披露するもいい。
 おそらく、迎え酒なんて……という言葉を期待している筈である。そういう意図が話術には見て取れる。
 「では、お言葉に甘えて……」
 大女将にとっては予想外の言葉であったに違いない。
 況
(ま)して迎え酒をすることは、これまで以上に心身を酷使しなければならない。試煉者は水と火の試煉を受けて塗炭の苦しみで大いに病む。人為の観念から逸脱する必要がいるからである。だが、これは難しい。だが、呼吸法で回避する術もある。
 話術には、人を誘い込むそれぞれのパターンがある。最終的にはそこに導かねばならない。しかし、それを外すということは“媚”が効いていないのである。仕掛けが浅いということになる。
 「えッ!迎え酒、なさるの?」頓狂な声を上げた。
 おそらく験
(ため)した方が験されたとは思わなかったのだろう。私が逆に大女将の顔色を窺った。
 「折角のお言葉ですので……」
 「おやおや……。やはり、豪放磊落な方。姪が申しておりましたよ、二日酔いが、つい三日酔いなってしまってなんて。そこまで言うのなら上等ですよ。こちらもお言葉に甘えて三日酔いにして差し上げましょう」呆
(あき)れ顔でいう。あるいは媚(こび)の効果の浅かったことへの皮肉だろうか。
 「呆れましたか……」
 さて、媚返しの効果はいかほどか。話術での心理戦を戦っていた。心の読み合いである。肚の探り合いである。
 私の選択は間違っただろうか。否と思う。

 朝食は要
(い)らないとなれば、小心を曝け出すことになる。もし朝食を選択すれば、こういう上流クラスでの朝の食卓は、食べきれないほどの食べ物が並び立てられる。これは出された物を一つ残さず食べれと言うことではない。「食べきれない」というのが、既に持て成しの行為であるからだ。
 富者の食事は、全部食べるか否かではない。並べ立てるというのが常とされている。これを知らない中以下の階級では、この落し穴に墜
(お)ちる。足許を見られる。心の中では「この貧乏人が……」と罵られる。
 余談だが、かの秀吉が、織田信長に汁碗を献上したところ、信長は「この味、何だ!薄いではないか!」と激怒したと言う。そのとき秀吉は、信長を心の中で「この田舎者が……」と罵ったと言う。つまり秀吉の献上した汁碗は、京料理の粋
(すい)を凝らした超一級品だったのである。極上の上品味だったのである。
 それを信長の舌は感じなかった。下級の濃い味に慣
(な)らされた舌であった。その舌を、秀吉は信長の教養とともに、「この田舎者が……」と罵倒したのである。食は人の教養の現れるものである。また秀吉は秀吉で、信長の教養を検(み)て、「やがて天下は俺のものだ」と、心の何処かで感じたのかも知れない。
 験されている。私はそう検た。
 これを切り抜け、回避する極上策は、迎え酒の方が有利である。少量で済む。少ないことはそれだけボロを出す隙が減る。だが、一見常識はずれである。世間ではそうなる。それを敢
(あえ)て遣る。大多数の常識とは異なることをする。大女将の話術から発生した、私流の媚返しである。

