運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
壺中天・瓢箪仙人 1
壺中天・瓢箪仙人 2
壺中天・瓢箪仙人 3
壺中天・瓢箪仙人 4
壺中天・瓢箪仙人 5
壺中天・瓢箪仙人 6
壺中天・瓢箪仙人 7
壺中天・瓢箪仙人 8
壺中天・瓢箪仙人 9
壺中天・瓢箪仙人 10
壺中天・瓢箪仙人 11
壺中天・瓢箪仙人 12
壺中天・瓢箪仙人 13
壺中天・瓢箪仙人 14
壺中天・瓢箪仙人 15
壺中天・瓢箪仙人 16
壺中天・瓢箪仙人 17
壺中天・瓢箪仙人 18
壺中天・瓢箪仙人 19
壺中天・瓢箪仙人 20
壺中天・瓢箪仙人 21
壺中天・瓢箪仙人 22
壺中天・瓢箪仙人 23
壺中天・瓢箪仙人 24
壺中天・瓢箪仙人 25
壺中天・瓢箪仙人 26
壺中天・瓢箪仙人 27
壺中天・瓢箪仙人 28
壺中天・瓢箪仙人 29
壺中天・瓢箪仙人 30
壺中天・瓢箪仙人 31
壺中天・瓢箪仙人 32
壺中天・瓢箪仙人 33
壺中天・瓢箪仙人 34
壺中天・瓢箪仙人 35
壺中天・瓢箪仙人 36
壺中天・瓢箪仙人 37
壺中天・瓢箪仙人 38
壺中天・瓢箪仙人 39
壺中天・瓢箪仙人 40
壺中天・瓢箪仙人 41
壺中天・瓢箪仙人 42
壺中天・瓢箪仙人 43
壺中天・瓢箪仙人 44
壺中天・瓢箪仙人 45
壺中天・瓢箪仙人 46
壺中天・瓢箪仙人 47
壺中天・瓢箪仙人 48
壺中天・瓢箪仙人 49
壺中天・瓢箪仙人 50
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 壺中天・瓢箪仙人 10
壺中天・瓢箪仙人 10

『勉強は一人でやった方が伸びる』
 個別指導の発案者は、当時東京中野に総括本部を置く、全国の個別指導の草分けで、「個別指導」を発明した佐々木慶一氏であった。
 彼は東大理科三類
(医学部)在学中、この“新方式”を発明し、家庭教師からヒントを得て個別指導なるものを考え出した。
 そして筆者とも深い面識があった。

 (佐々木慶一著、桐原書店、1987年4月1日初版発行)



●越後獅子方式

 個別指導という学習方式は、東大医学部出身の佐々木慶一(ささき‐けいいち)氏が始めたものである。まさに氏は正真正銘の個別指導発案者の元祖であった。
 氏は、一風変わった教育者の理想を追求した人であり、この理想は、一対一の指導に絶大な効果が出ると理論立てをした、学習指導の天才であった。凡夫
(ぼんぷ)に思いもつかない独特の発想の持ち主であった。

 私は、氏が東京上野でモデル教室を展開していた時、進龍一とともに、此処に何度も足を運んだことがあった。そして奇遇だったのは、佐々木氏が日本刀の愛好家であり、蒐集家であったことだ。

 学生時代から刀屋を生業
(なりわい)として生活していた私は刀剣評論で、佐々木氏と意見があった。同意見で一致した。
 やはり大物は日本刀の美を愛好するのである。
 これは私が学生時代、刀屋をしながら同時に家庭教師をしていた頃、私に依頼した親は必ずと言っていいほど美術品の名に値する日本刀の愛好者であったからだ。
 当時、私が家庭教師をしながら、その家の親に日本と言うを奨めて廻ったことは決してピント外れでなかった。私は医家専門にその子弟に対してプロの家庭教師として大学進学指導をしていた。医学部を合格させるための家庭教師であった。

 当時私は大学二年で、「プロの家庭教師」を自称し、その家の子弟とはほぼ同年代の学生であった。彼らは名門の有名私立高の二年生や三年生であった。年齢の差は幾らも開かない。そのうえ坊主頭で角帽に学生服を着ていたから、甘く見られて見下されるのも度々だった。それは覚悟の上で、上流に位置する彼らの見識眼のほどを、逆に私の方が覗こうとしたのかも知れない。
 だが、それでも教師と生徒の線引きは明確だった。長幼に関係なく、学問は器量の勝る方が上に来る。それを判断するのは、将来、わが子を学問で世に立たせようとする親である。その親が如何なる見識眼を持っているか知りたかった。
 真贋は刀剣などの美術界ばかりにあるのではなく、人間界にも、人間の見識と言う真贋が存在していた。

