運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 35

嘘をつくな、嘘は悪いことである。嘘を絶対ついてはならない。
 だが、これを信じている人など、地球上にはまず居ず、また生まれてこの方、嘘をついたことがないと言う人など、一人もいないであろう。
 現に、仏の嘘を方便といい、武将の嘘を武略と言う。
 人間界では、嘘は憑き物としている。上から下までである。

 世は計略だらけである。上下左右前後に、謀
(はかりごと)が蔓延している。
 国家間でも、国家の首脳陣でも防諜・謀略があり、敵対国を謀ろうとする。至る所に遣り込める要素が転がり、隙あれば揚げ足をとろうとする。

 また、出来るだけ嘘はつきたくないが、しかし嘘をつかなければならない場合がある。
 本来人間とはそういうものではないのか。これを頭から否定する訳には行くまい。


●収容と監禁

 家内が日本人であると言うことを発見したのは、習志野市役所の福祉事務所の職員だった。
 この職員が家内の身元を巧く訊き出したのである。
 ところが病院側は、一週間に亘り、家内を東南アジアからの売春婦だと頭から決めて掛かり、その扱いも酷いものだったと言う。裸にされ身体検査までやられたと言うのである。性病検査までしたと言う。これまで精神科を転々としたが、性病検査までしたと言う話は一度も聞いたことがなかった。人権侵害である。

 それだけ私に入る連絡も、その後の消息も一週間なかったことになる。売春をする犯罪者と思われていたのである。
 したがって、何日間も消息のないのは当然だった。
 翌日、一夜明けても連絡がなく消息も掴めなかった。今日一日、私には待って居る以外なかった。しかしもの待っている間も、家内は不当な扱いを受けていた。そして連絡は絶たれていたのである。
 こうなると人間の考えることは、不吉なことばかりを想像する。誘拐や拉致
(らち)などである。あるいは何者かに監禁され、暴行されているかも知れないと言う胸騒ぎである。戦慄(せんりつ)が躰を駆け抜けた。
 しかし、それは妄想に過ぎないのだと、自分を叱咤
(しった)した。叱咤はするのだが、叱った自身に力がなかった。こうした日が何日か続いた。絶望の闇に蹲(うずくま)ったのである。まさか永久隔離では……などと考えてもみた。人間の生きたままの飼い殺しである。その懸念も疾(はし)る。想像は悪い方に傾いてしまうのである。

 昨日から今日のことを考えると、仏の顔も四度や五度になってしまう。キレない方が不思議である。長らく“お預け”を食らっているからである。犬のような扱いを受けていた。そのような想像に傾いて来る。
 こうした、散々待たせる理由も説明せず、親族が患者に面会に来ても、面会を拒む。こうした仕打ちが全く理解できないのである。何故こうまでするのか。
 ついに頭に来た私は、刑務所の鉄ドアのような大きなドアに、蹴りを一発入れた。しかしドアがびくともしなかった。これが戦略として、いいか悪いかは別だった。とにかく蹴りを入れなければ、腹の虫が納まらなかった。小心なところである。
 そして一度そうなった以上、正面から火蓋
(ひぶた)を切る以外なかったのである。愚者の徹底抗戦である。

 そこで二発、三発と蹴りを加えたのだった。鉄ドアの表面をよく見ると、少しへこんだようになっていた。このドアは、刑務所のそれを模倣しているようだったが、経費をケチっているのがありありで、そんなに厚い鉄板で出来ていなかった。へこみが出たのである。《何だ、この鉄ドアは安物か》そんな印象が起こったのだった。病院側も、患者の家族が鉄ドアを蹴るなどと思ってもいないためであろう。

 そしてもう一発蹴りを入れた。ドアは前よりへこんでいた。また蹴りを入れる度に大きな音がするので、慌てて男の看護士
【註】この当時は看護師という言葉はなく、男は看護婦に対して看護夫または看護士と呼称されていた)が飛んで来た。この男は白衣こそ着ているが、前時代の精神病院のスタッフのような格好をしていたのである。

 この格好は白衣に長靴と言う出
(い)で立ちで、手に竹刀大の青竹を握っていた。長靴に青竹が、前時代の精神病院を彷佛とさせた。青竹は患者を殴るためだろうか。患者への人権侵害は依然として残っていた。
 昔、長靴に青竹の話は聴いたことがある。ある小説に出て来る野蛮な実体の精神病院の話である。
 収容させられた患者は狂ってもないのに、折檻が怕
(こわ)いから狂った真似をするのである。また、かの『ターミネーター2』で描かれている、あの精神病院を想像して頂ければ、当時の病院がどう言うものであったか容易に想像出来るだろう。
 病院の表皮だけは近代風に装っているが、中身は前近代的な権威と尊大の塊であった。“お偉い”という態度を崩さないのである。
 真新しい近代風の病院を思わせる反面、中身の医療スタッフは封建的な身内意識というか、縄張り意識というか、そうしたものを頑
(かたくな)に守り通しているようだった。そうした悍(おぞまし)さが実に腹立たしかった。
 私もいろいろと精神病院をドサ回りしてきた経験があったが、平成3年当時、長靴に青竹と言う看護士は初めて見た。あるいはこれが千葉の土地柄と言うものなのか、と思うのだった。
 この看護士は、私に向かって「静かにせんか!」と怒鳴る。そしてこの看護士は、肩をそびやかして、私を威嚇
(いかく)することを忘れなかった。

