運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 27

そこは「死ぬるばかりの水」が流れていた。死が滔々と流れていた。人生の末路に死が漂っていた。

 人間はそれぞれに「老年」と言う人生を背負いながら、そこに向かって生きて行く。その運命が確実に待ち構えている。間違いなく人それぞれに「個別の死」が約束されている。

 人間が如何に手を尽くしても、回避できないのが死である。
 しかし、死を回避しようとした瞬間に、醜い恐怖が人間に襲い掛かって来る。避けられることが出来ないものであれば、それは果たして行く以外あるまい。


●伝習塾奮闘記

 平成3年当時、私は家内と二人で習志野に棲
(す)んでいたが、ここでは一時凌ぎで家内に学習塾を遣らせていたことがあった。
 塾名は『伝習塾』である。近所では頗
(すこぶ)る評判の悪い塾であった。
 悪評は“スピーカー”という連中によって齎される。悪罵
(あくば)やデマを流す喧伝者である。

 講釈師然とした見てきたようなウソが、罷
(まか)り通ることになる。
 では、悪罵が罷り通る背景には何があったか。
 おそらく戦後の「発言の自由」だろう。
 戦後の自由は日本列島を覆い尽くし、好き放題の悪罵が罷り通るようになった。その先鋒となったのが、進歩的文化人や左翼系の新聞、雑誌、またその他の報道機関や出版社などであろう。

 批判し、詰
(なじ)り、徹底的に扱き下ろす“便所の落書き”然とした悪評や悪口は好き勝手に悪態をついても何の危険もなくなった。これを自由と言うには余りにもお粗末であり、悍(おぞま)しい限りである。そして必ずしも、優れた批判精神の産物でない。それどころか、時として極めて念入りな悪意の籠った迎合真理の産物だと言えよう。
 複数が徒党を汲んで、その一事にハモっているからである。これを迎合真理と言わずに何と云おう。
 文明の崩壊も、時間とともに悪罵の原動力となって行くようである。
 本来批判は、その批判において、必要とする期限や時期は何
(いか)ほどかの命を張った危険が伴うものであるが、その危険を意識してない安穏とした批判精神は、真の批判に欠いてはならないものだった。

 ところが、「匿名」という卑怯者観は、“便所の落書き”然としたものであっても、一部の大手新聞社の社説などで時折見受けることが出来る。悪罵が伝搬する現象は、公の報道機関でも罷り通っているようだ。一つの公認のようになってしまったもとも、人間相互間にも不信を抱かせ、自由の乱用が容認される現象となった。要するに、面白ければ真実はどうでもいいのである。

 悪罵の伝搬現象は、憎さに加算された口汚さが事実とは食い違い、扇動的な言葉に変換されて流言
蜚語(るゆげん‐ひご)となり、この伝搬が一気に波及すると、その情報は猛威を揮う。思惑や意図に関係なく勝手に一人歩きし始める。
 この伝搬エネルギーは「面白半分」というのがその根源にあり、人の口から人の口という人間の言葉ならではの“噂”である。噂の流言も人間現象に一つである。
 噂と言うのは、あっちの口から、こっちの口という波及効果で伝搬して行くものである。そして安易に信じ易い愚人ほど、こういう噂を面白がり、次々と更に噂を広めて行く。一種の口コミ現象である。人の世、愚人が動かす人の世では特異な現象である。

 しかし、評判が悪いからと言って生徒は減るのではなかった。悪評と言う口コミは、面白半分と言う波及効果があるから、悪運を伴って、逆に殖
(ふ)えるのである。悪評が悪評を作り出すからである。
 まるで、蜜に集
(たか)る蝿現象である。悪い噂は波及するのも早かった。
 噂によって、叩き潰す作用には、また一方でそれを挽回させようとする反作用が働くものである。噂自体が半信半疑から起こった現象であるからだ。
 信じる者と信じない者が、おおよそ相半ばするのである。
 換言すれば、憎々しく思う敵が半分いれば、それ相当分の味方もいると言うことである。悪罵が烈しければ烈しいほど、これを庇護する反作用が起こる。つまり支持する味方も半分いると言うことである。決して一方的でない。これも不思議であった。
 噂では潰れないのである。噂で葬ろうとしても、人は噂如きでは簡単に葬られないようになっている。

