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壺中天・瓢箪仙人 16

太古の昔、言葉と言語における古代人間の共通意識は明確であった頃、人は桜を見て、「さくら」の一言で満開の桜を想像し、あるいは桜の花弁が風に舞って乱舞するさまや、散り急ぐさまを眼の前に感じ取れた。

 さくら咲く、さくら散る……の、この語源は現代では受験した志望校への合否判定に遣われてしまったようだが、本来の意味からは掛け離れてしまったようだ。そして人間の共通性が失われてしまったように思える。

 これを失わしめ、正しい日本語を狂わせてしまった元凶は戦後の国語教育であろう。
 現代日本人から想像力も共通性も奪い、それを阻
(はば)んで憚(はばか)ることのない日本の国語学者どもは、短歌にしろ詩にしろ小説にしろ、あるいは新聞記事やその他の雑誌記事にしても、現代では完全に共通性を阻み、一方で多様性の合い言葉で、分裂主義を謳歌し細分化することを企てているが、結局、認識出来る価値観は一つであり、認められる価値観はたった一つなのである。

 高が一人の人間の中に、複数の複合的なる数多くの価値観を同時認識すること自体が無理なのである。現代の分裂を招く合理主義は慎重に対応し、細思商量
(さいし‐しょうりょう)の比較思考が必要であろう。偏らないことである。
 多様性が持て囃される時代、発信する側も、受け取る側も、一つの解釈しか認めず、それ以外の解釈が与えられないのである。
 だが、それでは偏ろう。

 つまり、解釈は一つしかないと言う現代日本人の国語解釈の価値観は、一つだけが正しくて、他は総て間違いとする価値観の強要が働いているように思うのである。
 これでは日本語が乱れるのも当然で、言霊の乱れは一つの価値観しか与えないとした国語学者の怠慢だろう。多様性が聞いて呆れるのである。

 現代は科学的と云う言葉が持て囃され、科学分析情報から齎されたデータのみを正しいとし、その数値は絶対的で、覆せないアルゴリズムから出た情報のみが、ただ一つの価値観に納まってしまった結果からだろうか。


●風流人

 家内と暫(しばら)くこういう会話をしていたら、隣のベンチに老人が来て腰を降ろした。
 音もなく風のように近付いて来て、ひょっこりと顕われるのである。そして一人で、何やらブツブツと独り言を呟いていた。
 それは残念だということを吐露
(とろ)しているようでもあった。あるいは呪文なのだろうか。咒(じゅ)に聴こえないことも無い。
 「今日は先客が居
(お)りましたか……」
 奇妙なことを言う老人であった。
 あたかも自分の特等席を奪われたという言い方だった。いま私たちが坐っている場所がそうなのかも知れない。

 この爺さま、歳の頃は八十代前半であろうか。
 貌の皺が風雪に耐えた年輪を窺
(うかが)わせていた。
 躰付きは小柄で、何だか福禄寿
(ふくろく‐じゅ)を髣髴とさせた。長老然あるいは老大人を思わせる威厳があった。
 頭は禿
(はげ)て側壁は白髪だった。だが頭巾や帽子の類(たぐい)は被っていない。むしろ禿頭を披露し、それを恥部として隠していない。むしろ禿を見せ付けて毅然としたところがあった。
 その風体は、あたかも生きた道祖神
(どうそじん)を髣髴とさせた。道教の世界から抜き出てきたような老人である。
 貌には長い白髭
(しろひげ)を蓄え、貌自体は剽軽(ひょうきん)だが、決してマンガ的でない。何処か、仙人のような観じを思わせた。
 体躯は小柄である。背丈は小さい。身長はおおよそ150cm前後であろうか。
 頭は縦長で、莫迦
(ばか)にデカい。デカいのは智慧の集積か。まさに福禄寿である。
 しかし小柄なわが身を、決して矮男
(こおとこ)・矮人(わいじん)の類に見せない。大きく見せる存在感があった。実に不思議である。その不思議な老人が隣のベンチに鎮座した。

