運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 41

かつて棲んでいた旧明林塾跡には夥しい椿が咲いていた。
 此処で家内は『伝習塾』という学習塾を開いていた。いまでも何処かで椿を見ると、遠いあの頃のことが想い出す。


●内弟子

 「落ちた犬は打たれる」
 これは進龍一が何か事ある度に、いつも口にした言葉である。正論であると思う。
 しかし、この正論は世間の口から漏れた言葉であろう。墜
(お)ちた方は正論に叩かれるだけである。
 私も落ちた犬であったが、それに似たような人間を、もう一人見たことがある。
 この言葉の意味からすれば、「落ちた犬」即ち、“転落した犬”という意味であろうが、高い座から滑り落ちたか、事故か事件に遭遇して転落した人間を指すのだろう。
 人は墜ちたり落されれば周りから責められ、揶揄
(やゆ)され、罵倒されるのである。
 顛落してはならない、また失敗してはならない、日本社会の一面を構成している要素である。世の中では官僚式のマイナス原理が働いている。
 島国日本ではブラス思考で物事を考えるのではなく、マイナス減点主義が未だ健在なのである。

 私も、責められ、揶揄され、罵倒された、その“人種”なのである。減点主義の風に曝された一人であった。しかしマイナス思考こそ人を腐らせるものはない。
 顛落
(てんらく)する、墜落する……、とにかく墜ちる、落されるなどの落下する現象にはマイナスの汚点が付き纏うようである。
 日本人の勘定思考には、「引き算」や「割り算」は存在しても、「足し算」や「掛け算」は存在しないようだ。「引き算」や「割り算」を主体とした徹底した減点主義である。また人と人の関係の中に「引き算」や「割り算」を用いて勘定高く減算して行く。
 能率主義の側面には勘定高い減点主義が働いているのである。そして減点主義を煽っているのが、自分が頂点に登り詰めねば気が済まない人間や、他人を減点評価してケチをつける妬み人間か、その種の一言居士
(いちげん‐こじ)である。

 何事にも自分の意見を一言しなければ気のすまぬ性格者は、自惚れが強いために自分は人一倍役に立つと信じ込んだ人間であるが、実はこういう人間ほど、怠け者以上に有害な人間なのである。
 怠け者ならばせいぜい人生を「引き算」で済ます算盤勘定しか持っておらず、一言居士の人を「割り算」で酷評する程、ワルではない。
 引き算勘定は、その人が10の力をもっていたらえいぜい2か1で減点する程度である。したがって、まだ残りがある。
 ところが、割り算は2で割れば、10は一挙に半分になってしまう。
 あるいは5で割れば2となり、10で割れば1となる。何と残酷な減点法だろう。これでは割られた方は腐るだけである。
 顛落とは、引き算ではなく、割り算で減点されることなのである。

 顛落すれば、今まで、上に居たと思える人間でも、下から見上げられて、上と思っていた人間が転落するのであるから、立場が逆転して、見下げられる位置に置かれてしまう。
 私は「落ちた犬は打たれる」という言葉を今でも思い出すが、私個人として、この言葉の意味のイメージは少し違うのである。

 私は、落ちた犬が打たれるのは、自分より更に下の位置に居る者が存在するという意味においての事で、こうした存在がこの世に存在しているということだけで、満足感を覚える人間が居ることなのだ。
 つまり「あいつより、オレの方がましだ」と、見下す人間が居るということである。これは訝
(おか)しな優越意識だ。劣等感の裏返しである。
 何故なら、人間というものを、あまりにも知らな過ぎるからである。独り善
(よ)がりであるからだ。

 落ちぶれた者は、面白半分に娯楽の道具にされ易い。見下される対象にされ易い。
 「あいつよりオレの方がましだ」と、思い上がった人間は、必ず落ちぶれた者を叩く。
 これは人間の有史以来の歴史を見れば明らかである。
 一つは自己満足するためである。自分より下と思える人間がいることに安堵
(あんど)を覚えるからだ。
 その一方で、「礼のない意識」が、こうしたものを派生させる。人間軽視がそうさせる。
 私は、「落ちた犬は打たれる」という言葉を思い返す度に、かつて子供の時に見た、あの光景を思い出すのである。見たのは佐賀県嬉野にいた頃だと記憶する。

 それは一匹の弱りかけた犬が、川の土手の石垣の上を力なげに、とぼとぼと歩いていた哀れな、あの光景だった。その犬には、見るからに血統書など付いていないことは明白だった。
 どこの馬の骨とも分からぬ、汚らしい雑種であり、生まれて此
(こ)の方、殆どいい思いにはありつけなかったという育ち方を彷佛(ほうふつ)とさせる犬だった。野良犬であり、食い詰め犬である。それだけに、賢そうな犬とも思えなかった。そんな犬を暫く見たことがあった。ゴミ箱の周りをうろつく犬の類である。