 潰す場合は、一気に物理現象をもって、圧力で武力行使した場合に限られるようだ。その最たるものは官憲の実力行使だろう。こう言う力が働いた場合、軋轢
(あつれき)により大半は潰されてしまうことになろうが、しかし完全にゼロのはならない。
 相対界では作用を起こせば反作用が起こる。双方にほぼ同等の力が及ぼし合う。しかし、作用に対して反作用の威力は前者の力を総て打ち消して、完璧にゼロにならない。限りなくゼロに近付くだけである。プラス・マイナスゼロであるが、そのゼロは限りなくゼロに近付くゼロである。

 例えば、病気撲滅である。
 病気を完璧にゼロには出来ない。撲滅したかのように見えた病気もゼロに近付くだけで、人智で克服出来たと思い込んでいても、深部には微少な根を残すものである。
 病気は過去のある時点で完全に撲滅したかのように思えても、その根は何処かに微少に残っているものである。その最たるものが結核だろう。

 結核菌は、1882年コッホによって発見され、結核菌の感染によって起こる慢性感染症であり、侵入門戸は大多数が肺であり、次に肺や腸や腎臓などの種々の臓器および骨や関節や皮膚などを侵し、この侵入が起こると結核性の脳脊髄膜炎や胸膜炎ならびに腹膜炎などを起こす。そして日本では大正八年
(1919)に結核予防法が制定され、平成19年(2007)に至っては結核は撲滅されたとし、結核予防法は廃止された。
 ところが、結核菌は完全にゼロにはならなかった。根は残った。

 最近はこの菌が隠れたところで猛威を揮い始めている。克服したとか、撲滅したと言うのは人間の思い上がりと思い込みに過ぎなかった。一旦は滅んだかのように見えたこれらのものは、以前より耐性を付けて復活したのである。薬物耐性もその一つである。
 叩けば、結局反作用が烈しい起こるだけである。むしろ教導化する方が現象界では有効なのである。

 例えば、ガン細胞である。
 ガン細胞はそれ自体が生命の神秘なる細胞の基本単位であり、一時期の病変によって正常細胞がガン細胞に非行化しただけである。これを叩くよりも善導に導いて教導化する方が好ましく、正常への移行を目的とする方法もある。
 叩く、そして弱らせる、潰すなど、あるいは除去するなどの現代医学風の遣り方で、長い時間を掛けて病変した慢性のものを短期による解決策を行ったとしても、完璧に撲滅させることは不可能だろう。根は残るのである。病変した細胞は善導に限る。正常に善導するだけである。

 例えば、不良少年は善導へと教化するだけなのである。教え諭すだけなのである。
 一方的に不良を理由に抹殺すると言うのは、優生学的な思考で、悪質の遺伝形質を淘汰し、優良なものを保存するという考え方となってしまう。暴走的な思考に走れば、淘汰に拍車を掛け、悪を総て獄滅すれば残った者は総て善という考え方になる。
 だが、実質は悪を撲滅すれば善だけが残るとはなり得ないのである。

 人間は人生を生きる上で何らかの目的があり、また志があってそれに向かって励んでいる時は信念も生まれ情熱も維持され長らく持続されている時は、肉体も比較的健康に作用するものである。完全に健康体でなくとも、限りなく健康に近いか、病変的な体質の人でも健康そうに見えて生き生きしているものである。それは目的があり、志があるからである。大志を掲げて励むと、このように映るのである。
 ところが何かの異常事態が起こり、それに一度心が囚われると、そこに不安が忍び寄り、ストレスとなって冥
(くら)い影を落とし始める。心に不安心や心配情報が巣食うと、それが起因して何かが狂い出す。そして慢性化する。
 しかし、心の働きやそのコントロール法を理解すると、冥い影と昏
(くら)い翳(かげ)りは徐々にあたかも霧が霽(は)れるように霧散する。