 私は家庭教師に併せて、刀も売り歩いていた。そして志望校に合格させることを目的とした「プロの家庭教師」を自負していた。その自負がなければ、刀屋の生業も崩れる。毎日が見識を養う勉強であった。
 この詳細は
『続・刀屋物語』に詳しい。ここでは省略する。
 医家子弟での共通点は「将来、学問で世に出る」ことで一致していた。
 私はこの種の子弟を探すのに新聞広告は勿論のことだが、税務署が発行する高額所得者番付の『紳士録』を図書館で閲覧し、手書きのダイレクトメールを送ったことがある。当時はダイレクトメール自体の手法は珍しかった。
 しかし、私は歴史上の人物に習ったまでである。歴史上の人物の伝記は、読者の将来に示唆を与えることがある。

 かのロスチャイルド家の始祖となった初代に当たる、マイヤー・アムシェルの伝記を読むと、そこには人生の示唆がある。人の考え方がある。私のような凡夫と、目の付けどころの違いがある。
 マイヤーが普通の人なら安易に見逃してしまう、“がらくた”同然の、どうしようもない古銭に目をつけ、その古銭に、付加価値をつけるため、安い価格で持ち主から古銭を買い取ると、持ち前の知恵を駆使して、手書きのパンフレットを作り、その上に独自の創意工夫を懲らして、顧客になりそうな金持ちにパンフレットを郵送したのである。伝記を読んでこれを知った。これが医家の子弟に家庭教師として食い入る最初であった。
 家庭教師時代は、マイヤーに習っただけである。
 当時、ロスチャイルドの伝記を読んで、心躍る気持ちになったことがある。自分が大富豪になる夢を夢想
した。
 マイヤーも古銭を商う古物商であった。私も刀剣を扱う古物商であった。この点で、私もマイヤーも一致していた。

 昔、ある同業の刀剣業者から、「どうして日本刀と家庭教師が結びつくのだ」と馬鹿にされたことがあったが、私はそれを確
(しっか)り結びつけ、独自の商いを展開していた。
 それを後に証明したのが、佐々木氏の日本刀愛好から確信を得て、「大物は日本刀の美を愛好する」の、当時私が睨んだ商い展開が間違っていないことが証明されたのである。
 また、碁も進龍一の言った「大物は碁を打つ」も同じだった。
 奴が将棋
(これも有段者レベルで強かった)でなく、碁の重要性を力説したのは此処に根拠があった。
 一方、教育論も佐々木氏と一致していた。
 それぞれに一致する共通項を持っていた。奇
(く)しき縁(えにし)である。人生での出遭いの霊妙なる因縁と言えよう。

 佐々木氏の勉学論は、学校教育の一斉授業の欠点を挙げ、例えば当時は1クラス40〜50人として、この全員が同じ事を、黒板を前にして教師から習うのであるが、この全員は能力もバラバラであり、大半を分析すると、指導されている内容が分かり過ぎる生徒と、分からな過ぎる生徒に分かれ、教師の指導は分散されているというのである。
 これは仮に、能力別に分たとしても、大勢であれば、一対一に比べて、平均効果は低下すると言うものだった。

 したがって学習塾や進学塾においても、学校の授業の延長である。
 だが一斉授業では大きな効果が得られないというのが佐々木氏の持論である。
 つまり“集団グループ授業”では、教育効果が期待できないと言うもので、考えてみれば、全くその通りであった。

 この背景には私の持論であるが、“集団グループ授業”は換言すれば、平等が齎した「味噌糞混同方式」である。能力別に差別化されていない。これこそ戦後教育の平等論理の弊害だった。
 本来はこれこそ不平等と言わねばならないが、まさに出る杭は打たれる方式で、いいものを成長させないドングリの背比べ方式が日本の戦後教育であった。背後には落ち零れを見逃す落し穴があった。

 生徒・児童の学力分布は五段階評価では、成績が3の子供は圧倒的に多く、それを挟んで4と2がその次を追い、5と1は極めて少ない。この分布は“普通”と称する中間層を軸として周囲に群がっていることである。
 要するに日本の戦後教育は極めて少ない層を抹殺してしてしまって、3を基軸に4と2を周囲に侍
(はべ)らせる方式で、戦後教育の特長であった。平等論である。ここに「一億総中流」という日教組的平等論が生まれた。今日もその延長上にある。
 その特長を逸早く見抜いた知識階級に属する親達は、わが子を公立の学校に通わせず、わざわざ難関なる有名私立へと進ませたのである。これはまた戦後民主主義の弊害であったと言えよう。これが私の持論である。
 だが有効な解決法を知らなかった。

