運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
壺中天・瓢箪仙人 1
壺中天・瓢箪仙人 2
壺中天・瓢箪仙人 3
壺中天・瓢箪仙人 4
壺中天・瓢箪仙人 5
壺中天・瓢箪仙人 6
壺中天・瓢箪仙人 7
壺中天・瓢箪仙人 8
壺中天・瓢箪仙人 9
壺中天・瓢箪仙人 10
壺中天・瓢箪仙人 11
壺中天・瓢箪仙人 12
壺中天・瓢箪仙人 13
壺中天・瓢箪仙人 14
壺中天・瓢箪仙人 15
壺中天・瓢箪仙人 16
壺中天・瓢箪仙人 17
壺中天・瓢箪仙人 18
壺中天・瓢箪仙人 19
壺中天・瓢箪仙人 20
壺中天・瓢箪仙人 21
壺中天・瓢箪仙人 22
壺中天・瓢箪仙人 23
壺中天・瓢箪仙人 24
壺中天・瓢箪仙人 25
壺中天・瓢箪仙人 26
壺中天・瓢箪仙人 27
壺中天・瓢箪仙人 28
壺中天・瓢箪仙人 29
壺中天・瓢箪仙人 30
壺中天・瓢箪仙人 31
壺中天・瓢箪仙人 32
壺中天・瓢箪仙人 33
壺中天・瓢箪仙人 34
壺中天・瓢箪仙人 35
壺中天・瓢箪仙人 36
壺中天・瓢箪仙人 37
壺中天・瓢箪仙人 38
壺中天・瓢箪仙人 39
壺中天・瓢箪仙人 40
壺中天・瓢箪仙人 41
壺中天・瓢箪仙人 42
壺中天・瓢箪仙人 43
壺中天・瓢箪仙人 44
壺中天・瓢箪仙人 45
壺中天・瓢箪仙人 46
壺中天・瓢箪仙人 47
壺中天・瓢箪仙人 48
壺中天・瓢箪仙人 49
壺中天・瓢箪仙人 50
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 壺中天・瓢箪仙人 23
壺中天・瓢箪仙人 23

「至誠」一筋である。そして理想郷へ一直線である。
 黙々と地道に、人が視ていようと居まいと励む。観客などクソ喰らえ。人知れず黙々と励む。
 ただ道を踏むだけである。陰徳を積むだけである。
 そこに本当の「他力一乗」が働く。天はそこを見ている。


●伝習塾の開塾

 私の推測するところよると、上原小夜子の家庭内は、進龍一から聞かされた情報に照らし合わせて分析すれば、両親が離婚しているとであった。
 父母が一緒に暮らしていても、世間体を考えた、人を欺
(あざむ)く偽装夫婦であったであろう。欺瞞(ぎまん)の夫婦である。
 既に以前からこの夫婦の夫婦仲は訝
(おか)しくなり、今では下宿人と家政婦の関係であったに違いない。

 形式上の夫婦では、中身は醒
(さ)めたものであったのだろう。
 ただ世間体だけが気掛かりだった。それが離婚までして、世間体を考えて、偽装の夫婦を装っていたということに違いない。それが起因して、上原小夜子自身、冷酷な環境の中で、どこかが異常にねじれてしまったのだろう。またこのことが彼女のパーソナリティーに異常を齎したようだ。深刻な一面を抱えているのである。こういうのを現代では、「パーソナリティー障害」と言うらしい。
 精神医学では、人格が異質かつ硬直的であるため、社会的不適応や主観的苦痛が長期に生じる状態あるいは病態と定義されている。

 それ自体が孤立する要因を作り、もしかすると、上原小夜子の同級生の中には友人というものが殆どいないのかも知れない。
 あの、きつい性格である。
 美しい花でも、開花してほころばない。固く閉ざしたままである。硬直的な病因はこれであろう。また側面には意地悪が張り付いている。どう考えても嫌われる。孤立するのは目に見えていた。

