運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
壺中天・瓢箪仙人 1
壺中天・瓢箪仙人 2
壺中天・瓢箪仙人 3
壺中天・瓢箪仙人 4
壺中天・瓢箪仙人 5
壺中天・瓢箪仙人 6
壺中天・瓢箪仙人 7
壺中天・瓢箪仙人 8
壺中天・瓢箪仙人 9
壺中天・瓢箪仙人 10
壺中天・瓢箪仙人 11
壺中天・瓢箪仙人 12
壺中天・瓢箪仙人 13
壺中天・瓢箪仙人 14
壺中天・瓢箪仙人 15
壺中天・瓢箪仙人 16
壺中天・瓢箪仙人 17
壺中天・瓢箪仙人 18
壺中天・瓢箪仙人 19
壺中天・瓢箪仙人 20
壺中天・瓢箪仙人 21
壺中天・瓢箪仙人 22
壺中天・瓢箪仙人 23
壺中天・瓢箪仙人 24
壺中天・瓢箪仙人 25
壺中天・瓢箪仙人 26
壺中天・瓢箪仙人 27
壺中天・瓢箪仙人 28
壺中天・瓢箪仙人 29
壺中天・瓢箪仙人 30
壺中天・瓢箪仙人 31
壺中天・瓢箪仙人 32
壺中天・瓢箪仙人 33
壺中天・瓢箪仙人 34
壺中天・瓢箪仙人 35
壺中天・瓢箪仙人 36
壺中天・瓢箪仙人 37
壺中天・瓢箪仙人 38
壺中天・瓢箪仙人 39
壺中天・瓢箪仙人 40
壺中天・瓢箪仙人 41
壺中天・瓢箪仙人 42
壺中天・瓢箪仙人 43
壺中天・瓢箪仙人 44
壺中天・瓢箪仙人 45
壺中天・瓢箪仙人 46
壺中天・瓢箪仙人 47
壺中天・瓢箪仙人 48
壺中天・瓢箪仙人 49
壺中天・瓢箪仙人 50
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 壺中天・瓢箪仙人 46
壺中天・瓢箪仙人 46

夜の帳(とばり)が降りて来て、辺りを夕闇が包む。
 今宵は満天の星でも見上げて、唯一の愉しみを模索する。それは酒を飲むことから始まる。そして細やかな晩酌をする。
 それは味わうための酒か?……、そう思いながら呑む。
 あるいは酔うための酒か。更には舌の上で静かに転がして味わいつつ、ほろほろと酔うための酒か?……。
 盃を干しては、こう考える。呑まれないように飲む。
 何
(いず)れにしても、「ほどほど」で止めるべきだろう。度を超してはならない。酒品は保つべきだ。

 酒は不平のあるときに、憂さ晴らしとして飲むべきものではあるまい。不平のない時、憂さ晴らしでない時に飲んでこそ、酒の味を真味に解することが出来る。
 酒は度を超せば、人をアル中に走らせよう。狂わせよう。狂う酒は飲むべきでない。酔う酒を呑むべし。

 狂う酒は、人を狂わしはするが、人を救うことはないのだ。
 本当に酒を飲みたいと思う時は、味わう酒を呑む時である。微笑みをもって呑む時の酒である。微笑んでこそ、人は酒品を保てるのである。溺酔しては微笑みは保てない。
 飲んでも飲んでも酔えないような酒は飲むべきでない。酒を味わいつつ酔えるような酒を呑むべきなのである。これが所謂
(いわゆる)酒品である。
 だが、酒品は苦
(にが)い酒では保てまい。美味い酒でないと保てない。ほどほどにするとき、美酒は美酒となる。


●極楽トンボの極楽詣

 風の吹くまま、気の向くままの心境は、過ぎたことを忘れさせてくれる。厭なことは忘れて捨てればいい。過去は振り返らない。前を見て進むだけである。
 私の主義として、前進するだけだ。
 しかし、何事も前進するには「覚悟」が要
(い)る。悔い無しの決断が要る。前進とは、未知の世界への挑戦である。牽強付会(けんきょう‐ふかい)が渦巻いた社会でも、理不尽が罷(まか)り通る世の中でも、少し沈黙して、深く静かにその現象を観察する。その後は思い悩まず進む以外ない。意見が符合しないからと言って、諦めない。到達の先々が真っ暗で二重三重に閉ざされていたとしても、覚悟を決めて挑戦して行くしかない。何事も「一歩前に」である。怯(ひる)まずに踏み出すことが大事である。

 だが挑戦者は、「人並みの幸せ」は断念する。ここが消極策を採
(と)る優柔不断の懦夫(だふ)とは違う。自分一人の幸福は断念する。そういう覚悟する。
 その覚悟を決めたとき、挑戦する権利を得る。
 換言すれば、「自分なりの幸せ」を掴む覚悟でもある。
 これまでの人生を振り返っても、人から見れば、私の人生は波瀾に富み、不幸せだったように映る。確かに幸福ではない人生だったが、しかし不幸と同居したからといって、自分が不幸だと思ったことはない。不幸を思い悩む暇すらなかった。生きるだけで精一杯だった。
 その僅かな隙間に、今の安らぎのひと時がある。そのひと時が、また私を極楽トンボに仕立てた。こういうときは思い悩まず、好きなことをして暮らせばいい。好きなことをするのに、誰に気兼ねしよう。極楽トンボは極楽トンボであることが自然体である。

