運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 45

近年では、“持て成し”とか“接待”という言葉が頻繁(ひんぱん)に使われている。
 そもそもこういう行為は、ビジネスに絡む近年の流行のようである。日本には古くから一部に在
(あ)った習慣などが、マスメディアの画策人によって、流行として仕掛けられ、金に絡んだ現代流のビジネスになった。だが経済的余裕があっての物種である。
 持てないし及び接待は、「拘泥
(こうでい)」と言う、奇妙な意味をもつ“こだわり”と共に、近年のリバイバル的な流行語になったようである。

 さて、持て成しとか接待と聴けば、寔
(まこと)に善きことのように聴こえる。
 しかし、それは金持ち相手の言葉であることは明白である。
 金銭を気前よく遣う人に対して用いられる言葉である。
 周囲にひと撒
(ま)きも、ふた撒きもして、たくさん浪費をしてくれる人に対して使う言葉である。貧者には決して使われない言葉である。貧者は無い袖は触れないからだ。それに値する対価相当の金額が払えないからだ。貧者は指を銜(くわ)える以外ない

 持て成しとか接待とかは、単刀直入にいえば、大判振る舞いに対しての媚
(こび)であり、それに対しての持て成しをする馳走や饗応のことであり、相手は金持ちである。貧者でない。
 また、背景には経済効果を当て込んだ目論見が、これらの行為の原動力になっている。
 一方底辺の下層階級は、こうした“持て成し”を受けることは絶対にない。媚を売るにも、そこまで経済力がないからだ。


●煽動術

 ある晩のことである。
 「けんかだ!ケンカだ!喧嘩だァ〜!……」
 遠くから語尾を曳いた聲
(こえ)が聴こえて来た。
 しかしこの聲
は何故か喜々としていた。嬉々と弾んでいる。この弾んだ裏側には、これから面白い活劇が始まるくらいにしか思っていない傍観者の心理があるようだ。あたかも喧嘩を触れ回る「先触れ」である。
 「喧嘩だ!」と聲を張り上げて伝習塾に駆け込んで来たのは明林塾の塾生で、また習志野綱武館の道場生で高三生の宮内某君だった。
 別に慌
(あわ)てているふうでもなく、取り乱しも感じられず、どちらかというと血滾(たぎ)り、心躍るという一種の“はしゃぎ”に似た感覚で伝習塾に駆け込んできた。
 だが喜々ぶりが、何処となくお祭り騒ぎである。なぜか浮かれている。この聲が、私を噛ませ犬に仕立て上げていた。
 人間は得体の知れない感情に支配されると盲目になることがある。またその心理を突いて、言動に煽られることがある。煽動者の誘導である。
 もしかすると、彼には煽動者の才があるのかも知れない。一触即発を演出して、無関係なものを煽動の渦に巻き込む。
 彼には“お祭り野郎的”なところがあるようだ。

 暴動は煽動者に煽動されて起こることが知られている。
 民衆蜂起などは背後に煽動者が居て、民衆を兇暴な噛ませ犬に仕立て上げる。
 双方を敵対させ、啀
(いが)み合わせ、嗾(けしか)ける術がある。これを「煽動術」と言い、立派な兵法である。
 歴史が動く時、必ず裏に煽動者がいる。煽動者は人間の行動理由を知り尽くしている。
 人間の行動には偶然と言うものがない。偶然は殆どないのでなく、全くない。
 偶然と思えるものにも人智の計り知れないところでは必然が存在している。この必然は因縁と置き変えてもいい。因縁は清濁
(せいだく)(あわ)せ呑み、善悪綯(な)い交ぜの因果によって引き起こされる。引き起こされる以上、人間は何かに引っ張られて動機を作っていることになる。当然、ここには引っ張ったり、引っ張られたりの作用と反作用が働いている。その作用の意味が、行動には付随されているのである。

 例えば、手を動かすとか、首を傾げるとか、こうした僅かな動きにも偶然はあり得ず、何らかの意味を持っている。しかし、人間はその意味を知ることが出来ない。そこで人智では解明出来ないことを“偶然”と決め付ける。肉の眼で確認出来ない藕糸
(ぐうし)の隠れた部分が見えないから、必然でも、偶然と映るのだろう。偶然の正体は、この思い込みである。

 更には暴動が起きたり、蜂起
(ほうき)が起こるのは、群集心理によるものであるが、背景には「小人は同じて和せず」という言葉が示す通り、小人が暴徒化して群れるのは煽動による場合が多く、煽動者は群集の動きを心得ている。また騒ぎは人心を呼び集める効果がある。そして集めた後、人心を暴徒の渦の中に巻き込む。
 暴徒は徐々に殖え、人間が集団化すると昂
(たかぶ)る様相を見せる。
 それには理由などない。
 理由無しの暴動に、煽動者は術を用いる。これが「煽動術」である。
 藕糸には意味はあるが理由は存在しない。この術は大衆とか群集化した民衆とかを、付和雷同に陥れる術でもある。

 歴史の転換期には名人級の煽動者が顕われ、大衆を操り、あたかも暴動や蜂起が自然発生的に起こったように見せ掛ける。しかし近代史の多くは背後に煽動者が居て、隠微な集団を放って暗躍させる。走狗である。ゴロツキである。水面下で暗躍する工作員である。手先と言われる輩
(やから)である。この輩を煽動者は操る。
 腕利きの煽動者であれば変化の転機点に、転覆シナリオの過激思想やイデオロギーを持ち込み、その切っ掛けさえ与えれば、大衆は難なく動く。暴徒化する。
 特に十八世紀以降の世界の歴史には一つの流脈によって、人工的に誘導された嫌いが濃厚である。
 また此処まで大掛かりな仕掛けでなくとも、煽動は日常茶飯事に起こっている現象である。

