運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 33

人間は、思えば儚い夢を追い掛け誰もが齷齪(あくせく)と奔走している。
 奔走の先が儚い夢であっても、少しでも今より良くなろうとして理想を追い掛けている。
 ところが、個々人か掲げる“理想”というものは、人それぞれに異なり一様でない。

 理想とは万人が共通する願望ではなく、個人的な理想もあろう。
 このようになりたい、こうしたい。この異なりが、実は個々人の格差を生み出している。現代という時代を考えれば、世界中の国々の政治指導者が向かう理想とは、まさしく独り善がりの政策の独占欲を抱え、単に国民の幸せとは程遠く、独占的な欲望を根幹に為して、“こうあるべきだ”というこの程度のものであり、突き詰めれば万人の幸せとは無関係である。どこまでも個人主義が優先する。

 常に人が掲げる理想とは、自分を中心とした欲望からなるものであり、その欲望は、現代に至っては物質的な欲望であり、決して精神的なものでない。
 豊かさと言うものは、近年は常に物に換算される豊かさであり、便利さや快適さである。



第三章 転機の季節



●潜竜の気配

 何かが急速に変化しつつあった。
 肌で感じる直感として、あたかも時代が「風雲急を告げる」という感じである。
 何かが急速に変わろうとしていた。時機
(とき)の転換期と言えよう。何かが大きく変化を始めようとした時である。
 いま振り返ってみても、時代の急変は平成3年半ば頃からであったと思うのである。これを機に急変した観がある。そして併せて、該博な知識と進歩的な理論で武装した知識人が登場したのも、この頃からではなかったかと思うのである。

 文化や流行にも及んだ。
 価値観の違いから、これまでの善が悪になり、悪が善になった。
 文章一つ挙げても、これまでは小難しい論文調の物や軽薄なるサラリーマン物の恋愛小説などが一変して不倫小説が不倫に奔ることへの理論付けをし、正当化して社会の恥部として市民権を得たようにも思う。純文学が崩壊した時でもあった。
 恋愛はプラトニック的なものから肉愛的なものへと変わり、男女が知り遭って一日も経たないうちに二人はラブホテルにしけ込むことが当然のように思われるようになった。またそのようにマスコミが誘導したようにも思う。肉愛こそ、愛情の印となった。
 また頭文字に「新」とか「ニュー」と付くものが出て来て、例えば新人類とかニューリーダーなどの類である。
 また、これまで政治や道徳で表装されたものは、従属的なものに1ランク落され、商業書籍としても売れない物となり、それに代わってハードな、過激なバイオレンスものが勢力を広めた。文章自体にしても、文章固有の価値観を持ち、あるいは独自性を以て、例えば不倫とか肉愛小説が大衆に受け入れられるように変化して行った。

 また、世は多様化の先駆け時であり、個々人の趣味は“オタク傾向”が濃厚になり始め、世にフリーターと言うアルバイトで生計を立てる種属が急増をし始めたことであった。世はバブルの余韻
(よいん)を曳いて、この時代は就職に関しては売手至上であったが、その直後からは一変し、不況の煽りを受けて雇傭問題が深刻な現実を表面化しつつあった。

 ところが、そうした急変に際しても、動ぜぬ御仁
(ごじん)が居たように思うのである。
 例えば、戦前・戦中の昭和期の残党のような人達である。
 この人達の中には該博な知識を身に付けた人が多かった。
 特に青年期に、大学や旧制高等学校、専門学校で学んだ人や、更には自力独学で、種々の学を身に付けた人達である。戦争を体験しているだけに、生死の境を彷徨った時代の中を潜り抜けて来ている。肚が据わっていた。
 大戦前夜もさることながら、大戦末期に召集で激戦地に送られ戦争体験をして、そこで生死の境を彷徨った人の中には、確たる哲学を身に付けていたように思うのである。
 思想の分野でも、儒学の他に老荘を学び、また仏教の禅的な心構えを具え、死しても朽ちない悠久なものを目指し、真理を求めて、形而上学的な宇宙論や人間論を極めて、戦乱の世に在って、人間とは如何なるものか、また自己とは如何なるものかを真剣に問い詰め、それに苦悩し、格闘の跡を残す人達である。
 特に特攻隊やそれに付随する軍令によって、理不尽に押しやられた人の中には、人生を真剣にもがいた跡が見て取れるのである。