 上原小夜子が、四月を幾日か過ぎ頃から、ぴったりと塾に貌を見せなくなった。異変は明白だった。
 こうなると私の遣ることは、まず塾をアルバイト講師に任せて、彼女の家を家庭訪問することだった。春期講習は未だ終わっていない。講習の途中で、塾に顔を出さなくなったのは上原一人であった。
 来たら来たで、煩
(わずらわ)かったが、来なければ来ないで、何か気になるのだった。もう、妖怪退治どころではなかったのである。

 入塾時、提出された入塾願書に記載された住所を頼りに、上原小夜子の自宅を訪問したのであった。彼女の自宅は、N国立病院に面した大通り沿いに調剤薬局として看板を挙げた裏手にあった。
 つまり、大通りに面した場所が調剤薬局で、裏が自宅へと続いていた。自宅は立派な、お屋敷というふうだった。双方は入塾願書に記載された町名番地が同じだったからである。そして家の造りから見て、かなりの資産家のように思われた。
 最初、自宅側の門の前のチャイムを鳴らした。しかし誰も出てくる様子はなかった。それで今度は薬局側の入口へと回った。

 私が入ると、白衣を着た女医風の女性、いきなり「病院で貰った処方専用紙を出して下さい」と事務的な声で言われたのである。この女性は、私がN国立病院から来た患者と思ったのだろう。
 しかし患者でないことを伝え、今日は上原小夜子の件で来たのだと伝えたのだった。すると女性は、「先生は本日、留守でございます」というのだった。
 女性の言った「先生」とは、上原小夜子の母親のことだろう。そう聞いて、もう一度出直すしかなかった。
 その時、在宅は本日の何時頃なのかとか、そうした詳細を一々訊くのが鬱陶
(うっとう)しくて、《まあ、そのうち暇があったら出直すか……》くらいな程度で、此処を後にしたのであった。

 しかし、私が春期講習を担当した残りの日程に、四月に入ってからは、もう上原小夜子は、全日程欠席をしたままで終わってしまったのである。それ以降、私は明林塾とは無縁の人間になっていたので、彼女がそれ以降、どうなったか全く知らずにいた。
 後味の悪い終わり方と言えばそれまでだが、まあ、この際は200万円以上の粗利があり、それを借金返済に充てることが出来たので、私は後味が悪かろうがよかようが、そう言うことはどうでもよかった。
 そして一ヵ月ほどが過ぎると、もう彼女のことは完全に忘れてしまっていた。

 その頃、進龍一が『伝習塾』の話を持って来たのである。
 「宗家、うちで入塾不合格の生徒を預かってみませんか」
 切り出した話は「奴の下請け業」だったのである。
 「習志野中の落ち零
(こぼ)れを、俺に面倒みれと言うのか」
 「そうです、超がつくくらい落ち零
れです。遣ってみますか、しかし何かと問題は多いと思いますが……、それを承知の上なら」と言うのである。
 私の貌を下から窺
(うかが)うように訊くのである。奴特有の人を試す癖である。
 私が金に転んで、断らないということを踏んでいるのだろう。その自信が貌に貼り付いていた。
 「儲かりそうか」
 この一言で、私が「掛かった」の思ったのだろう。
 「それは宗家次第ですよ。濡れ手に粟
(あわ)かも知れないし、逆に大損害を被るかもしれません。総て宗家の肚(はら)次第です」
 奴は奇妙なことを抜かしおった。験
(ため)しているのだろう。
 「さて、どうするか……」
 「止めときますか?……」奴のお得意の誘導尋問的“釜掛け術”である。
 「いや、俟
(ま)て」
 「どう俟つのです。時は金なり、チャンスはそう度々来るものじゃない。覚えておいて下さい。幸運の女神は前髪はありますが、後頭部は禿
(はげ)です。したがって通り過ぎれば掴めません。掴むのなら今です」
 「やる、やる。それに乗った」
 売り言葉に買い言葉で、乗せられた感がないでもない。仕掛けに懸かった哀れな仔兎だった。