 その極楽トンボに、久しぶりに銀座の『ひさご花』にでも行ってみるかという気持ちを起こさせた。極楽詣である。
 あの数寄屋造りの店に、今日あたり、ひょっこりと瓢箪の老人が顕われていて、老女将相手に酒を呑んでいるかも知れないと夢想したのである。そういう奇遇を期待した。
 出る前、塾で授業をしていた家内に、以前『ひさご花』で貰った名刺を出して「ここで酒を呑んで来る。しかし、急用以外は何も連絡を取るな。進龍一の用事などはみな断れ。何処に居るか分らんと言って、決して居所も教えるな。重要と思われること以外、絶対に連絡を取るな。万一の場合の連絡は重要に限りだぞ」
 これを聞いた家内は、いつものことながら伝達を必ず復唱する癖があった。ただ“重要に限り”を、どう受け取ったのだろうか。

 自分に下令されたことが正しいか否かを、伝達者立ち会いの下で復唱してみせるのである。
 つまり、復唱は一見単純な作業のように思えるが、これは即興暗記能力がないと中々出来ないことである。耳で受けたことを直ぐに復唱することが出来るのは、個々人の能力差による一種の特殊能力であり、この能力が欠けていれば即興復唱は出来ない。更には、人の話を聞く耳を持っているか否かに懸かる。こう言う能力は男より、女の方が優れている。思考構造が受動型であるからだ。“オレがオレが”の能動型には真似出来ない芸当である。
 また霊的な勘も、男以上に女の方が上であり、これを即座に遣って見せる芸当に、時として私は女の美しさに震えるような感動を覚えることがある。

 日頃は冗談を言ったり、馴れ合いから猥褻
(わいせつ)なことを語り掛けて揶(からか)ったりしている家内だが、時として近寄り難い畏敬の念を抱くことがある。それは単に自分の女房だけに限らず、女性全般に言えることで、女という生き物は威厳に満ちた存在として、ある日突然変化する。これ自体に畏敬の念を抱くのである。それは芯(しん)が弾けて、中身を晒(さら)した時に感じられる。

 私は一見、誰が見ても亭主関白のように映る。おまけに紐のような生活をしている。だが亭主関白などでは毛頭ない。そうかといって尻に敷かれている訳でもない。決して男尊女卑ではないし、また男女同権などと、今風の平等主義すら持っていない。むしろ女を崇
(あが)める方である。女に平伏(ひれふ)す方である。能力格差は素直に受け入れる方である。
 女がどんなに凄いか、女だけにしか出来ない芸当がある。
 女はそもそもこの現象界を造り出し、かの一休禅師
(宗純)が言うように「釈迦も達磨もひょいと生む」のである。これは男には出来ない。女こそ世界の創造者である。
 男を平伏させることの出来る女は、どんな醜女
(しこめ)であろうと、例えば巫女(みこ)などを見ても分るように、狂躁して、後に神懸かった女性の貌を見ると、そこにはハッと息を呑むような美しさがある。その場合、突如として美しい容貌を輝かせる。そういうときには思わず拝跪(はいき)して、跪(ひざまず)きたい衝動に駆られる。その美しさに報いたいとすら思う。優れた者に対する礼儀である。

 「じゃあ、行って来る」
 玄関に見送りに来た家内に、こう言い置いて、塾の玄関を出るところだった。
 そこに《越後獅子・2号》の勅使河原恭子
(てしがわら‐きょうこ)と鉢合わせになった。この娘とは在宅時間は違っていた所為(せい)か、暫(しばら)く貌を合わせたことがなかった。
 「先生、お久しぶり。先生、別荘に行ってらしたんですってね?」甲高いトーンの甘ったるい声で訊く。
 「別荘って?」
 「やーだァ〜、ムショですよ……」一段とイントネーションが跳ね上がった。
 喜々として、然
(しか)も悩殺するような聲(こえ)で、にっこり笑っている。それが妖し気でもあり、蠱惑的(こわくてき)でもある。男を悩殺するような愛嬌(あいきょう)がある。
 「ムショ?……」
 「ムショですよ」穿鑿
(さんさく)するような突っ込みであった。
 「誰がそんなこと言った?」
 「習志野中の噂になっていますよ」
 悪事千里を走るである。噂も同じだ。
 好事門を出でず、悪事千里を行くである。いいことはちっとも世間には伝わり難いが、悪事は一気に千里も走る。走らせたのは私である。
 何だか彼女も、恐いもの見たさの喜々とした表情があった。
 「これではまるで……」と言い掛かって、次に「いや止めとこう」となった。この“町内拡声器”に、下手に口でも滑らせて、お色気の誘導尋問に掛かれば、また有らぬ噂を立てられる。
 「言いかけて止めるなんて狡
(ずる)い……」
 「勅使河原さん、あんまり男を悩殺しないでくれ」
 「まあ、悩殺ですって……失礼しちゃうわ。お窺いしてるんです」
 「あのなあ、そう言うのを尋問と言うんだよ」
 「どこがです?」
 この娘が一度喰い付くと、スッポンのように食い下がって来る。
 「話は複雑なんだ。分るだろ、こういうのは一言では云えないのだよ」
 「一言で云えないのなら、二言でも三言でも構いませんよ、どうぞお話になって下さい」奇妙な切り返しで畳み掛けて来る。
 最初、この娘は彼女特有の甘ったるさを“お色気むんむん”と誤解していたようだった。しかしよく観察すると、語り掛けや笑顔一つにしても、お色気から滲
(にじ)む類のものでなく、ただ純粋にあどけないものであった。その点を誤解していた。決してベタベタしたお色気で迫ったのではなかった。今日も好(よ)い笑顔を浮かべていたのである。それは純情から来るものであった。今どき、此処まで純粋・純情なる心を失っていない女子高生は珍しかった。