 何処の誰かは知らない腰瓢箪の老人が、私には戦乱の時代と格闘した後を見てるとことが出来、その生き態
(ざま)は「夢」の一文字に託した旗印を掲げ、その文字の意味が、単に世間一般で言う「人生夢の如し」という、感傷的な意味でなかったことである。「夢」を理解する上での違った高次元の価値観である。
 かの老人は言った。
 「夢の一文字は禅にも通じ、また老荘思想とも一致する『後に何も残さない』という意味です」と。
 それゆえ私自身、何故かこれに惹かれてしまうのである。
 もう一度会ってみたいと思った。
 そこで、「あの爺さまもう一度会ってみたい」と、家内に訊いた。
 そしたら「では桜の樹の下で俟
(ま)っていたら……」と言うのである。
 女の勘を信じ、桜の樹の下の同じ場所、同じ時刻に習志野公園に遣って来たのである。

 そして、会わねばならぬ理由は、もう一つあった。
 それは風流人に併
(あわ)せて、何故か「竹林七賢(ちくりん‐の‐しちけん)【註】3世紀後半に 河南省の竹林に集って遊んだ阮籍,王戎,山濤,向秀,ケイ康,劉伶,阮咸の七人)のケイ康(けいこう)なる人物を髣髴とさせたからである。
 この人物は、非凡な才能と風采を持ち、詩人でもあり思想家でもあった。
 彼は多大なる才能を持ちながらも、日頃から妄
(みだ)りに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり、錬鉄をしたりするなどの行動を通して、老荘思想に没頭したことで知られる。仙人然とした人物であった。実に風流人である。
 官職に就くことを拒み、風流に徹し、花鳥風月を好み、酒を呑み、琴を退くなどして、心の赴くままに暮らしていた。
 彼の生きた時代は、蜀の宰相・諸葛孔明が五丈原で魏軍と対陣中に病死して、三十年ほどを経た頃であり、また時代は新たな転換期へと突入していた。そして転換期には多い、尖鋭的な思想の持ち主であった。
 時代の転換期では旧態依然の価値観が崩れる。
 尖鋭と称する場合、一般には急進的な、また極左的な者を論
(あげつら)いがちだが、昨今は左右の極端化からして極右も挙げられる。批判精神旺盛である。
 ケイ康もご多分に漏れず、批判精神が旺盛で、現体制を大いに批判したのである。
 時代の転換期には、必ず批判者が現れ、これによって旧体制は変化を要求されるのである。

 批判者ケイ康は、これまでの礼教主体の儒学的知識人を大いに否定し、烈しい指弾を加えている。
 特に聖王と崇める殷の湯王、周の武王、更に聖人とされた周公旦や孔子らを揃いも揃って全部が全部否定してしまった。これは儒教の否定でもあった。旧態依然のシステムを否定することにより、自らの異端としての思想を押し通したのである。
 時代の転機には必ず異端思想が浮上する。今日の不穏なる世の中こそ、その異端の顕著な現れであるということが出来よう。
 また、批判者としてのケイ康は旧態依然の権力構造そのものを、蛇蝎
(だかつ)の如く憎んだのである。時代の成り行きとして当然のことであっただろう。
 これは裏から見れば、時の権力者としての憎悪の感情は、一方で畏怖の裏返しであったと言えよう。

 体制側はケイ康を「潜竜
(せんりゅう)」と検(み)た。
 権力側からして超危険人物であった。
 潜竜は普段は池や淵に潜んでいて、まだ天に昇らない竜のことである。また風雲に際会しえない英雄や豪傑を言う。ケイ康はまさに「潜竜」だった。
 一度機会を捉えれば、一気の大空へ駆け登ってしまう。権力側はこれが恐ろしい。こういう存在の影に怯えるのである。そのために糾弾する。烈しい弾圧を加える。
 日本の場合は、「安政の大獄」がこれを雄弁に物語っている。
 つまり体制側は、潜竜の間に始末を付けて葬り去ろうとしてしまう。不穏分子とてのレッテルを貼り、秩序を破壊する不逞の輩
(やから)と決め付け弾劾するのである。また、再び潜竜の類を世に出させてはならぬと、闇雲(やみくも)に刑死へ追い込んで行くのである。

