運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 18

静かな佇まいの風景。
 風流人の私としては、いつも静かな、しっとりとした佇まいの中に身を置き、そこで自然の四季の移り変わりを眺めるのが好きなのである。その佇まいには春・夏・秋・冬の季節の変わり目を教えてくれるのである。


●憂さ晴らし

 相変わらず憂鬱な日は以前続いていた。
 春期講習は三分の一が終了した。来る日も来る日も一日中が多忙だった。その多忙の合間を抜けて久しぶりに食事に出た。毎日慌ただしく、弁当掻き込みでは味気なかった。
 こういう時こそ、豪毅に振る舞いたい。萎縮する必要は無い。
 貧乏と雖
(いえど)も貧乏人なりに風流を楽しみたい。落ちた豚とはいえ、自尊心だけは持っていたい。貧しいからと言って金銭に怯(ひる)む必要はない。
 塾を後にして、飯を食いに出た。
 疾
(とう)に昼食時間は過ぎていた。
 その途中、大久保通り商店街でひょっこり進龍一と鉢合わせになった。そこで奴を誘って、「飯でも食いに行こう」となったのである。

 誘った以上、私の奢
(おご)りである。最近の私は懐具合がよかった。習志野に来て物の表現を文章で行うと言う小手先の技術を覚えたので、雑文書きなどをして僅かながらの印税等やその他の小銭集めで当座の金は心配要らないようになっていた。
 家内も何処で探して来たのかは知らないが、Yという地元の実力者のビルの清掃仕事で、月に7万円ほどの手当をもらっていた。朝7時頃の出掛けて行って、8時までの効率のいいビル内の清掃であった。少なからずいつも小銭は持っていたのである。

 習志野に来た時は一文無しであったが、こうして何ヵ月は根を生やすと、不思議にも金は何処からか集まって来るものである。天は未
(ま)だ見捨てていなかった。同時に、窮すれば任せ、それを信じることを悟ったので、信じておれば困窮は和らぐということも知った。困窮から逃げてはいけないのである。向かえ合って一つになればいい。そのことを知った。
 それに今回の春期講習であった。二週間の講習で200万円以上を集めた。しかしそれに伴う反作用も起こったが、作用に対して反作用はこの世の常である。それだけを覚悟していれば何のことはない。窮すれば通ずである。通じた御陰で金が寄って来た。これはドン底に落ちてみなければ分らない。
 そのため、ちょいちょい赴く馴染みの店屋も出来た。その中には、ちょっとした料亭風の小料理屋もある。風流人を気取る私はそうした食事処が好きである。こう言うのを分不相応な大尽趣味と言うのであろうか。

 不思議にも大尽趣味は遺伝するようである。何人かの愚息の中にも大尽趣味がいる。
 末坊主などはその典型で小役人のくせに、この大尽趣味がある。休暇の日、ある料亭で佐官クラスの聯隊司令と鉢合わせとなったと言う。
 「何でお前は此処にいるのか」と謂われたそうだ。
 末坊主は終末の休暇になると、料亭に一人で飯を食いに行くと言う。十七歳の時であるから、もう陸自に入って十数年以上経つ。満年下っ端の小役人である。
 私の大尽趣味は祖父の影響であろう。
 祖父は羽振りのいい時代、遊びの世界では名人と言われた人だと謂う。親子供ども、そういう血を引いているのかも知れない。それが性癖として遺伝しているようだ。
 真っ昼間からお大尽気分を味わって見るか。
 そこで、行きつけの料理屋へと誘ったのである。少々の飯代くらいは困らなくなっていた。何処からともなく金が入って来る。いや湧いて来るというのが謂い得ているのかも知れない。私の周りには奇妙な仕掛けが出来上がっていた。

 双方とも、遅い昼飯である。
 奴も“お仕事”の合間を縫って、飯でも喰いに出たのだろう。
 私は日々の憂さを晴すために、昼間から酒でも喰らいたい気持ちであった。なぜか心の霧を霽
(は)らしたかった。
 いつも質問攻めで遣り込められているからである。
 昼間っから一杯引っ掛け、ほろ酔い気分で講師を遣るのも悪くないと思う。このように、つい不埒なことを考えたくもなる。
 そして数日前の瓢箪の老人が頭から離れなかった。二つの思いが同居していた。
 あの好々爺の貌が、夢の中にも顕われて来る。夢の中で、私を操っているのではないかと言う錯覚すら生まれ、この境目が曖昧
(あいまい)になっていた。桜の花弁の奇妙な現象を見てから少しばかりおかしくなっていた。