 「よし決まり!塾名は『伝習塾』にしましょう」
 俟ってましたという感じであった。おまけに塾名まで決定されていた。
 「伝習塾か……、何だか畏
(おそ)れ多いな……」
 「塾名に何を名乗ろうと制約がありません。むしろ畏れ多いから日本中探しても、この名前の塾は一軒もないのではないでしょうか」
 「伝習塾か……」
 「そうです、これで行きましょう」
 「別の名前にしたらどうかなァ、どうも畏れ多い」
 「駄目です、これで行って下さい」
 「伝習塾などと畏れ多い名前を付けると、王陽明先生や門人第一の徐愛先生にも叱られそうだし、陽明学信奉の行動派からは命を狙われて刺されるかもしれん。畏れ多い名前をつけると尻に火がついたようになりそうだ」
 「でも塾名は伝習塾!これ一本で疾走して下さい」
 「疾走するのか」
 疾走の一言の何か厭なものを感じた。
 「迷いやこだわりは無用です」
 「こだわるのはお前の方だ」
 しかし何故かこだわるのである。
 奴には何か魂胆があろうが、この話に乗るしかなかった。幸運の女神の後頭部は禿
(はげ)なのである。禿げていては通りすがりの後ろからは髪の毛の掴みようがない。
 結局受けることにした。
 病院跡の旧明林塾で、家内が塾を主宰することになった。

 つまり、進龍一経営の現明林塾は、そこそこ塾生も抱えて飽和状態であり、それでも入塾者が詰め掛けるので、成績の悪い生徒を旧明林塾で引く受けてくれまいかということだった。
 早い話が《自分のところの塾では、成績の悪い生徒を入塾させれば評判が下がるので、こうした落ち零れを専門に引く受けてくれ》という依頼だった。結局は自分の塾の評判を気にしてのことだろう。

 そして、ご丁寧に塾名まで付けてくれたのである。それが「伝習塾」だった。
 この伝習塾の“伝習”は、『陽明学』に出てくる「伝習録」から採
(と)ったものだった。
 有名な「伝習録」は王陽明の語録である。門人・徐愛
(じょ‐あい)らの編纂(へんさん)による。
 これには陽明学の大綱が盛り込まれているのである。
 その“伝習”の文字を採ったのが、家内の主宰する「伝習塾」だった。大仰な名前自体、ふざけているといえばふざけた名前であった。

 そして、明林塾から落ち零れが一人二人と、送り込まれてくるのだった。
 要するに、個別指導を受講する能力のない、また、自分で勉強するという習慣のない、暗愚な生徒が送り込まれてくる。学校でも、ワースト・スリーに入るような、出来の悪い、問題児が送り込まれてくるのである。

 この問題児は、ただ成績が悪いとか、勉強ができないと言うばかりでなく、母親の過保護が災いして、非行などの問題も抱えている小学校高学年や、見るからに態度の悪い、不良を地でいくような悪ガキの中学生だった。手のつけられないような状態にある。未来の犯罪予備軍だったかも知れない。
 そうした生徒を、伝習塾で受け付けてくれと言うのである。
 まさに難問が押し付けられたような形だった。その代わり、親たちはそれなりに金を出すと言うのである。要するに、個別指導ではなく、完全なる個人指導であり、マンツーマンの家庭教師という依頼であった。

 送り込まれた小・中学生は、勉強に取りかかる前の、基本的な「躾
(しつけ)」から指導しなければならなかったのである。
 また、「机の前につき、イスに座る」という、ごく当り前の基本も指導しなければならなかった。こうした生徒は、もともと勉強ができないのではなく、勉強する体力が劣っているのであった。そのために、5分も経たないうちに背中がぐにゃりと曲がり、背筋力がないために常時、頭がぐらつくのである。背骨が弱くて、頭を支えきれないのである。

 頭の占める割合は、全体重を100%とすると頭の重さは8%程度であり、中学生
(中3生の場合)で体重が60kgならば、頭の重さは4.8kgということになる。
 この5kg以下の頭の重さを自身で支えることができず、脊椎骨の最上部の首の頸椎の7個の骨の積み重なり具合も、どこか歪んでいて正常ではない。つまり「首が曲がっている」という状態なのだ。

