運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 28

伝習塾指導要領

1.勉強は答えを見ながらはじめよう。
2.計算問題や英単語は、考えても解決しない。
3.勉強は一人でやった方が伸びる。
4.理科や社会は問題集では伸びない。
5.算数や数学は、もともと解ける問題をノートに解いても無駄である。
 その時間は死んでいる。
6.偏差値よ、さようなら。偏差値は神話に過ぎない。
7.算数や数学に苦手な生徒は「九九」に問題あり。
 「九九」は1秒以内に、反射的に即答できるようにしよう。

当時の伝習塾の指導要領である。
 しかし入塾希望で来塾する父兄の多くが、これを理解できず、伝習塾は異端視されていた。

 更に親たちの自尊心が甚だしく、奇妙なズレを痛感させられたのである。
 また私が知っている習志野の地は、昭和50年初頭から、ここにわが流の習志野網武館があったので、北九州・習志野間ならびに茨城県美浦を年に2回往復していたが、ある意味で、北九州小倉の片田舎よりズレた考え方があった。
 この地は、一時期、持ち慣れぬ金を掴んだ俄
(にわか)地主を作り上げた経緯がある。

 東京首都圏のベットタウンに変貌したのは平成以降のことだった。それまでは全く感性がずれた地域であった。
 戦前・戦中までの小作人が戦後の農地改革によって、広大な田畠を突如手に入れた近現代史がある。
 昭和50年初頭には、津田沼駅周辺には広大な芋畑が広がっていた。
 そして農地改革以降に地主になった百姓が多いところだから、この程度の小作人が地主に変貌し、金持ちになった土地だった。そして子供の教育もその延長上にあったと思われる。

 そして、東京首都圏のベットタウンに変貌した頃から若い世代も流れ込んで来たが、その多くはこれまでとは異なる夫婦の大卒者が次第にこの地の生息し始めたことである。この種の多くは生粋の江戸っ子とか東京人でなく、地方から東京に出て来てそこで学び、そこで働き、そこで世帯を持った夫婦である。それだけに学歴的に言えば、最高学府の大卒者であった。

 ところが、この大卒者にして、勉強は『最初から答を見て勉強しよう』という事が理解できなかった。多くは「答を見ながら」という勉学の好意を親達は嗤った。
 当時、伝習塾は個別指導を自負していた。
 揶揄された言葉は、「この塾の先生、バカじゃないの」だったのである。

 いつの時代も、可視的世界の中では肉の眼に見える科学的とか、体系的と言う論理は称賛されることが多いが、不可視世界の中を行く、あたかも霧の中を突き進むと言う考え方や発想法は、人間界ではおうおうにして非難と無理解の渦の中に立たされ、非難の対象にされることは常のようだ。
 その行動や思考形式は先覚者的発想では袋叩きの憂き目に遭うようだ。

 当時は筆者もその一人であった。極めて異端視され、孤独と怒りの中で苦悩したことを憶
(おぼ)えている。
 思えば、これまでの歩いた足跡を振り返れば、その殆どがそうした悲しみに満ちていた。
 しかし、楽天的性格はその一ヵ所に留まること無く、また気を取り直して一歩前に足を進めるのだった。


●暗雲の翳り

 落ちた犬は打たれる……。
 人間の残酷が為
(な)せる技である。
 私も家内も、まさにその毒牙に掛かった。
 家内は世にも悍
(おぞま)しい精神分裂病を抱えた精神病患者であったし、私もその患者を抱える配偶者だった。そして周囲からは「世間さまの目」が烱(ひか)っていた。
 こうした者が、世間からどんな酷い差別用語で、あたかも川の中に落ちた犬が、どのような仕打ちを受けるか容易に想像が付こう。面と向かって差別用語は発せられなかったが、多くは陰で「気違い」と揶揄
(やゆ)し、その言葉を、背後から、正面から、側面から、名指しでぶつけたのだった。本当の話である。それだけに表皮の世間でなく、裏側の世間と言う実体も知った。