 その犬が、何かの弾みに足を踏み外したか、蹴飛ばされて川に落ちたかは知らないが、川の中に落ちて、その犬に面白半分に石を投げ付ける、私とほぼ同年齢か、あるいは少し年長か、そんな5、6人の少年たちの集団を見たことがあった。近所でも札付きの不良グループであった。
 生命軽視の不健全な行為を、彼等は何の憚
(はばか)ることもなく遣ってのけていた。わいわいと騒がしく、石を投げていた。その指令を出す長は中学生である。小学生の私など束で掛かっても適(かな)う相手ではなかった。

 川に落ちた犬は必死に、自分の身を浮かす物を求めて、川の中で右往左往していた。手足を使った犬掻きで必死に溺れまいとしている。流れて来る枯れ木か、そうした浮遊物に捕まろうとして、最後の力を振り絞り、這
(は)い上がろうとする。犬は漸(ようや)く木片らしき物に捕まり、岸に上がろうと試みようとしていた。そんな犬に向かって、石を投げている少年らを見たことがある。寄って集(たか)って石を犬に集中させる。
 少年らの投げる石は、犬の頭に当たったり、背中に当たったりして、犬自身の生命を脅かせていた。犬の命は風前の灯だった。しかし簡単には沈まない。必死で生きようともがく。

 また、石を投げる少年たちは、この犬がかなりしぶといので、ムキになって、更に激しく石の猛攻を浴びせるのだった。そして犬は、遂に力つき、川の流れに流され、溺れ、川底に沈んで行くのである。
 その時、その中の一人が「やっと片付いた」と、一言漏らしたのだった。残酷な勝利宣言である。
 “やっと片付いた”の一言は、私の耳に虚しく響いた。
 そうした光景を、私は子供の時、まざまざと見たことがあった。
 このとき子供心に、川に落ちて助け上げられるどころか、むしろ逆に、落ちた犬は打たれるのだという人生の縮図を見たような気がした。
 弱い者は同情されるより、あのように打たれて、殺されていくのだということを、私は子供の眼を通じて、はっきりと見た思いだった。あるいは世間の一部に、そういう残酷な一面が横たわっているのかも知れない。その世間を検
(み)たのである。
 これは動物虐待の一場面だが、これに酷似することが世間でも行われているのである。

 子供心に私の眼に映った世の中というのは、この世が虚偽的であるということだ。
 表面では、誰もが異口同音にして奇麗事を言うが、内実はこのように凄まじいものである。
 これに一々驚いたり、傷付いたり、不信の念を抱いても仕方ないという「諦めの世」の実体を垣間みたような気がした。石に当たって溺れ死んだ犬は、力つきて生に縋
(すが)ることを諦めたのであった。生きることを諦めたのである。

 そして私自身、川に落ちた犬に石を投げ付ける少年たちに向かって、「そんな酷いことは止めよう」という勇気もなかった。意気地なしだった。黙っているしかなかった。
 逆に一言でも言えば、袋叩きに遭うだろう。それが怕かった。年長者もいた。また言うだけの勇気もなかった。それだけに同類の行為を黙認していたのかも知れない。間接的には共犯者であった。子供心に感じた自責の念は、爾来
(じらい)(しこ)りとなって残っている。
 自らを顧みず、酷いことは止めようという勇気はなく、もしかしたら、加害者側に廻り自分も石を投げて、犬を溺れ殺すような仲間の一人になっている可能性もあった。
 私もあるいは、落ちた犬に石を投げていた人間であると思うのだった。集団行動は、自分を正当化できるからである。身勝手な発想である。
 その心理下には、まだ自分より下の、惨めな者が居るということで、それだけで安堵
(あんど)するのが人間だと思うからだった。あるいは、これが中間層に位置する人間の優越意識だったかも知れない。

 日本が戦争に負けたお陰で、戦後教育の中では学校で、「勇気」という言葉を教えなくなった。今日は勇気不在の時代である。弱い者を守ろうとする意識が消滅した小さな時代である。
 勇気と云う言葉は軍国主義に結びつくものとして、戦後教育では、この言葉が完全に退
(しりぞ)けられた。むしろ、「勇気を持って」ということが、一つの罪悪として考えられるようになり、間違ったことをしているのではないか?……という疑いが持たれかねない時代である。
 勇気についても多くの日本人は、沈黙と忍従を余儀なくされたのである。勇気すら、語ることは許されな時代なのである。

 戦後の日本人の頭の中には、“勇気イコール危険”というイメージが同居していて、勇気は死に繋
(つな)がることとして、忌み嫌われるのである。
 また、勇気が退けられると同時に、勇気を鼓舞する体罰までもが退けられた。
 戦後教育の中で教育された子供たちも、本来ならば躾
(しつけ)の基本と考えられていた体罰も許されなくなり、ただ口先で叱るということが定着し、“勇気イコール軍国主義”と看做(みな)されているのである。

 自分より弱い者に敵対意識を持ち、個人的な捌
(は)け口の攻撃材料にして、ささやかな優越感を味わうのである。こうした人間を探そうと思えば、探すことはそんなに難しくない。職場でも学校でも組織内でも、至る所にゴマンと居るだろう。
 “目糞鼻屎
(めくそ‐はなくそ)を笑う人間”を探すのは、そんなに難しくない。
 俗に言う、思い上がった「融通の利かない小役人」という人種を探すのも、そんなに難しくないだろう。