 「あのなあ……」私は、口をぱくぱくさせて二の句を言い澱
(よど)んでいた。
 そこに運悪く《越後獅子・1号》の上原小夜子が遣って来た。不運がダブルで重なった。
 「上原先輩、聴いて聴いて。先生ったらねェ、ムショに行ってらしたのよ」
 「うそー」
 「あのなあ……、ムショなんかじゃない。警察で、たったの一晩だ」
 「ねえねえ先生。どんなことされたんですか?」
 上原は奇妙なことを訊く。どんなことをしたのでなく、どんさことをされたかと訊く。犯行の動機を訊いているのではない。犯行後の警察の取調べに興味があるようだ。奇妙奇天烈な娘である。私とは頭の構造が違うのだろう。
 「拷問なんかされたんですか?貌に白色の電灯なんか突き付け、机などをバーンと叩かれてジリジリと白状しろなんて……強引に迫られたんですか?」興味津々で訊いて来たのは上原だった。
 「犯行に至った動機は何ですか?どうして捕まるような事したんですか?尋問で問い詰められて白状したんですか?殴られたり蹴飛ばされたりしたんですか?カツ丼でも食べさせてもらったんですか?」矢継ぎ早攻勢の勅使河原。
 「どうしてカツ丼が出て来るんだ?テレビの刑事ドラマの見過ぎじゃないのか」
 「でも拷問のような、一晩中攻め立てる尋問があったのでしょ?」
 今度は二人がハモって畳み掛けて来た。さて、どうしたものか……。
 極楽トンボの極楽詣は一時お預けのようだ。
 「そのうち、ゆっくりと話して上げるよ」
 「いつ?……」
 「そのうちだよ」
 「今聞きたい」と勅使河原が迫る。
 「そう、今」上原まで奇妙の相槌
(あいづち)を打った。
 結局、玄関前で引き止められ、これを躱
(かわ)すには少しばかり“さわり”を聴かせてやるしかない。彼女らを空いた教室へと引き込んだ。そこへ家内も蹤(つ)いて来た。
 「お前も聴きたいのか?」
 「ええ」
 三人して興味津々は相乗効果を生んでいた。家内もこう言う話には童女になる。
 さて、聴かせてやることにして、どういう切り口で語るかを模索した。
 これは咄嗟の思い付きである。
 「さあ、お立ち会い」
 「そんな前置きいいんです」
 「時は平成3年11月×日、午前零時過ぎ。場所は大久保商店街の斜向いの明林塾前。敵は多勢に無勢。圧倒的劣性。そこに助けを求めて駆け込んだ小僧一匹。救援要請である」
 「それで?」
 「私の立場としては、義によって助太刀したまでのこと」
 「まるで高田馬場の堀部安兵衛ですね」
 「君たちが訊きたいのは助太刀事件ではなく、その後のことだろ?」
 「そうです」
 「取調べ後の牢獄でのことだろ?」
 「勿論です」
 「何か勘違いしてないか?」
 「どんな?」
 「つまりだなあ。筋金入りの親分衆も、その辛さに震
(ふる)え上がり、夜には、しくしく泣く、そんなムショ暮し話をか?そういうえげつない話を訊きたいのか?」
 「はい」
 「例えば夜の過ごし方とか?」
 「ええ」
 「さて、困った……」
 「どう困るのです?」
 「穴
(ケツ)を狙われるからだ」
 「ケツって?」
 「尻の穴、つまり肛門だよ」
 「肛門?」
 「ところでケツの穴には太いのと小さいのがあるの、知っているかい?」
 「きゃあ〜、不潔!」彼女らは黄色い聲
(こえ)で騒ぐ。
 「何を勘違いしているのだ。世間ではケツの穴が太いとか、小さいとかいうだろう?」
 「そういうことも言うらしいですね」
 私には、彼女らが考える「不潔」の意味が定かでない。
 肛門自体に大腸菌がうじょうじょしいてその部位が不潔なのか、ケツを掲げて貸す行為が不潔なのか、それが釈然としない。何れを採
(と)って、不潔と騒いでいるのであろうか。だが私にはどうでもいいことであった。ただ救われたのは、病理学的にいって、後者の場合、「痔が悪い人はどうなるんですか?」と訊かれないだけでも増しであった。
 「大小はケツの穴だけでないぞ。前にも大きいのと細
(こま)いのがある」
 「やあーだァ〜」益々黄色くなった。
 「ところで、オレどちらだと思う?」
 「更に不潔!もう、いやらしいたらありゃしない!」黄色い聲は烈しさを増した。

 これが平成3年
(1991)当時の純真なる女子高生の素顔だった。この当時の女子高生が、現在の『保健・体育』の教科書を見ても赤面する筈である。今とは随分と違う。
 本来この年齢というのは、箸が転がしてもおかしくて笑う年代である。無邪気である。それだけに当時は、まだ純真で純情であると言えた。この時代の女子高生には今日とは違う、まだあどけなさと可愛らしさが残っていた。今から25年、四分の一世紀前のことである。
 更に半世紀前の50年前に遡
(さかのぼ)って、大戦末期の女学生はどうであろうか。おそらく平成3年当時のポルノグラフィーや風俗を見ただけで卒倒するだろう。性感覚もその意識も、時代とともに崩れて行ったと言えよう。言わば性の解放ではなく、現代は性意識の秩序の崩壊である。
 これが逆に時代が下り、25年後の四分の一世紀を経ただけで、今日以上に墜落してしまっている筈だ。更に50年後の半世紀を経た時の日本人の意識はどうなっているだろうか。また果たして、日本と言う国家は世界地図の中に存続しているであろうか。
 日本の未来を荷なう子供達と、その子供を教育する親や教師を見れば、これがよい方に傾くとは決して思われない。悪くなっているだろう。それは何が原因か。
 食生活による動タンパク摂取過剰の食の乱れに絡む、色の乱れがあるからだと思う。西洋風の食生活が、斯くも現代日本人を頽廃
(たいはい)させ、狂わせたのである。
 懸念する私の予測力が的外れであれば幸いである。

