運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 9

碁は大物が打つ。
 「将棋は小物のするものだが、碁は大物が打つ」というふうに聴かされれた。これは進龍一の持論であった。

 筆者の穢い賭け碁の遣り方を自らがカモになるため仕込まれたことがあった。
 最初、石の置き方から教わった。
 地の読み方や、出来具合いは数学の図形のように考えて、相手から囲まれて、自分の石を失わないようにすればいい。そのように聴かされ、遂に賭け碁のカモにされた。負ける度に「超弱い」と揶揄された。
 しかしそれだけでは納まらない。挙げ句に、負け金を徴収されるのである。

 この当時、コンピュータで行う低位に「六級」と言うのがあったが、昨今はそれ以上に殖えて50級まであるようだ。小学生らの愛好者が殖えたためだろう。
 当時コンピュータの六級と遣っても負けるのだから、実力はそれ以下だろう。小学低学年と遣っても負けるかも知れない。
 その程度のカモにされ易いヘボ碁であった。
 負ける度に某
(なにがし)かの負け金を徴収され、いつも損ばかりしていた。しかし、不思議と悔しい思ったことはなかった。人は頭が悪いからだと言う。


●笊碁

 かつて、進龍一と賭け将棋ならぬ、“賭け碁”をやったことがある。そこで、奴に散々いたぶられた。簡単に負かされた。
 “碁”に出会ったのは、学生時代に少しばかり真似事をしたことがあったが、本格的に取り組んだのはこの時が初めてであり、有段者レベルの石の置き方から教わったのである。とはいっても素人の範囲である。
 そして進の言うのには、「将棋は小物のするものだが、碁は大物が打つ」というふうに聴かされ、それで、ぼちぼち“へぼ碁”を打ち始めた。
 世間で言う素人の“笊碁
(ざるご)”の類(たぐい)である。休憩時間などを利用しての“お遊び”程度のものである。命は張った勝負ではない。
 しかし笊碁と言っても、奴の実力はアマチュアの一級か、初段程度はあるだろう。私のようなド素人では歯が立たない。簡単に捻られてしまう。

 そしてある程度、石を置けるようになって、陣取り合戦の戦い方が分かると「宗家は、数学的な頭がありますからね、地の読み方や、出来具合いは数学の幾何学図形のように考えて、相手から囲まれても、自分の石を失わないようにすればいいのです。ここらで一つ、賭
(か)けてやってみませんか」と誘われたのである。
 半分以上は煽
(おだ)てであろう。
 「幾ら賭ける?」と聴いたので、「最初は泣かない程度に500円で行きましょう」と言うのだった。
 しかし、この500円が意図も簡単に巻き上げられてしまう。百戦百敗であった。殆ど勝ったことは一度もなかった。いいところまで迫ったが、勝てなかった。いいカモにされていたのである。

 「宗家って、超弱いですね」
 野郎が勝ちを納めた後、開口一番に発する言葉は、私を「超弱い」と詰
(なじ)ることだった。私を見ると何でも「超」を付けるのが口癖であった。この一言を吐いて、まず一蹴するのである。
 次に上から目線で詰
る。
 散々悪罵
(あくば)を放つ。非を突いて一蹴することで、奴は優越感を感じるのであろう。貌がほころび嬉しそうである。勝者独特のポーズを崩さない。
 一種の見下しであり、侮蔑である。
 野郎はこのときばかりは、水を得た魚のようになる。喜々とする。そして罵倒はこれで止まない。
 暫
(しばら)く有難い説教のように長々と続く。長い説教が好きである。勝負展開と負けたことへの解析が始まる。欠点まで戒める。

 野郎曰
(いわ)く、「コンピュータの六級レベルでやっても、これじゃあ勝てませんよ。もう少し頭を使って勉強しなければ……。専門バカでは、世渡りできませんからね」
 「お前からそう言われると脂ものまで喰わされた上に、『西遊記』に出て来る豚の猪八戒
(ちょ‐はっかい)にでもなった気分だよ」
 私はこの時期、奴から誘われて深夜、脂ぎったものばかり喰わされていたので、体重は殖
(ふ)える一方だった。
 「なんで猪八戒なんです?」
 「お前は、俺に『超』を付けるからだ」
 私は猪八戒の「猪」と「超」を引っ掛けていたのである。
 「宗家は『超』を付けなくても立派に豚ですよ」
 確かに私は豚だった。

