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壺中天・瓢箪仙人 5

「優しさ」とか「思い遣り」が問われる時代である。
 しかし、これを明確にして行動や行為に顕している人は少ない。そこで「心遣いが足りないのかなあ」などを考えてしまう。
 まず、優しさとは何であろう。優しさとは単に「まめな」ということではあるまい。
 また、思い遣りを考えれば、相手に対する深い配慮であろうか。
 人間は自己中であることを批判しながらも、結局のところエゴイストである。大半の人は自分のことしか考えない。
 そのうえで「愛」という一語も、それほど深く信用していない。


●メービウスの帯

 平成3年初春から秋に掛けて、私にとって大変忙しい季節になろうとしていた。
 この当時、千葉県習志野市大久保に棲
(す)んでいた。
 棲んだ場所は、戦前からあるというボロ病院の跡である。
 既に此処の院長は他界して空家同然になっていて廃屋であったが、人間が棲
む塒(ねぐら)としては雨風が凌げる程度の最低基準を満たしていた。此処に棲むに私としては、何の不満もなかった。
 第一、北九州より夜逃げして来たからである。
 これを、緊急避難と言えば体裁がいいが、内実は現実逃避の「夜逃げ」であった。北九州では攻められて踏ん張ることが出来なかった。
 陣を退いて退却したと言えば聞こえがいいが、要するに恥辱
(ちじょく)と心得るも、恥じも外聞もなく債権者から姿を晦(くら)ましたのである。
 こういう立場に身を置いた者は、出された条件について文句がつけられないのである。避難先で、いいも悪いも総てを併
(あわ)せ呑むしかないのである。

 ただ欠点と言えば、病院跡だったので莫迦
(ばか)にだだっ広く、玄関から上がり框(かまち)に向かいと正面が外来患者の受付、向かって右が便所、左が検査室と院長室、そして更に抜けると長い廊下が続き、左手に八畳ほどの病棟が二間続いてその先が給水室となっており、此処で見舞い患者の家族達が水を汲んだり、湯を沸かしたりをしていたのであろう。

 また給水室の向かいが六畳ほどの病室があり、渡り廊下を挟んで、その先は更に病室が連なっており、長い廊下を挟んで八畳ほどの病室が両胸に並んで、そから見渡せば、更に奥へと連なっているようであった。
 しかし、そこから先の病室には総ての部屋に鍵が掛り、“開かずの間”になっていた。
 そのために少しばかり気味の悪さを感じさせ、夜になると変な音までするのであった。その音は人の呻
(うめ)き声であったかも知れないし、あるいは人の跫音(あしおと)だったかも知れない。
 または私の小心から来る気の所為
(せい)であろう。
 まさか霊的なラップ音でもあるまいし……などと思ったりもしたのである。それだけに気味の悪いところもあった。

 そして長い廊下はと言えば、至る所が腐って、足の踏み場を間違うと落し穴状態になっていた。
 また雨漏りが酷く、廊下や病室の天井は雨漏りで渇く暇がないほど酷い状態であった。
 そのうえ便所は汲み取り式で、部屋は明らかに病室の跡を思わせる白ペンキが剥
(は)げて、廃墟を思わせるものだった。
 この病院跡は、天井は湿気を含んで重く垂れ、漆喰や塗壁土も所々落ち崩れ、雨漏りの激しい古びた建物であったからだ。如何にも戦前からの痕跡を留めていた。それはまた、朽ちかけた廃家を彷佛
(ほうふつ)とさせるものだった。

 家内を始めて此処に連れ来たとき、あまりの“ボロさ加減”に少しばかり驚いた風であったが、やがて状況が把握できたのか、家内は勝手に家中を歩き回った。そして、かつてその部屋が病院の何処に当たり、どういう機能をしていたか、一々注釈をつけるのであった。それは平成3年2月のことであった。
 家内は病院跡に興味を抱いたようである。
 その背景には、一般世間では滅多
(めった)にお目にかかれないものを見たという、好奇心からであろう。