 これ以上喋ってたら完全に脱線してしまう。彼女らを盛り上げて騒がした後、「今日はこれでお開き」と締めくくり、はしゃいでいる隙をみて一目散に津田沼駅へ。此処でもたついていては彼女らから、そこら辺の物を手当たり次第投げ付けられそうだった。
 大久保周辺ではこの時間特有の渋滞が始まった時間帯である。タクシーでもバスでも、のろのろ運転で遅々として進まない。歩くより増しと言う程度だった。そのうえ、京成電車の各踏切の遮断機は「開
(あ)かずの踏切」として悪評が高い。それが渋滞の原因にもなっていた。
 彼女らの御陰で、どんだ時間を喰ってしまったものだ。

 いつものように和服に野袴でリラックスし、総武快速のグリーン車に足を投げ出して東京まで向かう。夕刻に掛けて、私が東京に向かう飲み屋通いのスタイルである。あるいは極楽トンボ的風采とでも言おうか。
 総武線は、通勤とは逆コースの時間帯である。あまり込んでいない。グリーン車ともなれば、前の背凭れを回転させて足を投げ出していいほどガラ空きである。普通車に較べ、ほんの数人しか乗っていない。グリーン車は個室車輛に近かった。

 東京に来ていつも考えることがある。
 東京ならびに周辺周辺の人と、それ以外の地域の人との時間誤差である。おそらく両者は時間の感じ方が違うのではないかと思うのである。
 特に、東京人と地方の山村などに棲んでいる人とを比較すれば、都会時間と山時間の差があり、これは感じ方が明らかに違っている。その違いの反映が歩き方に顕われている。都会人はみな足早である。
 足早ということは、足が地に着いていない軽々しさを想わせる。
 それは現代特有の多忙から起こったもので、分刻み、秒刻みの合理性と効率性の要求が強要されているからであろう。その中には、一日一日が何事もなく経過して欲しいという平穏が込められている。何事もなく平穏裡に日々が過ぎて行くという願いがあるからであろう。そして平穏裡
(へいおんり)に毎日が過ぎて行くという経過状態は、一見理想的に映る。
 だが、それは間違いかも知れない。

 擦れ違う人を観察する。みな同じ恰好をし、同じ目的をもって、共通の価値観の許
(もと)に生きているように見える。おそらくそれは老後の計画も、過ごし方も、価値観も同じ方向に向かっているであろう。何から何まで、みな同じである。子供に対しての考え方も、育て方も、子が成人してから後の、老後の自分の終末の生き方も共通性があるだろう。
 殆どが共通項をもって“みな同じ”という現象の中には、一方で格差が起こっていることも事実である。それは擦れ違う人の貌が、それぞれに微妙に異なっていることだ。
 よく観察すると、怕
(こわ)い貌、怒った貌、狡(ずる)そうな貌、泣き出しそうな貌、喜怒哀楽で今は幸福を感じている貌、恋愛をしている貌、好奇心旺盛なる貌、何かに興奮している貌、喜々とした貌、尊大な貌など様々であり、それは何らかの変化を顕していることになる。
 更に凝視すると背景には、既に非日常が起こっているようで、普段に日常とはことなる、幽
(かす)かに生き生きとした箇所が見えて来るのである。

 私のような天下の素浪人は、生き生きした表情の中にも、都会の作られた表情があるのではないかと思うのである。それは「足早」という多忙に追われる全体主義的な歩調であり、その歩調が、時として一斉に軍靴の響きのように聴こえることがある。サラリーマンの群れが一斉方向に突進しているようにも響く。この群れの中に居る人は、自分が群れの一員であることは気付かないであろうが、私のような無職の素浪人が側面から群れを眺めると、そのように映るのである。その歩調が、あたかも軍靴の全体主義的な響きを持っている。
 その背景には一億総サラリーマン化の政策があって、その中に殆どが管理されているという側面が見えて来る。それは人間牧場と言う囲いの中で「飼われる」という間接的な意図をもって、一方で監視され、監督される社会構造の中に誰もが埋もれようとしていることである。

 企業という組織体の構造には仕掛けの大小はあっても、誰もが社名のネームバリアを背景にして仕事をし、生活の糧を得る。それは自分の商才ではなく、会社の貌で商いをする。その貌の見方を誤ると、忽
(たちま)ち経済的困窮の陥るのである。社名と言う貌を離れて、独力で自立出来ないのが現実社会の実体である。
 第三次産業従事者は就業人口の75%を占める。第二次産業で24%であり、第一次産業ともなれば1%程度である。しかし、第二次、第一次も、多くは何れかに組織に属し月給取りの構造になっている。職人を上げても、「独立職人」という人は極めて少ない。
 これは現代人が何かの組織体に属して、凭
(もた)れ掛かって生きていることを顕す。凭れ掛かっている人の日常は、平穏無事を願う気持ちが強いようだ。

 本来は平穏無事が何よりもである。
 しかし何事もなく、変化も生ぜずに終わってしまう人生ならば、人は変化のない現象界で困惑し、早々と枯れ切ってしまうだろう。所詮、人間は何事もない平穏無事な世界では生きて行けない生き物である。何かの冒険要素を含むアバンチュールを求めて生きている。火遊び的なものに興味を抱くのが人間である。