 迎え酒……。
 度外視なだけに効果的である。そう検たのである。話術による心理戦は始まっていた。
 「真弓さん、真弓さん!」
 「はい、何か?」
 「書生さんたら、朝っぱらから迎え酒ですって」
 「そろそろ雪が降るか知れませんわ、叔母さま」受けて立つ方も、中々したたかなようだ。
 「そうかも知れないねェ」
 皮肉も此処まで来れば上等である。
 北風が吹き始めた十一月とは言え、近頃では雪が降るには早過ぎる。それを承知で皮肉を言ったのである。これも巧妙な話術だろうか。
 「この場は雪でも降らせて、雪の乱舞でもお見せ致しましょう」
 私も遣り返すしかなかった。
 ウソも、話術での戦いは効果的なのである。世間ではウソはよくないと言うが、それはウソの効用を知らないから言えることである。可もなく不可もなくの世界でいえることである。
 こういう場合、欺
(あざむ)く詐術がいる。術者への対抗策である。人間界は言葉で操られる世界であるからだ。そして話術は、立派な兵法なのである。
 人の世に生きるということは、誰もが言葉の喜怒哀楽の中に在
(あ)る。これは他人の非難に弱い構造である。中傷や誹謗(ひぼう)にも脆(もろ)い。話術を知らない所以(ゆえん)である。世間評に煽られていては、所詮(しょせん)それ止りで終わる。大半の人は人生を煽られて潰える。愛すべき微生物の結末である。
 「書生さんの二日酔いも、相当に重傷のようですね」これも嫌みであろう。
 「……………」黙って耐えた。堪
(こら)えて聞き流した。流して捨てる。話術の媚返しである。
 「では、雪の乱舞でも見せて頂きましょうか……。真弓さん、用意なさい」
 女性は引っ込んだ。迎え酒の用意であろう。
 「さて、これからが正念場ですよ」キッと正視した。
 大女将が少し怕い貌をして迫った。験
(ため)している。気後れの程を検ているのである。
 「乱舞の変わりに、お願いがあるの!」言葉に力が籠
(こも)っていた。
 それだけに逃げられない「何か」を感じた。私はこの言葉で嵌まった。その爪から逃れられない。呑気なウサギが鷹に猟られた感じである。
 「?…………」
 粘着性の視線が粘り着く。逃げても無駄だという捕獲バリアが漂っていた。もう逃げられない。観念する以外ない。捕獲されていた。
 「書生さん。お気付きになったでしょ?……、姪のこと」
 もし逃げたら、この女性を前に押し立てて来るだろう。媚術で迫ることは眼に見えていた。
 「?…………」
 やはりそうだったのか?……と思った。
 「昨夜、見た筈です」媚を見たようだ。
 「断れませんか」
 私は家内安全を選ぶ方で、こういう障りのあることには関わりたくないのである。だが、それでは済まされないらしい。昨夜、一瓢
(いっぴょう)だけで切り上げておけばよかったと悔やんだ。今となっては遅い。時機(とき)を逸していた。
 「断れません」冷たくあしらわれた。
 自ら進んで、火中の栗を拾う羽目を招いてしまった。此処まで追い込まれると、先ほど《救急車でも呼んで頂けませんか》と切り出すべきだった。あのときに姿を晦
(くら)ませておけばよかった。
 「猟られたのですね?」言葉に失望があった。
 「そのように採
(と)られても結構です」
 「事情がありそうですね」
 「姪の憑き物、落して頂きたいの」迫った視線に力があった。
 「蠱惑……」《厄介だ。やはり膏肓
(こうこう)に入らんとする病に罹っていたか?……》
 「巡りが来れば死ぬ……ような……。それでもお願いしたいの、救って頂きたいの」
 懇願だった。この念が強い。既に位負けしていた。私より数段上である。
 猟られたことで背中に冥
(くら)い影がのしかかった。貌が青ざめた。まだまだ修行が足りない。足許を見られただろう。そうすると、なぜ此処まで酷く深酒をしたのだろうと思う。もしかしたら酒の中に、墜ちる何かの媚薬が混入されていたのか。そう思うと、やはり猟られたのである。
 「私如きでは、役不足でありませんか?……」
 畏れ多くて、私には歯が立たない。進退を考えれば、退くが賢明である。
 「まさか貧乏籤
(くじ)を引いたと思っていないでしょうね?」断ること赦さずであった。
 「光栄です」思わず冷や汗が流れた。表面とは裏腹に戦慄
(せんりつ)を覚えた。
 「その貌、ちっとも、光栄には映りませんわ。悩んでいらっしゃる」
 「本当に光栄の限りです、選ばれて、猟られたのですから……」
 「察しが宜
(よろ)しいわ。さて、お酒でも致しましょうか」
 これで手討ちというところであろうか。

 何から何まで読まれていた。話術の奥に媚が絡み、そのうえ憑き物を落せと言う。
 これがまた、かの老人と縁があるようである。複雑に絡んでいた。二段構えだった。
 構えも、三段も四段もあって、複数のゲートが用意されているかも知れない。これはおそらく第一の関門だろう。このゲートを通ることが出来れば、次ぎなる縁が俟
(ま)っているということであろう。
 その関門に、何か老人に因
(ちな)む理(ことわり)があるらしい。やはり老人は道士か。それも並みの道士ではないらしい。かなりの手練の術者だろう。名立たる導師と言われる大物、または老大人、あるいは太長老(だいちょうろう)だろう。
 盃の中に桜の葩
(はなびら)を一枚招いた老人は、太一(たいいつ)根元の、天の主宰の何たるかを知っているのだろう。それだけに、請いたい思いも強い。逃げたい思いと、近付きたい思いが相半ばしていた。それを知っていて大女将は私を操ったのである。
 しかし昨晩から、この縁には意図的な何かがあった筈だ。私は猟られるために仕掛けられた観がある。少しずつ事情が呑み込めて来た。おそらく酒の中にも媚薬
【註】酒に混ぜると発情を即座に催させ、朦朧となり、酔うの中で前後不覚に陥らせて烈しい異常性欲を起こさせる淫薬。回春術では性腺(せいせん)を刺戟する情薬とされる)が入っていたのであろう。
 落す構造は藕糸的で、眼に見えない巧妙な仕掛けが、常人には気付かない人形絡繰
(にんぎょう‐からくり)の操糸になっていた。また私には隙があった。油断があった。迂闊(うかつ)と言っていいのだろう。
 あるいは美人に知り遭
(あ)えて、幸運と言っていいのだろうか。いや違う。頭を振った。
 あの美は、今だけなのである。やがて加速を伴って萎んで行くだろう。今だけが美しいのである。

