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壺中天・瓢箪仙人 17

ある参謀会議。
 陣を払うべきか、進むべきか、退くべきか?……。
 参謀どもが角を付き合わせるように作戦会議をしていた。
 「進むがよいか、退くがよいか」
 中国宋代の賢臣に張詠
(ちょう‐えい)なる人物がいた。

 賢臣張詠はいう。
 「官吏を登用するに退くことを知る人物が好ましい。退くことの出来る人物は恥を知って至誠の人であり、登用しても自らの任務を穢
(けが)さない。だが、採用してはならぬ人物は手柄を求めて狂奔する人間である。こういう人間を一度用いると、必ず才を誇り、才に奢り、利を好み、同僚や国家に弊害を為すだろう」と。

 元来、進むとか退くとかは、形の問題でなく、心の問題なのである。勇気の問題である。手柄を立てて栄達したしたいと、己が野心を燃やす者は、謙虚を旨とせず功を焦る人間である。他に譲る気持ちの無い者は殆
(あや)うし。己一人の善に狂奔するからである。


●老大人

 私の脳裡(のうり)には手品のような術を体験したことが克明に記録された。楔のように打ち込まれた。あるいは真物(ほんもの)の仙術を見たのだろうか。
 しかし、見たものが仙術であるかどうか、確信がない。そのように観じただけであった。
 仙術なら、私如きでは二度と再現は出来まい。
 これと同じことを、何時間後か何日後かに遣って出来るのか。先ずない。
 僅かな直径の盃の中に一枚の花弁を浮かべることが出来るのか、そればかりは疑問だった。もう二度と出来る訳はないだろう。
 世の風流は、一回限りで過ぎ去って行く。もう二度と巡ってこない。一期一会のことだった。
 絶対に起こらないとは言えないが、どう考えても「二階から目薬」の確率ある。実に不思議でならなかった。

 だが二階から目薬は、目薬を差す側が、下で眼を開けてじっと上を向いている患者に対し、微妙な位置修正と調節を執
(と)らなければならない。風力計算も必要になる。
 これと同じで、僅か8cm程度の直径の盃の中に、桜の花弁一枚を天から注いで浮かべようにすれば、浮かべる側、つまり天がある意図を以てする以外ない。
 その意図は、桜の花弁を任意の投下位置に定め、そよ風とともにひらひらと落し、それを浮かべる、桜の樹自体に動物のような意識があって、それを遂行するということに懸かる。
 だが、そういうことはない。絶対にあり得ることではない。桜の樹にそう言う意志はない。自然のままである。
 ゆえにあの現象は自然の摂理に従ったとは思えなかった。
 再び現象を反芻
(はんすう)した。他に未(ま)だあるか……。

 あと一つは、老人が花弁が何処に落ちるか知っていて、その位置から微動だにせず、待っていてそれが見事に浮んだとしか考えられないのだが、果たしてそんなことはあり得るのか。
 落ちて来る経路が自身で感得出来たのか。
 何秒か何十秒か前に、事前に降って来る経路が見えていなければならない。
 この話なら聴いたことがある。
 もし、考えられることは自分で落ちて来るその行動線の経路が事前に見えていたということになる。もしかすると、そういう経路を霊視していたのではないか?……などと考えたのである。そうだとすると、これは人智を超えた仙術の類
(たぐい)だろう。
 あるいは巧妙なマジックか?……。すると老人は凄腕の手品師か?……。
 疑問は次々に生まれた。

 老人が同じことを遣るのならともかく、術を知らない素人風情の私が、同じことをしてみるのだから、これが不思議でない筈がない。もう同じことは出来ないだろう。
 もし出来るとしたら、傍
(そば)にあの老人がいて、二階から目薬的なことに介入してくれなければ無理だろう。恐らく、同じ結果は出せないだろう。
 実に奇妙な現象だと思った。果たしてこの爺さまは本当に仙人なのか。そうだとすると凄い人だと言うことになる。大した老人である。老大人
(ろうたいじん)で言ってもよい。