 後世、「竹林七賢」は欺瞞者としての悪評が高い。「欺瞞七人衆」と酷評する人もいる。
 これには礼教を軽視して世俗に背を向け、老荘道家の思想の影響を受けいれたことに由来しているようだ。更に、俗世から超越した言動にもよるようだ。
 つまり、体制側から切り返せば、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨は欺瞞だったとする欺瞞説を打ち立て、彼ら七人の自称賢人たちは世間を惑わす意図を持った韜晦
とうかい/目くらましで形跡の誤摩化し)であったと決め付けたことである。更に隠者説も覆し、実は彼らとて高官としての役職に就いており、特に山濤と王戎は宰相格の高官に登っているなどを挙げて、清流とは程遠い欺瞞説を挙げている。

 こうした歴史を振り返りつつ、原憲が「孔門七十子」に数えられた人物でありながら、晩年、孔子の門を離れたのは何故か。人知れず草深い湖の畔に庵を構え、そこで名誉も学識も求めず、老荘的な後半の人生を送ったのは何故か?……。
 それらを考えれば、少しばかり分るような気がする。
 そして「壺中の天」である。つまり瓢箪と置き換えていい。
 瓢箪の中には別の世界があったのではないか。それを隠棲した原憲も後のケイ康も見たのではないか。そこで天を見ていたのではないか。

 思えば、その天は科学と言う“分別知”に捕われない「無分別智」の世界ではないかと思うのである。
 無分別智の世界は、老子の言う小国寡民
(かみん)の里であろう。
 独立した桃源郷であり、小国であり然も人口が少なく、独立独歩、自給自足の生活に人間の生き方の大道が在る……。私にはそのように思えて来るのである。戦いに明け暮れ、領土を広げると言うことではなく、今を「唯・足るを吾が知る」のである。本当の心が安らぎ、且
(か)つ楽になる、今を満足して過ごす生き方である。日々是れ好日なのである。
 天気のときには野に出て働き、雨が降れば家で本を読んで過ごす。
 晴れれば晴れたでいいし、雨が降れば降ったで、またいい。
 我執に趨
(はし)る自我から離れ、こだわりを捨てて、その心境に至ればそれは、物に囚われることのない永遠の幸せである。言わばそこに無限の一日があると言えよう。老子の世界である。まさに壺中天であった。
 それはまた、私の掲げる『西郷派大東流馬術構想』にも通じるところがあった。
 是非もう一度会わねばならない。その気持ちが募るのであった。
 果たして老人は遣って来た。

 遠望する老人は前回会った時と同じような恰好をしていた。二度あることは三度あった。
 この現象は何を意味するのか。
 推測するに、有機的繋がりを持った縁は、その後の因縁となって連続していると言うことだろう。人間の人智では計ることの出来ない生命体の中で。現象界の一切はその輪の中に内包されているのだろう。
 家内の勘は当たっていた。

 昨今は“科学的”なる言葉が持て囃されているが、人間の感じる直感は、あるときは科学的データ以上に効力を発揮することがある。これを逆から言えば、過去の科学的データの蓄積がなければ、これからどうなるかという事象について、一秒先も予測することが出来ないのである。予報の世界で、これが未だに的中しないのは周知の通りである。
 この現象界は、まさにカオスの世界であり、一寸先は闇である。人智を駆使した如何なる科学力を駆使しても完璧に科学は未来予知が出来ないのである。

 この文章を書いている最中、熊本県熊本地方を震源とする大地震が起こった。
  平成28年4月14日21時26分、M
(マグニチュード)6.5(暫定値)、最大震度7の地震が発生した。更にその28時間後の16日1時25分には同地方を震源とするM7.3(暫定値)の大地震が起こった。
 この地震において、気象庁は奇妙なことを言い、14日の地震を前震、16日を本震という使い分けをして地震状況を的中させることが出来なかった。結局出来るのは、後にあれこれと小賢しい専門用語を並び立てて理由付けすることだけである。結局、地震学に無知な一般素人は地震用語に振り回されただけである。被災地の人はその犠牲になって判断を誤り死に至った人も居た。しかし、その言に従って死んだ人は死に損である。果たして自己責任なのだろうか。
 これだけでも一寸先は闇であることが分ろう。
 これから先も科学が進歩したところで、人類は未だに地震一つ正確に予知出来ないし、雨天や曇天を快晴にしたりして操ることさえ出来ない。科学的と称する言葉は、予知不明確と同義である。
 それだけに科学的とする言葉が如何に曖昧であるかが分ろう。人智では、一寸先は闇なのである。未来予測は完璧でない。
 そして、曖昧についてその責任は誰も取らないし、人智が自然を克服し、管理・監督できるという態度を崩さない。人間は思い上がっていないだろうか。
 この思い上がりは、未だに崩れていないようだ。
 自然界に対して謙虚になり、畏敬の念を感じる必要があろうと思うが、如何なものであろうか。