 しかし残念なことに、今日は講師の休憩ローテンションの都合上で公園には行けなかった。
 あの風流をもう一度目にしたいと思っていたが、スケジュールに余裕の無い分刻みの多忙では、如何ともし難かった。
 そこで今日は“行きつけで飯”でもとなって、京風懐石に風流を需
(もと)めたのである。

 私は、厭
(いや)なことを酒で紛(まぎ)らし、憂さ晴しする方ではないが、真っ昼間から酒の“ほろ酔い気分”を覚えるのも好きである。痩せても枯れても、何処かで風流人を気取っていたいのだろう。思えば根っからの楽天家かも知れない。いつも何かに酔わされていないと落ち着かないのである。
 しかし最近は、多忙が祟
(たた)って昼食を摂る暇もなかった。塾のごった返しで多忙に追われていた。そう言う状況下で、鉢合わせになった奴を誘い、ある料亭風小料理屋へと足を運んだのである。私は塾の質問攻めで忙しいし、塾長さまはチンジャラジャラの開店早々の出玉獲得に忙しい。互いに忙しいが、仕事現場が違っていた。
 そこで、昼くらいは落ち着いて静かに風流を味わいながら飯でも喰いたい。人情である。

 私は喧噪なる騒がしい芸妓
(げいき)の嬌声(きょうせい)などが響き渡るところや、音楽の喧しいところは大嫌いである。店全体が一見店員の掛け声で喧(やかま)しく、騒々しくて煩(うるさ)いところは叶わないのである。静かな佇(たたずま)いを好む。
 玄関前に水を打ったと思える店内へと続く玉砂利を踏みながら、店内へと誘われて行く。

 進龍一は小さな目立たない看板の文字を読んで、「この店は『志づ乃』と言うんですか。私も20年以上も習志野に棲
(す)んでいて、隠れたところにこんな古風な小料理屋があるとは知りませんでしたよ」と言うのであった。

 玄関に立つと、戸口が音もなく開いた。自動扉の仕掛けがなされていた。
 ほの暗い黄昏時を思わせる玉砂利の道を通って、戸口が開いた瞬間、中の光が格子戸の縞
(しま)模様になって洩れてきたのである。
 そして私は、自分から「静かでいい店だろう」という言葉が出掛かったが、それを控えたのである。
 無理に付け加えても仕方がない。その感想は、奴自身がその肌で感じれば済むことだ。
 そのうえ昼間から結界の意味を込めて、俗界とは異なる「ほの暗さ」を演出していた。あたかも夜の茶会を思わせた。

待席

 私はそもそも風流が好きなのである。
 慌ただしく追い捲くり、嬌声が響いたり、家族連れや同僚同士で、姦
(かしま)しい鶏のゲージ飼いのような居酒屋や回転寿司などの類を好まない。
 一番目は静寂か、二番目は落ち着いた和風の佇まい、三番目は京風の少量の茶懐石、四番目は料理に合う酒である。
 利休が愛した“わび”や“さび”の風流の世界を好んだ。無言で、何もかもが沈黙した静寂を愛した。料理人の説明すら要らない。静かに呑むには静寂が一番なのである。畳の上に落ち着きたい。

 男、厄年を迎えると、これまでの概念が一変する。
 しない人も居ようが、私はこれを折り返し点と心得ていたから急変したようである。あるいは豹変に近かったかも知れない。決してこれまでの惰性で生きていなかった証拠である。
 変わらねばならぬ時には変わる。豹変する。生きている証拠である。
 風流とは、一ヵ所にこだわらない、そういう特殊人に備わっているのだろう。特殊人は豹変するようだ。
 果たして、「君子は豹変す」のあれか。

 君子は過ちがあれば、すみやかにそれを改め、鮮やかに面目を一新する。俗に、考え方や態度が急に一変することに使われる。君子豹変である。
 私は君子などと畏れ多い人間ではないが、厄年を機に何らかの変化が起こっていた。