 最近は、若者にとって年寄りは存在感を失った。存在している価値を感じさせない老人が殖
(ふ)えた。世に必要とされる老人など、最近はとんと聴いたことがない。
 現代は“年寄り不必要”な粗大ゴミ時代である。殆ど老害視される。国庫の金喰い虫として嫌われる。少人数で多数の老人の年金を抱えなければならないからである。それに老人に限っては得点も多い。昔なら疾っくにいい筈の九十歳、八十歳のジジババが生きているかである。しかし生きていても、社会の役には殆ど立たないし、また長寿が自慢でも活躍の場がないからである。

 もし年寄りが必要とされることがあるなら、孫の子守りか留守番だろう。もう人間としての利用価値は終わり、単に臨時の便利屋の類
(たぐい)に成り下がった。
 かつては頑固爺さんも、意地悪婆さんも信頼と尊敬が持てる人なら、若者は一目置いたものである。まだ世の中が、その存在を必要とした。
 また老人達は必要とされるだけの権威も兼ね備えていた。
 更に、人生の先輩として、また風雪に耐えて来た経験者としての“いざ”出陣という場面には、年寄りの智慧が起用されていたようである。若者もこういう長老然とした年寄りからが道を学んだ。

 だが今は違う。
 権威を失い、世に老害を撒き散らす不要物に成り果てた。弱者に成り果てた。
 そこで現代は、老人を年寄りと言わずに、“お年寄り”という。
 わざわざ「お」を付けてもらい。わざとらしい心遣いを現代のジジババどもは、何とも恥辱とも感じていない。そのうえに最近の年寄りどもは不平や不満が多い。
 自分の過去を回想して、昔は「こうしてやった」とか「ああしてもやった」とか恩着せがましい話をする。そのくせ「今の若者は……」と悪態を突き、「無しもしてくれない」と不満を洩らす。これでは、人望を失うのは当然であろう。
 昨今は昔と異なり、「長老」と言う権威のある老人が、この世から消え失せ、老人の全部が全部、「お年寄り」などと呼ばれて屈辱も感じず、安心してジジババ呼ばわりされている。
 そして恥辱の意味も分らなくなっている。

 またこうした社会現象が、「配慮」という何とも理解し難い、要
(い)らぬお世話で、老人を甘やかし軟弱にしている。そして配慮は、若者との間に確執をつくり、わざとらしい隙間風を作ってしまったのである。
 老人は、昔に比べて自然さを失い、老人は老人で、自らを畸形
(きけい)に変質させている。それが昨今のジジババどもの「若作りへの奔走」である。

 こうした年齢詐称の捏造
(ねつぞう)する年寄りから、智慧を貸してもらおうなどと、今日の若者は全く考えていない。既に得るものを失っている。
 最近の若者は老人の耳を傾けない。
 また年寄りどもが商戦戦略で“若返り産業”の煽りを受けて踊らされている捏造の実体を、多くの若者達は知っているからである。弱年の目といえど、そういう偽造が見破られない筈がない。
 如何に上手く化け、自身の表皮を飾ったとしても、結局老害の一言で一蹴されるのがオチである。

 また老人側から検
(み)たとして、信頼や信用を若者に与えるなどの老人は殆ど居なくなってしまった。ジージもバーバも便利屋レベルにしか看做(みな)されず、それ以外は老害の粗大ゴミと化してしまった。
 だが、この頃の年寄りは持すんを中々老人とは認めがらない。まだ青年のように若いと思い込んでいる。困った傾向と言うか、哀れな傾向である。かつてのように頑固ぶりを振り回さず、意地悪ぶりを行使しないことが、いつまでも若い人間だと思い込み、「若い」の一言に執念を燃やしているようだ。
 だが栄枯盛衰の法則は、何びとも逃れることが出来ない。

 いつまでも「若い」と周囲から呼称されたいのは、人情なれど、若いことと、若い振りをしているのは自ずから異なるのである。この違いが分らぬジジババが多いのは何とも哀れである。
 いつまでも若いと思い込んだまま、ある日突然、老朽の廃品回収物としての回収され捨てられる運命が待っているだろう。
 果たして幸せな末路だろうか。