 着ている物は、決して上等は言えない野良着のような着物である。上下は藍色
(あい‐いろ)とは少し異なる明るい群青色であった。上衣は袂袖(たもとそで)で大島紬であった。
 日に輝いて光ることから正絹と検
(み)た。光沢がいい。しかし新品ではなさそうだ。同じものを何年も着古している言う感じだった。着物の袖は擦り切れて、何本かの布糸が垂れ下がっていた。それがボロを着ているように思わせる。

 下は野袴とは言い難い、モンペのような袴下
(こした)を履いて、足首の部分は紐(ひも)で縛り、下駄履きであった。その下駄は擦り減ってチビっており、捨ててもいいような廃品物に近かった。
 袴下は清潔感が感じれないほど汚く、膝は擦れて孔
(あな)まで開いていた。一見して不潔に見え、穢(きたな)い風体の老人であった。どこか爺むさかった。そして左腕小脇に画帳のようなものを大事そうに抱えていた。
 身の回りには何となく老臭が漂っているように映り、見るからに爺むさかった。
 画帳小脇にしているからと言って、まさか絵描きでもあるまいに……という感想で、一瞥
(いちべつ)をくれたのである。
 第一印象は乞食の次ぎにランクされる廃棄物と見下したからである。こうしたところは、私の偏見に満ちた悪い癖である。

 その一瞥をくれた老人が、私たち夫婦の坐る横のベンチに、《よっこらしょ》という感じで腰を降ろしたのである。
 まず、自分の曳
(ひ)いて歩いていた杖の上に両手を置き、自分の顎を載せた。デカい頭ごと載っている。そして何かじっと前方を見詰めた。
 何かを凝視しているようであった。その目付きは鋭い。
 その鋭さに、これまで抱いた感想を一掃せざるを得なかった。
 観察眼も疎
(うと)かった。考え直す必要がある。観察眼は短絡的でミクロ的で、然(しか)も近視眼的であった。私は恥じた。
 もう一度、老人を検
(み)た。
 好々爺で、然
(しか)も目線は鋭い。何か一点をじっと凝視しているようでもある。
 その鋭い視線は、あかたも宮本武蔵の水墨画に出て来る、闘鶏をじっと見守る『布袋観闘鶏図
(ほていかんとうけいず)』を髣髴とさせた。睨み合う二羽の鶏を悠然と眺め、その自然体に酷似していた。
 如何にも余裕のある自然体であった。

 そういう老人が、私の坐っている隣の右のベンチに坐ったのである。
 老人が「先客」と称したのは「先を超された」という意味だろう。
 つまりこの老人の特等席は、いま私たち夫婦が坐っているこの場なのだろう。それがブツブツの呟きになったに違いない。この場、つまり「磁場」と解釈していいのだろうか。
 おそらく、私の坐っている場を問題にしたのだろう。

 私の人間観察……。
 だが、私の習性と好奇心は、一瞥してそれで終わりでない。さっそく《縦長の大頭
(だいず)》と人物評定が始まった。
 ちなみに“大頭”という呼称は、真言立川流に出て来る「髑髏
(どくろ)本尊」の頭蓋骨である、この大小を指して言う表現で、大きな頭を「大頭」といい、小さな頭を「小頭(しょうず)」というのである。
 この老人は大頭に属した。
 昔、進龍一が、高僧とか聖人は頭が長いと言ったことがある。その言葉に匹敵する人であった。
 しかし全体像は仙人の福禄寿である。小柄で背が低い。そのうえ見事な、光輝く禿
(はげ)と来ていた。

 現代風で言えば「ハゲ・デブ・チビ」のうち、ハゲとチビの二つをキープしていた。
 だが、決してマンガチックでない。
 ハゲとチビを恥と思っていない。この世での相
(すがた)は、この世限りのものである。
 永遠の生命からすれば、こうしたことは問題ではない。見た目を問題にしていないことが窺われた。
 この相を検
(み)て美醜・美形を論(あげつら)うのはナンセンスである。
 この老人はそう言うことろは、“おくび”も出さず毅然としているところは、現代のエエカッコシーの中年オヤジとは雲泥の差であった。
 やはり仙人かも知れない。あるいは世に名立たる聖人か……。