ある料亭から眺めた茶庭

 私も人並みに俗物ではあるが、静寂の中に妖精のような、他人には見えない自分だけに見えるそういう風景の中に、身を置くことが好きなのである。
 その中には、私個人の心理的な背景があるかも知れないし、風流好みの習性から、都会の喧騒の中に潜む愛憎や妬みや恨み、勝利者の快感や優越感などが渦巻く世界から、ほんの一時
(ひととき)でもいいから解放されたいのである。そういう心理に至って、あたかも山の中で小鳥の囀(さえず)りを聞き、小川のせせらぎに耳を傾けるような、そういう佇まいの中に身を置くことが、私の性(しょう)には合っているからであろう。
 それに季節ごとの旬が提供されれば言うことがない。それだけ、根っからの風流人なのである。
 これに敢
(あえ)て注釈を付け加える必要はないだろう。

 お運びのアルバイトと思える和服の女性が、にこやかな笑顔で「こちらへどうぞ」を手を差し出して、いつもの私の特等席に案内するのだった。何回か通ううちに、私はこの店の常連になっているようだった。
 そして、この店の持て成しは、丁寧
(ていねい)だが、決して非礼にならず、店主をはじめ、店のスタッフ一同は、気持ちのいい態度を執(と)って客を迎えることだった。ザービス過剰でないことである。

 それは常連と雖
(いえど)も、馴れ馴れし過ぎず、冷淡でもなく、適度に節度を保っていることだった。これは当節では、よほど珍しいことで、こうしたところがハイクラスの店のイメージを醸(かも)し出している。家族連れも居ないし、大声を張り上げるような騒がしいレベルの低い客も居なかった。
 「金さえ出せば……」ではないが、ハイソサエティーという言葉は何も金持ちの専売特許ではない。貧者でも風流人であれば、その資格は充分にあると思うのである。こういう店では風流が優先するだろう。

 しかし、奴もしたたかである。
 常に損得を天秤に懸けているようなところがあった。下手を打つと、揚げ足を取られて遣り込められる。油断がならない。
 得意な嗅覚で嗅ぎとった匂いは、この店が“金持ちの匂い”を漂わせていることだった。
 さっそくのことながら、奴の嗅覚はハイソサエティーを金持ちに重ね合わせていたようだ。
 店内には、どこにも若僧がいなかった。その手の騒がしい者はいなかった。そう言う気配は感じられなかった。
 昼過ぎの遅い時間と言うことで、特にそうだったのかも知れないが、がさついた騒がしさや、大声で辺りに迷惑をかける嬌声
(きょうせい)を張り上げる若僧の姿はなかった。それだけで地味な高級感が溢れていて、金持ちの“お忍び”の密談場所を思わせた。

 習志野では知る人が知る、金持ち連中が隠密でやってくる、そんな場所だったのである。
 つまり奴が嗅ぎ取った臭いは「金持ちの匂い」だったのである。
 ロック調の煩
(うるさ)い音や、絞り込んだBGMすらも流れていない。音と言う音は総て消えてしまって何もない。静まり返って静寂そのものである。それは金の臭いのする高級感であった。

 派手な「いらっしゃいませ」という、お運びの女性の黄色い嬌声すらも飛ばない。
 私の性分からして、あの手の事前に教育された、「喜んで……」のわざとらしい持て成しは好まない。それだけに慎み深くて、控えめで、そうかといって冷淡でなくシンプルでいい。単純そのものであった。ここには難しいシステムも特典も無い。それがまた実にいい。
 世間の社交辞令は一切ない。単直に言うなら、排他的で秘密主義だった。一見さんお断りが漂っていた。無差別に、知らない同志が気易く交わる場所は好まない。隙が出来るからである。
 不慮の事故や事件に巻き込まれないためには、警戒の意味からも、出来れば茶室の中のような密室がいいのである。警戒心であったろうか。
 無差別なところが、無差別な事故や事件に出くわすことが多いのである。したがって行楽地も好まないし、人が群がるところには決して行かないようにしている。世の大半は礼儀知らずの愚人であるからだ。そういう処に落し穴がある。