 そういう私も、今宵の意外性を求めて飲み歩く。そこらの安酒場をハシゴして、最後は『ひさご花』で締め括って帰る予定であった。
 何故なら、私の魂胆には、習志野市から貰う立退料と引っ越し費用を、習志野に棲んでいる間に、みな使い果たしてしまう覚悟であったからだ。こういう宵越し的な金は、景気よく使い果たしてしまうのが、私の主義に適
(かな)っていた。その後の金欠病など、知ったことではない。その時はその時になって考えれば済むことである。いま悩むことではない。極楽詣の前倒しこそ、極楽トンボの荷なうべき役目である。断固、遂行あるのみ。
 立退料を払う。引っ越しの費用を払う。何れも公金から捻り出されたものだ。だが叩き返せないところが、また極楽トンボの小人なるところである。
 ここに極楽トンボの極楽トンボたる所以
(ゆえん)があるように思う。その実態は、小人である。ただ、宵越しの金は貯め込まない。散財する。

 こう言う考え方をするのは、おそらく都会人より地方人の方が多いであろう。地方人の豪放磊落な特長である。そして背景には時間差があり、その違いは都会時間と田舎時間の格差と言えよう。あるいは計画性のないのが、地方人特有の専売特許かも知れない。
 宵越しの金など貯め込む気は毛頭ない。この手の金は散財してこそ価値が生まれる。これを「余裕」というのかも知れない。欲しい物を我慢するのも必要だが、欲しい物を宵越しの金で手に入れようとは思わない。自分で稼ぎ出した金で手に入れたい。
 欲しい物が目の前にあるのは「今」しかない。時間が経てば新鮮さを失うばかりでなく、他人に攫
(さら)われてしまう恐れがある。

 最近、私と同じような考え方をする人に出遭った。
 この人は古美術界でも世界的に有名で、その鑑定眼も広く知れ渡っており、また山口県下関市でも屈指の資産家で、年齢は私よりひと回り上の人である。私は大学時代は昭和40年代の全共闘世代であったが、この人は30年代の安保闘争世代であった。
 この御仁が山口県から上京し、明治大学に入学した直後、親から仕送りしてもらった一ヵ月分の10万円の生活費を一日で遣ってしまったと言うのである。豪胆なサムライだった。私は後先考えずに、こういう事をする人が好きである。反省など、後からすればいい。
 「今」を生きていることを、まざまざと見せ付けられるのである。貯蓄型の人でないことに、好感が持てるのである。それは同時に、ケチでないことだ。
 果たして明治維新の前夜、貯蓄型の人が暗躍していたら、あの革命は為
(な)せただろうか。徳川幕府は倒せただろうか。志士は豪放磊落で、ケチではなかった。

 昭和30年代、私の姉
(8歳上の佐賀県嬉野で、母親の後を継いで、のち芸者の置屋をする。私とは異母姉弟で、大学を卒業した直後しばらく教員をしていた)は県立の某女子大を出て中学校の国語の教員をしていた。公立中学校の教員の月給が1万4千円ほどであったから、10万円と言えば、かなりの額である。
 神田神保町界隈の骨董屋で10万円の短筒
(短銃で金の象嵌が入っていたと言う)を買ったと言うのである。翌日親に使い果たしたので、電報で、一ヵ月分前借りをしたい旨を伝えたら、カンカンに怒られたそうだが、直ぐに送金して来たと言う。さすが資産家の御曹司である。
 この御曹司は安保闘争には全く興味がなく、骨董屋廻りばかりをしていたという。
 私の場合も革命闘争には全く興味がなく、私の場合は遊郭や色町の徘徊
(はいかい)ばかりをして、健全とは言い難かった。その点がこの御曹司とは違っていた。
 だがこの御仁は、欲しい物が目の前にあるのは、「今」と検
(み)た。この刹那と検た。この見解は正しいであろう。グズグズして居たら他人に攫われてしまう。それを懸念して、全額叩いて購入した。それだけのことである。いい判断だ。
 その後、この御仁は古美術界で世界的に名の売れた目利きとなる。こう言う人は並みの人間と、咄嗟の判断が違うようだ。
 この業界は、いい物を高値で買わず、安いと思った物をケチって買うと、後でとんでもないことになるのである。まさに“ろくでもない世に中”を地で行く世界である。
 その点私は未熟で、未だに「咄嗟の判断」の勉強をしている。老いても学ぶことが多い。


 ─────総武快速から山手に乗り換え、新橋までやってきた。だが今宵は出遅れた。何処にも寄らず、梯子もせず、『ひさご花』に直行した。
 私がこの店を気に入ったのは、先付けや少量盛り合わせの八寸などの口取りが、一流料亭並みに見事であるからだ。勿論、味もいい。板場にはそれなりの板前がいる。そのうえ料理は、酒に併せて出て来て、洋酒でも日本酒でも自由自在なのである。機転が利く。俟たせない。この心遣いが何とも憎いのである。
 だが、今宵は店のメンバーが違っていた。いつもの老女将が居ない。おまけに客も少ない。そして紳士らしい客は、別のホステス嬢とボックス席に納まって静かに話をしていた。此処はハイ・ソサエティーの上流社交場であった。騒がしい音もなく、安酒場のように芸妓の黄色い嬌声
(きょうせい)もない。決して薄利多売が一切ない。腐っても鯛である。いいものを高く売る、またここがいい。
 「いつもの女将さんは?」
 カウンターを挟んで、私の前に立った若い女性に訊いてみた。
 「急な所用で、本日は出掛けております」
 「あなたは?」
 「若女将です」
 「これは驚きましたなあ」
 「姪ですの」
 そう言い放った品の良い美しい顔には、何処か眉に憂いがあった。彼女は愁眉
(しゅうび)を更に翳(かげ)らせていた。
 彼女は薄いピンク地に江戸小紋の着物を粋
(いき)に着こなしていた。それがまた若々しく映った。年恰好は二十代後半か、三十を少し出た頃で、中肉でほっそりとし、背丈はやや中背より高いように見えた。おそらく165cm前後であるまいか。だが、独身ではあるまい。何処か、男の影がちらついていた。
 「姪御さんですか」
 「あなたは?」
 「書生です」
 一瞬、口に手を当てて、くくッと笑ったようだった。
 「叔母から窺
(うかが)っております」
 「どういうふうに?」
 「瓢箪のことを訊きに書生さんが不定期で来ると……」
 不定期というところが、何故か人を呑んでいる。老女将の叔母譲りなのだろうか。
 この女性は「超」を付けてもいいくらいの美人であった。
 私は、女に強いという訳ではないが、対面した女性がどんなに美しい女であろうと、また美形の持ち主で如何に身分や家柄がよかろうと、そうした女性に気が引ける気持ちを抱いたことは一度もない。美人を前に赤面したことなど、生まれてこの方、一度もないのである。おそらく、それは子供の時から女性に囲まれて育ったからであろう。また、そういう色町的な環境で育てられた。
 かつて、女性に心をときめかしたことがあるが、例えばスポーツなどで鍛えた強靭
(きょうじん)な男や政治家にありがちな、美女に弱いというタイプではない。その種の眼に慣らされて育った。置屋という独特の異空間の芸者の中で育てられると、自然とその種の眼は肥えるものである。
 気に入れば、相手はどんなに美しかろうと、自然にジョークを飛ばしながら、口説き文句の一つも口から飛び出して来る。しかし、モテたいという気は更々ない。
 ある意味で図々しいのかも知れない。あるいは物怖じしないのかも知れない。
 特に美女には、物怖じせず堂々と渡り合う。ユーモアの一つや二つ飛ばすことが出来る。