 五十代、六十代のエエカッコシーのオヤジどもはどうだろう。凡人である。愚人である。聖人君子とは言い難い。ゆえに隠す。
 女にモテたい一心で、禿頭を隠さんとして鬘
(かつら)を被る。腐った女の考えるようなことばかりをして謀(はか)る。その行為は陰湿である。
 本当に隠すべきものは禿ではあるまい。禿くらいで、くよくよするのは肝っ玉の小さい証拠である。

 隠して隠して、誤摩化して誤摩化して恰好をつける。
 これでは意気地なし、覇気
(はき)なし、誇りなしであろう。それで女にモテるとしたら、実に甘い考えである。女がその人物に興味を抱くとしたら、そういう陰湿な隠し事や誤摩化し事ではあるまい。男自身の野望であろう。
 また女も女で、男の貌や姿形を問題にするのは程度の低い女である。
 昔から醜男夫人に、才女に相応しい美女が多く、色男に限って、ぱっとしない、程度の低い醜女が多いと言うではないか。
 もしかすると、この老人は、かつての絶世の美女を娶
(めと)っていたかも知れない。
 そういう老人の過去まで人物評定するのである。
 この老人は、あたかもフランス革命時の政治家で重農主義者のミラボーに匹敵したのかも知れない。貴族出身だったが天下の醜男で知られていた。その醜男に、美女の誉れが高い婦人が惚れた。

 ミラボーは、このご婦人に言った。
 「あなたは虎の縞模様を知っていますか。ハッキリ言って虎は痘痕面
(あばたづら)です。私の貌にそれを重ねると、このような貌になります」と、おくびもなくいい退け、毅然と自分の貌を誇ったと言う。このご婦人はミラボーが益々好きになった。ミラボーが美女にモテた訳は、これだった。
 天下の醜男は、自分が醜男であっても、これくらいの迫力があれば、美女は惚れる。周りに美女の取り巻きが出来て煩い。
 醜男でも、此処まで毅然ならば美女も惚れるのである。
 顔形ではない。特に男は貌ではない。野性である。バーバリズムに戻れと言いたい。
 人間界からバーバリズムは失われたとき、その文明は力を失う。歴史はそれを証明している。
 文明が爛熟
(らんじゅく)し、次に頽廃すると、レ・バーバリズムは起こる。金で買うことの出来ない幸福の模索が始まる。現に歴史にも、産業革命が継子扱いした古い清教徒の伝統に戻る。
 カルヴァン主義の立場から、信仰と生活の清純を保とうとした人びとはそれではなかったか。

 私は習志野に夜逃げして以降、進龍一の蔵書から、『老子』の「功成り名遂げて身を退くは天の道なり」を学んだ。晩年の大事である。

 人には年輪がある。その研究をしてみたい。
 動機は、この奇異なる現象であった。ゆえに自分が興味を抱いた媒体には、必ず評定を下す癖があった。いつの頃かは覚えていない。
 人を検
(み)て、特にその御仁(ごじん)の評定を下し、その裡側を推理してみる奇妙な癖があった。またその評定を楽しむところがあった。人を観察するのが癖なのである。

 おそらく刀剣商売を始めた学生の頃からであろう。
 買うか買わないかではなく、どういう人生論をもって刀剣と言う美術品を扱うのだろうかという客相に興味を抱いたのである。人物鑑定は刀と人が結びつく瞬間だった。
 刀剣を鑑定する眼と、人物を評定する眼は、私の場合、同一のもので、刀剣を見るように、人の品定めをするのである。
 このときも老人を、そのような眼で観察していたと思う。
 しかし此処までで、先ずは腹拵えである。