 私は“予備校倒産後遺症”から重度の肥満症を患い、体重は優に百キロを超えていた。それに誘われての脂食がデブの症状を招いていた。それ自体が『超』であった。
 衰運は人体を肥満に駆り立てるようである。体躯全体を弛
(ゆる)めるのである。水死人のように膨らんで弛んで来る。ぶくぶく肥る。気力が喪失する時にこの状態が起こる。私はその後遺症を習志野に来た当初は引き摺っていた。
 奴は抜けぬけと私に「超」をつけて、こう嘲弄
(ちょうろう)する。その中には肥満の超デブも含まれていたらしい。これがコケにされる要因だった。
 落ちた犬ならぬ「落ちた豚」は、何処までも揶揄され続けねばならなかった。
 つまり「勝負に負ける」と言うのは、こう言うことなのである。敗者は勝者に頭が上がらない。これは戦勝国と敗戦国の関係からも分るだろう。戦争は遣っている時も、戦争が終わってからが本当の地獄が始まるのである。激戦地の修羅場よりも終わってからの修羅場の方が恐ろしい。遣っている最中は劣勢であっても、まだ負けた訳でない。だが終わって勝敗がつけば、これ自体が覆せない事実となる。
 日本が戦争に負けて、日本列島がスッポリと侮辱に覆われ、三国人が傍若無人に踏み荒らしたことは、私たち世代ならば幽
(かす)かに記憶に留めている筈だ。団塊の世代の脳裡には、敗戦後の混乱の中でこの列島ないでは何が行われたか薄らと思えているものである。
 敗者は思想的にも政治的にも虐げられる。昨今の日本を取り巻く近隣諸国の風当たりの強さは、大日本帝国の敗戦に起因している。

 私は以降、奴が「落ちた犬」という言葉を使う度に、それを訂正して「落ちた豚」と言い直し、それを自負するようになっていた。時には「落ちた超豚」と言い換えたりもした。
 「なんで落ちた豚なんです?」
と訊くから、これに註釈をつけた。
 「いいか、豚はなァ、落ちるだけではない。豚の重要な特色は、煽
(おだ)てれば調子づいて木にも登ると言うことだ」
 「では私が豚を煽てているとでも?……」
 「それに近いことを遣っている覚えはないか?」
 こう問い詰めると、奴は黙る。その事実があるからだ。
 しかし私も、遊ばれていいと思っている。遊ばれる時には遊ばれたい。性格的に余り気にしない楽天的なところもあった。

 習志野時代は体重は百キロを超えていたと思う。最高で105kgはあっただろう。
 九十キロになったのは愛知県豊橋に移転したときで、その後、滋賀県大津に移転して、七十キロ代となり、今では学生時代の体重に迫る六十キロ代になった。
 大学一年の頃の身体検査では身長が170cmで、体重60kgだった。当時は痩身体躯であった。
 加齢して肥りもするが、“予備校倒産後遺症”が祟
(たた)ったことは事実であり、特に習志野時代はコケにされて、面白半分に脂ものを喰わされたことも起因しているようであった。

 人間は衰運期に入ると肥る。
 このことは、江戸末期の食養家として知られる水野南北
みずの‐なんぼく/観相学の大家で、当時、日本一の観相家といわれ『節食開運説』を唱えた。1760〜1834)の『躰相学』【註】筆者独自の呼称)からも分るようである。
 水野南北理論によれば、この因果関係は食の悪さが招いたことが衰運期とかなされば、陽体質は「陽」に拍車が掛かり肥るとあり、陰体質は「陰」に拍車が掛かり痩せるとある。
 この「肥痩
(ひそう)」の左右両極端に至れば、つまりその躰相には衰運が顕われているという事らしい。陰陽拮抗あるいはその中庸を指すのだろうか。

 衰運を盛運にするには食養が大事だと言う。体躯の体形が今の運を象徴していると言うのである。しかしこれが必ずしも当たっていないような気がするのである。何故ならマスコミ界や芸能界では超デブも健康を害しながら活躍し、人気者になっているからである。あるいはこの種の人気者は、後で反作用の煽りを受ける兆候を孕んでいるのだろうか。
 晩年を見てみなければ分らないだろう。おそらく超デブは悲惨な没落の運命を免れないだろう。そう考えると、南北先生の『節食開運説』も、“中らずと雖も遠からず”である。
 偏りがあっては不運衰退を招くらしい。したがって、当時の私は超肥満のデブだった。
 デブは運気が衰退しているから、「遣り込める相手としてはもってこい」というところだっただろうか。
 あるいは奴は私の衰運体形を見て、遣り込める法を用いていたのだろうか。水野南北の『節食開運説』を私に教えたのは奴だった。
 そこを付け込まれた観がある。そう思うと奴の智慧を深さを思い知らされた。時にはこのように壮大な仕掛けを戦略で用いるのである。思わず《何て奴だ!》と吐き捨てたくなる。

 勝負は自分より強い相手と戦って苦戦している時よりも、勝負が終わって白黒ははっきりし、負けた時である。それも奴は熟知していた。
 一番苦しく、屈辱を感じるのは負けた時なのである。負ければ、総ては後の祭りになる。

