運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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壺中天・瓢箪仙人 7

凡夫(ぼんぷ)か否かの境目は、年下や目下の者の接し方によって決定されると言ってもよかろう。
 凡夫は、年下や目下を甘く見るばかりでなく、特に、少年少女に対しては、一個の人格を備えた人間とは見ないようだ。
 したがって口の利
(き)き方も横柄(おうへい)であり、傲慢(ごうまん)であり、辛辣(しんらつ)である。
 心の中には、離れ難き侮蔑
(ぶべつ)がある。

 西郷隆盛は、自分より遥か年下の、少年少女に対しても、決して無礼・乱暴な態度で接しなかったと言う。人としての尊厳を認めたのである。

 一般に、年下の者や目下の者に対しては、物事を粗略にするように、軽く見下し、横柄な態度でこれに接する。特に、少年少女ともなると、更に見下し、これを甘く見る。あるいは侮る。弱年者には人格の有無を見ない。
 ところが西郷隆盛は、幼い者にも、一個の人格を備えた立派な存在と看做
(みな)し、これを遇する事を識(し)って居たと言う。

 人間理解とは、「人間観察」の事であり、観察眼や養われていれば、その理解は速い。
 また、観察力を旺盛にすれば「徳」が備わる。徳の少ない者は、要するに観察力が欠けているからである。相手をよく検てないからである。
 検ても上辺だけであり、その肝心な中身を見ようとしないからである。ここに人物選定の品定めを誤る元凶がある。


●宗家誕生

 「先生はこれから先、わが流の宗家になって頂きます」
 「なに?」
 「これまでのように、旧態依然の古い名称では大衆に理解されません。そもそも当主二代という呼称がいけません。江戸時代然としていて古くさいのです。スマートではありません。これでは大衆受けしません」
 奴はこの頃、大衆受けを目論んでいた。『西郷派大東流大衆化論』である。
 私はこの時点では、これがいいか悪いか分らなかった。そこまで構造を練っているのなら、任せねばならなかった。

 「大衆受け……か?」

 「したがって、これから先は宗家を名乗って下さい。
 私もこれから先、宗家を敬
(うやま)い、尊崇し、これまで以上に、師弟関係に厳格を課し、宗家という御神輿(おみおこし)を担ぐことにします。そして私は宗家の代理として、軍師を拝命致しましょう」
 こうして、奴の言うままに宗家になった。あるいは巧
(うま)く唆(そそのか)されたのかも知れない。
 しかし、それに乗った。乗る以外なかった。じり貧の貧乏人は窮すれば何でも遣る。手段を選ばない。餓えを凌ぐためには暗示にすら掛かり易くなるのである。
 奴が宗家代理として、また軍師しての腕を揮い始めたのは、この時からであった。

 だが、これに諸手を上げて同意した訳ではない。些かの懸念もあった。
 未
(いま)だに秘密主義を重んじていたからである。古伝の指導方式を決して悪いと思っていなかった。秘密を秘密にするには手の裡を明かしてはならない。機密情報の開示は命取りになる。
 奴の放った「大衆化」という言葉がいつまでも耳の残った。
 果たして大衆化が、わが流の未来を約束するものだろうか。秘密を隠すのも大事であろうに……。
 直感では危うい気がした。そう言う勘が危険のシグナルを点滅させていた。

 大衆化の盲点は、秘密が秘密でなくなり、突如流れに逆らって擡頭
(たいとう)するような流派は、必ず嫉妬と恨みを買われて「出る杭は打たれる」という現象に曝(さら)されるからである。
 この世界は所詮
(しょせん)猿山の“お山の大将”である。
 自称“武術研究家”と言うオタク連中が殖えてからは、その傾向が顕著になり始めていた。
 秘密は、本来そっとしておくべきものでのである。

 嫉妬と恨みを買われて「目障り」の憎悪となれば、これまでの粗
(あら)探しをされて、あることないこと吹聴され、その槍玉に挙げられて、逆に利用されることである。
 あることないこと面白可笑しく捏造
(ねつぞう)されて、血祭りに上げられるからである。その後、泥仕合を遣らされる羽目になる。そうなれば危うい。
 進龍一はその盲点を見逃している……。私の当時直感した事であった。