 それは珍本『唐土名妓伝』に出て来る“二程”
【註】北宋の儒者、程明道・程伊川兄弟)の何れかを想像してもらえば分るだろう。
 兄の程明道は、洒脱な会話で大いに取り巻きの芸妓を湧かせ、然
(しか)も遊ばせて、本人も楽しそうに酒を飲むが、心の中では、いかに美妓が侍(はべ)っても意に介さなかった。
 これに引き換え、弟の程伊川は、芸妓の存在など殆ど目にくれず、顔を背けて難しい貌をし、あるいは芸妓が理解できないような難しい話をして、“自分には如何にも学があるぞ”というふうに思わせながら、実は内心では、周囲の美妓にモテたくて、モテたくてしょうがない気持ちをありありとさせていた。モテたい下心である。予
(かね)てからの企みがあった。要するに本性は女好きなのである。それなのに空とぼける。深層には裏腹な意図がある。

 今風に言えば、弟の程伊川はモテない男の特徴である。モテない男の特徴を、全部抱えていた。
 この二人の兄弟の差は歴然である。まさに人間の本性を現している。
 つまり人間の「格」である。
 その格が、花柳界では浮き彫りになることである。平成3年当時、私は家内に働かせて、一方銀座界隈で遊びに興じたが、その際にも“程伊川はモテない男”風の実態を多く見た。その中の多くは会社のネームバリアで仕事をするサラリーマン中間管理職にあると思われる、この種のオヤジの高慢と尊大ぶりであった。モテない男の典型と言えた。関西風で言えば、エエカッコシイである。
 平成4年4月、京都から電車で17分の大津瀬田に転居したが、此処でも大阪北区曾根崎新地の歓楽街の北新地や京都の祇園で遊んだことがあったが、関西人はエエカッコシイには鼻も引っかけられないようだった。
 これは裏から観れば、「遊ばぬ男に何が出来る」ということでもあり「遊びを知らぬ者に大した人物は居ない」ということでもあろう。つまり、この実験場では人間が観られてしまうのである。

 しかしである。『ひさご花』で若女将と名乗った、この女性は何処か違う。何故だろう。
 口説き文句の一つもと考えるのだが隙がない。取りつく島がない。澄んだ眼で見据えられるだけで、一旦は視線を外さねばならなかった。覗かれると、ぞくッと慄
(ふる)えが疾るのである。恐怖だろうか、感動だろうか。

 「あなたは腰瓢箪の老人のことを知りませんか」
 「腰瓢箪の?……。一度叔母から来たことがあります」
 「どういう事を?」
 「あのお爺さんは練馬で、樽
(たる)の中に棲(す)んでいると……聴きましたわ」
 「樽の中?……。本当にそう聞いたのですか。樽の中とはどういうことです?」
 「そこまでは存じませんわ。ただ樽の中だけと……」
 「樽の中とは奇妙だなァ……」顎
(あご)の撫(な)でて思案した。
 その間、キープのレミーマルタンの水割りを恃んだ。
 私はブランディーグラスで、この酒を呑まない。水割りにして薄めて飲む。薄い酒を重ねれ、余韻を楽しむのが好きだからだ。それに肴は、何とも気の利いた和風の“長芋にイクラとオクラを和えた小鉢”である。バタ臭くなく、こってりしていないところがいい。意外と洋酒によく合う。
 「お客さまは、壮士でらっしゃいますか」おそらく私の着物と野袴から連想したのであろう。
 「壮士?……、とんでもありません。ただの書生ですよ」
 「でも、壮士然としてらっしゃいます。そういうところ、何だか惹
(ひ)かれますわ」
 歯の浮いたお世辞に聴こえないこともない。
 もう一度彼女の顔を凝視した。美人である。眼が素晴らしく美しい。見ると吸い込まれるようである。
 女が美しく見えれば見えるほど、此処に居心地の悪さが増して来る。何故だろう。やがて居心地の悪さに辟易
(へきえき)して、さっさと退散することを考え始めていた。しかし、辞去の挨拶をしようとするのだが、一方で、後ろ髪が曳かれる思いがするのである。世に中には、とんでもない美女が居るものだと思った。
 そして直ぐに気付いた。私の邪
(よこしま)な眼がいけなかった。そういう眼で検(み)たのである。
 一言で表現するならば、己が心に疾病
(しっぺい)が棲み付いていた。自身の卑しさがあった。駆逐する必要があった。しかし、それは分っていても、そういう話は喋れない。