 気違い”とは、残酷な言葉である。
 これほど、人間の魂を冒涜
(ぼうとく)した言葉はない。それなのに「世間さまの目」で、四方八方から石を投げ付けられるように、罵られたのである。
 「気違い」という差別用語は、今でも「陰口」として堂々と使われているのだった。これこそ、取り締まるべき差別違反の非人道的行為ではないか。陰口の卑劣さを憤懣
(ふんまん)遣る方無い気持ちで、怒りを露(あらわ)にするのだった。これを虚しいと思う。
 そして「人間現象」という現象界を振り返れば、人間は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道のうち、上から二番目にランクされ、人間を遣っていなければならない罪深さを思うのである。
 人間に生まれたことの罪深さは、そもそもが禍を背負ってこの世に出現したからであろうか。
 かのパウロ
(Paulos)の『黙示録』は、人間の罪深さを次のように言うではないか。

人間は災いなり、
罪人は災いなり、
なぜ、彼等は生まれたのか。

 パウロは人間である事の「災い」を指摘している。「想念」に迫る上で、パウロの言葉は重要な意味を秘めている。
 パウロは、キリスト教をローマ帝国に普及するのに最も功の多かった伝道者であった。
 彼は最初、もと熱心なユダヤ教徒で、キリスト教徒の迫害に加わったが、復活したキリストに接したと信じて回心
conversion/過去の罪の意志や生活を悔い改めて神の正しい信仰へ心を向けること)した。生涯を伝道に捧げ、西暦64年頃ローマで殉教している。
 そして、彼は「異邦人の使徒」と言われた。その書簡は『新約聖書』の重要な一部となっている。その書簡の中でも、最も有名なのが「ローマ人への手紙」である。

 義人なし、一人だになし、善をなす者なし、一人だになし……。
 小・中学校の教育現場では、教師は生徒に対して「みんな仲良くしなさい」と教える。それを力説して止まない教師もいる。
 ところが、職員室に行くと、教師は日教組
(日本教職員組合/日本敗戦後の間もない1947年に結成した、全国の国公私立の幼稚園から大学までの教職員で組織する労働組合)と非組合員(日教組に加担せず組合運動をしない教師)に別れて反目している。
 また、日教組の組合員は、管理職と言われる校長、教頭、学年主任といった教師を捕まえて、無理難題を突き付けて指弾している。時には吊るし上げる。

 みんな仲良くしなさい……。
 実に美辞麗句である。
 しかしこの美辞麗句を吐きながら、生徒には「みんな仲良くしなさい」と教える。何と上手に二枚舌を使い分けるのだろうか。この、二枚舌を上手に使い分ける、この人種が、教師だからといって義人であるとは思えないのだ。
 世間ではこのような二枚舌を無責任と言うが、無責任であるからこそ美辞麗句は、幾らで羅列出来るのである。気楽に美辞麗句を楽しむのである。
 ある意味で現代人の生活態度の中に、痛烈な皮肉の裏返しが至る所に氾濫しているのである。この実情を裏から観れば、何事にも無感動であるがゆえに現象界は災難が増幅して行くのであろう。何もしない、無感動が次ぎなる人間の罪を作り出しているのである。

 罪は行うことだけでなく、行わなくても罪は加算されるのである。
 「人間は罪人である。人間は災いである。彼等な、なぜ生まれたのか」とする『パウロの黙示録』の指摘する、その「罪人」は、もしかすると何をしない罪人を指しているのかも知れない。教育現場でも、こうした「見て見らぬ振りをする行為」が行われ、それを罪に上乗せしているようである。

 義人なし、一人だになし、善をなす者なし、一人だになし……。全くその通りだと思う。
 そして、そういう私も何も出来ない罪人であった。
 義人ではなかった。そのうえ庶民の中の庶民で、「超」をつけていいくらいの庶民である。
 その超庶民は「人間が罪人である」という指摘の、その言葉を地でいくような“並み”か、それ以下の種属である。
 “義人なし、一人だになし”の、その「一人だになし」に入る私は、また並み以下の罪人であった。
 しかし誠実な行いが総て正しいとは限らない。善とは限らない。また善でもない、誠実でもない行いは絶対にない。人間行為の不可解なところである。

 だが一方で近頃、上原小夜子は伝習塾に通うのが楽しいらしく、また家内は彼女とお喋りするのが楽しいらしく、相談者と相談回答者という気心の知れた関係になり始めていた。
 果たしていいことか、悪いことか……。