 本来、わが流は北九州の片田舎で劣性を模して、死んだ振りをして、細々と流脈が絶えないように燻
(くす)るだけでよかった。芸能と地続きの業界に打って出る必要はなかった。
 もし、あの忌まわしい某大学の造反事件や、私が経営している予備校が倒産しなければ、おそらく進龍一を関東に送り込んだままで満足し、私はただ事業だけに勢力を注いでいたことであろう。
 但し試煉がない分だけ、人間的な成長は止まっていたかも知れないが……。

 しかし、それで潰えても不満はなかった。中央に打って出ようなどとは考えもしなかった。
 秘密は秘密のままでよかったのである。果たして公開して、嫉妬を買われるのではないか。
 そういう人間の汚さを、多くの現場で見てきたからである。そして打って出れば、それだけの代償は覚悟すべきであると思ったのである。
 未来に不穏が潜んでいた。暗雲はこの時から垂れていたのかも知れない。
 私は、そういう気持ちが拭えないでいた。
 心の中では「大衆化すべきでない」という反論が残っていた。つまり、大衆とは人間社会を構成する大多数であり、その大多数は賢人でなはなく愚人であるからだ。愚人が動かす社会が、つまり人間界である。人間界は愚人の吹き溜まりでもあるのだ。

 大多数の支持は正しい。大多数の見解は正しい。ベンサムの言である。
 イギリスの思想家ベンサムによれば、自由民主主義国家では、輿論
(よろん)こそ勝つべき正義そのもので輿論は正しい法に付くとされる。また輿論は「常に正しい側につくもの」と期待され、遂には、民主主義理論を判定する場合の正しさ、あるいは正義となった。

 その結果、人民の声を通して表明される理性の強制力は、多数決をもって回帰される。多数決は正しいのである。大多数の意見は正しいのである。
 背景には、快楽の増大と苦痛の減少を道徳の基礎とし、「最大多数の最大幸福」を原理が働いたと言う痕跡を残し、個人の幸福と社会全体の幸福の一致を検
(み)たと採るからであろう。
 功利主義であり、これは快楽主義に立脚する考え方で、幸福への調和を図ったとされる。
 だが、権威を大衆の民意で選ぶというのは如何なものか。
 次元が違うのではないか。

 権威を民意で選ぶということ事態に無理がある。連綿と続いたものを多数決に摺り替え、民意に従わせる。大衆とは伝統をも牛耳るが出来るのであろうか。
 もし、可能であるとするのなら怕
(こわ)い現象と言わねばならない。

 更に、輿論を構成する大多数の人員構成は、哲学や思想を極めた賢人ではなく愚人である。
 マスコミに靡
(なび)き、迎合し、人気投票においては常に浮動している。意図的なマスコミ操作でどうにでも変わる。浮動から起こった、その愚人の判断は正しいのか、ということになる。選択ミスがあることも、民主主義デモクラシーでは起こることを覚悟しておかねばならない。このシステムはこう言うもので、まだ完成には至っていない。未完成である。

 この未完成原理の中に、秘密を持ち込んでいいのか。
 あるいは秘密を公開すれば、秘密の善悪・正邪の設定を正しく設けることが出来るのか。
 遣っていいことと悪いことを正しく判断出来るのか。
 「切り札」公開には、常にその懸念が付き纏う。中には面白半分の暴露する者もいよう。この種はやがて害をなす。あたかも毒牙が何千何万と言う卵を産むように……。
 「切り札」は秘密にしておくから「切り札」としての価値があるのである。「切り札」は、また見せてはならない「隠し札」なのである。隠す物を見せては伏せておく。見せては
何もならない。公開しては秘密が明るみに出る。直ぐに真似される。
 そのうち、いちゃもんがつく。ケチ付く。人の世の現象である。愚人が牛耳る世の中ではその傾向に奔り易い。
 しかし拒む理由も、今のところなかった。断固拒み続ける信念も、毅然としたところを示す行動律も、当時は何も持っていなかった。そこまで学んでいなかったからだ。

