運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 40

人間の五感に感じるものに不快があり、苦痛がある。
 こうした事態に陥った場合、人は誰でも早く苦しみから逃れようとする。不快なるものからは一刻も早く遠ざかりたいと思う。
 ゆえに便利で快適なものを選択する。
 それを導入しようと考える。これこそ、多くの現代人が先入観として捉えてしまった思考である。誰もが、幸福は物質的な豊かさの中にあると思った。その追求こそ幸福だと信じ込んでしまったからである。

 昨今は幸福の原点を、物の有無に求める時代に変貌した。
 持てる者か、持たざる者かの違いにおいて、幸福度の基準が変わってしまったのである。
 斯
(か)くして貧乏は、人間の尊厳において許されない時代に突入したと言える。
 富者礼賛は、ここに始まったと言えよう。

 貧乏は、人間として許されてはならない現象であるとなった。
 貧困は駆逐されるべき近代の課題となったのである。
 それに反して、精神的貧困に陥らなかっただろうか。
 貧困が駆逐されるべき課題であるのなら、精神的貧困も駆逐されるべきであろう。


●ダボハゼ

 人は変わるものである。
 だが、変わるための要素は偉大な書物からであり、書物の中から歴史上の人物に学ぶからである。
 良書は、同じ本でありながら、繰り返し読まれる本こそ価値があるというもので、こうした書物に限り、本当に自分のための智慧となり得る。また智慧を集積することで、人生の原動力になる。また理想の道標は本の中に在
(あ)ると言えよう。
 だが、世に良書の類は少ない。
 一度読めば、もう沢山と言う本ばかりが満ち溢れている。更に、書籍は商業ルールに載って、販売されるため、良書と売れる本が綯い交ぜとなり、売れる本には意外に良書が少ないものである。売れる本と思って購入したら、読んでいて向かっ腹の立つ本もあるし、ゴミ同然のゴミ箱直行の本もある。書籍とは名ばかりで、消費者はいつの間にか出版社の画策に嵌まっていることもある。
 その意味では、人間は経済が先立つと、精神が未熟化して退化するようである。
 また、人生は常に発展途上にあると言っていい。その道は発展途上の過程の中にある。その自覚が明確は人ほど、本を読もうとする。本から何かを知ろうとする。
 しかし残念なことに、発展途上段階で、繰り返し読みたくなる方は少ないし、逆に何度繰り返し読んで飽きることなく、その一冊を長らく所持する人は幸せである。

 そのことを言ったのは、フランスの作家モンテルラン
Henry Millon de Montherlant/貴族の家に生れ、厳格な宗教教育を受けたのち、第1次世界大戦に志願して重傷を負い後に小説家となり劇作家となった。恋愛よりもスポーツを好む貴族的な男性像を描いた。絶対性を追求したのち、ピストル自殺。 小説『朝の交代』『闘牛士』『若き娘たち』、戯曲『死せる女王』など。1896〜1972)である。
 彼は価値観の崩壊した時代における苦悶・孤独を基調に、男性的な行動主義の作家として知られる。
 更に言及して、彼は「その生涯において、何度も読み返し得る一冊の本を持つ人は幸せである。さらに数冊を持ち得る人は至福の人である」と言った。

 日本では二宮尊徳
にのみや‐そんとく/江戸末期の篤農家で、神・儒・仏の思想の報徳教を創め、自ら陰徳・積善・節倹を力行して殖産を説く。1787〜1856)が《心眼の諭し》(『二宮翁夜話』1‐45)として、「それ天地の真理は、不書の経文にあらざれば、見えざる物なり。この不書の経文を見るには、肉眼を以て、一度見渡して、而て後肉眼を閉じ、心眼を開きて能く見るべし。如何なる微細の理も見えざる事なし。肉眼の見る処は限りあり、心眼の見る処は限りなければなり」との名言を残している。
 こういうものは、後々まで残る。生涯飽きることなく、至福が得られる本の価値は大きい。
 本の魅力は、また作者の人物像の魅力でもあるからだ。
 では、何故本を読むのか。
 人は時として窮地に立たされることがある。
 二進も三進もどうにもならないときが人生には何度か訪れる。そこで「何か」を探求する気持ちが起こる。

 学者にして政治家で、読書録『酔古堂剣掃
(すいこどうけんすい)』を著した陸紹(りく‐しょうこう)の言葉に次なるものがある。
 陸紹は、字を湘客という。
 そして『酔古堂剣掃』は、長年愛読した儒学・仏道の古典の中から、自身が気に入り心に懸かる名言ばかりを抜粋し、それを収録した特異な読書録である 。名言集とも云うべきものである。
 また、この書は自然の描写と観察が豊富であり、あたかも『菜根譚』を髣髴とさせるところがある。
 その書の中に、次なるものが記されている。