 だが私が桜の樹の下で見た老人は、他者から「そんなお年とは見えませんねェ、実にお若い」などといえば激怒して、言った者を不動の術を掛け動けぬようにしてしまうかも知れない。
 この老人は、自然の摂理に逆行することこそ、自らの習得した技が無駄な物の一言で一蹴されてしまうことを知っていたかもしれない。
 秘密を心得た人であった。秘密は明かさないようだ。
 私の眼にはそのように映ったのである。

 酒を嗜
(たしな)んだ後、老人は袖下から矢立やだて/壺に筆を入れる筒の付いたもので、帯に差し込みなどして携帯する。江戸時代に使われた)を取り出し、細い管の筒から筆を抜きとって画帳と思(おぼ)しきものに何かを描き出した。それは文字かも知れないし、絵かも知れなかった。

矢立。先端部の蓋(うた)を開けると墨壺になっている。また管(かん)の筒には筆が入るようになっている。かつてはこれを腰の帯に差して携帯した。

 何を描いているのか分らなかったが、その早さは恐ろしいもので、手つきは画家のそれを思わせた。あるいは画家そのものであるかも知れない。
 私はこの老人を「不思議な爺さまだ」と思いながら、その仕種
(しぐさ)を検(み)て、いつまでも仙界の仙人と重ね合わせていた。

 これは勝手な想像である。私が独断で夢想したことである。

 あるとき、ある処に不思議な老人が棲(す)んでいた。その老人は一人暮らしであった。
 老人には妻もなく、子もなく、身寄りもなく、友人すら誰一人としていなかった。
 長い間、一人暮らしで、独りぼっちも別段気にするふうでもなかった。一人で町外れの草深い荒屋
(あばらや)然の庵(いおり)に居(きょ)を構え、かの原憲(げんけん)のように清貧なる生活を送っていた。
 この生活を、老人は恥だとは一度も思ったことがなかった。それでいて態度は毅然
(きぜん)とし、老いても背筋を伸ばし、胸を張り矍鑠(かくしゃく)としていた。

 桜の咲く季節が遣って来ると、毎日こうして同じ時刻に公園に出掛け、午後の陽射しの中で景色のいいベンチに坐って、桜を見ながら風流と楽しむのである。
 その楽しみ方は、一種独特の楽しみ方で、ご自慢の瓢箪に毎回酒を入れて持参する。
 瓢箪から、見事な朱色の盃に酒をなみなみと零し、その盃の中に桜の花弁を一枚浮かべて呑み干すのである。風流を楽しみながら同じことを何度も遣って見せる。……恐らくそうであろう。

 これが老人のこの季節の唯一の楽しみであり、ひと時の春の風流を味わうのである。
 この秘め事は毎年の恒例行事であり、桜が終わる頃まで続けるられるのである。その期間は大方一週間から十日前後であろうか。
 晴れた日には、毎日規則正しく一定の時間に、同じ道を徒歩で通って来て、そういう生活を、もう何年も繰り返している。
 日々の瓢箪磨きの作業は、この時にあると言ってもよかった。瓢箪を磨いてこの日に備える。そうだとすると総てに辻褄
(つじつま)が合って来る。
 そう考えると、もう一つ合点のすることがあった。

 老人が顕われたとき、妙なことを言ったの思い出した。
 それは「今日は何と、先客が居
(お)りましたか……」の一言である。何を意味しているのだろうか。おそらく、この季節特有の場であろう。磁場と言い換えてもよい。そこでなければならなかった。風流を楽しむ場である。この場には、去年も一昨年も誰もいなかった。あるいは更にその前の年もいなかったかも知れない。
 ところが今年はいた。
 今年はこの場に私たち夫婦が坐っていたからである。これを意外と検
(み)たのだろう。
 あるいは、私ら夫婦が坐った場所が、酒盃に花弁を受ける最良の場所と言う意味であったのだろうか。
 そういう思いが尽きなかった。