 進龍一の考え方にも盲点があった。今は見えないだけである。この時点でそれを指摘しては酷だった。
 いま暫くは「殆
(あや)うき」を指摘して反感を買われることもあるまい。正邪は時が解決しよう。任せるしかない。
 ひとまず、此処は流れて見るか……。
 そういう安易な感想を抱いただけだった。安易な妥協である。危うさを感じたが決定的な反対意見が生まれて来なかった。反論材料も揃えることが出来なかった。
 かの『墨子』曰
(いわ)く「他人の意見に反対する者は、これに代わる意見を持たねばならぬ」と。正論である。
 私の場合は、反対意見の決定打が見つからない。大衆化論に反対意見を持たなかった。
 食い詰め浪人としては、暫
(しば)し流される以外ないのである。

 だが、奴の軍師としての初仕事は素晴らしかった。眼を見張る躍進をした。
 まず奴が最初に出版した『大東流合気武術』
(愛隆堂)の「part2」を発行させることであった。
 次に、奴の知人の平上氏がいたので氏に取り次ぎ役を恃み『秘伝武術』
(BAB出版)に取材させることであった。

 また、墨田区錦糸町の体育館を借りての講習会や、文京区茗荷谷での講習会も企画した。何れも40人前後の講習生が訪れて、まあまあの首尾であった。武道界の著名人も集まった。
 その後、私を中心としたビデオ『大東流合気武術』
(BAB出版)を発刊させることであった。この三本柱を平成2年12月までに遣り終える計画を立てた。そして遂に目的を達成したのである。また印税も入り、当座の資金となった。これを奴と折伴(せっぱん)したのである。
 当然の働きであろう。奴の智慧は金を産むからである。

 僅か三ヵ月の間に、この三本柱を統
(す)べて遣り終え、軍師としての伎倆(ぎりょう)をみせたのである。
 更に進龍一は、北九州に居る頃からバロン吉元の『現代柔侠伝』のファンであったから、どうしても、この先生に結びつかなければならないと言うのである。先を見越してのことであろう。先見の明である。

 こうしてバロン先生とも、同年12月までにセッティングを果たし、一番最初に、新宿のある喫茶店でお会いして顔繋ぎが出来たのである。こうして以後、バロン先生とは長い付きお合いをさせて頂いている。総て進龍一の御陰であった。
 奴はまさに軍師であり、その名に恥じない逸材だった。もうこう言う男には、後にも先にも出遭うことはあるまい、

 しかし、良いこと尽くめばかりではない。
 私は敗軍の将兵を語らずの身の上である。大きなことは言えない。億単位の借金を抱え、習志野に夜逃げしたのである。この身の、肩身の狭さがあった。
 奴の言うことは出来るだけ、「はい、はい」と聞かなければならない。反論でもしようものなら、叩き出されてしまう。これも運命から鍛えられていると思えば辛いことではない。大きく飛躍するための試煉である。この程度で音を上げれば未来はないだろう。

 貌をパチンコ屋に覚えられて以来、喰うや喰わずの食い詰め浪人になっていた。
 そこで、奴は私を、時給五百円で遣ってやるから、塾の講師になれと言うのである。食い詰め浪人の身の上である。断ろうにも、背に腹はかえられない。切羽詰まれば“何でも屋”でも遣るしかない。贅沢は言えない。
 しかしである。
 腐っても鯛の自負はある。