 「人、病中に在
(あ)れば、百念、灰の如く冷なり。富貴ありと雖(いえど)も、享(う)けんと欲して不可なり。反(かえ)りて、貧賎(ひせん)にして健康なる老を羨(うらや)む。この故に人能(よ)く、無事の時は於て、常に病の想(おもい)を作(いた)さば、一切、名利(みょうり)の心、自然に掃(はら)い去らむ」
 人は病気になって、はじめて健康の有難さを知る。
 しかし、人は健康の有難さの中で、どれだけ多くの愚行を重ねて来たことだろうか。
 このことを考える人は少ない。
 ただ、自分が健康でありさえすれば、かつての愚行など決して顧みないものである。
 故に、“顧みない”ことが、また健康と言うのかも知れない。

 現象界は刻一刻と変化する。晴れの日もあれば、暴風雨の日もある。
 そして気付くことがある。
 台風や嵐、大雪の中で行く手を阻まれ、悪天候で難儀に遭遇すると、天気の有難さが分る。ここに至って、晴の日を顧みる。
 これを同じように病気の時には健康の有難さが分る。時には、軽い病気などをして寝込むと、心の修養になると言うのである。
 だが、もっと大事なことは、人は健康なときに、数え切らないような愚行を重ねるものである。健康を健康とも知らずに……。
 つまり「愚を捨てろ」と、『酔古堂剣掃』は教えるのである。

 人間の傲慢
(ごうまん)は、邪から起こる。邪に取り憑(つ)かれると、人間が傲慢になる。尊大になる。それはまた、愚を抱え込んでいる証拠でもある。
 傲慢は邪をもってなるから、邪が支配すると尊大が顕われ、気付かないうちに魂を段々腐らせて行く。こういう類
(たぐい)は、有名人や政治屋などの多く見ることが出来る。
 心の不健康、甚だしきと言えよう。愚者だからだ。

 では、心の健康とは如何なるものか。
 陸紹は、武にも文が必要であると論じている。
 「書は以て人の神智を益すべし。剣は以て人の心膽
しんたん/胆(きも)の意)を壮にすべし。是(こ)れ古人の書剣を併称する所以(ゆえん)にして、而(しか)して文事ある者は必ず武略あるなり……」とある。
 片手落ちの戒めである。「文」の戦略なき者を愚としているのである。

 ゆえに人間、困窮に苛まされたり、心に苦悩を抱えるときは、誰しも心を支える言葉を必死で探すものである。「文」の戦略なき者を愚と悟るからである。
 そこで言葉を探す。困窮からの突破口を探そうとする。こうした言葉は不倫小説や恋愛小説の中には存在しない。その確率は極めて小さい。止むに止まれる気持ちで、本にぶつかって行くものである。それは本当の読書である。生命に緊張を覚えるからである。
 生命は緩慢の中では育まれない。不倫小説や恋愛小説の類で人生を満喫出来ると考えている人は、実に幸せな人である。

 しかし、窮地に立たされ生命に危機が迫り、どうしようもないような土壇場に追い込まれれば、人は書物の短い言葉の中から、何か心の支えを探そうとするものである。平和に享受する安穏とした日々からは程遠い心境となる。そこでこれまでの愚を悟る。愚行を重ねた結果、思い知ることである。
 書物にはそう言う威力があるのである。
 生涯において、何度も読み返し得る本を持つ人は幸福な人である。更にそうした本を数冊もち得る人は至福の人であろう。
 人生の教訓の多くは、書物の中にある。しかしどの教訓も、万人に当てはまると言うものではない。
 その人にしっくり来る、適合する教訓は、たった一つの言葉や、短い文章の中に内在している。悟り切った禅擬きの箴言や小難しい論説調の文章にあるのではない。また薄利多売的な量より、あるいは万人が飛びついた一世を風靡するそうした書物より、自分に適合した一点の質的な一句が、時には人を奮い立たせたり、懦夫
(だふ)を勇者に変身させるのである。それは困窮時のみに得られる現象である。

 ところが一方、若い頃は鮮明な喜びと感銘を覚えたものであっも、後に読み直してみると然程
(さほど)のものでない場合がある。
 齢
(よわい)を重ねて老熟すると、同じ本を再び反復熟読してみても、かつての感動は消滅していることがある。当時は一世風靡し、時代や流行の象徴であったにも関わらず、以前のめり込んだような感動が色褪(いろ‐あ)せていることに気付く。
 老いて練れた状態に心が鍛練されて行くと、違った感覚に襲われる書籍も少なくない。若い頃、読んだ本に何故か向かっ腹が立つ場合がある。したがって色褪せない本ほど名著といえるだろう。
 名著の中には常に真理が追究されているからである。

 一方、不倫沙汰などや恋愛ものは、歳とってから読むとバカバカしいと言うより、向かっ腹が立つ場合の方は多い。
 そういう本は、名著とは謂えない。
 名著に出遭うのは、人生の中でそう度々あるものでない。あたかもよき師に出遭うが如しである。しかし、よき師はそう簡単には出遭えない。窮して始めて出遭う機会を得る。
 それまでは、人生の表皮で生きているから、深部によき師が埋もれていることは見逃しがちである。窮して始めて、そこに埋もれている「何か」に気付くのである。
 そうした「何か」に気付いたのは、困窮し、ドン底に堕ちた以降のことであった。