 悪ガキに希望を。そして目的意識と志を……。
 彼らに善導を。勉学に目的意識を……。
 まずは背筋力を鍛え、長時間机の前に坐っていても、姿勢が崩れない体力を……。
 最初の願いはこれに賭
(か)けて奮闘した。
 しかし慢性化したものは短時間ではよくならない。一朝一夕ではいかない。時間が掛かる。
 前に進もうとも、その進行は遅々として進まない。そういう矢先に外野から横槍が入る。
 当時の伝習塾も一部からは叩かれ始めていた。横槍に突つかれていた。存在が危ぶまれていた。
 悪評が立って波及し、次々に伝染すると言う感じであった。あるいは悪評が悪評を呼び、強調和音を起こす感じであった。掃き溜めは、世間の常識とは逆現象するようである。
 「世間さまの目」が善導と言う遅々として進まない状況を潰しに掛かるのである。一気に排除した方が手っ取り早いとなる。
 主宰者側は、悪ガキとも奮闘しなければならないが、一方で「世間さまの目」とも闘わねばならないのである。

 予想もし得ない奇妙な現象が起こっていた。
 しかし、この予想もし得ない現象は、またこれから先の、悪しき暗示でもあった。
 今の順調こそ、未来の悪しき暗示である。
 伝習塾も最初は順調だった。幸先のいい滑り出しであった。ところが、これが継続しない。やがて冥い影が指し始める。順風満帆こそ「好事魔が多し」と言うではないか。
 不思議なことに、悪運にも「魔」が付くのである。
 この現象を、今まで何度経験したことであろう。
 しかし、経験しつつも、その対策法を知らなかった。

 悪に群がる蝿のような類
(たぐい)が、その後も、親を連れ立った入塾させて欲しいと遣って来るのである。何処の塾でも断られた生徒が、最後の防波堤のように思っているためか、膨れ上がっていったのである。何とも奇妙な現象であった。既にこのとき魔が忍び寄っていたのかも知れない。
 そして私は、一度魔が忍び寄ると、それは一度限りではなく、その後も二度三度と連続することを知らなかったのである。

 一口に、人間万事塞翁が馬などと言うが、やがての好転を期待して、こういう希望的観測で人生を検
(み)れば、そのツケは大きい。楽天的に走り過ぎれば、その安穏は思わぬ虚を衝くことがある。
 特に事業をしている場合などは、いい時もあれば悪い時もある……などと希望的観測は持てないし、持つべきではない。魔に魅入られれば、これが連鎖するのである。
 一つの凶事は、その一つが連鎖する。そのために何もかも崩壊してしまう起因となることもある。
 もっと深刻な緊張感が必要である。
 しかし緊張は極度に圧迫を掛けると、ストレスを感じるようになり、追い込まないようにするには、無意識の緊張を維持していなければならないのである。この安定が難しい。
 それには普段から訓練する以外なく、安易に無策に生きていてはこれを養成することは出来ない。進むも退くも策がいる。この策が無ければ、退き際を誤る。
 かつての倒産前夜、確かに無策だった。退くことを知らなかった。
 そして、今回も同じような轍
(てつ)を踏もうとしていることだった。
 だが、これといった対策は見つからない仕舞であった。徒
(いたずら)に時間が流れていた。

 愚鈍のままに策を知らず、確かに進むことは知っていたが、老子流の撤退策、あるいは減速策を充分に研究をしていなかった。
 ジレンマに陥って、何かが空回りしていた。
 人間、進むときは意外にも余裕があるものである。
 ところが、退却に変じると「待った無し」の状態になり、これに鍛練がなされていないと、混乱が生じて来る。同じ轍を二度踏んでしまうのである。

 塾を始めて三ヵ月ほど経つと、売り上げは毎月60万円以上を売り上げていたが、更に悪ガキの膨れ上がりで100万円に達そうとする時期に差し掛かっていた。金銭事情に拍車が掛かっていた。したがって金銭的には申し分なかった。

平成2年8月の夏期講習、明林塾のチェーン塾グループの南小倉教室で講師をしていた家内。
 この当時、家内は中学全学年と高校一年・二年の数学と理科
(理科1全般と化学・物理)を担当していた。

 しかし、集めた生徒は、素行問題児や学業不振児である。悪評が立つのは自然の成り行きであった。当然、周辺の環境も悪くなる。世間さまの目は指弾へと傾く。
 これが魔の連鎖の予兆であったのかも知れない。
 そのうえ宿命的に問題を抱えた生徒ばかりであったからである。塾商売と言う以前に、何か表現し難いものが漂い始めていたことを感じ取っていた。だが無策に甘んじる以外なかった。