 「その前に、触りの件
(くだり)だけでなく、全貌を明かして下さい。前置きの能書きだけでは全体像が見えません」
 「書生さんは何もかも分っていらっしゃる、姪は見た通りですよ。とにかく迎え酒でもして、ほろ酔い気分になって、そこからですよ。妙案は酔いの中から生まれるものです」
 巧く丸め込まれた。この調子だと、当分引き止められそうである。解放は、まだ先のようである。
 此処まで明かされれば、件と雖
(いえど)も、私の性格からして、その後が気になる。
 しかし、そうかと言って、安請け合いにたことに反省も起こった。心の中では《とんだことに巻き込まれてしまったぞ》という不安と懸念があった。
 大女将が去り、暫
(しばら)く思案をしているうちに酒肴が運ばれて来たようだ。艶(なまめ)かしい裾の衣擦(きぬ‐ず)れが聴こえて来たのである。
 さて、これをどうしたものか……。

 女性は今までの活動的な姿とは打って変わって、留袖、群青色の訪問着の和服に着替えている。裾には金銀の鳳凰が艶やかに描かれていた。着物の鮮麗な藍青色
(ウルトラ・マリン)が、若女将然として引き立て凛(りん)としていた。これは何故だろう。何処かに出掛ける前なのだろうか。辺りは幽(かす)かに樟脳(しょうのう)の匂いが漂った。
 私には益々分らないことだらけであった。これを喜んでいいものやら、怒っていいものやら、その判断がしかねた。
 「何か、怒っていらっしゃるの?」
 「そう見えますか」
 「怒りたい時に無理に笑うと苦笑になりますわ。そういう貌は、怒ったときの貌よりも、醜く映ります」鍛えられた話術である。道理を衝
(つ)いて納得させる。
 「なるほど……」
 「でも、怒ったときの貌よりも悪いとは言えませんわ。第一、それはそれなりに、落ち着こうとして平静への努力をしているのですもの」
 「なるほど……」
 「今度は、なるほど……が間
(あい)の手ですか」
 皮肉に聴こえるが、私の仏頂面に警鐘を与えたのだろう。直ぐに顔色を読まれる安易なる表情を戒めたのだろう。そこが、私自身の青さであった。
 貌が言葉に一々反応して、そこを読まれる愚を指摘したのだろう。自分でも反省する。修行が出来ていないと思う。言葉で反応する豹変はよくないのだ。悪い意味での豹変であった。古美術も話術も歴
(れっ)とした兵法である。兵法者が兵法を心得てないのである。叱責されて当然だろう。現代の武術や武道は、人の裡側までは教えない。表皮のテクニックだけである。心が蔑ろにされているのである。
 「では、言葉を選びましょう」
 「あらッ、今まで晴れていたのに、陽が陰り始めましたわ。何故かしら、急に曇ってきましたわねェ、雨でも来るのかしら?」
 「雪が降りますよ」
 「うそ!」
 「雪でも降らせて、雪の乱舞でも、お見せ致しましょうと言った筈ですよ」
 この世でのは考えられないことが起こる。予測しなかったことも起こる。特異点はそれではないか。
 「本当に降りますの?」
 「十一月も半ばを過ぎれば、九州でも昔は雪が降りましたからね。過去の例としては、まんざら降らない訳でもありませんよ。今では温暖化とか、環境汚染だとか言って、専門家と言われる連中が異常気象を論
(あげつら)って騒いでいますがね、あれは国から、自分らの研究費をせしめるため口実ですよ」
 「温暖化を含む、異変は仕組まれたものと仰るの?」
 「温暖化はこれから起こるでしょ。しかし、これは地球がそう言う周期に入ったということですよ。変化周期です。温暖化を経由して、やがて極寒の氷河期が襲って来る。そういう周期で自然界は動いているのです。昨今の温暖化は、大企業が原子力発電所建設のために諸外国に働き掛けて、温暖化現象が火力発電の所為
(せい)などと、責任を二酸化炭素排出に原因有りとしていますがね、これも政治的に仕組まれたことです」
 「本当かしら?」
 「これは私個人の見解です。私の未来遠望には、そう映ります」
 「書生さんは、その手のお方?」
 「違います、個人的見解の未来予見です。私に霊能はありません」
 「それ、科学的な根拠はお有り?」
 「そんなものありませんよ、観ずるだけですから。勘に、科学的体系は存在しません。そもそも現象界の藕糸は、人の眼では確認できません。有機生命体の正体は、肉の眼では予測不可能です」
 「それでは、死後の世界を信じていますの?」
 「畏れるものがあることは信じていますよ、死後の世界が有るか無いとかは別に」
 「話していると引き込まれるようで興味津々ですわ、どこで話術を勉強なされたの?」
 「話術ですか……、人は詐術などと言って、私をバカにしますがね」
 「あたくしは、バカになど致しませんわ。なぜか不思議な説得力があって、話していると何だか勇気を貰ったようになって元気になりますわ。それ、昨夜からずっと感じておりましたわ。それとも、口先で躱
(かわ)す特異な話術の妙かしら?」
 「半分は信じないで下さい、口から出任せですから。私は嘘つきの名人ですから」
 話術を使うには、単に口先ばかりでなく、面
(つら)の善し悪しがいる。口と面の両方の巧みが要求されるのである。だか、私の面はよくない。フランス革命の立役者のミラボーの如き醜男である。

