運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 30

春秋時代の斉の繁栄は、賢人宰相・晏嬰あんえい/晏子)の手腕によるものである。
 晏嬰は霊公・荘公・景公に仕え、賢人として献臣の名も恣
(ほしいまま)にした。老獪な策士としても知られる。その中で「二桃三士を殺す」の計は有名である。
 斉
(せい)の景公(春秋時代の斉の第26代君主。暗君として史書には描かれる)の時代に、公孫接(こう‐そんしょう)、田開疆(でん‐かいきょう)、古冶子(こ‐やし)という三勇士がいた。いずれも勇将で、武闘派の武人である。

 また文にも優れ、大地の四隅を巨大な紐で繋
(つな)ぐ、これを断ち切るほど学問もできる人たちだった。それだけに彼等はこれまでの功績を誇って、勝手気ままであった。然(しか)るに三勇士は文武の人で、当時一世を風靡(ふうび)したといえる。
 これは晏嬰から見れば、危険この上もない。危機感を抱いた晏嬰は、巧妙な策を用いて三勇士の誅殺を図った。
 晏子の計はこうである。
 功績を自慢する三士に、二個の桃を与える策を思いつく。
 それは、一人に一個ずつの三個でなく、三人に“二個”である。この意味、お分かりだろうか。

 三人の勇猛で文武の誉れも高き、武勇の士に「二桃三士を殺す」の計を用いるのである。
 その結果、どうなるのか。
 この筋書きを追うと、公孫接と田開彊が、先に桃を取った。残されたのは、古冶子である。
 古冶子は「私に功績が無いと言うのか」と、先の二人を詰
(なじ)った。
 この言を聴いて、公孫接と田開彊は、はたと気づいた。一瞬恥を覚えた。
 結果、公孫接と田開彊は、自分だけの“貪りの欲”を恥じて自決したのである。
 また古冶子も二人が死んたので、自分だけおめおめと生き残るわけにはいかず自刎
(じふん)した。
 晏嬰の策は、見事に図に当たった。

 彼らの人となりをよく知っていた晏嬰は、あえて三人を罪に陥れて刑罰に服せずに、自滅するように仕組んだ。
 そのときの事を詠
(うた)った詩が『梁甫吟りょうほぎん/「粱父の吟」とも)』である。
 特に、この詩は諸葛孔明の愛唱歌である。
 孔明はこの詩をよく詠じ、“一朝 讒言
(ざんげん)を被(こうむ)りて 二桃三士を殺す 誰か能(よ)く此の謀(はかり‐ごと)を為せる 国相斉の晏子なり”と吟じたのである。『梁甫吟』に詠われているのは「二桃殺三士」の伝説である。
 孔明が晏嬰から受けた影響は大きかった。

 この詩によれば、宰相の晏嬰は、王から賜
(たまわ)った二個の桃を三人の前に置き「自ら功績の多い者が、此れを取れ」と言った。
 うまい策である。
 実に心理戦である。それだけに冷徹である。穢土
(えど)に棲(す)む、人間に仕掛けられた策だった。学ある文武両道の賢者と雖(いえど)も、こうした策には絡め捕られるのだ。

 かつて景公が孔子を招いて斉の重臣に召し抱えようとしたとき、晏嬰はこれを拒んだ。
 「わが君、確かに孔丘
こうきゅう/孔子)は天下の逸材たる人物ですが、孔丘の儒学と言うものは実に堅苦しいものでございます。また孔丘は聖人であり、世の賢人であります。しかし、世の中を動かしているのは孔丘のような聖人君子でなく、我々のような愚人でございます。孔丘をお召し抱えになるのは、如何なものでございましょう」
 こうして晏嬰は、景公の「孔子召し抱え」に反対し、斉には留まらなかった。

 この話を思うとき、筆者は直ぐに現代の世の中のマスコミに操作される大衆を考えてしまう。大衆は民主主義デモクラシーといい、民主の名で巧く操縦され、表面上は持ち上げられているが、実は人間牧場の住民でもあり、間接的に搾取される気さえして来るのである。

 例えばテレビを通じて誘導される現実である。此処に放映される殆どが娯楽番組をはじめとする白痴番組や“一億総タレント”を地で行くようなその種の風潮の中に流される現実である。その一方で教養番組は極めて少なく、またニュース報道も既に加工されたものばかりが流されている。それは恐らく、愚人を相手にしているからである。誘導の理論で世の中は動かされているのである。裏を返せば、動かしているのは賢人でなく愚人である。
 まさに晏嬰の言葉と一致するのである。