 私がこの看護士に殴れる距離まで接近し、「親族だが散々待たされている。何故こんなに待たせるのか!」と怒鳴ったら、「いま院長が検討中だ」と横柄な口をきくのだった。言葉遣いも横柄で、自負心の強さの塊に思われた。
 この看護士は典型的な千葉県人だった。ボディービルダー然の体躯で、牛飼いでも遣らせて、乳搾りでもやらせておいた方が似合う男だった。
 別に千葉県人を揶揄するわけではないが、封建的で頑固なところは、まさに融通の利かない、田舎者の千葉の土着民を彷佛とさせた。この時代まで、この種の千葉土着民は多かったように記憶する。当時の資格者は一般人に比べて尊大な態度をとりたがるのである。
 「検討も何もしなくていい。今から退院する。検討するより、まず退院手続きをとれ」と言い捨てたのだった。
 すると「待ってろ!」と喧嘩でも買うと言う風な捨て台詞を吐いて、この男はドアの中に消えてた。

 患者側は、資本主義のルールでいうなら顧客である。この顧客に対して「待ってろ!」という言い種は、いかにも千葉県的であった。やはり医者は偉いのであり、また医療に従事するスタッフも偉いと言わんばかりだった。
 やがて婦長が出てきて、「今から面会を許可します」と言うのだった。言い方が横柄だった。
 ます、面会の手順を分で入ることにした。面会室には、不調と先ほどの長靴に青竹の看護士が面会室の中に張り付いた。
 暫
(しばら)くして家内が連れてこられ、私の前に坐らせられたが、口も利けないほど強い薬を飲まされ、唇の周囲が白くなっていた。これは典型的な、言うことを聞かない患者に半ば強制的に強いて薬を飲ませ、何か拷問を受けたような形成を残していた。そして、物を言うのもままならない状態だった。呂律が回らないのである。これも薬物投与の結果であった。
 私は青竹に長靴の看護士に、「お前、この傷を見ろ。青痣
(あおあざ)じゃないか、これは殴った痕(あと)だぞ!」と家内の腕をとって問い返した。
 「俺は知らん」看護士は貌を背けた。
 「虐待したんだろ?お前ら、警察に告訴ぞ。これは暴行の痕だろう?」厳しく問いつめていた。
 精神病院での虐待が充分に考えられることだった。この時代は人権が軽く見られていたから、患者への虐待は、半ば常識的な治療の名目として至る所で行われていた。

 前時代的な精神病院では、虐待は日常茶飯事に行われていた。患者の凶暴な暴力を鎮めたり、押さえたりするために、虐待は治療の一部になっていた。
 封建的な千葉では、こうした前時代的な風習が残っていたようだ。またこうした名残を残す病院には青竹を手に長靴というスタイルが定番だった。
 その一方で患者の家族は、出来るだけ待遇をよくしてもらおうと、病院側のスタッフに心付けをすることは暗黙の了解となっていた。しかし私は心付けをしなかった。そうしたことが起因して虐待的な乱暴を受けているのだと感得したのである。
 金の沙汰は地獄だけでなく、この世と言う苦海にも存在する。弱者は何処までも甚振
(いた‐ぶ)られる運命にあった。

 昨今では、注射による鎮静剤だけではなく、『ターミネータ2』などに出てきた、空手武器用のトンファーを持った看護士や、護身用のスタン・ガンを持った看護士の居る病院もあるらしい。患者の容態や症状に応じて、収養する病棟も別れているようだ。
 この看護士に問いつめると、横から婦長が口を挟んで、「院長の指示で精神安定剤を飲ませる時に暴れたからです」と、言い訳するのだったが、そこに家内が呂律
(ろれつ)の回らない口で「その薬は抗生物質のような劇薬で、投与が過ぎると廃人になると、わたしが、かつて勤めていた小児科の院長先生が言っていました。それを無理矢理飲まされたのです」と家内が吐露(とろ)するのだった。
 聴けば聴くほど、宥
(ゆる)されないことであった。

 「その話、本当か?」私は婦長に詰め寄った。
 「お宅の奥さんは困りますよ、なまじっか薬の知識を持っているだけに。治療がやりにくいのです。それに自分で飲みたくない薬を拒否する法律的な知識も持っている。本当に困りましたよ」と、婦長は言い訳のようなことを言うのだった。この言葉だけで、病院の言いないという前近代的な体制が出来上がっていた。これはまた病院と製薬会社のとの癒着関係であり、患者を薬漬けにして行くプロセスの一貫であったと思われる。
 この回転ドア式の構造の中に捉えられると、正常な人間でも薬害を抱えて精神状態を悪化させて行く。精神安定剤は十人十色であるからだ。精神科医は厖大な種類から投与する薬を選択するが、これが外れるとその害は計り知れないものになる。名医と言われる精神科医は投与する薬を一発で当てることが出来るが、経験が浅かったり、尊大な医師は思い込みが強いためにマンネリ投与で惰性の馴れ合いが生まれるのである。変化に気付かない。
 精神病は精神病自体よりも、その後に投薬の誤りで悪化させて行くことの方が怕いのである。