 例えばデマの類
(たぐい)であり、顕著な例を上げれば、「明石花火大会歩道橋事故」(2001年7月21日に発生し死者11人、重軽傷者247人を出した群集事故)である。此処での事故要因は幾つかあるが、透明なプラスチックの側壁に覆われた構造自体に問題であり、そのため当日は蒸し暑く、内部は蒸し風呂状態であった。そこに心理的な焦りが生じ、早く此処から抜け出したいと誰もが思う。
 この状況に加えて、“茶髪の青年が無理に押したことで群衆雪崩が起こった”と新聞に報じられ、またこの“茶髪の漢
(おとこ)どもが歩道橋の天井によじ登って、騒ぎ、不安を煽り立てた”とあり、これも「不安を煽り立てた」ということから一種の煽動の類である。
 群集に焦りを齎し、次に命に関わる不安を掻
(か)き立て、大声で騒ぐ。これだけで群集を混乱させる立派な煽動である。

 これを民衆の暴動や蜂起に置き換えたらどうなるだろいうか。
 民衆の裡
(うち)には、日頃の虐(しいた)げられた鬱積(うっせき)が溜まっている。
 特に、持たざる者が持つ者に対しての嫉妬と憎悪は深い。埋まらない溝があり、確執がある。この不和が臨界点を超えたらどうなるか。
 一気に特異点を迎えるだろう。そして一旦動き出した暴力は、なかなか阻止し難い。怒りで沸騰した動きを止める術
(すべ)がない。如何なる力をもってしても抑止は不可能で、行き着くところまで見送るしかない。
 人間の深層部にはさしたる理由が無くても、暴れ回る虫が棲
(す)み付いている。暴動はリクレーション化しやすく、日頃の気鬱(きうつ)の発散源となる。これは充分に「祭り」の変わりになり得よう。

 かつては、孔子によって「祭りには礼が必要とされた」のは、人間の道から脱線しないような節度を礼によって順守させようとしたからである。
 孔子は、そのことを礼によって学べとしたのである。礼を学ぶことが如何に大事か、孔子は歴史を学び、あるいは経験から礼の必要性を学んだのである。
 これを学ばねば、節度は乱れ、秩序は崩される。孔子は世の中の混沌の怕
(こわ)さを知り抜いていた。
 言わば、煽動者はこの節度や秩序を熟知しつつ、それを乱し、崩すにはどうしたらいいか、その術を会得した術者と検
(み)ることができよう。

 この日、私は本日の塾での学習指導もひと段落付き、終日に寛
(くつろ)いで遅い夕食を取っている時刻だった。時には塾の手伝いもさせられる。つまり私には“飯炊き女”が必要だった。そこで家内を北九州から今年の2月に呼び寄せたのである。
 塾を手伝っている間、家内が交代して夕食に準備をする。その僅かな時間に食事を作る。居候分もである。ここまでは順調な滑り出してである。気付けば夜11時を回っていることが多い。
 そんな今日この頃だった。
 こうした時に、宮内某が駆け込んで来た。然
(しか)も“はしゃいで”である。
 この日は、内弟子の“テツ”も、明日の仕事に備えて床に就いた時だった。テツの朝は早い。早寝の習慣がついていた。
 野郎は、習志野空挺団の下瀬上等兵がパラシュート降下で大怪我をして入院して以来、寝る時間が早くなっていた。夕食も“ネコまんま”のような飯を掻き込んで直ぐに寝る。
 テツは秋葉原のある病院で、外科手術の後片付けの仕事を見付けて、清掃員として病院に雇われた。朝六時に起きて、六時半前に出勤する。
 交通費を遣繰りしているようで、大久保からJR津田沼駅まで徒歩と駆け足で向かい、総武線に乗って秋葉原に向かうのである。頭の片隅には原始的なものが巣食っていて、その考えが抜けないらしい。節約を考えているのか、何か目的があって貯金をしているのかは知らないがコツコツと小銭を貯めているらしい。

 着ている物も、習志野綱武館の道場生から古着を貰ったらしく、労務者風の作業着から脱皮し、それなりの恰好をして毎朝通勤する。一応、畏
(かしこ)まってネクタイはしているが、中身は労務者だった。仕事の内容を訊くと、外科手術後の切断した臓器の肉片や骨などの後片付けをするという。決して気持ちのいい仕事ではなかったろうが、やっと見付けた仕事というので休まずに通勤していた。
 朝六時になると、まず家内に起こされる。
 テツは私たちの棲むボロ病院跡の、入口受付の三畳ほどの部屋で寝起きしていた。だが、この漢
(おとこ)は寝起きが悪い。朝の早起きができない。
 六時5分前になると家内が起こしに行き、六時になると目覚ましが鳴る。目覚ましを2個仕掛けて寝ているのだが、寝起きが悪いために中々起きてこない。それで家内が起こしに行く。だがこれでも起きない。

 次に六時きっかりになると、けたたましい目覚ましの音がボロ病院跡内に鳴り響く。野郎のボロ目覚ましがけたたましい音を上げる。それと同時に、「テッちゃん、早く起きんね!遅刻するやないの!」と家内の怒鳴る声が聞こえる。
 それでも起きようとせず、愚図を引き摺る。
 寝ている私も煩
(うるさ)いので、ついに怒り心頭にきて「やかましい!」の一喝で、テツはゼンマイ仕掛けの人形のように飛び起き、朝食も食べずに走り出して行く。
 私の「やかましい!」は“早く起きろ!”と同義だから野郎の目覚ましは、私の怒鳴り声であった。
 こうした目覚まし時計の音、家内の罵声、そして私の「やかましい!」の三つが連鎖して、やっと起きて飛び出していくという日々が続いていた。静かな日々を送りたい私には、いい迷惑だった。
 そのうえ今度は、家内の労働歌擬
(もど)きのインターナショナルならぬ、“ド演歌”が響き渡る。トリプルで遣られる毎朝の騒々しさである。
 それゆえ静寂の取って置きは、夜だった。夜は、私にとって寛ぎのときだった。
 そうした平和な夜中に、「けんかだ!ケンカだ!喧嘩だ!」の飛び込んできた。それももう直、午前零時になるときである。
 進龍一はこの時刻を廻っても授業を続けていた。そうした時刻に何らかのトラブルがあったらしい。しかし私には預かり知らぬことであった。
 一杯気分でいい気持ちになっているとき、こうした駆け込みは甚だ迷惑だった。誰が喧嘩しようと知ったことではない。しかし、宮内某は大騒ぎしている。はしゃぐように騒ぐ。増長するように騒ぐ。その騒がしさは雀の如きである。迷惑この上もない。

