運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
壺中天・瓢箪仙人 1
壺中天・瓢箪仙人 2
壺中天・瓢箪仙人 3
壺中天・瓢箪仙人 4
壺中天・瓢箪仙人 5
壺中天・瓢箪仙人 6
壺中天・瓢箪仙人 7
壺中天・瓢箪仙人 8
壺中天・瓢箪仙人 9
壺中天・瓢箪仙人 10
壺中天・瓢箪仙人 11
壺中天・瓢箪仙人 12
壺中天・瓢箪仙人 13
壺中天・瓢箪仙人 14
壺中天・瓢箪仙人 15
壺中天・瓢箪仙人 16
壺中天・瓢箪仙人 17
壺中天・瓢箪仙人 18
壺中天・瓢箪仙人 19
壺中天・瓢箪仙人 20
壺中天・瓢箪仙人 21
壺中天・瓢箪仙人 22
壺中天・瓢箪仙人 23
壺中天・瓢箪仙人 24
壺中天・瓢箪仙人 25
壺中天・瓢箪仙人 26
壺中天・瓢箪仙人 27
壺中天・瓢箪仙人 28
壺中天・瓢箪仙人 29
壺中天・瓢箪仙人 30
壺中天・瓢箪仙人 31
壺中天・瓢箪仙人 32
壺中天・瓢箪仙人 33
壺中天・瓢箪仙人 34
壺中天・瓢箪仙人 35
壺中天・瓢箪仙人 36
壺中天・瓢箪仙人 37
壺中天・瓢箪仙人 38
壺中天・瓢箪仙人 39
壺中天・瓢箪仙人 40
壺中天・瓢箪仙人 41
壺中天・瓢箪仙人 42
壺中天・瓢箪仙人 43
壺中天・瓢箪仙人 44
壺中天・瓢箪仙人 45
壺中天・瓢箪仙人 46
壺中天・瓢箪仙人 47
壺中天・瓢箪仙人 48
壺中天・瓢箪仙人 49
壺中天・瓢箪仙人 50
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 壺中天・瓢箪仙人 15
壺中天・瓢箪仙人 15

次の時代が金で買うことの出来ない幸福を、どのようにして見つけ出すかを模索し始めたら、現代の物質的恩恵は1830年代以降の産業革命に由来しているから、次ぎなる時代の新たな幸福論を探しておかねばならない。
 もう、そのような模索が始まっていると言えよう。

 つまり、現代人は物質的恩恵を追求する一方、人間精神が物質に打ち勝つ方法を探し始めたと言えるのである。
 今日のハイテク機器が人間の思索以上に知能を高め、猛威を揮い始めると、結局古い伝統に戻る反作用が働く。

 産業革命は、今日の物質的恩恵を齎した経済作用であった。
 効率優先、そして合理主義などが持て囃された。
 ところが、この作用には逆方向に働くという作用に対しても代償を求められるから、それを科学力で抑えることは出来ない。物質至上主義の擡頭
(たいとう)は、後の精神伝統主義へと揺り戻す暗示が含まれていた。

 現代人の一部が都会の喧騒を離れて地方に戻ろうとするのが、その顕著な顕われである。古きよきものを再発見しようとする「反アメリカ主義」の顕われで、また「アメリカの時代の終わり」を告げているようにも観じられるのである。
 文化はアメリカ的なものから東洋的なものへと変化しているようだ。


●密男理論

 進龍一が言いやがった。入れ智慧である。
 随分前のことである。
 奴の入智慧はこうだった。耳許で入智慧を囁くのである。
 一番は人妻、二番は他家の女中、三番は他人
(ひと)の恋人……と。
 これは野郎のランク付けである。
 「先生。世の中で他人
(ひと)の女を寝取って、一番いい女って、どんな女だか知っていますか?」
 「?…………」
 「つまり、ですね。女を“手込め”にする場合……ですよ」と、突然変なことを訊くのである。
 それは訊くというより、囁
(ささや)いて唆(そその)す言い方であった。
 つまり「他人の寝取って、一番いい女とは、どういう女か?」と、私に訊くのである。

 こういうことを昔、進龍一が私に囁いたことがあった。有難い「密男
(まおとこ)理論」である。
 奴は不埒千万
(ふらち‐せんばん)なことを言い出したのである。
 単純な私は、この“有難い”“不埒”な教えに唆されて、それを実行したことがあった。あたかもドン・キホーテの如く……。これを真に受けでである。
 聞き流さずに聞き入れた。
 真摯に耳を傾け、風車ならぬ、女に向かって突進して行った。軽薄な高度を起こしていた。後先は全く考えなかった。気付いたら行動になっていた。