 この当時は精神分裂症
(病)を薬物投与によっての治療が主体で破瓜型・緊張型・妄想型など程度に分類しただけであった。また青年期から発症することで、若者に多く早発性痴呆などの病名を遣われていた。更に神経症とも混同された観があった。
 とにかく日本の精神医療はアメリカやカナダに比べ、五十年以上遅れているのが昨今の実情である。
 「だから、無理やり飲ませたのか?それを虐待というんだ」
 こう訊くと、婦長も青竹に長靴の看護士も、何一つ答えなかった。
 「わたしは無理矢理飲まされました。飲まない、と拒否すると、無理矢理抑え込んで口を抉
(こ)じ開けられ、口の中に流し込んでしまうのです。叩かれたことも何度かあります」と家内が言うのだった。
 私はついに怒り心頭に来ていた。そのうち憤りが衝
(つ)き上げて来た。小心者の激怒し易い無態(ぶざま)な感情であった。

 「タコを呼べ、タコを!」
 「タコって、誰のことです?」婦長が訊いた。
 「お前のところの院長だよ。あの男、頭がはげ上がっていて、いつも茹
(ゆで)で蛸(たこ)のように顔が赤いオヤジだ。ゴルフ灼けでもあるまいが、もともと血圧でも高いのだろう。自分の頭の上の蝿も追ったらどうだ」
 皮肉を込めて言った。これまでの印象と今思っていることを、あらいざらいぶちまけてやった。確かに院長のはタコだった。貌が驚くほど赤かった。昼間から酒でも呑んだように真っ赤に茹で上がっていた。
 ゴルフで長時間陽に当たり過ぎたのか、危険なほど血圧が高いのかは知れないが、そのどちらと判断できなれるように貌が赤かった。
 「まあ、無礼な!院長先生に向かって」と、婦長がやり返してきたのである。
 「無礼なのは、お前らの方じゃないか。頼まれもしないのに、勝手に隔離して。それに措置入院の手続きを踏まず、また患者が拒否する薬を強引に飲ませたことは法律違反だぞ」
 病院側に“東南アジア系の売春婦”という思い込みが、こうした実情を招いていた。
 この事実が明るみに出れば、患者の承諾無しに薬物投与は違反行為である。

 「では、院長先生に報告の上、早速、退院手続きをとります」と言って、ひとまず待合室に待たされた。やがてタコがやってきたのだ。
 私はこのタコと病院受付ロビーで、家内から訊いたことの口論をした。口論ではタコも負けていなかった。ドアを蹴ったことなどを散々責めて、私を詰
(なじ)ったのである。そして、虐待があったことをタコに抗議した。人権容疑委員会に訴えてやる責めた。
 ところがタコは唇を歪め、薄ら笑いを浮かべながら、訴えるなら訴えてみろという不敵な笑いを浮かべていた。タコも、医療訴訟には自信があるのだろう。それが薄ら笑いになっているのだった。それだけに、この病院では過去に訴訟の経験を積み重ね、医療訴訟に詳しい凄腕の弁護士が控えているのかも知れなかった。
 何よりもタコの唇を歪めた薄ら笑いが訴訟において百戦百勝の、戦えば必ず勝つと自信を雄弁に物語っていた。
 また、その自信が何とも忌々しい。
 もう少しで、怒りの鉄拳をお見舞うするところだったが、何とか辛
(かろ)うじて抑えた。悪夢は別のところにあったからだ。
 心を狂乱させ、怒る時には怒らねば、私の場合は後遺症を残す。思い切り荒れ狂ってみせる。それが当時の発散法だった。人間が出来ていない証拠である。自重すべきだが、歯止めが効かない。

 抑制がかかったのは他でもない、私の目的はタコと口論することではないことに気付いたからであった。同時に自戒が走った。無駄は骨折り気付いた。無益である。
 タコに怒りの矛先を向けるのは筋違いだった。人間が本来、精神を崩さなければ、こうした前時代的な精神病院に収容させられることもないし、こうしたところに隔離される筋合いもない。