 「ふんふん、此処が外来の受付で、その横が診療室、そして此処が検査室ね。ああ、やっぱりそうだ、此処は薬の調合などをした調剤室で、この窓口は薬局だわ。レントゲンなどの機械類や医療機器はこの部屋に置かれていたのね、きっと……。
 院長室は此処かしら。多分此処に院長先生の厳ついデスクが置かれていたのだわ。そして此処は給湯室かしら、なるほどなるほど……。昔の病院ってこうなっていたのね……」と自分で一々感心し、納得して「……そして、この渡り廊下を行くと、その向こう側が入院病棟ね……。昔の病院って、こんなふうになっていたんだわ……」などと、かつての病院の跡を軽やかにステップを踏むように歩き回り、ある種の想像をもって五十年程前の大戦末期を回想するのであった。

 この注釈は独り言であったろうが、家内は小児科での看護婦時代のことを思い出し、この古き病院跡に重ねたのだろう。かつての仕事場を此処に見ているに違いなかった。
 それは、きっと懐かしい……というものであったろう。以前勤めていた大分県津久見市の小児科内科医院も似たような構造になっていたのであろうか。

 「此処に棲むの、嫌か?……」
 私は訊
(き)くと、「うんう」と首を横に振るのだった。
 「古くて汚くて気持ち悪いだろう?……。流し台は戦前からあるようなタイル張りの古い物だし、便所は臭くて今どき水洗でなく、月一回の汲み取りだし……。それに汲み取って貰うにも一々その度に金を払わねばならん」
 「だって、昔はこういうものでしょ」
 それは、ある種の諦めだったかも知れない。

 「この病院は戦前から在
(あ)ってなァ。この廊下の下には……先の大戦で罹災して、此処まで運ばれてきて、遂に事切れた人の死体が並べられて埋められているのだぞ。時々、その幽霊が出るらしい……。夜中なんかなァ、ときどき呻(うめ)き声が聴こえることがあるんだ」
 「えッ?!まさか……」と家内は、小さな叫びを洩らしたのだった。
 私の思う壺だった。
 「どうだ、怕
(こわ)いだろう?……」
 これは“鎌”である。鎌を掛けてみたのである。
 「えッ?……」家内は小さく驚いただけであった。
 「なぜ呻き声は聴こえるか知っているか」
 「いいえ」
 「それはなァ、時は大戦末期だ。中には事故死で死ぬ人が少なくない。多くは悲惨な死を遂げる。苦しんで死んで逝く。それに時代は物資難である。医薬品も充分でない。手遅れと言うより、放置されたまま苦しんで死んで逝く」
 「まあ可哀相……」
 「そうだ、事故死で死んで逝く人はみな可哀想なんだ。これを怕
(こわ)いと思ってはいけない。訴えて来る霊は可哀想と思わなければいけないんだ。
 今の時代、日本人は戦争で罹災して死んで逝くことはなくなったが、一方で、欲とか嫉妬、未練や恨みなどで死んで逝く人が殖
(ふ)えた。そういうものを引き摺って死んで逝くと、その霊魂は浮ばれないんだ」
 「不成仏と言うこと?……」
 「そうだ。肉体は死んでも意識は残る。但し、昨今の脳科学の世界では、死後の意識など完全に否定して頭から迷信と一蹴
(いっしゅう)しているがな……」
 「不幸な生
(お)い立ちでも、心の持ち方で意識に変化があるんですね。考えてみれば、生きている時の心の持ち方が、死後の意識を決定付けていると言うことですか……」
 「そうだ、霊は意識体なんだ。霊魂は言い換えれば、この世に生きていた時の意識を引き摺
(ず)った意識体で、本来ならば、魂が還るべきところに戻って行けない。そこで元の世界に戻れない不成仏霊が迷いつつ、現世の人間に何かの訴えをしているんだ」
 「それって地縛霊ですか。自身の意識の呪縛
(じゅばく)に悩まされてもがいているのですね。要するに自分達の苦しみを分って欲しい……、そういう切実な思いがあるのかしら……。でも、やはり怕い……」
 「怕いか?……」

 私の性癖は恐がらせて、その驚きと恐怖心の具合を検
(み)て楽しむのである。
 そのうえ“天邪鬼
(あまのじゃく)”は、私の持って生まれた性分だから、人をからかう癖は、そう簡単には治らない。一種の性癖である。
 三十歳を過ぎて《えッ?!まさか……》などという、この手の人間が好きなのだ。
 怕いことに本気で驚いてみせる。そんな人間に好感を持つのである。
 第一、恐怖を引き攣
(ひ)って怯(おび)えを露(あらわ)にすると脅し甲斐(がい)がある。