 私は不埒
(ふらち)にも若い頃、筋者と言われる連中が開陳する御法度の博奕場に出入りしたことがあるし、更には穀物相場や株式投資までやって大損をしたことがある。大金をごそっと持って行かれたことがあった。しかし負ければ何も言い返せない。その筋の掟(おきて)に従い、清算しなければならない。
 これまで何の痛い目に遭ったことやら……。
 賭け碁も同じである。負ければ負け金を黙って払う。この掟は絶対であるからだ。
 不履行で殺されても文句は言えない。
 掟重視の世界では、「子供が病気だから」とか「金の都合が付かないから」などの言い訳は絶対に通用しない。そうなると、後は逃げるしかないが、逃げても何処までお追っ掛けて来る。
 口で下約束は、この世界では絶対である。
 ここにも「忍の一字」が必要だった。
 野郎を腕力を揮ってぶっとばしてもいいのだが、それでは底が見えてしまう。
 ぐッと我慢の「忍」の一字にしがみついた。
 何を言われても仕方がない。罵倒にも甘んじる。

 だが、奴の罵倒には理由があった。
 「底」を見ているのである。その許容量である。深さを検
(み)ているのである。
 それが分れば何処まで踏み込んでいいか分ると言うものである。その分岐点を見分けることが出来れば、限界まで土足で踏み込んだとしても赦
(ゆる)してもらえる。それ以上踏み込んでならないところが判明するのである。それを見ているのであった。
 紛れもなく、堪忍袋の限界を見定めようとしているのである。そして、遂に頭にきて、もう一番もう一番を期待し、思う壷のシナリオに誘導するのである。キレればそれが「底」である。

 その後も、進龍一とは何度か賭け碁をした。
 それも高が知れた“笊碁”程度のレベルである。はっきり言えば“素人とお遊び”である。他愛のない遊びである。
 それに、しかし熱を上げる。勝負事の面白さと言うか怕さである。
 私もバカだった。まんまと誘導された。
 その度に千円、二千円と巻き上げられるのだった。気付いたら一万円を越えている時もあった。いつかは取り返してやる……、そう力むのも、素人の素人故の素人の愚なるところであった。私は愚鈍だったのである。手玉に取られて嵌められたのである。天下のお人好しであった。

 そして負ける度に奴は言った。
 「宗家は負けても悔しいと思わない。それがいけないのです。普通は、負けて悔しいと思い、勝つために勉強するのです。その勉強が足りません。本当は、やはり頭が悪いのと違いますか」と、しゃあしゃあと抜かすのである。
 野郎はわざと、“向かっ腹”が立つように仕向けるのである。
 言われてみれば、その通りだったのかも知れない。誘導に乗り易い、誘導尋問に懸かり易いと言うことを遠回しに分らせてくれているのだろう。
 それからというものは《俺は頭が悪い……》と、そう思い込むことに決めたのであった。
 だが、その度に「何しろ俺は頭が悪いからなァ」と言い返すと、「それがいけないのです。投げてはいけません」と言うのである。
 「どうしろと言う?」
 「考えて下さい」
 「考えている」
 「宗家と打っていると、碁以外の、何か他のことを考えているのではありませんか。相手の出方を牽制したり、先手を打って守ったり、打ち手の先きを全く読んだりしない。ただ相手が打った手に合わせて反応しているだけで、漠然としている。真剣に考えているのですか」
 「あんまりそうしたことは考えたくない。白黒は、どうも味塩を利かせた握り飯を連想する」
 「そう言う漠然としたところがいけないのです。必死で戦って下さい」
 「いや、必死で連想している」
 「連想ではなく、頭を遣って戦うのです。挑むのです。イメージだけで勝てません」
 「こういうことに頭を悩ましたくない。悩ますなら他のことに注ぎたい」
 「何処か狂ってますねェ」
 私を暖簾に腕押しと思ったのだろうか。あるいはネジが外れていると言いたいのだろうか。
 先手を読んで幾つ先きをストーリーで解するのでなく、私の場合は図形で検
(み)ていた。
 それにしても、碁の才は皆無であった。

 そのときに《頭の悪い奴は人の三倍努力して学べ》ということも「三倍論」の学説から学んだのである。この論は「三倍努力すれば何とかなるものだ」と教えていた。
 賢者の言に、愚者が一々目くじら立てるのは愚に、更に愚の上塗りをするだけである。大人のすることではない。子供の喧嘩になってしまう。そのように指摘する。『老子』である。
 老荘思想は、言わば大人の学である。老人学であり、換言すれば人間の人生の終盤期を「老大人」に導くための学問であるかも知れない。長老学というべきものである。
 老大人とか長老というのは「老師」と同じ意味であるから、何も加齢を重ねた老人のことではあるまい。学んで見識を持てば、若くとも老大人であり長老であり、「老師」と呼ばれてもおかしくない。
 分別のある人のことだが、世間の分別を超越して「無分別の世界」に到達した人のことである。つまりこれは分別知の上の次元にある「無分別智」である。最後には「無」に辿り着く。これを「空」と置き換えてもいいだろうか。無為自然に至るのである。
 無分別智である。此処に至ると勝ち負けもなくなる。俗界にいて俗界の垢に塗れれも、その垢に染まらなくなる。しかし、青いとそれはままならず、感情が先走る。