 そのとき一番身近にいたのは三番目だった。今のところ、人妻も女中も心当たりはなかった。
 「他人の恋人だったら知っているぞ」
 「誰です、それ?」
 「うちの塾の講師の女だ。こいつ、郷里から自分の女が出てきて、一番勉強しなければならない時に、朝から晩まで、アパートにずっと居るから勉強できないと言うんだ」
 「その講師って、誰です?」
 「うちで使っている医大生だ。いま六年生で、最後の追い込みだそうだ。ラストスパートをかけているらしく、その後のプランで大忙しのようだ。それで、どこか一時的に、自分の女を預かって欲しいと言うんだ。その女、この医大生の恋人らしい。将来、その女と結婚の約束もしているということ聞いた。正式な婚約はまだそうだが、近い将来そうするらしい」
 「先生、頂ですよ」
 「なに?」
 「そいつの恋人、頂くのです。“ごっつあんです”をするのですよ」
 嗾
(けしか)けるように言うのだった。
 「うむ?……」
 「チャンスですよ、その女を先生が寝取るのです。わかりませんか?」
 「なに?……」
 奴の奇抜な嗾けに、一瞬毒気を抜かれたのである。まるで噛ませ犬を嗾けるようであったからだ。

 こうして奴は私に、「寝取って、一番いい女、最高の女」の入れ智慧をしたのである。
 奴にしてみれば、面白半分の唆しであった。冗談は百も承知だった。
 しかし、私はこれを真に受けて、《乗ってみるのも面白い》と思ったのである。“まさか”の瓢箪から駒を期待したのである。
 意外な所から、意外なものが現れるかも知れなかった。軽率にも乗っていた。

 「面白そうだなァ。しかし、あいつ
(医大生)怒りはしまいか?」
 「そりゃぁ、怒るでしょう。しかし女を寝取られるって間抜けですからね、怒っても笑われるだけですよ。自分の間抜けぶりを自分で暴露するバカはいません、訴えられはしませんよ。女が寝取られたと言って、いったい誰に訴えるのですか?男は訴えられないのです。訴える権利のあるのは女の方で、それも強姦が成立した場合だけです。したがって和姦では、女が同意したことになりますからねェ、刑法には触れません」
 
 「おぬし、なかなかの悪じゃのう」悪代官のようなことを言ってみせた。
 「ただし、民法では男の方にも損害賠償や慰謝料の請求もあるので、ご用心を」
 私の暴走を半分だけ脅しで抑制する。それは止めさせようとする反作用が働いているのかも知れない。しかし、走り出した馬は直ぐには止まらない。

 「なに?そりゃまずい」
 顎を撫でた。
 するとまた嗾ける。
 「何をビビっているのです!それくらいのことで、密男を働こうとする者がビビってどうするのです。損害賠償や慰謝料を請求されたって、刑務所行きにはなりませんよ」
 「それもそうだな」
 「だから、“ごっつあんです”をするのですよ」
 益々噛ませ犬を嗾ける。
 遣って見るか……の方向に傾いて来る。
 こう言って、益々私を唆しにかかるのであった。

 超単細胞人間を、脇で嗾け、豚を木に登らせるような調子で、横から煽るのである。
 私も、木に登る豚になったり、ドン・キホーテになったりして忙しいことだった。そして遂に嗾けられた。

 超単細胞が行動を起こした。
 一つ「運試し」で、あいつの女を寝取ってやるか……。
 遂に豚が木に登るような気持ちになっていた。
 私は現実重視で、官能主義者で、極めて正義感が薄いことだった。不埒
(ふらち)に塗(まみ)れていた。そのうえ根が単純と来ていた。他人の唆しに弱い。直ぐに丸め込まれる。そのうえ小心で、臆病で、カモとしては絶好のターゲットであった。
 だが、脇で囃
(はや)し立てられたら動くしかない。
 間抜けにも「据え膳食わぬは男の恥」のような錯覚に陥っていた。