 私の場合は、自社の倒産によって、浪人を余儀なくされた。平成2年9月のことである。
 企業として健全な体質が失われた企業は、淘汰の理論から消滅する以外ない。
 こういうところには、確かにダーウインの進化論の「自然淘汰
(natural selection)」が生きていた。社会ダーウィニズム(social Darwinism)は生きていた。
 生存競争ならびに適者生存の原理は、人間社会では生きているのである。
 人間社会には、闘争と優勝劣敗の原理が支配する側面があるのである。昨今はこの側面現象が、ますます顕著になり始めているようだ。
 斯
(か)くして私は、社会ダーウィニズムの適者生存の法則に従って、経営者として淘汰された。淘汰以降の再出発で、かつて見逃して来た「何か」に気付き、そこから辛うじて這い上がった。

 一口で自然淘汰と言う。適者生存と言う。
 世に中には、人間を篩
(ふるい)に掛ける「選別機」は仕掛けられている。篩いに掛けられ落されれば、もはや“それまで”である。掛けられないように努力はするが、しかし人生の仕掛けは、人間が考えるほど甘くはない。
 墜ちると言っても、墜ちること自体がまた一苦労である。簡単にドン底まで到達出来ない。墜ちて行く過程に様々な傷害物があり、墜ちるにも、途中で引っ掛かりつつ墜ちるから傷だらけになって墜ちて行く。ドン底に墜ちた時にはボロボロである。それから暫
(しばら)く傷を癒すために、幾らかの時間を必要をする。漸(ようや)く傷が癒え、浮上の時をそこで俟(ま)つ。俟つ間に浮上するために道具を揃えねばならない。

 灰の中から蘇
(よみがえ)る不死鳥でも、灰無しでは蘇れない。身を灼いて灰の中から蘇る不死鳥は、少なくともはいを必要とする。
 私の場合は過去の否定が灰の材料であろうが、否定は極端ではあってはならないし、否定を急ぎ過ぎても行けなかった。先ずは、羽ばたくための新しい蘇った生命の羽ばたく音を聞かねばならない。その音を聴きながら、過去の否定されるべきものは、自ずから振り落されて消えて行く。
 その間は、浪人生活に甘んじればいいのである。急ぐことはない。焦りも禁物である。暢気
(のんき)に構えて「陽気暮らし」をしていれば済む。

 その後、平成2年9月から平成4年4月まで、約26ヵ月間、ある不動産会社の嘱託として迎え入れられ顧問になるまで、浪人生活を送った。この間が私の浪人時代だった。
 当時は何を遣っても、お手上げだった時代であった。
 では浪人時代を、どう過ごすせばいいのか。
 まず、北九州小倉から千葉県習志野へと緊急避難した。早い話が債権者を逃れての「夜逃げ」である。墜ちた一瞬だった。
 わが身一つで上京し、住み着けるような橋頭堡
(きょうとうほ)を確保するために、家内を北九州小倉に残したまま、今後の身の振り方を模索したのである。そして五ヵ月後、家内を習志野に呼び寄せた。
 陽気暮らしのこの当時は、一人でよく銀座を歩いたものである。そこで、今までとは異なる景色を眺めて客観的な目を養った。
 夕暮れ近くなると、習志野から津田沼経由で総武快速に揺られ、東京に向かったものである。
 しかし席は何故かグリーン車だった。

 人間の習性は不思議なもので、一度身に付いてしまった“お大尽”意識は、そう簡単には治らない。私は人いきれが好きでない。人が密集するごった返しや、押し競饅頭
(おしくら‐まんじゅう)の満員の中や、他人の熱気でムンムンするそうした空間が好きではないのである。
 あるいはこれは、一種の生まれながらの防衛本能かも知れない。人が詰めかける行楽地に行くのも好きではないし、あるいは花火大会や、その他のイベントで人が蒸れる場所は好まないのである。
 閉所恐怖症ではないが、窮屈でなく、契約を受けず、縛られない自由な、広々とした空間が好きなのである。そのために惨事に遭
(あ)わなくて済む。
 かつて、明石花火大会歩道橋事故があった。七月中旬以降に起こった惨事である。
 この時11人が死亡し、247人が重軽傷を負った。以降も責任の所在で大揉めに揉めた。犠牲者は気の毒である。
 しかし、私はこういう人いきれで圧迫される密集空間が好きでなく、酒を呑むにも、人でごった返し、嬌声が飛び交った煩
(うるさ)い喧騒が飛び交う場所は好まないのである。静かな佇まいが自分の習性に適(かな)っているのである。