 確かにそうだと思う。
 世の中には、自分の愚も復
(かえ)り見らず、強気で負け将棋(あるいは碁)を負ける度に、もう一番もう一番と繰り返す者がいる。勝負事に悔しさと意地を反映させる者がいる。だが、そこが思う壷になる。それは頭が悪いと指摘する。感情家の一面が抜けきれないからであろう。
 現象に反応して激怒・立腹は感情家の特長である。喜怒哀楽も烈しい。

 だが果たして、私は確かに頭が悪いだろうが、囲碁というゲーム全体をそれなりに解説できる。そのゲームの巧妙さに感心させられることがある。よく考えられたゲームである。それに数千年単位の歴史がある。深遠なのも当り前である。
 しかしそれは、東洋と西洋の違いについてである。
 白と黒としかない石を戦わせる上で、そこには東洋と西洋の違いが、永久に交わることのない「異質」で語られている。ゲームは盤面を戦う上で似ているが、東洋の囲碁と西洋のチェスは明らかに用い方が違う。
 碁石と駒
(bishop)の違いもある。

 西洋のものは囲碁のように線上の交点を使うのでなく、線内の枡目
(ますめ)の中を使う。
 更に西洋のものは融通性を持ち、斜めに動き、それぞれに駒に命が与えられ、独立した役を持ち、生命を有するかのように動くのは、むしろ将棋に類似する。「動」的なゲームである。

 ところが碁は違う。
 碁では、打たれた石は囲みあげて、その命をもぎ取らない限り、置かれた石はいつまでも残る。
 この意味で、「静」のゲームといえよう。その「静」の中で、碁盤ばかりに貼り付いて、それに心を奪われると、自分の石が死んでいるのにも気付かない。考えれば恐ろしいゲームだった。
 自分の石が死にかけても、それが口惜しさなどの感情で見えなくなってしまう。それを回避するには、時々立ち止まる必要があり、また時には立ち上がって、盤面から一時的に離れることが肝心なのである。そうでないと、遂に相手のペースに引き摺り込まれ、気付いた時には自分の石が完全に死んでしまっているのである。へぼ碁の愚は、ここにある。

 この「へぼ碁」の愚行は、日常生活にも紛れ込んでいることがある。
 また、背中合わせの恐怖として、盤面に密着して石を打っているのではないかという強迫観念にも駆られるのである。密着型盤面思考となり、盤面から離れなくなり、それがある日突然、それらの石が総て死んでいた……というような悪夢が襲うこともある。その不安は、いつも背中合わせなのである。
 石が全部死ぬ……、そういう不安の中に、人の人生も包含されているのである。気を付けなければ……。
 負け碁の、もう一番、もう一番は恐ろしい。戦略無き愚行である。
 こうした愚に気付くのも無分別智に足を踏み入れたからである。愚が見えて来る。

 人生には、その登場人物として「愚人」という種属
(スピーシーズ)がいる。
 意地を張り、悔し紛れに負け碁の、もう一番、もう一番と繰り返す愚人である。
 私も最初はこの種属だった。
 愚人の眼には大局観が映らない。常に「こだわり」の中の戦闘に固執する。
 だが戦略を、戦闘で戦おうとしても無理である。
 戦闘の集合体は、戦略にはなり得ない。戦闘は何処まで行っても、戦闘でしかない。戦闘レベルで大局は見えない。戦略を戦術で負かそうとしても無理である。戦術では局地戦には強くとも、大局が見えないからである。これが愚人の“物事の見方”である。こだわるのは青いからである。感情家という“臍の緒”を引き摺っているからである。この引き摺りは感情を解脱して「超感情」に到達するまで続く。これまでの分別知が「無分別智」に感得出来るまで続く。悟りである。
 しかし、これが難しい。難解である。愚人には永遠に到達出来ないかも知れない。
 そして私も、その愚人の一人だった。

 そのため時間制限をしなければ何時間でも、何日でも、あるいは何ヵ月も勝負を競わなければならない。囲碁ゲームの目的は、相手の駒を殺すのではなく、石を囲むことになる。その意味で、東洋と西洋は対極をなすといえる。こうしたゲームは切れ者でなければ打てない。したがって、進龍一は確かに切れ者だった。
 だが野郎も、しかし大局を見据えているのか?……。
 これに諸手を上げて賛同することは出来ない。
 喩え、今はそうであっても、学ぶべきは学ぶ必要があろう。