 塾の代表者は家内であり、その問題児を、家内が大声を張り上げて叱咤激励するのである。これが悪評の一つであった。
 この大声と、次に第二の悪評として、問題児らの塾周辺での素行の悪さであった。実に悪い印象を与えるのである。その態度といい、見た目もよくなかった。

 悪ガキどもは近くのコンビニの前で“うんこ坐り”をして、タバコを吸い殻は投げ捨てるし、若い女性がその前を通り掛かろうものなら、奇声を上げてからかうのである。近所からは問題の塾とされていた。
 そして『伝習塾』は地域住民の公害の根源となりはじめていた。
 その結果、遂に数ヵ月後には「習志野所払い」を喰らう羽目になる。

 この習志野所払いは『伝習塾』ばかりの所為
(せい)ではなかった。半分は私の所為でもあった。土俵際に追い詰められていても、「まだある」と高を括っていたからである。
 そのうえに難事や事件にも巻き込まれた。成り行きに任すしかないと安穏とした考えが墓穴を掘った。
 その発端はその後「出入り」をやらかしたことによる。
 これが最終的に、習志野を追われる羽目になる。指弾され、追われた。しかし、まだこのときは近未来を夢想だにしなかった。それだけ愚鈍であったと言えよう。
 一見、楽天家は豪放磊落
(ごうほう‐らいらく)を気取るところがある。その一方で、豪放に見えて小心翼々としたところがある。不動の心が欠けていた。信念がぐらついていたのかも知れない。

 もし私が当時、ヒトラーに対する烈しいレジスタンス運動を展開し、それに圧されて斃
(たお)れた神学者のディートリッヒ・ボンヘッファー牧師Dietrich Bonhoeffer/ルター派の牧師で、非宗教的キリスト教的なる生き方をしたことで知られる。1906〜1945)の「神の前に、神と共に、神無しに生きる」という強い言葉を知っていたら、「あるいは……」ということを思ったりもする。
 あたかもこの言葉は、信仰に生きる無神論者のような強い生き態
(ざま)を顕している。

 世間には、神仏に対してもっともらしいことをいい、分ったようなことをいう人間がゴマンと居る。自分では分っていると口では豪語するが、実は神仏とは最も遠い存在の人間である。
 そのうえで、あたかも人生や愛について語り、得々とする人間がいる。
 私も、その種属に属していたのかも知れない。体験の浅さを物語っているようなものだった。
 同様に、神仏に対し饒舌
(じょうぜつ)になり過ぎれば、神仏にこと寄せて、自分が喋っているような錯覚を抱くものである。苦しい時の神頼みであった。自分のために神仏を利用したに過ぎなかった。
 こういうところも天は見ていたのではないかと思う。
 小心翼々人間であった当時の私はまだまだ未熟だった。
 実質上は神を論い、それでいて「神の前に、神と共に」生きてはいなかったのである。この点は見放されていたと言えよう。

 また奮闘の側面に暗雲が垂れ始めていることには気付かなかった。
 ただ我武者羅だった。バリバリ食ってバリバリ働き、それでバリバリ借金を返して行く……。
 これが家内の今日この頃の行動律であった。
 何と謂うエネルギーだろう。簡単に音を上げない。したたかな根性を見せる。そのうえ、よく働く。借金返済が脳裡に巣食っているからだろう。あるいはそれが日課だったのである。
 債権者への返済も、常に数十万円単位で支払っていた。支払うためにバリバリ稼いでいた。
 それなりに儲けが出て、徐々にではあるが、資本主義のルールに随
(したが)い、剰余価値を儲けの利潤として、手に入れることが出来るようになっていた。
 しかし私としては、未
(いま)だに浪人生活を続けており、胸を張るべき確(かく)たる職業を持っていなかった。天下の素浪人であった。何処かに仕官する声も掛かって来なかった。
 こうして、晴れて天下の素浪人を遣っていた。浪人生活は悪いことだけではなく、一面にはいいこともあった。