 人間は、最初から狂って生まれてくるのではないのだ。
 生まれた後の、後天の環境によって狂わされるのである。生まれを恨む筋合いはない。また遺伝を恨む筋合いはない。今日、社会に起こっていることは、後天の環境の狂いによって様々な異変が生じるのである。心のケアーが煩く言われる時代だが、当時も今も、内面的には殆ど変わっていない。人間の行動律は本質が人間であるからだ。人間の思考形態は時代が変化しても、簡単には変わるものでないのである。単に変わったと、誰もが思い込んでいるだけである。医療側の尊大さは今も同じである。
 弱者は疎
(うと)んじられる。このジレンマから、人類はまだ解決策を見出していない。
 疎んじる背景には、医療資格者の尊大が勝っているためである。
 また医師ともなれば、それなりの頭が要る。世間からは頭がいいと思われている。その資格を得たことで自分でも頭がいい。並とは違うと言う自尊心がある。
 しかし、頭のいい人間にとって最も重要な適性は、おっとりとしていて、親しみ易く謙虚でなければならないのだが、そこに気付くほど頭のいい人は、実際には稀
(まれ)であるようである。



●理不尽の嵐

 後天の環境を狂わしたものは、何者か!
 あの忌わしい“造反事件”である。徒党を組んで、私を襲ったことに始まる。その首謀者は私が転ぶように仕組み、それに悪乗りしたのは片割れだった。隙を突かれた観があった。
 あるいは他に、二人を唆
(そそのか)した何者かが居たのか?
 それは今となっては分からない。居たような気もする。
 しかし、実際にかつての某大学合気柔術部員を纏めて、徒党を組んだ識者は紛れもなくやつだった。

 首謀者の画策によれば、この時、計算通り私を葬ったのであろう。二度と立ち上がれないほどの、叩きのめしたのであろう。しかし、予想外の誤算が起きていた。この計画を実行した後、それに激怒した家内が狂ったのである。家内の発狂まで、首謀者は計算に入れているとは思えなかった。
 家内が完治不能といわれる精神分裂病になったのである。この病気は今風にいえば、体裁のいい「統合失調症」である。病名のニュアンスから軽く響く。
 だが、実情は変わらない。統合失調症と言い改めたところで、素人には何のことか分からない。人権擁護の立場から、精神分裂病が統合失調症に、呼び名が改められただけである。病名を改められたからといって、病気が改善されたわけではないし、病状はそのまま、あるいは、更に悪化するだけである。その運命は変わらない。またこの軌道に取り込まれると、此処から離脱することは容易ではない。とことん搦め捕られてしまう。精神安定剤のカモにされ、この悪夢からは何人と雖
(いえど)も逃げ出せない。されるがままというのは、如何にも宿命的である。

 その起因を作ったのは、紛れもなく「造反事件」だった。忌わしい事件だった。忌まわしいものは肉体だけでなく、心の中まで侵入して来て、永遠に狂わせてしまうのである。
 また狂わされた分だけ、作用に対して反作用も働く。敵対者を葬っても、その遺恨は永遠に引き摺ることである。
 この事件は、私を葬るために企てられた事件だった。二度と立ち上げられないように、私を潰すための事件だった。
 ところがこうした私の過去の功績を讃えて、BAB出版が私の武術界にデビューする『大東流合気武術』という、わが流初のビデオを作った。このビデオは発売以来、売れに売れた。飛ぶように売れた。BABの屋台骨を改善させるほどの、武術・武道界では空前の大ヒットとなった。
 発売以来、一年も経たずに1万5千本を売っていた。これまでの武術・武道界では異例のことであった。それに、実質1万5千本であるから、それがコピーされたのはその三倍以上であったかも知れない。こうして一躍“西郷派大東流合気武術”の名が日本中に轟
(とどろ)いた。

 しかし、こうしたことに沸
(にえ)を切らした集団もあった。
 どうしても私を叩き落とさなければならない執念が窺えた。過去を暴いて、恥辱を背負わせなければならないという執念があった。
 そして、某雑誌で私を叩いた。
 礼儀だとか、道だと自称するこの世界は、“お山の大将”的な嫉妬の世界でもある。
 西郷派など歴史的根拠がないと徹底的に、編集長のSを通じて叩かせた。この号には明らかに何者かの思惑が反映されている。それだけに事実無根の捏造
(ねつぞう)も加わる。この雑誌の誹謗中傷記事は家内を大いに狂わせた。これまで何とか安定していた家内の精神状態をドン底に陥れた。

 これにより、家内は狂いに狂った。
 自分の亭主が、三流や四流の芸能週刊誌まがいに、スキャンダルとして叩かれているのである。頭から侮辱されているのである。これに狂わない夫人が、どこの世界に居るだろうか?
 夫婦は一心同体という。狂って当たり前だった。
 進龍一自身、編集長のSに向かって「鬼の首でも取ったように」と形容したくらいである。何者かの差金で動いたことは明白だった。
 この記事に発狂するほど狂った家内に、私はむしろ賞賛の拍手を送りたい。よくぞここまで狂ったと拍手喝采を送りたい。流石
(さすが)わが同志だと言いたいのである。
 ここまで怒り心頭に来て、捏造記事に狂ってみせる女房も滅多と居ないからである。
 裏を返せば、そこまで亭主に絶大なる信頼を置いていたからであろう。
 更には『西郷派大東流馬術構想』の理想郷建設の志があったからであろう。此処に掲げた理想は大きく、また途方もないものであった。そこに同志が夢を注いだとしても不思議ではない。
 一方で、阻むものがあった。志を葬る力である。
 そのうえ二度も煮え湯を飲まされて、狂わない方が不思議である。この名誉毀損の記事は、名指しで罵倒の限りが論じられ、家内の病状を更に悪化させるほど、酷い内容だった。捏造があるからだ。事実無根があるからだ。
 家内は私の同志だった。共同戦線を張った同志だった。