 世の中には、実際にこうした人間が多い。自分の欠点には気がつかないでも、他人の欠点を嘲
(あざ)笑う人間は、かなり多いのである。そして、また、嘲笑う者も、嘲笑われる者も、大した違いはないのだが、そのくせ、双方はそれぞれに優越感と劣等感を抱き、混乱と不健全な規律に翻弄(ほんろう)されるのである。
 その根底には、嘲笑う者の優越意識があることは紛
(まぎ)れもない事実で、心の片隅には、「オレはあいつより、ましだ」と思い込んでいることである。

 しかし自分の虚しい生活を、自分より劣る者と比較することだった。
 それは奇
(く)しくも、自分の思い上がった生き方を正当化し、弱いもの虐(いじ)めする、美意識を持てない人間に成り下がっていくことだった。
 また、この事実は、戦後教育が、愚直で木訥
(ぼくとつ)な人間の正直さを、嘲笑うことを奨励したのであった。そして、小さな勇気すら、その芽を摘み取ってしまった現代の風潮は、粗野で安定の欠いた、義務よりも我欲に動かされる現実を招いたのだった。
 戦後教育の中での勇気失墜は、悲運者への鉾先にもなってしまったようだ。

 また、墜ちた犬側の心境として言うなら、世間には悲境に陥って直ぐ自暴自棄に趨
(はし)る人がいる。こういう人は言うまでもなく「下の下」であろう。
 自棄糞
(やけくそ)にはならないが諦めてしまって、その環境に中で流された人生を送る人がいる。この人は「下の上」であろう。
 世の中に恨み辛み、不平を並べ立て、それでいて恢復
(かいふく)を試みる人がいる。この人は「中の下」であろう。
 社会を恨んだり政治を恨んだり不平は言わないが、自分の悲しみに歯を食いしばり、悲境から抜け出そうと努力する人がいる。こういう人は「中の上」であろう。
 また、悲運は自分の中に在
りと感得する人がいる。それを反省よりも、一歩進めて感謝する人がいる。そういう人は「上」の部類だろう。

 私は当時、本を読む前は恐らく「中以下」であっただろう。人情の機微を解さないところがあった。
 そして、ある本に「悲運に処する最良の道」という項目があって、それを知った以降、私の心境には少しずつ変化が起こり始めたことを憶
(おぼ)えている。人にも、その他の動植物にも「慈しむ」という気持ちが起こったことである。

 かつて豊臣秀吉は「人はみな不憫
(ふびん)なり」といった。「不憫なり心情」が分る故に、その心を読み取り、天下人に登り詰めた。これは、人の心情を手に取るように理解すれば、あるいは天下人になれるということを雄弁に物語っていると思うのである。またその他大勢の人間の、大多数の心情を近いすれば、大多数から支持され、人気投票においては票獲得を総浚いすることが出来ると言うことである。
 この世は、人が人に投票する人気合戦であり、これをよく理解すれば支持層は広がるということである。
 では、悲運対策をどう処して行くか。

 私の読んだ本によれば、「悲運の中に天意を見出せ」とあった。そして天意を見出したら、それに心から感謝せよと言うのである。あたかも『孟子』の「受任者」の如きである。受任者として選ばれたら、それ自体を苦難と捕えるのでなく、感謝して捕えよと言うのである。
 『孟子』の「受任者」は一度受任者として選ばれたならな、それは天意とするが、その天意の解釈が何処にも述べられていない。それだけに受任者が苦悩し、悶
(もだ)えなければならない。そして受任者として選ばれながら、悶絶(もんぜつ)して潰える人もいる。
 ところが、「悲運の中に天意を見出せ」の示唆は、悲運の中に希望や夢が潜んでいつように映るから、悶絶して潰えることもない。

 天意を見出せれば、感謝の媒体が生まれる。その感謝の仕方も二通りあるようで、一つは悲運んを天の戒めと捉える考え方で、もう一つは悲運の中に幸福を見出し、それ自体を天の特別な恩寵として感謝すると言うのである。
 こういうのは、病気になった時に、病気自体を天からの有難い警鐘と捉えることに似ている。警鐘と捉えて病気自体を感謝するのである。
 警鐘を天の戒めと取るか、天の恩寵と取るかはその人の受け取り方次第であろうが、これは別々のものでなく、本来は一つであると言うのである。
 今の悲運を、天の戒めとして受け取り敬虔に自己反省して、その悲運を「幸福として発芽させる種子を見出す」と言う考え方である。幸福は悲運という土壌がないと、幸福は発芽させることができないからである。
 これは不死鳥が蘇る際の「灰」に匹敵するものである。灰がなければ不死鳥は蘇れない。
 また幸福の目を発芽させるには悲運の土壌がないと、この芽は発芽しない。
 要は天の特別な恩寵を与えられているのだから、まず反省を試み、次に感謝して悲運の土壌に幸福の芽を発芽させればいいのである。
 その意味では、墜ちた犬も、落された犬も、悲運の土壌は充分に備えている。あとはその土壌の上に幸福の種を蒔き、発芽させるかさせないかである。