 この時、まだ医大生の彼女を知らなかった。顔も見たことがない。
 ただ聞くところによると、大分県の郷里・津久見
(つくみ)の、同じ中学の後輩で……というようなことを言っていた。
 この医大生のアルバイト講師は、二年ほど前から、私の学習塾の講師をしていて、六年生の夏に、郷里から結婚を約束した恋人が出て来たので、「しばらく、どこかで」ということで、私に相談しに来た
のだった。

 彼の間近に迫ったプランは、卒業論文、医師国家試験、そして最後の詰めは、大学病院の医局員になることだった。大分県の郷里では、実家は田舎の開業医ということだったが、開業医ではうだつが上がらず、大学病院に残って医者として名声を高め、その然
(しか)る後に郷里に帰り、“故郷に錦(にしき)を飾る”という企てを目論んでいるようだった。

 彼の人生設計は、予定通り、着々と進められているのである。それを思うと、着々と進められている彼の人生が妬
(ねた)ましくなった。邪魔したくなる心理が起こる。小心者の羨望心理である。
 この講師の医大生は一浪して、やっとのことで産業医科大学に入学できた受験苦労人であった

 大学では合気道同好会に入っていて、それで、ひょんかことから私と知り合いになり、やがて塾の講師を頼むようになった。気心の知れた、よく働いてくれる真面目な学生だった。そしてその真面目さは、一種の“堅物”に近かった。融通が利かないからこそ、ある意味で信頼して、生徒を任せるられるところがあった。
 「親身になって指導してくれる先生」として、父兄にも生徒にも評判がよく、また信頼もあった。
 奴はその学生の恋人を寝取れと脇で唆された。おそらく冗談で言い出したことであろうが、それを私は真に受けた。向う見ずの行動に出るのは、ドン・キホーテの専売特許である。
 時期は夏休みに掛かる少し前の七月頃に、医大生が連れて来たのが、実は後の家内だった。

 彼女を検
(み)ての第一印象は、《小柄だが、なかなか可愛い顔をしているじゃないか。しかし年が幾つか分からないが、恐らく十代後半だろう。セーラー服を着せれば、そのまま高校生でも通用する……》などと不埒なことを考えた。
 医大生に彼女の年を訊いた。
「自分より二つ下ですから、23です」と答えた。
 「なに?23……」
 私は童顔に驚いた。年齢から十代後半に映ったからである。

 当時、私は塾の他に、当時海の家も経営していた。その夏に働くアルバイトを募集していたのである。海の家のある地域の、地元の女子高生をアルバイトに雇うのである。その次いでにとなったのである。
 医大生の彼女に「あんた、俺のところで一夏働いてみないか?」と切り出したら、働いてもいいと言うのある。二つ返事で意図も簡単に同意した。
 そして履歴書を出させた。
 すると間違いなく23歳だった。十代後半ではなく、確かに23歳だった。こうして医大生の彼女は、海の家で使用人になったのだった。

 医大生の彼女と契約を取り付けた後、料理屋に誘い、更には深夜スナックに誘い、酔わせて、この女の過去をあれこれと根掘り葉掘り聞き出したのであった。
 すると、医大生とは結婚の約束をしていて、今は大分のある小児科で看護婦をしていると言う。そして「何故彼を頼って突然出てきたのか?」と訊くと、しどろもどろして、はっきりは言わないのだが、ある宗教に絡んでいるらしかった。それが嫌で、彼のところに避難して来たと言うのである。

 また、彼は中学時代の先輩で、ブラスバンドに入っていて、彼の家は小さな漁村の開業医をしているということであった。更に突っ込んで訊くと、自分の家は父親が会社員で、いつも長期出張ばかりで、母親は普段は農業をしていて、暇な時に漁港に手伝いに行く程度の仕事をしていて……自分は三人兄弟の長女で……ということを、ぽつりぽつりと喋りはじめたのである。

 愛知県に親戚がおり、そこの親戚筋から大手紡績会社に勤めながら、そこの会社に高校があり、勤めながら高校が卒業できるという話を聞いて、愛知県岡崎市に出てきた。家は裕福ではなかったので、金のかからない高校に進学した。高校を卒業するまでに、それなりの金が貯まったので、今度は音楽の勉強をするために、岡崎市でも少しばかり名の知られた女短大の保育科でピアノと幼児教育課程を修了した。