 犯罪学では、首の曲がっている人間は犯罪者が多いというデータが出ている。
 もしかしたら、ここに集められた悪ガキどもは、5、6年後、何らかの犯罪を犯して前科者になる少年だったかも分からなかった。あるいは犯罪予備軍の恐れは充分にあろう。
 大変な問題児を送り込まれたのである。
 よくぞここまで、習志野中の不良の悪ガキをよく集めたものだと言う、そんな箸にも棒にも掛からない問題児が、伝習塾に集められたのである。
 要するに、バカばかりが送り込まれ、バカを指導して、少しでも生活の足しにしてくれというような形で少しずつ送り込まれてきたのである。随分と軽く見られたのだ。

 伝習塾の発端の起こりは、私が以前、進龍一に「うちの家内を、お前の塾で雇ってくれないだろうか」と、話を持ち掛けたことから始まったのである。
 ところが進は、「奥さんを雇ったら、うちの塾は潰れますよ」と一蹴
(いっしゅう)したのである。そこで彼がひねり出したのが、伝習塾構想だった。
 気違いと揶揄される家内に、自分のところの大事な生徒は預けられないと云うのであろう。

 つまり《宗家の奥さんは大したことがないから、この程度のバカだったら、指導しても学力的に問題がないだろう》という、甘い見方が感じられたのである。実に軽く見られたものだった。足許を見られたと云う感じであった。
 しかし、私はこの種の悪ガキどもも、今は学校の勉強について行けず、落ち零れにされているが、鍛えれば凄い能力を発揮して、成績の上位に伸
(の)し上がり、一気の不良少年から秀才に変身した少年少女を今まで何人も見てきたのである。そのことは、家内もこれまでの講師経験から、そういう少年少女が紛(まぎ)れていることを知っていた。

 そして伝習塾を開塾して数日経った夕方近く、もう完全に忘れてしまった頃に、上原小夜子が、ひょっこり姿を現したのである。これは私も非常の驚いた。まさに青天の霹靂であった。
 そして彼女は、自ら大声で「ここへ入塾させて下さい!」というのである。
 それはハッキリした明瞭な声だった。
 決して私の聞き間違いではなかった。あるいは聞き間違いを恐れて、敢て大声を出して言ったのかも知れない。

 しかし、彼女のような県立船橋の、それも上位五番以内という生徒が来るような塾ではなかった。ここは習志野一の、超落ち零れを集めた天下の悪ガキ塾である。
 名前だけは「伝習塾」と行らしい看板を掲げているが、その実は、上原小夜子のような秀才が来るような塾ではなかった。また塾名由来についても、命名は陽明学も、東洋哲学も、何も存在しない塾なのだ。悪ガキどもを集めた掃き溜めであった。

 私は彼女の貌を見ながら、「上原さん、ここはなあ……」と切り出した途端、「分ってます」という返事が即座に跳ね返ってきたのである。私の有無を言わせる余裕も与えなかった。
 「君のような秀才は、どこか大手の予備校にでも行って、看板受講生になれるはずだ。この塾は私が指導するのではなく、主宰は家内なんだ。主宰者は大した学歴も経歴もない。その辺の主婦が指導するんだから、大したことも教えられない。国公立大学や有名私立大といっいた、そう云う難関大学への受験指導はできないんだ」
 「分っています」
 「この塾は、有り難い、非常に有り難い、進龍一先生の大変なご好意によって、細々と経営する“落ち零れ塾”なんだ。習志野一、最低のゴミ溜のような塾なんだ。
 君のようは人は、掃溜めに鶴になってしまう」
 「いいんです、ゴミ溜めに鶴だろうが、白鳥だろうが……」
 よくもそう言う愛くるしい貌して、自分で“ゴミ溜めに鶴”などと、よく言ったものだ。
 此処が掃溜めと分っているのなら、よせばいいのだ。何も好んでゴミ溜に舞い降りることはあるまい。しかし、そこが天の邪鬼なのである。