 津田沼から東京に向かう。
 これは通勤とは逆のコースである。したがってグリーン車はがら空きである。こうしたがら空きの車内を脚を投げ出して、一人悠々と四席を陣取って40分足らずの道中を外の景色とともに楽しんだものである。こうしているだけで、自分のはまだ余裕があるということに気付かされるのである。単にゆとりではない。落ち着いた精神的な余裕である。
 この余裕に自分を取り戻す何かがあることに、気付たのもこの頃からであった。
 東京に出て、次に山手線に乗り換え、新橋で降りて、この地域をよく歩いたものである。歩くのは観察の意味があったのかも知れない。

 気が向けば、飲み屋の赤提灯の燈火
(あかり)に誘われて、何軒もハシゴしたことがあった。要するに、酒呑みの習性がそうさせていた。しかし、店が込んでくると、直ぐに他に鞍替えするのである。
 人いきれで蒸れるところは好きでないのである。嬌声も好まない。煩いと直ぐに鞍替えするのが私の習性であった。私には、喧騒は精神衛生上悪いのである。直ぐに、防衛本能の危険を知らせるシグナルが鳴るのである。
 静かな中に、自分の何かが横たわっている感覚を覚えるからである。その佇まいを離れたら自己を失う気がするのである。
 喧騒を離れた静かな佇
(たたずま)いこそ、都会にあっても、まだ何か捨て難いものを観じるのである。都会の中の静寂。そこにはこれまでにはない「何か」に気付かせるものがあった。
 それは必ずしも群れた集合体の中でなく、疎
(まば)らな小数の中に、本来の人間の習性の「何か」を見ていたのかも知れない。あるいはこの時を機に、無意識のまま、角度を変えた人間研究の観察が始まったのかも知れない。

 したがって私の場合は、都会の喧騒と夜の巷のネオンが、必ずしも一致せず、都会の巷
(ちまた)にも静寂なる佇まいがあることに気付いたのである。私の“山籠り否定説”は、ここに始まったのかも知れない。

 静寂を味わうのは、何も山籠りだけでない。心の安らぎは無心になることで得られる。
 何も深山幽谷の、都会とは隔離された場所ばかりではない。静かな環境は場所を選ばないのである。
 むしろ反対に、心が動かず無心になる境地は火の中で在
(あ)っても、心境次第で自然に涼しくなると言っている。
 現に織田信長によって、一山の僧ともども焼き殺された臨済宗の僧・快川紹喜
(かいせん‐しょうき)は、「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦(ま)た涼し」【註】杜荀鶴の原典は「火も自ずから涼し」とある)の辞世を残したが、ただ注意したいのは「火が涼しく感じられるのは異常感覚であり、この異常感覚の偈(げ)を述べたのではなく、また悟りに至れば五官の感じ方も変わると言ったものでもなく、無心で心が動揺しなければ、五官までもを制御して神経を支配した境地に佇むということを言っているのである。その状態に至って、火は火の意味でなく、そういう恐怖から解放されると述べたものを解釈出来る。
 但し、凡夫には到底その境地に至ることは難しいように思う。

 そこで山籠りに頼らない、こういうのはどうか。
 臨済義玄
(りんざい‐ぎげん)禅師の教えはどうか。
 「一人は孤峰の頂上にいて、而
(しか)も世俗を超越する路がない。一人は十字街頭にいながら、その差別に捕われず、而も自由を持っている」
 臨済禅師は何れが自由を得ているか、孤高を持しているかと問うているのである。
 前者は確かに悟りの境地に達したかのように映る。絶対平等の意識にありながら、しかし現実には、娑婆との隔離された孤峰の頂上にという相対的な二次元俗世に束縛されているのである。そこには隔離された世界という差別がある。
 一方後者は、深山幽谷の中に聳
(そび)える娑婆とは掛け離れた環境でなく、十字街頭にいて差別と平等を区別することなく、自在に世の中を生きている。然(しか)も心には何の障(さわ)りもない。
 禅的解釈によれば、前者を「上求菩提
(じょうぐ‐ぼだい)」といい、後者を「下化衆生(げけ‐しゅじょう)」といい、静寂な何も深山幽谷だけでないと言っているのである。
 どんな静かなところを探し求めても、それに隔たりを設け、平等と失って、差別に走れば所詮それは悟ったと言っても、生悟りでしかないと言っているのである。
 しかし、私は都会の喧騒の中に「下化衆生」があるとも思わないし、また都会の喧騒を離れて深山幽谷の僻地の山奥のみが「上求菩提」の場とも思わないのである。
 何れが自分に合うか、自身で感得すれば済むことであり、ただ嬌声の耳障りの悪い障害だけは御免被りたいと思うだけである。
 静寂は自身の内で、感じるところで幾らでも見付けることが出来るのである。宝はその中に在
(あ)ると思っている。

 真物の宝と言うものは、凡夫
(ぼんぷ)には中々気付き難いものである。裡(うち)にあっても見逃してしまうことが多い。
 形あるものは、やがて滅ぶ。だが、真物の宝は滅びないし威力を失わない。これらは無形であり、無形の宝は総てを超越する。この宝を持つ者は、堂々として生・老・病・死を超えているのである。
 『法華経』にはこんな譬
(たと)え話がある。