 この人間行為を不可解というべきだろう。
 ではこの不可解の背景には何が横たわっているのか。
 これは知識と教育の関係においてであろう。
 生徒に該博深遠
(がいはく‐しんえん)な知識を授けるようと努力する教育より、生徒に対して知に対する興味を抱かせようとする教育の方が、むしろ該博深遠ならしめるからである。
 上原小夜子はそれを需
(もと)めているらしかった。その切っ掛けを探しているらしかった。
 彼女は世間一般の既成枠の中では納まりきれないらしい。それ以外の何かを需めているようだった。それが伝習塾の奇妙な遣り方だったかも知れないし、私の異端視されている魔力だったかも知れないし、あるいは毀
(こわ)れ掛かった家内に対しての興味だったかも知れない。

 近代社会の特長は、青少年の知識力を旺盛に身につけさせ、有能なサラリーマンを製造することが政治や経済での世界の目標とされている。その目標に沿ってガイドラインが作られ、これによれば、高度な分業化の中に有能なサラリーマンを配置することが掲げられているよだ。
 ところが見方を変えれば、一つの階級化の社会の顕われで、階級ごとに知力別に分類し、一つ一つの職種やポジションを更に小さく区切り、職能人して小さな型に嵌まった人間の排出を目論んでいるらしい。
 政財界では青少年の抱く理想よりは、既成枠内の小粒なる、ドングリ製造機を通して排出された小さな型に嵌まった知識オンリーの人間を必要としているようだ。

 こうした社会では、目指す目標は「平等」と言う名のドングリの背比べであり、この既成枠にそぐわない独創的な個人は社会不適合者として排除してしまう何かが蠢
(うごめ)いているようである。
 その側面には没個性主義が働き、平均基準を可もなく不可もなくの“ドングリレベル”に設定し、組織において階級別による「社畜化」があり、大衆においては「家畜化」がある。つまり“一億みな総中流”でいいではないかという政策である。
 当然、知に長けた一部の人間の中で、これを嫌う者も出て来る筈である。
 おそらく上原小夜子は既成枠内に留まることを嫌っているようであった。一方で、既成枠内での“お行儀のいい指導者”では物足らないのである。時折、知に長けた人間に見られる現象であった。

 生徒と先生が奇妙な構図を作っていた。逆転の構図を作っていた。
 角突き合わせの相談の中に時々、大学受験に関する話題が持ち出され、数学の数3範囲で、「微分方程式はこのように解放を導く」とか、受験英語の「構文解釈の分子構文はこういう構造になっている」とか、物理の「ローレンツ変換はこう言う原理で成立している」とかの、そうした説明が上原小夜子によってなされ、これに家内が一々納得の相槌
(あいづち)を打つのだった。異常である。
 いったい誰が該博深遠ならしめるのか。
 ここでは生徒と先生の関係が完全に逆転していた。先生が習う側だった。

 人間には自分の苦手とする天敵がある一方で、捕食者や寄生者を退けて、逆に本来天的になる筈の相手が自分から制御されていると言う不思議な主従関係を構築する場合もあるようだ。
 これは同じ自然界の中に在
(あ)っても人間界だけ特長である。
 他の動物界では、決して見られない関係である。つまり、捕食者となったり寄生者となって、それを殺したり増加を抑制したりする他の種の生物などであり、例えば昆虫を捕食する鳥の類である。この関係は普通自然界では崩れることがない。鳥が昆虫の補食相手にはなり得ないのである。

 ところが、人間界では絶対になり得ない関係が、時として逆転する場合がある。制せられる方が制せる者を自らの庇護者に従えていると言う場合などである。
 呑まれる方が呑んでいるのである。
 これこそ実に奇妙な関係であると言わねばならない。喰われる方が喰っているのである。あるいは喰わせているのだろうか。天敵関係も人間界では奇妙な崩れ方をする場合がある。
 傍
(はた)から見て、まったく奇妙な光景であった。それだけに懸念があり、いつ爆発するか分らない時限爆弾を抱えた恐ろしさが横たわっていた。
 それに、家内も不安定である。今は落ち着いているが、時として心因性ショックに弱い。
 今の安定こそ、近未来に懸念を抱かせるものである。