 私の休憩時間は90分である。
 これを有効に使うためには腹拵えである。気にせず、私たちは弁当を開いた。
 蓋を取ると海苔弁当風であった。
 白米六分に麦四分の飯である。俗に「監獄飯」と言われるものである。獄舎の主食構成はこの配分なのである。
 弁当の海苔の下には鰹節が敷かれ、家内特製のタレが掛っていた。脇に梅干し一個と沢庵二切れた添えてあるだけである。何の変哲もない。
 こう言う弁当も、この頃は随分と慣れた。
 自身では風流人で、美食家であるとも自負していたが、無いときは無いで、これもまた風流であった。それを決して、粗末な弁当とは思わなくなっていた。これだけで充分に有難かった。
 生きると言うことは餓えないことであり、また喰う物があることであった。蔬菜
(そさい)で構わない。

 ただ欲を言えば、家内の作った卵焼きは格別であったから、この一品が花見の弁当に添えられてないのが少しばかり残念であった。卵焼きと酒の一杯……などと夢想したのである。
 私が蓋
(ふた)を開けて、中を覗いたときそれを即座に感じた家内は「今日は卵焼きの代わりに黄色い沢庵にしました」というのであった。そして「それ、なかなかの珍味ですよ」というのを付け加えるのを忘れなかった。

 私は苦笑しつつ、沢庵でどうして珍味だ?と切り返したかったが、飯と沢庵を同時に口に含んだとき、これがよく合っていて、言われる通りなかなかの珍味である。
 「大久保二丁目に『古川総菜店』てあるでしょ。あそこのお漬物、なかなか美味しいのよ」と応え、《どうです、お味は?……美味しいでしょ》と訊くように、少しばかり下目線で、私の貌を窺うのである。事実、言われる通り美味かった。家内は珍味探しの名人であった。
 さて、どう答えていいものやら……。

 しかしこうして、三度三度の飯を食べられることは有難いことであった。
 貧乏のドン底に落ちてみて、素朴な食物の有難さが分った。蔬菜
(そさい)の味にも慣れ、本当の旬の味と言うものも理解出来るようになった。
 蔬菜は決して「粗末な食べ物」というのでない。シンプルで季節ごとの旬の食べ物のことである。
 現代は蔬菜と言えば「粗末で下品な食事」と解するが、これはとんでもない間違いである。
 粗食少食ならびに粗衣を身につけることは、決して貧しいものでない。
 貧しいと思うのは心が貧しいからである。清貧を極めれば、富豪にも値する。何も粗末に囚われることはないのである。

 家内の作った今日の弁当も間違いなく蔬菜である。素材は白米6に対し麦が4である。以前は一時期これが逆転していた。白米4に麦6であった。あるいはもっと酷かった。それがやっと元に戻った。
 副食は海苔と鰯
(いわし)の削り節で、他に梅干し一個に沢庵二切れである。まさに蔬菜である。それだけに清貧なるシンプルな弁当であった。しかし世界の半分は餓えていると言うのに、まだ餓えずにこうして食べられることは有難かった。

 家内はどう言う物を食べても食べ終われば、必ず合掌して「ごちそうさまでした」という感謝を忘れなかった。当然前夜は喰えない時期であった。超粗食であった。
 白米に麦混じりの僅かな飯粒が番茶の中で泳ぐような食事でも、満面の笑顔で「ああ、美味しかった」というのである。そして合掌して「ごちそうさまでした」を言って感謝する。
 それは人間が生きるために、人間の命の犠牲になってくれた食物に対してであった。
 食べる時も「いただきます」というのは、食物の命を頂く畏
(おそ)れ多さに対しての感謝であった。
 この感謝を、自分独りだけではなく、子供にもよく教えていたことを思い出す。

 さて、弁当も食べ終えた。少し早いが塾に戻ろうか。そう思ってふと、時計を見た。
 だが些
(いささ)か早い。まだ30分ほどある。
 この30分を有効に使わねばならない。
 此処でもう暫く桜で見て行くか……。そう思った時である。何か余興が始まった。