 一方、物事の動きに聡い進龍一が、私を佐々木慶一氏の「個別指導」に誘ったのは、それを見抜いた塾の「学校ごっこ」を排して、今からの時代は差別化と個別化が塾産業の中心課題になるということを見抜いていたのであろう。
 その見識は、また道場への情熱を失わせて、せっかく北九州から送り込んだ斬り込み隊長としての「関東方面指導部長」という名は、既に有名無実になっていた。

 「どうして三千円とか、四千円の小銭を汗水垂らして集めなければならないのですか。
 同じ躰を張るのなら首から下ではなく、首から上の頭脳を遣って、この時代を乗り切りたいものです。小銭集めなど遣っていられますか」が、奴の当時の口癖だった。
 そしてその口癖通り、奴は道場を、私の丸投げしたのである。私が習志野に夜逃げした時、奴はこのように言った。
 「これから先、宗家が道場を切り盛りして小銭集めをして下さい。当座の小遣い金稼ぎくらいにはなるでしょう。私は小銭には興味がありません」というのであった。
 この結果、奴が丸投げした習志野網武館と言うお荷物を、私が背負い込むことになる。
 しかし、この道場はボロ道場だった。
 月謝の未収金が無茶苦茶多いのである。それを未収のまま放置していたのである。道場の経営は全くのどんぶり勘定であった。支払う経費が多いのである。
 丸投げした気持ちも理解出来たが、しかし月謝不払いで、二年も三年も放置して注意せず、また道場生は道場生で平気な貌をして来館する者の厚顔には呆れる以外なかった。何が道だ、礼儀はどこに行ったと言いたかった。
 その厚顔の輩
(やから)にすら、一言も文句云わず黙って放置していたのである。

 この回収が徹底されたのは、私も電話請求で未払い者に請求を求めたが、本格的に、完全に完納させるに至ったのは、家内が習志野に来てからの翌年の二月末であった。
 集金魔の家内は、頑迷な未払い者に対し内容証明で特別送達の督促状を送りつけた。
 これに進龍一は舌を巻いて、「奥さんに、ああ言うことをされては困るじゃないですか。私の立場がありません」と、逆に文句を言って来たのである。
 「お前はエエカッコシーじゃのう」
 「しかし、奥さんの遣ることは異常です。何で内容証明で特別送達の督促状を送りつけたのですか!抵抗力のない世間一般では、内容証明が実に恐ろしいものに映ります。
 宗家なら確
(しっか)り免疫も出来て、内容証明なんかは鼻紙にしてクソ喰らえでしょうが、殆ど抵抗力もなく、可もなく不可もない善良な市民は、督促状を見ただけで慄(ふる)え上がります!」と凄い剣幕だった。
 可もなく不可もない少国民は、突つくなということなのだろう。
 「しかし長年不払いをして、頬
(ほ)っ被りしている奴は人間のクズだ。仁に外れ、道に外れていることを教えねばならん」
 「孔子ならそうするでしょう。しかし老子はそう言うことはしません。好きにさせます。本人が気付くまで好きにさせておけばいいのです。これが、昔から道場主に求められた太っ腹の心得です」
 「だが、それでは喰えん。道教の仙人なら霞
(かすみ)を啖(く)って生き存(ながら)えようが、俺のような落ちた豚では、喰わんと痩せ細って、超豚としての迫力がなくなる」

 奴は呆れて、あんぐりと口を開け、馬鹿らしくて聞いていられないと言う貌をした。
 「宗家なら痩せた豚でも迫力があります。まず自分のデブ体躯を痩せさせて、不払い者に反省を促すことが先決でしょう。金なら頭を遣って、塾という産業媒体で稼げばいいのです。道場には『太っ腹論』が必要なのです。だから道場は神聖なのです」
 つまり奴の「太っ腹論」は、本当の道場主と言うのは、門弟が月謝を踏み倒そうと企んでも、見て見らぬ振りをして好きにさせ、自分の非に気付くまで放置しておくのが大人
(たいじん)と言うのである。
 果たして、何
(いず)れが正しいか。