 そして此処で美食に箸をつつきながら、奴と少しばかり言葉を交わした。
 静寂の中に居ると、いま密談を交わしているような雰囲気になる。知られてはならない秘密事である。それだけに個室化された部屋は秘密が保てるのである。
 私は人間は変わるものだと言うことを話題にした。
 その譬
(たと)え話が、これであった。

 「ヤクザでも貫禄
(かんろく)がないと、手下(てか)は蹤(つ)いて来ないからなァ」
 唐突に切り出した。
 奴は思いもよらぬ切り出しに、何でそんなことをという貌をしていた。
 私の話が飛躍していると思ったのだろう。
 「いきなり何です?……」
 訳が分からずにいる。貌には《突然訳の分からない支離滅裂なことは謂わないで下さい》という苦情が貼り付いていた。
 「つまりだなァ、金看板と貫禄の話だ」
 「それが何か……」《益々分らん》という貌をした。
 「金看板と貫禄は表裏一体だということだ」
 「それで……」
 私が何が言いたいか分らないでいるらしい。
 「あのなァ。会社員でも、男気のある、貫禄のある社長を崇
(あが)めるものだ。運命共同体では、貫禄がリーダーシップの要(かなめ)になっているんだ。貫禄があって、はじめて人に与えることができる。つまり貫禄とは喰わせることだ。そういう口糊を満足させることがトップの必須条件だ」
 「では、貫禄がないと?……」
 相槌
(あいづち)を打つことからして、私が何が言いたいか、徐々に事情が分って来たらしい。
 「そっぽを向かれる。貫禄がなければ、人から奪われるだけだ。侮
(あなど)られもする。
 トップは喰わせることが出来てこそ、その資格を得る。だが俺は、今まで貫禄がなかった。
 そのために人に与えることができなかった。奪われてばかりだった。人に与えてこそ、喜びがあるのだ。与えて喜んでいるのを見ると、その喜びを見て、更に嬉しくなるのを知った」
 これまでを振り返ってのことであった。

 陳勝が呉広と結託して秦に叛乱を企て、兵を挙げたとき、陳勝は兵糧に行き詰まった。そのことがやがて大将としての資格を失う。
 大将は部下の将兵を喰わせてこそ大将の資格を得る。同じように喜びも与えなければならない。
 秦に背いて自立し、幾ら自らを楚王と自称しても、兵を喰わすことが出来なければ、主将はその座を失う。その結果、まず呉広が部下に殺され、相次いで陳勝も殺されることになる。背景には、部下の喰わせてもらえない怨みあった。それが恨み買った。
 そのことを、これまでの過去に重ねて話を切り出したのである。それが「金看板と貫禄」だった。

 「大変な進化ですね。爬虫類の突然変異だ。鳶
(とんび)が鷹(たか)になったみたいに……」
 進は、はしゃぐように言うのだった。
 「そうだろうか?……」
 「と、申しますと?」
 「なぜか、その自負が俺にはない……」
 「自負がないからこそ……、それを進化というのです。自然淘汰ですよ」
 「神によって、個々に創造されたものでないと言うやつか……」
 「ダーウィンの進化論です」
 「しかし、極めて単純な原始生物から進化してきたという生物学の体系付けには些
(いささ)か強引なところがある」
 「ダーウィン進化論は、生物進化の観念をそのまま社会ダーウィニズムに転嫁していますからねェ。進化論が今なお、持て囃
(はや)されるのは生物界における生存競争や適者生存の原理を、そのまま人間社会に適用することを目的にしましたからね。本当の目的は資本主義における社会ダーウィニズムだったのです。生物学への付随は社会応用編を支える方便です。そこを大多数の人は見逃しています」
 「お前も、読みが深いなァ」
 私の言葉を、彼はどう捉
(とら)えたのだろうか。少しばかり、人間が出来て来たとでも言いたいのだろうか。