 老人は飄々としながらも、何事にもこだわらない姿は偉そうに、また尊大に見えないために如何にも好々爺に映る。何とも見ていて微笑ましい。
 相変わらず小脇には画帳を抱え、腰に瓢箪である。そして老人の後ろには、何人かの子供が金魚の糞のようにゾロゾロと付き纏っていた。これも尊大でないから、こうして年少の子供が後に続いているのだろう。
 子供らは小学校三、四年生程度であろうか。背中にランドセルを背負っていた。おそらく学校復
(かえ)りだろう。そういう子供を老人が引き連れていた。
 そういえば学校は七月に入ってから半ドン授業なのである。
 「おや、ご貴殿でしたか」
 私の貌を見るなり、老人は聲
(こえ)を掛けた。既に私の登場を予期したかのような口振りだった。
 「お俟ちしておりました」
 家内の勘は的中したようである。
 「桜の樹の下で俟っていたら……」と言った。
 その通りに俟った。あの日出遭った、桜の樹の下の同じ場所、同じ時刻で。
 すると遣って来たのである。

 子供達は老人に何かをせがんでいた。しきりに「やってやって」と口々に言っていた。いったい何をせがんでいるのだろう。子供達は老人に纏わり付いて離れる様子がない。
 あたかも、ある書物で読んだ『山頭火と子供たち』に登場する、そういう感じを連想させる。この話によると、山頭火が姿を顕すと子供達は口々に「こじき坊主が来た」と卑しめつつも、ある地域では山頭火に子供達が纏わり付いたと言う。山頭火は子供達には人気者だったのであろう。
 この老人もそういう場面を髣髴とさせることがあった。

 いったい子供達は何をせがんでいるのだろう。
 老人はベンチに腰を掛けると、矢立から筆を取り出し、画帳を開いて一気に動物画を描いてみせた。墨絵風の動物画で、『鳥獣人物戯画』のような白描の絵巻の一場面を髣髴とさせる絵である。猿・兎・蛙などの遊びを擬人的に描く戯画の墨絵である。
 驚くべきは筆の動かし方に素早さ。そして線の流麗なる流れ……。
 何とも素晴らしい曲線で、一気に描き上げるのである。
 その所要時間は本の数分だったであろうか。複数の動物を人間に模した実にユーモラスな絵であった。その中には滑稽さすら混ざり合っていた。
 描き終わった後、老人はその絵に物語を添えて子供達に講談風に語って聴かせるのである。子供達はその話に聞き入って、時には笑ったり、時には恐がったりと様々な表情を見せていた。子供達の表情も面白い。
 こうして語って聴かせ、それが終わると描いた絵は惜しげもなく子供の一人にやってしまうのである。それが終わった後、再び次の絵に取り掛かり、先ほどと同じように素晴らしい早さの流麗なる曲線をもった動物画を描き上げてしまうのである。そして描き上げると第二幕という話が始まり、これを興味深く語って聴かせるのである。話は中盤に差し掛かっているらしく、少しばかり事情が込み入り、子供の表情は心配そうか貌になったり、悲し気な表情を作り、次はどうなるのだろうという気を揉みながらの視聴をしていた。

 しかし、第三幕は「次回を乞うご期待」と言って「続編」にして、第二幕で打ち切ってしまったのである。
 子供達は「えッ?……」という声を挙げて「続けてよ」と抗議していたが、老人は「今日は此処まで」と早々に打ち切ってしまったのである。そして、今描いた絵は、また別の子供に手渡したのである。
 ただ気になったのは、では一体「続編」がいつなのかであった。
 子供達は口々に「いつになるの」と問い返し、「じゃあ、明日」となって、交渉は此処で一件落着したようである。面白いことをする老人であった。
 この好々爺の老人は子供好きであるらしい。