 だが、私は家内が怕い……と云った言葉を少しばかり誤解していたのである。
 「だって人間って、本当はそういう怕い生き物であることを、今更ながらに思い知らされますもの。だから戦災に遭遇して死んで逝った人は、何かに裏切られた感じがして、無念の思いが残るのでしょうね」
 しかしよく考えてみると、一旦は童女のように“無邪気に驚いてみせる”ポーズをとる家内が、本当の怕さの正体を見抜いていたから、ある意味で、私より役者が一枚上だったかも知れない。怕がる風にして驚くのではなく、怕くないでも驚いてみせるのである。

 普通、大抵の人は、そのように答えられることを予測し、「多分そう答えるだろう」あるいは「予想した通りだった」などと、そんな貌
(かお)を期待するものである。
 あるいは、思いがけない質問をされて、思いがけない事態に遭遇して「そういうものか……」という感想を抱き、それを無邪気に喜んでみせる。またこうした“からかいがいのある”人間が、好きなのである。
 ところが、少しばかし肩すかしを食った。私の好みの期待外れが起こった。人間の正体の怕さを見抜いたからである。

 しかし霊が何かを訴えている……。
 そう思わせるような、あるいは、そういうことが大戦中にあったのかも知れないと錯覚させる、そんな雰囲気を漂わせた病院跡だった。
 それで、つい鎌を掛けてみたくなったのである。家内は、私の他愛無ない冗談に乗せられた振りをして、結局遊んでくれたのかも知れない。

 「しかしだ、霊はラップ音で苦悩の意志表示をする。この点は怕いだろう?……」
 しかし、脅しは二度効かない。一回限りのものである。
 「またァ、人をからかう……。その癖、早く直さなければね」と眉を顰
(ひそ)めて反論するのだった。
 そう言い捨てたまま、更に奥へと興味深く、軽やかな足取りで何処此処と憚
(はばか)ることなくうろつき回るのであった。私の冗談など、もう気に掛けるふうもなかった。

 それは自分が元小児科の看護婦であったということから、興味を湧き立たせての行動であっただろうか。あるいは、かつてこの風景に似た、何かを重ね合わせて感慨を深くし、辺りを探索しているのだろうか。
 「おい!、勝手にうろつくなよ。その辺の廊下は、床板を支える根太
(ねだ)が腐っているからなァ、足を踏み外すと大変だぞ!」
 しかし、この忠告は無視されたままであった。
 子供が未知のものを探索するように歩き回るのである。
 何事につけても、好奇心の強い女だった。そしてこの好奇心の強さが、長所でもあり短所でもあった。人間の運・不運が降り懸かるとしたら、おそらくそうしたところにだろう。

 そして、私は思うのだった。
 この女は、よく此処まで蹤
(つ)いて来たものだ……と。
 振り返れば、逃げ出さずに蹤いて来たと思うのである。普通なら「実家に帰らせてもらいます」というところだろう。
 私の破綻状態から逃げ出さなかった。蹤いて来た。極貧生活からも逃避しなかった。それも単なる好奇心からだったのだろうか……。
 あるいは、その先きに何か幸福のようなものが横たわっている世界を夢想して……。
 いま思えば、不思議な縁だった。瓢箪
(ひょうたん)から駒が飛び出したような縁だった。

 この当時、廃屋同然の場所で家内と二人で棲んでいた。
 私が習志野に緊急避難をした時、まだ北九州に居て、家内は倒産した予備校の債務処理をしていた。当時家内は監査役であった。
 しかし時機
(とき)を見計らって、家内を呼んで、習志野に棲みはじめたのである。
 当時、億単位の借金を抱えていた。借金が重くのしかかって首さえ廻らぬ有様だった。債権者が毎日押し掛けて来る日々を送っていたのである。罵倒され、指弾され、殺されるばかりの火と水の試煉を受けたこともある。苦悩する毎日だった。
 会社組織の予備校は平成2年9月に更正法の適用外となり、無念に倒産した。そこで打開策として、知人の国会議員を議員会館に訪ねる予定で、一先ず習志野に居を構えたのである。此処を橋頭堡
(きょうとうほ)にして、打開策を講じようとしたのである。人脈を充(あ)てにしていたのである。希望的観測に縋(すが)ったのである。