 「宗家先生、進先生がチンピラどもに囲まれて、大変なことになっています。大至急、応援を求めてこいと言われました」
 「なに?進が……。いや、ほっておけ。奴は四人や五人自分で片付ける。その手のチンピラどもに手を焼くほどヤワでない。安心しろ、奴は自分で解決する」
 「違います。四、五人ではありません。有に十人以上はおります。かなりの数です。囲まれて大変なことになっています。一触即発の状態です。進先生がやられます。事は重大なんです、宗家先生を直ぐに呼んで来いと言われました」矢継ぎ早に言う。
 「なんで、そうなったんだ?」
 「何日かまえ、明林塾の玄関で高校生と思
(おぼ)しき不良どもが、ウンコ坐りして三人ほどがタバコを吸いながら騒いでいたそうです。それを進先生が注意したのですが、言うことを聞かず、奴らをボコボコにしたそうです。それで今度は、この街のある組のチンピラに頼んで仕返しに来たそうです。それで因縁を付けられ大変なことになっています。塾の玄関前には高校生の糞ガキとチンピラどもで進先生を取り囲み、今にも喧嘩が始まるような状態になっています。糞ガキどもも、バックに組のチンピラが居るので勢いづいています。進先生は取り囲まれて脅されています。宗家先生、大至急救援に来て下さい!」
 宮内某は懇願するように言う。否、煽っているのかも知れない。
 それに、どこか喜々とした表情であった。野次馬を決め込む好奇の眼があった。
 この高校生のガキは実際の、本物の武道以外の、アクション映画並みの派手な「立回り」を見てみたいという好奇心に駆られていたようである。ハードボイルドの“ナマ”の活劇が見たいのであろう。そのために噛ませ犬を嗾
(けしか)けている。プロレスや格闘技の観戦者の心理である。観戦時の声援は、声援には程遠い、ただ嗾けで烈しい怒声が上がる。声援ではない。
 まさにこの坊主の嗾けは、その怒声であった。あたかも煽動者の如し……であった。
 やはりこの坊主は煽動者の才があるらしい。口車で人を乗せるのが巧いのである。お祭りでもないのに、派手なお祭りを演出している。話を膨張させるのが巧い。

 私も仕方ない……という気持ちで、やっと重い腰を上げた。あるいは晩酌の酔いで、つい軽い乗りで乗ったのかも知れない。後先を考えない、行動としては実に軽薄であった。他人ばかりを責められない。行為は自らに還るからだ。
 「こんな時間に困った奴だなあ、酔っぱらいを引っ張り出して……」
 渋々、のろのろと重い腰を上げた。
 「奴らは多勢に無勢ですよ。武器を持っているかも知れません。日本刀か何か、持っていった方がいいのじゃありませんか?」と、宮内某は言う。
 「それも、そうだな」安易に返事をした。乗せられた誘導尋問に、安易な相槌
(あいづち)であったかも知れない。酔っているとは言え軽率である。

 しかし私は、一度は日本刀を手したものの《いや、待てよ。日本刀を抜いて暴れたら、チンピラと言えどもまずいことになる。日本刀は駄目だ。酔った勢いで大暴れすれば、これだけで正当防衛とはならない……》ということを考え直した。それだけの反芻
(はんすう)してみる余裕があった。それで日本刀は止めた。気違いに刃物になる恐れもあった。
 素手で遣ろう……、そう思ったのである。
 最初は素手で助太刀に出かけようとしたのだが、ちょうどその時、古いコピー機の上に置いてあった金槌
に目がいった。それは宮内某も同じだった。
 「宗家先生、では金槌にしますか?」と彼が訊く。このガキはどうしても血が見たいのである。心の何処かで流血騒ぎを期待している。
 「それもそうだな、ではささやかに金槌にするか」と言って金槌を手にした。
 これがバカの始まりだった。遂に乗せられたのである。あたかも死神に手を引かれて暴走の渦の中に入って行くようなものだった。

 もしかすると、この坊主は血を見るのが好きなのかも知れない。
 扇動者の赤旗は、単に革命派の旗印とか、労働組合の旗印だけでないらしい。人間の血液の色の赤を顕していると言う。哺乳動物がこの色を見て、血が騒ぎ、熱狂し、人々とともに破壊に没頭出来ればいいのである。結末には、仮に棄市
きし/古代中国の刑罰の一種で、首謀者を公衆の面前で死刑に処し、その死骸を市中に曝すことを言う)の運命が俟っていようと、騒ぎに没頭できる瞬間があればいいのである。暴徒の渦の中に身を浸すことに、興奮の「今」がある。騒乱を通じて、暴徒に変身することに意義を見出すのである。それを煽るのが煽動者である。
 だが危険な企画に考えを遊ばせていることには全く気付いていないらしい。刻一刻と剣呑さが増していることは本人も思い及ばないらしい。
 私はこの坊主に一言いってやりたかった。