 その最たるものがテレビショッピングであろう。
 予め仕組まれた視聴者の対象を絞り込み、計算された筋書きのよって誘導し、半ば「いま買わねば損をする」と言うような言葉で捲し立て、甲高い声での早口と克明な映像をもって脅迫観念に陥れるのである。ここに愚人相手の理論商法があるように思う。そして大衆はまんまと乗せられる。
 晏嬰が景公に囁いた「世の中を動かしているのは、我々のような愚人でございます」の言葉に何故か符合してしまうのである。

 自然現象界に「蜘蛛」というモ綱クモ目の節足動物がいる。
 体は頭胸部と腹部とに分かれ、どちらにも分節がないのを特長とする構造をもっている。頭胸部に8個の単眼と6対の付属肢
(鋏角・触肢・歩脚)がある。

 特に最大の特徴は腹部にある糸疣
(いといぼ)から糸を出て蜘蛛の網を張り、捕虫することである。更に卵は一塊にして産み、糸で包んで卵嚢を作る。子蜘蛛は糸を流して風に乗って飛行し、空中で散らばる。

 この蜘蛛には能
(よ)く観察をすると、蜘蛛の網を張って構えるところが「静」であり、風に乗って流れるところは「動」であることに気付く。他の動物のように「動」のままということはない。静動の使い分けが巧い。
 俟つべきところは俟ち、行動すべき時期に入ると巧みに仕掛けて捕虫する。
 この一連の中に、筆者は晏嬰の武勇の士に「二桃三士を殺す」の計を用いたあの策を重ねてしまうのである。

 更に想うのは、あの老人……、あの瓢箪仙人が言った「蜘蛛の網についてご存知でしょうか」と訊いたことであった。
 あの老人は、「蜘蛛はなぜ網を張るのか」であり、真剣に考えれば考えるほど奇妙なことが分って来る。なぜ張るのか、分らないことが分って来る。

 今までこのことを、真剣に考えたことがなかった。
 しかし蜘蛛はしたたかであり、用意周到の策を巡らし、その策に粉骨砕身した別の一面を見落としていた。蜘蛛の表皮だけしか視ていなかった。蜘蛛は決して偶然を俟
(ま)ってはいなかった。
 そして今更ながらに気付かされることは、現象界は、また相対界である。作用に対して反作用が働く。この反作用に偶然は存在するのか。

 総てのことは、理由があって現象を起こしている。
 私たちが“偶然”と思い込んでいる偶然すら、実は必然であり、仮に偶然を頼るのなら、より多くの偶然に遭遇しなければならないであろう。そして、より多くの偶然を捕えるためには、より多くの用意と努力を重ねなければならないのである。


●苦悶する軍師

 再び、伝習塾に進龍一が遣(や)って来た。この頃は、繁く足を運ぶのだった。金策する充(あ)てを探しているようであった。
 私の顔を見るなり、いきなりこう切り出したのである。
 「宗家、500万円貸して下さい」と、言うのだった。
 おそらく“駄目元”でいったのだろう。私など宛にしてないのである。
 「俺に500万もあると思うか?」
 「思いませんが、もしかして……」
 奴としては期待など最初からしていない。
 「したたかな宗家のことですから、何処かで金の匂いを嗅ぎつけているのでは無いかと……」
 奴は自らの直感を信じ、奇妙な打診を図ったのだろう。

 最近、私の動きはこれまでとは違う奇妙なことをしているのではないか?……という探りとともに、奴独自の勘が働いているのだろう。
 私も背後の「何かが動き出したぞ」と気配を感じるようになっていた。
 特に私を取り巻く渦は敵味方が相乱れての、「何かが動き出している」と言う気配である。それは敵対視するものばかりでなく、味方と言うか、支援者というか、そういう物量的な、あるいは金銭的な何かであった。
 今から何かが起こる予兆である。それは総てが良いこと尽くめでない。清濁混入され互いに相乱れて、また善悪の鬩
(せめ)ぎ合いが清濁と綯(な)い交ぜになりながら、運命のダイナミックな変化を通じて、何かが起ころうとしていた。
 それを嗅いだ節がある。何かが変わりつつある……。
 そういう気配も、奴は私と一緒に嗅ぎ付けたのかも知れない。