 公園に住む周辺の人々は、その老人を仙界の仙人でも見るような眼で見ていた。現代の世に仙界の住人を髣髴とさせたからである。そのうえ風流人であった。瓢箪といい、盃といい……。
 果たしてこの世のものか?……。

 老人の若い頃は、どうであったろうか。
 人と同じように、恋をして愛することもあったであろう。家庭を築こうとしたかも知れない。事実そう言う人生を歩いて来て、妻が居り、子供がいたかも知れない。しかし今は一人である。独りぼっちである。

 かつてのこの老人を知る町の高齢者は、老人のそうした古い記憶を脳裡に残している。彼の青年時代を何人かが知っていた。
 老人は青年時代、はじめて愛した女性との恋は実らず、度々女偏歴を繰り返した後、結婚をし、離婚をし、それを繰り返して、やっと最愛の妻を求めることが出来たが、残念なことに早々と妻には先立たれた。今は独りぼっちである。子供もいたが、音信不通である。孤独を余儀なくされた。

 では、職業は何だったか。
 老人は画家であった。しかしこの画家は絵を売らない画家であった。絵を売って生計を立てているのではなかった。
 世の多くは、この老人の絵を認めなかった。画壇すら老人の画家としての才能を見下して鼻にも掛けていなかった。だが逆に、老人は画壇を認めていなかった。俗とは次元が違うと確信していた。絵を売らない理由はこれであった。

 老人を知る往年の人たちは、彼の頼りな気な痩
(や)せたその後ろ姿に哀れみを感じ、可哀想と思い、また人生に恵まれなかった人間としての標本のように思い、今はすっかり人生を諦め切った孤独な老人を、誰もが気の毒と思うようになっていた……。
 しかし、そのように思われたとしても老人は気に掛ける様子もないし、哀れみを請う気持ちも微塵も抱いていなかった。
 淡々と飄々を慎ましく清貧なる生き方をしていた。
 そして、万物は総て無に帰ることを知っていた。今はその準備の時と捉えているようだった。

 このストーリーは私の独断である。そういうストーリーを、この老人に重ね合わせていた。
 果たしてこれは、私自身の老後を見ているのか?……。

 私の何十年か先の未来……。何となく符合するのである。
 あるいは私の老後は、これと似たものであろうか……。
 私の夢想した物語は、実は自身の老後を反芻
(はんすう)していたのか……。
 そういう錯覚が交叉
(こうさ)するのであった。奇妙な静かな体験であった。
 まさに孔子の世界とは異なる、老荘的な世界への夢想を抱いたようである。
 このように思わせるこれ自体が、既に老人の遣った仙術のようなものであったのか。その反芻は尽きなかった。

 それから一時間ほどが経過したであろうか。
 さて、そろそろ塾に戻るか……。そう思ったとき、老人も立ち上がっていた。今日は店終いであろう。
 この御仁も何処かに引き揚げるらしい。住所が分れば訪ねたいが……。
 「どちらにお住いですか」
 勇気をもって訊いてみた。もう一度あってみたかったからである。
 「そのうち、またお会い出来るでしょう……」
 体
(てい)よく断られた。このように切り出したのは間違いだったのだろうか。
 また、一期一会の一回限りの、風流を知る同輩
(どうはい)と思っていた私に失望したのだろうか。
 おそらく断られた原因は、これであったのかも知れない。野暮なことは聴くなだったかも知れないし、無粋なことは聴くなだったかも知れない。
 これだけで私のお株は下がったのだろう。

 これはあたかも、『老荘』に出て来る「堯
(ぎょう)、華(か)に觀(あそ)ぶ」の箇所で、「封人(ほうじん)(いわ)く、始め我汝(なんじ)を以て聖人と為(な)せり。今然(しかし)し。君子なり」の一節である。堯とは中国古代史の冒頭の『十八史略』に出て来る堯帝のことである。伝説上の聖王で、後世でも舜と並んで明君として知られる。中国の理想的帝王とされている。