 数ヵ月前を振り返れば、伝習塾の経営は順調だった。順風満帆とはいかないものの、それに近かった。
 売上も六月中旬に入って、売り上げが少しばかり伸びた。このまま順調な繁栄を願った。続いて欲しいと思った。
 しかし願うことは、爪の垢
(あか)ほども叶わないようである。
 確かに悪ガキが送り込まれて来るのであるが、それ以外にも、直接父母らが訪ねて来て、入塾させて欲しいという、本格的な生徒も集まりはじめた。そういう生徒は大方が、学内では中堅クラスの中・高生で、質のいい生徒が集まりはじめたのであった。
 そして塾生は20名ほどになり、伝習塾に払う、一ヵ月当たりの平均月謝は一人3万円ほど
(平成3年当時の塾や予備校の教育費として払う平均相場は1万5千円前後。家庭教師は4万円前後)になり、月に60万円強の売上を上げる見通しがついた。この点は申し分ない。好調であった。

 かつて家内は、私が大学予備校をしていた当時の監査役であった。金勘定には聡いところがあった。それだけに余剰利益を残す智慧も持っていた。そのように二十代の頃に、仕込んだのである。その甲斐あって、貸借対照表も損益計算書も読むことが出来た。そのうえ集金能力が勝れていた。遅延を赦さないのである。

 そのうちから、教材代を支払うと、確実の50万円以上が残った。これに家内の7万円のビルの清掃のパートの稼ぎを含めると、平均して60万円に少し足りないというのが家内の収入状況になっていた。
 朝方、ほんの30分程度の清掃仕事をしにいく。近くのビル持ちのオーナーから清掃を恃
(たの)まれたのである。この程度の清掃で、月に七万円の手当をもらっていた。何処でどう食い入ったのかは知らないが、不思議なことに、この仕事を探して来たのである。
 あるいは何処かに募集広告の貼り紙を見たのだろうか。
 とにかく家内は視力が良かった。左右両眼とも2.0以上ある。その眼の良さが人の見落としに直ぐに気付いて、効率のいい仕事を探し当てたのだろうか。
 知らない土地に言っても、こう言う情報を入手し、また食い入るのは早かった。

 この収入状況は、現時点の六月だけの収入であるが、その先も同じ収入があるとは限らなかった。
 学習塾は、人の出入りで収入状態が変化する。多いときもあれば少ない時もある。
 自営業だから、サラリーマンのように安定した収入が得られない。変化して、減少することもあるのだ。
 その背景には口コミや噂の影響もある。よくなることもあるが、些細
(ささい)な噂で減少することもある。商売敵(しょうばい‐がたき)がデマを飛ばすからだ。
 羨望は人を陥れる。足を引っ張る。そして出る杭
(くい)は打たれる。世の中の常だ。
 そのことも覚悟しておかなければならなかった。

 当時の私の収入状況といえば、この頃から雑誌や雑学の本などにルポ・ライターとして、探訪などの雑文を書きはじめ、これらの原稿料や、またこれまでに発行した武術書籍や武術ビデオなどの印税として、月に平均すれば15万円ほどの収入だった。今のところは家内の稼ぎが多く、私とは完全に逆転していた。
 そして二人併
(あわ)せて……、と言っても、殆ど家内で月に75万円ほどを稼ぐ。
 この稼ぎは少なくもないが、大した荒稼ぎでもなかった。やはり少ない。多額の借金を抱えていた。

 億単位の借金返済には少な過ぎる金額である。焼け石に水であった。
 実際に計算すれば150万円から200万円掛かる。したがって月に75万円では、生かさず殺さずと言った程度で、まだまだ不足していたのである。億単位には到底及びもつかず、焼け石に水である。
 単に元本が億単位と言うことでない。これに利息がつく。放置すれば雪達磨式に膨らむ。それだけに返済終了は未
(ま)だ未だ先であった。その道は長い。
 実際に、私が総ての借金を払い終わるのには、平成3年から22年まで懸かり、その期間は19年間であった。
 単に借金額を稼ぎ出せばいいと云うことでなかった。
 他にも支払って行かねばならぬものはあった。頬
(ほ)っ被りできない金である。
 元本を返済しつつ、利息も払い、事業所得税や土地家屋の固定資産生も払いつつ、市県民税も払い、喰って飲んで、塒
(ねぐら)を確保し、子供らの養育費も含むその他の経費も払いつつ、億単位の借金を返済するのである。気の遠くなるよう道程(みちのり)だった。19年が長いか短いかは別として、私にすれば、こ程度の年月で返済し終わったのは幸運だったと言う他ない。