 「何で俺がたったの時給五百円なのだ。俺はだなァ、かつて時給一万五千円だった」
 「そうですか」何とも冷ややかだった。鼻にも引っ掛けていない。それがどうしたと言う口振りだった。
 「お前、二桁間違っているのじゃないか」
 「バカも休み休み言って下さい。どうして尾羽打ち枯らして、落ちぶれた食い詰め浪人に、一万五千円も払うバカが居るのですか」
 「過去には居た」
 「しかし今は居ません。日本中探しても、そういうオーナーは絶対に居ません。そういう豪語を身の程知らずと言うのです。自分のバカを反省して、今後態度を改めて下さい」
 「ところで、お前のところでは健康保険はあるのだろうな?」
 「なにをバカなことを言っているのですか。嗤
(わら)わせないで下さい」
 「真剣に言っているつもりだが……」
 「いいですか、今の自分の状況を考えてみて下さい」
 「労災もないのか」
 「どうして労災がいるのですか」
 「もしもだなァ、不良の悪ガキ生徒にボコボコにされてだなあ、大怪我をした時はどうなる?」
 「それは反対でしょ。ガキをボコボコにするのは宗家のお得意技ではありませんか。心配するのだったら、そっちの方を心配して下さい。障害罪で告訴されないように……」
 「健康保険がないと言うことは……、もし俺が馘
(くび)になったら失業保険もないと言うことだな。つまり社会保障上の損害を補填する、また生活保障する社会保険の類は一切ないと言うことか」
 「はい!」
 「ということはァ?……」
 「厚生年金もありません!」
 奴に先を超されてしまった。
 「一切無しか、厳しいなァ……」
 「どうしてバイトの講師見習いに保険や年金が付くのですか!バカも休み休み言って下さい。保険に入りたければ、自分で国民健康保険に入って下さい。年金も払いたかったら、今までの不足分を全部合わせて国民年金に入って下さい」
 奴は、私が年金の不払いをしていることも勘付いていた。
 「しかしその金がない」
 「では、時給五百円で働いて、コツコツ貯めてそれで入ればいいのです。私の方は何も毎日一日15時間労働でなく、24時間労働でもかまいません」
 ぴしゃりと断られたものだ。しかし、一日24時間労働となると、いつ寝るのか?……。

 このように言われて、同年の10月から12月まで明林塾の講師補として、毎日扱
(こ)き使われるのである。四十オヤジは初心者として、肩書きは講師補である。こっちの方を、バカも休み休みい言えといいたかった。

 だが今は人生の試煉の時だった。耐える時であった。忍ばねばならない。これくらいで音を上げるわけにはいかない。
 当時、奴の塾では学生アルバイト講師の時給は1000円であった。
 ところが私は“講師補”ということで、時給はたったの五百円玉一個である。
 「しかしなァ、時給五百円の薄給でどう凌ぐのだ。15時間働いて、たったの7500円だぞ」
 「贅沢言わないで下さい。宗家が学生の頃、つまり昭和30年代後半から40年代初頭、土方と言う肉体労働の一日の日当知っていますか」
 「確か、“にこよん”と言っていたなァ」
 「この時期、職業安定所から貰う定額日給が240円でした。それに比べれば時給五百円は法外な高額時給です」
 「もう少し高かった筈だ。確か“にこよん”は昭和20年代の筈だ」
 「そうでしたっけ?……」
 野郎は恍
(とぼ)けてみせた。
 しかし、あまり時給五百円にこだわると、奴のことだからその気になって本当に“にこよん”するかも知れない。
 私が講師に格上げになり、学生アルバイト並みに時給1000円になるのは、平成3年に入ってからであった。

 最初のうちは、きちんと背広にネクタイで、朝から手弁当で出勤させられ、午前零時近くまで塾に詰めさせられた。そのうえ塾生募集の対応や電話の受付まで遣らされ、掃除までさせられて、事務員代わりに扱き使われるのである。奴の下男であった。ほぼ奴隷といってもよかった。
 その間、奴は何処に消えるかと言うと、奴“お気に入り”のパチンコ屋にしけこむのである。そして此処で、開店の午前十時から夜の十時まで詰めるのである。私はその間中、留守番をしつつ、貼り付き講師を遣らされる。牛馬が酷使される如くであった。

 毎日定刻に進龍一塾長先生は、パチンコ屋に“ご出勤”のため、午前九時半にお出ましになる。
 御歳とって42歳になる新米の駆け出しの“講師補”は、39歳の塾長先生が“お出まし”になる30分前に来て、シャッターを開け、玄関掃除や教室内の掃除をして、生徒が机に書いた落書きを消して廻り、更には問い合わせ等の受付体勢を万全していなければならない。
 さもないと塾長先生は非常に機嫌が悪いのである。罵声が飛ぶ。
 それに、塾は午後四時に始まるから、この場合は小中学生が遣って来て、午後七時を回った頃から中学生や高校生や現在浪人中の大学受験生までが来るのである。終わるのが午前零時過ぎになる。また隔日で英会話教室も遣っていた。奴は手広く商売をしていた。