 私は話に熱中させておいて、その隙に手酌で何杯か盗み呑みした。まだ気付かれていない。
 三杯が四杯になり、四杯が五杯になっていた。それでも気付かない。その隙に勝手に盃を重ねた。彼女は何かに心が奪われている。私は私で、ほろ酔い気分の浮遊游泳
(ゆうえい)の中に彷徨い始めていた。
 事の成り行きは、急に変化を早めている。何が加速を掛けているのか、今のところは分らない。だが時間の進行が早い。

 この時代からの特長と言えば、此処から時間の進み方が急に早くなったように思うのである。多数の全体構造が、大多数を多忙へと駆り立てたようだ。経済成長の化けの皮が被せられたときであった。
 現代日本人は物質的発展と引き換えに、物に心を売り渡し、黄金の奴隷に成り下がった時であった。顕著な例は、その直後のバブル経済の元凶である。
 「これから先、その嘘つきさんの口車に乗せられても結構です、叔母が何と言ったか存じませんが、あたくしの縋
(すが)るものは蠱(こ)を落してくれる殿方ですもの」
 “蠱”とは、人を魅了して惑わす物を言う。蠱物
(まじもの)である。
 この女性は蠱物の毒牙に掛かって、今も抜け出せないらしい。昨日、女性に背中に男の影を見た。あれは心身を蝕む蠱物か。近年はそう言う女性は殖えたようである。
 「だが、それは私でない、荷が勝ち過ぎる。役不足、先ほども訴えましたが……」
 「相性です、あたかも磁石の陰陽が惹き合うような、極めて自然なる感通が優先されるべきです。あたくしは自己憐憫
(れんびん)に耐えられなくなって、脆くも崩れてしまいますから……」
 これを正気で言っているのだろうか。私には理解を超えていた。ただ背筋が凍るような悪寒を味わっただけだった。未だに彼女の脳裡には、九星気学が支配しているようであった。
 いよいよ思いもしない方向へと運ばれようとしていた。昨夜からの無態
(ぶざま)が、こういう思いもよらぬ反作用を引き起こしたのである。
 「しかし、それは間違いでは?」
 「もうこれ以上、口論は致しません」
 これは話術の打ち止めを意味した。彼女は辛い自分の過去の追憶を遮断したのだろうか。
 「炬燵が欲しい季節ですねェ」
 「そろそろ時雨の時期かしら」
 「雪混じりの時雨ですよ、降ったり照ったりの。秋は女心ですから……」
 「じゃあ、冷たい雨……」
 「ぼた雪ですよ、だから炬燵が欲しい。おまけに徳利も空いて寒々しくなりました」
 女性か気付いたようで「あッ!」と声を上げた。私の手酌の盗み呑みに気付かなかったのである。それだけ話に熱中していたのであろう。
 そう言う最中、大女将が駆け込んだ。迎え酒を頂いて、ちょうどほろ酔い気分になった頃である。これでお開きだろう。もしや今日はこれで解放してくれるのでは?……。
 だが、これが甘かった。今からが本番である。正念場の言葉の意味が、徐々に効き始めていた。
 「次の段取りを……」そう促した。急がせるようだ。
 私には段階別試煉が待ち構えているようだ。
 道案内をすると言ったから、もしや老人宅へ直行か、そう期待したのである。
 しかし車に乗せられたとき次の言葉で裏切られた。



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