 私はかつて悲運の土壌を抱え込んだ若者を見たことがあった。その境遇は奇異だった。
 落ちた犬は打たれるという、その落ちた犬は、もともと愚直で木訥な性格をした犬ではなかったか。愚直で木訥なだけに、また冤罪
(えんざい)にも巻き込まれ易いのだ。
 そしてこの若者は、かつて私の道場の門を叩いたことがあった。この若者は、見るからに「落ちた犬」あるいは「打たれた跡」の形跡が、はっきりと残っている人間だった。したがって反省の後もなく、また感謝すら知らない、一種の異常性格者のようなところがあった。

 この若者を名前を、ここでは「満島某」としておくことにしよう。
 若者は明らかに「打たれた跡」の残る若者だった。
 まず、生い立ちからが凄
(すさ)まじい。
 若者の父親は当時、有名な国立大学出身の上級官吏で、九州法務局の局長を務めていた。また、母親は父親より11歳上で、母親が40歳で満島某を長男として生んだと言うのだった。
 下に二歳違いの弟がおり、その弟は運動能力が優れていて、ラグビーで、ある大阪の私立の高校に特待生として引き抜かれたという。しかしラグビーでは華々しいこともなく、その後は大阪の名もない私大へ進んだという。

 満島某が尚道館に現れたとき、その出
(い)で立ちが凄かった。労務者風と言うより、まさに乞食だった。現代の乞食を始めて見た思いだった。確かに労務者風の作業着は着ていたが、それが恐ろしいほど汚く、この出で立ちからして、中身の肉体が悪臭で匂うようだった。そんな風体をした乞食だった。それは凄まじいの一言に尽きた。

 私はちょうど北九州の講習会で、習志野より尚道館に一時帰宅していた。そうした時に、満島某が講習会に参加したのである。そして講習会終了後、彼は内弟子になりたいと言うのである。
 この漢
(おとこ)が道場の玄関に現れたとき、恰好は労務者風の汚れた作業服を着ており、手には高校の校章が白い文字で描かれた紺色の学生鞄と風呂敷包みを持っていた。年齢を訊くと20歳と言うのだったが、20歳の若者にしては、前時代的な旅の乞食武芸者を思わせた。
 「今まで、どこでどうして居たのか?」と、その理由を訊くと、佐賀県から野宿をしながら、北九州に徒歩で遣
(や)って来たと言うのだった。もう、この行動だけで、現代とはズレた思考を持っていた。考え方が異常であった。
 大きく膨らんだ紺色の学生鞄から、大事そうに一枚の封筒を取り出し、講習会費の五千円を払うのだった。そして稽古終了後、土下座して、どうしても内弟子にして欲しいと請
(こ)うのだった。もう、これだけで充分に変わっていた。確かに一風変わった男だった。

 私も散々考えた挙げ句、まず一泊道場に泊めることにした。風呂を沸かして入るように薦
(すす)め、食事をさせ、一晩泊めることにしたのであった。そして翌日の朝、また、どうしても内弟子にして欲しいと懇願するのだった。
 そこまで覚悟があるのなら、これに応じないわけにはいかない。
 私は《はて、この20歳に見えない老けた、このオヤジをどうするか?……》と思いながら、思案したのだった。千葉県習志野まで連れて行くのはいいが、いま習志野にいる家内はどう思うだろうか?と考えるのである。
 病み上がりの家内に、この漢を見せるのは、あまりに刺激が強すぎるのではないかと思った。
 ではどうするか。此処が思案の為所
(しどころ)であるが、さてどうするか……。
 それに満島某はハッキリ言って醜男
(ぶおとこ)であり、口下手で、しかし本は矢鱈(やたら)と沢山読んでいるようで、それなりに単語などはよく知っていた。長所を探すとしたら、この点であっただろうか。

 だが奇妙なところもあった。異常と言うより、粗暴に近いところがあった。
 その立ち居振る舞いや、言動の一部には明かに性格粗暴者と言うか、性格異常者の雰囲気が滲
(にじ)み出ていて、それが相互に交叉(こうさ)し、社会不適合な人間を思わせたのである。
 また、それだけに他方では、一途
(いちず)なところがあり、「思い込んだら鉄砲玉でも、何でも遣る」というふうに見て取れたのだった。
 即座に連想してのは、この漢を「鉄砲玉」と検
(み)たのである。あるいは標的を有無も言わさず葬る「殺し屋」である。
 それだけに、何か、背筋の凍るような兇暴性を漂わせていた。
 例えば、彼の「眼」だった。
 その眼は、殆ど動かない。見据えた一点に止まっていた。また、神懸かりにもなったように、前方を見詰めたり、あるいは相手と対面したとき、瞬きもせずに、冷酷に、穴の開くほど見詰めるのであった。その猛々しい目付きは、力強さにおいて原始的な動物を思わせるが、一方で知力を窺
(うかが)わせる何かを隠し持っているようなところがあった。