 隣の爺さまは杖を置き、何処にぶら下げていたかは知らないが、ひょいと飴色の瓢箪と朱塗りの盃を取り出し、盃になみなみと液体を零
(こぼ)したのである。おそらく酒であろう。
 内心、この爺さまは「花見に酒」と洒落込むのかという感想を抱いた。
 《ほーッ、爺さまは花見酒か……》と羨ましく思った。
 果たしてこう言うのを風流と言うのだろう……。まさに一瓢
(いっぴょう)(とこしな)えに酔うて……という感じであった。そしてその景色が実によかった。
 しかし不思議なことをする。
 盃に酒を零したままそこで静止してしまった。動かない。
 あたかも富貴を俟
(ま)つのか……。富貴が天より降りるのを俟つのか。

 盃にはなみなみと満たしながら、それを呑もうともせず、注いだまま盃に掲げ、何かを待っているポーズを採
(と)った。何故だろう。奇妙なことをする。
 とにかく、なみなみ注ぎ盃の縁まで一杯に満たしている。だが静止した。動けば酒が零れる。零れないように、そそままの状態でじっとしているのである。
 盃を掲げたまま一向に呑もうとしない。そのポーズで微動だにしなかった。右手は掲げたままである。
 見ていてい妙なポーズであった。
 だが何かを待っていた。
 その時である。
 頭上からひらひらと一枚の桜の花弁
(はなびら)が落ちて来て、その一枚が盃の中に入ったのである。花弁は盃の酒に浮んだ。ウソ……と言いたかった。
 あたかも花弁が、自ら盃を求めて落ちて来たという感じであった。
 老人はこれを待っていた。静止したまま、待っていたのである。
 これを、富貴に素にしては富貴に行う……というのか、あたかも繭
(まゆ)から垂れた一本の糸の如く桜の花弁を導いたように見えた。何かが糸を伝わったのか。富貴の糸は天にあったのか。
 解らぬ……。何故だか解らぬ。

 だが、それが盃に入ったと思った瞬間、行動が起きた。遂に動いた。
 老人はズズッーッと吸気音を立てながら一気に呑み干したのである。干して満面の笑みがこぼれた。あたかも手品でも見ているようであった。解らぬ……。再び吐露した。
 何故なら桜は満開でない。
 花吹雪のように、まだ乱舞を始めていない。一枚二枚のハラハラという程度である。
 その一枚が偶然にも酒に浮いた。果たして偶然か?……。

 確かに花弁は、ひとひら、ふたひらと風を受けて散っているが、吹雪のように降り注ぐまでには至っていない。それが僅か直径8cm程度の小さな円周内に向かってひらひら降って来た。花弁は盃目掛けて直行するのでない。ひらひらと舞いながら、蛇行しつつ複雑な動きをして降って来る。花弁が入る確率は極めて小さい。
 そして“直径8cm程度”と踏んだのは、これまでの刀屋家業の商品経験を通じてのことであった。
 鐔
(つば)である。
 盃もその程度と検
(み)た。手の大小にもよろうが、握り拳にそう大きな違いはない。

 この“直径8cm程度”は刀剣の鐔を連想する。
 大刀の鐔の大きさは約8cmから大きくても9cm程度である。そこから検
たのである。
 鐔は柄を握った拳が隠れる程度の大きさで造られている。防禦上の目的は右手の拳を守るためである。そこから目測で判断すれば、“直径8cm程度”は割り出せる。
 だがそれにしても小さい。ひらひらと舞う花弁を浮かべたのである。果たして偶然か、あるいは奇蹟が起こったのか、それとも観客を意識した意図的な手品か?……。

 確率空間で考えれば「二階から目薬」のような極めて小さな確率である。それが盃の中に入った。単独乱舞で入った。
 また老人が敢えて花弁を追ったという形跡もなく、微動だにすることもなく、なみなみと注いだ酒は一滴も零れていなかった。ただじっと待っていた。
 偶然にしては余りにも出来過ぎている。一体どう言うことが起こったのだろうか。