 この教室には小・中学生のみならず幼稚園児も遣って来る。
 奴は手広く英会話教室まで遣っていたのである。おまけに講師は外人教師で、欧米流の「テーブル・ディスカッション」の集団式英会話であるから、生徒の座るテーブル席も机を並び替えて作らねばならない。その手配をするのである。
 私が来てからと言うものは、奴はアルバイト講師を半分に減らして経費を削減し、私に“何でも屋”を遣らせるのである。おまけに授業では小中高の生徒から、全教科に対して質問を受け、それに回答しなければならない。奴は私を、渡りに舟の「便利なオヤジ」と思っていたのであろう。

 それにしても私は、本来は数学や理科の範囲が専門だった。
 数学に関しては大学数学の微分方程式まで指導する自信があり、また理科の範囲は理科Iを始め、物理、化学、生物、地学までの受験は何とかなった。予備校時代は講師の欠員のために、現代国語や英語ならびに倫社などは仕方なく教えていたが、此処では専門外の古典や漢文まで課せられた。
 またそれ以外にも、大学受験英語まで遣らされて、長文読解には難儀したのである。
 奴は帰り際には受験用テキストの一教科を渡して、「これ、明日までに勉強して来て下さい」と、とんでもないノルマを課せるのである。つまり予習してこいということなのである。
 だいたい午前零時に過ぎに帰って、勉強して「いつ寝るのだ」と言いたかった。

 これでは私が大学入試の受験勉強をしていることになる。42歳もなったオヤジに、いったい何処の大学を受験させようと言うのか。もうとっくに20年前に大学は卒業していた。
 これ以上、私の頭を受験仕立てにして、どうすると言うのであろうか。
 私は受験の便利屋だった。そのように改造されていた。
 そのうえ一日何と、15時間労働である。重労働の刑に処されても、ここまでは扱き使われまい。
 時給500円として、一日詰めて手取りはたったの7500円なのである。何と言う搾取。
 重労働違反の容疑で労働監督局に訴えてやる……。
 だがこのように居直っても、奴は涼しい顔で「世の中はサバイバルです」と言って退け、私を験すだろう。腹の中は見えていた。耐えるしかなかった。
 だが事実、労働基準法違反の超ハードな肉体労働であった。サービス残業の域を完全に超えていた。
 サラリーマンの40、50のオヤジどもが、たった2、3時間程度のサービス残業で、なんじゃかんじゃと喚いているが、「俺を見ろ」といいかたった。そのうえ大学受験の勉強まで遣らされているのだ。
 しかしこれくらいで過労死しない程度の体質と体力ともに持ち合わせていた。簡単にはギブアップしない。
 だが並みの人間だったら、過酷労働でストレスのために過労死してしまうだろう。

 一方、奴は私を使役した上に、15時間と言う重労働を課せて経費を切り詰めた分、大金を浮かせる。その大金を投じてパチンコに明け暮れるのである。いいご身分だった。
 奴の仕事場は、私が来てからと言うものは、塾からパチンコ屋へと変わっていた。此処で、ドル箱の荒稼ぎを企てるのである。
 そういう“お楽しみ”とは裏腹に、私は店番ならぬ塾番で、電話応対にも敬語を連発して懇切丁寧に出なければならないのである。

 ただ一度、奴の妻君から電話があり「主人おりますか、直ぐに連絡を取りたいのですが」と訊くので、「では、折り返し連絡するように心当たりを探してみます」といって電話を切った。
 さて、これからが大変であった。
 パチンコ屋に居ることは分っている。しかし何処のパチンコ屋か分らなかった。それで習志野中のパチンコ屋に片っ端から電話を掛けたのである。