 武術を本格的に学ぶ人間として、身長、体重、横幅や胸の厚みなどは問題ではなかった。この異様な男の強さは、もっと別のところにあると思われた。
 勝負で勝つのは、何も腕力だけではない。力の他に知力を持っていなければならない。あるいは自分を律する自制心も必要である。こうした者が、最後には勝つ。また、それが自然の掟
(おきて)というものだ。

 貌が恐ろしいので、それだけで無言の威圧のなり、《何かの役に立つのではないか……》と思い、私はそれを重宝な奴と夢想したのかも知れない。あるいは不埒
(ふらち)な悪戯を、想い描いたのかも知れない。更には同類、あい哀れむという気持ちが起こったのかも知れない。
 とにかく「見習い」と言うことで、満島某が「内弟子第1号」になったのであった。
 私は、彼の「鉄砲玉」の部分が妙に気に入ったのだった。私はこの鉄砲玉の「鉄」が気に入って、後に「鉄玄」と内弟子名を命名するのである。

 更に「何かのときは、自分をヒットマンに使って下さい。必ず、先生のご期待に添いますから」と言うのだった。実に奇妙な申し出である。背筋が凍るとは、こういう人間を指して言うのだろう。それなりに高等訓練を受ければ、この漢は立派に殺し屋が勤まりそうである。組織暴力集団なら、こう言うのは喉から出が出るほど欲しい人材であるに違いない。
 満島某はこう切り出した時、その人相を見ると、まさにヒットマンを彷佛とさせるのであった。見れば見るほど、「実
(げ)に恐ろしき」という、無口で兇暴なヒットマンを彷佛とさせたのであった。
 「別荘経験は?」と訊くと、「はあァ、何度か……」と頭をかきながら答えて、その先の言葉を濁すのである。この言葉から察すれば、鑑別所の経験があるのだろう。こうしたところも、私の気に入った部分だった。
 私にとっては、内弟子第1号でありながら、また鉄砲玉第1号でもあった。

 かつて進龍一が「宗家には、組織の長
(おさ)として“狂”の一字の性質が必要なのです」と云った言葉を思い出す。狂は気違いの狂ではない。憂いて、くるいおしいことを指すのである。
 “狂”の一字が何かに、確かに反応している。双方の脳が反応しているのかも知れないと思うのである。それだけに爆弾を抱えたようなものだ。いつ爆発するか分からない時限爆弾のようなものであった。
 そして満島某とは、その後、習志野で、ある事件に遭遇し、逮捕され、解き放たれ、習志野を追われ、それから愛知県豊橋へ。更に滋賀県大津へと、流転の旅を伴にするのである。
 ここが彼との、旅の出発点だった。
 それは「苦難の旅」と表現していいくらいの過酷なもので、この時代、この旅を切り抜けた数少ない戦友の一人となるのである。

 だが懸念もあった。
 衆愚の目で見られているのではないか?……と思うのだった。
 そもそも「衆愚政治」は、多数の愚民による政治の意で、民主政治の蔑称であり、もと、古代ギリシアのアテナイでの民主政治の堕落形態を指したことで知られる。
 衆愚政治では、憂いて、くるいおしい人間など一人もいなかったことになる。そうなると歯止めが効かなくなって墜落するだけである。一つの文明が滅ぶ構図と言えよう。

 墜落するのは墜落させる側にも責任があるからである。
 しかし衆愚の世では、この責任は衆愚側にない。総て世間が悪い、世の中が悪い、政治が悪いと、その責任転嫁が衆愚側以外の物に置き換えられてしまう。
 この衆愚こそ、「世間さまの目」であり、大衆がこの目になると、政治は狂うし、社会も不穏なものが流れて来て混沌とするのである。混沌の目と置き換えてもいいだろう。
 衆愚の目を通して見る彼は、歪
(ひず)んだ醜悪なものに見えるだろう。そういう蔑視があったことは確かなようだ。自分でも、それは覚悟の上だったかも知れない。
 その一方で、なぜか満島某は、生まれつきの育ちのいい、自分の恰好には無頓着な人間を彷佛とさせるのである。此処が不思議なところであった。

 横顔を窺
(うかが)うと、確かに兇悪な部分と、おっとりとした部分が入り交じって、少年のように見えなくもなかった。ところが真正面から窺うと、何故か兇暴さと言うか、性格粗暴者を彷佛とさせる“やんちゃ”な一面が現れてくるのである。確かに二面性があった。
 では何ゆえ内弟子になろうとするのか。
 私は性格粗暴者の心の裡側
(うちがわ)を推測した。そして推測するに、この男は善悪が逆になっているのではないかと思う一面があった。
 この漢にとって、まず自覚からして自分で自分の力を制御出来ないのではないかと思うのである。自分を自分の力で馭
(ぎょ)しきれない者は、手綱(たづな)を誰かが握っていて束縛されることが善であり、解放されて自由になることが悪なのである。また命令されることが善であり、命令されないことが悪なのである。野放しに出来ないのは言うまでもなかった。