 こうした話の合間に料理が運ばれてきた。次々に置かれてお運びの女性は「ごゆっくりどうぞ」と言って下がって行った。
 「いい店だろ」
 「説明無しですか」
 「だからいい。説明されてぺちゃくちゃ言われても煩いだけだ」
 「宗家も変わっていますね」
 「俺は無言の方が好きだ。そこにこだわりと、料理人の傲慢
(ごうまん)が消滅する。
 昨今は西洋風の真似ばかりして、何でも説明すれば高級に見えると、昨今の料理人は思い上がっているようだが、あれは自惚れである。客は料理人の自惚れ料理を喰わされることになる。素材が何であるか、客が感じることだ。それで客が旬の味を知る。最初から料理人が種明しをするのは如何なものか。
 昨今の料理番組の無粋
(ぶすい)な影響であろう。謙虚な人間は、ああ言う西洋風の傲慢なる、客を見下した説明はしないものだ」
 「そうでしょうか」
 「俺は控えめで、ほどほどが好きだ。出しゃばった押し付けがましい、ユダヤ教の唯一神ヤハウェのようなことはしたくないし、好きでない。自分勝手な好みだから気にするな」
 だが厭世観ではない。この世を捨てては居ない。

 「そのように聞かされれば、昨今の日本も、欧米流の商業主義のユダヤ教指向に汚染されたところがありますねェ」
 「昨今の持て成しも、接待もタダで遣るのではない。無料奉仕ではない。金があっても物種だ。
 近世の資本主義はウェーバーが言ったように名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が関与していたが、昨今のような金融が多大な支配威力を持つ近代資本主義ではユダヤ教の傾向がますます強くなっている。
 言わば金融を主体とする拝金主義は、金持ちのための金持ちの文化だ。
 こうしたことから少しばかり離れたい。俺はドン底に落ちて、この頃、清貧の良さと風流の意味が少しばかり解り始めた」
 奴は神妙に聞いていた。

 人は変わる。
 確かにそうだ。それが世の中の常だ。
 時も、刻々と変化する。
 しかし、その変わりようが進化であるのか?……、あるいは退化であるのか?……、それは自分自身では観測できない。自分には関わりないからである。
 人が変わるには、これまでの固定観念を打ち崩し、信条を新しいものに塗り替えなければならない。それが出来てこそ、新たなものが生まれる。それが新生の条件だ。
 しかし、それが進化なのか退化なのかは、本人の知るところでない。大なり小なり、人生は人間的な修養を積まねば変わりようがないということだ。
 そして、相手に「徒者
(ただもの)ではない」と思わせることが出来たら、それは進化したといえよう。深い学あると悟らせることが出来れば、一目置かれて徒者のではないとなる。それではじめて金看板と貫禄が生きて来る。
 底の深い、“徒者はない”そんな懐
(ふつころ)の深さが、人を惹(ひ)き付けるのであろう。
 人の魅力はここにある。人が魅
(み)せられて、敵が、味方になるのは、この一点に懸かる。

 こうして一先ず、社交辞令のような話が出尽くすと、当然そこからは春期講習の話に戻り、話題は高三女子の上原小夜子のことになってくる。
 「あの上原という女子高生、一体どんな家庭の娘なんだ?」
 「上原ですか。あいつ、中々手が焼けるでしょ」野郎は嬉しそうに言う。
 「ああ」
 「家は、母親が調剤薬局をしている薬剤師なんです。しかし家は複雑ですからねェ。つまり裕福な母子家庭なんです。詳しくは知りませんが、父親と言うのは、どこかの大手病院の内科部長か何かをしていて、かなりの実力者らしいそうですが、その反面、このタイプの人間は精力も旺盛で女癖が悪く、それで数年か前、離婚をしたそうですよ……」
 「それで上原は、あのようにひねくれてしまったのか?」
 「一概にそうとは言えませんが、それも充分に考えられます。とにかく家庭内が複雑なんです」
 「困ったもんだなァ」
 「そうです、困り者です。私も頭を痛めています」
 「それで、俺に“お鉢”が回ってきたと言うことか?……」
 「滅相もない……」
 「あいつの顔をよく見ると、中々可愛い顔をしているじゃないか。実に愛くるしい。きっと二、三年もすればとびっきりの美人になる」
 「ええ、そうです。母親も大した美人ですからね」
 「それなのにオヤジは他に女を作った……ということか?……。そこで母親の性格を変貌させ、娘はそれを懸念してひねくれたということか?……」
 「人様の家庭のことは、よく分かりませんが、どんなに裕福でも、どんなに経済状況が恵まれていても、その実、中はいろいろな複雑な悩みを抱えているのが人間です。傍目
(はため)には、一見幸せそうに見えても、内情は見掛とは違いますからね。
 受験商売の“塾”というものを遣っていると、いろいろな、普通のサラリーマンをしている人より、多くの人種を見てしまいます。人間界には普通では想像もできない種属がいますからね」
 「同感だ」
 「また、明日から上原の子守りが始まりますねェ」
 奴の「子守り」という言葉に引っ掛かったのである。厭なものが貼り付いた。
 そのうえ、これから先の憂鬱
(ゆううつ)の種になり、頭が痛くなることを思い出した。
 上原小夜子のような人間は好きでないし、遣り込められる恐怖は側面に貼り付いているし、その調教法も知らないのである。