 「その能力はお前の方が数段も上だ」
 「何をおっしゃいます、滅相もありません」
 「俺は落ちた野良犬だ、豚だ。落ちた豚に正常な嗅覚など、あろう筈がない。もう疾
(と)っくに失われている。退化してしまったよ」
 「ご冗談を……」
 この男、私を落ちた犬と言いながらも、どのランクに格付けしているのだろうか。
 乞食然と見下していないところは歴然だが、それにしても……と思う。

 私は大した器ではなかった。底辺である。人望もなかった。その人望のなさは、あたかも陳勝の如きであった。
 陳勝は呉広と結託して、秦末期に反旗を翻
(ひる)して反乱を企てたとき指導者的立場にあり、楚王を自称したが、秦軍と戦えば敗れて敗走するという無態(ぶざま)を曝(さら)した。
 このとき秦軍の総大将は名将の章邯
(しょうかん)であり、また農民出身の呉広には、陳勝を補佐して軍師を勤めるような才能はなかった。ために陳勝軍は、忽(たちま)ち章邯軍に壊滅させられたのである。

 陳勝が幾ら楚王と自称しても、中身は寄せ集めの“護摩の灰”然で有名無実。
 一時期は総兵力53万人の大軍勢を誇ったこともあったが、名将章邯の戦いの巧みさには適
(かな)わなかった。
 章邯は並みの人間には叶わない、途方も無く勝れた名将だったのである。章邯の活躍で自体は一変した。陳勝側の形勢は徐々に悪化した。衝かれて総崩れを起こす。そして馭者
(御者)の荘賈(しょうか)に殺された。
 人間現象で不可思議なのは、負けが込むと、味方内部から叛乱分子が出ることである。内部から崩壊し始める。味方を蝕む者が出て来る。そして遂に、わが陣営の門戸を開き、敵の侵入をし易くする行為まで起こる。
 そもそも陳勝殺害の理由は、兵糧の欠乏に苦慮し、将兵を充分に喰わせることが出来なかったからである。喰わせてこそ、主将の座は保てるのであり、喰わすことが出来なければ忽ちその資格を失い、王座は奪われるのである。これこそが人間学の基礎規定である。

 私も予備校経営時代、同じような金銭的な困窮に苦しみ、倒産の結末はあたかも陳勝の如しであった。最後は、内輪から経営権まで奪われる哀れな状態であった。
 追い出されるとき、採用時には平身低頭していた下役から傲慢
(ごうまん)に罵倒され、一筆取られて念書まで書かされた覚えがある。屈辱だった。落ちた犬の末路である。
 落ち目とはこう言うものであった。
 経営者である雇用主は雇用者に喰わすことが出来なくなれば、斯
(か)くもこのように脆く崩れて、哀れなのである。
 しかし哀れで、屈辱は確かに感じるが、また人間勉強にはなる。人間の本質が理解できて来ると言う利点もある。一方的に損を被るのでなく、金銭には変え難い教訓を残すのである。
 むしろ、この教訓の方が、私の場合は大きいと言えた。再起するための、敗者復活戦での準備をする足場となるからである。
 私がこのとき得た教訓は、「奸計」という内部陰謀の人生構造である。
 これに学ぶ点は多かった。

 奸計は政治の舞台でもしばしば登場し、世の中には野望に燃えて権力に取り憑かれる人間がいる限り、人間社会では永久に存続する現象だろう。
 西洋史上、最大の政治家と言われたカエサル・ジュリアス・シーザーも、ポンペィウスの議事堂で陰謀派の手に掛り命を失っている。その中にはデキムス・ブルータスのようにシーザーの恩顧を受けた部下までいて、暗殺の刃に倒れたことはよく知られるところである。
 シーザー側から見ればブルータスのような、一番の腹心であったと信頼されていた者までが自分を殺そうとする一味に加わっていたことである。
 まさに「口に密あり、腹に剣あり」であった。