 「いやァ、お俟たせしました」
 私はこの聲に唖然とした。子供達に聴かせていた話が突如途切れて、第三幕が続編になったのは、実は私の所為
(せい)であったかも知れない。
 私は恐縮しつつ、「いやァ、見事なものですなァ……」と下手な相槌を打ったようだった。
 この老人と対峙すると不思議な気持ちになって来る。異空間に誘われた錯覚を覚えるのである。また一方で老荘的な佇まいは、心の至深部
(ししん‐ぶ)にいつも清らかな泉が湧いていて、その清泉の水に浸ったような感覚を覚えるのである。私は自分の裾を清泉で濡らしたような錯覚を憶えた。
 その泉は透明であって、それだけに清らかだった。神仙の泉のような錯覚があった。何ともいい気持ちであった。しかし錯覚は何処までも錯覚なのであろう。

 仙術には、術者が人を異界に誘うときの法として主に二つあるとされる。一つは相手を実際に鬼界や冥界に落してしまうと言うものである。これは「人為の神懸かり」と言われ、生殺与奪の意念を持つと言う。
 もう一つは相手の感覚を眩
(くら)ます法で、幻戯をもって催眠状態に誘導し、精神の隙間に入り込んでそこに異界を出現させるという。
 恐らく奇妙な感覚はこうした術の何かであるのかも知れない。しかし、術に悪意が感じられないのは救いであった。
 そもそも仙術は狐狸と関わり易いと言う。幽界の俗を誘う術とされる。悪くとれば顕幽界のでの惑乱と言えよう。

 私が救われているのは、この老人が悪を熟知していながら悪を致さないことであった。そのように、勝手な私の感覚なのである。
 世の中には恐ろしい術を会得しながらそれを遣わない人がいる。
 これはあたかも悪事の一切を知りつつ、悪を働かないことに酷似する。そのように老人を検
(み)たのである。
 世の中には、悪いことを出来ない人よりも、悪いことが出来ても悪いことをしない人がいる。世間一般でよく耳にするのは、「あいつは悪人だ」と陰口を叩かれる人がいる。
 しかし、よく考えると悪人という見方が実に曖昧であり、単に噂が噂を呼んだ悪のレッテルを貼られた人がいる。特に何一つ抗弁をせず言い訳をしない人は、その槍玉に挙げられる場合がある。そして抗弁しないという行為が、ゆえにそれこそ悪の証拠と言わんばかりに噂がやがて事実化されて行くのである。
 愚者で動かされている世間と言う構造が、こうした愚者の思い込みで動かされている現実である。
 つまり人の善悪は見方によると、悪を知らない善は本能の善でないと言うことである。
 本当の善人の偉さは、沢山の悪を知り尽くし、度々生地獄を見て、挫折を繰り返しつつも、悪を知り、それでいて悪に染まらないし、悪事を働かない。こう言う人が本当の善人なのである。
 したがってこう言う善人は、世間一般の可もなく不可もない、悪を知らない善人と異なり、善悪の統べてを知り尽くしているから、怕
(こわ)くもあり偉くもあるのである。そこに畏敬の念が働く。地獄を見て来て、地獄を語らない。黙して好々爺の表情を崩さない。
 老人にはこういう足跡が漂っていた。

 老人とは、この場所で些
(ささ)かの言葉を交わし、理想郷の話を聞いた。そこは、仙界ではない仙界の話であった。仙界も二つあるらしい。次元の高低差である。
 老人曰
(いわ)く、人間とは何かの話から始まり、戦中の軍隊体験を通じて移行の地上界において、今日に至る人間のありかたであった。地上で考えることの出来る生き物は人間のみであると、これまで自負して人間は生きて来たと言う。
 また現代人が自分を知り、自然を知り、その「知っている」と過信するそれ自体に不安定があると言う。更には人間は、自らの手で欲するものが思いのままになるという過信を殆
(あや)ういと指摘するのであった。
 その根拠は人間は自然から孤立したと言うのである。その最たるものは物質文明の汚染された社会であり、実はそれが生命と魂の発展の源泉を枯渇させていると言うのである。
 現代人の多くは寸刻の時間と空間を争い競い、奇怪な文明の中で疲れ、そして病んで行く末路を辿ると言うのである。その象徴たる元凶が、現代の多忙であった。これを老人は殆ういと言った。こう言う話を、もうすっかり青葉の葉桜となってしまった桜の樹の下で小一時間ばかりしたのである。