 「しかしだなあ、悪いが、他所
(よそ)の名の通った有名塾か、大手予備校にでも行った方がいい」と、半ば進龍一の、私への侮(あなど)りを揶揄(やゆ)するように云ったのであった。
 「それでもいいんです。入塾させて下さい!」と、頑
(かたくな)に言い張るのだった。声が段々大きくなって行くように響いた。

 私は主宰者の学閥と学力を説明しなければならなかった。
 「いいか、上原さん。うちの家内はねェ、大分県沿岸のド田舎漁村の出でね、学歴も愛知県O市にある偏差値53程度
(昭和52年、代ゼミ判定)のぱっとしない私立のO女短大を出て、その程度の学力しかないんだ。
 その上、大した経歴もない。今まで少しだけ、私の塾を手伝ってもらって、その程度の講師経験しかない。とでもでないが、君のような秀才を指導できるような、大した実力はないんだ。君がこれまでのように明林塾で遣っていたように“講師苛め”で、家内を験
(ため)すと毀(こわ)れてしまう。
 高校レベルとなると、指導範囲も限られる。数学は数2レベルの代数幾何や基礎解析くらいがやっとだし、数3の微分方程式は完全にお手上げ。そして理科は、物理や化学や生物は全く無理で、せいぜい理科1というレベルだ。英語も、受験英語となると手が出ない。全くと言っていいほど、受験レベルは歯が立たない。せいぜい欲張っても、高二の一学期程度がやっとだ。この塾では、大学受験は対応していないんだ」
 私は彼女の諦めを促すように云ったのである。しかし、これを聞いてはくれなかった。

 「それでもいいんです。入塾させて下さい!」しかし、その言葉には、聞き分けがなかった。
 「なんで、こんな“落ち零れ塾”に入りたいんだ?……。此処は掃き捨てゴミ溜なんだよ。習志野中のゴミ処置場なんだ。他に、もっといいところがあるだろう。そこに行きなさい」
 「でも、ゴミ処置場でもいいんです。ここに入りたいんです!」
 彼女は強情に言い張るのである。これに私はすっかり困ってしまったのである。
 何故だ?どうしてだ!と思うのだった。この強情さは、何だろう?……と思う。なぜ強情を言い張るのだろうか。あるいはパーソナリティー障害の病態部分は表面化しているのだろうか。しかし、これは私の勝手な想像である。根拠はない。

 「じゃァ、家内の授業でも見てみますか?」
 こう言って、家内と悪ガキが向かい合って、マンツーマンで授業をしているところを見せた。
 ちょうどその時、中坊の悪ガキが授業を受けているところで、私が上原小夜子を連れて教室に入ったとき、この悪ガキは一瞥
(いちべつ)をくれて「へへ……」と笑ったのであった。
 そして「うわ〜、可愛い姉ちゃん」と悪ガキぶりをみせて悪態を吐いた。

 その薄汚い笑いを見た家内は「こら!どこを見ているか、もっと真面目にやれ!」と怒鳴って、この悪ガキの頭をポカリと殴ったのであった。
 家内はけたたましい怒鳴り声を上げていた。
 また家内は精神分裂病を患っていたが、現在ではこの露骨な病名は遣われず、人権擁護も絡んでいて「統合失調症」という。
 しかし病名がどう変わろうと、同一の病気に変わりなく、またその病気自体に変化が起こった訳でない。相変わらずである。
 家内のけたたましい怒鳴り声が聞けるということは、いま躁鬱
(そううつ)状態の「躁」の周期に入っているのだろうと想像できるのである。この状態が暫(しばら)く続けば、何とか塾の講師は勤まろう。

 暫
(しばら)く授業を見せつけた後で、別の部屋に呼んで、「いま見ただろう、この塾はこういう程度のものなんだ。塾生は本来、資本主義市場経済のルールでいうと顧客の関係になる。その大事な顧客の頭をぼかすか殴ったり、時にはビンタを張ったりする。体罰の雨霰。君のような秀才の来るところじゃない。他所(よそ)に行きたまえ」と諭(さと)したのである。
 「それでも、いいんです。入れて下さい!」
 彼女は頑
(かたく)なこれまでの態度を崩さなかった。