 結局この誘いに乗って、更に千円、二千円と巻き上げるのだった。そして、私の勝ったのは千回対戦して数回程度しかなく、負けた金額は数万円を超えるものになっていた。
 ざっと計算して、奴から巻き上げられた金は10万円ほどだっただろうか。そして巻き上げられた金は、今度は奴がパチンコ屋で巻き上げられるという図式になっていた。
 パチンコ屋を潤わせるための、弱肉強食の食物連鎖が、ここでも法則通りに働いていた。

 「お前、碁は大物が打つといったなァ?」
 「はい。それがどうかしましたか?」
 「先の大戦を戦った旧陸海軍の将官や佐官の中にも、碁を打つ高級軍人は何人でも居たろう。碁打ち名人といわれた将官や佐官は居たろう。その名人が陸海軍の軍隊を指揮して、日本軍は、なぜ戦争の負けたのだろうか?碁打ち名人の指揮下で戦って、なぜ負けたのだろうか?」
 「えッ?……」

 「古今の時の流れを超えて、碁打ち名人の政財界人も居よう。財界人は別としても、政界人の中にも、名人級の碁打ちは居たはずだろう。その名人級の政治家が外国と交渉として、どうしてああ簡単に、赤子の手をひねられるように負かされてしまうのだろうか。
 また外交官にも碁打ちは居ただろう。それがどうして未だに法外な海外援助をさせられるのだろうか。
 中には無償援助と言うものがあり、国民の膏血
(こうけつ)を絞った税金を、まるで湯水の如く海外に垂れ流している。これを訝(おか)しいと、誰も思わないのだろうか。
 そして日本国民の大半は、この事実を知りながら、今や世界第二位の経済大国に伸
(の)し上がった中国への無償援助を続け、その金が北朝鮮に流れ、それが日本の工作資金になっている事実を、どうして黙認するのだろうか。
 あるいはコロンビア援助の海外援助資金が、実はイスラエル経由で、コロンビアの麻薬カルテルの武器援助に繋
(つな)がっている事実をなぜ黙認するのだろうか。イスラエルの軍事顧問団はコロンビアの麻薬カルテルに武器を売り渡し、そこで軍事教練をしている。貿易で外貨を稼ぐとは言え、この構図はどこか間違っていると思わないか。この間違いに、どうして日本人は糾弾(きゅうだん)しないのだろうか。この謀略性が見抜けないのだろうか。
 大局が見える戦略好きの碁打ち名人も居ように……。
 どうして自分の働いた血と汗の結晶である税金を、こう簡単に失ってしまうのだろう。なぜ、この金の流れの流出にストップを掛けないのだろうか?……なぜ?……なぜだ」
 私は矢継ぎ早に捲
(まく)し立てていた。
 「……………」奴は口を開けて聴いているだけだった。呆れたのだろうか。

 「今は確かにバブル景気の余韻
(よいん)で国民の誰もが浮かれている。不況も深刻になっていない。少なからず金もだぶついている。そして、政治スキャンダルは一向に跡を絶たない。
 その上、国民は金儲け至上主義に奔走し、やがて来るであろう国家的危機の中にあって、金に物を言わせ、酒と色にうつつを抜かしている。自分の尻に火がついているのに、どうして恋や歌にと狂奔するのだろうか。
 その一方で多くは、真剣に国家や社会の腐敗を糾弾することもできない。ただ沈黙を保ち、臭いものにでも蓋を
(ふた)して忍従しているだけである。
 だが、俺はこう言う体質が好きでない……」
 「……………」
 奴は答えなかった。
 逆に義侠とか義理人情とか、同胞と言う意識のほどを、私は検
(よ)うとしていたのかも知れない。あるいは憂国の情である。

 「何で、こう世界的視野の狭窄
(きょうさく)と言うか、あるべき姿のビジョンの不在と言うか、どうしてこれを日本人は深刻に考えないのだろうか。
 それにマスコミに踊らされ易い。
 スポーツ情報や芸能情報ばかりに眼を向け、流行に流され易く、テレビや雑誌などの芸能情報ばかりに関心を持っている。
 テレビ局などは、今や“時の成功者”となった漫才師や落語家たちでスタジオは独占され、彼等を英雄視する眼が出来上がっている。白痴番組も随分と増えた。どのチャンネルをひねっても、この手の白痴番組のタレントで仕切られ、馬鹿騒ぎの中で番組が進行されている。この現実を訝
(おか)しいと思わないのだろうか?」
 この言論は奴の蔵書を読み捲った結果から出たものであった。