 昨日まで民衆の友であった尊敬されていた人物が、今日には突如として、陰謀家となったり、裏切り者となったりしてこれまでとは、一変した態度を見せ、その後、悪のレッテルを貼られて葬り去られることである。
 また奸計は、シェクスピアの四大悲劇と言われる『オセロ』でも見られる。
 ムーア人の将軍オセロが、旗手イアーゴの奸計にかかり、妻デスデモーナの貞操を疑い殺害するが、真相を知ったあと自刃する物語である。
 人生舞台の背景には、人間関係を巧みに操って、相手を窮地に陥れる策がしばしば用いられる。そこのは陰謀があり、詐術の類
(たぐい)が存在する。この種の現象は洋の東西を問わず、古くから歴史に登場し、文学作品の題材までなっている。
 人間が権力や富や異性を巡っての秘策を尽くしての争奪戦である。
 また、これらは生き残りを賭けての手段にもなり得る。
 生きるとは、また生き残ることをも意味するのである。

 私は、「借金を申し込む相手が違うのでは?」と、鼻先で笑って軽く去
(い)なしたのだが、奴がなかなか帰らず「どこかに隠し金として何百万か、臍繰(へそ‐く)っているのではないですか?」と言って、この日は意外に執拗に下がったのである。
 「今の俺に金のあるように見えるか?」
 「人は見掛けによりませんからね。どこかに隠しているのではありませんか?」
 「金は無い、人に貸す金は1円もない。予備校を倒産させて、まだ一年も経っていない。
 庶民の俺が、庶民の眼で見る、天文学的な厖大な借金を抱えているのは知っているだろう?」
 「それでも、最後の切り札のような隠し金を持っているんじゃないですか?」と、私の顔を窺
(うかが)うように言うのだった。
 あたかも埋蔵金を隠した盗賊のように……疑いの目で言う。

 「そんなものはない!俺は一介の庶民だ!俺に500万円もあったら習志野くんだりまでのこのこと、お前を頼って来るものか……」
 「だったら、銀行から金を借りますから保証人になって下さい」
 野郎は遠慮なく、臆面
(おくめん)もなく言いやがった。
 「ああ、いいよ。幾ら借りたいんだ?」
 「あの……、それが……」
 快く承諾したことに面食らっていた。
 だが一方で、私の快さを一瞬、怪しいとすら思っている。
 「ハッキリ言え!」
 「ハッキリ言ったら、お怒りになるのではと思いまして……」
 奴は揉
(も)み手なんかをしてみせる。
 「怒るものか。連帯保証人でも、何でもなってやるよ。どこへでも実印を捺す。実印を捺したくてウズウズしている。『借入申込用紙』を直に持ってこい」こう、投げやりに言い捨てたのだった。
 人が保証人になろうと言うのに、遠慮なくさせればいい。だが、何かに躊躇していた。
 「何か……、そう簡単に言ってもらうと調子狂うなァ、何だかヤバイ気がする。運良く借りれたら半分よこせなどと……」
 「そういうことは言わん。借りて返済するのはお前だ。したがって借りれたことに対して貸金の何%などをそういう穢い手は遣わん。借りた金は100%お前の物だ」
 「何だか、そこが危ないのですよ。普通だったら親の遺言とか、何とかかんとか言って、保証人はならないし、神経が正常だったら実印も捺さないのが普通じゃないですか。それを宗家は簡単に言う。何だか、怕
(こわ)いなあ……」
 「怕くはない、直に実印を捺してやる。直に持ってこい。日頃お前から世話になっているせめて恩返しだ。連帯保証人になって、印鑑証明記載の実印も確
(しつか)り捺してやる」
 「有り難う御座います、助かります」奴は低姿勢で、直角90度のお辞儀をしやがった。
 言い終わるやいなや、直ぐに飛び出して行った。
 そして次の日、銀行からの『借入申込用紙』を貰って来て、これに記入して欲しいと言うのである。

 「宗家。お手数をお掛けします。どうぞ、この私めの連帯保証人になって、この急場を救って下さい」と、しおらしくことを言うのである。
 連帯保証人である。何しろ連帯責任を追う保証人である。
 連帯保証人は連帯保証債務を総て荷なうと言うことである。保証人が主たる債務者と連帯して履行する義務を負う保証債務のことである。
 そして連帯保証人の最も怕いところは、まず普通の保証人とは異なる。
 次に催告ならびに検索の抗弁権が無い。
 万一、支払い義務が生じた場合、有無も言わさず債務の責任を負う。この強硬なる執行で財産の一切を失う人もいる。普通、第三者が保証人にならないのはこのためであり、常識で考えて先ず保証人の依頼は断るものである。
 つまり、これに署名し、実印を押すことは重大な意味を持つ。
 普通の神経をしていたら、どんなに親しくとも、こうしたことは絶対に遣らない。人によっては、実に恐ろしい行為なのである。連帯を荷なった保証人の保証とは、総ての保証をすることなのである。