 金銭と言うのはただ集めるだけでは何もならない。稼いでも、人間は生きている限り何かに消費しなければならない。この消費だけで、人間は税金が掛かるのである。
 予備校をしていた時代、年間に2億円前後の金を集めながらも、一年間の期限付きで集めた金を有効に運用させることが出来なかったし、知らなかった。
 月集金で年集金であった。この「一年間」の意味が理解できていなかったのである。単にプールしただけであった。それを活用しなかった。
 あたかも保険業務をする会社が顧客から掛け金を預り、普通銀行預金に預けるような間抜けぶりであった。集めた金の活かし方を知らなかった。「一年間」の意味が全く無意味であったのである。
 集めた金を、単に毎月の支払いに充て、それで目減りさせていたのである。金に働いてもらうと言う根本的な金銭哲学の意味が理解出来なかった。単に金を集めただけだった。貸借対照表は読んでも、資産の運用を知らなかった。
 もし運用ということを当時真剣に取り組んでいたら、あるいは金策に苦労する羽目は免れていたかも知れない。また倒産も避けられたかも知れない。それに気付いた時には、後の祭りだった。

 月に75万円ほどの稼ぎだが、これらが全部が全部残る分けでなく、大半はこれまでの税金の未払分や、不納付加算などを加算された延滞金などに使われ、あるいは北九州に置いてきた子供の養育費や、別宅の子供らの養育費などであり、私たち夫婦は、月10万円程度の生活費で何とか遣
(や)り繰りをしていた。収入枠を広げる以外、余録は残らないのである。
 資本主義社会では事業主は、剰余価値を利潤として「利」を作り出さねばならないのである。決して甘くはない。
 これでは、ただダラダラと出て行くのを見逃しているだけである。

 さて、この世の中で、どうしても「踏み倒せない金」がある。それは税金である。
 この税金だけは、どうゴネてもどうにもならない。これまで確定されてしまった税金は、その税額も、延滞金も絶対に負けてくれない。確定された以上、必ず払わなければならない。税金の査定額が不当だとして、行政裁判をしても勝ち目がない。

 時効は十年
(民法の商業時効は五年)だが、その間に居場所を探し出される。住民票は移動を理由に、宙ぶらりんにして飛ばせても、無駄なことである。住所不定では、借家を借りることもできず、働くこともできない。それに官権の手は、どこまでも追っ掛けて来る。
 この追手は、サラ金などの高利貸しとは違う。サラ金の証文に記載された、金額の数字の如きの取り立てとは違う。こればかりは、どうにもならない。絶対に踏み倒せないのだ。
 サラ金などの借入金返済の商業時効は五年だが、官権等の時効は十年である。

 税金には、所得税、法人税、相続税の直接国税がある。
 これは国税納税義務者が、期日までに完納しなかった場合における行政上の強制執行である強制徴収で、支払うことが出来なければ、財産を差し押えられ、これを公売に付されて、督促手数料ならびに延滞金および租税金額に充当するものを徴集される。殆ど「待ったなし」である。

 私には所得税未納と三年間分の法人税未納があった。
 大学予備校の《明林塾ゼミナール》は既にこのとき、“見做
(みな)し法人”【註】税の軽減を目的として、法人税の課税方式に類似した方式での課税を選択したもので、私の場合は事業所得の課税があった)に転落していたが、法務局には台帳が残っており、会社の閉鎖処理はされていなかった。そのため、まだ生きていた。こうした法人税の類も残っていたのである。

 また、地方税などがあり、更に固定資産所在の市町村が課する固定資産税がある。
 私は、この固定資産税と、平成元年七月に建てた尚道館ビルの不動産取得税が未払いのままだった。平成1年度、2年度、3年度を延滞していた。この合計は有に300万円を超えていた。時効を援用して逃げ切る手もあるが、それにしても「十年」は長い。
 法人や公益機関の商業時効は五年であり、個人では十年である。五年の商業時効は法人でも難しく、民法の「時効の援用」が完成するのは十年と言う期間を見ておかねばならない。
 そのためビルの市役所から『競売予告通達』まで来ていた。これらを放棄すると、裁判所の執行命令によって、不動産の競売が実行される。これは何としても食い止めなければならない。絶体絶命の崖
(がけ)っ淵(ぷち)に立たされていたのある。敵対者が検(み)れば「笑いたくなる構図」だろう。