 だが一方で、「好事魔多し」ともいう。これが一番恐ろしい。
 順調なとこほど、その先きに落し穴が控えている。好事の魔は、また断ち切れてないのである。
 今後、そういう予感は充分にあった。今の状態がいいからといって、これは真実ではなかった。実体ではなく、仮想だった。虚像が表面化しているだけなのである。仮の姿なのだ。幻
(まぼろし)である。
 虚想は実体がなく、蜉蝣
(かげろう)のように弱々しく、儚(はかな)い命である。無いにも人いいものかも知れない。そういう暗示があった。
 その暗示に、誰もが懸かり、好事に気をよくして有頂天に舞い上がるのである。この有頂天は、かつて経験したことがあり、もう此処に来て同じ轍を踏むことは無かったが、対処策が分っていなかった。それを知らないのである。勉強不足だった。学ぶことが不十分な場合に出現する現象である。
 好事魔が多しとは、そうした虚構の上に起こる。砂上の楼閣は一気に崩されるのである。脆
(もろ)い実体だ何処までも脆いのである。

 何かに躓
(つまず)いて、悪夢のどんでん返しが起こるかも知れない……。ただそう言う不安だけが脳裡を掠(かす)めていたのである。
 善いこと、うまく行き過ぎていることは、とかく邪魔が入り易い。妨害が入って、結果的には成就することはない。人生とは、そう言うものである。まずは「そう言うもの」を知らなければならなかった。

 教室はいつも午後から解放されていた。勝手にきて、いつ勉強してもいい雰囲気を作ろうとしていたからである。
 勉強は一人でした方が伸びる。
 このスローガンに従って、個別指導方式を取り入れた。
 個別指導の生みの親で、この勉強システムの創始者・佐々木慶一氏の言葉を借りるまでもなく、私自身の持論でもあった。そのため、大学予備校の図書室
(実際には多くの書籍が置いてある図書館ではなく、単なる自習室)を模した、そういう自習の姿勢を塾内に作り、この雰囲気を生徒間に浸透させ、定着させると言うのが私の学習構想だった。

 勉強は一人でした方が伸びる……。
 まさに名言だった。
 極端に出来る生徒は、逆に、極端に出来ない生徒を邪魔にして置いてきぼりを喰らわす。そこで日本の明治維新以降の教育では、中間層に焦点を合わせる「その他大勢教育」であり、今日も継続中である。
 ところが中間層に位置しない生徒はどうなるのか。レベルがそれより低ければどうなるのか。彼等は、学校の一斉授業が嫌なのだ。またこれが嫌いなのは、最下位に位置する生徒だけでない。
 最上位にいる生とも一斉授業を嫌う。
 だが個別に指導する。全体主義を止める。そうすると上位の生徒だけでなく、最下位の生徒も興味を示して来る。
 特効薬はバカに着けるだけでなく、利口に着けても効くのである。
 ゆえに机の前に座り、その習慣がつき、一人で勉強を遣ることを覚えれば、自分独自の進行速度で、満足のいく結果が出せるのである。そのために予備校が採用している「図書室」という発想が必要だったのである。

 こういう雰囲気が一度できてしまえば、勉強嫌いな子供でも、他の生徒に刺激されて自然を机につくこうとする意識が生まれてくる。それを定着させるために、午後から教室を開放するという方法を考えたのである。間仕切りのないオープン教室である。

 私は成績のいい、学内ではトップクラスという生徒も嫌いではなかったが、また極端に落ちる、低空飛行を遣る悪童と云われる札付きの生徒を見るのも嫌いではなかった。普段からこの種属を本気にさせる奇手は無いものかと考え続けていた。
 伝習塾を引き受けた理由も、奇手を研究していたからである。

 賢と愚……。
 両者の関係はいわば天と地ほどの開きがあり、その上下分布は何れも少数である。
 私は、この少数派に異常な興味を示す人間である。少数派と云う人種は、一種独特の共感を覚えるからである。
 彼等の共通点は、支配者から食い物にされないという、独特なしたたかさを持っていたからである。
 全体から検
(み)ると、分布の上下は非常に少なく、中流と言う層こそ、中央位置で膨らんでいて全体の大多数を占めている。

 これは最上流の富裕層と、最底辺の定職を持たないという上下の関係に酷似する。
 最上流の大富豪と云う連中も実は職を持たない。無職である。彼等は働いたりはしない。労働者ではない。100%無職である。
 しかし無職だからといって、衣食住が確保されていないと云うわけでもない。彼等は豪邸に住んでいる。それでいながら、無職であり働かない。それはただ一つ、労働者でないからだ。

 一方、最底辺といわれる一握りも、実は職がない。無職であり、それゆえ働かず、同時に労働者でない。そして衣食住も、豪華とは云えないが、不思議なことに食うに困らない生活をしている。
 自分の好きなことをして、人生を趣味の範囲で生きている。したがって、あくせくしない。
 あくせくしないことは、最上流と同じである。
 私も平成3年当時無職だった。浪人生活をしていた。底辺のその日暮らしを遣っていた。