 何しろ連帯保証人である。万一の場合、借入者が不履行を働いた時点で、その支払い請求は有無も言わさず連帯保証人が移行を支払って行くことになる。
 返済者が窮すればそれを全額引き受けて、以降の弁済に全責任を負わねばならない。
 そのために一度保証人になれば、保証したことで、その家族は崩壊するもともある。一家離散したと言うのは、よく聞くところである。
 しかし、もうこれ以上失う物がないと言う人間は、そういう恐怖心もない。危機感も不安感も無い。
 同時に責任能力もない。信用もない。私の場合はこれであるから、もう何も怖れるものはなかった。
 破綻者として「超ブラック」の烙印を押された者には、世の中で何も怖れるものがないのである。

 「ああ、分かった。それで幾ら借りるのだ?」
 「あの……、恐れ入りますが、500万円ほど……」と、遠慮ぎみに言うのだった。
 「なに?!」
 奴は、この切り返しを《500万円と聞いて、遂に一介の庶民が怒ったぞ》と、捉えたに違いなかった。
 「ほら、怒った」
 「当り前だ、これが怒らずにいられるか!」

 「あの……、500万円は無理でしょうか?……。では、300万円ほど……に縮小して」と、更に遠慮ぎみに言うのだった。
 「馬鹿者!俺に借金の連帯保証人を頼むのだぞ、俺がたったの500万や300万の男に見えるか!どうせ書くなら、2億か3億にしろ!連帯保証人は俺だ。その俺に500万などと、端金
(はしたがね)の単位を言うんじゃない!」
 「ムははははァ……、2億か3億……、ムははははァ……」
 奴は引き攣
(つ)ったように笑い出した。あんぐりと口を開けて、馬鹿笑いする。

 「馬鹿笑いはよせ!」怒鳴りつけた。
 「だって、これでは借金の数字に現実味がありません。2億か3億なんて……、そんな数字じゃなく、もっと現実味のある数字でお願いします」
 「だったら20億か、30億か?……」
 「違いますよ、もっと現実味のある、生活に密着した地味な500万円でいいのです。それ以上は必要がありません」
 「お前、なかなか無欲じゃのう」
 「無欲と言われましても、私はせいぜい頑張って500万程度の人間ですから」
 「だが、謙虚過ぎるのもよくない。そういうのを慇懃無礼と言う。遜
(へりくだ)りが過ぎると、礼儀に反してむしろ無礼となる」
 「別に遜る気持ちはありませんが……」
 「俺がせっかく連帯保証人になってやるというのに、この際、もっと大きくいけ」
 「大きくなくてもいいんです。宗家の言う、たったの500万円の端金でいいんです。言うことが、まったくクレージーですね」
 「じゃァ、ついでにレンガ一本にしとけ」
 「レンガ一本と言いますと?」
 「1,000万円だ」
 そう言って、“借入金額1,000万円”と書かせて、用紙に署名と捺印を捺
(お)したのである。そして、『借入申込用紙』には、二名の連帯保証人が必要だったので、「ついでに家内の名前も書いて、実印を捺すか」といって、二人の連帯保証人の名前を並べたのであった。
 その日は、『借入申込用紙』を持って帰り、これで仮申請してみると言うことだった。
 そして後日、住民票、戸籍謄本、印鑑証明を取って欲しいと言うのだった。これらは北九州市と長崎県平戸市にあり、後日請求することにした。

 そして次に日、また奴が遣って来た。銷沈し、なぜか愕然
(がくぜん)としていた。信用保証協会に予め打診したらしい。
 「宗家。駄目でしたよ、ぜんぜん駄目」
 「何がだ?」
 「宗家が保証人では、全く信用がありません。超ブラックですよ、超ブラック。宗家は全国規模で超ブラックです」
 「俺は全国指名手配と言う訳か」
 「そう、日本全国。津々浦々まで、宗家の超ブラックの不渡情報が銀行報に載って回状されています。宗家は、どこにも金融機関は信用がありません。奥さんも駄目でした」
 「そりゃそうだろうなァ。億単位で不渡りを出し、銀行には4億5千万も泣いてもらったんだからな。この超ブラック、1年や、ちょっとでは簡単には消えまい」
 我ながら感心して言ってみせた。