 《おい、宮内君よ。君は大学を卒業したら、おそらく企業に就職するだろう。そしたら先ず労働組合に入ることだ。そこで二、三年組合員として修行し、会社側に楯を突く理論武装をすることだ。
 武装の論理は首脳陣の粗探しと、捏造で、内部告発のストーリー展開を組合員とともに考え出し、それを習得する。そうすると、君は腕利きのアジテーター
(agitator)になるだろうよ。
 組合員の心の勘所を巧みに捉え、言辞を駆使する話術を使って、彼らを易々と操る。また総評などに派遣されて、革新政党に加入すれば、中央を指導したり各企業の組合に派遣されてオルグ
(organizer)で活躍出来るかも知れない。煽動術を極めれば、サラリーマンの何倍も上を行く優雅で、富豪並みの労働貴族になるのも夢じゃない。サラリーマンの勝ち組なども遠く及ばないところだ。
 また企業の組合評を纏める人心掌握術を学べば、全国区から打って出て、楽々と国会議員にだってなれる。それだけお祭り騒ぎの口を持っているのなら、その話術能力で、充分に喰って行ける》

 とにかく、この坊主は乗せる話術が巧みであった。
 臭いで、私がアウトローであることを嗅ぎ分けているのかも知れない。その意味では、もう立派なアジテーターである。後は暴発するのを俟
(ま)てばいい。やがて乱闘が始まる。
 彼の頭の中は、騒擾を煽る小気味のいい“お囃子
(はやし)”の音楽が鳴っているのだろう。

 この遣り取りをテツも、耳をそば立てて聴いていた。
 野郎はこの夜寝付かれずに、寝耳を立てて聴いていたのである。むっくりと起き上がって来た。
 「宗家先生、自分もお供させて下さい」と願い出るのである。
 「お前は、明日仕事だろう?」と切り返すと、「いや、構いません。喧嘩は趣味ですから加えて下さい。自分も喧嘩道具くらいは持っていますから」と言う。
 野郎も鬱憤
(うっぷん)を晴らしたかったに違いない。
 「どんなもの持っている?」と訊くと、「鉄パイプを持っています」と言う。
 「見せてみろ」と言うと、自分の部屋に戻り、30cmほどの鉄パイプを持って来た。
 よく見ると確かに鉄パイプで、自作の形跡があり、尖端には焼きが入れたあった。
 《この男も、やはり喧嘩師だな……》私はそう思い、後ろに二人を従えて、家内には直ぐ帰ってくるからと言い残して飛び出して行った。

 大久保十字路の信号機を渡った、銀行の前に一台の高級な黒塗りの3ナンバーの車が止まっていた。その車に“試し撃ち”ではないが、金槌の尖
(とんが)った方をその車のボンネットに向けて打ち込んでみた。三回ほど打ち込んだら、どれもスコッ、スコッ、スコッと気持ち良く突き刺さり、黒塗りの3ナンバーは見事に穴が開いていた。
 その時、テツが驚いたように声を上げて、「ああッ、そんなことしたら……」と言う。一応の常識は持っているようだ。むしろ私の方が非常識だった。
 テツは、私が狂えば兇暴であることを再認識したようである。

 野郎は、“この先生が狂うと、とんでもないことを仕出かすぞ……”などと思ったに違いない。
 私は《それが、どうした?》という気持ちで直行した。すると進龍一がチンピラどもに囲まれ、今にも殴りかからん一触即発状態になっていた。大声で脅
(おど)され恐喝事件の現場を見た。
 この脅しに、奴は耐えられるか?……そんな疑念が疾
(はし)った。
 しかし、そんな疑念を抱いても仕方ないことであった。今は「行動」であった。アクションであった。私は突然チンピラの中に躍
(おど)り出た。それは有無も言わさずである。無分別にである。無分別こそ、私の“狂”の一字を代表するものである。
 戦いは、“実戦”である。詭道
(きどう)も“有り”なのだ。詭計を図ってもいい。
 試合・喧嘩・戦いと言う三者は、一見似ているようで全く似てない。試合と喧嘩は、相手が死ぬまでやり合わない。死ぬ寸前で決着が付く。追い込んで終わりである。殺すまでは遣らない。
 ところが「戦い」となると事情が違う。このことが現代日本人はよく分かっていない。
 戦いは人の殺傷を超えた次元で戦いが起こる。ルールもないし、卑怯も、へったくれもない。先ず生き残らなければならない。この次元が違うところだ。次元の違いが、喧嘩と戦場の違いだった。本当の意味の修羅場は、戦場にしかない。修羅場の凌
(しの)ぎにストリーはない。行動したことが、後に面白可笑しく書く加えられ、ストリーになるのである。
 戦いは非情なものである。
 兵は詭道というが、戦いには人を欺
(あざむ)くような遣り方が罷(まか)り通り、奇手が用いられ、裏をかいたり奇抜な手段が用いられる。詭計有りだ。以上の三者を取り間違えると、後で取り返しのない状態が発生する。死人に口無しだからだ。
 後でその国家に媚びうる人間に、理由付けされて御託が並べられ、それに尾鰭
(おひれ)がついて歪曲(わいきょく)され、執拗にねじ曲げられて、創作の仮託が付け加えられる。敗戦国はその憂き目を見る。

 一方ルールがあるものは観戦が目的であり、卑怯な奇手を許さないため、武器の使用が許されない。また、観戦目的が主体であるため、観戦者は円形の土俵か、四角いリングを取り囲むことになる。そのうえ時間制限まであり、相撲の場合は行司
(ぎょうじ)がつき、レスリングやボクシングなど、それに付随する格闘技はレフリーが付く。そして、対戦相手を殺しては駄目である。
 古代の観戦スポーツでは、死をもって格闘が終了するというものがあったかも知れないが、近代ではこうしたことは流行
(はや)らなくなった。レフェリーの判定により、その優劣が下される。