 時は1990代初頭であった。反ユダヤの書籍が世に多く出回ったときである。しかし、反ユダヤ主義が悪いともいいとも肯定も否定もしない。ロスチャイルドのユダヤ人説もこの頃に浮上していたし、ユダヤの陰謀と言う書籍がベストセラーになったのもことの時であった。
 「ユダヤが分れば世界が分る」もこの時代の本であった。
 この時代、反ユダヤ・親ユダヤとも賛否両論が世に巻き起こった。おまけにユダヤ陰謀説まで浮上した。
 私はただ、これらの論を双方から学ぶだけであった。

 平成バブルの少し過ぎたことであったが、まだ不況が深刻になっていなかった。世は相変わらず飽食の時代であった。美食主義が持て囃
(はや)されていた。
 時の流行としては『わたしをスキーに連れてって』の、あの時代である。
 親の臑齧
(すね‐かじ)りのバカ学生どもは、新宿や渋谷辺りを、用もないのにスキー板を抱えてうろついている時期であった。この時代、スキーはステータスのシンボルであったようだ。このバカ学生が「新人類」と言われた時代の人種である。そして世はバブルに浮かれて、バカ学生でも「売手至上」の時代であった。無能でも上場会社に就職出来た。

 「それは日本人の頭の構造が立体的でないからですよ。いつも私のように平面的な碁盤の盤面でしか、構想が練れないからですよ。
 そこに行くと、宗家は三次元で物を図形のように見て、その発想を直に現実に移す。それは空間図形を見ているから出来るのですよ。検
(み)た先を面でなく、立体構造で捉えている。
 まさに、わが流の“表”“裏”“奥”の立体構造です。この三次元思考以上の思索がなければ、外圧には対等に戦えませんよ。戦略的捉え方とでもいいますか……」
 「むかし俺の親父がよく言っていたよ。貧乏中尉、やっとこさ大尉とね」
 「どういう意味です?」
 突然話題を別の次元にすり替えた出も思ったのだろうか。

 「かつての日本陸軍は陸軍大学校の受験該当者
(下級将校)には、薄給でいつも金にピィーピィーいって、妻君から子守りをさせられ、子供を背負って、挙げ句に魚まで焼かされている貧乏な中尉か、いつまでも昇進が出来ずに、やっと30歳前に大尉になった者とね」
 「どうしてこう言う将校が陸大の該当者として挙げられていたのです?」
 「そりゃァ貧乏中尉は子守りしながら魚を焼き、一つに行為で二つのことをしている。
 また、やっとこさ大尉はそれだけ苦渋の人生経験を堆積している。ストレートに難関試験を一発合格し、晴れがましいエリート路線を走る将校と異なり、苦労も多う重ねているからな。こういう将校は苦労の年輪を持っている。一時期、日本陸軍も、かつてのドイツのモルトケ少佐
(のちのドイツ参謀総長)の陸軍大学校の教授だった参謀学を重視しているときがあった。その教えが生きていた時代があった。
 陸大入学者はそういう人間こそ、他人
(ひと)の気持ちも巧みに読む。好ましいと採った。そのうえ痛みも分る。モルトケ少佐の教えである。
 陸大出の参謀と言うのは、激戦の混乱状態にあっても、同時に幾つものことを考える余裕と能力がないといけない。一つのことばかりに囚われていては複合的な戦略が展開出来ない。世の中、ワンパターンの一次元や二次元思考では駄目だからな。
 但しこれは大正から昭和の初め頃までだがな。後は学力偏重主義。軍隊官僚主義だった。その結果は大日本帝国の敗北が証明している」
 「やっと分りましたよ」何か合点のいったようなことに気付いたらしい。