 「宗家は、50年どころか、100年経っても消えませんよ」
 「そうだろうなァ……。庶民にしては、負債総額が少しばかり大きかったからなァ」
 「少しばかりではありませんよ。負債が、並みの人間の額を超えているのですよ。だいたい億単位の負債抱えるなんて、クレージーですよ。超クレージー……」
 「億単位の負債が、どうしたというんだ」
 「あああッ〜、こりゃ駄目だ。そろそろ私も、利根川にでも身を投げますか……」
 「そんな弱気でどうする」
 「私は、持つべき師匠を間違えたみたいです」
 「バカ野郎!持つべきものは、やはり俺みたいな超ド級の師匠なんだ。俺が100%、確実に500万円借りれるスーパー・テクニックを教えてやる。任せとけ!」
 「本当ですか?しかし、スーパー・テクニックと言うところが、何だか如何わしいし、怕い……。その部分に何か不純なものを感じます。そんなもの、教えてもらわなくて結構です。他の手を考えます」
 野郎は言いたいことだけ言って帰っていった。

 そして、進龍一が必要としている金は、「診断テストのソフト」と「コンピュータの20台分」の700万円であることは分かっていた。このうち200万円は、小金を貯めているらしかった。それを足すのだろう。しかし不足分の、残りの500万円に窮していたのである。
 既に、学習機材を導入しているとみえて、その支払い期日が迫っているのであろう。やつが走り回っているのは、これで分かった。
 この時代から銀行の「貸し渋り」が起こり始めていた。
 バブル時とは打って変わっていた。

 十年ほど前は「土地転がし」なども盛んであり、銀行も借り手を探して低姿勢だった時代がある。借りてやるといえば据え膳上げ膳の時代もある。決して下には置かなかったものだ。
 ところがバブル崩壊後、世の中は一変した。総てが瞬く間に変わってしまった。
 時代はハイテク時代へと急速に変貌し、古い思考は見向きもされなくなり、「進化」を合い言葉に一新しつつあった。塾にもそう言う古いパターンのものと、画期的なデジタル機器を用いる時代が到来していた。

 既に「偏差値」という考え方は以前からあったが、学力の検査測定法は共通一次テストが開始された頃から重要視されることになり、この数値換算は検査結果が、集団の平均からどの程度ずれているかを示す数値で、その換算法は点数分布が正規分布に遵うという分布構造から、この偏差を標準偏差で割って、それに十倍して50を加算して数値を弾き出す仕組みとなっていた。その結果、世の中は偏差値で動く知識偏重の考え方が主流になり、この方向へと、まるで堰
(せき)を切った河川の水が動くように流れ出すのである。
 斯
(か)くして知識偏重の世の中が出現するのである。そして堰を切って流れ出した水は、勢力の大きい方へと集合を始め、支流や亜流を呑み込みながら巨大な主流・奔流となって流れに烈しさを増し、激流化するのである。

 その結果世の中全体は、社会構造が階級化され、大半は知識別に機能化される構造の中に取り込まれ、この構造が確立されて確定的になると、その巨大な機構は特権階級の様相を強め、これに改革や変革を加えることは不可能になり、多くの国民は知識習得別に階級化の中に隔離されて機能化されるだけでなく、そのセクションごとに奴隷構造が確立されて横の循環はあっても縦の循環が断ち切られ、下から上へ行くことも、また上から下に降ることも、ほぼ絶望的になる。つまり横の循環に些かの自由性があり上下の自由性が失われることになる。

 この社会構造では、個々人が、「好きなことが何なのか」見つからなくなってしまうのである。
 昨今のフリーターと言う正規雇用者になれない層が殖
(ふ)えているのはこのためである。
 所謂
(いわゆる)“大学は出たけれど……”という、持てる者と持たざる者とが明確になり、その格差が広がる社会が出現することになるのである。