 時節は七月上旬のことである。
 進龍一が、思い出したように遣ってきたのだった。
 「宗家、実にうまいこと遣
(や)りましたねェ」と、鷹揚(おうよう)に、然(しか)も冷やかし半分に言うのだった。
 それは《しっかり、七月の月謝を、六月に続き、また一ヵ月分せしめましたね》というふうに、私には聞こえたのである。
 それは、私を咎
(とが)めるふうでもなく、羨(うらや)むふうでもなく、また軽蔑するふうでもなかった。

 進龍一が、この頃、度々伝習塾に来るようになっていた。足を運ぶ回数は、以前より多くなっていた。しかし理由は不明だった。奴のみの知るところである。
 奴は伝習塾の繁盛ぶりが気になるらしい。
 「実にうまいこと遣りましたねェ」と言ったとき、「なにをだ?」と切り返すと、「上原小夜子のことですよ」と、半分自棄に居直るのが、今日この頃の彼の社交辞令だった。
 このとき進は、別の何かを嗅ぎ付けているようだった。それで、度々足を運んでいるようだった。
 しかし、理由をはっきりと言わない。そして、帰って行っては、また数日も経たないうちに遣って来て、再び、何かを蒸し返すように言うのだった。

 「上原のことですよ、巧く手懐
(てなず)けましたね」
 「あれは俺の仕業
(しわざ)でない」
 「家内がやったことだ」
 「しかし手懐けて、ショッカーにしているではありませんか?……。実に見事です」
 「それは、お前の有り難い教えに従ったまでだ。その根本には、お前の有難い教えがある」
 「有り難い教えとは、いったい?……」
 「越後獅子方式だ」
 「困りますね、そういうことをおおぴらに言ってもらっちゃァ」
 「第一、俺は貧乏神の“右代表”だからな。聖域に祀り上げられる名うての貧乏神だ。ここらで、ちょいと福の神“右代表”に変身したいよ」
 私は、恍
(とぼ)けて嘆いてみせた。
 しかし、奴から学ぶことは多かった。
 わが伝習塾では、上原小夜子は《越後獅子・1号》だった。
 越後獅子の親方は、笛を吹き、太鼓を叩き、逆立ちをする越後獅子を1号、2号、3号と殖
(ふ)やしていけばよかったのである。その役を私が引き受けていた。

 ただ微笑
(ほほえ)ましいのは、家内と上原小夜子の仲の良さだった。年の離れた姉妹と言う感じで、最近は上原小夜子自身も、塾を手伝ってくれるのだった。最高の《越後獅子・1号》だったようである。
 これこそ、進龍一の言う、《越後獅子方式》の使い勝手であった。
 家内が忙しくて手の離せない時は、上原小夜子が、下の学年の高校生や中学生を見てくれるのである。その上、家内との相性の良さは、当面“鬼に金棒”を彷佛とさせた。

 「宗家、いいですか。金と言うのはですねェ。人智の関知しない、独自の運動性によって動いているものなんですよ。この運動性と言うか、動力は、最初はチョロチョロなんです。水の動きと似ていて、本当にチョロチョロなんです。
 ところが、このチョロチョロが、ある一定の流れをもって方向性がつくと、小川のようになり、それが小川より大きな支流に入り込み、その支流がやがて本流に入り込んで、勢いをもった奔流となるのです。激しいものです。もうそうなると、“奔湍
(ほったん)”と言うべき早瀬(はやせ)に変わって、ナイアガラの滝のようになって大瀑布(だい‐ばくふ)となるのです。ここまでくると、この方向性には関係なく、同じ勢いて、半永久的に流れる続けるものなのです」

 私は《なにを……聞いたようなことを抜かしあがる……》と思って、こう切り返したのだった。
 「しかし、最初のチョロチョロが難しい。金自身に意図的な脈流を持たせ、意思があるように働き掛けねばならない。それが難しいんだよ」
 「そうでしょうか?」奴も反論の姿勢を崩さなかった。
 それは金銭と言うものが、私以上に分っていないからである。金は生き物であり、この生き物に時として流動的な意図が仕掛けられる。
 現象界では、作用を起こさない限り反作用は永遠に起こらない。
 しかし時々刻々と変化する相対界では、必ず時間とともに変化が起こり始める。この変化に意図的な作用が加えられるからである。それが流脈を持つのである。