 しかし、奴の今の考えは老荘的である。
 正義を貫き、約束を厳守させると言う孔子的な思考ではない。どちらかと言うと、無為自然に任せた考え方である。しかしこれでは喰えない。道場も経費が掛かる以上、それに対処しなければならない。当時は、月謝は子供が千円で大人が三千円だった。それを私は子供を五千円にし、大人を七千円にした。貸しビルを借りているから妥当なる金額だったであろう。
 そしてこれまで未収金が奴の「太っ腹論」で累積していた。
 だが集金魔の家内が、クズどもからこれまでの不払い分を総て集金してしまったのである。

 奴は「太っ腹論」を持ち出しつつ、金銭は塾という教育産業媒体で稼げばいいと言う。
 だが、それでは私が餓える。
 そこで、奴は「春期講習」というこの荷物を私の振ったのである。実は、奴にとって、この荷物が重いから振ったのである。おそらく道場のような重荷であったかも知れない。
 そして私が以後、本格的な個別指導に全力を注ぎ込むことになる。
 奴は小銭集めの道場など目ではなかった。また短期の小銭集めに等しい春期講習も目でなかった。
 短期では実入りが少ないからである。

 そのうえ以前から、佐々木氏の壮大な勉強法に相当感化されているようであった。
 だが感化だけでは留まらない。
 奴の凄いところは、単に感化されて佐々木氏の真似をするのでなく、それをベースに独自に自分の構想を載せて次ぎなるものを考え出して、更にその上を行くシステムを編み出すことであった。
 後に奴が考え出した《越後獅子方式》は、その辺の愚者では絶対に考え付かない発想であり、可もなく不可もなく、真面目で正直な無力な善人では、絶対の及びもつかない発想であった。天下に類を見ない塾業界の天才と言えた。

 そもそも佐々木氏の着想は革命的である。勉学革命である。だが奴は、それを上回る勉学革命論を打ち立てた。
 それが《越後獅子方式》であった。
 しかし、ここに行き着く前には、個別指導の原点を説明せねばならない。

 佐々木氏はこれまでの教育者が見逃していた、「想像力と連想力」を駆使する思考を編み出したのである。それは人間の、「考えようとする行為を疲れる」と定義したことであった。
 人間は考えれば疲れる生き物なのである。
 だから氏は「考えるな」と言う。これは思考するなと言うことでない。
 例えば、分らない漢字の書き取りや英単語のスペルなどの、記憶していないものを考えるなということである。だが、この違いを凡夫レベルでは「考えるな」を「思考するな」と捉えてしまう。
 本来の意味は、「分らないことに長時間しがみつくな」と言う意味で、決して思考するなと言うことでない。だが愚者はこの違いに区別がつかない。正しくは、無駄なことはするなということだ。
 これは無駄に考え続ければエネルギーの浪費になると言う意味である。
 また、それは死んだ時間とも言う。勉強の無駄と不能率が生まれるのは、分らないことを考え続けるエネルギーの浪費があるからである。

 例えば氏は英語の単語や長文読解での構文などが分からず、それを考えている間は、無駄なエネルギーばかりを浪費して、考える英語では“伸びない”と言うのである。数学も公式を知らねば解けないのと同じである。これを考える時間が死んでいると言うのである。
 これに対して進龍一は、画期的とも言うべき『最初から答を見て勉強しよう』だった。
 此処に重大なヒントが隠されていた。
 一番最初から難問に齧
(かじ)り付くのではなく、解答書や答に至る解説を見ながら勉強すると言う遣り方である。これなら解けない問題に齧り付く必要はない。解法手順が自分で確認出来るからである。
 しかし、この遣り方を最初、嗤
(わ)った父母や生徒は多かった。バカにしたのである。

 英語学習は単語・熟語・基本文ならびに複文の三段構成になっていて、それは「理解力×記憶力=英語力」という図式になるのだと言う。だからこれを“考える英語学習”にしては駄目だと言う。時間が無駄に使われていると言うのだ。
 そして「理解力×記憶力=英語力」の基礎図式が完成したら、その後10段階に分かれた《診断テスト》を受けて、順にステップを上げていくという作業を、教職員側は受講生にしなければならないと言うのだった。

 昨今は、個別指導と銘打った学習塾や進学塾が幅を利かせている。また、こうした塾の中には、総括本部が存在するフランチャイズ形式の個別指導もあるようだ。
 こうしたFC形式の塾は、本部にFCのロイヤリティーを払うばかりでなく、《診断テスト》のきちんと印刷したひな形があり、これを買わせるというシステムになっているところもある。
 そのために末端の所属塾は、月謝の殆どを本部に吸い上げられてしまう。それで経営困難となって潰れていく塾も多い。本部に収めるFCロイヤリティーが重くのしかかっていること起こる。