 ところが、現代の観戦論は違う。フェアーを重視する。
 現代の戦いは、観戦スポーツの観が強い。観戦者は、あたかも通りすがりの傍観者のようだ。傍観になる側も野次馬的である。面白半分に観るだけである。
 ルールに従い、フェアーでないと観衆受けしないからである。これが観戦スポーツの特徴である。観衆は分かり易いものを好む。単純なものを好む。また穢いものを嫌い、清潔かものを好む。庶民・大衆の全般の心理である。公平を好むのである。
 そのために単純明快であり、誰にも勝負の白黒がはっきり付き、勝者と敗者の区別の付くものを好む。こうしたルールに、太平洋戦争を負けた日本人は、長らく慣らされてきた。
 その結果、本当の戦い方を忘れてしまった。意識の中で、詭道を見失ったのである。
 兵法で言う、“兵は詭道なり”を見失った。

 しかし私は、兵は詭道なりの実践者だった。戦いの実践者だった。実戦の何たるかを知っていた。
 取り囲むクズどもを、片っ端から叩きまくった。有無も言わさずである。奴らは何が起こったか分らないでいる。奴らの頭上に突然、訳の分からない災難が起こった。奴らにしてみれば、まさに災難だった。頭上に無分別な連打が疾ったからだ。
 気付いた時には、半数が血だらけになっていた。

 この惨劇に進龍一も、口をぽかんと開けて、茫然
(ぼうぜん)とした顔つきで、兇暴なる私のアクションを見ていた。野郎も、暫(しばら)く何が起こったか把握出来ないでいた。
 私の「狂」を買い被りした観があったのではないか。
 私は自分で、こんな「狂」が眠っていることに驚いた。我ながらに驚いたのである。
 心の中で、《俺って、何て兇暴な人間だろう》という、二重人格の眠っていたことに、自分でも驚いた。しかし遣ってしまったことは元に戻らない。
 気付いた時には、派手に立ち回っていた。こうした立回りに勢い付いたのがテツだった。
 テツは野郎の性格上、喜々として暴れ回る。
 喧嘩慣れしている男は、勢いづくと始末に悪い。チンピラども相手に縦横無尽に立回っている。その性格の狂暴性が現れていた。それに、野郎独特の改造鉄パイプを手に握っていた。それは野郎と一体だった。世の中には凶器を握らせたら、急に強くなる人間が居る。野郎はそのタイプの人間だった。
 素手では、“いまいち”だが、凶器を持つのと、急に強くなる人間が居る。そんな人間を、野郎は彷彿とさせた。

 遠望して、「強い!」と思うのだった。得物を持たせると人格は変貌して強いのである。それがまた喧嘩慣れしていた。
 素手では大したことはないが、刃物などの凶器を握らせたら、とんでもない動きをする者が居る。そんな人間がテツだったかも知れない。野郎は莫迦
(ばか)に勢いづいていた。動物を平気で殺す、屠殺人(とさつにん)を彷彿とさせた。
 しかし、こういう私も勢い付いていた。どちらが兇暴か分からないくらいだ。
 脅した方が被害者となり、救援に出掛けた方は完全なる加害者だった。そして辺は、進龍一が予想したのとは、別の大惨事のような地獄絵が繰り広げられていた。
 この戦いは一方的だった。
 兇暴なる狂った男二人が、一方的に暴れ、それで呆気なく片付いてしまったのである。
 進龍一の塾の前には、その筋と思える“ヤーさん”の不動産屋があったが、そこの若い衆が、男二人の大立ち回りを見て、「うあっちゃあ〜、あいつら、何て兇暴なんだ」と声を漏らして、この様子を傍観していた。このヤーさんは、惨劇の唯一の目撃者だった。
 そして一方的な勝負は、加害者になったチンピラどもが、血だらけで近くのコンビニに逃げ込み、助けを求めて「け、け、け……警察に電話して下さい」の救援以来で決着がついた。

 しかしテツだけは、血だらけになったチンピラを、まだ殴っていて、「降参した者を殴るな!」と一喝で、野郎の腹に一発蹴りを入れて、総ては終了した。
 私は、遣らかした惨事の状況把握もせず、テツを連れて引き上げたのである。これ以上の殺生はしない。
 進龍一だけは茫然と立ち竦
(すく)んでいたが、奴はこの後始末がどういう結果になるか、それを必死で考えているようだった。奴の頭には、「これはただですまないぞ」という恐怖心が疾っていたのかも知れない。しかし私はお構えなしだった。ただですまないことを落着したからである。意気揚々と引き上げた。間抜けである。

 つい度が過ぎて大立ち回りを遣り、これがいけなかった。
 このことで「習志野所払い」を喰らったのである。
 このときは、これで一件落着と思い、引き揚げたが、真夜中、警察に寝込み襲われた。真夜中、叩き起こされ、パトカーに私とテツが押し込められた。一路習志野警察署へ。
 しかし、一番乗りは私とテツでなく進龍一であった。奴は警官から厳しく詮議を受けていた。
 「何であんな人に恃
(たの)んだんだ!」と、厳しい取調べを受けていた。
 この詮議を横目で見ながら、私とテツはそれぞれ別の取調室に連れて行かれた。犯行者であるから、腰縄に手錠である。その状態で取調室に入れられ、手錠だけを外された。
 「先生も困った人だ」嘆くように言う。
 こう私に話し掛けたのは、同警察署の刑事課の老係長だった。好意的な人である。
 取調中は終始、私を「先生」と呼び、コーヒーを奨めたり、「腹が減ったでしょ、寿司でも取りますか」と奨めて、何とも奇妙な刑事だった。
 習志野警察署では一時身柄が拘束されたが、翌朝には釈放となった。思いもよらぬことであった。しかし釈放前、老係長から根掘り葉掘りと家族構成を訊かれた。
 ただ釈放されるとは思ってもいなかった。ややこしくなり事件と考えていたからである。
 「さて、今日も一泊ですか?」
 それは朝の感想であった。
 私の脳裡には、警察で48時間、検察庁で24時間の、計72時間の拘留時間がこれから始まるのだと、そのようなことが過
(よ)った。これは観念するしかない。
 そう観念した矢先であった。
 釈放だと謂う。
 釈放……という言葉に一瞬拍子抜けしてしまった。まさかと思ったからである。