 ところが、その願いは虚しかった。甘かった。
 居留守で肩透かしを喰らい、歳月は虚しく流れるばかりだった。まさに「歳月人を待たず」の中に居て苦慮しているときだった。
 借金を返済するにも、仕事は無く、浪人生活を決め込んでいたのである。

 しかし浪人の身とはいえ、喰わねばならない。
 三度三度の給仕も無しでは寡婦
(やもめ)と同じになって、身も心も蛆(うじ)が湧いてしまう。一人暮らしでは何とも遣り辛い。
 そこで、北九州に残して債務処理
をさせていた家内の身を案じると、「もうそろそろ、これが限界かな……」と思い、その汐時を見計らって平成3年2月に家内を習志野に呼んだのである。
 一先ず、債権者の強風を躱
(かわ)すために、次は家内も緊急避難させねばならない。そう、案じたのである。

 そしてこのボロ病院を跡を遣って、同年の4月から家内に学習塾を遣らせたのである。
 北九州から夜逃げ同然で習志野に遣って来て、私の安全地帯と橋頭堡を築いてくれた男が居た。
 進龍一である。

 昭和50年初頭、私が北九州から習志野に送り込んだ関東方面への「切り込み隊長」だった。奴は、私の言に鶴の一声で関東に向かい、習志野の地に根を張った。
 この男の好意と言うか、当てつけと言うか、奴は奴で渡りに舟と言うか、逃げた先の塒
(ねぐら)が、このボロ病院の跡であった。
 しかしボロな塒と言ってもタダでない。
 毎月5万円を家賃として集金され、それに電気・水道・ガスならびに石油ストーブに使用する灯油代の光熱費や、月に一回の便所の汲取料金を合わせて別途1万円強の使用料が掛かった。それをきっちり徴収される。
 徴収分を毎月、進龍一に払うのである。直接の家主ではなく、奴にである。徴収法が巧妙であった。
 これも頭の回転の早い奴のことだから、一ひねりして考え出した金策方法だったのであろう。要するに金策なのである。深くは追求するまい。

 つまり借家法違反
(この法律は1992年借地借家法の施行に伴い廃止されるがこの当時は生きていた)の「又貸し」であり、集金された使用料は、先ずは一旦、奴の懐に入る。その後、家主に渡ると言う手はずになっていたが、家主の婿養子の森川某が、私の顔を見る度に不機嫌であったから、おそらく私から徴収された使用料は、奴の懐(ふところ)でストップしていたのだろう。
 だが徴収された金が、奴の懐
でストップしていようと、それがどう化けようと私の知ったことではない。払い物は払ったと言う自負があった。それだけに申し訳が立つ。誰にも憚(はばか)ることはない。

 物質界に浮かぶ現代の世は、多少の難題を吹きかけても「金」と「脅し」で“どうにでもなる世の中”である。また、それに負けて直ぐに靡
(なび)く。
 世間には、「人生は金だけではない」とか「金が総てではない」という言い草がある。誰もがこの言葉を支持する。
 その反面、総てではない金銭に苦慮するのはどうしたことであろうか。
 当時は私もその一人であったが、現実に、金に転ぶ人間は多いし、脅されれば忽
(たちま)ち自分の信念を曲げて持論を引っ込めてしまう人間も多い。

 要するに“その程度の者”が見栄と虚勢を張り、犇
(ひし)めいているのが人間界ということになる。この世とは、そうした“ろくでもないところ”なのである。
 この世界を裏から見れば、「金」と「脅し」で、“どうにでもなる世の中”と言うことになる。これに動じない人間は殆ど居ないだろう。
 そして「動じない」ということは、ある意味では、死を覚悟しなければならないこともある。命を賭
(と)して立ち向かわねばならないこともある。その覚悟があって「人生は金だけではない」とか「金が総てではない」と、胸を張って言えるのである。

 拝金主義、金銭至上主義の金融経済が絡むこの世では、プロ意識は金に換算される。世間でよく言う「プロ意識」は、金銭に換算されて支払われる。
 例えば、演劇や芝居、映画やスポーツ観戦にしても、観客は金を払って見に来ている。あるいは金を払ってまで買いたい物がある。此処まで来るには、見世物に金を払うだけの価値がある。世間では、よくそういうことを言う。