 女短大卒業後、近くの幼稚園に就職しようと思ったが、思うようなところがなく、一度大分に帰郷した。今度は看護学校
(当時は看護婦養成所と呼ばれていた)に入り、二年の課程を修了して、ある小児科に就職した。
 そこで看護婦をしている時に、看護婦寮の同僚からある新興宗教に勧誘され、毎晩遅くまでの集会に参加しなければならず、休むと教団
員が集団で押し掛けてきて詰(なじ)る、罵倒するなどで、それが嫌で病院の寮を一時的に飛び出し、彼を頼って大分から出てきた。それだけに苦悩を秘めた影がちらついていた。
 彼は中学時代のブラバンの先輩で、夏休みに帰郷した時に、親しい間柄になり、交換日記などで恋仲の確認をし、温めあっていたなどの、こうした細かい心情も、一切合切聞き出したのである。これを聴いているうちに複雑な気持ちになり、いつしか不埒な企みが吹き飛んでいた。生真面目な医大生の性格が脳裡を交差したからである。果たして寝取っていいものか。

 更に驚くことは「交換日記」をしていたという事実だった。
 医学生は見るからに真面目である。実に真面目な医大生と言えた。生真面目と言っていいほどだった。その生真面目は、童貞に結びつくほどの真面目さだろう。
 わき目もふらず勉強に没頭したり、研究に打ち込むタイプによく見られる性格だった。何よりも彼女が口にした「交換日記」が、これを雄弁に物語っていた。
 おそらく「結婚するまで純潔を守ろうね……」などと、誓い合っていたのかも知れない。当時はそういう男女の少なからずいた。今とは違う。
 現代人は「純潔」や「交換日記」などというと、バカバカしいと思うだろうが、事実、現代にも純愛やプラトニックラブは存在するのである。
 私は彼女をとにかく「一夏だけ」の海の家のアルバイトで遣ってみることにしたのである。

 交換日記……。
 純愛の鏡のような響きである。二人の愛は清いのであろう。
 まるで戦前か戦中の「純愛メロドラマ」のような、“二人の仲は清かった”というようなものを彷佛
(ほうふつ)とさせた。
 しかし今の時代、不倫作家が熱弁を垂れる現世、かつて流行した『天国に結ぶ恋』など絶対にありようがない。日本の戦後は大きく変わった。

 それだけに分らないこともあった。医大生と彼女の交感日記心理である。
 この構造はどう言うものか?……。つい分析してみたくなる。
 その奥には、何かが挟まっているのであろうが、その心理分析をする必要があった。誘導尋問に掛けて、更に分析する必要があった。しかし医大生本人からその心の裡
(うち)は訊き出せず、当時の心境は勝手に想像するしかないのである。
 この現象自体は、まさに瓢箪から駒であった。あるいは奇
(く)しき縁(えにし)であった。
 運命は私のような超単細胞を弄
(もてあそ)ぶのが好きであるらしい。
 このときばかりは豚の猪八戒ではなく、釈迦の掌
(てのひら)の上で踊らされる孫悟空になっていた。

 海の家の使用人が、気付くと、いつの頃からか自分の女房になっていた。
 しかし昭和55年の、この年の海に家は、さっぱりだった。冷夏だった。雨の多い夏だった。気象庁が出した猛暑が大きく外れた。まさに天気予報でなく、天気予想だった。
 気象庁が観測を初めての、昭和初期に起こった東北地方に続く冷夏だともいわれた。雨の多い夏だった。そのため八代亜紀の『雨の慕情』が空前の大ヒットした年である。
 肌寒い夏だった。雨に見舞われた夏だった。気象庁の報じる天気予報が大きく外れたのでありう。気象庁のバカ野郎!
 この年の夏は、川柳にある「土砂降り降らす気象台」だった。

 進龍一は、私がまさか嗾けたことを本気にして、他人の恋人を寝取るとは思ってもいなかったようだ。
 奴がわが家に日大生産工学部の大学院生で習志野の道場生のT君を連れてきた時、T君が「この人が奥さんですか?」と訊いたことがあった。
 ところが奴が覆した。
 「奥さんじゃない!」とはっきりと言い捨て、「この先生は大した悪党だろう?」と嗾
(けしか)けるように言う。奴が語尾に付け加えたいことは、「他人の女を寝取ったのだぞ」ということだったのだろう。いつの間にか悪党にされていた。
 そして寝取った後、奴が「女子大生のような……」と形容したの家内の童顔を検
(み)てのことであった。
 こうした縁も、何かの運命の「壮大な輪」の中で巡りめぐっていたのであろう。あるいは巨大な釈迦の掌
の上で乱舞する、お人好しの孫悟空だったかも知れない。まんまと掌の上で踊っていたのである。
 こうして波瀾の人生が始まった。