 「金は運命の流れと同じだからな。貧乏神の右代表のような俺が、ある一つの目的をもって、ここから運命転換を企てることをするのは容易でない。だからお前の言う、金の運動力を何処で得るかと言うことだ」
 「と言いますと?」
 「例えば、銀行などの金融機関から借り入れをする“融資枠”だよ。この枠がないと、幾ら努力精進しても、金の流れに勢いがつかない。勢いづけるためには大量の金が要る」
 「それで、“枠”の一部として、上原を取り込んだのですか?」
 「確かに、あいつはいい越後獅子だ。しかし、それ以上のものでない」
 「最近、上原は毎日通塾しているそうじゃないですか?」
 「それがどうした?」
 「単純計算して、毎日通い、夕刻5時から10時までいると、一ヵ月分の月謝は10万円を軽く超えます。いったい、幾ら貰っているのですか?」
 「12万円だ」
 「えッ!12万円?!」驚愕
(きょうがく)の声を上げた。
 「それが?……」
 「庶民レベルの額じゃありませんね、決して小さくありません」
 「そんなことはない」
 私はこの額を対して多いとは思わない。学問で世に出ようとするなら、こういう低額料金では済まされない筈だ。現に学生の頃、家庭教師をしていたとき、一軒から50万円以上も月謝を頂いていた。それでも高い方でなかった。
 「そうしでしょうか?」
 「かつて家庭教師をしていた時、俺は一件で、その家の親から53万円貰ったこともあった。そう言うのが複数件あった。だから月10万円などという額はザラだった。
 いい学校に入ろうと思えば、これくらいの金は必要だろう。だか言っておくが、俺は拝金主義者でない。仕事の報酬として、その対価として正当な金額を貰っているまでのことだ」
 「しかし、ボッタクリと誤解されますよ」
 このままでは誤解されてよくないのでは?……と忠告の意味が、この切り返しには含まれていた。以前とは言い方が違っていた。
 あるいは何者かによって、この「ボッタクリ」の噂が一人歩きしているのだろうか。

 人が流す噂にはどれもこれも、健全なものはない。
 総てが陰湿であり、側面に妬みと怨みが巣食っている。それがそのまま輪を掛けて一人歩きを始める。更に悪いことには、これにある第三者の負けじ魂と気位とが加担する。悲愴なる悲喜劇が貼り付いて廻る。

 「ガタガタ抜かすな。お前が招いた不手際は、お前が解決しろ!」
 「と、おっしゃられましても、その……、この町内の町内会長が、大久保地域の環境保全に力を入れているようで、伝習塾の存在が違和感を感じる……と苦情を申し立てているのです。その上、環境が悪いと地価が下がると、そういうことまで言いまして……」
 私はこれを聞いて、胸の中で反駁
(はんばく)した。
 理不尽に責め立てられているようで、住民のエゴに腹立たしさを感じた。

 幼児期、家庭内での躾
(しつけ)が不十分だった、その矯正作業を、塾が母親に代わって遣っているのだ。
 家内が、行儀の悪い生徒や持続力のない生徒に、大声で叱咤し、あるいは勇気づけの激励したところで、そんなに目くじら立てて文句を言うほどのことではない。全く、擯斥
(ひんせき)するほどの話ではない。
 裏では、私と家内を追い出すために不当な圧力を掛け、住民パワーをひとまとめにしようとする言い掛かりであることは明らかだった。そのような力が僅か開塾して、二ヵ月目に表面化してきたのである。いったい誰の差し金か。
 坊主に憎ければ何もかもが憎い。

 「それに、とにかく奥さんの大声が問題でして……」
 「家内の大声がどうした?馬鹿を叱るのに大声は仕方あるまい」
 「それがですね、実はその大声とともに九州弁で喋る、地方の方言
(ほうげん)と云うか、その……、九州弁そのものの話し方が恐ろしいと言うか……、まるで喧嘩をしていると言うか、そういうふうに関東に人間には聞こえるのですよ。そこが問題でして、その……宗家の奥さん、顔のわりには案外激しいですからねェ」