 「釈放?……」
 耳を疑う気持ちで訊き返したのだった。
 「もうそろそろ奥さんがみえる頃でしょう。奥さんに身許引受人になってもらいました」老係長は、にこやかさをたたえて言う。
 こうした一切は、既に昨夜のうちに手配されていたのだろう。老係長は、手筈通りに動いていたという観があった。
 「家内がですか……」
 「先生の奥さん、随分若い人ですね。最初、娘さんかと思いましたよ……」と妙なことを言った。
 こうした言い方をされたのは、この老係長だけではなかった。他にも、年齢差において誤解されることはよくあった。

 この老係長は、やはり「刑事の貌
(かお)」を持っていた。
 昨晩のうちに、わが家を訪ねたのだろう。そして家内が、ただの愛人か、そうでないか、即在に戸籍まで調べたのだろう。過去の犯罪歴等を福岡県警に照会したのだろう。考えられそうなことだった。警察は24時間フル稼働しているからだ。
 老係長は、私の家内の身許に対して、興味本意と思えるような訊き方をする。あるいは家内の童顔がそう映ったのだろうか。
 「家内が若いように見えるのは、おおかた、ひと回り違いますからねェ……、それに子供も二人居ます」
 私の回答は此処までだった。
 暫くすると、若い刑事の案内されて家内が遣って来た。
 「主人が、ご迷惑おかけしました」と謝ることから始まった。
 「これで釈放です。しかし忘れないで下さい、必ず検察庁から呼び出しがあります。これを無視て居場所を変えると指名手配が掛かります。この点は充分に注意して下さい。検察庁の召喚には、素直に応じて下さい」
 それは“決して逃げないで下さい”という言い方だった。
 老係長はそう言って念を押し、私を釈放したのである。
 「分かりました、逃げるような臆病者ではありません」
 「私はもう直き定年です」
 老係長は、何かその言葉の先きに接
(つ)ぎ穂をしたいようだ。しかし、言わんとすることは私にも分かった。この人は静かに退職したいのである。
 「私も、もう若くはありません。お言葉に従い、これからは慎ましく生きて行きますよ」
 この言葉に、老係長は安堵の顔を見せた。
 併せて家内も安堵の貌になっていた。

 出で立ちは相変わらずだった。化粧など殆どしたことがなく、いつも素顔のままで、恰好はデニムのミニスカートに、青いセーターを着込んでいた。何れも近くの古着屋で買ったものである。それに黒のハイヒールを履いて、娘のような恰好をしていた。童顔なだけに余計に若く見せる。こうした恰好が、私との年の開きを更に隔てている。
 この当時、三十半ばを出た年齢だったが、こうした小娘のようなファッションが周囲を誤解させ、年齢差からくる、奇妙な誤解を与えているのかも知れなかった。これがオヤジと愛人という風に噂されていた。

 検察庁から召喚状が来るのを大人しく待っていた。
 老係長のB警部補は、「二週間以内に検察庁から、必ず呼び出し状がくるから、そのときは指定された日時と指定された場所に出頭することを忘れてはならない。
 もし、これを破れば逃亡と看做
(みな)され、指名手配者として追われることになるから、日時と場所だけは絶対に守って欲しい」という。そう注意を促され、検察庁の召喚に応じる条件で釈放されたのである。
 ところが、検察庁からの呼び出しは二週間過ぎても、三週間を過ぎても、更には一ヵ月を過ぎてもやって来なかった。以後、何の呼び出しも掛からない。
 そして検察庁からの召喚状に変わって、三人の来訪者が伝習塾を訪ねて来た。
 習志野の大久保通りの街路樹は、すっかり色付いた11月半ば過ぎのことだった。こうした時の夕刻、三人が遣って来たのである。
 先ず貌に見覚えのあるK巡査長の顔が一番に目に入った。
 習志野警察署から釈放される前、係長のB警部補と捜査員のK巡査長の名刺を貰って、両名の名をしっかり覚えていたのである。
 一人は習志野市役所の福祉事務所の職員であり、もう一人は地域を担当する近所の民生委員の老人だった。
 K巡査長は私より年が下だが、少々横柄な口をきく傲慢
(ごうまん)なところのある警官だった。
 容疑者や、あるいは関与した事件の疑いが、後に晴れても、これらの者を一緒くたに犯罪者として看做す狭量なところがあり、小役人的な警官であった。好きになれないタイプである。
 この三人は、突然やって来て、「どうか、習志野から出て行って欲しい」と言う。それも唐突に言う。
 それはあたかも、お白洲
(しらす)の筵(むしろ)の上に、急に引き立てられて、奉行から“所払い”を命じられる罪人ようにだった。三人は異口同音にして、習志野から出て行って欲しいと言う。