 ある貧者が放浪の果てに、ある時、かつての友人と出くわした。友人は政府高官に登り詰めていた。
 貧者は貧者のままであったが、貧者の友人は政府高官になっていた。
 また金持ちの美女を妻に迎え、大そう豪毅な暮らしをしていた。
 貧者は今の自分と彼を見比べる。政府高官と最階位の底辺では歴然と貧富の差はあるが、しかし、かつての友人は親友でもあった。
 貧しているからと言って、冷たくあしらうことはなく、昔のままに大そうな持て成をしてくれた。
 富者は、貧者をまず美酒と美食で持て成し、貧者は今までに食べた事のない大そうな御馳走を食べ、生まれて始めて最高の美酒を呷
(あお)った。口当たりのよさに呷り過ぎた。あまりにも、いい酔い心地に深酒をし、酔い潰れてその場に寝込んでしまった。
 このとき高官の許には役所から急な呼び出しが掛り、出仕を命ぜられた。そこで貧者の友人を起こそうとするが中々起きない。眼を醒まさないので已
(や)む得ずく、一計を案じるというか、一策を考えたと言うか、貧者の着衣の裏側に高価な宝珠を縫い込んだのである。彼の貧困を察してのことだった。以降の生活の糧になればと思ったのだろう。
 次の朝、貧者は眼を醒まし、友人が昨夜のうちに出仕したことを知り、そのまま放浪の旅に出た。貧者は自分の着衣の裏に、宝珠が縫い込まれていることには気付かないままである。
 高官はそれから何年か経って、また貧者に出会う。貧者は宝珠のことは何も知らなかった。そして着衣の裏に宝珠を縫い込んでいたことを明かす。そこで貧者は始めて気付くのである

 多くに人は幸せを求めて生きていることは事実である。
 しかし追い求める幸せが、見せ掛けの幸せであっては、いつまでも迷いの夢追い人になってしまう。夢追いの奴隷になってしまう。
 現代人の多くは、喩え金銭や物財に取り巻かれた生活を送っていても、内実は貧乏である。
 また自分では健康と思い込んでいても、内実は半病人である。有り余る才能を持ちながら不幸であり、悲しみに満ちた生活を送っている。
 そして多くに人は、本当の幸せの胤
(たね)は自分の裡側にあり、自らの心の奥深くに仕舞われていることに気付かない。気付かない人で、世の中は溢れている。
 当時の東京も、こう言う人で溢れていた。大半は外に幸せを追い求める人達であった。

 山手線で新橋で降り、日劇辺りに向かうこのコースでは、此処を歩く人は、みな希望に溢れているようだった。多くの人は多忙の延長上に、わが身を置き、夜のネオンにあっても多忙のようであった。忙しなく活発に動いていた。それだけに時代の流れの速さを感じる。
 時代が移り変わると、都会の澱
(よど)んだ空気の中に渦が巻き起こり、巻いた渦は、特に流れに併せて早くなり、距離も短くなって地球上の総ての生き物の上で起こっている事象が、一瞬のうちに展開されるように映って来る。
 同時に、現代人の意識の拡大が急速に進み、日常の話題にも変化を見せ始め、個人の生活も、今日は昨日と同じようには行かなくなり、このテンポの速さは、現代人が体験している一種独特のものになってしまった。現代社会は、長い時間を掛けて醸成することが難しくなった時代だと言えよう。

 バブルが崩壊したとは言え、人々は自信に満ち、何故こんなに自信があるのだろうと思うくらい、胸を張っているようだった。多忙の中での自信である。
 この自信の背景には、金儲けも、人に愛される人気も、既に整ったと言うことを暗示するものであろう。これらの幸せの準備は、整ったと言う自信から起こるものだろう。
 それに比べ、「この俺は……」と思うのである。

 他と比べて比較する媒体を多く検
(み)たからである。これも小数での観察から見えて来るものがある。ごった返しの群れの中からは決して覗けないものである。そこに人の人生の側面を覗ける角度があった。その角度の隙間だけ、人の観察が可能になるのである。
 現代人の自信と言うものも、垣間みたような気がする。
 巧く立回り“勝ち組”に加わった者もいる。あるいは酬
(むく)われずに、窓際に押し込められてしまった“負け組”もいる。ここには人生の勝ち負けが存在していた。
 この自信は“勝ち組”の中だけにある意識だろう。
 しかし、“勝ち組”の中でも悩める部分がない訳でもない。
 それを挙げれば、このグループの中にも、不安や心配で心が満たされるという恐れがない訳でもあるまい。特に働き盛りの病気は大敵であり、それを機に一気の不幸の種が発芽するかも知れないのである。目的をほぼ半ば成就したと言う行動律の中には、今の安定を喜んでいられない側面も横たわっているのである。
 斯
(か)くして、幸・不幸の種の発芽の準備は整ったのである。
 勝ち続けることだけが“勝ち組”の専売特許ではあるまい。