 これまでの銀行借入金や高利貸しの借金は、ほぼ80%程度解決していた。その中には、取立屋をして稼いだ金で返済した分もあるが、踏み倒し分もある。
 しかし残りの20%は明確でなく、負債額を示す証文のコピー類は紛失したままであった。これが金融組合などの金融市場に出回り“代下がり”に流されことも考えられた。高利貸しや闇金に流れて、何処かに回っている可能性もあった。
 こうなった場合、後で、いちゃもんがつけられるが、証文自体のコピーを紛失しているので、この計算はできなかった。この手の負債総額は、少なく見積もっても五千万円は超えていたであろう。

 しかし、それよりむしろ厄介なのは国税並びに固定資産税や不動産取得税の地方税の強制執行だった。動産などの差し押さえと不動産の競売
(けいばい)の懸念があった。こちらを先に手当てしなければならなかった。役所がその気になれば、いつでも強制執行が掛けられて、いつ競売されても不思議ではない状態だった。
 こうした税金類を、今まで小刻みに支払っていたのである。

 ちなみにスーパー・テクニックとして、智慧のある企業では公認会計士などを使って、わざと自分の不動産や自社ビルや持ち家を競売させて、底値になった時に買い叩くと云う方法を使い、まず銀行に泣いて貰い、返済金を圧縮するテクニックがあったが、この遣
(や)り方をある不動産会社の経営者から教えて貰ったのは、滋賀県大津に移転してからのことだった。
 しかし、このテクニックを遣えば以降の信用がゼロとなる。二度と借入が出来なくなるのである。

 そして尚道館ビルを建てる際に銀行から借り入れた、1億5千万円ほどの大ローン
(コンピュータなどの学習機材やその他のOA機器を含む)も、銀行返済金として、毎月45万円強を支払っていかねばならなかった。
 このローン返済には、延滞金などが加算されていて、ローン返済計画書の再編成がなされ、支払い年数が増え、残高が殖えていた。
 この当時は3億円を有に超えていたであろう。そのうえ利息には利息がつく福利法構造である。金融機関では一定期間後の利息を元金に加えたものを次期の元金とし、次の期間には新元金に対して利息を計算する法が採られている。
 これだけの金額を支払っていくには、普通のサラリーマンレベルの収入では間に合わなかった。私が職を見付けて朝から晩はで働いたとしても、月100万円にもならないであろう。
 そこで、何かで荒稼ぎする必要があった。しかし、そんな都合のいい商売などない。もう少し頭を使う必要があった。

 以前、進龍一から、「宗家はだいたい幾ら借金があるのですか?」と訊かれたことがあった。
 それで、絶対に払わねばならない税金の延滞分やその他ローンなどの総額を、奴の塾のコンピュータでざっと計算したところ、複利法
(高利貸しはこの計算法が多い)で行けば、おおかた3億円以上の数字が出た。愚鈍が招いた金額である。
 この数字を見て、奴は「うわー、何と表現していいものやら……」と嬉しそうに、その凄
(すさ)まじさに呆(あき)れたように喜々とした返答したことがあったが、既に、奴にしてみれば、この数字は“天文学的”という数字に映ったのであろう。いや、奴だけではない。
 超庶民の私としても、庶民のレベルからいうと、確かに天文学的数字に映ったのである。自分でもその実態が掴めずにいた。
 「数字の桁に、ゼロが8個もついているのを見たのは初めてですよ」と喜々として云う。それが実に嬉しそうであった。
 人間は、人の不幸が嬉しいものであるらしい。これは大方の心理であろう。
 そして敵対者だけでなく、当事者も笑いたくなる大借金だった。