 「ああ、それを考えると憂鬱になるよ」
 「駄目ですよ、誘導尋問に引っ掛かっちゃァ」
 「この世の中で、然
(しか)も奇遇にも上原小夜子に出会ったというのは、宗家の乗り越えなければならない、一つの試煉(しれん)ですよ」
 私はこの言葉を聴いて「何を抜かす……」といいたかった。
 「宗家いいですか、負かされないように、しっかりとこの試煉を乗り越えて下さい」と、しかし実に嬉しそうに言うのである。だが全くの他人事であった。
 「俺は確かに化け狸だが、お前も大した狐だよ」
 「狐だなんて厭
(いや)な言い方ですね」
 「いや、お前は何処か、虎の威を借る狐を髣髴とさせるところがある」
 「ますます厭ですね。今度の春期講習を仕切っているのは、私じゃなくて宗家だ。宗家がご自身で解決する問題です」
 それは、“私に全て責任あり”という言い方だった。
 この狐野郎、自らは一歩身を引いて、高みの見物と洒落込み、責任は私の方に“振った”のである。何と言う奴だ。その意味では中々の知恵者だった。あるいはそれで春期講習を、私に丸投げしたのかも知れなかった。
 まさに虎の威を借る狐だった。

 「今頃、上原は講師泣かせの、凡夫には歯が立たない、とびっきりの策を考えていることだろうなァ……」と、ぽつりと溜め息が漏れた。
 彼女は県立船橋で、学年では5番以内という。そもそも塾に来て学ぶことなどないのである。なぜ毎日遣って来て、講師を困らせるのか?……。
 私にとっては難解な謎であった。

 「第一志望は?」
 「東大理科だそうです。何類かは知りませんが……」
 「前例があるのか?」
 「県立船橋から東大にですか?」
 「いや、お前の塾から東大理科の合格者が出たという前例だよ……」
 「ありませんよ。そんな凄い奴は大手予備校に攫
(さら)われて、今ごろ看板生になっていますよ。全特待のタダの受講生に納まっています」
 「俺は千葉県の学区別分布がよく分からん。北九州だったから福岡県内の進路指導としてのチューター
(志望校別の個人指導講師)の経験はあるが、関東では皆目見当が付かん。
 第一、有名私立や県立高上位の進路分布がよく分からん。入試形式も共通一次から、共通テストに変わってしまったからな」
 「それは、徐々に教えますよ」
 「まあ、しかし厄介だ」

 「上原がですか?……」
 「ああ。頭がいいだけに、上原は大人をバカにしているのだろう」
 「そういうところが見受けられますねェ」
 「明日も質問攻めの十字砲火だろうな。こんな時、個別指導の元祖・佐々木のオヤジは、どう躱
(かわ)すのだろうか?……」
 「佐々木さんは……、あの人は天才ですからねェ。私たちの知らないスーパー・テクニックを使って軽く去
(いな)すでしょう」
 「どんな?……」
 「それは私たちのような凡夫には計り知ることが出来ません。何しろ佐々木さんは、東大医学部麻酔科医の出身ですからね。あの手の超人が何を考えているか、皆目見当が付きません。宗家も、その辺は自分で、自力で解決策を見つけて下さい」
 それは語尾に《あとはお任せします》と続くような言葉だった。
 「嫌な課題だな、出来れば避けて通りたい」
 「贅沢言っては駄目です」
 「しかしなァ、押しの一手の天邪鬼
(あま‐の‐じゃく)の上原も弱点というか、泣き処はあるだろう?」
 「そりゃそうですが……、彼女も人間ですからね」
 「だったら、苦手とする弱点と言うか、天敵というか、そんなものもいるだろう」
 「?…………」
 この男のことだから《天敵は宗家ですよ》と言うかも知れない。