 その波瀾の始まりが、私が彼女に一つの理想を語ったことから起こった。
 海の家では、来る日も来る日も雨だった。客足はさっぱりであった。
 「今日も雨だ……」を溜め息代わり洩らし、退屈紛れに、私が描いた構想を話したことがあった。
 それは「道場事業部」と「西郷派大東流馬術構想」であり、道場事業部は第一段階としてこの展開において最終段階の『西郷派大東流馬術構想』を完成するという理想図を描いていた。
 さて、私の描いた『ある構想』とは、以下のことを言う。

西郷派大東流馬術構想図

拡大表示

 私はかつて、ある構想を抱いていた。
 最初が第一段階として、道場生が毎日24時間自由に出来る「函物」を造るための活動で、これを各地に展開し、次に最終段階に至るプロセスを踏む手段として、事業部から得た資金をもって数万坪単位の馬場になる土地を確保することであった。これが第二段階であった。
 この土地に『西郷派大東流馬術構想』を展開するのである。
 この構想は、馬・子供・老人の三者を合体させる特異な構想である。「ホースセラピー」である。この「ホースセラピー」は単なる施設的なものでない。産業も起こす。自立するために労働もする。自前で運営資金を派生させるのである。老いも若きも働く。終生労働者で終生学徒である。ひと時も休まない。怠けない。

 総て自前で賄う。
 政府やその他の行政機関の援助を借りない。資金援助不要。そして徹底した自前主義で一切を賄う。これが私の青年期からの構想であった。
 人を収容するだけでなく、そこの住人自体が主人公として労働し、学ぶのである。それを終生行う。少年少女の中からは、ここから自前で医者や弁護士を排出させてもいいと考えていた。政治家が出てもいいし、財界人が出てもいい。
 総合シンクタンクを、この構想の中に設立しようと考えていたのである。
 若い頃から練りに練ったプランであり、また近未来のビジョンとして掲げていた。

 かつて武家にとって、馬術は「弓矢の家」と称する以前に、同等、もしくはそれ以上に武門の嗜
(たしな)みであった。
 思えば、「弓矢の家」とは今日で言う総合シンクタンクで種々の職能者の集合体であった。この集合体には後方支援まで備わっていたのである。いわば自己完結性を持っていた。総てが自前で賄えるのである。

 その論理は、まず馬を知ることから始まる。
 馬を知らずに、「武士」としての職能集団の真価は認められないものであった。馬こそ武門にとって、自らの全人格を表面に打ち立てて、士道を表現するものはなかった。智の根拠である。
 正確には『士道』と『武士道』は、少しばかり違う。あるいは根本は大いに違うかも知れない。枝葉末節部分が交叉しているのかも知れない。交叉すれば同一のもののように映る。だが違うようだ。
 違うからこそ、『西郷派大東流馬術構想』を想起したのかも知れない。
 それを簡単に言えば、『士道』は弓馬を用いるために室外である。一方『武士道』は室内の立居振る舞いが主であり、用いる場所が異なっているように思えるのである。室内は広大な土地がなくても実践出来る。だが弓馬は野外が不可欠である。弓道場がどういう構造になっているか検
(み)れば分るだろう。
 しかし、中世以降の近世、この境目が曖昧になったことも事実である。

 士道は永安末期以来の武士の嗜みであり、また武士道は江戸中期に起こった山本常朝
(やまもと‐つねとも)の『葉隠論語』を題材にしたものである。
 ゆえに士道はまず“弓矢の術の大事”を説くのである。そして弓矢の術は、人馬一体が可能でなければ職能民としての武士は存在しないことになる。
 また武家にとって、馬は単なる道具ではなかった。それは馬自身に感情があり、個性があったからだ。
 こうした、人間と性
(さが)を同じくする馬は、信頼関係を保てば、これを裏切ることなく、最後まで義理堅く履行(りこう)し、信頼関係を実行するのが、「馬」という生き物であった。