 まず攻めは、大久保中のパチンコ屋である。次に範囲を広げ、最後は五万人の市民が住むと言う習志野中に掛ける予定であった。
 パチンコ屋に電話した。
 そして、フルネームでアナウスをさせ、塾名まで教えたのである。
 そのパチンコ屋の場内アナウスでは「明林塾塾長の進龍一さま、大至急ご自宅に電話を入れて下さい。奥さまがお探しです」と言わせたのである。
 すると、10分も経たないうちに奴が飛んで来て「困るじゃないですか、何も明林塾とか、私のフルネームで呼び出さなくてもいいじゃありませんか。もし塾の父兄が聞いていたら、かっこう悪いじゃありませんか」
 「しかしなあ。苗字の進だけでは分るまい。同姓同名も居るからなァ」
 「どうして習志野に、進という姓がいるのです。進は私一人ですよ。
 宗家、いいですか、こういう場合は、人には体裁と言うものがありますからね。フルネームで呼ばれると非常にまずいのです。宗家は人の、そういう細かい感情の“人情の機微”というものを、もっと勉強する必要があります!」と、物凄い見幕で捲し立てた。
 「それなら訊くが、お前は『非常にまずいことをしている』という後ろめたさがあるのだな」
 「そういうのを揚げ足を取ると言うのです。こういう事をすれば、間違いなく嫌われますからね。宗家は一皮剥けて、大人に脱皮しなければなりません」
 聞いた風なことを抜かし上がると思ったのである。

 「ほーッ、大人への脱皮か。今後、反省して最近殖えた幼児大人でもやって見るか。世の中は俺以上の幼児大人で溢れている。その中で、少しばかり気の利いた成長途上のオヤジが居てもいい」
 「宗家も意地悪な人ですね、人が悪い」
 「いや、人が悪いもへったくれもない。持って生まれた性分だから赦
(ゆる)してくれ」
 こういって宥
(なだ)めてみたが、ボヤキはその裏腹となり、塾終了後、奴から行きつけのラーメン屋に誘われて、「取って置きの、“こってり、ぎとぎとラーメン”を、この人に二人分お願いします」と抜かして、私に肥満増強の“脂攻め”を企てたのである。
 野郎のしそうな仕返しだった。
 この時ばかりは……というような、これまでの何らかの恨みが裏返しに出たのだろうか。妬みであろうか。

 だが仮に、嫉妬であっても、私は敗軍の将である。
 聴く耳を持たなければならなかった。
 人の話を真摯に聴く。いいことも悪いことも、耳障りの悪い悪口も、まず聴く。
 これを奴の蔵書の『老子』から学んだのである。聞いて謙虚になり、言い募る人間の心情も理解して遣らなければならないのである。
 この理解力がなけば未来を失う。自分一人の殻
(から)に閉じ籠(とじこ)って暴走する恐れが出て来る。
 倒産させると言う不祥事を招き、多くに人に迷惑を掛けた。それは聴く耳を持たなかったからである。
 勿論、反論する資格はない。黙って聞く以外ない。指弾される以外ない。
 好きにすればいいと思う。
 こう言う心境に至ることが出来たのも、有難い“老子先生さま”の御陰であった。

 しかし、私も楽しみはあった。
 悪いことには裏の面が付随されていることがある。物事は表裏一体である。悪いことも100%悪い訳ではない。
 その裏には少しばかりの良い面も貼り付いている。これを読めば、いい方に転じることも出来る。
 時として、悪口も耳障りのいいものになる。人の噂も、決して悪い事尽くめではない。
 噂は噂である。面白可笑しく捏造されているために、真相から的外れである。その的外れを楽しむ。楽しみは探せば幾らでもある。
 そういうことも『老子』から学んだ。

 これまで、数学や物理以外の書籍は、殆ど研究して来なかったし、一般に読まれている本も殆ど知らなかった。
 進龍一には、ボロ病院の跡を利用して、塾を遣っていた時の置き土産があった。それは奴の厖大な書籍コレクションであった。蔵書は腐るほどあった。その奴の本を片っ端から読破していったのである。
 奴は読書家だけあって、よく吟味した書籍が集められていた。