 さて、関守が聖王・堯に一発喰らわして、切り返す場面である。
 関守は、華に觀んだ堯を最初みたとき、聖人とばかり思っていた。ところが今は違う。違ったのである。
 「あなたは聖人でなく君子のレベルだったのですね」と、これまでの思い込みを改めるところである。
 老荘思想は老子と荘子の考え方に起因する。
 老荘思想で言う「君子のレベル」は、君子以上の何者でもなく「それ止まり」の次元の人を指す。もう、君子で胡座をかいてしまった人である。

 老荘の見方は、内面に思い込んだ君子と言う次元を「それ止まりの人」と採
(と)る。それ以上の向上が見られない人である。
 自分の裡側
(うちがわ)だけで思い込みを堅固にし、殻(から)に閉じ籠(こも)って外に出られなくなった人のことであり、それどまり価値観しか持たない学者を老荘思想では「君子」と定義している。老荘の世界観は君子を「それ止まりの人」と定義している。
 特に儒学者の多くは「それ止まりの人」だと言うのである。

 事実かどうかは知らないが、伝説によれば老子は孔子の先輩だと言う。
 先輩の老子と後輩の孔子が問答する場面がある。これは問答と言うより、孔子が「礼」について老子に問うたのだろう。
 すると老子はこう答えた。
 「本当に実力のある商人は、いい品物は奥に仕舞い込んで店先には並べないものだよ。したがって一瞥すれば、何もいい物が並んでいないように思える。愚者の目にはそう映る。これと同様に、聖人君子という人物になると、益々徳を積めば積むほど学徳が高まり、派手な光り輝く物を表面に顕さないから、奥床しさがある。その奥床しさは愚者から検
(み)れば愚に見える。
 孔子くんよ、こういうのを真物の徳と言うのだよ。お前さんも、そういう事が解らねばならない。まずだなあ、驕気
(きょうき)という自惚れを取り除き、仁者を装う多欲と態色(たいしょく)というスタンドプレー、更には淫志(いんし)という度が過ぎるこういのこの四つのことを取り除くが宜しかろう」と厳しい忠告を与えたと言う。
 これを聞いて、孔子は面白い訳がない。孔子先生は非常にむかついた。ぐらぐらした。
 だが、これで終わったのではない。孔子の悟りがあった。虚心に還ることに思い当たったのである。

 これが老子と孔子の邂逅の場面の冒頭に登場し、『十八史略』にこれが記されている。
 かの有名な「孔子、焉
(ここ)に問う。老子、之に告げて曰(いわ)く『良賈(りょうか)は深く蔵(おさ)めて、虚なるが若(ごと)く、君子は盛徳ありて、容貌、愚なるが若し。子の驕気と多欲と態色と淫志とを去れ。是れ皆、子の身に益なし』と。孔子去りて弟子(ていし)に謂(い)いて曰く『鳥が吾(われ)、其の能(よ)く飛ぶを知る。魚は吾、其の能く游(およ)ぐを知る。獣(けもの)は吾、其の能く走るを知る。走る者は以て網(あみ)を為(な)すべく、游ぐ者は綸(りん)を為すべく、飛ぶ者は以てソウを為すべし。竜に至りては、吾は知ること能(あた)わず、其れ風雲に乗じて天に上(のぼ)らむ。今、老子を見るに、其れ猶(なお)、竜の若きか』と」である。

 孔子は遂に老子を竜に喩えた。そして孔子は老子を端倪
(たんげい)すべき人物と捉えた。心から感服し、「端倪すべからざる持主」と検(み)た。老子の「四癖(よんへき)」を取り去る忠告に対して孔子は拒絶反応をしなかったのである。また、孔子の偉さのお株が上がった。
 若き日の孔子は才気煥発
(さいき‐かんぱつ)であったのだろう。才気が弾けて、かなり癖のある人物だったのだろう。この時代の若き孔子を嫌う老荘思想の信奉者は多い。孔子の才気煥発を徹底的に憎み、『論語』を軽蔑する人は決して少なくないようだ。

 しかし、これも言わば老子の信奉する余り、自ら「四癖」の愚を犯していることになる。
 人は変わるものなのである。物事は一方的に思い込んだり固定観念を抱いてはならない。
 また「人が変わる」変化の中で、時代とともに向上しているという実情を見逃してはなるまい。修養を積み重ねるに従い、人生では上達の足跡を残して行くものである。決して一ヵ所に留まってはいない。上へ上へと上って行くのである。野に臥した臥竜
(がりょう)も、やがては天に駆け上がって行く。