 私は“負け組”に即した人間である。一敗地に塗れて野に下った人間である。
 しかし反面、「人生はプラス・マイナス・イコール・ゼロ」という人生の『貸借対照表』の法則を信じていたから、一方的に不幸に陥ることもないし、また、一方的に幸福にありつくと言うこともない。人間万事、何事も半分半分なのである。そう信じていた。
 またこの観測は、今でも間違っていないと思う。
 それは最終的にはプラス・マイナス・イコール・ゼロなのである。結局そこに落ち着く。
 そしてこの考えは間違っていなかった。やがて、落ちた分だけ「浮かぶ瀬」も見つかったのである。

 作用に対して反作用が働く以上、人の情けも、愛の恵みも、悦びの後の悲しみも、悲しみの後の悦楽も、結局はプラス・マイナス・イコール・ゼロなのである。
 苦悩は、一局面に過ぎなかった。永遠でない。

 習志野の浪人時代は、家内に学習塾を遣らせ、私は遊んだと言う次第である。
 この構図は「紐
(ひも)亭主」などと揶揄されたが、言いたい者には言わせておいたのである。
 しかし事実は、家内に学習塾を遣らせ、経営までさせて働かせ、自分は好き勝手に遊んだのである。この事は否定しない。
 私も少しは、家内の仕事を手伝ったが、約2年2ヵ月は殆ど好き勝手に遊んだのである。
 これは、一見「紐のような生き方」に映る。ジゴロ的である。それは否定しない。
 しかし、実はそうではなかった。再起するための準備であり、また敗者復活戦に対戦するための調整期間であった。その継続中であったのである。
 この期間中に、あれこれと煩く言われたり、愚痴や小言が洩れれば焦ってダボハゼにもなり易い。
 そして最も救われたのは、この間、家内が「どこかに就職したら……」などと一度も言わなかったことである。
 それを私は「好きなことをして遊べ」と勝手に解釈したのである。

 浪人生活の素浪人男にとって、「甲斐性無し」などの小言や、愚痴が飛び出したら、やはり男としても情けなくなり、これだけで「何処かに就職しなければ……」と焦りも出て来る。
 そうなると、浪人生活と言うのは、女房や家族の方が、先に音を上げてギブアップしてしまうものである。
 そして就職運動も、ダボハゼ的になり易い。

 ダボハゼ的とは、何でも飛びつくと言う意味である。
 目の前に何かちらつくと、見境を失う。そうなると間違いなく失敗が連続する。責められれば焦りもする。焦りから何かに飛びつく。そのうえに選択眼が曇る。飛びついた先がいい場合は少ない。たいていは悪い。不良品に食らい付く。
 焦ると、飛びついたものは粗悪である場合が多く、悪い時には、悪いことが重なる連鎖性が阻止出来なくなる。ここが一番恐ろしいのである。

 このことを、知ってか知らずか、家内は小言や愚痴を吐かなかった女である。
 ゆえに私は何も気兼ねなく、家内に遠慮することもなく、あたかも女房泣かせの落語家・桂春団治のように悠々と遊んだのである。
 だいいち家内が遊べと促している以上、何も遠慮することはない。そう思って遠慮なく遊んだ。極楽トンボの日々であった。

 こういう日々を送ると、時の流れを観察も出来る。徐々に観察眼が養われて行く。
 観察眼は多忙の生活の中では養うことが難しい。見る方向が一方方向になるからである。
 方向も「逆方向がある」ということが分るのは、多忙から解放された時である。休暇などのオン・オフ切り替えだけでは、見えて来ないものまで見えて来る。
 怪我の功名ならぬ、浪人生活の功名であった。
 有情というのが見えるのも、こうした生活の中に在るようだ。

 また貧士に客好きの家には多くの人が訪れた。その頃の習志野時代、家内が忙しく走り回っていた頃を懐かしく思い出す。
 習志野に来て、家内は知り合いになった店屋も随分あったようだ。多くは珍味の店だった。
 更に家内の特性は、誰でも直ぐに馴染んでしまうことだった。知りあって、もう次には、その家に上がり込んで、お茶やお菓子を食べているという、何とも奇妙で図々しいところがあった。それだけに風変わりなものを探し出して来る。貧士の客好きに併せたのだろう。

 私は根っからの客好きである。
 また家内は、客に酒を出し、珍味と言われる肴を次から次へと出し、来客者を飽きさせなかった。ほどよき見計らったいいタイミングで出て来る。この酒肴が来客者には好まれたようである。その来客者の一人に、バロン先生もいた。

 そして呑むほどに心地よく酔い、いい終日が暫く続いた。
 まさに、「貧士の客好き」である。
 私の客好きは、おそらく深層心理の何処かに「議論したがる」という意識が眠っているからであろう。とにかく金もないのに、酒を呑ませて、朝まで議論するのが好きだった。また意見交換の中から学ぶことも多いからである。
 思うに、客には二種類が居るように思う。人の貌さえ見れば、何かを諭そうとする人がいる。そういう人からは大して諭されるようなことはない。また、人の貌さえ見ると、何かを学ぼうとする人がいる。そう言う人は殆ど何も教えてやることがない。
 そして好き者同士が、いつの間にか「親交」を通わせる場合もある。
 私の心情には、常に「朋
(とも)有り、遠方より来る、また楽しからずや」があった。