 金を払って……となると、その存在意義は売主側の戦略として「人寄せパンダ」の手法が遣われる。存在意義は人寄せに回帰されているようだ。
 こう言う時代背景下では、金に年齢はない。長幼がない。
 常にこの世でのは、特に物質至上的世界では、金持ちが人の上に立つ構造となっている。
 この構造には年齢も長幼も不在でる。この如何ともし難い構造こそ、人間界の構造であった。
 それは土地家屋の資産額であり、預貯金の金銭額であった。

 しかし、「金で、何でも買えると信じる世の中」は、物不足になって困窮した社会が出現したらどうなるのか。金で買えないものが実存すると一体どうなるのか?……。
 いつも、そのことを懸念し、考えさせられるのである。
 例えば、砂漠のド真中とか、雪山での非難小屋での食糧や飲料水の欠乏状態にあって、こうしたときの水や食糧は金で買えるものではなかろう。コップ一杯の水でも、たった一個のおにぎりでも、千金の重みを持つだろう。

 また脅しでも、この脅しに屈しない霊的な存在が出現したらどうなるのか。それも懸念する必要がある。
 特に脅しは、一般的には暴力であり、あるいは暴力を臭わせる脅し文句を吐いて、相手を屈服させる場合を言う。闇の暴力組織の常套手段であり、また恫喝
(どうかつ)を得意とする第三国家の常套手段である。

 「金」と「脅し」は、物質界では必要不可欠な主要材料である。これが有効な手段となる。
 特に愚人を脅す場合は、これ以上の有効な手段はないだろう。
 愚が極端化すれば馬鹿だが、また賢も極端化すれば聖賢君子の領域に至ろうが、しかし馬鹿も、聖賢君子も同じ人の輪の中に居る。
 此処にこの両者は“メービウスの帯”のように表裏が一致する。“対
(つい)”をなす。
 それは、もう一つの反対側の極が、もう一つの極限に回帰することである。こうした局面が顕われているのが、「現代の世」と言うことになる。
 つまり、「金」と「脅し」で“どうにでもなる世の中”の反対極限には、同時に“どうにもならない世界”も存在しているということだ。
 それが死を覚悟した、生を超越する世界である。

 金持ちが、あるいは俄
(にわか)成金が、札束で他人の頬(ほほ)を張る。
 あるいは札束を見せておいて、他人の米櫃
(こめびつ)に手を突っ込む。札束さえあれば、怕(こわ)いものなしだ。恐れるものは何もない。
 そうなると自惚れが起こる。傲慢
(ごうまん)が起こる。
 それがまた「脅し」へと変化する。
 札束で他人の頬を張り、恫喝を加えれば、大半の人間は何も言えなくなる。屈して、それに靡
(なび)くようになる。遂には魂まで売り渡してしまう。売国奴まで出てくる。

 ところが靡かない世界もある。かつてはそう言う世界があった。
 困窮と極貧の世界にいて、毅然
(きぜん)として生きる者が棲む世界もある。そう言う世界が中東の砂漠にあった。今もあるかも知れない。
 例えば、砂漠の民のイスラーム圏である。

 此処の民は自由圏国家の、物が溢れている飽食の社会に棲む民よりも強靭
(きょうじん)である。砂漠では砂と石しか存在しない。そうした生活空間の中で彼等の食べる物と言えば、粗食の名に値する質素な食材と、やっと飢えを凌(しの)ぐ程度の食糧しかない。24時間、どこへ行っても、金を出せば何でも買える便利なコンビニ国家とは違っている。

 何処を向いても砂・砂・砂……である。それが砂漠であり、砂漠の民の宿命だ。
 これは運命というより宿命的である。最初から固定されているようなものである。そうした生き方のみ、許された宿命であった。遠い太古の過去から定まったものであった。

 一握りほどの僅かな食糧と、コップ一杯ほどの水で、満足する民族である。また、三、四時間程度の睡眠で満足する民族である。狼のような狂暴性と戦闘性を持っている。飼い馴らせない習性がある。
 宿命的な世界で、少量の物で満足することを古くからの習慣として連綿と受け継ぎ、それに微塵も疑いを抱かない。こうした遺伝子を、イスラーム圏の民は先祖から受け継いでいるのである。
 昨今では、それだけで満足しているか否かは分からないが、満足出来る体質は持ち合わせている。欧米系の白人や、戦後、ヤワになった日本人の比ではない。心身ともに強靭である。