 この日の別れの言葉として「風の中に庚午
(かのえうま)から辛未(かのとひつじ)へ、そして壬申(じんしん)へと吹き荒れましょう。変化する時機です。大いに揺るぶられることを覚悟なされ……」と、何を暗示するように言ったのである。
 急激な変化が起こり始めていることは私自身も感得していた。
 やがて何かが起こる……、これが私の直覚する風の感じ方であった。
 「では、また何
(いず)れ……」
 どちらからともなく頭を下げて会釈し、こう言って別れたのである。だが明日ではないのである。明日は、老人は子供達への約束がある。そこに私は割り込めない。出遭いは、遭う度に同じでない。常に一回限りの一期一会である。それ故、「また何れ」となる。
 名も知らぬこの老人は、私には途方もない大きな巨人に映ったのである。何かを知っている。何が起ころうとしているかを知っているのである。
 壬申へ向かう年は、地震で言えば前震であり、本震への露払いとして波瀾が予想されるのである。本番はこれからであった。
 老人は「大いに揺るぶられる」と言った。それを覚悟せよと言う。そう捉えた。
 私のシグナルには、何かが起こることを既に警告しているようだった。
 時々刻々の時の変化は、衰滅に瀕
(ひん)した旧態は毀(こわ)し、新生して何かが擡頭(たいとう)する。産みの苦しみである。



●逆風

 此処に来て風向きが変わった。そのように感知されるのである。
 逆風……。
 そう感知するのである。
 では、それはいつ吹くか。
 だが人生の何処かで、逆風が吹いていることは確かであった。私の傍に吹いていても不思議ではない。
 逆風。それは“どんでん返し”の風であり、特異点を孕
(はら)んだ風である。既に好機に入り、好事が続き、遣ること為(な)すことが総て巧くいって順風満帆となり、有頂天に舞い上がったとしたら、それは逆風が吹き荒れる前兆と検(み)なければならない。魔が仕掛けられたのである。しかし、これが魔であることを知らない人は意外に多い。
 この仕掛けは恐ろしい。実に恐ろしい。いいことばかりは続かないのである。
 しかし人生経験が浅いと、順風満帆に物事が運ぶことを「運が良い」と、愚かにも思い込んでしまうのである。

 私はこの時期、やっと人生の火と水の試煉
(しれん)である男の厄年の42歳を抜けて、やっと一年経っていたが、まだまだ人生は学び足りていなかった。勉強不足であった。逆風が襲った時の試煉に打ち勝つ法を学んでいなかった。
 最悪事態が、まだ学び足りていなかった。困窮克服法を知らなかった。

 人間を止めれば試煉もへったくれもないが、人間として毅然として胸を張って生きていくには、この峠を越えなければならなかった。こういう試煉の波は定期的に周期的に規則正しく訪れるのではなく、ある日突然、予想もしなかった時に青天の霹靂のようにして襲って来るのである。そして起これば連続することもある。それは極めて不規則であった。
 その度に、人間は絶望に苛まされる。進退窮まって、深く絶望の淵に引き寄せられ、ややともすれば絶望の底無し沼に叩き込まれることがある。
 そうなれば,死ぬか、生き恥を曝
(さら)すかである。
 しかし、人はそれでも恥を忍んで、そこから這い上がって姿勢を正し、胸を張って毅然を喪ってはならないのである。

 二度あることは三度ある。
 二度会ったことは、必ずもう一度あることを暗示する言葉だが、それは三度目で終了すると言うことではない。一旦悪いことが起これば、それは連続して起こる。不運は連動されているのである。その連動は、また好事の魔と連動されており、更には順風満帆と連動されている。
 そして絶望の底無し沼とも連動され、そのドン底まで引き摺り込もうとする吸引エネルギーとも連動されている。
 引き摺り込まれ、悪夢が次々に繰り替えされる。畳み掛けるように襲って来る。
 まさに真っ昼間から、まざまざと悪夢を見せ付けられるのである。
 その悪夢を兆候を見たのは、この年の七月頃からであっただろうか。
 突然家内が消えたのである。