 どう考えても手品である。必ずトリックがある。そうとしか思えない。
 あるいは極めて少ない確率の偶然か、それとも奇蹟か……。果たしてそんなことがあるのだろうか。そう思わずにはいられなかった。
 何とも「不思議なものを見た」という感じであった。心の中では《何だ何だ、今のは?……。一体どうなっているんだ?》という感想が湧いた。
 果たして花弁は天から本当に降って来たのか。
 あるいはそうでないとしたら、花弁自体を何処かに隠し持っていて、一旦、人の眼を惹
(ひ)き付けておいて、充分に見とれている刹那(せつな)を狙って、故意に天からか降ったように見せ掛け、盃の中に浮かべたのではないか?……。そういう疑念も疾(はし)る。

 しかしである。
 見方を変えれば実に粋
(いき)な呑み方というか、風流と言うか、惚(ほ)れ惚れと言うか、この爺さまはそういう仙人風の趣(おもむき)と飄々(ひょうひょう)とした佇(たたず)まいを漂わせていた。その仙人は超能力のような仙術を使った?……。私の正直な感想である。
 私は思わず見とれて、この場が、一瞬仙界のように早変わりした。此処には不思議な“回り舞台”が存在していた。
 それを脇目で見ながら、疑いつつも《いい風景だ》と思ったのである。

 茫然
(ぼうせん)と見ている私に気付いたのか、老人は「どうですか、一杯?」と、盃を持ち上げて誘うのである。そして盃を持って、手をひょいと数回上下し、《どうですか?》と呼び込むのである。奇妙な合図であった。
 はて?……、どうしたものか……。
 これをどう受け取ったらいいものやら……。
 私にも仙術のような術を遣ってみろと促しているのであろうか。あるいはこの偶然の難しさを分らせようとしているのか。それとも素人が挑戦して敗れるところが見たいのか。

 もしこれが仙術とするならば、それを知らない私如きでは無理である。到底盃の中に花弁を浮かべるなど出来ない。極めて確率の薄い奇蹟など起こせる訳がない。
 ただ見て楽しむ方の人間である。傍観する観客である。
 その観客に、同じことをしてみろと言う。さて、どうしたものか……。
 一瞬の戸惑いが疾
(はし)った。
 「誘っていますよ」と、家内が肩を押して促すのである。
 今の術は家内も見た筈である。如何に偶然に近いか分った筈である。だから、私にも同じことを遣ってみろと言うのだろうか。
 「ああ……、分った」煮え切れない返事をしていた。
 「どうぞ……」
 老人は好々爺
(こうこうや)であった。貌をほころばして、盃を持ち上げ私を誘った。

 いつの間にか誘いの暗示に掛かって、つい隣の席に身を寄せていた。そばに寄っても爺むさいも何もなかった。臭いはなかった。爺むさく、臭かろうと検
(み)たのは、単なる思い込みであったのか。
 そうなると、私の眼力もまだまだであった。この老人を先入観で捉えていたのかも知れない。

 暗示に懸けられたまま、気付けば盃を握っていて、なみなみと酒が注がれ、「さあ、どうぞ」と促されたのである。この暗示に乗るしかなかった。
 盃を凝視すると見事な朱塗りの盃だった。それよりも増して、瓢箪は更に見事であった。逸品と言ってもいいくらいの凄い物を持っていた。これを骨董値段で言えば、数十万円、いや数百万は下らないものであろう。実に凄い。

 瓢箪は長い間、好き者が手塩に掛けて育てたという逸品であり、実際にこうしたものを手に入れようとすれば、かなりの値段になるだろう。
 瓢箪は数十年単位で、毎日掌で磨くところに価値がある。来る日も来る日も瓢箪を磨くのである。簡単なようで根気のいる作業であった。気の遠くなるような作業である。だが、それを繰り返すことで瓢箪の色は育って行く。
 おそらくこの老人一代のものであるまい。もう何代も掛かって磨き上げて来たと言う歴史を感じる逸品であった。此処まで飴色になるまで数百年は掛かったものと思われた。