 「しかし、ゼロ8個は俺の意志でない。半分以上は延滞金と高利の利息だ」
 「そうは言っても凄いですね。もう、宗家は貧乏神が取り憑
(つ)いているなどと言う、そんな生易しいレベルではありませんよ」
 「では、どんなレベルだ?」
 「貧乏神が取り憑いているのではなく、一体型の貧乏神そのものですよ。貧乏神の“右代表”と言ってもいいくらいです」
 「えッ?!貧乏神の右代表?……」
 「そう、第一人者!」
 「俺が右代表の第一人者か……」
 「もはや貧乏神の、犯すべからず聖域です」
 「なに?聖域……」
 私は“右代表”と言われ“聖域”と言われて、思わず素頓狂
(すっ‐とんきょう)な声を上げていた。
 「庶民の私にしては、ゼロが8個もつく金額の単位は、まったく形容のしようがありませんねェ。尊敬の念に堪えません」
 奴は喜々として喜んでみせるのである。
 「嬉しそうだなァ」
 「滅相もありません。気の毒に思っています」
 それにしては、やはり嬉しそうであった。

 倒産前の昭和の終わり頃か、平成の始めの頃、私は奴に現状を知らせる日記を、収支計算まで含めて克明に書いて、これをファックスで送りつけていた。奴はこれを御丁寧に綴じて、お抱えの税理士に、経営診断を兼ねて診
(み)せたことがあった。
 その税理士が言うのは「この人、絶対に助かりませんよ。もう人生は完全に終わっています。後学の勉強のために、この日記、コピーさせてくれませんか。事業主が顛落していく研究になりますから。何とも凄まじい事例ですなァ」などと抜かして、奴はこれを総てコピーさせたことがあった。
 ところが、税理士が「絶対に助からないという落ちた犬」は、まだ死んではいなかったのである。奴にしても人生の番狂わせを、まざまざと見たのだろう。

 そして、私は「お前は本当は嬉しいんだろう?心から楽しんでいるのだろ?」と訊くと、「人間というものはですねェ、人の不幸を嬉しがる生き物なんですよ」と返事するのである。
 問い詰めれば、居直った観があった。
 人間とはそう云う生き物なんだということを思い知らされたのである。
 その時に、また一つ学んだのであった。
 人の不幸に、誰一人として同情はしない。自分が大怪我をして、その苦痛に呻いていても、その激痛は他人には分からない。その激痛は、自分しか感得できないのである。
 落ちた犬ならぬ落ちた豚は、わが身の豚然は、わが身の重さでしか体感出来ないからである。

 「ローマ人への手紙」第三章
(10〜12)には、次のようにある。
 「義人はいない、一人もいない。悟るものはいない、神の求める者はいない。みな道に迷って、みな腐り果てた。善を行う者はいない、一人もいない」
 この件
(くだり)は、「義人なし、一人だになし、善をなす者なし、一人だになし」という韻文(いんぶん)の形で纏められて有名である。

 義人なし、一人だになし……。
 この件と、進龍一の言った「人間というものはですね、人の不幸を嬉しがる生き物なんですよ」と言うのは何か符合するようにピッタリと一致するように思えるのである。
 そして、もう一つの口癖は「落ちた犬は打たれる」だった。私の場合は超肥満だったから「落ちた豚」であった。
 この言葉こそ、人間の残酷な一面を現した言葉は他にあるまい。

 つまり、私のように会社を潰し、流れて習志野くんだりまで来て、再起を図ろうとして奔走する者に、同情する人間は一人もいないと言うことだ。
 それは、あたかも空腹で行き斃
(だお)れ寸前の犬が、よろよろと川の淵を歩いていて、足を踏み外し川の中に落ちれば、その落ちた犬を助け上げる者はいないどころか、逆に、その犬に向かって見ている者は石を投げ付けて、面白半分に溺れ殺してしまうということを云っている。
 人間の人格の半分は、残酷な一面で構築されているのである。この残酷な一面がある限り、人類史上から戦争は未来永劫まで永遠になくならないであろう。
 私は人類の未来史から、戦争がなくなると思うほど楽天家ではない。人間には何処かで歪
(いが)み合う習性が、その側面には貼り付いているのである。
 喜怒哀楽の中に居る感情は、人間から消去することは出来ない。様々に変化する。果たして理性だけで抑えられるものだろうか。そうなると、理性と言うものがまた疑わしくなる。
 この世は聖人君子で動かされているのではない。喜怒哀楽に揺さぶられる、その振幅の烈しい愚人によって動かされているからである。



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