 一つの価値観にこだわれば当然、それ止まりである。その先の進展がない。
 老荘思想では孔門学者を止まった「それ止まり」と見るのである。『論語』の世界の批判である。
 『論語』では、君子は徳を修めた人となっている。それはまた、自分の価値観で凝り固まった人と言うことになる。頑
(かたくな)に拘泥(こうでい)する人を君子と見ているようだ。
 それがまた“こだわり人”なのである。
 こだわりから抜け出せない人なのである。頑迷に拘泥して、そこで迷い、迷宮に迷い込む。二重の悲劇である。そして、“こだわりの人”が徳を備えた人とは看做していない。意識した徳で、陰徳の人ではないと検
(み)ている。自分の徳を隠さないで、逆に見せ付けているというのである。

 確かに『論語』では、「仁」をもって徳を身に付け、制約・制限事項が多い。
 倫理中心で、あれをしてはいけない、これをしてはいけないの基準が確立されていて、かの斉の宰相・晏嬰
(あんえいが)が君主の景公に上申したときの「孔子の学は非常に堅苦しいものでございます」の言に一致するのである。したがって『論語』では厳守事項を堅く守って実践している人こそ「君子」ということになる。
 だが老荘思想では、人為で定めた善悪がない。
 遣っては行けない価値観もないし、遣ってもいい価値観も存在しない。決まりがないことこそ、正しいと考えるのである。固定観念に囚われていないのである。自由性を持たせているのである。堅苦しく、不自由なものは必ず何処かで行き詰まってしまうからだ。しかし、固定観念にこだわらないことばかりに注視してしまうと、またそれ自体がこだわりのなって、今度は老子信奉者的なこだわりが生じて来る。
 愚であろう。

 故に、関守は堯に向かって、聖人になるには、君子のレベルを解脱
(げだつ)する必要があることを促したのである。しかし、これを誇り過ぎてはいけない。信奉者的なる愚に嵌まるからである。
 世の中は万事適当と言うわけにはいかない。決まりも必要である。
 したがってこれを厳守するために君子として学ぶ。此処までは打倒である。だが君子の境地を得たからと言って、それに胡座をかいては行けない。そうなると、それ止まりなのである。
 一番大事なのは固定観念や思い込みの「妄執の穴」に閉じ籠らないことであろう。その危険を指摘したのである。
 それが関守の堯に向かっての「あなたは君子止まりの人ですね」と一発喰らわした上で、「聖人と思っていたのは私の勘違いでした」と、その上下の格差のあることを指摘したのである。
 堯にとっては屈辱的であっただろう。

 私もこのとき同じような気持ちになったことを覚えている。
 ある程度修行が出来たと思い込んでいたが、その修行は「修行ごっこ」というレベルを抜け出していなかった。
 そこまで露骨に指摘はされなかったが、「あなたは風流を知る同輩
(どうはい)と思っていたが、それは私の勘違いでした」と言われたにも等しかった。そして体(てい)よく断られた。
 これだけで屈辱を感じないわけにはいかなかった。
 まだ、費長房のような、しつこさと粘りが足らなかったかも知れない。
 さて、老人は何処に還るのか。
 まさか瓢箪の中に還るのでもあるまい……。果たして壺と言う瓢箪の中に還るのか。

 もし壺公のように瓢箪の中に棲
(す)む老翁だったら、費長房(ひ‐ちょうぼう)のように何度も強請(ねだ)って「私も瓢箪の中に連れて行っては下さるまいか」と恃(たの)んでいたかも知れない。
 ところが「方術伝」の物語りでは、費長房は壺公からはあっさりと断られてしまう。この部分だけは私の場合と一致する。問題はそれから先であった。此処で終わったのではない。