 ところが、佐々木氏は個別指導を真似したからといってロイヤリティーも取らず、《診断テスト》ですら、本部使用のものでなく、自塾で問題を作れというのである。
 更に、新聞折り込みのひな形まで提供してくれ、「個別指導のロゴ」まで無料で使用させてくれる奇特な人だった。あるいは「学問」をそうした商売に結び付けることが、嫌いな人だったのかも知れない。

 彼は東大医学部麻酔科医からの、単なる学問に対する「学究の徒」だったのかも知れない。
 そうした情熱をもって、小中高生に訴え、浪人生に訴え、あるいはその父兄に本当の勉強のやり方を、声を大にして訴えたかったかも知れない。
 また、それが極めて効率的な学習法を発明したのだった。紛
(まぎ)れもなく「個別指導」という学習方法は、佐々木慶一氏の発明によるものだった。それが二番煎じに真似されて、今度は自分の経営体制を危うくした。

 その後に登場する「○○義塾」などの個別指導は、この佐々木氏の形式をそっくり真似しおて、それを全国にチェーン展開したものである。今では完全に商業ペースに載せ、総括本部は儲かって仕方がないという、笑いの止まらぬ経営をしているようだ。
 しかし、個別指導を佐々木氏が登録商標として登録すれば、氏の独り相撲であったろうが、氏はこれをしなかったところに、「学究の徒」として天才・佐々木慶一が存在するのだと思うのである。
 彼は確かに天才だった。
 私は、六十有余年まで縁あって、天より生かされ、その人生の中で少なからず「天才」という人物に遭ったのである。
 天才は、凡夫とは全く違う思考構造を持っている。この構造が凄いのである。私も大いに感化された。
 例えば、同じ学習をするにしても、天才はノートになんか書いて、それを勉強の足跡としないのである。足跡は、天才にいわせれば、どこまでも「跡」であり、跡に実体はないというのであった。「今生きている」という次元のものだけが、本物だというのである。

 その証拠に、「ノートに書いて勉強する」のは、それは「勉強のふり」というのである。“ふり”では、実体がないのだというのである。だから佐々木氏は、もともと解ける問題をノートに解いている時間は死んでいるとまで言い切る。
 また、氏は危険な学習例を挙げ、以下のような学習をしていると、膨大な時間が費やされ、殆ど効率が上がらないと言うのである。
 そして氏は、英・数・国・理・社の五教科の勉強の仕方にも種々の盲点を指摘しているのである。

 例えば英語については、辞書を引きながら、単語帳やのノートに記入している。更に英語の危険な学習例として、問題集を解く。辞書を引きながら副読本や英字新聞を読む。単語帳を作る。教科書の本文の下に、単語の意味や文訳を書き入れる。ノートに教科書の本文を書き写し、下の欄、またはページ右横に単語の意味や文訳を書く。カセットテープを聴いたり、ラジオ講座を聴く。英会話の学校に通う。予備校や塾の一斉授業を受ける、などは非能率だというのである。これをすると、頭脳・神経労働の疲労度は大きくなって、英語力は伸びないというのである。

 また、数学については、問題をノートに解いている。ノートにコツコツ問題を解いている。数学のノートに整然とした、きれいな字で一糸乱れず、びっしりと書き込まれている。
 こうした方法は無駄なことで、もともと解ける問題を何万題も解くのでは数学は伸びないというのだった。
 更に国語は日本語の読解力と解釈を問題に上げ、この力が劣っていれば、数学の文章題も理科も社会も全くのお手上げと言うのである。何故なら設問は日本語で書かれているからだ。

 氏の独創は、これまでとは全く逆の発想である。氏は、考えようと思わず、“興味を持って眺
(なが)めようとする心の姿勢”が大事だと言う。
 興味が起れば、充分に想像し、充分に連想して、他の事とも絡めていくことができると言うのである。つまりこれが「学問をする姿勢だ」と言うのである。
 したがって「学問をする姿勢」は、他と絡める知性と理性の関連がなければ、連結するパイプは失われ、ただ一つの事だけが孤立した存在として浮き上がり、この結果、人間が学問をする姿勢が失われると言うのである。総じて「関連のパイプ」を通じて、連鎖反応を起こすことが大事で、この反応が繰り返される度に学問と人間の成長が記憶の中に固定すると言うのである。

 私は佐々木氏の話を聴いて、人間の知性や理性の「文」の部分と、人間的成長の度合いのバロメーターである、死を嗜
(たしな)む道の「武」の両方を結び付けて、これを観点のパイプで結ぶ、「文武両道」を連想したのである。