●比較秤量

 私の浪人暮らしは相変わらずだった。長らく続いていた。時には家内の塾を手伝ったりはするが、しかし毎日が退屈で仕方ない。
 そこで、本でも買いに神田神保町にでも行って見るかとなる。
 『酔古堂剣掃』には「窮して書を買う能
(あた)わず。而(しか)も奇書を好む」とあるではないか。

 何日か前、テレビ
(これは明林塾時代の進龍一の置き土産で32インチのテレビがあった。今では珍しくもないが、当時はこの大きさで80kgもあり70万円したという代物である)を見ていて、面白いオヤジが出演しているのを見た。
 このオヤジは名の知れた私大の教授で、たいそうな金持ちにも見えないが、給料を丸ごと使って、以前から欲しいと思っていたある全集を思い切って買ったと言う。月の給料丸ごとを使い込んで全セットを六十万円で買ったと言うのである。
 全集が六十万円するなどは大して珍しいことではないが、興味の対象は、その教授の妻君である。妻君がこれをどのような反応をしたかであった。司会者の興味津々たるところは、この一点に懸かっており、私もその一点に興味があった。

 さて妻君は、山内一豊の妻か否か?……。あるいはホーソーンのソフィア夫人然か?……。
 また教授夫人は悪妻・恐妻の類か?……。もし悪最・恐妻の類だとしたら以後、夫婦不和となったり、家庭崩壊が起こったのか?……。
 外野の野次馬としては、これ以外の楽しみはあるまい。野次馬の好奇心はその一点だけにある。
 司会者との問答は次のようかことであった。

司会者

全集を買い込んだとき、奥さまはどう言いました?
教 授 そりゃァ、カンカンですよ。幾ら出来た女房でも、底抜けの楽天家は居ませんからねえ。
司会者 そりゃ、そうでしょ。
教 授 ところがですなあ、人間は男女に限らず面白いものですよ。
司会者 どう面白いのです。
教 授 この世に不満のない人間は居ないということですよ。
司会者 分りませんねえ。(司会者は教授の言った言葉の意味が釈然としないらしい)
教 授 私は女房に、こう言いました。世の中に不満のない人生を送りたいと思うものは居まい。しかし私の望む人生は、不満が平和を乱す原因とならず、創造への発端となることを願っている。それだけに苦悩のない世界に棲みたいとは思わない。願う人生は、また棲みたい世界は、苦悩が絶望の原因とならず、勇気への刺戟、また希望への刺戟であることを望む。それに何よりも、私は学究の徒であり、まだまだ学び足らん。そこで惜しげのなく給料を叩いて全集を買い込んだ。文句あるか、と。
司会者 奥さまはどうなさいました?
教 授 黙り込んでしまいましたよ。

 この問答は世間一般の常識上の議論や遣り取りではない。人生の目的を問うている。
 果たして給料を丸ごと叩いて、全集を買った教授に軍配が上がったのか、それとも教授夫人か。私はおそらく教授に上がったと思う。
 一般サラリーマンの世間普通の常識では考えられないことであり、また教授は、夫人を宥
(なだ)めたとも思わない。人生の目的意識を明確にしただけであった。それが明確に出来れば、妻君は何も言わずに蹤(つ)いてくるということである。

 教授は決して亭主関白ではなかった。目的を明確にしたのである。そして教授は微温湯
(ぬるまゆ)に浸かっているような人生を送っていなかった。
 毅然とした態度が執れるのは、自分の職業を充分に理解しているからである。伴侶も、亭主の職業を理解する義務が背負わされる。それだけに教授夫人は、愚痴や小言一つ洩らさず、黙してしまったのだろう。

 微温湯に浸かる、微温
(ぬる)い風呂は、所感としてあまり気持ちのいいものではあるまい。
 微温い風呂は入っていても、気持ちのいいものではない筈だ。鈍
(のろ)くなって精神的に腐る。
 ところが、微温いからと言って出ると、寒い日は、なお寒い。特に昔のように内から追い炊き設備のない、薪を焼
(く)べる釜風呂なら、尚さら寒くて微温湯から外に出られない。そのために浸かったまま出られず居座ってしまう。仕方なく入っている以外ない。
 これは職業やその仕事にしても同じだろう。
 微温湯に浸かるような、そんな気持ちで自分の職業や仕事に従事している人があるとしたら、その人は実に不幸な人である。
 よく世の中では、自分の職業や仕事を「つまらん仕事」などの言葉で表現する人が居るが、それは“その程度の一生”で終わるということを意味している。そして、その程度で終わる人の何と多いことか。
 自分の人生の目的意識を明確に出来ないからである。仕事は「つまらん仕事」になる。