 此処に集められた奴の蔵書は、幅の広いあらゆるジャンルに及んだか、流石、元新聞社勤めをしていただけあって、いい本が多かった。私は奴の蔵書に釘付けになった。
 例えばマンガの類にしても、それ自体に大きな意味を持ったものがあり、よくぞ面白いものを集めたものだと感心した。また武道書や格闘技誌の類
(たぐい)もあった。
 更に興味を惹
(ひ)たのは『論語』を読むにも、形を変えた種々の解説書があったし、一つのテーマに複眼的に、それを多方面から見て思考する思考の多面性を持っていた。奴の価値観は一色でなかった。

 その中でも、特に眼を惹いたのは、全く別世界の『老荘の思想』という一冊だった。
 これまで読んだことのない心の訴えるいい本で、まさに目から鱗
(うろこ)であった。この書は一度のみならず、何度も読み返したのである。胸に染み入ることが多かった。
 惜しむらくは、42歳の厄年の前に出合いたかった本である。
 しかし、老婆心ながら老子先生の言には間に合った。何しろ眼の鱗が剥がれたからである。

 唯一の楽しみは午前零時に塾が終わり、塒
(ねぐら)に帰って朝八時頃まで、これらを蒲団の中で読むのが、私の楽しい日課だった。その他の哲学書や思想書も多くあった。
 中には、けっこう難解なものもあったが、しかし繰り返し読むことで何とか理解していき、いい勉強になった。
 また奴は、教育書を随分こなしたと見えて、スイスの教育家のペスタロッチの考え方は人間教育の面で大いに参考になった。ペスタロッチは近代西欧教育史の上に大きな足跡を残した人物として知られる。その中でも『隠者の夕暮』は面白かった。

 特にペスタロッチで興味を曳いたのは「二人の人間が出会ったところで行われる個人的な語り掛けがない限り、われわれは心の底から師匠を教えを聞く気にはなれない」と記述していることだった。
 つまり、「聴く耳」である。
 また「誰に語りかけているか」である。その語り掛けた相手を自分と思えと言うのである。
 聴く耳は、個人的な語り掛けにおいて、人は耳を傾けようとするものである。
 万人の聴衆の一人であっても、論者が、自分一人のために親身に語り掛けているという状況を想像することであった。ペスタロッチの論である。
 本は読めば読むほど面白い。面白さが分る。こうして私は、本を読む楽しみを知ったのである。

 後に、翌年の2月からは家内も此処で一緒に棲
(す)むことになるのだが、家内が奴の蔵書で最も気に入ったのは、大学受験用の『土屋の古文』という参考書であった。
 受験生用に配慮されていて、論旨を巧く誘導するところが家内のお気に入りであった。
 家内の論では面白い参考書と言う。
 この参考書を家内もセクションごとに読みまくり「この先生の解説って、どうしてこんなに面白いの。奇抜で、奇想天外な解説が、読む人をこんなに惹
(ひ)き付け、巧く誘導して、最後は笑わせるなんて……。さすがに有名予備校の先生だわ。高校時代、不得意だった古文が何だか好きになりそう。
 進さんって、面白い参考書を集める天才ですね」と言って、朝っぱらから笑い転げていた。
 確かに奴の集めた書籍類は読書家のそれであった。

 奴とは、よく新宿の紀伊国屋まで足を運んだことがある。
 また紀伊国屋は出版社の編集者とも待ち合わせ場所として、その後、よく使った書店であった。
 編集者達は自分が担当した本の売れ行きを見るため、此処に足を運ぶのである。
 此処ではBAB出版社の社長の東口氏とも、よく待ち合わせて編集中の原稿を練ったり取材を受けたりしたものである。

 私といつも新宿に出向いた頃、進龍一は新書から専門外の教養書まで数十冊を、ごっそりと買い込むのである。そしていつも、五万円前後の支払いを遣っていたが、奴はこれを、生業
(なりわい)が塾であるから「書籍費」と言う項目を設けて、これを事業経費にしていた。よく考えたものである。
 そして面白いことに、奴が一読した最後には、その感想文を裏扉に克明に記載するのである。