 単直にいえば国民の「家畜化」であり、組織体別に言えば、資本主義構造では会社側の雇用主と従業員の関係は、「資本家」対「社畜」ということになろう。
 社畜構造が出来上がると、日本の政治自体も「知識だけの人間」が政治をするという形になる。
 これはまた、いいこともさせない代わりに悪いこともさせない、監視・管理・監督下の人間牧場的な発想であった。この体制下では、ある思想や宗教を色眼鏡視して、過激な思想と決め付ける危険も懸念も生まれる。そして断定されれば、その集団はやがて地下に潜る。
 立場の逆転を窺ってのことだ。それが執念化する懸念が大である。
 軍資金としての富を簒奪する方法も画策されよう。
 一方、地下から出される指令は暴力的要素を帯び、力の行使に訴える威嚇
(いかく)が起こり、世の中は混沌とし、それに加えて暗澹(あんたん)とする危険性も生まれる。また階級的貧富的な格差も生まれる。更に機能化が押し進められると、一方が重く用いられる反面、他方は軽く扱われることになる。これにより格差が広がる。

 時代は知識偏重へと傾いていることは、平成3年当時から明白になりつつあった。
 世の中は、子供を通じて“優秀なサラリーマン”を排出する方向へと奔り始めていた。
 知識偏重主義はこうした背景まで作り出していた。
 成績と言う採点法を決定する学力形態はデジタル化の下で画一的になり、子を持つ親達は塾に行けば何とかなるという期待を抱くようになり、確かにある程度は向上するが、しかし問題なのは知識だけを詰め込んで、自分の頭で考えることはしなくなっていたのである。
 知識偏重主義はそうした悪癖を招いたが、世の流れはそのように動き、この動きは奔流化しつつあった。
 この傾きはバブル崩壊後の平成3年頃から始まり出したと記憶している。

 青少年の多くは、思春期に差し掛かる頃から、ある同一的な行動を採り始める。
 私は、これらを受験産業の指導現場で見てきた。
 同一的な行動とは、専ら知的な観念や言葉によって、本能的な不安を処理しようとする現れが起こり、心理学的には分離機制の一つのパターンである。つまり、一般には“頭で分っていても、行動力がさっぱり”といわれる、知的型の青少年に現れる現象である。
 分離・分裂しているが、一人の人格や性格は何ら異常がなく、『YG性格検査』という心理テストを遣っても、殆ど正常である。

 ただ異様に感じるところは、話す言葉の単語が豊富で、饒舌家で、特に記憶力に優れ、知識に関することは非常に詳しく知っているのである。但し、外的な対象物に関してである。例えば、宇宙に関してとか、自然科学に関してなどのことである。

 ところが「自己に関しては?」となると、これが皆無なのである。
 更に喜怒哀楽の中で生活を余儀なくされている人間界の人間勉強については皆無であり、人としての実践学なども殆ど知らないし、知る必要がないと高を括っているのである。外部のこと関して詳しい情報を得ているのに対し、「己を知る」となると殆ど皆無なのである。肝心かなめな自分自身についての探求がなされていないのである。自分の心とか、自身の健康状態の内部に関しては貧弱な理解力しか持ち合わせていなかった。
 知識偏重主義は一方で、こうした畸形な人間を作り出していたのである。
 これが顕著になり出したのが、バブル崩壊後の平成3年頃からだった。あたかも水の流れが突然変わったという感じであった。それに併せて、世はアルゴリズムによるデジタル化の波が押し寄せていた。数値主義である。受験産業では偏差値が猛威を揮い始めていた。

 こうした変化に聡い進龍一は、その到来を嗅ぎ取っていたのであろうが、ある程度の資金投入が必要にあった場合、おいそれとは準備出来ないものであった。
 これまでとは違う《越後獅子方式》なるものを考え出した奴の智慧ではあったが、その智慧だけで資金調達を行うのは無理だったようである。
 現代において、資金調達には理財の才がいるからである。
 古いものは置き去りにされ、忘れ去られる運命を免れないようであった。

 私が習志野に夜逃げしたものこういう時期であった。不景気の暗雲が垂れ込め、日本中を不況が襲い始めていた。バブル経済の崩壊は日本中を覆って不景気へと変化させていった。
 私は破産宣告こそしなかったが、経済人の端
(はし)くれとしては破綻者だった。これで総てが終わっていたのである。
 その時の状況は、落ちるところまで落ちていた。殆ど再起不能と言ってよかった。
 器は将たるものでなかった。無能を曝して戦いに敗れていた。
 最後は寝首を掻
(か)かれて、殺されるところまで追い込まれたこともある。債権者から怨みを買われて命まで狙われたことがあった。無い袖は触れないが、それだけでは済まされないのが人間界の実情なのである。失敗したことで、財産も物財も何もかも失っていた。