 こうした信頼関係によって、「人馬一体」という言葉すら生まれた。
 馬との信頼関係において、人間が馬に託す気持ちを応えるのは、人間以上だとも言われている。馬は慈しみを与えれば、それほど忠義な生き物なのである。馬の操作は『士道』から起こった考えられる。
 さて馬は、決して知能の高い動物ではないといわれる。理解力も低いと、有識者からは酷評されている。しかし、これは大きな見当違いである。馬は高い学習能力を持っている。

 馬を酷評する有識者の多くは、馬を知らず、「表皮」だけで、馬の外見だけを見て、評価し、その評価を権威筋の論理としようとしているのである。全く愚かなことであり、現場を知らない酷評は歴史上にも大きな汚点があり、差し詰め、有識者が権威で物を言う、その言は「机上の空論」でしかない。
 この空論により、これまで人類が如何に多くの苦汁を嘗
(な)めて来たことか。

 さて、馬は非常の穏やかな動物である。馬の性質と性格は、攻撃的な動物より、非常に謙虚であり、また草食動物特有の穏やかさは、他の動物に比べて類がない。
 馬の本能は五感に優れていて、特に聴覚に対しては、非常に敏感で、学習する反復の記憶力には優れ、一度学習したことは殆ど忘れない動物である。

 人間を洞察することについても、その記憶力は抜群で、自分を可愛がってくれる人に対しては従順に、どこまでも随
(したが)う動物なのである。馬の純粋な性格と従順な性格を利用して、アメリカでは更正施設に馬を置き、青少年育成・更正の為に馬の性質を利用して、人間本来の姿を取り戻す作業にかかわり、大きな効果を上げている。
 私はアメリカの雑誌などで、早くからこうした情報を知っていて、特に馬・子供・老人の三者を合体させる特異な「ホースセラピービジョン」を描いていた。

 私がこうした考えを持つに至ったのは、明治期の女学校時代、祖母が馬術の選手であったことに始まる。祖母は馬術に長けていた。その影響により、小学校低学年時に祖母から馬術を教わったことがある。
 そして学生の頃、「ホースセラピービジョン」が生まれた。
 学生の頃、刀屋と家庭教師を両立していたのは、結局道場事業部に繋がっていたからである。道場をただ稽古場所として使うのではなく、その場を通じて、此処をシンクタンクにして事業展開の橋頭堡にしようと考えていたからである。

 このビジョンを、家内が未
()だ海の家で使用人をしているとき、「ホースセラピービジョン」の壮大な夢を話して聴かせたことがあった。
 この話をどう受け取ったか知らないが、一夏の海の家が終了しても、なかなか大分の戻ろうとしなかった。遂に私の家に転がり込んで、馬術構想に一枚噛ませてくれと言うのである。そして、とうとう犬か猫のように居着いてしまった。人の女に手を出したのではない。手込めにした訳でもない。勝手に居着いたのである。
 奇
(く)しき縁(えにし)であった。
 運命の悪戯か、あるいは将来の波瀾の暗示であったのか。
 波瀾の荒波は既に起こっていたのかも知れない。

 運命の流れを追えば、こういう流れに乗るような起因は、おそらく進龍一の「唆しと嗾け」にあったのではないかと思う。これが既に運命の因子として仕込まれていたのであろう。
 かの『予定説』で考えるなら、宇宙開闢のときに予
(あらかじ)め「予定されていた」のである。
 その予定は「茨の道」であり、その運命は波瀾万丈であった。あたかもパウロの如き、苦難の道を歩まねばならないのである。

 爾来、『西郷派大東流馬術構想』の理想を追い求めている。未だに継続中である。その意味では、私は夢追い人であった。
 今は細々でもこの発想は子や孫に語って聞かせたいと思っている。
 遣るか遣らぬかは聞いた者の自由である。また同志を遣るか遣らないかも自由である。縁があればするだろう。因縁によらなければ同志にはなれない。

 だが残念なことに、これまで得た同志は家内ただ一人であった。
 しかし、その家内はもうこの世にいない。
 到底、私一人では無理だろう。完成には程遠い。何代も懸かろう。一代や二代では終わりそうもない。当時は家内もそれを承知で、私の夢に一枚噛んだのである。

 思えば、欲しい物は何一つ強請
(ねだ)らず、ただ蹤(つ)いて来たという女だった。
 しかし愚鈍で蹤いて来たのではない。同じ理想と志を共有していた。同志として蹤いて来たのである。私の夢に一枚噛んで蹤いてきたのである。