 「何をだ?」
 「宗家が碁を打つとき、碁だけに集中せず、他の何か、複数の案件
を考えているような、あたかも、わが心、此処に非(あら)ずという感じが……」
 「俺は気が多いからなァ、同時に幾つものことを夢想する。飯を喰いながらも別のことを考えている。言わばマルチ人間だ」
 「まるで聖徳太子ですね、聖徳太子も十人が十人、一度に喋ったことを理解したと言いますから」
 「そこまでのことは出来ない。単なる凡夫はせいぜい夢想止まり。宛のないことを訪ねる夢追い人だよ」
 「夢を訪ねてどうするのです?」
 「思想境を探す」
 「理想郷って?」
 「現代の世では未だ完成していない、また出現していないユートピアだ。半分は空想だがな。しかし出来ないこともない」
 「どういう世界です」
 「俺には若い頃からの構想がある。そもそも、これに身を投じるために奔走したが力及ばずだった」
 「どういう構想です?」
 「後で分かる。今は言いたくない。何しろ俺は落ちた犬ならぬ“落ちた豚”で、語る資格がない。資格を得れたら話して聴かせてやろう。豚は気が向かないと木に登らない場合もある」
 「いやに勿体付けますねェ」
 「俺は未だ未だ資格を得るには変わらねばならん。謙虚に耳を傾けて箴言は聴き、自らの戒めにしなければならない。欠点を繕って修正して行かねばならない。気が多い気紛れな豚だ」
 「今の日本人の欠点をあげるならば、耳が痛くなるような悪い情報は、中々聞こうとしませんからね」
 「今までは俺もその一人だった」
 「思い込みと言うか、固定観念が頑迷と言うか、これは一種の法則と言うか、もともとの日本人の体質なのでしょうね。ところが宗家は変化した。驚きです」
 「変化するのが少しばかり遅過ぎたかも……」
 「宗家なら間に合います。ところが鈍感な愚者は何事も手遅れになって、やっと気付くのが今日の現代日本人です。だから、聴く耳持たない。悪い知らせには耳を貸そうとしません。
 それで、思考が一次元的か、ぜいぜい二次元どまりの頭を作るのです。
 これが宗家のような多角構造とは違っているところなのでしょう。平面思考ですね。したがって思い込みも先入観も烈しい。頑迷です。そこいくと宗家は違う」
 「どう違う」
 「一言いうと狂っています」
 「狂人か……。どこが?」
 「直ぐに間違いを訂正して豹変する。この変わり身の早さと言うか、手を変え品を変えの巧みさと言うか、まさに『論語』に出て来る“君子豹変す”ですよ。これは狂人でないと出来ません」
 「言われてみれば、毛が抜け替わるのが早いのかも知れないなァ。それは狂人のためか……」
 「宗家は物事に敏感なのでしょう。ところが大勢は違う。
 人の真似ばかりする。個性がない。自分がない。個性とは口先ばかり……。直ぐに世間に歩調を合わせる
 言い方を変えれば、宗家は自分を演出し、逆に合わせない。なぜ合わせないか。世間とは異なる図形を見る絵心があるからです。見ているものが違います。空間図形の何たるかを自然に身に付けて知っている。
 だが大勢は演出能力も絵心もない。だから直ぐに流行に右へ倣
(なら)えする。それに飛びつき易い。浮動票の類で権威筋の発言に煽られ流される。これは先を展望するグランドデザインがないからですよ。将来図や未来図を自身では描けないということです。そこで他人に頼る。頼って真似をする。同じことをしていれば、自分では安全と思い込んでいるのです。自分で考えることをしないものが多くなりました。人の反応ばかりを見ている。それに迎合する。
 これが“赤信号もみんなで渡れば恐くない”という概念を植え付け、全体主義を作り上げているのです。日本国民を上から下まで見れば、その通りになっています」

 「お前、そこまで第三者の目で見ながら、どうして自分で行動を起こさないのだ?」
 「私は分析で来ても、行動までは出来ませんよ。宗家は狂ったことでも平気で遣る。全く後先を考えていない。走り出してから考える人だ。考えて、充分に検討して用意万端でない。
 何の予告もなく突然走り出す。そして走り出した後で、検討したり用意したりする。
 そこが狂っていると言うか、気が多いと言うか……、異常と言うか……、それが短所であり長所かも知れませんがね。何しろすることが並外れています。世間の規格外です。それだけに、愚者には真似出来ません」
 これ以上、呆れて物がいえないという口調で吐露していたようだ。
 私も言われてみれば尤もだと思えないこともない。私の展開は考えるより、動きが先になる。せっかいちなのだろう。性急で不動心が理解で来ていないのかも知れない。

 「しかし、一人くらい俺のような人間がこの世に居てもいいではないか」
 「ときどき蹤
(つ)いて行けなくなります。何しろ、宗家は世の中の規格外ですからね。宗家の猪突猛進が怕い。いつも複雑で複合的なことを企んでいて、虎視眈々で隙を窺いながら、もう同時に別の何かまで進行させている。
 要するに暴走しているのです、格闘しているのです、そういう恐れ抱かせます。換言すれば“猪突猛進癖”とでも言えましょうか」
 「俺を『論語』に出て来る子路
(しろ)のように言うなよ。“猪突猛進癖”があるとしても、暴虎馮河(ぼうこ‐ひょうが)をする勇気はない」
 「暴虎馮河とは、子路の蛮勇を孔子が戒めたのです。勇気ではありません」
 「俺には、勇気も蛮勇も同じことだ」
 「そこが狂っている」
 「事を起こすのに格闘はつきものだ。
 何処かの“偉いさん”が『事
(一大事また正念場)に臨んで懼(おそ)れ、謀ぼう/計画的に思いを廻らすの意)を好んで成る』などと抜かしても、やはり弊害は覚悟しておかねばならない。現象界では事を起こせば、それだけ作用に対して反作用も起こる。反作用を覚悟してこそ、事を起こせると言える」
 「孔子の『勇を好みて学を好まざれば、その弊は乱』ですか、よくそんなことまで知っていますねェ」
 「お前の蔵書を読んだ」
 「いつそこまで?」
 「毎日することがない。本でも読まないと遣りきれん」
 「退屈紛れに此処まで知るとは恐れ入りました」
 「人並みに反省と修正の能力くらいは持っている」
 「そこで“君子豹変す”ですか。宗家の変わり身の早さは確かに認めますよ」
 「人間は変わるものだよ」
 「しかし変わらないで眠ったまま夢遊病者になって、現代日本人のように簡単に暗示に掛かる人間は怕いですよ」