 こうして、これまで貯め込んだ小金持程度の資産も、蓋
(ふた)を開けてみれば、総てが虚構であり、その実態はバブルであった。「銀行」という金融機関も、中小以下の弱者には融資しないのが原則で、高々五千万や六千万の資産程度では緊急の場合、都合をつけてくれるどころか、弱者を啖(く)う構造になっていた。

 また信用保証協会と言うものも、実は“食わせもの”で、更には零細企業者間で言うセーフティーネットも、実は弱者には見向きもしない食わせものだった。
 セーフティーネットは表向きは社会保障制度や金融機関の保護機構などの安全網と言われているが、これが万一の場合に何も役に立たない。理不尽甚だしきものであった。
 また理不尽なるが故に、殆ど緊急時には機能せず、そう言う場合に弱者が頼るのは“街金”といわれる高利貸しであった。中には「月六分」という利息を取るところもあり、利息制限法が正しく機能するためには、これよりずっと後のことであった。

 “街金”が暴利を貪る構造は、こうした金融機関に関与している巨大な金融資本が、とことん弱者を啖い物にする構造になっていたからである。蟻地獄のような構造から、弱い者は簡単には抜け出せない社会の構造があった。斯
(か)くして私は、その煽りを受けて自らの舟の操船を間違えて転覆した。後は沈む以外なかった。

 しかし、此処まで落ちれば、またいいこともあった。
 これまで曇らされていた眼から、曇りの原因だった鱗
(うろこ)が落ちたことである。長い間、鱗で曇らされていた。それが落ちたのである。
 視界が急に明るくなったのである。物事がよく見えるようになった。
 私流に言えば、戦いの大局は一度は敗れてみなければ、全体像は把握出来ないということである。戦えば必ず勝つという武勇伝も結構だが、負けて負けて、更に負けて、あたかも劉邦のように百戦して百敗し、その上に負けを、もう一敗重ねて、百一敗するのも面白いと思うのである。
 勝てば天狗になっていい気になり奢るが、負ければ負けるに従い、負けることに慣れる。
 この慣れが耐性という抵抗力を作る。あたかも抗生物質に対する細菌の抵抗力のようにである。

 漢帝国
(前漢)の初代皇帝になった高祖こと劉邦は、秦末に兵を挙げ、項梁(こうりょう)やその甥・項羽らと合流して、楚の懐王(かいおう)を擁立し、のち王より巴蜀と漢中を与えられて漢中王となった。後に宿敵項羽と争い、前202年これを垓下(がいか)の戦いで敗り天下を統一したのである。

 だがこの男、元を正せば、“護摩
(ごま)の灰”同然の農民出身で、少しばかり役に預り、泗水の亭長に納まった小役人だった。しかし世の中には先見の明のある人間がいるものである。
 この小役人の未来像を見て、劉邦の演出者となった男がいた。蕭何
(しょうか)である。
 蕭何は劉邦を見て、一線を越えた。
 「この人を敬おう」と思った。劉邦こそ、皇帝に相応しい人物だと検
(み)たのである。
 蕭何の眼力に狂いはなかった。

 蕭何は劉邦が皇帝になって後、漢帝国の初代宰相となる。この人物が歴史上でも、張良や韓信と共に高祖三傑の一人とされる。
 『項羽と劉邦』の物語も、蕭何あってのことだった。蕭何がいなければ、巴蜀や漢中を与えられてもそれを維持するのにやっとか、漢中王になったことで項羽の怒りを買い、攻め滅ぼされていたことであろう。蕭何は大した智慧者であり、また劉邦を演出した演出者であった。

 時々、進龍一を蕭何に重ね合わせて見ることがある。
 奴も、蕭何のように一線を越えたことがあった。私を宗家として敬い、宗家の御神輿を担ぐと誓ったときがあった。
 だが、今またそれは色褪せようとしている。奴自身も立ち行かなくなり始めていた。揺れ動く時代の波に翻弄
(ほんろう)されて、肝心なる軍資金に苦しんでいる。
 さて、どうすべきか。



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