 「最近読んだ本は何だ?」
 こう訊くと、彼は自分の印象に残った本の名前を挙げ、その感想を聞かせてくれるのだった。
 「最近読んだ本は、古典の『徒然草』です」と言って、鎌倉末期の歌人・吉田兼好の代表作を挙げるのである。読書の習慣はあるようだ。救われたのは、この点である。
 読書の習慣がなく、全くの文盲だったら、ただの政策粗暴者以内の何者でもあるまい。少なからず自制心を残すのは、読書の習慣によってであった。それだけで、面倒をみる価値があったのである。

 世の中で最も質の悪いのは、殆ど読書の習慣のない何もしない善人の類
(たぐい)である。私の最も嫌うタイプである。話が通じないからである。
 何もしないということこそ、怕いものはない。
 世の中には自分のことを真面目と表現する人間は意外にも多いようである。しかしこの自称“真面目”が曲者なのである。真面目の意味を理解していないからである。
 真面目という人間は、本来自分と対決している人間のことである。絶えず自分と対決し、他人との対決、あるいは比較においての真面目さは、必ずしもその者が真面目かどうか、その証拠にはならない。
 それは何故か?……。
 世の中には、しばしば不真面目な人間によって、真面目が偽装されているからである。この偽装も、何もしない自称善人に多い現象である。
 確かに何もしない人間には過失が見当たらない。しかし、何もしないことほど大きな過失が、人生にはあろうとは思えないからである。
 かつて河井継之助が、「沈香
(じんこう)も焚(た)かず屁もひらず」の人間を、悪事を働く悪党より悪党だと指弾したのは、何もしないことほど大きな過失が人生には存在しないからである。

 一見、性格粗暴者を思わせること漢は、まだ話が通じるところがあった。これが通じるということは聞く耳を持っていることである。
 「印象に残り、教訓になった箇所は?」と訊くと、「第百九段の《高名の木登り》という木登り名人の話です」と答える。
 これだけで話が通じていると安堵するのである。
 既に彼の頭の中には、“高名の中なかに不覚あり”という教訓が叩き込まれていて、得意の時代には、却
(かえ)って失敗の種を蒔(ま)くことがあるということを知っている節を窺わせた。

 《高名の木登り》の中には、植木職人の師匠
(親方)と弟子の話が出てきて、弟子が木の上の高い所に登って行くとき、師匠は弟子に対し「注意しろ」などの掛け声は掛けず、むしろ降りてきて、飛び下りてもよさそうな所に来た時に、「注意しろ」と声を掛けるのだった。それを不思議に思い、作者は師匠に「高い所に登る時に注意しろと言わずに、かなり低い所になって注意しろと声を掛けるのは、どうしてなのか」と訊いた。
 すると師匠はこれに答えて曰
(いわ)く、「高い所に登るときは、自分なりに注意をしており、これは一々声を掛けてやる必要はない。
 ところが、随分低いところになって、もう飛び下りてもよさそうな所に来て、“注意しろ”と掛け声を掛けるのは、自分でも大丈夫という安堵の気持ちがあり、この気の弛
(ゆる)みが大怪我をするモトになるのだ」というのだった。言われてみればその通りであり、作者は「なるほど」と思うのだった。
 これを満島某は印象的だったと感想を述べ、教訓として捉えたと言うのである。

 そして、彼は習志野に着くと、進龍一に謁見
(えっけん)するのだが、奴は満島某を見て驚嘆の声を上げた。
 この世のものとは思われぬ、という表情だった。「実
(げ)に恐ろしき」という形容がピッタリだと言うのである。
 そして私に向かって「何で、あんな奴を連れてきたのですか!見るからにプアーじゃないですか!乞食を連れてきてどうするのですか!」と激しい口調で迫るのである。
 おそらく“兇暴な面構え”と、風采の上がらない姿形を見て言っているのであろう。
 奴も、満島某は好きになれないのだ。満島某は、それほど変な漢だった。
 更に、満島某を内弟子にすることについて「身元は調べたのですか?非行歴や、盗みなどの癖はないのでしょうね?親の同意はとっているのですか?人身に対する問題が起こると大変ですよ」などと、不審箇所を問い質
(ただ)すのである。
 満島某は、ここでもあまり歓迎されているようではなかった。
 しかし私は、満島某のことを「テツ!」と呼んでいた。

 このテツについて、進龍一は「あいつの名前は“テツオ”とか、“テツノブ”とか、何とか言うのですか?」と訊くので、「いや、奴は鉄砲玉の“テツ”だ」というと、「まさに、実
(げ)に恐ろしき表現ですねェ」と感嘆するのだった。本能的にそうした一面を垣間みたのだろう。
 「宗家はそんな危険な漢を飼いきれるのですか?」
 「何とかなるだろう」
 「いやに曖昧
(あいまい)な返事ですねェ」
 「豚を飼うんじゃない、人間を飼うのだ。言葉も通じるし、奴は文盲でない。言い聞かせ、諭
(さと)せば分かる人間だ。心配するな」
 そうは言っても、“兇暴な面構え”への懸念は最後まで拭えずにいた。
 あるいは満島某の過去を、その面構えから読み解いたのだろうか。
 粗悪あるいは粗暴には間違いない。更には側面には社会には馴染めない不適合な一面がある。
 そして過去を辿れば、まさに得体の知れない確実不変なものを感じるのも事実であった。
 では現在はとなると、この確実不変の集積以外の何者でもないのだが、これが現代を通じてどのように変化をするのかは、予測不能である。ただ新しい事実を、付け加えていくだけである。これは、まだ来てもいない明日を思い悩む愚行である。