 文武両道……。
 一口に世間ではこう言うが、それは学力無しには語れない。教養を身に付けてこそ両立する。
 私の最も理想とするところである。追求点である。
 特に「文」は、学力と知性アップを図るうえで大切なものである。
 今日の武術家や武道家やスポーツマンを自称する者に一番欠けているのは、この「文」の分野だった。
 多くの愛好者は、知性を増強させ、思考力を旺盛にして“学問をする”という部分が欠如している。武人に学問は必要ないと思っている。腕力で世を制すことが出来ると思い込んでいる。殆
(あや)うしである。

 しかし、文が抜け落ちていては、「気違いに刃物の観」がある。
 何事も道理でなく、暴力で解決し、一方脅された者は暴力に屈する現実が生まれてくる。そうなると、世の中全体が、腕力で、言論の暴力で屈する実情が生まれてくる。暴力は少なくとも正義ではあるまい。暴力肯定の多数決が少なくとも正義ではあるまい。

 矛
(ほこ)を止めてこそ、武人の取るべき態度で、「武」の暴力に任せて、傲慢(ごうまん)な暴言は慎むべきである。
 ところが、日本ではこの傲慢な暴言が、マイナーな武道雑誌の中で、所狭しと書き並べられている。
 まるで独断と偏見と、傲慢な暴言のオンパレードだ。この言論の自由なる世界では、暴力が罷
(まか)り通っている。

 100の中で“かしこ”が50居れば、その反対数の50だけバカも居ると思う。物事は中庸の中点位置でほぼ相半ばしているのである。
 ゆえに私は、佐々木氏の、「どんな知識もひとり独立しているものは弱く、消え去るにも早い」と言い、これに心から共感するのである。

 例えば、これを青少年期の勉学に例えるならば、理科と社会科の関連性は実に弱く、年齢と倶
(とも)に、これらは記憶から消去されていくと指摘している。しかし、理科と社会の“共通の原則”を関連づければ、心の中で、新たなものを惹起(じゃっき)させることができると言う。
 例えば、理科は旺盛な興味と好奇心と探究心を湧
(わ)き立たせるものであり、社会科はそれらに加えて、一つの事柄を教科全体の中で、位置付けと意味を確認すれば、これまでの平面が立体になると言うのである。“関連づけ”は縦・横の連携だけでなく、これに奥行きができてこそ立体条件の構図が完成するのであって、ここで平方完成ならぬ、立体完成が実現するのである。

 つまり、これまでの平面とは、特に社会科の場合、学校の教師は教科書の書いていることを自分なりにまとめ、それを黒板に書き出し、それをまた生徒に、ノートに書くことを強要する。昔から学校の授業ではそうである。
 教師の書いた黒板の内容が、あたかも社会科の学習と思われてきた。生徒もそれを信じて疑わなかった。ノートオンリーだったのである。

 この現実を指摘して、佐々木氏は、これでは問題提起の活字に過ぎないと言うのである。
 生きたものでなく、深い味合いの含蓄も存在しないのである。この中からは、単に暗記力に頼って年号を覚えるだけの、粗末な、“旺盛な興味”が死ぬ、暗記だけが繰り替えされていると言うのだ。
 そして、この背景には、少なからず日教組の影響があり、教師の手抜き作業が、社会科教師の授業に見え隠れするのだった。

 独断と偏見で、反日運動猛々しい、“お上”の御達しの学習指導要領とは異なる自分独特のノートを作成した教師は、これを黒板に所狭しと書きなぐり、それをまた生徒に写させる。まるで“写経の如し”で、その写経手本を、また生徒は自分のノートに写経する。写経は次から次へと伝搬する。
 これが学校教育で行われている、社会科授業の「写経」の現実だ。佐々木氏は、これを「想像力と連想力」を奪った死んだ学習法としている。
 結局、写経だけでは“勉強しているポーズ”だけで終ると言うのである。

 世の中には、このタイプの勉強嫌いが多い。こうした者がまた、自分の優越感と自尊心を守るために、オタクになるという道に趨
(はし)る。実にオタクは、これを根源としているのではないか。
 専門家然として論
(あげつら)う論理は、自分の優越感と自尊心の満足度を高めるためであった。ゆえにこの種属(スピーシーズ)は「一点」につき、やたら詳しい。但し狭き範疇(はんちゅう)を凌駕する訳でない。全体像を見らず、微視的に近視眼的に根掘り葉掘りのタイプである。