 また、僅かな食糧だからといって、満足出来ない訳ではないし、この程度の粗末な物が与えられないからと言って、彼等はそれで死んでしまう訳でもない。灼熱下でも強靭に生きている。したたかに生きている。
 飢えに強い。昔から飢餓に耐えて来た。空腹にも渇きにも強い。我が儘で過保護に育てられた戦後日本人の比ではない。
 飢えと渇きが長時間続いても、生きて耐えられるだけの肉体と精神を持っている。それは日本人以上に強靭である。
 また、二者択一的な選択の余地があったり、溢れる物に取り囲まれている分けでもなく、彼等は先祖からそうした現実を受け入れ、確信的に生きて来たのである。

 日本のように美しい山河があり、その風景と比較して、彼等は自分ら風土を決して哀れだとは思わないだろう。彼等は砂漠を決して否定しない。ありのままに受け入れる。そこに強靭さがある。先進国と自負するヤワな国民とは根本的に異なっているのである。
 日本人が情緒的に夢想する『月の砂漠』の世界とは違うのである。
 それだけに日本人の感覚では砂漠を、豊かな土地とは言い難くなるのである。豊かだなどと、決してそうした感想と想像は湧かないものだ。

 むしろ砂漠の民は、緑に囲まれた山々や川のせせらぎに、怖気
(おぞけ)を催すに違いない。自分達の風土とは異なる日本の風景に恐怖心を抱くかも知れない。遺伝子に残留する風土観は簡単には消滅しない。
 砂漠は、日本では棲みたくない土地であるが、これを逆の極限から見れば、日本こそ棲みたくない「不毛の風景」に映るかも知れない。そしてこの「不毛の風景」は、極限的に見れば、明らかに“メービウスの帯”の表裏に酷似する。
 極限がその裏返しになっているからだ。
 またそれゆえ、人間の棲むこの世界に表と裏があって、それが極限に達すると裏返しになるのではないかという“メービウスの帯”を髣髴
(ほうふつ)とさせるのである。

 日本人が日本の風景が美しい山河と映るのなら、砂漠の民はその極限にいて、砂漠こそ不毛の風景とは無縁な、エネルギッシュな世界を映っているのかも知れない。
 砂漠の民は、自らが生まれるべくして炎天下に生まれたのである。此処に生まれることにより、人間としてのエネルギーを倍増させて来たのである。この点がヤワな先進国の民族とは違う。
 むしろ砂漠の、欠乏状態にある「ぎりぎりの生活」にエネルギーを倍増させ、これが強靭な力となって、むしろ歓迎すべき風景と土壌となったのかも知れない。
 欠乏状態は時として人間を強靭にする。

 平成3年の初春から秋に懸けて、私は確かに困窮生活を送っていた。
 確かにこの当時、職を失って二進
(にっち)も三進(にっち)もいかなくなっていたが、またこれはこれでよしで、この浪人生活をそれなりに「いい経験を積んだ」と、今でも回想することがある。
 平成2年9月半ばに会社が倒産し、それで習志野に一時緊急避難した。
 体裁を繕
(つくろ)えば「緊急避難」だが、単刀直入に言えば「夜逃げ」である。
 そこでまた、再び違う次元の人生を味わった。滅多に体験できない異次元を感得したのである。

 振り返れば、苦しい中にも笑いがあり、喜びがあり、感動があり、協力があり、アイディアがあり、狡猾
(こうかつ)な智慧があり、軍師の助言があり、いい時期だったと思っている。
 かつての苦渋も、今では懐かしい想い出である。
 そこで悟ったことは、人間は極限まで追い込まれ、欠乏状態に陥ると、そこから可逆性が始まるということだった。元に戻ろうとして、人間は「先祖帰り」を始めるのである。原点に返ろうとするのである。

 人間、落ちても、ドン底に行き当たれば、そこで無から有を生む不思議な人生に行き当たるものだ。此処に“メービウスの帯”の極限性があった。
 人生万事、塞翁が馬なのだ。やがて敗者復活戦に参加する機会も訪れよう。
 これを知る人生と、知らずに終わる人生のギャップは天地の差ほどあるであろう。
 奇
(く)しくも私は、この「差」を経験したのだった。



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