 首謀者らの私を叩きのめすために使われたのであったが、実は、その執拗
(しつよう)なエネルギーは、一方で家内を狂わせるために使われていたのである。ここが重要なところである。
 そして忘れてはならないのが、この世の作用と反作用の現象であり、作用に対してはそれなりの代償を必要とする反作用が働くと言うことである。更に言及すれば、これが最も大事なところなのだが、侮辱を含む捏造でも何でも、相手の思惑に嵌まり、自分も相手を侮辱して遣り返すというのは、その主導権並びに指導権は相手にあることだ。
 それではどうするか。
 相手が侮辱したのも根拠は微塵もなかった訳でない。重箱の底をほじくれば、そこには微塵ほどの証拠があれば侮辱するに充分なのである。それを承知で甘受する方が、後に浮かぶ瀬もあるということになる。狂ってもいいが、同調して遣り返してはならないことである。
 私は怒り心頭の腹立たしさをもうこれ以上拡大するのでなく、耐えて甘受した。

 失踪した家内の情報を持って来たのは、それから8日ほど経ってからだった。
 話は前に遡
(さかのぼ)る。
 習志野市の福祉事務所の職員が家内の居場所の吉報を齎
(もたら)したのである。
 伝習塾に福祉事務所の職員が突然訪ねて来た。
 「曽川千歳さんというのは、あなたの奥さんですか?」
 こう切り出したのは、福祉事務所の中年の職員だった。
 この職員が、家内に会ってことの経緯や身元まで巧く訊き出してくれたのである。そして、私の住まいであった伝習塾にやって来たのであった。
 「奥さんが突然居なくなって、ざぞびっくりなされたでしょう。これまでの、ご心労をお察しします」と、この職員は労
(ねぎ)いのような言葉を掛けてくれたのであった。まだ、習志野にも常識が残っていると思ったのだった。

 この職員は、私と家内の現住所などを全て調べあげ、その日は病院の場所や、どう言う方法で八千代病院に行くかを丁寧
(ていねい)に、図で示して教えてくれた。そして家内の身元がすっかり洗われていたのだった。
 私は早速、京成大久保駅から千葉中央線に乗り換えて、京成八千代駅まで行ってみた。この駅前には福祉事務所の職員が言ったように、病院に行く専用のマイクロバスが停まっていた。そのバスに、八千代病院に行く旨を伝えると、ドアを開けてくてタダで運んでくれるのである。

 着いて驚いたことには、八千代病院と言うのが院長を始め看護婦連やその他の医療スタッフが実に尊大な病院であった。あたかも、かつて新聞などで報じられた千葉県内の悪評高き某精神病院を髣髴させるようなところであった。
 また院長自身、尊大な態度を取る医師であった。病状も経過も何一つ訊いても答えず、更に収容している家内に会わせようともしなかった。亭主に面会謝絶と言うのである。亭主にも会わせず、医師の貌は“用があるなら、明日もう一度こい”という傲慢な態度が現れていた。
 自分が医者で、偉いと思い込んでいるのは自明だった。そして「お前は患者の家族だろ」と、見下した目も軽蔑に満ちていたことは自明だった。
 頭も下げないし、心付けの一切もないからである。人間の現金性が顕われていた。
 「どういう理由で会わせないのですか?」と問答しても仕方ないので、尊大な医者に従い、もう一度、明日また出直すことにしたのである。私としては、素直に従う以外なかった。
 とんでもないアウシュヴィッツのような収容所に収容されたものである。

 出向いた最初の日に、面会は拒絶されたからだった。この尊大な医師に、何を言っても無駄であった。言えば言うほど、逆らえば逆らうほど、私自身が不利になっていくのが分かった。そしてこの医師に対して、強い反感を覚えたのである。重いものを肚に抱えたのだった。
 この日は素直に引き下がり、仕方なく明日出直すしかなかなった。
 私は駅に向かうマイクロバスに乗った。駅に向かうバスの中で、《そうか、そういう気か》と、帰りのバスに揺られながら思うのだった。その思いは呟
(つぶや)きになっていた。憤怒の籠(こも)った、鉛のような重い呟きだった。

 医者と言う職業は、視野狭窄
(しや‐きょうさく)になり易い職業であり、そうなる背景には「医者の尊大さ」が挙げられる。
 尊大の背景には、まず出入りの製薬会社のプロパーが頭を下げる。多大な接待を繰り返す。
 次に患者やその家族が頭を下げる。そして医者自身は、自分が頭を下げることはないのである。人に頭を下げられぱっなしの人間は、人に頭を下げたことがないだけに尊大になり易い。
 そうなると、どんなによく出来た人間でも、その心地よさと優越感に胡座をかくき夜郎自大になる。やがて謙虚さを忘れ、かつての初心を失わずに人生を全うすることは難しい。
 医師として、看護師やその他の病院スタッフから頭を下げられたときから、尊大な思いと優越感が頭を擡
(もた)げ、自分は偉いと錯覚しはじめるのである。言葉も、医師と言う職業から横柄になり、尊大ぶりが表面化する。