 「恐ろしいものだなァ、全体主義は……」
 「民主主義だって、民主独裁がありますからねェ」
 「行き着く先は選挙で選ぶ独裁者が登場する。その懸念がある。それも政治が巧妙になって来たから、表は愚人に任せ、裏では愚人を操る賢人がコントロールする。民主独裁……。一握りのエリートが指令を下す『民主』の名を借りた全体主義……」
 「民主の名を用いた全体主義とは何ですか」
 「影の易断政府だ。
 易断は人間がする。ルネサンス以降の人間崇拝主義。これが文芸復興だった。
 人間が神にとって変わった。神を崇拝せず、有名人という人間が崇拝され羨望の対象に変わった。猫も杓子もその方向に向かう全体主義。
 本当の主人公は、表を任された愚人のでなく、裏からコントロールする一握りのエリート。主役はエリートに限られる。総活躍などはあり得ない。これは一握りのエリートが作り出した造語だ。
 この僅か四百人程度の高級官僚が、裏から愚人を操作する。紛れもなく独裁政治。民主独裁イコール形を変えた国家社会主義。それは一握りのエリートが操作する民主主義の名を借りた民主独裁だった。とにかく官僚は偉いからなァ。
 国民は、かつての高文官試験にストレートで合格した人間を文句なく崇める習性があった。それが戦争へと傾いてしまった。そのように誘導された。高文官試験の合格者の実体だった。
 今の国家公務員I種試験だ。
 この合格者のみ国家を牛耳るポストに就く。形を変えた独裁者選出試験。それが国家公務員I種試験だ。この合格者はその時点でキャリアとなる」
 「このシステムでは、まるで日本は、エリートから完全に横領されますねェ」
 「国家横領は明治維新以来の日本の伝統となった。この横領が独裁する社会主義の構造をつくり上げた。
 国家公務員I種試験は福沢諭吉の『学問のすゝめ』に始まる。
 自由だ、平等だ、平和主義などといいながら、その言葉を引用して、今日
(きょう)(び)の、お役所で見られる社会主義構造を自覚症状のないまま造り上げているのだろう。愚人はそのように操られて行く。その最たるものが、学閥順に、政府の中央中枢機関のポストを独占する官僚主義だ。
 だが教科書通りの暗記力の優秀な人間が重宝されるようでは、外国と互角には戦えまい。思考が一次元か二次元では、外国の思惑の、その裏まで読めまい……」
 私は矢継ぎ早に、これまで理解した意識を披露していた。奴の蔵書を読んで仕入れた知識だった。

 「だから、宗家のような“狂の一字”の実践派が必要なのですよ。三次元の立体的発想の狂人が……」
 「三次元思考か……」
 「狂っているだけに、多次元機能を持っています」
 「多次元機能とは調子のいい語句だが、それだけに理解する能力者も少ない」
 「少ないでもいいではありませんか。一人いれば充分です。無能の有象無象が何百人いても意味はありませんよ。中心軸が外野に翻弄されてぐらつかなければいいのです。軸の三元が確りしていればいいのです」
 「まるで、八門の三元式遁甲の三軸
(X,Y,Zの縦・横・高さ)に似ているな。これを遣わない手はないなァ。耳の痛い、悪い情報は、日本人はなかなか聞こうとしない……か……。面白い法則だなァ……」
 「この世は愚者で動かされていますからね。動かしているのは聖人君子ではありません。
 しかし、愚者の動かす時代には“時の流れ”というものがありますからね。流れに乗れないと、幾ら鉄砲を撃っても不発弾に終わります。今は忍んで俟
(ま)つべきでしょう」
 「では“賭け碁”で、お前から負けた分だけ、春期講習で取り返すことにしよう」
 話は変な方向に飛び火して、この辺で落ち着いたようだ。
 私はこう言い放って、この年の3月20日から4月4日まで2週間、個別指導方式の春期講習を金20万円也で買い上げて仕切ったのである。




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