 「何か問題が起こった場合は、宗家が全責任を取って下さいよ。私は、ああ言う社会不適合は扱いきれません。事を荒立てず、この習志野で静かに平和に暮らしたいのです。警察沙汰は御免ですからね」念を押すように言う。
 「それは考慮しよう、責任は一切俺が負う。何かあったら、みんな俺に責任を被せろ。俺には金も財産も、何もないし、あるのは多額の借金と、わが身一つに家内が一人」
 「そりゃあ、奥さんは一人でしょう。しかし、宗家は……」と言いかけて、その先を言うのを止めたのである。別れた前の別竃を気にかけたのだろうか。
 「妻子だってあってないようなものだ。俺には捨てる物は何もないから、万一、不測の事態が起こったら、俺の責任にすればいい。その点は俺に任せてもらおう。お前に迷惑はかけないよ、安心しろ」
 これは少しばかり大袈裟な言い方かな、と思うのであったが、自然にこのようなことを口走っていたのである。
 しかし、“テツ”の名前の由来を明かす必要があると言うので、進龍一は、こう言うのだった。
 「梶原一騎原作の本に“大東哲玄”という人物が登場します。それをもじって、奴の名前は“鉄玄”ではどうでしょうか?」と言うのだった。
 「鉄玄か……、いいだろう」
 進龍一の命名案に賛成した。
 私は、“テツ”の鉄は“鉄玄のテツ”でも、“鉄砲玉のテツ”でも、どちらでもよかった。そして“鉄玄”と命名された。
 その名は悪くもないし、“鉄砲玉のテツ”にしては、上等過ぎる名前だろう。
 以降、習志野綱武館の門人からも、満島某は「テツ!」と呼ばれることになる。

 私が満島某を内弟子にしたのは、彼が私の質問に対し、明確に回答したからであった。
 「お前は、内弟子をどのようなものと思っているか?」という質問に対し、「自分は、内弟子とは自分の師匠の“奴隷になる”と心得ています」と答えたことだった。
 「奴隷になるか……」
 私は満島某の返事を聞いて、顎
(あご)を撫(な)でていた。
 《こいつは面白いことを言う》と思ったからだ。

 「さて、奴隷だがなあ。奴隷には二種類ある。これを明確に答えられるか」
 「自分が思うに、まず従順な奴隷と、もう一つは反抗的な奴隷です」
 「従順な奴隷とは?」
 「諦めた奴隷です」
 「反抗的な奴隷とは?」
 「兇暴な一面を持っている奴隷です」
 この漢にしては的
(まと)を得た端的な答である。ある意味で、常人以上に明快な回答を持っていた。常人でも、これだけ端的に答える者はそんなに居まい。大半は「分りません」というか「奴隷に種類があるのですか」と訊くぐらいだろう。それにしては、この漢の回答な明確に短い言葉で説明し得たのである。バカではなかった。

 「では、お前はどちらの奴隷か?」
 「後の方ではないでしょうか……」
 「つまり、お前は反抗の牙を剥けば、自分で自分がコントロール出来なくなるということか」
 「そのように言われたこともあります」
 これは恐らく鑑別所に居る時、心理カウンセラーなどの関係者から、自分の心理状態やカウンセリング結果をそのように判定されたのだろう。
 要するに狂えば、自制心が効かなくなって暴走するということだろう。自分の性格の一面を把握しているようだった。あたかも、火病
(かびょう)を髣髴とさせた。
 火病とは、一節には近親結婚を繰り返した挙げ句に、遺伝的にそうした自制心の効かなくなる狂暴性が表面化するということを言うらしい。
 こういう人間をかつて一度だけ見たことがある。狂って暴走すれば、どうにも手が付けられないのである。死ぬまで突進して来るのである。

 それは中学のときであったが、普段は気の弱そうな温和な人間なのだが、これにちょっかいを出してからかって手を出すと、一旦このタイプの人間が立腹すると、もうそれ以降、全く手がつけられなくなってしまうのである。大人数人掛かりで抑えても、それを撥ね返し、火事場の馬鹿力のような猛烈な旋風を巻き起こして、周囲を袋叩きにしてしまうのである。
 あたかも、覚醒剤患者が取り抑えられた腕を無視し、あるいは骨折を無視し、更に反抗を企てると言う、まさにあれである。
 これは薬物か関与した現象であったが、凄まじいものである。
 覚醒剤患者の大立ち回りを、一度大阪で見たことがある。
 ことの発端は屋台で起こった。最初は「触れたの、触れてないの」いざこざから始まった。そして双方がキレた。
 キレた方は近くから拳大くらいの石を拾って来て、敵対者の頭上を一撃した。しかし頭上に石を見舞われた方は顔面血だらけになりながらも、屋台の調理側に廻り、包丁を持ち出して来て、石を見舞った方の背中に包丁を突き立てた。すると背中に包丁が突き刺さったまま相手も応戦するのである。この異様な光景を見たことがあったが、このようにエスカレートすると、もう全く手がつけられないのである。
 一瞬、満島某を見て最終的には、こうなるのではないかと夢想したのである。