 最初、「あの……警察、習志野市、それに地域の民生委員が協議した結果、あなたには習志野市から出て行ってもらいたいのです……」と、奥歯に物が挟まったように、しどろもどろと切り出した。
 「何ですって?」突然のことで、そう訊き返すしかなかった。
 「とにかく、あなたには習志野から出て行って貰いたいのです」有無も言わさぬ、予想外の言葉だった。
 私は混乱する頭で、事の次第を整理しようとした。
 話には前後がなければならない。辻褄
(つじつま)合わせが必要だ。
 “出て行って貰いたい”という言葉の裏には、それ相当の理由と道理がなければならない。
 官憲と雖
(いえど)も、受命者を納得させるだけの理由が必要だ。
 “出て行け”という命令に対し、“はい、そうですか”と言わせる強制権はない。それに対して徐
(おもむろ)に切り出した。
 「いいですか、私は検察庁からもう直き召喚される身です。そうした状況でありながら、居所を変えることは刑法上の処罰の対象になります。逃亡と看做されます」
 「それは今、一時保留になっている。この場合、移動しても構わない」
 横からK巡査長が口を挟んだ。
 “おや?……”という気持ちで聴いた。初耳だったからだ。
 「近いうちに出て行って下さるようにお願いします」今度は民生委員の老人だった。
 この人は、「出て行って下さい」の一点張りで、そのように懇願するのである。
 これは懇願するというより、あるいは命令に近いものだったかも知れない。間接的な命令だった。

 「あなたは顔が広い。何も習志野に居座らなくても、行くところは他に何処でもあるでしょう。
 況
(ま)して習志野には住民票を置いていらっしゃらない。あなたの住民票は北九州にあります。そちらに戻られたらどうですか」福祉事務所の職員だった。この言葉からして、私の事は充分に調べ尽くされているらしい。おそらく親戚縁者についても同様であろう。
 親族関係や知人あるいは取引相手、更には関係知る人脈関係にまで及んでいるかも知れない。
 家内の失踪時、もうこうしたことは手配済みで、私のこれまでの経歴総てまで調査済みなのであろう。

 これを聴いて、“いらんお世話だ”という気もしないではなかった。
 北九州には会社倒産で、その債務処理のために私も家内も北九州の会社を登記したときの住所のままで置いている。これを動かすことは出来ない。総ての債権処理が終わるまで行方を眩
(くら)ますことが出来ない。住民票の移動までは出来ないのである。
 何処に行っても根無し草である。定住が赦
(ゆる)されれないのである。
 私の事情は、まさに風の吹くまま気の向くままなのである。
 必要とされるところに行くまでである。必要とされなければ、その場から去るだけである。必要、不必要に私の行動律は懸かるのであり、邪魔であれば消えるだけのことであった。居座る気など毛頭ない。
 「……………」
 私は渋い顔で聴いていた。
 「それと言っては何ですが、習志野市福祉事務所は、あなたに引越費用と立退見舞金を支給致します。それで出て行ってもらいたいのです」
 金まで渡すから“出て行け……”という、こうした不思議な難癖は、私の約40有余年の人生では初めてだった。
 裏から見れば、完全に嫌われたと言うか、完全に不必要なのである。滅多に事件が起こらない習志野では、私のような者は不必要なのである。住民パワーで追い出しに掛かった。

 「習志野は“所払い”ということですか?……」
 皮肉を込めて、言ってみた。
 「そうじゃない、あんたが居ると、何かと問題が起こるからだ!」今度はK巡査長が言い放った。それは警察の仕事が殖えると言うことだろう。それだけに大人しくしてもらわねば困ると言うことであろうが、私は此処に棲んでいるだけで、この街の平安が乱されるということであるらしい。
 「まるで疫病神扱いですね」皮肉を込めて切り返してみた。言っても無駄だとは承知の上であった。
 「決して、そう言う訳ではない」少し荒立てたように言い繕
(つくろ)う。
 「先日の事件のことを言っているのですか?」
 突っ込んで皮肉って訊いてみた。
 「あの事件で、つまり習志野は昔の姿を取り戻した。習志野市の五万の市民は、傷害や恐喝で頭を傷めていた問題を、あんたが、その……何というか……片付けて下さった。それについては……防犯課の方から達しがあって、不起訴になるかも知れないということで……」と、言い淀
(よど)むように言うのである。
 この言葉の中には、私の仕出かしたことに、何らかの意味が含まれていると思ったが、しかし、このまま居座ることは許されないような含みもあった。
 「要するに、“不起訴”と“所払い”は交換条件ですか?」
 痛いところを突いてやった。核心を突いたのである。
 「……………」警官は渋い貌をして沈黙した。
 「私が出て行けば、何も起こらない……と言うことですね」奥底を見透かしたような言い方をした。
 「まあ、そういう訳ですよ」遂に居直った、本心が吐露
(とろ)された。
 やはりそうだったのか……と思うのである。
 「分かりました、出て行きましょう」
 前から既に汐時であることは覚悟していた。今さら驚くことはない。
 もう習志野には飽きた。今が汐時だ。それを感じたのは習志野所払いが確定した、この時であった。

 交渉は成立した。
 そう言うと、この“習志野三羽がらす”の顔には、思わぬ綻
(ほころ)びが疾(はし)った。嬉しそうな貌になった。安堵に似た貌があった。私が出て行くことで平穏が保たれるのである。
 さて、私としては、何処へ流れるか……、それを思案せねばならなかった。
 しかし少し前に、わが流の講習会に参加していた愛知県豊橋市の八光流皆伝師範の松永毅氏から「行くところがなければ、豊橋に来ませんか」と、お誘いを受けていたのである。
 もう習志野に居座る魅力は失われていた。想いには、次の新天地への物色が始まっていた。
 近所の住民の反対運動もあり、また警察も習志野市も、それに民生委員までもが、私がこの地に居ることに反対している。これでは出て行くしかあるまい。出て行くための決定打になったのが今回の事件である。
 夜の夜中、習志野中のパトカーが伝習塾の前並びに大久保商店街に列をなした。一大捕り物風であった。こうなっては仕方あるまい。疫病神であった。習志野中の鼻摘みにされたのある。