 ところが世間には、人生の目的意識を明確に出来ない亭主族が、余りにも多いということである。自らの人生の指針を明確に示すことが出来ない。自分以外の他人に需
(もと)めている。他人の人真似ばかりをする。
 こう言う人に限って、何かにつけ「仕方がない」と言う。こういうことを言う人ほど、実は仕方のない人なのである。
 また、仕方のない人は、「機会に恵まれなかった」とか「運がなかった」などの言葉をよく口にする。その他大勢の人に見られる、非常にしばしば耳にする言葉である。
 この言葉をよく考えてみると、機会に恵まれなかったのではなく、「機会を求めなかった」の間違いであろう。機会を求めなかったと言うべきところを「機会に恵まれなかった」とか「運がなかった」と言い訳しているのである。詭弁である。
 この言い訳の出所は、人生の目的意識が明確でないことから起こった。

 目的意識を明確に出来る人は、結局は読書量に比例した広い見識の世界観があるからだと思うのである。それに加えて人生の高速道路を驀地
(まっしぐら)に直進して来た人間よりも、至る所でアクシデントに遭遇しながら、ジグザグコースで転々として来て苦労を背負い込んで来た人間の方が人物的には遥かに魅力があるものである。
 但し、忘れてはならぬことがある。
 苦労ばかりをすると、悪くなる人間もいるし、生き方が巧妙になって、穢
(きたな)くなる人間も多くい。苦労漬けになった人間が、何も多くの教訓を身に付けている訳でもないし、また何も苦労ばかりがいいと云う訳ではない。その真贋を見分けるには、見識がいる。その見識を養う上で、読書量のある人間は、人物洞察力が優れていると言えるのである。
 私が読書をするのはこの点に懸かっていた。眼力を強め、苦労人の口から出て来る言葉の真贋や行為の善悪である。そこを検
(み)るためである。

 人と接して、時として贋作も見る。見掛け倒しでさっぱりというのもいる。そして鑑定眼を養えば、贋作からは出来るだけ遠くに離れることにしている。贋作に冒され、眼が贋作しか映らないようになってしまうからである。
 しかし、世の中は作用と反作用があるから、これについては月謝という代償を払わされる。洞察力を深めるには、より多くの人間に打
(ぶ)ち当たって、真剣勝負を繰り返す以外ないのである。
 そして時には贋作に出くわすこともある。
 だが、贋作を掴んだということへの反省が、徐々に正常な鑑定眼を養って行くのである。要するに真物を視る眼が出来ると言うことである。

 宮本武蔵は『二天記』の末尾に記された「独行道」の中で、「我事において後悔せず 」というのを記載している。
 後悔は反省とは違う。
 後悔とは過ぎたことをくよくよして、人がどう思っているかに一喜一憂する心で、そういうものを引き摺っていても何もならない。
 一方反省は、結果を見てその原因を追及し、今後の生き方への教訓材料を見つけ出し、間違いを修正することである。
 自分の行いがそのまま道理に適
(かな)い、結果としていい方向に進んでいれば申し分ないのだが、凡夫にはこれが難しい。道理に適うように心を鍛練して行かねばならない。
 本来なたば、そう言うことすら意識しない心境に至れば申し分ないのだが、かの達磨大師が説いたように「意識すら無用」という境地には、中々辿り着けないものである。

 本来ならば、誰のためにどれだけのことをしたかとか、自分のしたことがどれほど世の中に役に立ったかの自己顕示欲が先に来て、そこに囚われてしまう。こだわりとなってしまう。
 そういうこだわりを一掃して、人生の生き方に波風が立たぬように、人間関係もスムーズに運べば世界は平和になり、協調の絆
(きずな)も堅固なものになろうが、凡夫にはこれが難しい。
 達磨大師は、「エゴを駆逐してこだわるな」と一喝した。
 だが、達磨大師以後、千五百年以上が過ぎたが、個人のエゴやこだわりを捨て切った人間など、殆ど皆無に近い。
 特に現代人は何かにつけ、こだわりと我執の中で生きている。人間は千五百年を経ても精神的には殆ど進化せず、退化の一途にあるようにも思えるのである。
 個人主義や利益優先の功利主義は、今や大手を振って大道を罷
(まか)り通り、その中から個人間のエゴイズムは益々強くなり、ごく親しい間であっても、絶え間ない摩擦が起こっているのである。

 ある本に「酒を呑むなら大丈夫
(おとこ)とのみやれ」というのがあった。そして大丈夫なら、それは「十年掛けた読書に勝る」ともあった。
 しかし、凡夫は大丈夫なる人物を知らない。やはり十年以上掛けて、あるいは生涯掛けて読書をする以外なさそうである。

 さて、「今日は少しばかり無理して、気張って買い込んで見るか」と、そんな気持ちで神田神保町に遣って来たのである。
 それにしても、テレビで見た私大の教授の「学び足らん」と自分で告白したことと、妻君に向かって「文句あるか」は、何とも印象的であった。私も言ってみたい台詞である。その一言で、黙らしたと言うから、何とも恐れ入ったものである。
 人物は比較秤量すれば、「格」というものがあることに気付く。




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