 だが、そういうことはどうでもいい。
 何故こういう羽目にないか、人生そのものと、私の運命自体を思ってみた。
 どうして、このような二重苦、三重苦の道を歩かねばならないのか。これを呪ってもいいが、何か理由があるのか。
 そのうえ傲慢無礼
(ごうまん‐ぶれい)の輩(やから)にも遭遇しなければならなかった。しかし、考えても分らない。

 次の日、私は医師の、「明日もう一度出直せ」という言に従って、それからもう一日おいて、再び八千代まで出向いた。出向いたのは指定された明日ではなく、更にその翌日だった。一日おいて出掛けたのだった。
 「来い」と言われて、翌日に「はいそうですか」と言って、いつでも行けるような閑人
(ひまじん)ではなかった。私のような生活困窮者と雖(いえど)も、それなりに多少の仕事はある。所用もある。人とも会わねばならないのである。遊んでいられるような身分ではなかった。

 指令されたその翌日、病院に出向くことにした。そして京成八千代駅前から病院が送迎するマイクロバスに乗り込み、八千代病院の精神科を訪ねたのであった。病院に着くと、まず面会を申し出た。しかし、何故か分からないが、受付では面会を渋られたのであった。

 私が、「自分は亭主であるにも関わらず、どうして面会を断るのか?それとも容態が悪くなり重傷の状態にあるのか、それならなおさら親族には会わせるべきであろう」と詰め寄ると、受付の女子事務員は「院長からそのように達しされています」と言うのだった。
 それを無理にねじ込むと、「もう一度、院長に相談してみます」といわれて、ここで更に一時間以上待たされた。私は何故このような扱い方を受けるのか分からなかった。
 しかし、何かの意図あって、わざとにこのような扱いを受けているのだろうと思うのである。
 一体私の何処が気に入らないと言うのであろうか。
 この病院では、他の患者の家族もこのように扱われるのだろうか。
 あるいは何かの理由があって、個人的なことでこういう反感を買われた態度で曝されるのだろうか。
 千葉と言うところは私にとって、いよいよ分らないところであった。

 そもそも精神病院と言うところは入院時、入院保証金を支払うのである。これを支払わないと入院させてくれない。当時の金額として、入院時に10万円以上の入院保証金を徴収される。だがそれだけではない。
 それに加えて、5万円ほどを飲食などの小遣い並びに生活費として、更にはその他の費用として前払いし、医療費とは別に、5万円の中からさっ引かれていくのである。病院の布団類やその他の寝具を汚したという理由で洗濯代に遣われる。あるいは患者の衣服を買い、また、お漏らしをした時の“おしめ”を買ったりである。面倒であるから、下の世話などしないのである。
 これは老人医療とは異なり、思春期層から中年期層であっても、万一の失禁の場合を想定して患者家族に、その義務が必然的に課せられるのである。
 更には、院内の壁や廊下を汚物で汚した場合の清掃代やテレビの視聴料や新聞・雑誌の閲覧料金として、この一切を徴収するようになっている。タダではない。
 患者が病院スタッフに患わせた分だけ、確実に徴収するようになっていた。間接的な謝礼や看護士らへの心遣いや某かの心付けがないと扱い方も変わるのである。これは火葬場の職員に幾らかの心付けの金を握らせると言う暗黙の了解に酷似する旧態依然の制度である。
 そしてこの5万円は、一ヶ月を過ぎる頃には、殆どなくなってしまうのである。病院スタッフに勝手に遣われてしまうのである。“おしめ”一つにしても、市販のオムツではなく、病院側の定価で買わされるのである。使った詳細はA4大の紙面をもって報告されるが書かれた数字が詭弁的なものであることは明白である。尤もらしい一覧表で示されているが、首を傾げるような虚偽を思わせる数字額が並びたてれられている。
 また10万円以上の保証金は、万一患者側が医療費を支払わない場合、一時的な医療費相当分を10万円から補わせるのである。
 いわば保証金は、医療費相当額の補填に当てられていたのである。
 但しこれは一概ではない。病院によって格差が大きい。医療スタッフの格差もある。

 蓋
(ふた)を開ければ精神病院のカラクリは、他の一般病院に比べて医療メーカとの関わりが深く、一人の医師でも医療法人を作れば、そこに看護師や准看護師を集めることができ、更には精神科薬剤師、ソーシャルワーカー、心理カウンセラー、作業療法士、理学療法士などの医療や福祉関係のスタッフを形成して、数百人規模一大雇用が生まれるからである。
 ここに厚生労働省も多くの特典を与え、精神病院の庇護を図る。そこには他の病気にはない、精神福祉法と言う法律が絡んでいるからである。精神福祉法に基づいて、鬱
(うつ)病患者には精神障害者年金が貰えるからである。患者に障害年金の受給を受けさせながら、その年金で病院経営も安定するからである。