 そして、老人がしたのと同じように、天から花弁の一枚が降って来るのを待ち望んだ。一向に入る気配はない。無理だろう……が正直な感想であった。
 しかしどうことか。
 偶然と言うか、奇蹟と言うか、待っていたら何と、花弁ふわふわと降って来て、盃に浮いたのである。その瞬間だけ催眠術を掛けられたような感じを受けたのである。あるいは不動金縛りに掛かったのだろうか。息が詰まったように動けなかった。

 何処からかともなく「いま!」という聲
(こえ)が発せられたのを耳に聴いた。空耳だろうか。そして一枚が浮んだと同時に、老人が遣ってみせたような、ズズッーッと吸気音を立てて呑み干したのである。
 美味い……。

 そう思った瞬間、これを見ていた家内が拍手しながら「凄い凄い」と言うのである。
 訳の分からぬまま術に掛かった気がした。盃を握り、それを機に、一瞬金縛りのような状態になったのは確かであった。
 家内の感想は、私が凄いのか、あるいは手品のような術を遣った老人が凄いのか……。
 そして、これは何らかの仙術のような術であるのか……。訳の分からない不思議が起こっていた。
 同じことが二回起こった。偶然が二回重なった。
 この現象を家内も見たのである。これがどう映ったか、後で訊いてみるしかない。見ていた側として、その光景がどうであったか、感想を訊く課題が残された。
 私はどうしてそうなったのか分らなかった。
 もし、桜の花弁が盃に入る奇妙な符合が一度で済んでいたのなら、私もこれほど驚いたり、動じたりはしなかっただろう。だが世の中には不思議な偶然も起こるものである。それも、二回も。
 あれは果たして偶然か?……。
 もしかすると必然であったのかも知れない。意図的に何かの不思議な術を遣った……。その懸念が脳裡を掠め、暫く余韻
(よいん)として絡み付いた。

 「どうです、甘露でございましょ?」と訊くのであった。
 それはまさに甘露であった。春の宴の甘露であった。
 果たしてこれも手品か。
 全く素人の第三者に盃を握らせておいて、その中に花弁を散らせる……。果たしてこうしたことが人智で可能か。
 更に深い疑念が湧いた。それに一瞬金縛りに掛かった。奇妙な体験をしたものである。

 一方で、これこそ風流の極み……というような感慨を抱き、これまで自己流の風流ととは違った別次元の一味異なる風流を教えてもらったような気がした。一期一会のことであった。
 本当の風流とはこういうのを言うのだろう。
 世に風流という行為は多い。
 ところが、風流とは程遠い“似非
(えせ)風流”である。人為で演出されたものである。
 人為のものは美酒佳肴
(びしゅ‐かこう)に満ちている。一見豪華に映る。
 だが本当はそうではない。何かがある。

 『礼記』
(学記篇)に出て来る「嘉肴(かこう)ありと雖(いえども)も食らわずんば、その旨きを知らず」である。
 ちなみに嘉肴とは美味い肴
(さかな)とかご馳走を指す。今日流に言えば美食である。
 あたかも美食家・北大路魯山人が指摘した、「美食は食べてもその味が分らない」のと同じである。世の多くは美食を食べるが本当の美食は食べていない。食べているのは似非美食である。したがって美食を食べたことの無い者に本当の美食の味を説いても分からないのである。ただグルメぶるだけである。
 道も同じだろう。
 聖人が説く勝れた道でも、これを学ばねば、その価値は分らないのである。器量もその大きさが分らなければ、それを用いることも解らないのである。
 風流も同じである。
 風流の器量がなければ風流は分らない。風流の富貴は天にある。天が決めることである。この二度の偶然は天が決めたことなのか。
 ここで云う富貴は、富んで貴いとか、財貨を多く所有し、金持ちと言う意味でない。精神的な雅
(みやび)を言う。俗から離れていることを言う。つまり風流を指す。