 その後、佐々木氏とは意気投合し、上野界隈
(かいわい)を飲み歩き、また何度も北九州の黒崎校に来て頂いて、将来を語り合い、教育の理想論を追求したものである。
 だがこの時、私の予備校明林塾ゼミナールは斜陽の時期であり、画期的な佐々木氏の指導方式を充分に取り入れて、受講生に大きな効果を齎
(もたら)すことは出来なかった。もう「時、遅し」という観があったのである。佐々木氏に巡り会う時期が、もう少し早ければ、と思うのであった。
 個別指導には、そういう想い出があった。

 奴が提示した「うちの塾の春期講習を主催してみませんか」の申し出を、私は「またとない好機」と捉
(とら)えた。
 そして脳裡に描いた企画は「個別指導方式の春期講習」であった。

 これを機に、“賭け碁”で進龍一から巻き上げられた10万円相当分に、利息を付けて取り返さなければと心に誓ったのである。
 《野郎……、思い知れ!》と心の中で怒声を挙げていた。
 “賭け碁”で負けても悔しくないが、10万円を失ったことは悔しかった。この恨みには、しっかり利息を付けてやる……、そう思うのだった。

 私は、まずワープロで宣伝文を作り、これをコピー機に掛けて5万枚のチラシを作った。当時、コピー機のカウント料は一枚10円だったから、これで5万円消費したことになり、20万円の所場代のうち、5万円を取り返したことになる。奴に、もう5万円の損害を与えていた。この上もない喜びが込み上げてきた。

 このチラシを明林塾の塾生だけに配付するのではなく、このチラシを塾生に持たせて、一人500枚を郵便受けに配付させることを思い付いたのだった。
 それにこの配布は、タダで配付させるのではなかった。500枚配布を1000円で買い上げる。
 この当時、明林塾の塾生は約100人前後居たので、一人500枚平均で配ってもらえば、直に吐ける作業だった。片っ端から、郵便受けに放り込めばよかった。500枚という数は、あッという間に消化した。

 これは進龍一が、今まで散々、巧妙に扱
(こ)き使ってきた《越後獅子方式》というものである。同時に、こうすれば配付する塾生には自身の励みになる。
 では何故《越後獅子方式》と称するか。
 『越後獅子』の物語は多くの読者が知るところであろう。美空ひばりの『越後獅子の唄』は今でも有名である。
 また歌舞伎にも登場する『角兵衛獅子』をいい、越後国西蒲原郡月潟地方から出る獅子舞を言う。それは子供が小さい獅子頭を被り、身を反らせたり、逆立ちをしながら旅をする旅芸人である。銭を乞いあるくのが目的である。しかしそれを統率する元締めの親方がいる。
 子供らに逆立ちをさせ芸を遣らせ笛と太鼓で乞い歩かせるのは、影に親方が居るからである。そして子供が芸で稼いだ金を総て取り上げてしまう。
 ここまで説明すれば、その現状がどうであるか想像に難くないだろう。

 特に小遣い銭を欲しがる小中学生には喜ばれた。臨時収入が入るからだ。
 それは私が小中学生を集めて、時給計算の算出法を説明したからである。現代では十五歳以下の少年少女の就労は法律で禁じられている。ところが、駄賃をもらっての臨時収入は構わない。ここに《越後獅子方式》の妙がある。
 「君たちは、進龍一塾長先生のもとで、“時給10円”という信じられないくらい安い時給で、二時間も三時間も扱
(こ)き使われ、まるで『仮面ライダー』【註】石ノ森章太郎原作)に出てくる“ショッカー”の如き哀れな手先を演じている。これを訝(おか)しいとは思わないだろうか?」
 私は、此処に参集した小中学生の塾生に問いかけていた。そして反応を待った。
 彼等は最初、唖然
(あぜん)とした顔で私の話を聞いていた。
 そこで更に話を進めた。

 「ところで諸君。例えば一日50円稼ぐのに、この塾でのバイトでは5時間かかる。
 だがチラシ宅配は500枚配るのに、郵便受けに片っ端から投げ込んでいけばそれですむ。まあ、“駆け足で”という感じの軽いランニングで、時間すれば、一枚投函するに30秒として1分間に2枚。10分間で20枚。1時間で160枚だ。500枚配るのには三時間弱だ。時給10円のバイトと、500枚宅配1,000円とでは、どちらが効率がいいだろうか?」と、焚
(や)き付けた。
 そこに居た彼等は、ガヤガヤと一瞬騒然となり、ついに私の説得に耳を傾けた。喰い付いたのである。撒き餌は巻くものである。