 「世辞でも、そう言って頂ければ、嬉しいものだ」
 「本当ですのよ」
 「軽々しくそういうことを言うと、書生は単細胞だから本気にしますよ」
 「どうぞ、本気になさって下さい」
 「これは、どうも困りましたなあ……」
 「でも困らないで下さい」
 「ますます困った。書生はですなあ、壮士でないが、天下の素浪人です。無職です。一文無しです」
 「どうして、じゃあ、ここにいらっしゃるの?……。ここ高いんですのよ」
 「宵越しの金を散財しているだけだ。散財し終わったら、もう来ない。そこまでの縁。それで縁が切れる。もう言わなくても分るでしょ」
 「その縁、しかし大事ですわ」
 そう言い放った貌に妖艶さを検
(み)た。
 人間の心には、妖美に見える姿を真の美と思い込む落し穴がある。それに気付けば、邪は霧散する。自らが病的な邪に踊らされたのか、あるいは相手側の妖美が病的な姿によって作られたかの何れかである。

 「じゃあ、今宵はその縁を大事にして頂こう」
 「でも、書生さん。どこかスッキリと生きていらっしゃる。そういうところ、好きですわ」
 「ウソ八分にしても、あとの二分に期待が掛り、やはり困ってしまう」
 「書生さん、おタバコお吸いになりませんの?」
 「ああ、吸わない。生まれてこの方、タバコはやったことがない」
 「中学や高校の頃も?」
 「やったことがない」
 「真面目だったんですね」
 「いや、不真面目だった。ただ吸う体質でないんでね」
 「不思議な方ですのね」
 「どこが?」
 「ご自分では天下の素浪人と言っておきながら、何処か落ち着き払った余裕がある。だいいち経済的困窮の臭いがしません。反対に、ご自分を不真面目だと言う。そう言う人は、口とは裏腹なことを言います」
 そう聴いて、苦笑する以外なかった。私自身を嗤
(わら)ったのである。

 この女性の肌の白さはどうだろう。
 皮膚の透き通るような白磁のような滑らかさはどうだろう。こう言うのを霊的に検る能力があれば、これに気付く。一方常人なら、またその女性の信者なら、恐るべき美肌と映ろうが、深層まで見抜く賢者であれば見逃さない。疾病であると直ぐに見抜く。つまりこの女性には病が取り憑いているのである。病が、まさに膏肓
(こうこう)に入らんとしている。この病は容易に治らない。それは白磁のような蒼白(そうはく)なる美しさと映る。
 見者の目で能
(よ)く検ると、頬(ほほ)から顎に掛けての流れるような「水走り」の稜線が実に艶(なまめ)かしい。動作や仕種(しぐさ)が途切れず流れている。以前、こう言う女性を見たような気がする。果たして誰だったか?……。もう、遠い日のことだった。そのとき確かに、同じような女を見た。

 「学校、どこ?」
 「聖心です」
 「聖心?……」いらぬことを訊いたと思った。
 「何か、お心当たり?」
 「いや、別に……」
 今の家内の前の前の前?……の女房だった女が聖心だった。厭なことを訊いてしまった。
 「でも、訝
(おか)しいですわ」
 「どこが?」
 「だって豹変なさったもの」
 「まさか文学部なんて言うんじゃないだろうね?」
 「その通りです」
 「げッ!……」
 これを聴いて愕然とした。厭なことを思い出したからである。この別れた女房は、私より二歳年上で、母との折り合いが悪かった。犬猿の仲であった。この板挟みになって苦労させられたものである。
 「何が、げッなんです?」
 「いや、大したことはない。失言だった」
 「失言ですって!……」
 「いや、全くの失言……、失敬、失敬……」
 「聖心の文学部まで言い当てておいて、どうして失言なんです?」
 「いや、その……」
 「その、なんです?!」何故か迫る。
 「まさか、英語学科なんて言うんじゃないだろうね」
 「あたくしは日本語日本文学科です」
 「ああ、救われた」
 「何が救われたのです?」
 「そういう確信に迫る尋問はしないでくれないか……」
 「そこまで隠されると、人間って、訊いてみたくなるものですよ」
 「今日は日が悪い……、また出直すよ」
 退散を考えた。息が詰まるのである。
 「あたくし、病んでいるんです」
 「うム?……」
 妙なことを言い出した。
 私は最初若女将が、何かの病魔に冒されているのではないかと検
(み)た。しかし本人は、それを知らないと思った。だが、そうではなさそうだ。自分でも気付いているらしい。
 私が腰が引けて退散するのを阻止するのか、彼女の表情にこれまで以上の憂いが漂った。
 そして、瓢箪に注いだと思える酒を差し出して、こう言った。

 「もう一瓢
(いちびょう)くらい如何ですか。それを汲(く)むのも悪くありませんよ」
 実に風流なことを言う。徳利一本を《一瓢とは》と、こう表現する彼女に感心した。そして艶麗
(えんれい)な表情を作った。
 見ていて惚
(ほ)れ惚れとし、それが実に美しい笑顔であった。私は美人には弱くないが、女のああいう笑顔には弱い。
 「一瓢とはいい言葉だ」
 「少しくらい居座っても移りませんから。それとも、あたくしが相手ではご不満?」
 この言葉自体が実に妙である。
 「いや、滅相もない……」
 「じゃあ、言い掛けたこと、話して下さいますか」
 「ついにそう来たか、まさに王手だ。玉
(ぎょく)危うしだな」
 「どういう意味です?」
 「観念するよ。実はなあ、前の女房が同じ学部で同じ学科だった。二つ上だよ」
 「書生さんは何年生まれ?」
 「女将こそ、いや若女将こそ何年生まれだい?」
 「女に年を訊くのですか」
 「いや、失敬。昭和23年だ」
 「ということは、前の奥さまは21年生まれ。つまり九紫火星ってことですよね