 「正直いうと、家内は精神分裂病なんだ。世間では“気違い”と揶揄
(やゆ)している。毀(こわ)れて頭がいかれているんだ。つい最近、精神病院を出てきたばかりなんだ」
 「それでも、いいんです」
 「どうして、ここに入りたいんだ。なぜ、そうこだわる。他にもっといいところ、沢山あるじゃないか」
 「わたし、ここに入塾したいんです!」
 「しかし、家内は大学受験向きではないんだ。せいぜい高二の一学期程度の力しかないし、私はここでは指導しない。私は事情があって他の事をしなければならないんだ。本当に申し訳ないが、入塾はお断りする」
 私は、こう言って今日のところは、ひとまずお引き取り願ったのである。そして彼女も渋々帰っていった。
 しかし、実際にはこれで終わらなかった。



●貧富論

 世の中は「踊らせる方」と「踊る方」で構成されている。
 前者は小数であり、後者は多数である。前者は後者に対して種々の仕掛けと煽動策を用いれ、踊らせようと巧妙な策を用いる。
 また前者は仕掛けを用いる方で、後者は仕掛けに掛けられる方である。
 更に心理分析すれば、前者は挑発と言う策を用いる関係上、冷静であり冷徹であり、深層部からの策を用いて後者を踊らせようとするが、一方後者は大半が感情家であり、熱しやすく醒め易い気性をしており、感情によって物事の善悪や好悪を判断するようである。

 その特長の一例として、例えば「怒り」を挙げた場合、挑発されて怒り易い人ほど、本当に怒るべき時に怒ることを知らない人である。感情故にであるからだ。また、この感情は世論そして利用されることが多い。
 世論が構成される構造は、「よい世論」と言うことになろうが、多数の意見がよい世論とは言い難いからである。このよい世論には大半が時代に翻弄
(ほんろう)される感情であり、この感情が高まった場合「一世を風靡(ふうび)する」と言う現象が起こる。それは永遠でない。感情から起こる善悪と好悪によって構成されているからである。更に伝搬作用をもつ。波及効果を及ぼし伝染現象を起こすことだ。

 つまり、「よい意見だから多数が支持する」という伝染現象である。果たして、感情から起こった世論の構造がよい意見を代表したと言えるのか。むしろ一時的な感情で左右されるものでなく、本当のよい意見とは、相当の時間と手間と金を掛けたところから、徹底的に議論し、よく吟味を尽くした後に登場するものではなかったか。
 現代の民主主義デモクラシーでは、時間と手間と、吟味するという過程が欠落しているように思えるのである。短絡的で早急的な感情から起こったものは殆
(あや)ういと言えよう。

 更に世の中の構成構造を思う。
 この世は如何なる構成で成り立つのか。
 例えば、「踊らせる方」と「踊る方」の構成から考えてもいい。これば知の長けた者とそうでない者と分けることができよう。前者を賢人といい、後者を愚人と言う。こ両者によって世の中は構成されているが、愚人は七割り、いやそれ以上であろう。少なくとも八割り方が占めるだろう。そうすると、この世は大多数を正義とするから、愚人によって動かされていることになる。

 この構成は、かつて斉の名宰相といわれた晏嬰が、君主の景公に「世の中を動かしているのは、わたしども愚人でございます」と進言した言葉を一致する。晏嬰こそ、世の中の構造を逸早く見抜いた人物であった。
 換言すれば、愚人が踊らされる世の中であり、賢人はそれを仕掛けるだけと言うことになろうか。
 思えば伝習塾は、その他大勢の更に最下位の箸にも棒にも掛からない下の下を行く、その種を掻き集めた塾であった。しかし、これは「躍る層」が集まったものだったのだろうか。
 むしろ、上下比例の小数ではなかったのか。
 晏嬰が指摘したのは、上にも下も属さず、中間を「世の愚人」をしたのではなかったのか。