 「ひとつ天敵の策でもひねりだして、妖怪の上原を退治でもしてみるか……」
 「まさか、腕ずくで“手込め”にでもするのじゃないでしょうね?……」
 「お前はどうして、俺が手込めにすることばかり考えるのだ?」
 「宗家は、人間を見る前に、女を見てしまいますからねェ、そこが曲者
(くせもの)なんです」
 「女は、今の家内で沢山だよ」
 もう懲
(こ)懲(ご)りという気持ちを吐露(とろ)していた。
 「ところで、宗家ご自慢の、別宅の進学校に行っていた息子さん、今年、大学受験だったでしょ。どうなりました?」
 嫌なことを訊
(き)くと思った。すっかり忘れていることだった。
 突如憂鬱が襲った。野郎は見事に思い出させてくれたのである。触って欲しくない古疵
(ふるきず)に触られるような感じであった。

 おそらく“かの家”では、このバカ息子を前に、互いに角を付き合わせそれぞれが頭を痛め、養父母を巻き込んで、激烈な家族会議をしていることだろう。
 特に威厳のある養父の、怒り心頭した貌が、今にでも目の前に浮かび上がってくるようだった。重苦しい家族会議が開かれているに違いない。ますます私は肩身が狭い思いをするのだった。
 しかし私が幸運だったのは、その家族会議の席に居ないことであった。
 この悲劇を、わが眼で見る悲劇だけは避けられたのが、せめてもの幸せであった。
 「すべったよ」
 「やはり国公立の壁は厚かったですか?」
 「国公立も有名私立も、全部、全滅!」
 「今年は浪人ですか?」
 「ああ……」重苦しいため息が漏れた。
 「では来年は私立ですか?」と、見透かしたようなことを言った。言って欲しくない発言だった。
 「うむッ……」
 「あの種の学部は、私立ではけっこう金がかかりますからねェ。宗家も、まだまだ辛いものを抱えていますねェ」と、まったく他人ごとのように言うのである。
 《私立となると、いったい入学金は……、寄付金や学校債の最小口数は……》などと、そんな胸算用をする私であった。そして、ふと“恐れるものは皆来る?……か”と、まだ見ぬ未来を、恨
(うら)めしく苦笑しつつ、近付きつつある不吉な近未来を遠望するのだった。

 「庭の桜も、やっと綻
(ほころ)びはじめたなァ……」
 私は庭先の桜に見入っていた。
 「北九州では、もう葉桜でしょう?」
 「いや、そこまではなるまい。習志野とほぼ同じくらいだ。緯度も、ほぼ同じくらいだから」
 「鱒淵ダムの桜並木、今頃きれいでしょうね」
 「そうだろうなァ……」
 「思い出しますね、去年の夏合宿を……」
 「昨年の夏合宿は、倒産前だった」
 「こうして酒を飲んでいると、あれから半年以上経ったとは思えないくらいですねェ……」
 彼は感慨深そうに言うのだった。
 あの時は、習志野から多く道場生が参加していた。北九州からも多かった。かなりの人数が集まっていた。その中に私の息子もいた。勿論、進が揶揄
(やゆ)するのは“この息子”ことだ。
 今頃、彼は何を考え、何に向かって、どのような「人生の計」を立てているのだろうか。
 世襲的な利権を背負うこの家系というのは、実に困り者だった。息子の職業選択の自由を奪い、押し付けがましいところがあるからだ。医家と言うのはそういう家らしい。

 もう、あの夏から半年も過ぎたのか……とつくづく思うのだった。
 思えば早いものだ。目まぐるしい半年間だった。有り難い地獄修行をいろいろ遣らされた。
 振り返れば、よくもここま、死なずに此処まで来たと思うのである。
 「なぜ、俺たちは、こうなったのだろうか?」