 確かに家内も、指導がエスカレートしていくと、熱弁になり、声が大きくなるのだった。
 特に、相手が物わかりが悪い生徒だったりすると、懇々
(こんこん)と分かるまで教え、熱弁を振るうだけでなく、地の九州弁が出て生きて、童顔に似合わず、男勝りの「お前なあ……」とか、「分かっとるのか!」とか、「もう一度、ここを読み直してみろ!」などの男言葉になって、その声の大きさは拡声器を使って喋っているように聞こえるのであった。その声が大きいというのだろう。

 それだけサービス精神旺盛で親身なのだが、これは一般には理解されないことだった。だが、そうも言っておられない。静かに喋るように注意はしておかなければならなかった。

 「それで、お前は、俺にどうしろというのだ?」
 「だから、私も辛いのです、これだけは分かって下さい」
 「だから、どうしろというのか?」
 「あの……、つまり伝習塾を辞めて頂きたいのです」
 「なんだと?」
 「閉塾をお願いしているのです」
 「なに!」
 私の声は、1オクターブも、2オクターブも高くなっていた。

 「そう、カッカしないで下さい、夜分ですので。シーッ……」と、指一本立てて、私の声の大きさを制するゼスチャーをしたのだった。
 「なんだ、その指一本は?!」
 「だから、シーッ……」
 困窮したように、私を制するのだった。
 「なにがシーッ……だ!」
 「宗家も奥さんも、声がでかいと言うか、似た者夫婦と言うか、そのへんが……問題というか……」
 「それは注意する。大声は本日をもって今から慎むことにする」
 「しかし、何と言うか……、手遅れと言うか……」
 「なに!伝習塾をやれといったのは、お前だぞ!」
 「それは充分に分かっていますが、伝習塾のような、あのような悪ガキばかりが、この辺りに屯
(たむろ)されると、地域の環境が悪くなって、地下価値が下がるというのです。住宅街の閑静な景観を損なうと言うのです」
 「なに!地価が下がるだと?」
 「はあ……」何とも申し訳なさそうに言うのだった。

 「バカも休み休みに言え。それは明らかに言い掛かりでないか?」
 「なにせ、伝習塾の馬鹿ガキどもは、結構評判が悪くて、中・高生がタバコを吸う。吸うだけではなく、ろくに火も消さずにタバコのポイ捨てをやる。ビールやチューハイやジンフィーズを飲んで、その空缶を所構わず捨て捲る。アルコール類は未成年は禁止されているのに、それくらいの社会常識もないのかと、住民の多くは文句タラタラです。
 こいつらが、またコンビニの前でウンコ坐りをして長時間、屯し、大声を出す、爆竹を鳴らす、来店するお客に野次を飛ばしたり、女性客を卑猥
(ひわい)が言葉でからかう、などなど、とにかく非常に評判が悪いのです。それで伝習塾を潰せという声も上がっているのです」

 こう聴いて、怒り心頭にきてしまった。
 「なんだと!それこそ住民のエゴじゃないか!」
 「それは分かっています。それで私も、ほとほと頭を痛めているのです」
 「頭を痛めるだけが能じゃない。お前は俺の軍師だろ?こういうことは俺が考えることではない。軍師のお前の仕事のはずだ!」
 「まあ、この処理については、一応考えてみますが……」と消極的に逃げ切った。
 何とも歯切れの悪い言葉であった。
 奴の智慧の枯渇か……。

 しかし、これは私にも責任はあろう。奴一人の所為
(せい)ではない。
 世話人ばかりが叱責されてはなるまい。叱責の鉾先は直接私に向かえばいいのである。
 ところが、これを直截的に私個人にぶつけなところが、当時の地域住民だった。

 自身で反省してみる。
 これまで奢
(おご)っていなかったか。奢りは微塵のないと言えばウソになる。
 そして、反省が足りない結果、どこかで墜落してはいなかったか。自己点検である。
 人は窮迫したときには奢り乱れないものだが、少しばかり羽振りがよくなると、奢り昂って乱れ易い。
 然
(しか)も、その害悪の及ぶところは、羽振りがいいほど大きくなるものである。
 人間のかような弱点の暴露と、そこから生ずる害悪とは、事大主義的であり、且つ永久に避けられないであろう。しかし、それでも自己点検に警戒を要するのである。
 この頃より、自己責任と云う言葉が盛んに用いられ始めた。不景気の幕開けとともに、バブル崩壊の後遺症が早くも出始めていた。
 これを怠れば、人望を失ってやがて時代から葬り去られるであろう。
 今こそ、警戒すべきと、その念を弛めなかった。



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