 例えば「またゴミを買ってしまった」の冒頭から始まり、長々と註釈を付けるのである。
 「今日は、自分のバカさ加減に猛反省しなければならない。これは分厚い書籍だが、中身の軽薄なる思考の寄せ集めだ。いったい何からの貼り合わせであろうか。おそらく何処かのパクリをして継ぎ接
(は)ぎをしているのであろう。学説に科学的体系が全く感じられない。このオヤジはバカだ」と貶(けな)した上で、著者の姑息さを見抜いているのである。

 昨今の作家連中のふやけた甘っちょろい能書きに鉄槌を下しているようだった。
 私は、こうした奴の評論家としての部分も、読破後に楽しんでいたのである。いいものはいいと記載し、悪い物は酷評する。酷なる部分を鋭く突く。肩書きを見破って頭の中まで酷評する。

 人物評論と言うのは、評論する方と、される方の側が対決し、四つに格闘するのであって、双方の人格や知識力や、更には見識に関しての貸借対照表である。
 これは則ち、対象になる人物を評論しながらその思考力なども読み、同時にそれは自分自身も評価することになる。ある意味では、言葉を文字に変換した文章と言うのが、真剣勝負の命の遣り取りなのである。

 評論する側が対象になる人物に対し、自分の好悪感情を殺して客観的な見解を下して、これを比較秤量
(ひょうりょう)している以上、その人物の真の素顔を述べようとしても、結局は実像とは程遠い評論者の世界観や読書経歴が紛れ込み、それだけに人物像が描き出された瞬間から、書いた人物の人間としての頭の中身と、等身大の尺度が一挙に露呈されてしまうのである。
 その酷評の鉄槌を下される仲間に、私も入っていたことだろう。今もそうかも知れない。

 近年は大学の仕事もしているので、学生や院生の論文添削も遣らされることがある。そして一番がっかりするのは、論文自体に論旨が不明で、迷走し、日本語が異常で、国籍不明の言葉を使いながら展開している仮説に出遭うと、その先きを読まなくとも「これでは永久に結論は出ないな」などと先読みするが、こういう論文に出遭うのも度々である。
 その回数は十年前に比べても、倍以上に殖えたような気がする。
 また貼り合わせで、他からの転用などの、形のみ「論文」と呼称しているものを読まされると、次第に向かっ腹が立って来て、床に叩き付けたことがある。
 いま思えば評者としての奴の“向かっ腹”も分かるような気がする。おそらく私も、奴が向かっ腹を立てた一人に入っていたであろう。

 また武道書に至っては、「この業界で著名なるこの大先生は、首から下は頑強
【註】強靭と書かないところに注意)であるようだが、首から上は幼児のそれである。肉体は成人だが中身が稚拙である。小学校低学年から日本語の勉強を遣り直す必要があろう」などと酷評を下し、「これでは幾ら強くでも、がっかり。頭の中身は幻滅の極み。稚拙・稚拙・稚拙……。
 世間でよくいう“気違い刃物”とは、こう言う人間の首から下を指すのだろう。その上、だいたい半分以上は下手なゴーストライターに書かせている。やはり頭は筋肉か。頭の中がこれでは、実に因循姑息である」などの酷評を更に感想として付け加えていた。
 奴の考える「猛々しい」とは、この種属を指していたのだろう。「闘魂」を掲げるこの種も、このグループに仕分けしていたのではないか……。

 私も最初は、進龍一から随分と文章のことで酷評を受けたことがある。
 奴は読書家だけに、文章における文法などの間違いは厳しい指摘をしていた。
 よく奴からが「中学レベルの国文法から勉強し直したらどうですか」と言われたものである。
 そのうえ「わが流の教えは『友文尚武』ですが、宗家の『文』がここまで拙
(つた)いのでは世間にアピール出来ませんよ。もう少し本を読み、文章を勉強して下さい」などと厳しいことを言われたことがある。

 しかし、その指摘があったからこそ、以降も諦めずに初心に帰って、未
(いま)だに学徒を続けることが出来たのである。奴の酷評の一々怒り心頭していては、これまでの私は無かったであろう。人望すら失われ、今日のように人から道は請われなかったであろう。
 やはり奴が言うように「首から下が幾ら頑強であっても、首から上がお粗末」では、広く世に訴え、尊敬を集めることは出来ないのである。実に身につまされる指摘であった。



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