 内容がどうであれ、私が事件の関与したことは間違いない。平和な習志野の街を騒がしたのだから、所払いは、それ相当な措置であろう。その一方で、私が出ていかなければならない構図が着々と練り上げられ、遂にその運びとなったようだ。

 まんまと遣られた。そんな気がしたのである。
 事件を楯に取って、今度は民生委員の爺さんまでもが、見事にハモったのある。
 「曽川さん、分かったかね、今年いっぱいだよ」K巡査長は念を押すことを忘れなかった。
 「しかし、検察庁からの召喚状は無視出来ません。勝手に出ていった後に、呼び出し状が来たらどうするのです?」
 「そんなことは心配せんでもいい。あんたが素直に出て行ってくれれば、検察庁も渋々不起訴にするだろうよ。その時は警察も助言してやるよ」
 奇妙な言い回しであった。不起訴を臭わせたからである。あるいはそのように警察が持っていったのかも知れない。
 「検察庁の召喚状を警察の助言で、簡単に話が付くのでしょうか?」
 「あのなあ、曽川さん。あんたが出て行くと言うことが、検察庁の不起訴の条件にも含まれているんだ」
 そう言う仕掛けになっているのかと納得した。
 「なるほど……」
 「なるほどとは、何だね?」不機嫌そうに言った。
 「やっぱり絡んでいたのかと得心したのですよ」薄ら笑いを浮かべて得心した表情を作った。
 「あんた、嫌な性格しているねェ……」K巡査長も負けてはいなかった。
 是非こうした男とは、“差し”で勝負がしたかった。職務権限に物を言わせ、官憲を笠に着る男は好きではない。夜郎自大とは言わないが、それに近い小役人だった。
 「Kさん。いつか縁があったら、“差し”で勝負しませんか。私はもうこれ以上、捨てるものがありませんからね。命だって捨ててもいい」
 「あんた!それ脅しているのか!」K巡査長は怯
(おび)える声で言った。
 「いや、忠告です」笑いながら答えた。
 私も言っていることが青かった。若気に至りである。当時を思えば失言であった。

 しかし、それにしても妙であった。
 実に妙なことを聞いた、と言う気がしてきた。
 老係長のB警部補は「二週間以内に検察庁から、必ず呼び出し状がくるから、そのときは指定された日時と指定された場所に出頭することを忘れてはならない。もし、これを破れば逃亡と看做され、指名手配者として追われることになるから、日時と場所だけは絶対に守って欲しい」という。
 ところが、検察庁の呼び出し状は、一ヵ月を過ぎた今でも届かないのである。警察が今回の事件を握り潰そうとしていることは明白だった。何だか、背後に裏取引があるように思われた。しかし、それはもうどうでもいいことであった。

 「では、検察庁での24時間の取り調べのための拘束は取り止めになったと言うことでしょうか?」
 「だから言っているじゃないか。あんたが習志野から出て行けば、それで事は丸く収まるんだ。分かったかね」
 「それは不起訴ということでしょうか?」
 「警察は、そういうことには、はっきりと答えられんのだよ」
 「では、召喚状が来た場合は?……」
 「その時は出頭に応じなければならない」
 「だったら、移転は不可能です」
 「あんたも分からん人だなァ。万一の場合は移転先から検察庁の呼び出しに応じればいいんだよ」
 K巡査長は、どうしても私を習志野から所払いする気でいるらしい。この裏には何かの取り引きが絡んでいるのだろうか。
 裏で作用する力学は存在しないか……。その圧力は何か……。
 私はその裏に目を向け始めていたのである。世の中の奇妙な構造に焦点を当てていた。それは人間を葬る構造かも知れない。人物評定とは関係なく、危険人物として特定され、一人の人間が葬り去られる「何か」が、この世界に存在しているようだ。

 私はこの時、不可解なものを感じていた。それは権力筋が企てる“何か?……”というものだった。そして私には、これを機に官権の監視の眼が付くだろう。
 それに習志野には一年以上も棲み付いている。これ自体が住所不定である。住民票がないからだ。義務として転居後、1週間以内に転出届を出さねばならない。住民票を移さないこと自体が無理なのである。違法だった。
 住民登録法にも反する。明らかに住所不定の違法行為である。
 おまけに、この地で塾商売をしている。それだけで市県民税も発生するのだが、実際には地方税は北九州に払っている。習志野に棲みながら営業の所得税も払わず、市県民税も払わない。この両方を望むこと自体が欲張り過ぎであった。
 そろそろ汐時か……。

 そう言うことを考えていた。そして汐時を知ることも、経験によって人間の幅を作るものである。これは決して難しいことではあるまい。
 決断を迫られて、右へ行くか左に行くかは、経験を通じた日常生活の中に沢山転がっている。経験を積めば積むほど、俗界というところが、如何に“ろくでもないところ”であるか分って来る。
 俗界の住民である私は、凡俗の諍
(いさか)いや憎しみや、また苛立や、人を乗せる煽動を通じて“嵌まった”ということを悟り、やっと人間の哀れを知り、それでいて愛する心を失わず、この感情を育てて、摩擦と付き合い、苦しんだり、怒ったり、辛かったり、我慢したりして、単に感情のみで終わらせるのではなく、最終的な超感情まで育て上げねばならないのである。
 ここまで育成して行かないと、単純でない現代の生活において、どうして人間を知ることが出来よう。人間を知らずに超感情は育たない。
 人の哀れや不憫
(ふびん)を知らずに、どうして自分の幅を広げることが出来よう。総ては事上磨錬のために俗界と言う“ろくでもないところ”が用意されているのである。娑婆とはそう言うところであった。
 さて、何処に行くか……。
 風の吹くまま、気の向くままに全国を放浪してみようか。そういう暢気
(のんき)なことを考えていた。



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