 それに精神安定剤と言う製薬会社からの絡めもあって、好き放題できるという特色を持っていた。
 要するに、精神病院は儲かるのである。同時に院長は威張ることができ、尊大になる夜郎自大の構造は、精神病院特有の医療施設の構造にあった。
 その上、「回転ドア式」という奇妙な製薬会社と製薬特許の絡みがあった。日本の精神科医は、とにかく笑いが止まらぬほど儲かる構造になっていた。これこそが精神病院の特異な方法だった。
 つまり、精神病院の経営は他の医療科に比べて儲かるのである。そして一度でも精神安定剤を投与した鬱病の薬引用者は、それ以降、絶対と言っていいほど恢復
(かいふく)することなく、徐々に悪化し、その病巣を深刻にしていくのである。更に最後は、精神安定剤の副作用によって、横紋筋融解症やパーキンソン病などで死んでいく。精神病患者の最期は、精神安定剤の副作用で死ぬようになっている。自然死は絶対にない。精神病患者は、寿命で終えるのではない。

 精神病患者は退院しても、再び精神病院に戻ってくることから、この日本での精神医療システムを欧米からは「回転ドア式」と揶揄されている。それだけ日本の精神医療は、アメリカやカナダに比べて50年は遅れていると言われる。
 こうした遅れる理由を作ったのも、製薬会社と製薬特許の絡みがあるからだ。精神病院も儲かるし、製薬会社も儲かるのである。

 私は立ち上がって、もう一度受付の女子事務員に訊いてみた。
 「曽川ですが、ここの病院の入院依頼は、誰によって行われたのですか?私はこちらの病院に入院をお願いしてはいませんが」と切り出すと、その事務員は自分の前に置いてあった帳簿のようなものを捲
(めく)りはじめ、「習志野警察署からです」と答えるので「では措置入院ですか?」と訊くと、「措置入院ではありません」と答えたのであった。
 《これは妙だぞ》と思うのだった。
 私の脳裡に疾
(はし)ったのは、この病院で家内は虐待(ぎゃくたい)されているのではないか?ということだった。
 警察は明らかに精神病患者の保護を怠り、措置入院の警察官に課された義務すら果たしていなかった。あるいは措置入院の制度と言うこと自体を、千葉県警察本部では、一般警察官に精神病患者の保護の教育していないかも知れないと言う節が浮かび上がってきた。少なくとも、当時、習志野警察署では、このことを知る警察官は一人もいなかったことになる。

 かつて進龍一は、私にこう言ったことがある。
 「宗家、千葉と言うところはですね、関東でありながら、東京とは全く違うのですよ」
 「東京と違うと言うと?」
 「千葉は東京に近いにもかかわらず、超田舎なんです。それは北九州以上に酷いものです。地元の人間は封建的な考えに支配されている人が多いので、私も些か遣り辛いですよ」
 私はかつて奴が、こう言ったことを思い出すのだった。
 私が当時の千葉を推測するに、戦後の農地改革を思うのである。
 日本は先の大戦で国際連合軍と戦い大敗北を帰した。敗戦後の日本に至
 っては、GHQの指令に基づき第二次大戦後の民主化の一環として、財閥解体や地主層を崩壊させる目的で昭和22年
(1947)から昭和25年(1950)に行われた大規模な土地改革であった。
 不在地主の全所有地と、在村地主の貸付地のうち都府県で平均一町歩、北海道で四町歩を超える分とを、国が地主から強制買収して小作人に売り渡したのである。この結果、地主階級は崩壊し、旧小作農の経済状態は著しく改善された。同時に俄地主が出現するのである。関東平野が広がるこの地域は俄地主が、雨上がりの竹の子のように出現し、戦後の混乱に乗じて経済的下克上が起こっていたのである。
 私が東京を経由して千葉県習志野市に来た、昭和50年代前半のことである。
 この地にも漸
(ようや)く、セブンイレブンがぽつぽつと出来はじめ、24時間営業のコンビニが開設されはじめた時のことである。
 こうしたコンビニは、まだ九州にはなく、関東などの大都市近辺を中心してコンビニ展開がされたときのことである。
 私は買い物のためにセブンイレブンに入ったことがある。そこでは客の長い行列が出来ていた。レジでは地元のオーナー店長であろうと思われる男が数人の店員を指示していたが、暫
(しばら)くしてこの行列の意味が分かったのである。オーナー店長をはじめ店員が、商売の基本を全く理解していなかったのである。オーナーは尊大な意識を持っていた。
 そして一番不思議に思ったのは、客は行列を作って待っているのに、店員は自分の用事を先にやり、客を待たせても平気だったのである。またオーナーもそのような指導をしていたようだ。優先順が全く違っていたのである。