 「若女将は『九星気学』に凝っているの?」
 「ということは、書生さんは七赤金星……」
 「そう、天下の大悪党の七赤金星」
 「あたくしと同じ」
 「まさが同級生でもないだろう?」
 「そのひと回り下」
 「ということは、32年生まれ」
 「ご名答。でも、七赤金星と九紫火星は相性が問題です。これでは七赤金星が啖
(く)われますわ」
 「だが、九星なんかに凝ると気が触れる、この気学は“気違い学”というからな」
 「どうしてです!」キッとした観があった。
 私は、八門遁甲の大家の内藤文穏
(ないとう‐ぶんいん)先生の受け売りをしていた。
 「一言で説明するのは難しい。まさか君も、一言で云えないのなら、二言でも三言でも構いませんよと言うんじゃないだろうね」
 「面白いことを言う方……」
 「受け売りだ、どちらもね」
 「ますます分らないことを言う。話を複雑にしないで下さらない、あたくしにはさっぱり分りませんわ」若女将が可愛く拗
(す)ねれ見せた。
 「あのなあ……」
 「なにか……」
 「その……、悩殺するような、そういう流し目のポーズをしないで欲しい。堪
(こた)えるんだ……」
 「どこに?」
 「いろいろとだ」
 「いろいろと、お悪いの?」人の貌を覗き込むように言う。
 「それそれ、そう言うのが特に悪い、そういう眼をされると堪えるんだ」
 「おかしな方……。直ぐ人を話術で煙に捲くのですもの、取り込まれますわ」
 「とにかく一瓢だけ頂く、そしたら帰るから……」
 「だめ!知っているでしょ、あたしのこと?」見抜いた筈だという言い方であった。
 「どうして知っているんだ、今日あったばかりなのに……」
 だが私には若女将の、膏肓
(こうこう)に入らんとする病を垣間みたのである。つまり、それは心臓の下、横隔膜の上に疾病がある。病がそこに入ると、容易には治らない。そういう不治を抱えているのだろう。かつては漢方名の労咳(ろうがい)を指したが、現代医学でも手の付けられない不治の病と言っていい。
 それは時折見せる、やや斜めに傾げた項
(うなじ)から流れる妖艶さと、男を悩まし、頽廃(たいはい)する媚に誘う「何か」を勘付いてしまったからである。更に、髪は和服に併せて美しく結い上げているが、力の象徴たる髪の毛に何となく勢いが足りない。私はそれを即座に見て取ったからである。力のあるべき女の髪が、何故か弱々しく解(ほつ)れ毛になっている。明らかに疾病である。更に、自分でも妙なことを言った。自分で「病んでいる」と言った。

 「あたくし、媚に病んでいるのです、お分かりでしょうか」
 「それはいいよ、その話はよそう。飲むぞ!今日こそ散財するぞ!遣い果たすぞ!」
 何となく場が冥
(くら)い。景気付けが必要である。
 「お付き合い致しますわ」そう言って客席に廻って来て、私の横の席に坐った。
 若女将は美しい。だがこう言う美人も、やがて萎れる時が来る。人は病んで萎れる。
 媚に病んでいながら、それでも美しいとするならば、それは自らの裡
(うち)に潜む精力を、己自身で妖艶にしているからである。あるいはそういう錯覚に陥れるためである。自分を美しく見せるために、性命を刻々と消耗させているに違いない。根本には疾病が巣食っている。性命エネルギーは普段とは逆方向に流れているのではあるまいか。
 そして自らを鼓舞して、性命力を駆り立てて擦り減らしているように思えた。妖美なる病を進行させているのである。透き通るような白磁のような白さの病因が分ったような気がした。
 所詮、妖女の生きる世界は白昼の下でないのだ。陽光は余りにも眩
(まぶ)し過ぎるのであろう。陰影の薄暗さだけが、その白蝋のような美を保護しているのである。
 何故なら、陽光は女の虚飾を忽ち白日の下に曝してしまうからである。妖艶美は白日の下では生き残る術がないからである。妖艶な美は、陽光では生き延びることはできない危険な美であった。

 この夜、私は前後不覚になるまで酔ってしまった。酔い潰れた。その後のことを全く覚えていない。不注意で油断をしてしまった。ついに家に帰らず終いであった。拙いことをした。
 そして、朝方眼を醒
(さ)まして、辺りの景色が違っていることにびっくり仰天したのである。
 起きて烈しい反省が疾った。
 此処は一体何処だ?という疑問ではなく、最初に思い当たったのは、これまで見たことのない明らかに異空間であり、全くの他人の家であった。調度品が余りにも高級なものばかりであり、それゆえ更にびっくり仰天したのだった。
 《これは大変だ!》私の貌は顔面蒼白になっていたに違いない。
 そのうえ昨夜まで着ていた衣裳が脱がされ、見覚えのない上等のガウンまで着ていた。
 もしかすると、その筋の何処かの家に勝手に上がり込んで寝たのかも知れない。
 《偉いこっちゃあ、これは大変だぞ!》私は思わず、そういう悲鳴を上げそうになっていた。もし、今ここに亭主と思
(おぼ)しき親分然としたその筋の御仁が顕われたら、それだけで口から心臓が飛び出してしまうだろう。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法