 満島某が考える内弟子とは、彼個人の思惑のあろうが、この思惑はどこか昔気質の、古風な武芸者の内弟子でも想像していたのであろう。私はこの“古風”が気に入ったのである。
 勿論この古風は、私の考える古風と彼個人が考える古風には、相当な開きがあると思うのであるが、それにしても“奴隷になる”という言葉が非常に気に入ったのである。

 しかし、習志野に連れてきた“鉄玄”こと「テツ」は、頗
(すこぶ)る評判が悪かった。その風体が気に入られないのである。恰好が悪いのである。
 “ダメ男”の槍玉に挙げられたような「社会不適合」と評された。それに何処から見ても、彼の風体はブルーシート暮しの労務者を彷佛
(ほうふつ)とさせたからだ。
 着ている者は、まさに食い詰め労務者のそれであり、体臭もきつく、垢
(あか)に塗(まみ)れて「臭い」という印象を抱かせたからである。一言でいって、「現代の乞食」といってもいいくらいだった。この乞食スタイルを、何とかしてやらねばならなかったのである。
 また、テツ自身の意識改革も必要だった。テツが現代にマッチしなければ、内弟子にした私の人格も疑われそうである。

 “宗家が乞食を連れてきた”は、半ば公然と囁
(ささや)かれるようになった。
 陰で“宗家はあんな乞食男を連れてきたのか”という悪態が蔓延
(はびこ)っていた。
 テツの顔を見ただけで、誰からも“虫酸
(むしず)が走る”と毛嫌いされていたのである。
 また、種々の嫌がらせも受けているようで、誰かがテツの顔を見て、吐気を催すような、からかうジェスチャーをしたのだった。テツの恰好は表面的に捉えられ、頭から馬鹿にされた状態にあった。からかった者は、これだけでは、からかい足りないという表情を嫌悪とともに示したのだった。

 習志野網武館に連れて行ったときのことである。
 「あいつ、臭いなあ」誰かが言った。
 また他方から「あいつ、あれで20歳だって。年の割には老けているなあ。まるでオジンだ」という、わざと聞こえるような、囁
(ささや)く声が上がった。
 そのときテツの眼が、その者に向けてキラリと炯
(ひか)った。闇の中で鋭いものが点灯したという感じであった。一瞬の鋭さが、細い眼に宿っていた。
 テツは表情をあまり貌に表さない漢だったが、侮辱
(ぶじょく)されると急変して、狐のような細い目が更に細くなり、そこに眼光の鋭さを発するのである。あたかも、赤く烱るのである。それだけに何を考えているか分らなかった。
 この道場の馬鹿者どもは、畏怖戦慄
(いふ‐せんりつ)すべき存在を全く理解していなかった。少なくとも、テツの眼から、兇暴に荒れ狂う気配を読み取らなければならない。これを読まないのが素人の怕さだった。
 素人の怕さで、まず二つのことが挙げられる。その一つは恐怖心に捉われて竦んで怕さから一歩も先に足を進めることが出来ないことと、もう一つは畏れを知らない高慢な怕さである。
 私が瞬時に感じたことは《テツがキレるかも知れない》という怕
(こわ)さだった。それを感知する度に胸騒ぎを覚えるのである。果たして、この漢の正体は素地か鍍金(めっき)か。
 素地は磨けば磨くほど烱るが、鍍金は磨けば磨くほど剥
(は)げる。

 私は、この内弟子を当時、世間さまから苛められて来た分だけ、引き算や割り算で評価するのでなく、足し算か掛け算で評価してやりたいと思った。
 つまり、慈悲の心で接し、どんなに人は墜ち出ても理想は捨ててはならず、また創造する努力を怠ってはならないことを教えてやりたかったのである。足し算人生の功徳である。あるいは掛け算人生の醍醐味であったかも知れない。
 この漢に2の力があれば、1を足して3にして遣ればいいし、2を掛けてやれば4にして遣ればいい。これこそ、足し算や掛け算の利得である。
 こうして殖えた数字に、更に1を足せば、3では4になるし、2を掛けて遣れば4は一挙に倍の8になる。これこそが創造であろう。そしてこれまで閉ざされた者は心を開き、創造に意欲を燃やす。

 古来より、「士は己を信じる者のために死す」という。命懸けで働くと言う。
 だが0では働きようがない。幾ら元の数字が大きくとも、掛け算で、0を掛け合わせれば、もう何も残らない。人の力を精一杯引っ張り出して遣るには、2以上の数字を掛け合わせて行かねばならないのである。精一杯生かすには何よりも愛情を注いでやることだ。
 それは物を物で見る経済的な利用法でなく、物の中に生命が存在している有機的な結合に対して、愛情を注いでやることである。
 そうすると、人は恐るべき力を発揮して何倍にもなって貢献してくれるのである。
 本来創造とは、人が見向きもしない物の中に転がっているような気がするのである。



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