 「私もつくづく思いますよ、そのことを。そして何の因果で、こんな塾商売しているのかとね。
 私は、宗家の道場に入門したとき、小倉の朝日新聞九州支社に勤めていた。ところが、あれから20年経ったら千葉に居た。これ、悪夢ですよ。私の不幸があるなら、これに始まっています。
 あの時、宗家の口車に載せられたばかりに、千葉くんだりまで来てしまった。気付いたら、いつの間にか塾のオッサンになっていた。あのまま朝日新聞に残っていたら、今頃、支局長くらいにはなっていたかも知れません」
 「お前、俺に騙されたと思っているか?……、俺を恨んでいるか?」矢継ぎ早に訊いてみた。
 「難しい質問ですね、しかし恨んでいないと言ったらウソになりますがね……」

 「俺は騙
(だま)したなどとは微塵(みじん)も思っていないぞ」
 「それを言えるから、宗家は大した悪党ですよ」
 「俺を恨むのはお門違いだ。
 千葉に来たのは、縁があってのことだった。奇
(く)しき縁というやつだ。俺の所為(せい)ではない。
 俺も“宗家”などという横行で厳めしい役職を名乗っているが、それはお前が勝手に用意してくれた御神輿用の“お飾りポスト”だ。本来、俺には無縁のことだった。
 ところが、お前が勝手の絵を描いて、それを俺に遣らしていた。これは負け戦
(いくさ)を強いられたようなものだ」
 「では、本格的に負け戦でもはじめますか?」
 「それも、いいだろう」
 果たしてこの男は、一緒に戦ってくれるものだろうか。

 「この戦、戦っても最初から勝ち目はありませんよ」
 「承知の上だ」
 「負け戦ですよ。最後は敗北して、この世から消えるのですよ。抹殺されるのですよ」
 「俺は勝ち目のない戦いをすることが、それほど嫌いではない。最初から達成できないと分かっていることに賭
(か)けるのも好きである」
 「どうして負け戦が好きなのですか?」
 興味津々の質問を投げた。
 私は答えずに、執拗に食い下がる進に苦笑しただけだった。

 「上原の話が、変な方向に流れましたねェ」
 この一言が、かつての回想から、深刻な現実へと引き戻した。
 「上原か……」その憂鬱
(ゆううつ)を思い知らされたのだった。
 「どうします?」
 「お前に預ける、といったら、どうする?」
 「いりませんよ」
 「しかし彼女は器量よしだ。なかなか別嬪
(べっぴん)だぞ」
 「器量よしで別嬪
(べっぴん)は、宗家のお得意ではありませんか。妖怪退治は宗家にお任せしますよ」
 これ以上、上原のことで押し問答しても、問題は解決するまい。引き受けるしかなかった。
 これを一つの試煉と思った。私が解決するしかなかった。

 しかし思えば、高が娘の十七、八の小娘である。それに怖じ気づいていた。だらしの無いことである。
 だが思い上がっているだけに、残酷な年齢でもある。それに本人も、周囲の大人もあまり気付かず、ただその年齢を“可愛い”と持て囃
(はや)すばかりで、本当の実体を誰もが見逃しているのである。
 では、何を見逃しているのか。
 そう自問しても回答を出せる訳ではない。ただ見逃している何かが存在することは明らかだった。
 しかし諦めるのは未だ早い。智慧を絞ろう。
 一方で運命の手は着々と動いていた。だが、出遭って、向かい合って果たして行くしかない。それを果たして切り抜けて行くだけである。

 かつて武将は戦場に赴く前、茶を点
(た)て、それを干して戦場に向かったと言う。自分の命を捨てる覚悟で茶を点てる。覚悟は一期(いちご)の、たった一回限りのことである。
 一期とは、自分が生まれてから死ぬまでの生涯を指す。
 生涯に一回限りのことを賭けてみるのも面白い。
 これこそ風流人の極みであった。
 「ところで、訊きたいことがあるのだが、この辺で瓢箪を育てている人を知らないか」
 「瓢箪ですか、知りませんね。どうしてです?」
 「何日か前、公園で仙人のような爺さまに遭った。その爺さまが、実に見事な瓢箪と朱塗りの盃を持っていた。ここら辺に瓢箪を植えて育て、収穫した瓢箪を磨いている爺さま知らないかと思ってなァ」
 「知りませんねェ」
 「そうか、残念……」
 では、と……。
 さて、ここらで妖怪退治でもしてみるか……。



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