 家内の消息が分からなくなる少し前のことである。
 進龍一が、一冊の雑誌をひっ掴
(つか)んで、辿々(たどたど)しく伝習塾に遣って来た。自分の履いている靴も、蹴散らすというふうだった。肩を怒らせている。本当に怒っている。
 その顔は憤怒
(ふんぬ)を顕わしていた。あたかも不動明王のようだった。背中から火焔(かえん)を発しているようだった。相当に腹が立ったのだろう。
 今までに、進龍一のこのように取り乱した、憤怒に狂った顔を見たのは初めてだった。
 「宗家。これを見て下さい!」
 その声からして、怒り心頭に発していることは容易に想像できた。荒れた息が納まらない。差し出したものは、マイナーな武道雑誌だった。

 この日は、日曜日だった。
 この日の午前中は、習志野綱武館の稽古日だった午前九時から正午までは、稽古時間だった。進は鼻息を荒くして憤慨していた。手に握り締めた、一冊の雑誌はクチャクチャに握り潰されていた。掌でポンポンと叩き無慙
(むざん)に握り込まれていた。相当、憤慨しているようだった。
 奴は怒りを露にしたまま、「武道雑誌が、三流か四流の週刊誌のような、えげつない記事を書くとは失望しますね。あれで公平公正とは笑わせますよ、笑止です。
 武道とか、武術のマニア雑誌が、こうしたスキャンダル紛
(まが)いのことを書いて喜び、礼儀だの、謙譲などと言っていること自体、とんだ茶番です。一体どこに礼儀があるんですか!どこに謙譲があるんですか!
 この世界のことに、大いに失望しましたよ。全く不愉快な世界ですね、武道の世界とは!」と言い捨てるようにいって、こう言った一人は、この参集した集団から去って行った。

 そしてそこの頃、隣の教室では家内は出来の悪い生徒数人を集めて、授業をしていた。

 これに気付いて、進龍一は「別に開いている教室ありませんか。隣の教室には奥さんが居ますからまずいですよ。離れた、開いた教室で、今から早速、対策を立てる参謀会議を遣りましょう」と言うのだった。この記事を分析し、次の対策を考えねばならないと言うのだった。私も、一大事であることは分かっていた。
 また、「このままでは誹謗中傷記事で、今後の入門者は愚か、弟子はどんどん辞めていきますよ」と言うのである。
 奴の怒りは消えない。
 私は黙って聞いていた。
 私が荒立てても仕方のないことだった。
 「宗家、いいですか。ここに書かれている誹謗と中傷の記事は、正しく取材された後に書かれたものではないのですよ。調査も皆無です」
 一番言いたかったことは、ここであった。取材がない以上、公正・公平・中立であるわけでないというのである。
 さて、此処ではこのことについて述べない。詳しくは
『吾が修行時代を振り帰る』にあるので、事の成り行きと真相がが知りたい方は、この部分を一読請う。

 このちょっとした騒動のあと、家内が消えたのである。
 私が誹謗中傷の槍玉に挙がったことを気にしたのだろうか。あるいはあの忌まわしい《某大学合気柔術部造反事件》の蒸し返しが再び起こったことに憤慨したのだろうか。
 造反事件の時は人間は変わったように家内自身が激怒していた。それを重ねて捉えていたのであろう。

 人間は矛盾する生き物である。
 人間が言語を喋り、言葉を使って、他人に自分の主張を伝達しようとすれば、必ずそこに矛盾が生じる。伝達の中に、知らず知らずのうちに自分のことは棚
(たな)に上げ、他人の非ばかりを詰(なじ)る伝達文になっているからである。
 それは、こういう文章を書いている私自身、例外ではない。

 人間は自分のことは棚に上げるからである。自分のことは棚に上げ、他人が棚に上げていることばかりに目が行くのである。自分はあまり見えない生き物なのだ。だから矛盾も多い。自らを改める前に、まず他人の非を指弾し、自分はついつい後回しになる。
 人間は自他問わず、根本的には矛盾し、善も悪もないのである。一方だけが正しいとする言い分は、明らかに間違いなのである。