 さて、こうなったらどうするか。
 費長房は自らの誠実さを売物にする。壺公もしだいに費長房の誠実さを認めるようになる。
 物語りでは、彼は遂に認められて壺の中に入ることを赦
(ゆる)される。
 果たして私の誠実さは認められるだろうか。無理だろう。そういう人生を歩いて来なかったからだ。
 策謀を縦横に駆使して、狐と狸の化かし合いを演じて来ただけである。
 振り返れば穢れた、血腥
(ち‐なまぐ)い人生だった。
 誠実を売物にする価値すらないだろう。金伝玉楼の桃源郷を訪れるのは諦めるしかない……。
 しかし完全に潰えた訳でない。
 老人は「そのうち、またお会い出来るでしょう……」と言ったからである。それを期待するしかない。

 さて還るか。塾に戻るか。
 今日も復
(かえ)りは午前零時を過ぎるだろう。
 塾は午前九時から午前零時過ぎまでの、一日15時間が指導時間なのである。この時間帯は長時間重労働でけっこうハードなのである。
 そのために講師は交替で休憩を取り、また塾に舞い戻る指導時間が組まれていた。
 私の休憩時間は、午後1時から2時半までの90分であった。そのために休憩を挟んで、午前零時までの体力の温存を図る。少しでも時間があれば、そうするのである。長時間労働の智慧である。

 公園の近くに『ベルツ』という喫茶店がある。
 ついでにそこでコーヒーでも飲んで行くか……。そういう気持ちで、家内を連れてそこへ向かった。老人も同じように腰を上げた。
 《御老体も、そろそろお帰りの時間》であるらしい。
 そして夢想する。
 この老人は何処かで瓢箪の中に消えるのではないかと……。
 もしそうなったら、私も一緒に瓢箪の中に連れて行って貰いたい……などと願望を抱いた。
 しかし無理な願いだった。

 久々に家内と喫茶店でコーヒーでも飲むか……。
 残り時間の遣い方はこの休憩タイムであった。
 私と家内は老人に丁重に礼を言って、この場を後にした。老人は風景を写生しているようだった。立ち上がった時に画帳の中が見えてしまったのである。見事な水墨画を描いていた。
 もし、次に会ったら画帳の絵の中を一枚分けて貰いたいと思ったくらいである。

 休憩タイムはコーヒー1杯に費やされた。じっくりと味わい、眠気覚ましにしてこれから午前零時まで塾で難問との格闘することになる。そのためにもこの休憩タイムは大きな意味があった。

 人間は人生を旅する旅人である。旅をするとき、行った先が最も艶やかな時期を選ぶかどうかは運命の廻り遭わせによろう。私は奇
(く)しくも自らが好ましいと思える季節に遭遇し、こうして習志野でのはじめての春を迎えていた。そのうえ職を失い浪々中の身の上でありながら、何とか喰って生きて少しばかり小金を手にしていたのである。
 おそらく北九州に留まっていては、こうまで挽回は出来なかったであろう。習志野への緊急避難が功を奏したと言ってよかった。
 更にこの地では頼りになる参謀が居たからである。北九州からの遠隔操作では、進龍一も自ら軍師とまでは言い出さなかったであろう。

 疾
(と)うの昔に殺されて、小倉の紫川に浮いていても訝(おか)しくないのである。
 しかし、今こうして家内とともに無事に習志野に居る。何とか喰って行ける。有難いことだった。しみじみ天から生かされている天命を知ったのである。
 おまけに今日は花見まで出来て、世にも不思議な、仙人のような老人にまで遭
(あ)うことが出来た。
 おそらく北九州で燻
(くすぶ)っていては、こうまでいかなかっただろう。疲弊して、疲れ果て死んでいたかも知れない。
 生かされていることは何とも有難かった。

 四十二年目の春に遭遇出来たのである。見事な桜の樹の下で、一期一会の体験が出来た。
 春は私のとって、動物的にも非常に喜ばしい季節であり、今までとは異なる日一日ずつ長くなって行く明るさを生命の息吹きと捉えることが出来た。
 秋になると日一日と短くなるのに比べ、春は逆に長くなる。少しずつ長くなる。何ともいい季節であった。



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