 進龍一は、かつて私にこのようにも言った。
 「千葉では客より、物を売っている店の人間の方が偉いのです。客に買ってもらうというのではなく、物を持っている者が『客に売ってやる』という意識を持っているのです。私も北九州から千葉に来て、この土地は北九州よりよほど封建的で、土着の人間の考え方は超田舎だと思いましたよ」
 それを思い返す度に今回の警察の保護が土着性により、ある意味で成る程と理解できるのである。土地の仕業
(しわざ)だろうと思えるのである。

 まさに平成3年当時の千葉の一部には、こうした一面が残っていた。千葉県には、まだ“東京ナイズ”されていない、田舎の古い風習があったのである。
 ある漫才師が当時のテレビで、千葉県人を侮蔑したように「千葉のねえちゃん乳搾り」と、盛んに喋っていたことを思い出す。総武線沿線は東京に近いにも拘
(かかわ)らず、それだけ当時は、千葉は田舎であったのであろう。
 私は当時、年に二回、習志野や茨城に巡回指導をしていたが、総武線に乗って津田沼に着くと、永遠に続く里芋畑が一望でき、農地の中に兎小屋のような民家が建ち、大半の家庭が水洗便所でなかったことは驚きであった。北九州の田舎でも滅多にお目に掛かれない風景であった。
 そういう状況下に医療施設があったことも、この地域を前近代的な尊大の中に封じていたのであろう。
 しかし私は、この世を清濁併せ呑み、善悪綯い交ぜの現象界と捉えている。現象界はまた相対界であり、作用と反作用が働いていることも事実である。つまり、善人ばかりでもないし、悪人ばかりでもないのである。それぞれが相半ばしている。
 悪人がそれだけいるということは、それに相当する善人もそれだけいるということである。習志野でも、多くのいい人に廻り遭い、いま振り返ってもいい縁を結んだと思っているのである。習志野は縁なくして四ヵ月後には去ることになるが、当時の想い出は懐かしく、またこの時期、家内が塾をしていて生き生きした毎日を駆け抜けていたことは、今でも忘れ難い記憶の一ページになっている。


 ─────次の日も足を運んだ。
 八千代病院でかなり待たされていた。しかし、《仏の顔も三度までで、そろそろ切り上げ時かな》と思ったのである。
 昨日来たときは、親族でありながら、面会を渋った。その上、院長が明日にしろと言った。また今日来て、このざまだ。明らかに面会を渋っている。渋る理由はよく分からないが、“仏の顔も三度まで”である。たびたび無法が加えられると、しまいには怒り出しても無理はないのである。
 これ以上待たされても埒
(らち)が明かないので、「曽川です。本日退院しますから、その手続きをとって下さい」と事務員に言ったのだった。事務員は慌(あわ)てた様子で、「少しお待ち下さい」と言って、誰かに相談をしに行った。
 暫くすると、婦長らしきオバハンが慌てたふうでやってきた。このオバハンは、院長の許可が出たから面会をさせると言うのだ。この慌てようは、《いったい何だ?》と思うのだった。

 そして面会する段になっても、ダラダラ・ネチネチと待たされた。そのうえ用紙に記入しろとか、免許証か身分証明書を見せろと言うのである。私は、その両方を持っていなかった。そこで銀行預金のキャッシュカードと、名刺を示した。すると窓口の看護婦は、「これらの確認でいいかどうか、上の者に訊いてくる」と言うのだった。

 ここの病院は、規則、規則……で雁字搦めにしているらしい。院長の意向が働いているのだろう。融通が利かないのは明白だった。
 また、この病院は出来立て見えて、総てが新しかった。どこからどこまで新品であった。窓も扉も、最新式のアメリカの刑務所のようであった。しかし医療側には便利に作られているようだったが、患者側には面倒な手続きを踏ませる制度を採用しているようだった。まさに体裁のいい、新しい鉄格子を嵌った刑務所そのものだった。

 そして戻ってきた看護婦は、キャッシュカードや名刺は身分証明にならないので、駄目だと言い、身分証明になるものを提出するようにと言う。全くふざけた話であるが、この病院の規則は、このようになっていた。
 私は散々考えて、ふと自分が福岡県公安委員会発行の『古物商許可書』に思い当たった。これは免許証大で本籍地や現住所も書いてある。それに福岡県公安委員会が、私の古物商としての身分を証明している。
 看護婦に『古物商許可書』を提示した。

 するとまた、これを持って、上の者に訊いてくると言うのである。その際、精神病院では、患者の家族との面会の受付の防弾ガラスで出来ている小窓を、一回一回、中から鍵をかけて閉めるのであった。そういう行為だけでも、刑務所のそれを彷佛
(ほうふつ)とさせた。
 この間も酷く待たされた。こうしたやり取りだけで30分以上を費やしていた。次第に私の表情が、自分でも険悪になっていくのが分かった。不満は高まっていた。
 この不満がタコの耳に入った。
 タコが貌を赤らめて、「出ていけ、退院だ!」と怒鳴った。
 「願ってもないところだ」
 私の買い言葉であった。
 どちらも子供の喧嘩のようになっていた。



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