 この日の深夜近くのことである。
 進龍一が来て、「宗家、伝習塾うまく行ってますか」と、在
(あ)り来たりな社交辞令を交わした後、「ところで、焼き肉でも食いに行きませんか」と誘うのだった。
 この男は、どうしても肉食にこだわる人間だった。それも安物ではない。特上が好きなのである。肉や乳製品、あるいは鶏卵類などの動タンパクが大好きなのである。
 そして深夜であったが、奴に付き合うことにした。行き先は、本当に脂
(あぶら)ギトギト・ベタベタの焼き肉屋だった。肉を前に笑みがこぼれる。

 しかし不思議にも、私に「玄米正食」を奨めたのはこの男だった。
 忘れもしない。習志野に斬り込み隊長として送り込む前、よくわが家を訪問して、玄米と圧力鍋持参で玄米正食をしきりに奨めたものである。
 更に、健康雑誌を持ち込んで、北九州を中心の発症し、当時世間を騒がしたPCBのカネミ油症事件の記事を私に読ませ、「玄米を食べていた女子高生が同じ油を遣いながらその被害から免れた」ことを力説して、是非玄米正食をと奨めたのである。
 そして私が本格的に玄米食を始めたのは、厄年を超えての四十半ばからのことだった。
 それまでは白米大好き、肉も乳製品も大好きであり、習志野時代も体重が百キロを越す“超デブ”だった。これが習志野を離れるまで続き、主食が玄米食に切り替わるまで続いたのである。

 奴はテーブルに着くと、早速、臓物類をしこたま注文する。奴の定番である。そして注文後、即座に懐から膨らんだ財布を出して、今日一日の月謝の売り上げを数える。
 それも一万円や二万円程度のものでない。札束である。
 10万円を一束として数え終わった後、それをテーブルに並べ、残りの札の数え方は段々と遅くなり、万札50枚を数え終わる頃になると、指が疲れたのか奇妙に畸形
(きけい)して引き攣り、身体障害者のような指使いになるのである。
 「お前、たいそう持っているなァ」
 「一日の終わりに、こうして札束を数えないと、心が落ち着かないんです」
 畸形して引き攣
(つ)るような指使いを、私も目で追いながら、心の中で一緒に数えるのである。
 55、56、57、58と……。
 そして本日の売り上げは、合計62万円だった。

 「そんなに卑しい眼で見つめないで下さいよ、数え間違うじゃありませんか」
 「代わってやろうか」
 「いや、結構です」
 「じゃァ、俺も一緒に数えているから、数え間違いはない。本日の売り上げは締めて62万円也……」
 「欲しい貌をしても、あげませんからね」
 《いいだろう、一、二枚くらい》と言わないのが私の意地である。
 「ケチ……」
 ぜいぜい言えるのはこの程度である。
 「そんなケチといわれても……、宗家も私を当てにせず、自分でしっかり稼いで下さい」
 「それで伝習塾という訳か?」
 「だから私に感謝して下さい」
 「ああ、感謝しているよ。習志野中の不良とバカどもを送り込んでもらって有り難うよ……」
 「そんな言い方はないでしょう。少しでも、生活の糧
(かて)にと思って智慧を絞り出したのです」
 「その智慧。涙が出るほど有り難いよ」
 「皮肉ですか」

 こう言っている時に、店員が銀色の肉の載った大皿を運んできて、心臓だの肝臓だの、胃袋だの丸腸だのを次々に並べるのであった。まるで生物の解剖実験に出てくるような動物の内臓が所狭しと、それも脂ぎった腑分けした物質がテーブルの上に並べられていた。そこは脂だらけのギトギトした、それであった。
 そして勢いよく火が点
(つ)けられ、これを焼きに掛かるのである。
 肉常習者の、その手つきは慣れたもので、まるで死体処理のハゲ鷹だった。貪りである。血の滴
(した)っている心臓のスライスなど、皿ごと抱えてタレも付けず、そのままチュルリと飲んだのである。その呑み方は、まるで吸血鬼か、蛇のカエル呑みだった。見ていて気持ちが悪くなる。