 人間は神ではないから、そんなに偉くはない。偉くない上に間違いも多い。人間こそ、動物の中で、一番矛盾に満ちた生き物であるからである。人間の抱える矛盾は、どんなに社会が整備されたとしても、人間理解の不備はどこまでも付き纏い、これは永遠になくならないであろう。
 これに対し、改善されていくことは期待するが、努力だけでは克服できないのが明白である。そして、これは人間の背負う、一種の宿命のようなものであろう。しかし、この宿命の中に、また、人間はあるものに恨みを抱く私怨
(しえん)が存在するからである。
 ジャーナリズムの建前は、中立・公正・公平である。表面的には、これを力説している。
 しかし、遣っていることは仁義なき暴力団然である。実際に標榜していることと、記事の内容は大きく喰い違う。取材なりの思い込みである。何者かの意図が働いている。
 こうなると偏
(へだた)りがあることは明白であり、取材したように見せ掛け、調査も十分であるように思わせていて、実は多いに偏った記事を書くことが少なくない。何者かの意図が含まれ、一方的な捏造になっていることが少なくない。猿山のお山の世界の実情である。猿山ではその種の大将が犇(ひし)めき合って居る。

 特に、近年の自称「武術研究家」という類
(たぐい)は、マイナーな種々の武道雑誌に、反目する相手を攻撃材料にして、自分の団体を優位に置くため、この手の匿名で揶揄(やゆ)したり、批難の応酬の手を緩めないのである。そして、便乗し、更には、思い込みに激しいこと、此(こ)の上もなしである。
 今や猿山は、その頂を巡って、蝸牛
(かくぎゅう)の角で争うが如き、争奪戦が繰り広げられている。妬みと嫌がらせが渦巻いている。

 家内が突然いなくなった。
 どうしたことか。
 《きっと家内は、あの記事を読んだに違いない》私は、そう思うのだった。
 おそらく家内は、片手落ちが許せなかったのである。それが誰の差金か、即座に思ったのだろう。
 前々から不審を抱き、その論は片手落ちの疑念を持っていた。誹謗中傷に激怒した。人一倍感受性が強い、片手落ちの記事で心因性ショックを起こし爆発しても不思議ではない。
 この記事を読めば、片手落ちだけに、読んだ当事者は憤慨するだろう。“名指し”で書かれると言うことは、そういうことである。障害を抱える心因性不安定者は少しのことでも精神にも支障を来す。一度狂わされているからなおさらだ。二度目の爆発は大きい。
 精神科学では心因性ショックは、初期症状の二乗で障害を拡大することもあると言う。

 では、マイナー雑誌を読んだ後、何処に行ったのか。家内が持ち去ったのか。
 これをまず、調べなければならなかった。一読すれば狂うのは必定だった。不安定な精神状態は何かのきっかけで、いつ崩壊しても不思議でない。名指しである以上、当然である。侮辱的なことが書かれていた。

 某雑誌を進龍一が持ち込んだ際、彼が吠えていた教室の周囲やゴミ箱の中を捜してみた。捜すと、ゴミ箱の中から、くちゃくちゃに握り潰したような雑誌が出てきた。このように誰がしたのか分からない。しかしゴミ箱に捨てられたものは、更に崩れが酷かった。
 くちゃくちゃに握り潰した、これだけ形跡を見れば、明らかに家内が読んだものと確信できた。読んで怒り心頭に来たのである。
 何者かが「本当によく調べましたね」などと外野からの声を上げているが、そう言う取材を受けたこともないし、調べた形跡もなかった。捏造が大であった。
 それだけに悔しいという気持ちが、激しく握り潰す怒りを増長したのだろう。おそらくこの記事に激怒して何かのアクションを起こしたに違いなかった。

 では、いったい何処に、逆上の、怒り心頭の捌
(は)け口を求めに行ったのか。それが酷く気に掛かることだった。いったい何をするというのだろうか。私にとっても不可解だった。何か悪い予感がした。
 否、何か悪いことが起こるのではなく、もう既に起こっていた。
 単独で乗り込むのだろうか。文句の一つも言うのだろうか。造反事件以降、未だに燻り続けている家内の憤慨であった。




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