 私の感想は、《越後獅子方式は、確かに儲かる……》と、つくづく進龍一の遣り方に、「天才」を見る思いだった。実にそつが無い。この男からこの智慧を学んだのである。
 一方で、奴は越後獅子の親方だった。策を用いる親方である。その親方に学んで、私は細やかに“親方補”を遣らせてもらっていた。奴の塾では講師補ならば、親方レベルも“補”の見習うべき階級である。
 この5万枚のチラシは瞬く間に配り終え、ついに、もう5万枚、追加コピーした。もう、これだけで、進龍一のマイナスは10万円に及んでいた。
 私は奴の裏をかくことを企んだ。

 ところが、奴はこのことを知らず、毎日呑気にパチンコ屋に通い、塾は私に任せきりだった。
 3月20日は春期講習開始日だったが、塾生の参加者は約三分の二にのぼり、部外者の参加者は50人ほどが集まったので、一人頭平均して、一日2時間の学習時間を受講するとして2,000円平均となり、これを約10日間前後受講するから、一人頭2万円の受講料を払うことになる。それに参加者が130名ほどいた。ざっと売り上げ計算をして260万円だ。
 それに私が独自に雇った、東邦大学の理学部や薬学部のアルバイト講師を3人ほど置いていたから、彼等の時給は1,000円であり、朝から晩までフル回転しても、交代で講師を務めるのであるから、彼等への支払いは一人6、7万円もあれば済む。
 単純に粗利計算して、240万円ほどが残る計算となり、そのうち進龍一に所場代として20万円払えばすむことだった。こうして手許
(てもと)に残るのは220万円前後だった。

 私は約2週間の春期講習で、200万円以上を手にしたのである。
 早速、私は20万円の所場代を払うために、進龍一が通い詰めているパチンコ屋に足を運んだ。敵情視察である。
 金のことになると双方は敵同士となる。
 奴は私の顔を見て、「宗家、春期講習は儲かっていますか?」と訊くのである。
 私は、奴の横の空席に座って、「さっぱりだ。やはり金儲けの天才のお前には叶わない」と、表情だけは嘆いてみせた。
 「そうでしょ」
 一見、にゃとした貌で嘲笑ったような返事だった。

 「何しろ、俺は頭が悪いからな。おまけに頭も固いし、固定観念も強い。お前のように《越後獅子的》な、柔軟な発想ができない。越後獅子の親方のように、越後獅子から、稼がせた金を巻き上げたら、どんなに楽だろうと思うのだが、何しろ頭が悪い。頭が悪いから、金儲けのセンスもなく、金の方が先に逃げていく。商売とは実に難しい……」といいながら、懐から20万円の入った封筒を渡したのである。
 「越後獅子の親方なんて、人聞きの悪いこといわないで下さい。知らない人が聞いたら本気にするじゃありませんか」

 《もう、知らない人間でも本気にしているのだ。それが気付かないのか、バカめ……》と思いながら、「ところで、お前の方は儲かっているか?」と訊いたのである。
 「まあ、ざっとこの通りです」といって、取ったドル箱を5、6箱ほど高々と積み上げて足で踏みつけ自慢するのである。
 快進撃である。
 奴が調子のいい時は、出玉を両替して10万円相当に達するが、それに達した時には、パチンコ屋の台車の上にドル箱を高々と積み上げて店内を一周するのが奴のお得意の勝鬨
(かちどき)ポーズだった。パチンコ屋のカモになっているバカどもに羨望を抱かせるのである。奇妙な儀式であった。

 「毎日毎日、パチンコ屋に出向いて一日幾ら儲けを弾き出す?」
 「勝つ日ばかりではありませんから、まあ、一日平均3万から4万というところでしょうか。肉体労働とは言え、土方よりましですよ。それに趣味と実益を兼ねられますからね……」
 「そうか、まあ頑張ってしっかり取ってくれ。俺は塾が忙しいからこれで失敬する」といって、パチンコ屋で別れた。

 奴は、自分の本業の春期講習をホカして私に仕切らせ、自分はパチンコに没頭する。
 一方私は、これを渡りに舟と思って春期講習を仕切った。この差は一体どこから出てくるのだろうかとつくづく運命の不思議を思った。
 奴は調子良く一日に稼いだとして、14日間では50万円程度だろう。幸先のいい、快進撃を続けているようだった。
 ところが私はその比ではなかった。既に220万円以上の粗利を手にしていたのである。まんまと奴の裏をかいた観があった。
 こうして平成3年3月25日から4月7日までの14日間の春期講習が始まったのである。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法