 世に似非
(えせ)風流が流行するばかりである。
 昨今の「持て成し」とか「接待」とかは、それを雄弁に物語っている。似非である。真実でない。金があって物種である。小金持相手の、豚に真珠の似非風流である。
 真物
(ほんもの)を知るには「老大人(ろうたいじん)」の境地を会得しなければならない。老いて、練れていなければならない。風流はその条件下にある。
 若気の至りを表面化するような、激昂
(げっこう)し易く、しょげやすい青いものでは何もならない。風流は解せない。世故に長(た)け、内容に喜怒の色も顕われず、失言遽色(しつげん‐きょしょく)せぬ成人の域に達していなければならない。
 老人にはこの域が窺
(うかが)えた。それだけに練れていた。

 もう一度同じことをしてみろと言われても、まず無理だろう。その確率は、もう再び巡って来ないように思われた。つまり一期一会のことだった。
 また風流とは一期一会の中に在
(あ)る。そして、それは人間の器量の大きさから生まれて来る。

 つまり器量が大きければ大きいほど、小理屈が排除され、金次第の変な打算が排除され、こうした見苦しい贅肉を総て削ぎ落とした後の余裕綽々
(よゆう‐しゃくしゃく)から生まれて来る。その余裕なくして真物の風流はあり得ない。日本では太古から余裕を養う「風流」の道を持っていた。

 風流とは文字通り「風」であり「流れ」である。一所に留まらない。留まって澱まない。一期一会を旨とする。それゆえ、今流の「持て成し」とか「接待」とかは成立しない。ああ言うものは似非である。
 風流に単なる功利が混入されてはなるまい。風流は精神的な境地を切り拓いて行くだけのものである。金銭の介入はない。造物主の造化の妙に遵
(したが)うだけである。自然の順行を堅守するだけである。

 しかし、たった一杯の盃の酒で酔った。確かに日本酒だが、僅かな量で酔った。ほろ酔い気分だった。一体どう言う酒か。あるいは桜の花弁一枚に何かが化学的な反応を起こしたのか。
 実に心地よい気分であった。美酒とはこう言うのを言うのだろう。

 「わたしは春になると、いつも此処に来て、甘露を嗜
(たしな)みます。このときばかりは長生きするものじゃと思いますよ……」
 訊きもしないのに、そういう感想を洩らした。この日のために、これまで何十年も懸かって瓢箪を磨いて来たのかと思うほどであった。
 長生きとは「この一瞬を楽しむためにある」と、このとき感得したのである。それは僅か一杯の美酒を楽しむためだろうか。
 思えば、これこそまさに風流だった。一杯の美酒を楽しむために、毎年この時期に遣って来る。そのために長生きをする。

 「いいものですね、長生きとは……」
 長生きは風流と同義である。
 老いて練れた人間は、それだけに器が深くなる。器の底が見えなくなる。
 これぞまさに長老の存在感であった。老大人の域である。
 老いて生きるとは、こういう枯れ方をすることを言うのだろう。それは精神世界のものであった。その世界こそ、風流に繋がっていた。

 ああ美味い……。
 心からその言葉を口走っていた。美酒の頂いた感想である。その言葉は人為からの言葉でなく、造化の妙が言わせた「光透波
(ことば)」であったろう。
 これは感嘆の天の聲
(こえ)を借りた言葉であった。これ以上の形容はあるまい。
 僅か盃一杯の馳走であったが、万金にも変え難い有難いものであった。丁重に礼を言ってから、残り時間を食べ残した弁当を費やし、食べ終わっても、桜の花弁が降る風景を楽しんでいた。
 老人も瓢箪から再び酒を盃に零し、ちびりちびりと口に運んでいたいた。
 もう花弁を誘おうとしない。だがその風情は一枚の絵であった。風景によくある。
 いい絵であった。あたかも異次元の仙界の仙人を思わせた。
 不思議なものを見た。それが私の脳裡に焼き付いた。季節は春闌
(はる‐たけなわ)であった。



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