 「お前、こんなものばかり食って便秘になったり、痔が悪くなったりしないか?……。こういうの、けっこう肛門には負担が掛るだろう?」
 「そんなことにはありません。毎日爽やかで快便です」
 そう言いながら、焼き上がったものを片っ端から口の中に放り込むのであった。
 「しかしそのうち大腸にきて直腸に伝染し、そこが避けて、やがて肛門がしまえる。結局、人工肛門でも装着するか?……」
 「心配しないで下さい。大腸も直腸も肛門も大丈夫ですから」
 バカも休み休み言えと言う感じだった。
 「恥知らずの、快便てやつだな……」
 「どういう意味です?」
 「お前の胃腸は、恥知らずと言っているんだよ」
 私は、このように揶揄しても、口に運ぶ作業は休まずに繰り返されていた。
 「宗家も、バクバク食って下さいよ、私のおごりですから」
 熱々
(あつあつ)の臓物に執着しながら、こう促すのだった。

 「お前のところの、上原小夜子、どうなった?」
 「ああ、上原ですか、辞めましたよ」
 「やはり辞めたのか……」
 「退塾する旨の一報が、電話でありました」
 「そうか、それがだなァ……」
 一瞬口ごもったのだった。

 「どうかしましたか?」
 「それが、うちに入塾したいと、今日来たんだ」
 「なんですって!」飛び上がらんばかりだった。
 「どうしても、ここに入塾したいと言ってきかないんだ。ほとほと困ったよ」
 「それで、どうしたんです?」
 「勿論、断ったよ。上原のような、ズバ抜けて出来る奴を、うちでは扱えないからな」
 「そりゃそうでしょ」
 「上原のやつ、入塾したいといって聞かないんだ。そのうえ《ゴミ溜に鶴でもいいんです》なんて抜かしおった」
 「巧い表現ですね」
 「しかし、もう一度、来そうな気がする」
 「宗家も、すっかり妖怪に魅入られてしまいましたね」
 「俺も、これ以上“火中の栗”を拾う気持ちはない。お前の知り合いに、誰か引き受け手はいないか。全特待の授業料免除で、あいつを引き受けてくれる塾か予備校を知らないか。上原の頭だったら、どこにでも入れるだろう。自分のところの宣伝にもなるし……」
 「そうは言っても、そこが難しいんです」
 「なぜだ?」不審に思って訊き返したのだった。

 「いいですか、全特待で許可される場合、“学力”プラス“本人の忠誠心”が問題にされるんです」
 「どんな?」
 「余所目
(よそめ)を遣わないという……」
 「つまり、色目を使って他の塾に移籍したりする“くっつき坊主”をしないということか?」
 「そうです。どこも“くっつき坊主”を嫌がりますからね。後で鞍替えされて、他にくっつかれたら、“鳶
(とんび)に油揚げ”ですからねェ。まあ、今度来たら、きつく言って追い返すことですね。罵声の一つも浴びせるといいでしょう。そうすると、もう来なくなりますよ。とにかく、きつく追い返すことです」
 「そう簡単にいくだろうか?」
 「いきますよ、宗家がスケベ心を出さなければね……。まず嫌らしく貌中を性器にして下さい。貌を男根にして下さい、必ず逃げ出しますから」
 「もし、俺が金に転んで、スケベ心を出したらどうする?」
 「軽蔑しますよ」
 「しかし、お前は俺にどうさせたいのだ?」
 「もちろん断って下さい。それ以外方法はありません。絶対に転ばないで下さい。転んだら軽蔑しますからね、本当ですよ」
 「このままじゃァ、どうも軽蔑されそうだなァ……。まあ、しかしいいか……。
 軽蔑されても罰金が取られる訳でもないし、警察に捕まる訳でもない。それならされてもいいか……と思わないこともないのだがァ……」と、金の重みと軽蔑の重みとを天秤に掛けるようなことを言った。
 この言葉に、彼は面映
(おも‐は)ゆい顔をして、私を睨(にら)んでいたに違いない。
 「宗家も困った人ですねェ……」
 こう言う遣り取りをしながら、この日は終わったのであった。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法