 同志は幸せを夢見て……などという甘いことは考えはない。最初から幸せなど需
(もと)めていない。ただ理想郷を追い求めて奔走するだけである。他に求めるものはない。
 自分一代で出来なければ二代でも、三代でも、四代でも、何代も懸かって、数百年単位で理想郷を追い求める。この世一代限りでない。志は受け継がれる。遺伝子の中に受け継がれる。
 一代で完成しなければ、自分の志しを同じくする者に託す。
 この世での幸せなど、最初から捨てている。自分の幸せなどと考えない。
 掲げた理想郷を、何代も掛けて完成して行くプロセスを歩くのである。家内も自分の意志でその道を選択した。自分の幸せを返上して同じ道を歩いてくれた。

 桜の樹の下での細やかな花の宴であった。桜の花の下へ家内を招くのは別段誇らしい訳でもないが、恥じる訳でもなかった。
 貧しくとも志ある武士が、わが女房を細やかに招待するという程度の、非常に細やかな、ただ「細やか」を売物にしたその程度のものだった。

 今が旬の「桜の樹の下で」という感じの細やかな招待だった。
 ベンチに二人並んで坐った。こうした二人を揶揄する視聴者
も、邪魔する妨害物も何一つなかった。ただ桜の花で溢れていた。
 「いい景色ですね、一年前の増淵ダム
(北九州市)の桜の風景を思い出します」
 「ああ、そうだな。今ごろ、あそこも桜の花が咲き乱れ、いい季節になっていることだだろう」
 「ええ」
 「戻ってみたいか?……」
 「えッ?………」困ったような貌をした。
 恐らく脳裡には、北九州の養護施設に預けている五歳と四歳の幼子二人のことを思い出したのだろう。
 小倉に棲んでいる時は、毎週一回子供の面会へ出掛けていたからである。もうそれをしなくなって二ヵ月ほどが過ぎようとしていた。脳裡には子供の安否が掠
(かす)めたのであろう。詰まらぬことを訊いてしまったと思った。
 「無理に答えなくていい」

 あるいは直ぐに会計処理のことを思い返したのであろう。毎日詰めかけて来る債権者の罵声を思ったのであろう。筋者が寄せ集まった地域が地域だけに人間の気性も荒い。
 それは「無法松」の前例でも分るだろう。
 関東のように止まった車を無視して、横断歩道をゆったりと歩いていたら、運転手が降りて来て歩行者と掴み合いになる。それだけ気も荒い。日本一の暴力団の密集地域である。

 あるいは「尚道館は今ごろ……」という気持ちがあったのかも知れない。
 まだ道場だけは巧みに所有者の名義変更の巧妙なる書換を行っていたので、誰からも抵当設定だけはされてはいなかった。私個人を、債権者にして尚道館は、その魔の手から巧みに逃れていたのである。それは法人ですらなかった。正体不明の物件になっていた。
 今は息を潜めるしかなかった。暫
(しばら)く死んだ振りをしていればいい。
 しかし無事に、いつまで息を潜めているかは分らなかった。その安否を気遣ったのだろう。
 「今ごろ……」と、そこで言葉を切ったようだ。
 過去を繰り返したら切りがない。失敗と若気に至りが堂々巡りするだけである。

 「俺は悪運が強い。簡単には、天は俺を見放す訳がない……」その裏には、尚道館は無事だよという言葉の意図を隠していた。
 「そうですね、そうでしょう……」
 それを先取りしたように、そう応えた。
 「見ろ、この夥
(おびただ)しい桜の花を……。花まで俺を祝福している。今年は何となく分るんだ。何か今までとは違う気がする……」
 「どういうこと?」
 「幸先がいい」
 この言葉の裏に、私はパチンコ野郎の進龍一を思い浮かべた。奴のボロ負けは、やがて私の擡頭を暗示するものであった。

 「何が幸先がいいのです?」
 「俺に幸先のいいことを暗示してくれた幸運がある」
 奴の10万円もすったことを思ったからである。奴のへこみは私の擡頭であった。
 他人のへこみの分だけ自分に割り振られる。運命はダイナミックに変化しながら、最初はシーソー現象を起こすが、やがてとなって拮抗する。下がりっぱなしでない。揺り戻しが起こる。
 私は「もう一度浮上する」という自己暗示を懸けていた。
 今から幸先がいいぞ。多少の波瀾は起ころうが、とにかく幸先がいい。そう、自らに暗示を掛けていた。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法